はてなキーワード: 雪だるま式とは
ここんとこなろうでちょっとプチバズってて、で、自分はブログやってた経験もあるので、両者の違いがかなりおもしろい。データは持ってないので、印象だけの話です。
自分がブログやってたころは、SNSからの流入がまだそれほどでもない時代で、要はバズるにしても炎上するにしても、瞬発力みたいなのはさほどなかった。最大の新規流入窓口はホッテントリ。あと、当時はまだまなめさんとことか、カトゆーさんのとこが健在だったけど、ニュースサイトからの流入は、新規流入というよりは「それぞれのニュースサイトが抱えてる母数のアクセスのうちの一部が来る」という感じだった。
ホッテントリにしても、たぶん現在よりもはてなそのものが抱えてるアクセスの母数ってのが小さかったはずで、トップ画面に居座っても日で2万くらいだった気がする。このへんちょっと記憶が曖昧。
で、なろうなんだが、とにかくなろう本体の母数がバカでけえ印象がある。日間ランキングの上位に入ると、数千のアクセスが来る(たぶんこのへんは話数の多さと、ブックマークの数によってかなり変化が大きいはず)んだが、おもしろいのは、数日ランキングに居座ると、そのぶんだけ雪だるま式にアクセスが増えていくことだ。
これがなにを意味するかというと、固定のアクセスを抱えたままで、連日新規の人が流入しているということだと思う。なろうでは話数別のアクセスが見れる。推測になるけど、大雑把にいうと、最新話のアクセスが、新規流入+固定客、1話のアクセスが「読んでやろう」という気になった新規の人の数、そんで中間の話のアクセス数が「新しく入ってきて全部読んだ人の数」ということになると思う。で、その中間の話のアクセスが連日徐々に増えていく。次から次へと新規流入の人が増え続けているということだ。こういう現象は、ブログではまず見られない。
理由としては、なろうというサイトが抱えてるアクセスの母数が膨大で、それらの人々が常に新しいものを探して動き回っている、ということしか考えられない。
ブログは、なんらかのジャンルに特化したものでない限り、原則的にバズった記事とそのほかの記事の関連性が薄い。極端にいえば「書いた人が同じ」という以上の関連性はない。小説は、連載の場合、気になった人はとうぜんほかの話も読む。
しかしあのなろうってサイトはおもしろい。なんていうのか、運営が仕事してる感じがすごく強い。
正直にいって、サイトの設計やら使い勝手という点でいえば、ものすごい癖が強い。自分は基本ずっとはてなで活動していてそれで慣れている。で、ほかのブログサービスを利用しても、そのノウハウというのは原則として流用できる。
なろうではその経験がまったく通用しない。なろうを利用する前、カクヨムもちょっと使ってみたんだけど、そっちは抵抗なく使えた。しかしなろうは厳しい。最初はわけがわからなかった。
しかし、慣れてくると使い勝手がいい。「ここでこういう機能が欲しい」と思うと、たいていある。どこにあるんだかよくわからなかったりするが、ある。そしてわかりづらいところは、その場所からそんなにクリック数の離れていない場所でヘルプを見れる。
これなにかっていうと「要望に応じてやれることはひととおりやってきた」ということなんだと思う。
あと最後に。
なろうってサイトがほんとにやばいのって、更新するだけで確実に30とか40のアクセスが保証されてるってことだと思う。自分はあらすじ大量に書いたり、タグたくさんつけたりっていうのが苦手っていうか面倒なタイプで、そのへん雑極まりない自覚があるんだけど、それでも、更新すればだれかはかならず来る。ブログをゼロから始めた人が、不特定の数十のアクセスを得るのってほんとうに大変なこと。それがナチュラルに実現できてる環境ってのは、凄まじい。
とにかく、ここでは常に人が動いている。
数は力なり、ですなあ……。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41
・1回目
・2回目
最初の会社のうつ病治療で服用していた新薬の副作用で体調悪化。精神科病院入院。
・3回目
1年は問題無く勤務できていたが、異動人事で繁忙部署へ。過労でダウン。休職に。
転職すると基本初年度は賞与がゼロになるから年収が大幅に下がり、借金が雪だるま式に膨れ上がっていった。
本当は自己破産か民事再生したいけど、近い将来復活するだろう破産者マップが俺を邪魔する。
復職しても転職しても破産者マップが再開したら、俺は解雇されるだろう。
誰かが言ってた。
「氷河期世代には経済的安楽死を認めさせれば、日本の抱える問題は解決する。」と。
現時点でも破綻してるし、仮に破産しても将来年金が無くなる訳だし、
一刻も早く安楽死を認めて欲しい。
あのGoogleも採用したとかいうOKRとかいう目標設定フレームワークで仕事してんだけどおそろしくつまらなくて面倒くさい。
というかやりたいことが全く出来なくていらいらするだけ。
現場で困っていたり苦しんでいたりする、ツールの改修とか開発環境の改善とかは、「それOKRに関係あるの?」って自問自答するとアッハイみたいな感じですすっと消えるんよね。(こじつけて関係あると言えなくもないけどそんなの欺瞞だよって思う)
それによって非効率でストレスフルな環境を我慢して使い続けることになる。正直くそだるい。
OKRの目標値って結局売り上げだから、それに沿った改善ってやつを目指すと結局お客様が第一、というより売り上げに直接関係ないものは我慢しろみたいな感じにしかならなくて日々の業務がつらい。
自主的にお客様に忖度しているウォーターフォールみたいだ。いっそウォーターフォールで指示出せよ。
思うに、OKRとは全く関係がなくても、現場目線で困っていることを改善したりとか、現場目線でやりたいことをやる裁量みたいなものが現場にないと、やらされている感じだけしかしないんじゃないだろうか。
本来、基本的な足回りを改善していくことは地道にパフォーマンスがあがって、結果的にはお客さんに届けられる価値も雪だるま式に増えていくと思うのだけど、ひとつひとつの改善案を「それOKRに関係あるの?」って言われるとなんかもうバタフライエフェクトなみに説明がめんどくさくなってアッハイカンケイナイデスヤメテオキマスっていうほうが楽になるの。メモリ4GBじゃ駄目な理由を説明するようなものに近い。
やはりウォーターフォールが良い。あれの欠点は最初の皮算用に説得力がありすぎて期日が延びないことだけだ。そこさえ調整が利けば明瞭で良い。
10年くらい勤めたメーカーだが、最近2年くらいはずっと転職が頭に浮かぶような状況で過ごしていた。
管理職でもないし当然管理権限もないのに裁量労働制というただ待遇が悪くなっただけの制度に同意しないといけない。
しかしいつまで経っても周囲含めて80h超/月の残業続き、深夜の呼び出し、休日出勤は当然。
業務は増えるのに人は増えない。
異動・転勤の頻度も高く家庭環境にとって辛いことばかり。
これはもう無理と思い転職活動を始め他メーカーから内定をもらった。
またメーカーかよ!って思うかもしれないが、ジャンルは違うしメーカーで技術やってるとメーカー以外では年収も上がらないものだ。
とはいえ、私の配属先では予想外に雰囲気はよく技術的にもおもしろい内容もあって
怒られても進歩の実感もありそれなりに生きていけそうだなと感じた。
ただ、入社同期の話はなかなか酷い話が増えてきた。
ブラック企業を絵に描いたような話が社内で多発していることを知った。
残業代は月20時間までとか工場を見る人たちは揃って長時間労働・深夜呼び出し・休日出勤の話。
そしてちょくちょく精神が病む人、辞めていく人が出てきた。
そして私も例に漏れず、配属先の日々も呆気なく終わりあっさり転勤。
そこから私も工場側へと変わった。そこからは同期の話が自分に降りかかることになった。
工場の現場の技術的な仕事をしたが、工場は24時間稼働なので当然トラブルはいつ発生するかわからない。
現場の人間は責任持てないから、とすぐ大卒以上の人たちへ電話をかける。
電話だけで済むこともあるがそうなるわけもなく結局出社がザラ。
家にいる子どもが小さいのにこんな労働環境でやっていけるわけがないと思い心が折れた。
そういった労働環境を想定せず家を選んでいた。
「お前工場近くに引っ越せよ。自腹で」
と脅しのようなことを言われた。結局引っ越さなかったけど。
やれる範囲でやっていこうと思うこともあったが仕事以外何もできないような状況になり始め
私があまりにいないぶん妻へ育児の辛さが集中するなど自分以外への影響が大きくなった。
私も私で子どもの見れるときはだいたい寝顔と夜泣きで身体がおかしくなるかと思った。
でも上司含めた会社側は各家庭は無視し続けるように仕事しろというスタンス。
理由は「今までみんなそうやってきたから」ということで、法律は無視。
と思い、退職以外ないと決意した。
一応最近は働き方改革の名の下、本社通達で改善しようと展開が始まったが
実際は単に声掛けしているだけであとは勤務時間管理(PCの電源ON時間)の入力で過小申請してその場凌ぎの途中。
その流れに逆らう話で、世間の検査不正の影響を受け不正がないよう各部署のチェック項目や管理フローが雪だるま式に増えていき実態としては労働時間が増えるというおかしな状況に。
今まで適当だった(不正とまではいえないが正確な検査になってないとか管理体制がザルだったりとか)ツケが今の現場に回ってきているのだが、上司らはお前ら頑張れみたいな態度。いやいや君たち偉そうなこと言えないでしょって話。
あとは、意識高い系の言い方をするとキャリアパスとして成長を感じられない。
全然技術的な業務でもないし、あまり頭使わないような業務が多く自分の進歩が何も感じられなかった。
工場でやることも限られているし、外との接触もあまりなく閉鎖的。会社に最適化された人間にしかなれないと思った。
当然、「この会社がなくなったときどうするの?」と不安にもなる。
加えて、周囲の管理職の人たちを見ててもああなりたいとか尊敬できる人が本当に一人もいない。
もう少しまともな人がいないの?って思う。最初の配属時はもう少しマシな人がいたはずだが、そういう人に限って辞めていく。
ここまで書いてアレだが。
この会社は知名度もそこそこある大規模なメーカーのはずなのだがなぜだか社会から労働に関して御咎めがないのが不思議。
一方、若手の退職は増えるばかりで同期に限らず自分より若い人が続々と辞めている。
ついでに中途で入社した人も1年足らずで辞めたりする。
社内でも
と言われたりもするが、そうだとしても今の業務は二度とやりたくないのは変わらないしそれは結局自分で確かめたい。
しかしまあ同じなのが本当だとしたらメーカー含め日本で働くことすらダメなのかもしれない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58808
(亡くなられた方へのご冥福をお祈りします)
なんていうかさ、親が体調を崩したら、面倒を看ることが難しいレベルの方がいてさ。
そういう中で「自分のペースでやらないとイライラして怒鳴る患者が2人いる」とするじゃん?
今の精神科医療の現状だと、家族が身を犠牲にして近所に迷惑をかけないようにするか、集団の中でなんとかやれるように鎮静をかけるという、二択を迫られることが多いんだよ。
こういう現状なんだよ。
悔しいよ。
本当は、彼をなんとかしようと思って医療に携わったんだ。
でも、今のままだと、どうしょうもないんだ。
地域でも大声を出して暴れる人は受け入れられない。
俺はされたよ。
「弟さんといつも仲良くていいね。大事にするんだよ」とか無責任にニヤニヤしながら俺に言っていた近所のおばさんにね。
もちろん、薬は鎮静だけでなく副作用も出る。
鎮静も強くなる。というか、そもそも薬物療法で解決する話じゃない。
というか、これまでの日本の社会は家族に責任を押し付けすぎたんだよ。
精神障害を持つ人の家族の研究だって、ここ数年でようやく手がついたくらい。
精神障害、発達障害を持つ子どもの介護をしている親がいなくなって、あるいはどちらかが体調を崩して、本人も具合が悪くなるなんてのは、本当によくあるんだ。
ウチもそうだった。
それに今は認知症も増えてて、他害がある場合には現状の枠組みだと精神科病院が受け皿にならざるを得ないことも多い。
この記事だけをみて、一方的に病院を叩いている人は精神科特例って知ってる?
精神科は他科と比べて、人員が少なくてもいいよ、って、決まってんの。
「病院はクソ!」
「薬は金儲け!鎮静はかけるな!」
「絶対に施錠はするな!」
それは、単なる思考停止じゃない?
じゃあ、人員を、増やすために今の何倍も医療費を出せるの?無理でしょ?
こういうことを書くと「精神病院がなくなった国もある」と反論されたりもするけど、イタリアだって、北と南で全然違うし、精神科慢性期病棟にあたるようなナーシングホームもいっぱいあるよ。
このケースはさ、ICや手続き、目標設定、情報共有に問題があったんでしょ?
面会禁止とか、隔離とかどういう手続きで行われてたのか、そこがないと何も分かんなくない?
そこは履き違えちゃダメじゃね?
得意げに「だろう」と憶測で書いてあることもいっぱいあるのは、みなさんもわかると思うんですが…
こういう記事は、あるいは、ますます現実から目を背けることにならないだろうか。
元増田に触発されて、大学時代に自分が自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車や警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分の人生ではそれなりに重要な位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。
大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。
その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分の発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分が発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。
そのうち、何か現実で失敗して大きく自分に失望する出来事があったとき、自殺を試みるようになった。
ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり、意識が覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。
ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウムの絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティ用ヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。
他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。
そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。
定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分の身長以上ある遊具にロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。
その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。
上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。
その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。
そして大学を卒業して働き始め、自分が発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。
今でも猛烈な希死念慮や破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分が社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分の人生を肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分は自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情と消滅願望を色々な方法でごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。
この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたから消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分の人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分の人生をコントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)
そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。
ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分の人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間がゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間の気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。
こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急や警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単に死ぬ」という現実を悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単に死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。
以上、供養です。おわり
宗教問題について調査してたら、興味深いことが書いてあったのでメモ。
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アマゾンの価格を値上げしてます。新品で出品するのに、アマゾンからは1冊ずつしか発送依頼がないのですが、その発送方法の指定他で、発送費が1000円近くかかります。馬鹿らしいので、新品は売れなくてもいいと判断しました。アマゾンの中古で、新品同様の商品を出品できるように依頼していますので、そちらは旧価格のままです。
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小生「自営で最強なのは不動産業やで、大家業。ワシ資産3億あるんやで、毎月家賃500万入ってくるんやで。」
高卒から不動産投資を始めれば、小生の年齢までに3億貯まることになる。
家賃を貰ってそのまま再投資する不動産投資では、このように雪だるま式に資産が増えていく。
10年前にオウムを辞めた小生は、女房の虎の子1000万を元にこのようなやり方で資産を増やして来た。
世間一般のエリートコースを離れ、尚且つ元オウムというマイナスの経歴を背負った小生でも、不動産投資という手法では金銭面では十二分にリカバリーできたということになる。
リースバック事業資金について、お金の出どころを問題視される方がいらっしゃるようなのでコメント。
まず私には、オウム・アレフ時代から親しい関係にある女性がいます。その女性は元出家者ですが、アレフ時代には、類まれなことに一部上場企業に就職して年収500万程得ていました。それ以前にも彼女は教団関連事業に携わり、個人の給与として累積で1000万近く給与を得ていました。
私はアレフ以前から資金管理者の立場でもありましたので、彼女の金をリースバック事業等に使いました。それがみどりの家族計画にある原資です。それを原資として、例えば200万で物件を買い、利回り66%で回し、その収益物件を600万で売り抜けるという感じで資産を増やしています。
我が驍勇にふるえよ天地を六巻まで読んだ。これは、あれだね。中世ヨーロッパ風のファンタジー世界を舞台にした三国志演武ですね。
巻数が増えるたびに猛将が雨後の筍みたいに集まってくる。喩えが猛烈に悪いけれど誘蛾灯に群がる虫みたい。それぐらい新キャラに事欠かない。
しかしながら、たくさんの仲間たちひとりひとりが特徴的かつなおざりな描かれ方をしていないのがすごいと思った。、それぞれの活躍と恋の行方が気になります。
また物語がものすごくテンポよく進むのも特徴だと思った。これはライトノベル一般にいえることなのかもしれない。
けど、この作品は一冊が終わるごとに、すぐさま一回り大きな規模の戦いに向かっていくから、わくわく感がすごかった。いろんな要素がそれぞれに雪だるま式に膨らんでいく物語になっていると思う。
時々性的な描写で眉をひそめてしまった部分があったけど、連戦に次ぐ連戦かつ勝利がほとんどなので爽快な気分で読めるものいいと思う。
今後はどんな戦争の広げ方をするんだろうってのがちょっと気になる。大陸を平定するのかな?統治とかもろもろもの問題がありそうだけど。
あと、六巻の進軍って中央にお伺い立ててたんだっけ?勝手に他国の造反軍と連合して大丈夫なの?いろいろ準備している間に連絡したのかもしれないけど、外交上大丈夫なの?
ちょっと調べてみたところ、取引所に人が増えることで不思議なことになりそうと感じた。
既に発掘が終わりかけているため、そもそも電気から捻出することが先細りになることが確定的なのに、
最長一年間のステーク期間があるので、流通させることの出来るBCO自体の量に制限がある。
一方で、人が増えるにしたがって取引所の収益が上がりステーク者へのメリットが増大し、
ステークしたくなる人もいるのに、ステークされればされるほど流通量が減る。
※もちろん、ステーク者が増えるほど一人あたりの収益も減る。正確にはBCO単位で、だけど。
この辺はどっかのラインからそれを無視できるメリットになる気もする。
もちろん、ステーク自体にBCOが手数料として必要なので、少量取引ではデメリットもある・・・
が、見た限りステークしていることへの利益分配自体にもBCOが入っているため、程度によっては
雪だるま式にBCO換算ベースで価値が増えていく可能性もある。
こうすることで自らの社会的評価を更に格上げすることができる。
人間の欲望に果てはない、地位と金と名声を得たところで満足しないのだ。
このフェーズでも手際よく成功できた奴が満を持して政界などに出馬する。
(成金のように徹頭徹尾、金儲けに腐心する方がまだ健康的だ。)
このリベラル達の自慰行為の為に提唱されたのがポリコレである。
しかしこのポリコレは様々な階層の人間の怨嗟を吸収し雪だるま式に成長、
そして当のリベラルが怪物化したポリコレに自縄自縛になりつつあるわけだ。
社会的上層に居るリベラルと呼ばれる人間と酒を酌み交わすと分かるが、彼らは
「地位・金・名声を得られたのは全て自分の努力のおかげ」と盲信していることが多い。
実態は「首都圏住み+高収入家庭でエスカレーター高学歴+優れた容姿」
といった恵まれた環境から生み出された結果であることがほとんどだ。
彼らは腹の中では低学歴、不具者、劣った容姿(ブス・デブ・ハゲ・チビなど)、田舎者、
ブルーカラー、第一次産業従事者、運転手、非正規雇用、途上国の出稼ぎ外人などを心底見下している。
彼らの驕り高ぶった目には「自己を高める努力を怠った取るに足らないクズ」に映るからだ。
幼少期から同階層以上としか付き合ってきていないので、そういった人間が底辺で経済を回して、
日夜歯を食いしばって生きていることを知らない。社会人になってようやく視野に入ってくるのだ。
ただ幼少期から醸成された価値観を覆すことは難しいので、上記のような歪んだ現状認識に陥る。
しかし前述した通りリベラル達が更なる社会的評価獲得の為に生み出した
ポリコレ概念ではこういった人達を公の場で差別・罵倒する事はNGになってしまった。
(当然のことだがこれは表向きなもので、今現在でも社内・学内・家庭内といった
クローズドな場所ではこういった人達への差別・罵倒は横行している。)
そして日々のストレス解消のはけ口を失ったリベラルが見つけ出した最後の標的が「童貞・オタク・KKO」である。
「童貞・オタク」はコミュ障気質な者が大半だ。故に現実社会での発言力も強くないことが多く、叩いても反撃されにくい。
また宮崎勤事件を経験した中高年層以上に蛇蝎のごとく嫌われていると言う後ろ盾もある。
上述の通りコミュ障気質な世渡り下手が多い為、「童貞・オタク≒KKO」と言い換えることも出来る。
現状できないだけで…というか
https://eset-info.canon-its.jp/malware_info/trend/detail/160225.html
通信に脆弱性がある時点で帳簿を共有するブロックチェーンを利用した仮想通貨は成り立たない
特に通常の物理的紙幣と違って管理権限からのトップダウンな指令が不可能だから一気に崩壊する
これは非常に上手いボカした言い方で帳簿のバイト
帳簿管理のバイト代が割に合わなくなって最後は誰が運用していくって話
赤字になる上に雪だるま式にかかる電力コストが増えていくから誰も新規参入しなくなる
どれだけ再生可能エネルギーを使って高コストパフォーマンスを発揮したところで
もし70億人がビットコイン使ったらどんなスパコンや量子コンピュータ使ってもそんな感じになる
ヤフーニュースを見てるとこんな記事が。元記事の東洋経済から引用。
http://toyokeizai.net/articles/-/196136
まあ、よくある貧困ルポだ。主人公の56歳オッサンもこの手の記事によくある人物像だ。
たぶん健常と池沼のボーダーくらいの知能で、幼少期の劣悪な生育環境が災いして
その日暮らしの底辺職を転々、あれよあれよという間に雪だるま式の貧困、って感じのやつだ。
搾取されている事に気付けない、または気付いても対応できる程の知恵がない、ってのもお決まり。
ま、このオッサンの身の上話なんて心底どうでもいいのだ、興味なんて毛ほどもない。
問題は3ページ目のこの箇所。
もうね、毎回思うけど、なんでこんなド底辺にまで彼女が居るのよ?
本当にどういうメカニズムで?どういう道理で?金もなけりゃ歯もねえのに?
あー、クソが。ムカつくわ。もうこの一行だけで同情する気なくなるよね。
https://anond.hatelabo.jp/20170824003435
・36歳未婚
・急に地元に戻ったため就職できず、コンビニ夜勤でアルバイト生活
全然将来の見通したたない。
泣きもした。
父共々死のうとも思った。
立ち上がれない日もあった。
父が死んだら俺も死のうと思ってたりもした。
でも生きてる今のトコ。
あと一歩だけでいいから、自分の気持ちが楽な方に向かうだけのチカラを出してみて。
追記
コンビニ夜勤から帰ってきたら沢山コメントを頂いてたので出来る限り返事させてください。
ってコメント書いてくれた方が読んでくれるかはわかんないけど(笑)
・気楽な方って?
気の持ちようが楽になる考え方ですかね。
実際、去年の年末ジャンボ宝くじが外れたら死のうとか思ってたので。生きてますけど。
でも宝くじ外れて一週間くらいしたらあれ?俺バカジャネーノ?ってふと思ったんですね。(ふと思った経緯はさらに下にかいてます)
確かに金がないとシンドイけど、腹についた脂肪だってまだなくならないくらいには飯食えてるじゃんって。
いやいや、今思い出しても年末ジャンボ宝くじが外れたら死のうなんて考えヤバイですね。
うちはかつて自営業でしたが、不景気の煽りをうけて見事倒産。何も残りませんでした。
羽振りが良い時期もあり贅沢もさせてもらったので、父には頭が上がりませんが。
父が死んだら家の中のスペースが広くなるだけですね。遊ぶ余裕はありません。
・ヘルパーさん利用について
父が他人の介入を極端に嫌がっていたので中々お手伝いいただくことができませんでした。
それでもワーカーさんはやっぱりプロですね。
上手に父の心を開いてくれて、少しずつではありますが他の人の手を借りれるようになってきました。
・生活保護について
もしかしたらここは同じ境遇の方がいるかもしれないので、恥を晒すようですが書かせてもらいます。
実は過去に地元の市役所に諸用で訪れた際に、市役所の方から「あなたの世帯の場合は生活保護の対象になるかもしれません。一度窓口に相談に行ってください。」と言われて、生活保護の担当の方とお話させてもらったことがあります。
まさか自分が生活保護の対象になるなんて夢にも思っていませんでした。
だって現にバイトといえど自分で働き、生活しているのですから。
一口に生活保護といっても、全ての生活のために必要な費用をいただく場合から、一部だけ給付して貰う場合など色々とあるようです。
自分の場合は収入があるので、その収入を考慮した上で必要最低限の生活に足りない部分を給付してもらうということができるそうです。
月々の金額にしたら2~3万円と医療扶助です。(金額は自分で計算しました。間違いがあるかも。でも医療扶助は間違いありません)
実際に苦しいながらもやれていますし、色々なことを考慮して今は受給すべきではないと判断しました。
それにウチよりも必要としている方がどこかにいるかもしれないから。
ニュースでは門前払いされたとか聞きますが、そんなことはありませんでした。
非常に親身になってお話してくれました。
・雪だるま式に心が軽くなるについて
増田さんの文章を読んで思うがままに書いてしまったのでわかりずらくてすいません(笑)
人間、自分を最も許せるのは自分だし、自分を最も追い込むのもまた自分だと思うんです。
自分が切羽詰まっている追い込まれていると思っている状態は、客観的に見るとそれほどでもないってことがあります。
追い込まれると視野がグンと狭くなり何も考えられなくなるんですね。
キッカケは他のところにあるかもしれないけど、そこから泥沼へと引きずり込むのは自分なんじゃないかと。
だから自分の足を引っ張る自分の手を離してあげさえすれば、助かる道はあるんですきっと。
去年の年末ジャンボ宝くじが外れた時、外れたことを父に話しました。
普通なら「どーせ当たらないよな(笑)」みたいな会話をして終わるところですが、父がポツリと「まぁ、人生はうまくいかないのが常だ。それでもなんとかしていくもんなんだよ。」と言いました。
なぜ父がそんなことを言ったのかわかりません。
もしかしたらその時期の俺の雰囲気がかなりヤバかったのかもしれません。アドバイスをする機会を伺っていたのかも。
父のその言葉を聞いて「ああ、あんなに色んな人に頼られて、あんなに家族のことを考えてくれていた父でもうまくいかないことの連続だったのか。それでもなんとか凌いでやってきたんだな。」と思ったんです。
もちろん最後には倒産してしまったわけですが、それ以前のお付き合いのある方たちから今も本当に助けていただいています。
そこからですね、腹の脂肪を見て食えてるじゃんと思い、少しは父から目を離しても大丈夫じゃないかと思い(実際大丈夫です)、自分の時間が少し持てるようになり、久しぶりに友達と会いくだらないことを話し、父と俺が面倒を見る部分と父本人がする部分を話し合い、グングングングン加速度的に自分の心の重りが取れていきました。
八ヶ月前には宝くじが原因で死のうとしてたんですけどね。
すいません。できません。俺が動けなくなると父を見る人間がいなくなるので。
父が倒れて以来、風邪すらひいてないです。
これを書いた元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20160924144051
これを書いた後、電通の過労自殺事件があり、電通の組織や体質の問題が社会的に批判され、同時に広告業界のブラックっぷりを多くの人が知るようになった。自殺をした高橋さんには大変申し訳ないが、この流れはとてもいいことだと思う。社会全体で過剰なサービスや過重労働が批判されて改善に進みだそうとしている今、広告業界もその流れに乗らないといけないし、しかもその流れを牽引していく存在になるべきだと思う。そのような力が広告にはまだまだ残っていると思う。
ただし、非常に不満がある。
今回の問題の批判のほとんどが電通や広告業界に対してのもので、過重労働を引き起こす元凶である「クライアント」はほとんど批判されていないことに対してだ。
確かに広告業界の過剰労働は相当な問題だ。これは業界全体に粘着のようにまとわりついていて、未だに「残業時間の多さ」を誇るようなところがあるし、新人の成長と残業時間は比例するみたいな考えも根強かったりする。中には給料いらないから働かせてくれ、みたいな人がいるのも確か。
だけど多くの人は仕事がない日は早く帰って家族に会いたいし、週末は遊びに行きたいし、休暇をとって旅行にも行きたい。
彼らは自分の仕事はだいたい「広告代理店にぶん投げれば解決する」と思っている。おれ自身も経験があるが、そのような人物は「上司に報告するための資料作成」から「年間の予算管理」、「他部署との折衝」、「クライアントの社内行事の余興」まで何でも代理店にぶん投げる。深夜に飲み屋に呼び出され、飲み代を「接待費」として経費精算しろ、と言われたこともある。広告代理店は今や「何でも下請け屋」になってしまっており、過去のおれの経験上、業務の半分以上はクライアントが本来やるべき仕事だったり、クライアントの尻拭いだったりした。そうして広告代理店が本来やるべき仕事の一部が子会社に行き、子会社が本来やるべき仕事の一部が下請けに行き、と玉突き事故のように業務が流れていき、業務量が雪だるま式に増えていく。しかもそういう業務は当然のように「タダ働き」だ。請求できない。クライアントとの良好な関係を維持するための犠牲なのだ。
何でこんなことになってしまうかというと、人格が終わってるようなクライアント担当者がいるというのもあるけど、構造的な問題を言えば「クライアント側にプロがいない」ということがあると思う。これは広告業界だけでなく、他の業界にも言えることだと思うけど。
いわゆる大企業はジョブローテーションが基本で、これまで生産管理をやっていたような人が、突然広報担当になったりする。そうやって幅広い分野で知見をためて、会社のことを知り経営ノウハウを身に着け、将来的には幹部候補生を育てていくという考えなんだろうけど、広告のことをまるで知らない担当者がクライアントの窓口になった時の広告代理店の苦労ったらない。曲がりなりにもクライアントの担当者だから、彼らの指示を仰がなければいけないのだが、それまで生産管理をやっていた人だから全く感覚が分からず支離滅裂なことを言ってしまう。だから新任担当者のために勉強会を開いたり(これも無償)、資料にも素人が分かるように滅茶苦茶細かく説明を加え、根気よく彼らが一人前になるまでフォローしなくてはいけない。本来はこれもクライアント側の仕事なのだが、今すぐにでも決定しなくてはいけない広告制作の世界で悠長に教育してる暇なんぞない。だから手取り足取り教えていく。それが現場の担当者レベルだったらまだいいけど、決裁者に違う畑の人物が来たときの苦労は並大抵ではない。
クライアント側も自分の無知は理解しているので、全面的に広告代理店を頼ることになる。なんせ、分からないことは全部教えてくれる。無茶で無知な要望や質問にも応えてくれる。大変ありがたい存在だ。そこにクライアント担当者と広告代理店の信頼関係が生まれるのだが、ある一線を越えてしまうと、担当者は何でも広告代理店に頼るようになってしまう。そっちのほうがラクだから。別に自分がカネを払うわけじゃないし。広告代理店は信頼を失いたくないから、無茶な要望も全部受け止める。そうなるともう歯止めが利かなくなる。
クライアント企業と広告代理店との付き合いの中に、「ここからここまで」という契約は存在しない。そこは曖昧な不文律で、各社によって千差万別だと思う。おれはクライアントの社内行事の余興までやってたけど、そんなことあり得ないという所もきっとあるだろう。
今回の問題を受けて、電通を始め広告代理店各社、過重労働の対策を打っているようだが、だいたい「深夜になると明かりが消える」「早朝出社を推奨する」「残業○○時間を超えると労働時間をこれ以上付けられなくなる」みたいな小手先の対策が主で、売り上げ下げたくないけど社会的な批判にも応えなくてはいけない、という意識から生まれた全く効力のないネガティブなものだ。形骸化するのが目に見えている。
問題の抜本的な解決のためには、広告代理店は「クライアントとの付き合い方」をそもそも変えなくてはならない。それまでの担当者間の情の付き合い方をやめて、冷酷にならなくてはいけない。「それは弊社の業務ではありません」と言わなくてはいけない。
そしてもっとも大切なことは、クライアントが変わることだ。クライアント側が変わらないと、広告代理店も変わらない。「私、これよくわかんないんです。電通さん、やっといてもらえます?」という乱暴な依頼の仕方を今すぐやめてほしい。自分の業務に責任を持ってほしい。そうでないと「何でも下請け屋」が再度はびこってしまう。
無責任に何でも丸投げするクライアント担当者と、「何でも下請け屋」的な方法でクライアント担当者の信頼を得てポジションを得る広告代理を撲滅しないと、本当の意味での広告業界全体の改善はなされない。
敵に本拠地を囲まれた増田家(九)当主は三人の息子たちを前に起死回生の秘策を語らんと欲した。
彼は包囲軍から滷獲した戦闘用に調教された熊(武熊)を三頭、庭に準備させた。
「次男よ、お前なら武熊相手でも勝てるかね?」
「お任せください、父上!」
豪腕の次男はつぶらな瞳の武熊を捻りあげた。
「二頭ならどうじゃ?」
「余裕ですぞ」
「だが、三頭なら勝てんじゃろう!」
「「「マオォオオオオオッ!!」」」
三頭揃った武熊は、輪郭が濃くなったように存在感が増し、周囲の耳目を大いに集めた。
すると、さらに武熊が武熊を呼び、雪だるま式に武熊が増えていく。
こうして増田家(九)は滅びた。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160612122719
次回
この本質は次の通り
・経済成長しない
もちろん政策としては金のバラマキ。
別にバラマキが悪いわけじゃない。
政府、つまり金を動かせる偉い人たちが集まって議論すると、必然的に
「国としてはベンチャー支援している人を支援しよう」という話になる。
で、じゃあ誰に金を渡すか?、という話になる。
という人が世の中に増え始める。
密室から漏れ出したカネの匂いが、頭の良い人達のハナでくんくんと探知される。
政府に対して「こんな成功事例がでました」という話を見せるためには、
いろいろな創意工夫がなされる。
まず金が余ってるか業界の疲弊にあえぐスキの多い業界や企業の動向に目をつける。
いいベンチャーがあったら買いますよという立場の人が、必ずいる。
次に、その分野で元気のいい学生を見つけ、金を渡して株を買い、プロダクトを支援する。
次に、いい具合にプロトタイプができたら、メディアのコネでお祭り騒ぎにさせる。
雑誌に載せ、新聞やらテレビに出す。雪だるま式にメディアに取り上げられる。
メディアは慢性的なネタ不足なので、とびつくネタには多数のメディアが飛びつく。
その他色々な方法で、これがイノベーションである、という絵を作り上げる。
例えばクラウドファンディングで何百万の金を集めた、という事実を作り上げる。
そして頃合を見て、出口にもっていく。
「こんなベンチャーあるんですけどねー」をチラチラさせ、
バクっと食べてもらう。
それだけでそれなりに美味しいけれど、同時にベンチャー支援の成功事例が手に入る。
私達に任せればイノベーションはokです、という形さえ手に入れば
あとは雪だるま式にカネは集まる。
ちなみに食わせるためには、色々な方法がある。
買収する側の企業の担当者にカネが流れる構造をうまく作るとか。
つまり、柏駅で貧乏で夢を追うシンガーソングライターに
音楽やら化粧の仕方やらを叩き込み、客がつくかどうかは関係なく、
この絵は普遍的で、世の中そこらじゅうにあふれている。
ラーメン屋を流行らせるために行列をわざと作らせるのも同じ話だ。
あの株価が吹き上がったという話を聞いた有象無象の個人投資家が
乗り遅れるな、と買いつけると、ほどなく暴落する。
すべてが飽食の時代だ。
うまい食い物も、快適な衣食住も、付加価値も、すべて行き届いた。
民は何も欲しない。
信用収縮でどんな財も消えそうで怖い。
世界は深刻なカネ余りだ。
みんなが求めている「イノベーション」