「登校拒否」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 登校拒否とは

2021-05-19

anond:20210519085006

登校拒否児童学校で体育の時間に着替えをしたことがない

ということを前提にさっしてやれよ

2021-05-15

   あまり知能の高くない三流大卒父親高卒母親に下に生まれ昭和63年から保育所に入れられていたが、そこでの水泳などのプログラム

    保育士などが強制しても全くしなかった。平成2年に小学校に入るが勉強漢字の書き取りと簡単算数程度で体育は見学ばかりだった。

   平成4年から登校拒否率が増えて、ずっと自宅にいた。平成6年に田舎に転校になるが、教育ほとんど参加しないとされ、父親DVで、母親出稼ぎして

    借金をして遊んでいて家にいなかった。平成8年に中学校に入り、サッカー部ランニングを成し遂げ肥満から痩せたがサッカーにはついていけなかった。

   中3までは勉強ができなかったが、家族喧嘩して勉強して見返してやろうとし勉強するようになり、学年100位くらいから学年7位の成績になって卒業した。

   地区公立高校トップ合格し、平成11年の高校での成績も体育以外はオール5で、平成12年冬開催の進研模試偏差値85を出した。平成12年の高2から

    Z会添削を受けるようになり、基礎講座では全ての成績が良かったが、10月頃に勉強のしすぎで精神失調した。平成13年になって通信添削東大対策講座になったが

  数学の難問以外がほとんど点数にならず、田舎高校では東大など無理だと担任等にこぼすようになり、現役不合格平成14年に福岡予備校に行き、

    都会で一浪して東大模試でA,B判定をとり、平成15年に東京大文科一類合格を成し遂げた。

2021-05-12

anond:20210512093740

こんな便所の落書きしかイキれない人生って虚しいよな

好きにイキれ

イジメられた自分を忘れて楽しく過ごせ

貯蓄もない自分を忘れて楽しく過ごせ

誰にも選ばれない自分を忘れて楽しく過ごせ

登校拒否から引きこもり大学に行けなかった自分を忘れて楽しく過ごせ

何の職にも就けず子供部屋で過ごす自分を忘れて楽しく過ごせ

ここはそういう場所

俺はお前をヨシヨシしてやろう

2021-05-11

anond:20210511015840

元々ある先生負担もかなりあったようで何人かの先生が来なくなったし

先生登校拒否ワロタ

文章意味微妙にとりづらいが

2021-04-25

見方を変えれば、登校を拒否できるって、すごいと思う。

私は、小学校時代は異性から暴力と伴ったいじめをうけたていた。

高校時代は、友達が一人もできずずっと昼食のお弁当を一人で食べていたぐらいだ。一度だけ、遠足をずる休みしたぐらだいだ。修学旅行はかろうじて参加したが、まったく思い出がない。

小学校時代は、仲のいい同性の友達がいたからまだましだった。高校時代も、幸い学校が違う仲の良い友達と繋がっていられた。

だが、いつ登校拒否してもおかしくない状況だったよな、と今でも私は思っている。

だが、私はそれをしなかった。いや、できなかった。

理由は、私が親に「学校行きたくない」と素直に言えなかったからだ。その勇気が持てなかった。

しかしたら、「行きたくない」と言ったら、「行かなくてもいいよ」と言ってくれたかもしれない。でも、それは「もしかしたら」の話であって、「絶対」の話ではない。だから、怖くて言い出せなかった。

私の親は、私の言い分を聞いてくれるタイプではなかった。そもそも家庭内に、自由に互いの意見を言い合う空気がなかった。

もっと言えば、私の親は何かしら「お前にも原因がある」と考える人だった。小学校時代いじめに関しても、そう考えていた。「相手暴力を誘うような、不用意な言動をするお前が悪い」と言うような発言をされたこともあった。

から、単純に、登校拒否できる人は、強い人だなと思うし、羨ましいな、と思う。

子供勇気と、親の優しさがなければ、登校拒否は成立しないのだから

2021-04-15

anond:20210414171850

ネットトレンドはよく知らんが「学歴差別差別ではない」なんて理論は聞いたことないな。そもそも能力主義批判なんて左右ともにほとんどやってなくて、極レベルの低いものか、極レベルの高いものが散発的に現れてるだけだと思う。

自分の知っているもので言うとイヴァンイリイチの『脱学校社会』が1971年に出てる。「階級社会放擲するために制度としての学校排除せよ」という主張はあまりにラディカルすぎて、この議論はそれほど発展しなかった。もちろんイリイチゴリゴリ左翼

最近でも、中学生YouTuber登校拒否宣言して、批判したのは左右に限らなかったと思うので、状況はそれほど変わっていないんじゃないだろか。どちらかと言うと保守系の方が批判苛烈だった気さえする。

2021-04-12

受験勉強をしたかった

最近仕事おもしろい。それでしみじみ思うのは、ああもっと十代の頃に、まじめに大学受験勉強を、あるいは血肉となるような勉強を、したかったなあ、ということである


自分はたぶん、学がない。たとえば地名だとか。●●の定理だとか▲▼の公式だとか。単純な暗記と、それに紐づいた概念自分の中で体系づいていない。いちいちインターネットで調べる(インターネットマジでありがとう)。世の中が、自分は覚えていないけれど他人は知っている情報だらけで怖くなる。たぶん高校生、いや中学生のほうが自分よりよほど賢いと思う。たくさん話すと自分バカだということがバレてしまうので、それが怖くて、話すのは注意深くなった。

自分学力に強いコンプレックスがある。その理由は、自分が転落型落ちこぼれだったせいだ。自分高校三年次が、軽い登校拒否状態であった。朝、家を出た後、垣根に隠れて親の出社を確認した後に家に戻り、親の声真似をして学校電話をかけた(「今日子供の具合が悪くて」等)。その後はなにをするでもなく寝るか、あるいは部屋の隅でうずくまっていた。そういうことを週に二回程度おこなった。

登校拒否理由は「授業についていけないから」である。通っていたのは進学校で、一度ついていけなくなるとまるで追いつかない。思えば入学時は、予習も復習も「楽しいから」やっていたが、一度「つらい」と感じるとあとは転げ落ちるようだった。入学時は学年で前から30位くらいの順位だったが、卒業時は学年で後ろから10番目くらいの成績だった。一年から進学塾東進衛星予備校)に通わされていたが全部寝ていた。


臆病な自尊心尊大羞恥心とはよく言ったもので、当然のことながらプライドはずたぼろだった。進学校通っていた子供は多かれ少なかれ皆そうだと思うが、小学生の頃からあなたは〇〇高校に通って、その後は地元で有名な◇◇大学へ行くのよ」と言って育てられる。そうして家族から様々なリソース供給を受ける。実際途中まではうまくいっていたのだ。全部自分が滅茶苦茶にしたのだ。幸運にもなんとか大学地元で有名な◇◇大学ではないが)には行けたが、これに受からなかったら特急列車に飛び込んで死のうと本気で思っていた。


詰め込み型の大学受験については批判もあるが、自分はやはり一定価値のあるものだと思う。とりあえず突っ込んで覚えてしまわないと話の土台に立てないし、十代の柔らかい頭脳からこそ吸収できることも多いのだから。それに大人になってからもっと大学受験勉強がしたかった」と思う人生は悲しい。自分出身大学学歴職歴に不満はない。ただただ自分知識のなさ、愚かさ、根気のなさが悔しく、悲しい。

三十路になって、いまの高校指定教科書を買った。クッソむずいわ。いやほんと、高校生ってすげえのな…。

2021-03-31

anond:20210331202727

全然わからん

女子中高学生クラス男子達にエロ同人誌晒されて囃されたみたいなもんだと思うけど

登校拒否必至じゃね?

しか晒したのが実はヲタク仲間の女子という地獄

2021-03-24

anond:20210324095353

うんうん、自分だけはこの日本にいてもまだ社会化されてない!とおもいこんでるんだね

無戸籍児童か登校拒否児童か、

単なる常識知らずのひきこもりか、さあどれだろうね

どれでもいいし、こんな常識のないやつとの会話ってなにも楽しくないわな 

俺は白饅頭も読まないタイプだし

おまえみたいなタイプこそ月1000円はらって白饅頭にでも相手してもらえば?

じゃあの

anond:20210324092913

小学校給食くってなかったの?電灯ついてなかったの?

登校拒否児童だったの?

ポルポトじゃん」wwwwどういうことwwww

2021-03-22

松本人志ってはてなーよりもずっと人権派だよな

はてなでは松本のこと古くさい価値観おっさん的に言うひと多いじゃん

けど誰よりも家族思いで決して弱者を見捨てない人権派だってことが良くわかる文章見つけた

はてなはいかに親の世話、親の介護を国負担にして他人押し付けることしか考えてない

けど、松本はこう考えてる

それが以下の文章

『「松本から以下抜粋

どこの母親でも、子に対する愛情は強いだろうが、うちのババアは、なんというかパワーが違うのだ。

俺は学校というものが嫌いで嫌いでしょうがなかった。不思議なことに、夜になると右足の太ももあたりが熱を持ち、ハレあがり、痛くて痛くてねむれなかった。今にして思うと、登校拒否からくる神経的なものであったのだろう。半年ほど学校に行かない日々が続いた。

(途中省略)

俺の家は、かなりの貧乏だった。普段生活でも苦しいのに、毎日のように病院通いというのは、かなり、それはもう、きつかっただろう。といって診療費を節約するわけにはいかない。とすれば、普通交通費節約を考えるのだが、足が痛いと言っている子供を歩かせるわけにもいかない。

そこでうちのババアが考えたのが、乳母車である。どこで借りてきたのか、拾ってきたのかわからないが、ぼろぼろの乳母車に俺を乗せて、病院めぐりをすることになった。小学校3年生とはいっても、体はそこそこ大きい。その子供を乳母車に乗せて押している母親は、道行く人には、かなりのインパクトだったろう。ハタからみれば、ちょっとした乞食親子に映っただろう。家のババアときたらそんなことにはいっさいおかまいなし、淡々とオンボロ乳母車を押し続けていた。まさに、

「母は強し」というところだろう。

俺とババアの間には、言葉にはできない絆のようなものがあるように思える。普段テレビ母親のことを口にするのもそのせいなのかもしれない。

きっと、それはマザコンなどという次元のものではないだろう。オレは、ただ単純に、ババアが今よりももっとボロボロになったとき、今度は俺が代わりに、その乳母車を押してやろうと思っているだけである。』

自分の手を汚さず弱者を大切にしてる振りだけして、実際は国負担介護師に押し付ける実質現代乳母捨て山を支持してるやつは反省しろ

2021-03-13

昭和のイロモノ山月記

◼︎ローサ出身・李徴クンのバヤイ。

モーレツにお勉強ができチャッタ李徴クン。えらーいお受験に通って、江南慰のお役人になれたのね。

しかバンザイするにはちと早い。

ナントモハヤ、ザンネンな事にカレは生来キョーレツな気ムズカシ屋の自信家だったのダ。

そーゆう性分なもンで、お仕事ついて5秒でプッツンしちったの。

よーするに「オレサマよりトンマなヤロー共にペコペコバッタしてられっかッ!」てな具合。

そいでお役所おん出て、お里トに帰り詩人になるぞとエイエイオー。

しかしマ、ゲンジ問題、文筆業ッてそう甘かないのよね(記者のおぢさんも日夜ピイピイしてンのヨ……トホッ)。

登校拒否児もかくやのヒキコウモリで、がぜんシコシコやってみたンだけども、ぜーんぜんダメなんだなコレが。ハシにもボーにもかかンない。

チャンコになった李徴クン、去る日のビボーはどこへやら、スッカリげっそりフーテンルック

一家大黒柱たる男児がこれだもの。嫁さん、チビちゃん、困ッチャウよねェ。

「いよいよマズイぞッ」てんでお役所仕事に戻った李徴クンだけども、待っていたのはヒジョーにキビシーイ向かい風だった!

なーんと、かつてカレがマヌケだトンマだ見下した同期のサクラは、もうリッパにおエライさんまで滝登りしていたのダ。

トーゼン、ヒラのヒラな李徴クンは、カレらの指差し差しハイハイ従わにゃならんワケ。プライドたまンないよネェ。

てなわけで下唇カミカミ、ペコペコやってた李徴クン。ある日ついにクルクルパーになって蒸発しチャッタの。

2021-03-10

anond:20210310195518

伊集院光登校拒否高校中退したほどの繊細男。その奥さんは元無名アイドルで社交性の化け物。

そんな奥さんがたまに亭主にいうことには

自分だって苦手な相手も居れば対人ストレスも感じる。でも人には笑顔で接するのがいいと教えられたから、そうすることにエネルギーを惜しまないだけ。あなたみたいに自分は人見知りと決め込んで全部サボっているのはずるいことだ、と。

こないだのラジオで。

いわば「お母さん機械いから」ってスマホの設定から丸投げしてくるみたいなズルさだよな。

自分他人普通に喋ってるだけでも実はものすごい精神力使ってるという自覚ウソはないだろうが

ふつうのひとはたいがいそうなんじゃないか?」と思ったことはないのかな

2021-03-08

シン・エヴァンゲリオンを観て(ネタバレあり

登校拒否をしていた14歳の頃に、入れ替えのない田舎映画館で、朝から晩まで座って劇場版を見ていました。親も何をやっているのか心配だったのでしょう。ある日、ふと後ろを見ると父が座っているのに気づき、恥ずかしさと嬉しさを感じたものです。父は映画感想を何も言いませんでしたし、14歳自分にも、なぜこの映画を何十回と観ているのか分かりはしませんでした。当時の私の部屋には、すべての壁にエヴァポスターが貼ってありました。

そして、結婚をして2児の子宝に恵まれ在宅勤務と子育てを両立している今日、嫁に頼み込み、仕事終わりの夕方に1人で映画館に行って参りました。もちろん子供のお風呂は先に入れております

私はようやくアスカにフラれた気分です。いつも心のどこかにいた彼女幸福を心から祈ってやみません。

14歳の頃の私はシンジ君をどう思っていたでしょうか。不登校児の僕ですら情けないと思っていたように覚えています。もし僕がパイロットであれば、みんなを救っていただろうと。今日の彼は、親の気持ち理解し、周りの人間を助け、社会へと踏み出しました。大人へと歩み出した彼を新入社員のように見守っています

そして、碇司令の独白に何を感じたでしょうか。親として、孤独だった子供から愛する人間に出会えた大人として、彼の願いが叶って本当に良かった。

営業時間短縮で夕飯が外で食べれなかったので、冷食とストロングゼロ2本を買って家で食べておりますテレビでは、Air/まごころを、君にNetflixで流しながら。何十回と観た当時の気持ちは薄れてしまたことを寂しく思いながらも、今日までエヴァンゲリオンが好きで本当に良かった。今まで本当にありがとう

2021-02-22

anond:20210222101813

えー地獄かね。事実じゃん。

顔でも年齢でも体型でも、なんなら学歴とか生育環境とか健康状態でも男女を問わず足切りされるのは当然のことでしょ。自分相手もやってるから文句言えないけど、やっぱり選ばれないのはつらい。それだけの話がどうして地獄

リアルでは小学校の時分からネットではず〜〜〜〜〜っとぶっ叩かれ続けてきた喪女から麻痺してるだけなのかしら。「選ばれない程度のことは日常理不尽被害を受けないだけで天国」ってのは。

でも男だって女と同じように、顔が良くて陽キャで秀でたところのある人は友達多いけど逆は少ないじゃん? 同性からも異性からいじめ受けたりシカトされたりするじゃん? いじめもつらいじゃん?

その時「〇〇(陽キャ)は友達が多い。俺の方が可哀想なのに。俺を友達にしない連中は俺を差別してる」って普通思わないやん?

シカトされるより、毎日暴力罵倒カツアゲを受けて注目される方がマシ。友達と関われてるだけありがたいと思え」みたいなことも思わないやん?

これが男と女って話になるとそうなっちゃうのなんで?


あと書いてから思ったけど「小学校時代からずっと同級生暴力を受け続けてきてつらい人生でした」ってだけ言えば皆が可哀想って同情してくれるのに「たかだか悪口を言われたとか、シカトされた程度のことで登校拒否になってる人いるけど暴力被害の方がずっとつらいです」なんて書いたら同情されないどころか暴力以外のいじめ受けてた人からすごい反発受けるの目に見えてるのに、これもモテるモテないの話になると男が(一部のツイフェミも)やっちゃいがちなのもほんとなんで? ダメだよ?

2021-02-02

anond:20210202135035

ごく一般論として、登校拒否児童はおとなになってから人生をやりなおすために、子供っぽいことをしたりするということで

類似と考えたが違ったのなら話はきこう

anond:20210202134828

登校拒否児とこどおじを一緒にすんじゃないよ。

anond:20210202134648

登校拒否児童というのは、たまに見かけるというのは、1度もこなかったやつを、いないんだということはできるが、俺はそういうきにはなれなかった。

2020-08-30

今更知れて、どうなるものか。

 遡れば中学校に入った頃から違和感を感じていた。周囲から浮く自分。周囲に溶け込めない自分

 自身小学校の頃から何ら変わっていなかったので、そんな風になる理由がさっぱり分からなかった。だから、変わらず生活し続け、学校に通い、勉強していた。

 結果、周囲に溶け込む事が出来ず、最終的にはいじめの対象となり、短期間の登校拒否を繰り返した。

 それでも、頑是ない程の生真面目さがあった所為か、粛々と勉強をし成績はそれなりを維持し続けたので、先生や親の受けは良かった。だからこそ、学校に行けない自分を、特に母親は信じたくなかったようで、布団に包り学校行きたくないと訴える自分を、布団ごと引き摺り出しヒステリックの怒鳴りつけた。

 その後、高校専門学校と進んだけれど、中身は中学校からの延長線上だった。自分で考え判断した事が報われる事は少なく、薄っすらと暗い日々だった。

 就職氷河期真っ只中だった頃は、両親が始めた事業を手伝っていた。10年続けて、残ったのは1億近い借金だった(正確な金額は覚えていない。凡そその位の金額だった)

 実質なんにもなくなり、絶望と辛さだけが蓄積し、やがてひきこもりになった。夜の間に出ない答えを延々探しては朝に寝入り、昼過ぎカーテンから漏れ入ってくる光を感じては「なんで私はまだ生きているんだろう?」と思って絶望し、布団の中で小さく小さく丸くなっていた。この頃は、恐らく鬱病でもあったのだろうと思う。希死念慮と闘う日々だった。

 そのひきこもりの先で、東日本大震災に見舞われた。自分福島県の海側に住んでいた。色んな困難や混乱があった。それでも当日のその時間幼稚園に迎えに行った姪を抱えて海の見える公道を走りながら、この子を助けなきゃならない、と多分思った。

 いつもは判断時間が掛かり過ぎるほどなのに、その時はすぐに姪を連れて海の傍から逃げた。逃げたのは、自分の為ではなかった。それでも、少なくとも判断自体は間違っていなかった。

 上手く行く事のなかった人生で、錯覚しかない「守らなきゃ」と言う気持ちが燃料になり、そこから数年、がむしゃらに生きた。

 上手くいく事の方が少なかった。間違いばかり犯した。どうしようもなくなってパニックの果てに数少ない友達を切った。上手くいく事なんて殆どなかった。周りに迷惑ばかり掛けた。数年掛かってやっと決まった職場でも、泣きながら仕事を続けた。『ここで3年頑張ろう』と『キリの良い年齢まで頑張ろう』の二段構えの目標を立てて、只管頑張った。そして気付けば、自分も四十代になっていた。

 この歳まで生きているとは思わなかった。そんな妙な感慨に浸りそうになった頃、その言葉を初めて目にする事になる。

 それが『発達障害』だった。

 元々鬱持ちの傾向が強かったので、それ関連のキーワード検索窓に打ち込んでは調べる日々の中、偶々行き当たった言葉だった。

 検索をしていると、事象が芋蔓式で繋がっていく。時折横道に逸れながらも、関連事項を追っていった。調べれば調べるほど、昔の自分と今の自分に当て嵌めていけばその分だけ、自分発達障害である確率が高くなっていった。

 結局自分は、心療内科に通い必要検査複数受けた。発達障害か否かの最終的な判断は未だ貰っていないけれど、数値の凸凹さ加減と、日々の環境・状況適応能力の極端な低さが事実を表している。

 発達障害の疑いを持つ前から世間との乖離を感じていたし、だから自分なりに考えたり工夫したりして色んな事をこなそうとした。

 それが無に帰していた理由を(全てが当て嵌まると思っていないにしろ)知った、その時の絶望と切なさを、多分自分は忘れないと思う。

 もう少し早く知れていたなら、と思う。早く知れてどうなっていたかなんて分からないけれど、そう思わずにいられない。

 誰も責められない。落としどころがない。自分が正しい事には絶対ならない。治らない。治せない。変わらない。変われない。

 もうずっと、毎朝、自分自身に『大丈夫』『頑張れ』と言い聞かせている。『死ぬな』『生き抜こう』と言い聞かせては此処に引き留めている。

 ドラマとかで見た「生きている事に疲れた」なんて言葉が、自分の中に生まれるだなんて夢にも思わなかった。

 生きている意味なんてない。理由なんてもの最初からない。

 それでも、もう少し頑張って生きたいと思っている。

 自分は本当は端から駄目なのかも知れない。それでも、お互い頑張っていこう、と思っている。

 誰のためでもない。自分の為に頑張る事を頑張ろう。

 乱文、言葉足らずご容赦のほど。

2020-08-24

こいつ俺にケツだせって言ってきたんす!!!

カースト上位のいじめっこがいたのでこれを毎日涙ぐみながら言ってたらそいつホモ扱いされて登校拒否になった

2020-07-07

anond:20200707134953

閣僚がやったって寒いアピールすんなで切り捨てるからガキの登校拒否も終わらんだろうな

台湾IT大臣コロナの話

https://japanese.engadget.com/audrey-220051073.html

39歳のMTFなんて、日本じゃ政治家としても精々イロモノ枠としか扱われず大臣になんてなれる訳がないだろうに

支給マスクの色がランダムで、ピンクが当たった男子生徒が登校拒否になっているという声が届きましたが、その翌日には閣僚男性陣によるピンクマスク着用のキャンペーンが始まりました。

これも発想自体ピンクシャツキャンペーンの真似っぽいが、それを閣僚がやるのも凄い

でも日本でこれやったらますますピンク男子生徒がからかわれて登校拒否になるだけだろうし

女子生徒も登校拒否になりそう

日本に近くて文化も似ているはずなのに、何でこんなに違うんだろう

2020-07-05

引きこもり脱出した

大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。

子供の頃

プライドが高く、失敗や恥を極度に恐れる性格だった。

というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、

父親無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返し執拗からかわれたことなどが影響したためだと思う。

自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。

大学生の頃

初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所2ちゃんねるだけだった。大学憂鬱不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。

高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的下痢眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。

勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。

大学カウンセリングを受けたこともあったが効果はなかった。

人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。

実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。

なんとか卒業の目処が立ったもの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。

どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。

これからビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。

世の中の人達と自分全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。

引きこもりの頃

作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。

人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。

高校時代友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。

次第に作曲苦痛になり、ネットゲームをして過ごした。

昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。

一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。

また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。

両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。

自分人生台無しにしたかった。

それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。

また、お絵描き落書きレベル)、日記将棋ラジオ体操読書を始め、次第に心が癒やされていった。

色々なYoutuber動画を見たり、将棋藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望見出してきた。

心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。

引きこもりきっか

そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。

母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。

その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。

パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察ソフトの使い方のメモも書き残してある。

それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。

死を意識してみると、絵も曲も自分人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。

あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。

人との関わり合いの中でしか大事な思い出は生まれないのだ。

そんな中、記憶の底に沈んでいた何人かのことが頭に浮かんだ。

大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生女の子

高校文化祭で(歌うのが好きなので)バンドボーカルやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生

高校部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子

その3人だけ。他愛もないことだ。人生無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。

誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。

それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。

さら国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。

パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。

母親パソコン年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。

まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降たかのようだった。それが脱引きこもりきっかけだった。

就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。

ネット求人サイト事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元工場検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。

親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。

働き始めてから

どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。

明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。

始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、

夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。

出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。

職場人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。

職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。

から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。

正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。

週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。

働いて良かったこと、変わったこ

・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。

・気後れすることな病院保険証を見せることができるようになった。

・人の視線が気にならなくなった。

高校の頃から死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。

肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。

ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネット距離を置けるようになった。

不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。

・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。

変わってないこと

・せっかく大学卒業したのに非正規肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。

人生がつまらない。引きこもっているときほとんど同じことしかしてない。

スーパー雑貨店本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。

・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。

引きこもってて後悔したこと

・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。

もっと早く働き始めれば良かった。

大学生の頃までは、同級生自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分自分だと思うようになった。そんな心持ち大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。

展望

デスクワーク転職して都会で一人暮らししてみたい。

7/7追記

たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。

真剣に読んで下さったんだなあ、としみじみ感じますアドバイス参考になりました。

皆さんに明日、嬉しいことがあるよう祈ります

2020-06-02

アニメなんていう、ひきこもりとか、登校拒否とか、そういうのが集まりやすジャンルに参入しておもしろそうだな そりゃぁ金はあるだろうなぁ 対策費で

2020-05-01

今のやり方って「コロナ重症化しやす高齢者保護」にすぎない

自殺者増加も然り、外で健康増進のためのスポーツも出来ないし、家では食うか酒飲むか、、、(皆が皆ビリーズブートキャンプ出来る訳ではない)

このStayHomeによって健康を害する人は確実に増加する。

学生たちは確実に登校拒否が増える。

コロナ重症化しやす高齢者」以外の事は経済面健康面も考慮されていない。

これは明らかにおかしい。

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