はてなキーワード: 閑話休題とは
メイドインジャパンが海外で通用するのか?をいろんな商品?で試す番組
コンセプトおもしろくて内容自体も変に誇張したりしてなくて、民放じゃこれは難しいだろうなと思った
コップのフチ子さんで有名な会社がガチャガチャをもってって売るってのがメイン
まずブータンが高度2200mなんて場所にあることすら知らなかった
マチュピチュみたい
ここ10年で都心の人口が2倍になって、今まさに高度成長期って感じらしい
値段は日本と一緒だけど、ブータンの物価からしたら1回2~3000円のガチャガチャになるらしい
厳しそうだなあとおもったけど意外とスマホは持ってる人多かったり、子連れの人がまとめてガチャったりと裕福な人は裕福な感じ
フチ子サン以外にもってったのはカエルストラップと猫のスマホスタンドとミニけん玉
それぞれ50個で計200個を3日で売れ!というミッション
生き物人気
なんとか最終3日目の20:30に完売してた
ここんとこずっと詰まってた問題が、改めて上の人に相談したらするすると先に進んで拍子抜けするとともに自分のしごとのできなさに落ち込んだ
やっぱり向いてないなあとつくづく思う
正社員は向いてない
言われたことだけやっとくのが一番楽だし自分に向いてる
自分がリーダーシップとったりだとか中心になって新しいことやったりだとか、業務以外の勉強するだとかそんなモチベーションないしやる気ない
平日残業多くてずっとつらいし
残業つらいっつっても、それ結局自分が仕事できないから残業せざるを得なかっただけだろ?
・・・っつーのは自分でも重々承知だけど、じゃあそもそも今やってる仕事向いてねーんじゃねーの?とか
なんかもういろいろめんどくさい
引きこもってゲームやりたい
平日全然できないし
安楽死できるならそれでいい
まともな社会人しんどすぎる
もう30なのに何やってんだろ俺
なんとか吐かなかった
家帰ってがんばって歯磨きだけして寝た
1周回って最近は「やっぱり人間ルックスが全てじゃないすか」って考えに回帰しつつある。
なんか良い年した男が「恋愛」って言葉を使うの、ちょっと気が引けるな。「交際」とかかな。やや堅いな。
閑話休題、男女の交際で大事なのって、絶対ルックスじゃないすか。
ぼくはそこまで女性を見た目で判断しない方(自称)だけれど、それでもやっぱり「可愛い子」と「普通な子」では同じ内容の事を言われても感じ方が全然違うし、
何かが起きる訳でも無いのに、レジの店員さんに愛嬌があったり、同じ車両に魅力的な女子高生が居たり、そういった些細な事で日々のラッキーポイントは貯まっていく。
第一印象は外れない、という話を聞いたことがある。ぼくもそう思う。
「交際」以前の「人付き合い」の時点でさえ、その人に抱く、というか正確には今後抱いていくであろう好意や距離感は会って数セクションのうちにある程度決まっているのだろう。
ここでいう第一印象こそがぼくの思う「ルックス」に他ならなくて、
それは必ずしも「顔」というワケではなくて、「身長」だったり、「体つき」だったり、もっと言えば「声質」「髪質」「立ち振舞い」だったり、そういったあまり努力でどうこうし難いものを纏めて「ルックス」とするならば、
でもぼくがこういうことを書くと、「そういうことを言ってるからダメ」とか、「XXXみたいな例もあるし」とか、「いや人間金だよ」とか、色々な角度からアプローチがあったりもするのだけれど、
いや、別にその意見を否定するつもりは全くなくて、何事にも例外はあるだろうし、ルックスが雑魚でもカッコ良い人間も居ないとは言わないよ。
でも、明らかに、明らかに、ルックスで変わるものがあって、それが結構な頻度であって、そして結果に大きな違いがあって、
そういう世界に生きているハズなのに、「ルックスが全てじゃん」って最初に言ったヤツが負けみたいな、負け犬みたいな、ソイアンペルデドルみたいな、
それだったらじゃあぼくが言い出してやるぜ、切り込んでやるぜ、オレは三都主アレサンドロだ、みたいな。
そしてこの作文は別にルックスが優れている人に宛てたヒガミの手紙ではなくて、
(むしろ良いものを生まれ持ったならガンガン使っていって欲しいし、少しでも優れたルックスを手に入れる・保つために相応の努力をしている人は素晴らしいと思う。勿論ぼくだってその端くれだ。)
ルックスが良いって、交際でも、人間関係でも、とにかく有利じゃん!
っていう当たり前の価値観を当たり前に認めようとしない今のこの世の世界観が気持ち悪いなって、
人間ルックスが全てなんだから、自分のルックスが少しでもマシになるようにやっていったらいいじゃないすか、
結局その先にあるのもルックスの差なんだけどさ、みたいな。
そういうことを書きたかったのではないでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160611081253
元増田です。トラバ・ブコメにて名案奇案ありがとうございます。ホッテントリなんて初めてでビビったけど、いろんな意見きて正直嬉しい。他人事に首突っ込んで神経質な奴みたいな感じで蹴られるかと思ってた。
ダンシングフラワーにクソ笑って、戯れに検索したらフラワーロック2.0に行き当たり「なにこれオシャンティー!」ってなりまして、もはや私物として入手したい。でも良いお値段すんなこれ。
それはともかく表題の件、並びに皆さまをがっかりさせかねない補足をいくつか。長いです。
・根回しについて
問題の部署のまとめ役の人ですが、既に「キツイ人」として知る人ぞ知る状態になっている。
その「知る人」の内訳ですが、言うまでもなくこのでかい部屋で勤務してる全員が例の筒抜けの説教を聞いているし、普段別の部屋にいるまとめ役の上長も知っているし、ウチの上長も知っているし、まとめ役が異動前にいた部署の責任者も俺が異動前にいた部署の人間も人事部の課長も知っている。たぶんその点では俺が一番情報が遅かった組だと思う。
なんでみんな知ってると判断できるかというと、まとめ役について言及があった場合(雑談とか何かのついでなどで)これらの人々が「あー…あの人ねー…」「あの人はねー…」と全員揃って苦虫スマイルになり同じようなセリフを吐くのを見たことがあるからです。また、特にまとめ役と濃いめの関わりを持たなくてはならなくなった人間に対し「大変だろうけど、頑張って」的なセリフで話を結ぶ率も高いです。
つまり、まとめ役がアレすぎるというのはみんな知ってる状態、言い換えるとこれまであのアレさは許容されてきたも同然の状態というわけで、俺がこれから問題提起したとしても「え?パワハラ⁉︎」という寝耳に水的なショック効果によるスピード解決は絶望的と考えています。これまで情報として共有されていたが問題にならなかったものを今回問題にするというのは割とバクチなところがある。もちろん勝率アップのための録音であるわけですが、今後なにがどれだけ録れるかという点でも効果は未知数、従って効き目ゼロの想定で動きたいところ。
ということで、ダンシングフラワー案も鑑みてしばらくは騒音アプリとICレコーダーの併用で「うるさいって言われたのでうるささを見える化してみた」というテイでデータ集めて上に話を持ちかけてみる予定です。モノが集まるまでは苦情返しも控えていきたい。あの短気さならおそらくウチの客があと2、3回も来たらまた文句言ってくるだろうから、そこにカウンターをかけたい。
他にやっといたらいいことがあったら、引き続きドシドシお寄せ下さい。
いや、パワハラ対応体制はあります。ありますがその前トップがパワハラで有名だったというような組織なのでお察し。前トップなので今はわかりませんけどね。なぜ「前」かというと定年で円満に退職していかれたからです。
・外部にタレこむ案
労基にタレコミは正直魅力的だが、できればやっぱり被パワハラさんご本人からお願いしたいところ。材料を提供するのは全然やぶさかでないのですが、被パワさんと接触がマジでゼロなのでどう届けるかを考えたい。ケアとかの味方活動までは厳しい…出入り口が違うのもあって普段顔も見ないレベルで接触ないねん…すまぬ…すまぬ…
・言っちゃいけないラインを考える
個人的な考えなのですが、「その言葉を吐くことによって、吐かれた側は業務効率が上がるとか新しい成果を出すとかにつながっているか否か」でパワハラと否パワハラを判断しています。結果論なとこはあるけど。
俺なら「子どもの使い」「趣味」言われて新しい成果出すために何か創意工夫を始めようとか、「わからないなら聞け」「自分で考えろ」言われて業務効率が上がるとか、そういうことになるのはまずあり得ないし精神ダメージ食って混乱して余計に仕事ができなくなるばかりなのは明白なので、パワハラって書いてます。世の中にはなにやらキツイことを言われると「なにくそ」みたいに奮起して結果につなげられるという超人的な人がいるらしいですが、俺は手を噛むタイプの飼い犬と言いますか、およそ陰湿で執念深い方なので奮起とかあり得ない。しかし手を噛む気があるとバレると殺処分されるリスクがあるので、とりあえずメンタル傷を癒しながら全力でサボる方向に舵をとることになります。閑話休題。
もちろんまとめ役や被パワさんや上長たちや世間や裁判官がパワハラの定義について同様に考えるとは限らないことは承知してます。ただ、俺が動いたことで被パワさんのキャリアに傷がつく結果になることも覚悟はしていますができることが覚悟(と録音提供)ぐらいしかないのが超あとあじ悪い。俺は騒音訴えでしか動けぬ…恨むなら騒音のいちゃもんつけてきたまとめ役を恨んでくれ…すまぬ…すまぬ…
この点に関してもなにか案があればガンガンお寄せ下さい。
・まとめ役のケアについて
俺の手には負えません。
騒音のクレームが来たという連絡を受けて(客を見送りに建物入り口まで降りて、戻ったらそういうことになってた。向こうは退勤済)お前が言うなネタでしばし雑談になったんですが、そこで出てきた被パワさんの名前複数だったからね。
「どのツラ下げて言うんだよって話だよな」「ねー、Bさんかわいそう」「えっ叱られてんのAさんでしょ?Bさんもなの⁇」「えっBさんもなんか学歴(大卒)にかこつけてかなりdisられてるよ?あれもうパワハラじゃない?」ってなったからね。
俺の手には負えません。
・騒音計測
とりあえずスマホのアプリでいいよね?ログ取る機能も考えるとこれが一番安いし。
現代の暇つぶしといえばスマホである。電車内や駅のホーム、外食店の待ち時間に会社の昼休み、どこを見ても必ず誰かはスマホをいじっている。かく言う私もスマホをいじっている。スマホで何をしているのかは知らないが、多くの人がスマホをいじって暇をつぶしている。
で、ふと思ったのだが、スマホが普及する以前はその時間に何をしていたのだろう。いや、この場合は「スマホ」より、「携帯電話」と言った方が良いかも知れない。まあとにかく外で気軽にメールやSNSやネット閲覧が出来ない時代に、私たちはどうやって暇をつぶしていたのだったか。
ぱっと思いつくのは、読書・新聞・音楽くらいである。携帯ゲーム機も昔からあるけれど、年齢を重ねるにつれ、外でやる人は少なくなっていく。スマホでゲームをやる人は多いだろうに、不思議なものだ。あとは物思いに耽るか、電車では寝ている人も多い。マイナーな暇つぶしは他にも色々あるかも知れないが、メジャーなのはこのくらいだろうか。
書いていて思い出したのだが、小学生の頃に、母親の携帯電話を使って、電車や車でずっとゲームをしていたことがある。まだ携帯電話が庶民に普及して間もなく、画面も緑色の背景に黒い文字という、今からすると驚くべき代物だった。ゲームはドラクエシリーズの何かで、大したものでもなく、家にあるスーファミと比べると遥かに見劣りするものだったと思うが、それでも私はそのゲームをするのがとても楽しみだったのを覚えている。
携帯電話という未知の電子機器に魅力を感じていたとか、ドラクエが大好きで仕方なかったとか、そういうわけではない。そのゲームは私にとって、母と二人だけの、小さな秘密だったのだ。
携帯電話のゲームといっても、それは無料で気軽にできるものではなく、月額でいくらか掛かるものだった。具体的な金額は忘れたが、小学生の私にとっては大金で、母としてもそう易々と許して良いものではなかったのだろう。しかし、やはり母は私に対して甘かった。
「お兄ちゃん達には内緒ね」
兄に話すと不公平だなんだと煩いので、そのゲームのことは秘密にしておき、母と二人だけで電車や車に乗っている時だけ、私はゲームを進められた。そして、いつもゲームの話をする兄には言えないので、強い敵を倒しただの、かっこいいモンスターが仲間になったのということを、母に自慢するようになっていた。
すごいねえ、と私の話を聞いて微笑む母は、きっと何がすごいのかはよく分かっていなかっただろう。それでも私の拙い言葉に耳を傾け、一緒になって喜んでくれた。そんな母の優しさが、そして他愛もない二人だけの秘密が、幼い私にはとても心地よく、いま思い出すと、すこし切ない。
閑話休題。スマホの話だった。いや暇つぶしの話か。ちょっとした待ち時間など、人生には「暇な時間」がとても多く、そのほとんどは吹けば飛んでしまうような、記憶にも残らないものである。しかし、あるいは、私の幼い日の秘密のように、ふと思い出され、郷愁を誘う「暇つぶし」もあるだろう。
全部読み終えてから感想を書くには、あまりにも増田のスペースは小さすぎる
ってなりかねんと思ったのと、都度書かないとそのときの感動を残せないと思ったから、
ちょっとずつ書く
まずはじめに、これまでホッテントリに上がってくるようなSFの古典とか名作とか言われてるのにちょこちょこ手を出してきたけど、その中でこれが一番だった
海外作家で設定厨に堕してなくてSFのエッセンスとエンタメの快楽を同時に最小限の文章で表現できている人に初めて出会った
下手に長編読んでもげんなりするし失敗したときのダメージがでかい
まだ全部読んでないし、これ以外のSFも2桁に届かないくらいしか読んでないけど、SFに手を出すなら、海外作家ならこれ、国内なら小川一水の老ヴォールの惑星を推す(星新一は別格として)。
SF警察に取り合うつもりはまったくないけど、小説というからにはエンタメがないとダメだと思う自分にとって、SFやりつつエンタメ性もあるものってなるの上記の選定が最初はベストだということ。
表題作含むいくつかの短編が入ってるから短編ごとに簡単に感想書く
RPGのワールドマップが上下左右でくっついてる理由、みたいなネタを思い出した
固有名詞がいろいろ出てきて覚えにくい・覚えるのめんどいと思ったけど、別に覚えなくてもどうにかなった
これヤバイ
クソ面白い
アルジャーノンに花束を+天才対天才の超身体能力バトルみたいな感じ
ちょっと話逸れるけど、伊藤計劃の虐殺器官ってやつで、結局虐殺の文法ってなんだったんだよってのがはっきり描かれなかったことが、自分にとってすんごくフラストレーションだった
あと野崎まどのknowってやつでも、最後らへんで天才対天才のバトルがあるけど、描かれてる視点が第三者だったから、高尚ですんごいバトルしてるのに傍目からは何をしてるのか全然わかんない、とにかくなんかすごいことやってるって描写しかされなくて、これもまた自分にとってすんごいフラストレーションだった
そんで翻ってこの理解という短編は両方を同時に解決しているすんごくすっきりする話だった
虐殺器官もknowも長編でだらだらやって結局大事なところをぼやかして描写することから逃げてるように感じたから、短編でここまで正面切って読者に開けっぴろげにケレン味たっぷりの描き方をしてくれてることに感動すら覚えた
表題作もいかにも面白そうで今まだ読んでる途中だけど、この短編だけのためにこの本買ってもいいくらいにはめちゃくちゃおもしろかった
最近のラノベのバトルとかマジで子供だましに見えるくらいの面白さを感じた
数学理論がひっくりかえるようなことを見つけちゃったのはわかるけど、それがあんまり大きくお話にからんでこなかった気がする
たぶんこれは2,3回読まないと理解できない
サブタイの1(数学のうんちく) 1a(妻視点) 1b(夫視点)で視点が切り替わるのは面白かったし、最後のサブタイはふーんと思ったけど、いまいちカタルシスに欠ける、というか、面白さが一読するだけだとSF素人には伝わってこなかった
http://anond.hatelabo.jp/20160520232557
私と同じかわいそうな目にあった人をみかけたので、ダンスの練習法を残しておきたいと思う。いくつかの条件があるので、役に立たないかもしれないが…。
私も体育のダンスはとても苦手であった。小学校の運動会で踊ったRYDEENも辛かったし、中学校の体育祭のダンスコーナーも最悪だった。休んで逃げたかった。高校のフォークダンスは休んで逃げた。
運動も初期値でパラメータが高いわけではないので、体操系やマット運動などは嫌いであった。本当に公開処刑だよね。体育が嫌いな諸先輩方の主張の通り、体育は練習や訓練の場ではなく、ぶっつけ本番の発表の場なのだ。
バレーボールでもバスケットボールでもサッカーであろうと、やっているというだけで、スポーツとしての本質に迫ることはなかった。
体育のサッカーは、みんながボールに群れるような状態で、戦略的にコートの中を移動するクラスメイトは皆無であった。キャプテン翼がサッカーのすべてのような情報量だったせいもあるのかもしれない。キャプテン翼の再現としては顔面ブロックをして鼻血をだしてりもした。
社会人になってから誘われたフットサルでは、ボールがこなくても、キャプテンの指示のもと、コートを縦横無尽に動くことを要求された。ボールの位置と相手のポジションに応じて、おのおのが相手の戦略を邪魔するようにコートを最大限の運動量で走り回らなければならなかった。
ボールがこなくても自分の動きで次第で、相手の動きが大幅に変わってくるので、それだけでも面白かった。
指導者の力量によって、スポーツの楽しみは大きく変わることが分かった。
私が出会った学校の教員はそこまでの能力がなかったのであろう。指導者が悪くても学校は逃げ場がないんだよね。
いろいろな事情で、ハレ晴レユカイを踊らなくてはならない状況に追い込まれた。事情は想像していただきたい。いっしょに指導してくれる人もいた。
・早い動きのところで、同じ動きを2回するところは1回に省略(見ている人は気が付かない)
・足のボックスの動きをずっと練習(とりあえず踊っているように見える)
・指導者のおすすめのYouTubeの「踊ってみた」を見ながら振り付けを覚える(アニメの映像は情報量が少ないことと踊る人によって、細部の解釈が異なっている)
指導者からのノルマの通り、アニメED版の1分30秒を1日に10回踊ってみた。正確には、フルコーラス版を1番で終わるようにつなぎ合わせて編集をしたバージョンだ。アニメED版は、1小節カットされているのだ。
2週間後にはなんとか体が動くようになった。そして、なんとか、本番のステージを乗り切ることができた。
この試練を乗り切ったあと、副産物として、体の動きについて、洞察力が深くなった。
たとえば、振り上げた指先の動きであったり、手のひらが体の前のほうを向いているか後ろを向いているのかなどといったことが区別がつくようになった。
さらにフレーズというのか、定型的なダンス向けの体の動きがあり、それの組み合わせで、ダンスっぽく見えることが分かった。プリキュアのEDダンスくらいであれば解析と再現が可能となった。が、ほとんど使い道のない知見なのであった。
学生時代にその域まで達していれば、別の人生があっただろうにと思うととても残念に思う。しかし、視野が広がったのはよかったと思う。
ここまで書いてきて、サッカーのときとダンスのときでいくつかの共通項がある。一つは、指導者の存在だ。人に教えることがうまい人との出会いは上達することを容易にする。二つ目は自分でやろうとする意志だ。やらされている体育ではここまでの持続的な情熱は持てないだろうと思う。
と、ここまで書いてきたのだが、この年になるとあのステージ以来、ダンスを披露する場はない。もっぱらカラオケのネタにしか使えないのであった。
1巻はただのプロローグだった
ぶっちゃけ新シリーズの場合って1巻でそれなりにまとまって終わるから2巻は必然的に失速するのが普通だと思うけど、こいつあ違う
なかなかないよここまでのもんは
ふとマブラヴオルタのラストの突入でみんなが死んでくとこがダブった
閉鎖空間ってのも似てるし
あと今回1巻から久しぶりに読むにあたって、アマルスのビジュアルを勘違いしてたことに初めて気づいた
なんとなくぱにぽにの先生みたいなロリイメージだったんだよなー
あえて苦言を呈するなら、最後の最後がちょっと急ぎ足で尺足らずに感じられたくらいかなあ
エピローグが薄かった
カデナはほんといい子
3巻楽しみー
つーかファイナルはよでろや
何度でも言うぞ
炎上アフィは目立つので解りやすく、手馴れているとプロだと勘違いしやすい。
解説ができるような釣りは「素人」の仕事であり、それ故に大量参入が予想される。
だからこそ、「荒らしに関わるのもまた荒らし」という規律が重要になる。
これはプロの仕事であり、「ゆるふわ炎上アフィ」もしくは「おバカ詐欺」とでも呼ぶべき新ジャンルの釣り師が、互助会・メディアクリエイターに続いて、はてなブログに爆誕したようだ。
「天然」に対して、狙っていることを「プロ」と呼んでいるのだろうが、
レッテルは貼り方を間違えると間違ったミームとして泳ぎだして意味付けが変わっていく。
正確に言えば既に汎化された手法であり、稼げなくなったから広まりだしただけだ。
2013年にはてなブログが一般オープンして、目ざとい連中が試しに使ってみてからおおよそ1年。
以来、はてなブログは検索流入の狙える美味しいブログプラットフォームとして使われてきた。
主にGoogleがスパムを避けるのにSNS方面に力を入れていることもあるんだろうが、
平たく言えば、実際に人が読みに来るサイトが検索結果に上がるようになってる。
はてなブログのPVにはおおよそ5種類あって、これが他に無い美味しさの源泉になってる。
1,2はTwitterやGoogleで、他所でも変わらない。
問題は、3のはてブにさらされると、1,2の検索からが増えるようになる。
解りやすく言えば、SNSからのリンクが太くなると、サイトのポイントが上がると思えば良い。
これは、「はてなブログを書く人同士が読み合いやすくなる」読者という仕組みや、
週刊はてなブログや新着やブログのお題といった仕掛けが、PVを増やしている。
閑話休題。
要は、2,3回、数百程度ブコメが付けば、検索流入がどっと増える。
「ある人にとって価値のあるページ」は、世の中にはたくさんある。
つまり、ほんのチョット下駄を履けば頭一つ抜けることが出来るということだ。
上っ面をなでたのが増えると、セミナーで誰か適当なこと言い出したなとすぐ判る。
アフィの基本はたったの2つ。
件のサイトも、「水素水」を売るためのサイトを作って、欲しがる相手に届くようにサイトのポイントを上げてるだけだ。
Googleで「水素水」を検索してみると良い。きっと2,3日の間は上の方に出るから。
ニューストピックにも上がってるように「見えるかもしれない」。
(実態は違うけど。本筋じゃないので省略)
例えば、「テレビで単語が流れると、それ関連の検索流入がどっと増える」
この文章は嘘ではないけど、「世界一受けたい授業」と「水素水」というワードを入れてブログを書けば良いかというと違う。
なんだが、多分そういう伝え方をしてるセミナーが結構あって、ゴミサイト量産の一歩手前の状況にある。
アフィとしては素人の仕事なんだが、素人ほど熱心に力を入れてゴミを増やす。
儲からないのは努力が足りないからの人はどこにでもすごい数いる。
例えば、木下 是雄の「理科系の作文技術」は名著だが、Amazonで1000冊売っても報酬は2万円だ。
だから、漫画や本を紹介するブログをアフィアフィ言って叩いてもあんまり意味は無い。
どうせ儲からないことをしてるブログなのだし、無視するかそこから本を買えば良い。
はてな村に今求められているのは、正しくマサカリを投げることだ。
「アフィアフィウザい」とか「カネカネウザい」とか「互助会は村(?)へ帰れ」とかじゃない。
(一応言っとくが、メタブにしても意味ないぞ。ちゃんと検索経由で流入増えるから)
うっすいランキングが上がってきた時に「うっすいな」って言うのは荒らし。
何がどう薄く、ランキングの何をどうすべきなのかをキッチリマジレスするのがマサカリだろう。
半端に煽ったり叩いたりするのをマサカリだと思ってるのは本当に嘆かわしい。
とか書くと、最近は「じゃあお前の思ってるマサカリはなんなの?」みたいなコメントが付くのが
小鳥の雛みたいに口を開けて待っていて餌が入らないのが悪いって風潮で良くないと思うのだが、
要は、この差だよ。
批判になってない荒らし→はてなブックマーク - 取材に対してウソをつく組織「Yahoo! JAPAN」が信頼と品質など担保できるわけがない(藤代裕之) - 個人 - Yahoo!ニュース
マジレス→相手をウソつき呼ばわりする前に、本当のジャーナリストならやるべきことがあるのでは?(徳力基彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
必要なのはマサカリを投げることであって、うんこ投げ合うことじゃないから。
ちゃんと高知のトマトの人みたいな触り方できるんだから、そういう風にしてくれ。
ホアーッ!
ほっちゃんもすげー気を遣ってた
素が多少は出るかなと思ったけどそんなことなかった
まあでも面白かったのはほっちゃんがいなかったボックスタイムだったけど
たまにはこういうのもいいかもね
ゲストがこないこない言ってるけど、ぶっちゃけゲストいなくて二人で好き勝手やってる回のほうが見てて楽しいんだよなー
無理にゲストなんか呼ばなくていいよー
呼ぶとしても小清水みたいなきをつかわなくていいような関係がいい
後輩すぎてもダメだし年上すぎてもダメだし、もう常に二人でいいよ
たまにゲストきても仲良すぎる二人の間に割って入るとかハードル高すぎるし
つーか杉田か中村の家に隠しカメラ仕掛けて、二人で遊んでる動画をストリーミングでずっと見てたいよー
番組とかじゃなくてさー
俺腐男子とかゲイとかそういうの全然興味ないけど、この二人だけは男同士なのになんかすごく好きなんだよなー
こいつらの関係マジうらやましいわー
ORIGINで初めてまともに一通り1stに触れたけど、NTRばっかで悔しくて死にそうだよ
その後ミライの許嫁が出てきてもまあ形式上のアレって感じでまだよかった。
それもまあいいよ。
でもさ、その後どんな腹積もりでブライトと結婚して子どもまで作れるのよ。
ブライトはずっと二番目だよ。
ブライトはわかってんのかね。
これだから女は信用ならねえ
過去自分以外に愛情を向けてたことがあるって考えた時点で嫉妬で腸煮えくり返る思いだわ
ハヤトなんかに寝取られやがって。
あんだけ俺にご執心だったくせにちょっと離れてただけでころっとハヤトなんかにほだされやがって。
結局その程度のもんだったんだろ
俺の心は変わんねえよ
ああああああああああ1stの人間関係マジでNTRばっかで吐き気するわ
唯一の救いはセイラさんがそんな女じゃなかったくらいだ
小説版はどうでもいいわ
あああとはドズルとその妻のやつな
ぜってえあいつも最初はシャアとかガルマのファンだったくせにドズルなんつう鈍重なやつにほだされてさ。
ドズルかわいそすぎっつーか情けなさすぎ。
もうほんと1stの恋愛模様は見るにたえねえわ
ほんと胸糞わりーわ
こんな移り気で浮気症にほいほい乗り換えるくらいなら俺は一生ひとりでいいわ
女なんてほんと信用ならねえ
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20151221/p1
「非常勤講師」とは雇用契約を結んでいない。1コマいくら、学期単位で委嘱している。たとえばブコメにあるように民間の人に来てもらって講義してもらう場合とか、あと奇妙な話だが内部の教員が本務以外の他学部で講義を持つ場合も非常勤講師扱いになっている。単価には幅があるが概して安い。これはターム制導入以前からはっきり言って安すぎるし、ターム制に移行したための負荷の増加というのも正直あまり考慮されていないだろうと思う。脱線するがターム制は前総長時代に秋入学だなんだでさんざんぐだぐだやったあげく妥協の産物として任期ぎりぎりに制定された間に合わせの制度という印象がある(学部によってタームの時期違ったりする)。ただ準備に充分な時間があったとしても非常勤講師の人件費にお金が回ることはなかっただろうなという気もする。国立大学法人の予算に余裕はないが、中でも教育部門は深刻だ。一番お金を持っている大学でこれだから他は推して知るべし……というところだと思う。
「教職員」の定義は「雇用契約を結んでいる教員および職員」であるので、非常勤講師の多くはそれに該当しない(上にも書いた通り例外はある)。“非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではない”というのはその定義の上では全くその通りである。とはいえそれだけ聞いたらわけがわからないのは間違いない——というかともすれば心無い言葉にも聞こえるし、ブログ主にはそう響いたのだろう。説明の際に言葉が足りなかったものと思うが、申し訳ない話だ。非常勤講師の皆様が居なければ大学の講義・授業はとても成立しない。人事制度用語としての「教員」には該当しなくとも、教育を担う重要な方々であるという認識は事務部門として当然に持っている。
ただ、その定義の上では“「教職員」でない人に学生を教えさせてい”ること自体は必ずしも問題とは思わない。学生を教える人と必ず雇用契約を結ばなければならないとしたら、今度は民間の人に講師を引き受けてもらうことが兼業規定とかの兼ね合いで難しくなったりするだろう。
それと、講義を委託するのであっても、すなわち結果さえ伴えばどうやっても自由、ということではなく、やはりある程度やり方についても指示をする、ということ自体は充分あり得る。そこは委託の形態次第だ。しかしブログ主がここにひっかかっているのは本質的には雇用形態の問題ではないと思える。
余談だが、「非常勤」という言葉には別の意味がある。まあ、このブコメにある通りなのだが、
defy1 非常勤講師ってのは職名というよりいわゆる単発バイトの名称であって、国公立大における非常勤教職員(パート教員)とはまったく別。国公立と私学の文化的・制度上のギャップも大きそう。
「教職員」の中にも「常勤」と「非常勤」があるのだ。ただ、学内ではほぼ通じる言葉だが多分正式な用語ではない(逆に「非常勤講師」は正式なタームの筈である)。ざっくりいえば常勤の人は月給で働き、非常勤の人は時給で働く。
と「教職員」にも8通りの形態があると考えていただければよくて、「非常勤講師」はこの中にそもそも入らないというのは上に書いた通り。
ブログのコメント欄で出てくる「東京大学特定有期雇用教職員」「東京大学短時間勤務有期雇用教職員」「東京大学特定短時間勤務有期雇用教職員」という呪文のような職名はそれぞれ「常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」を指している。あとのふたつがどう違うかは自分にもわからない。
まめちしきとして、職名に「特任」とついている人は任期ありである。報道で「特任教授」とか「特任助教」とかいう職名を目にすることも多いかと思うがあれはそういう意味だ。常勤か非常勤かは区別がつかないので、例えば月に1回だけとか勤務してる特任教授なんてのもいる。
ちなみに非常勤の任期なしというのはもはや存在しないが、国の頃から在籍している人には経過措置でまだ残っている。何十年も同じ研究室にいる秘書さんなんてのは代表的な例だ。
閑話休題。
データベースの話は初見では自分もブコメに書かれていたのとほぼ同じ、データベース(あるいは電子ジャーナル? 具体的にはどのようなものか、元記事のコメント欄で質問もされているが結局ここはあいまいだ)の配信元との契約が関係しているのではないかと推測していた。アクセスできる範囲を非常勤講師にまで広げてしまうと金額が大きくなりすぎるし、それまでは使えていたのは契約違反だった、という話だと“去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる”という記述と整合する。これは単純にお金の話なので乗り越えるのが難しい。上にも書いた通り教育にかけるお金は厳しい状況だ。
ただ、ブログのほうのコメント欄を見るとそもそも学外からのアクセス権がもらえないという話が出ている。それであれば情報セキュリティポリシーの話になる。コメント欄にある通りポリシー上「教職員」以外には原則として学外アクセス権を与えていない。“去年までアクセスできていた”のであればそれは運用がいいかげんだったということでそれはそれで問題だ。
アクセス権についてはどこかで線は引かなければならないのだから、雇用関係のある/なしの間で線を引くのはそこそこ妥当な線であるようにも思う。しかし非常勤講師に全く学外からのアクセス権が与えられないのは確かに不便が起こりうるし、そこは個別に融通を効かせて欲しいところであるとは個人的には思う。改善されると信じたい。
# 単にアクセス権を得るということであれば週数時間でいいから何かの名目で(非常勤)教員として雇用されるのが多分近道であったと思うのだがその辺りを相談できる先生はいなかったのかな……。データベースの契約の話だとフルタイムにはカウントされないだろうけど。
## もちろんそれでは本質的な解決になっていないし、それこそ本務先との兼ね合いもありそうで、近道ではあっても回答ではない。
情報ヘルプデスクの開始時間についてはターム制導入に際して運用が追いついていない顕著な例で、これも契約の変更が伴うので時間はかかるが改善されると信じたいところではある。が、学内には始業時間が8時30分の部署はこれまでも普通に存在していたのにヘルプデスクはずっと9時からだったので変わらないかも知れない気もする。
UT-roamについてはさすがにその応対をした人がなにか思い違いをされていたと思う……のだが情報部門も常に人数足りてない感じは否めず、各部局の情報担当が汗を流して頑張っている印象はある。その意味で“本郷の誰かがボランティアでやってる”はあまり笑えなかったりする。
取材については詳しいところはわからないが、本部の広報部門の職員数は大学の規模に比すれば信じられないほど少ない。なので本部に問い合わせれば(個別に対応することが不可能なので)全て禁止と言われるのではないかと想像する。しかし部局によっては独自の広報担当があって、現実問題として部局が独自に取材を受けることは妨げようがない——という気がしないでもない。歯切れが悪くて申し訳ない。いずれにしてもこの点については大学全体の問題であるように思う。
意欲的な授業を行ってくれていたらしい先生が去っていくことを残念に思う。大学側に積極的な悪意はないと信じたいのだが、直接の応対がどのようなものであったかは知りようがないし、時給が安いのと広報がうまくいっていないのはまあ事実だし、“非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです”と言われたときにそんなことはないと言い切れる材料を自分は持っていない。
あとこの手の記事がホッテントリに入るとだいたい複数の「大学事務ってクソだな」みたいなブコメがつくのでなるほど大学事務というのはこのように見られているのだなと毎度思う。思うし、まあそれがまるっきり的外れでないことも実際あることは認めざるを得ない。自分にできることはクソでない仕事を毎日していくことと確かにクソである仕事を少しでもあらためようと努力することしかない。
ポストでシュートを打ったらしいが、どうやらペナルティをもらったらしい。
まあそういう感じだろうなとは思ってた。
ペナルティ終わった後ディフェンスに戻ってきたあと、俺は敵正45のディフェンスにいて、小倉唯は敵正サイドのDFの位置にいた
ということはさっき小倉唯がポストにいたのは、サイドがダブルポストに入るフォーメーションだったんだなと思った
そんで敵がボールぽろっと落として俺がソレ拾ったのを小倉唯がポカーンと見てた気がする
ぶっちゃけ小倉唯をそこまで好きなわけでもないのになんで出てきたかってのを考えると、前日夜に小倉優子の家に侵入者がきたっていうニュースを見たのがでかかったと思う
あと最近アニソンライブの録画を見る中で小倉唯も出てきたからってのも少しあると思う
閑話休題。
んで二度寝三度寝する中で見たのは、なんかスライム状の敵とバスの中で戦うようなシチュエーション。
それも何度も繰り返して、ようやく本体がスライムだってわかった状態。
詳細はググれば判るのでここでは繰り返さないが、のうりんポスターは剥がされた。
今後この手のことは避けられないだろうなと思うので、その話をしたい。
と思うだろう。要は「どんなモノでもネットに晒される」という事だ。
例えば、政治家が酒宴でオッサンばっか集まった中で下品な冗談を言った。
現地では大受けゲヒャゲヒャ笑って女性参加者苦笑い、とかなったとしよう。
これ、新聞記者が聞いてニュースで配信されたりすると、当然批判を受ける。
Twitterなんかで「公に発言すると」問題になる社会はもう来てる。
例えば自分の嫌いな人がいて、それを公然と発言すると、問題になることがある。
正確に言えば「俺は嫌いだ」ではなくて「それは異常だ(と俺は思う)」という発言をするとだ。
これはまあ、良いことだと思う。
(いずれ「俺甘いもの苦手なんだよね」と同じニュアンスで「俺、異性愛は苦手」と言える社会になるかもしれない)
のうりんが、一地方の内輪向けの話だから、というのが通用しなかった件。
コレはつまり、「政治家が身内のパーティーで放言した」と同じレベルだ。
小規模だから、ひと駅だけだから、前にもやってるから、と言うのが通用しない。
なぜならば「ネットに紹介された時点で、公の舞台に立った」からだ。
自分からTwitterでアピールしなくても、誰かに紹介されると公の舞台に立ってしまう。
そうすると、文脈から切り離されて「その対象そのものが、正しいか?」を求められる。
株式会社やお役所なんかだと、説明責任、というやつが生まれる。
つまり「コレコレの批判があったのに、何故止めないのか?」に対する説明責任だ。
大抵の場合、強い根拠やしっかりした後ろ盾がないと、「止めない理由が無い」状態になる。
だから、「オマエのやり方に賛成だ。良くやった」という激励の電話や投書は、無駄にはならない。
悲しいかな、文句を言う人は文句を言いたいので電話をするが、賛同するひとはひっそりとテレビの前で応援したりする。
役所の担当者の前に、非難の投書が数通あり、ネット上に賛同の声が多数あると、投書が勝つ。手元の文書は強い。
「のうりんポスター」の件は、今後頻繁に起こるだろう「リアル炎上」の話だと思う。
ほんの少しの「公」要素があれば十分だ。
どんどん晒されるだろうし、晒されればそれはTwitterでアピールしたのと同等に扱われる。
(その意味でガルパンの海水浴ポスターは良く出来ている。アレを批判すると文脈上海水浴場批判に繋がるので「抵抗する理由がある」ポスターになってる)
ある程度、公人や公の場所が、政治的な正しさを求められるのは、方向性としては良いことだと思う。
本来当然配慮されるべきものが、いろいろな言い訳でナアナアに済まされてきただけだからだ。
ボチボチ、そう言うところにリソースを割いても良い頃だろうとは思う。
そして、いずれは高校生が友達に「アノ黒人が居なけりゃな」みたいな愚痴が晒される世界が来るような気がしている。
少なくとも、ネット上の発言は「Twitterは世界に公に発信している」として判断される社会には既になっている。
これが、隣の友人に喋ったら、ネットに即アップされて特定されて晒される、という社会になりそうだ。
政治家のような公人と、影響力のある私人、そして一般人というのは、それほど高い垣根ではない。
そうは言っても、法律上も判例上も「公人」はワリとハッキリ線引があるぜ?とか言いたいかもしれない。
でも「のうりんポスター」は、法律も判例も、捜査も公判維持判断も、なにもなかったんだぜ。
たった一度のブコメの放言で、社会的制裁を受ける日は、たぶんそこまで遠くない。
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一人増田アドベントカレンダーの1日目としてネガティブにお送りしました。
今日は金曜日なのでいつもだったら週末に向けて気が抜けてダラッとしていたが、エイヤッ(IT業界語)と公園に行ってきた。
そもそものきっかけは、はてなブックマークでラジオ体操の話題を見ていたのが記憶に残っていたという点は大きいと思う。
ただ、常駐先で一挙手一投足を監視されながら定時まで嵐のように仕事をするとヘトヘトだし、緊張状態が続くので体が
凝り始めたというのが大きな理由だった。「追い込まれてもヘラヘラ笑っているIT超人」みたいな人がたまにいるが、
なるほどああいうタイプはしぶといだろうなとようやく理解出来た所もある。
本当ならば、夏休みの小学生のように朝日を浴びながら体操すれば心にも体にも良いんだろうが、現状でも基本定時帰り
とは言え6時起きで通勤しているので、現実的には厳しい。では帰ってきてから、リラックスモードに入る前にパパッと
着替えて3:16の体操をこなしてくればいい。
音源は落ちていたが、自分の逃げ道を防ぐためにiTunesStoreで購入。200円。
一日目。体操を終えてみると「なぜこんな事に?」という疑問点が出てきた。ウルトラマンである。
二日目。ある程度一日目の疑問が解けた。
三日目。かなり腑に落ちた。
アニメ刀語の主人公の姉であり、「天才」「化物」の鑢七美(やすりななみ)の特技は「見稽古」である。
大抵の技は一回見れば覚える。二回見れば盤石。
もちろん筆者は単なる凡人であってフィクションの天才とは比較にならないが、経験とは馬鹿にならない物で宮本武蔵の
五輪の書における「観の目」的な物が自動的に整理される。パターンの見切りが早くなる。おそらくゲームをあまり
やらなくなったのもその辺が原因だと思う。
まずかなりの人はラジオ体操を学生時代以来やっていないと思うし学生時代に苦になった人は余りいないと思う。
筆者も運動神経は鈍い方だったが、特に苦にはならなかった。ただ、中年の身では余裕だと思っていたが、結構しんどかった。
思い出したのは、小学校時代の運動会で保護者のやっていたラジオ体操だったのだが、それがなんだか子供心に無様に見えた。
早送り気味のチャップリンの映画のように、挙動がせっかちで芝居がかっているように見えたし、テンポも遅れている。
それから昔テレビで見た芸人のラジオ体操。余裕綽々で始めるが体操が終わってみると、半ヤケ気味に満員電車の中で
揉まれたように髪は乱れメガネがズレてシャツがズボンから出ている。オーバーアクションでもなかなか面白かったのを
記憶している。
おそらく原因は二点あって、一つは「年を取ると感情の抑制が甘くなる」という点があると思う。
動作に感情を込めると間違いなく「力む」のだが、その力みがぎこちなさや無駄な動きに繋がっている。
だから感情が豊富なオタクの言動は芝居がかっているし、機械的動きが必要な楽器演奏で情感を作り出す音楽を
やっている人は動作が軽やかで年を感じさせない。多分ラジオ体操もうまくこなすと思う。ただ、オタクも
例えば弓道のような精度を高めてくスポーツにハマれば感情を込めない動きがマスター出来るだろうし、
作品を作る方の漫画家も反復作業が膨大に発生するので技は磨かれるだろうが。
それで連想したのは「料理は愛情」と言うけれど愛情は感情だから品質にムラがあるのでは?
プロとしてそれはどうなのかな?古来からの言葉なのかな?と軽くググると、起源は
『1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組「夕食ばんざい」などに
出演していた料理研究家の結城貢のキャッチフレーズ』とある。最近の言葉だった。
どうも、どこかで「愛情を込めて歌う」という文章もあった気がするが、「心を込めて歌う」という表現の方が一般的だし、
理にかなっているような感じがある。感情を込めて歌うとロックのように力んでがなり立てるような歌い方になるか
まともに歌えなくなるだろうし、心を込めるというのは丁寧にやるということでクラシックのオペラ的な歌い方とまでは
行かないまでももっと純粋な歌唱力の問題になるのでは、とここまで考えて、筆者自身「心を込める」という言葉が
どういうことかということを厳密に理解していないなと思い、またもやググってみたが、「いかに相手に真剣に向かい合うか」
それから整理してみると、どうも感情量を増やすような構造に嵌められている気もするが、穿ち過ぎかも知れない。
閑話休題。二点目。
3日目で詳細まで分かったがラジオ体操は「前半は緩いが、ドンドンしんどくなる」ということだった。
一番始めの「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動」。これは緩い。ここで大抵のおっさんは油断してしまう。
粛々とこなして、「前下に曲げます!柔らかく弾みをつけて3回そして、うしろそりぃぃ」。ここで「あれ?俺テンポ少し
遅れてね?」。
クライマックスはその後の「身体を回しましょ~(`・ω・´)!!」からのコンボ。上半身をグルグル回す。クラクラする。
漫画のキャラクターを笑えなくなった。三半規管が弱まっているな……。動作も遅れ気味だ。
続けて「足を戻して両足飛びぃ~」。クラクラしている中、暗い空間をジャンプする。なるほど。これが目眩か。
SFのセンスオブワンダーが目指している領域。ゲームデザインに興味のある人ならおなじみのカイヨワの
「遊びと人間」における「眩暈(イリンクス)」。4分類(他は「競争(アゴン)」「偶然(アレア)」
ルネサンス期の男ばっかの画家世界に貴族のお嬢さんが飛び込む話。
あーアルテってアートって意味にかけてるのかあと気づいたときはなるほどって思った。
魔法使いの嫁と同じ読後感。
つまらないわけじゃないけど、なんか物足りない。
両者に共通するのはうまくいきすぎるところかな・・・
結局なんだかんだでうまくいくってのがわかっちゃうから、多少苦労したところで感情移入できない。
閑話休題。
森薫をもう少し騒がしく、萌え絵にして、絵柄を雑にしたらこうなるかなって感じ(それはもはや別物か
設定はいいけど、ストーリーがご都合主義的・ありきたりすぎて、ドラマチックなところがほとんどない。
やる夫やらない夫って懐かしいよね、今じゃすっかりまとめサイトの印象持たれてる感じ
もともとどうでもいいことを言わせるようなキャラクターにはうってつけの職(?)なのかもしれない
比較的どうでもいいことを考えているとき、「やらない」を選択した後に再度「やる」「やらない」で検討することがある
これを帰納法的に考えると、「やらない」→「やらない」→「やらない」→...ってなる確率は0に近づいていく
誰が言ってたかも知らないんだけども
応用情報技術者試験を受けてきた
試験会場は神奈川の山奥、敷地から一歩踏み出せば歩道には生い茂る木、さらに張り巡らされた蜘蛛の巣、引っかかりもがく虫
昼食の調達が非常に困難であったことを除けば結構落ち着く場所だった
河原に大きな公園もあり、さらに少し行けばリハビリ病院なんかもあるらしく、納得の田舎といったところ
一応説明しておくと、応用情報技術者試験は午前と午後に分かれている
午後は1題の問題文だけで2P~5P程度を割いている超長めの文章題を必須1問と選択10問中4問、記述式回答
いずれも60%の得点で合格となるが、全体の出来が悪い場合得点の底上げがあるそうだ
私は長文を読むことがそんなに嫌いじゃないので、午後の方が得意だと感じる
既に書いている文章が長文となりつつある
午後は自分の得意な問題を選ぶことができたはずなのでおそらく6割は下らないのではないだろうか
私にとって問題となるのは語句の意味を答えるような問題ばかりの午前だ
正直どうにでもなるだろうと思っていることに対して本気になれない
実際はどうにでもなっていないことの方が多いのが余計にタチの悪い部分であるが、この性格はいつか治るだろうか、いや、治らない
この午前試験の予備校独自解答のようなものは、試験日の15時頃に公開されるようだ
つまり既に公開されており、おそらく私はそれを用いることで午前試験の採点を行うことができる
これによって、80問中48問の正解を掴み取れていればサクラサク、47問以下であればサクラチルといった結果が得られそうだ
さて、私は極端に自信のないこの午前試験の採点を「やるべきか」「やらないべきか」
といったところで、冒頭に戻ることとなる
つまりさっさと採点した方がよさそう
たのむ
問題提起としてありきたり
1期と違って1話も落とさずに最終回まで来たことは評価するけど、当たり前のことだから
閑話休題、トータルで1期より地味
首相だから日本全国の話のはずなんだけど、なぜか1期同様立川しか舞台になってないように感じた
うつつちゃんかわいかった
はじめタンが寝てるときに作中の動画のコメントで俺がキスして起こしてやるよグヘヘみたいなゲスコメントがなかったのが違和感
目を覚まさないはじめタンを見てると睡眠姦ってシチュしか思い浮かばない自分心が汚れていると思った
ジョーさんがなんかフッ・・・終わったな・・・みたいな感じだったけどアナタ評判ガタ落ちですわよ
考えてそうで実は考えてないだけの人間っていう底の浅さが露呈されてましたよ
しかし今更だが大きくなったのがあれってことははなざーさんスタイルは男の子だったのか・・・?
無理やりいろいろこじつけた解釈してる人もいるみたいだけどご苦労様なこって
単純に率直に見て思ったままを
イマイチだっただろがよ
これはもう3期はねーな
ガッチャマンクラウズメンバーが日常のトラブル解決したり仲間同士でキャッキャウフフするのがもっと見たいけどもう無理だろうな
閑話休題(2):ミレニアム前後の時代の寓話2 http://el.jibun.atmarkit.co.jp/infra/2015/09/post-ea7d.html
私見になりますが、とある高邁な理想をもって起業した会社が、現実の厳しさにぶつかった結果として「そういう会社」(ちょっとグレーゾーンに足を踏み入れるところまできている会社)にシフトしていくのであれば、私はそもそも「そういう会社」になるのを主目的に起業した社長のほうを評価したいですね。
それはそれで、悪いことだとは思いません
脱法せずに生き残るというのは大変なことなのです。
ってことでしょうかね。
前提がなんであれ、モラルのないことをしていてはだめですよ。そもそも脱法するから生き残るのが大変なんだろう。
道理に反している上に、現在はかろうじて適法だが将来違法になる可能性が非常に高い。
時代が変わって違法となれば田中角栄のようにあっという間に飛ばされます。
信用いらないし、会社を継続発展させる気も無い、今を生き延びさえすればいいのだ。
そんなことでは、世にも人にも会社として認めてもらえるものではない。
もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンを食した翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。
小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的にコミュニティの晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマンの誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。
もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。
やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子のウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今の日本人が忘れてしまった、恥じらいにも似た初々しい事態に直面するのであった。
そう言えば、中学の教師に「ウンコに行きたい」というと「あと10分で終わるから待てないのか」と言われた記憶があるが、そもそもウンコを我慢出来ないからわざわざ手を挙げているわけで、終業まで待てる奴が「ウンコしまーす!」と手を挙げるわけが無いのである。思い出したら腹が痛くなって来た。
そうした甘酸っぱい春色の青春も終わりを迎え、受験の後、俺は男子校に入学するわけであるが、男子校と言えばもともと肥溜めみたいな場所であるので、つまりはウンコみたいなものである。
休み時間、授業中に関わらず、勝ってくるぞと勇ましく、大手を振りながらウンコをできる環境に「これが大人ってやつか」としみじみ感じ入ったものである。
そんな糞まみれのうんこく時代を過ごした高校生活であるが、友達も居たし、彼女も居たし、いつでも気兼ねなく脱糞出来る余裕からか、胃腸の様子も少しは良かったように思える。
そして高校を無事にノー漏れで卒業し、死にたいくらいに憧れた華の都大東京に上京することとなる。
3年ぶりに女性と同じ屋根の下で学ぶことになった専門学校であるが、もはや18年毎日行われた胃腸との対峙、対決の結果により向かうところ敵なしとなっていた俺に死角は無かった。
ただ、死角は無かったと言っても、腹は痛くなるので、この頃より将来の夢は「家で出来る仕事」となる。
また、このぐらいの年になると、車に乗って何処かへ行ったりと、遠出をすることが多くなるが、その時は、さすがの玄人である俺もかなり困った。電車のようにその駅ごとにトイレがあるわけでは無い。
冷静に自分の腹具合と相談しなければ、腹腹時計が爆発し、車中脱糞という壮大な悲劇と、ちょっとした喜劇が待ち構えている。
そんな時には、気管支炎喘息の症状を活かして多目にもらっておいた、リン酸コデインが役に立った。
この鎮咳剤は、基本的には咳を鎮めるためのものであるが、もうひとつの作用として、下痢止めがある。医者に処方される際に「便秘になる作用もあります」と言って処方されることの多いこのリン酸コデインであるが、正露丸も効かないロシア以上の胃腸を所持する俺に効く唯一の下痢止めと言っても過言ではない。
正確には、万年下痢なので、コデインを飲むと、その便秘の作用と相まってなぜか丁度良い状態になる。という素晴らしい効果なのである。ウィリアム・バロウズの小説に出てくることもポイントが高い。
閑話休題。
そうこうするうちに、あっという間に30歳を過ぎた。
ということは、もうこの胃腸との付き合いは30年を超えるわけであり、30年も毎日己の胃腸と向き合っていれば、それはもう健康問題どうこうというよりはもう「道」すなわち「タオ」である。
脂っこいものを食せば下痢になる。これはもう宇宙自然の普遍的法則、そして根源的実在であり、衆目の前で漏らして迷惑をかけないというのは、道徳的な規範はもとより、美や真実の根源なのである。
30を過ぎた頃から「屁だと思ったら実だった」というちょっとした逆転現象が起きることが多くなって来たように思える。
ベテランだと思っていたウンコ我慢道も、まだまだ知らないことばかりである。
頑張って生きていこうと思う。