はてなキーワード: ゴーイングコンサーンとは
単品で勝負できる魚介なら、その単品で勝負した料理を作るのが最も良いのは当然だ。
海鮮丼ってのは、「その日市場で安かった魚介・仕入れたものの余り気味の魚介・名前が知られてないので単品で勝負できない雑魚・自分か知り合いが獲ってきた魚介」などをごた混ぜにしてご飯に乗っけたもの、ってのが第一義。
だから基本的には二流の食材か、余った食材だと思えばいい。感じた違和感ごと混ぜて食ってしまっていいんだよ。そんな大層なもんじゃない。
まかない丼も当然同じ。
「アレも食べたいけどコレも食べたい。でもウニもイクラもいいよねえ」といった欲張りなニーズに応えるために作ったものだ。
ウニやイクラの産地でもないのにウニやイクラが乗ってるんだから、当然これらも二流の食材だ。余った魚も乗っけちまえ。
でもそれで喜ぶ人がいるんだ。お得な感じがするんだよ。みんなが幸せならそれでいいじゃねえか。
そして第三義が、「丼は洗いものが少なくて済むから楽」「客の回転が速くなるので効率的」あたり。
店にとっては重要なことだ。
ビバ、ゴーイングコンサーン!
いずれにせよ一流の店が一流の客に出す一流の食材ではないということは分かるだろ。
二流だから悪いってことじゃない。それを求める客がいて、店も助かる。
閑話休題(2):ミレニアム前後の時代の寓話2 http://el.jibun.atmarkit.co.jp/infra/2015/09/post-ea7d.html
私見になりますが、とある高邁な理想をもって起業した会社が、現実の厳しさにぶつかった結果として「そういう会社」(ちょっとグレーゾーンに足を踏み入れるところまできている会社)にシフトしていくのであれば、私はそもそも「そういう会社」になるのを主目的に起業した社長のほうを評価したいですね。
それはそれで、悪いことだとは思いません
脱法せずに生き残るというのは大変なことなのです。
ってことでしょうかね。
前提がなんであれ、モラルのないことをしていてはだめですよ。そもそも脱法するから生き残るのが大変なんだろう。
道理に反している上に、現在はかろうじて適法だが将来違法になる可能性が非常に高い。
時代が変わって違法となれば田中角栄のようにあっという間に飛ばされます。
信用いらないし、会社を継続発展させる気も無い、今を生き延びさえすればいいのだ。
そんなことでは、世にも人にも会社として認めてもらえるものではない。
定年退職したシニア同士で、あるテーマについて1年程度調査研究した上で、共著で自費出版するスキーム。
★例えば、自分は定年退職したら、不動産の知識を生かして、自分が幼少時に過ごした高層分譲マンション群「阪急南茨木ハイタウン」の歴史、
さらには70年代の関西の民間マンションの歴史について調査して、本にまとめたいと思ってる。
⇒共同研究、共同著作の仲間がいれば、何とか「本」というまとまった形にできると思う。
★また、著作の調査研究の過程で第三者へ取材ヒアリングする必要性も出てくるが、
退職者個人の名刺で阪急電鉄や茨木市に取材しようとしても門前払いされるのがオチ。
そこで「南茨木ハイタウン史出版組合」みたいな名刺があれば、阪急電鉄もまともに対応する。
★「出版組合」は、いわば一つのテーマ、一つの著作物に対して、何人かが緩やかに参加する「期間限定プロジェクトチーム」。
本来的には出版した時点で、組合の活動は終了(著作権管理の為に10年間は存続させるが)。
NPOみたいに「半永続的、ゴーイングコンサーンな組織」じゃない
★仮に日本の「前期高齢者」(元気な高齢者)1000万人の中で、出版を考えてる人が50万人いて、
彼らが「5人で一つの出版組合を毎年組成し、出版」していったら、
今の日本の出版総点数は9万点程度だから、出版点数が倍増される計算になる。
★言ってはなんだが、「素人が一人だけで書き上げた自費出版」は、「思い込み」や「独りよがり」も多く、質が悪い。
その点、「出版組合方式」で複数のシニアが相互チェックしながら著述をまとめることで、内容の質が高まる。
★ふと思ったが、それなりの歴史がある大規模なマンションなら、区分所有者の有志なり歴代の理事長なりが、
「出版組合方式」で、マンションの歴史を出版してもいいのでは?
その辺の小学校とかでも「小学校50年史」とか発行してるなら、「広尾ガーデンヒルズ30年史」を発行してもいい。
★役所とかが主催する生涯学習が「虚しい」のは、成果物、アウトプットがないからだろうなあ。
「出版」という目標がある出版組合方式なら、目標があってハリが出る