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2015-09-08

ごまかし」てるのは反論記事じゃね? と思った

http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21 これ。

なんとなれば「T」に隙間の無いステンシル書体存在することは、リエージュロゴステンシル書体モチーフにしていない理由にはならないから

記事よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?)では、名刺デザイン展開を根拠リエージュロゴステンシルモチーフにしている、としていて、そうすると「Théâtre de Liège」の頭文字TLを合わせたあのロゴの隙間が論理的整合性を保って説明できる。

一方反論記事デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か?)では、

リエージュロゴについて言えばむしろ、(佐野氏が五輪エンブレムモチーフとして紹介した)DidotやBodoniのようなローマン系のフォントセリフ文字の端のヒゲの部分)から発想し、エリアを囲む四角形を外円の円周をあてて切り抜いた、と考えるほうが自然に思われます

となっていて、その根拠が全く示されないため「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」と言わざるを得ない。

そして反論記事後段の「ごまかし」の指摘。ここも微妙だったりする。

「似てない」根拠は、「似て見えるか、似て見えないか」でも、エンブレムデザインのものではなく、デザインする上での「設計思想」のみと言うことになります

──つまるところ、この記事解説は、佐野氏が会見で行った解説に、自分に都合のいい事例だけを付加しただけの「ごまかし」ということになるのではないでしょうか?

反論記事の筆者は上記のように元記事批判しているわけだが、ここに反論記事自身の「ごまかし」がある。元記事の主張に向き合わず周辺箇所にレッテルをはることで矮小化しようとしている、とでも言えばいいのか。

どういうことかというと、元記事の主張は、両ロゴはコンセプト(=設計思想)が違うため、「似てない」とするデザイナーが多い、である個人的には「似てるけど設計思想が違うから別物」と表現した方がいいとは思う)。

これが元記事の根幹であり、元記事批判するのであれば最初ツッコミをいれるべきだと思うが、反論記事はここをスルーする。そして逆に、元記事におけるステンシル書体商標のくだりを「自分に都合のいい事例」と批判する。

しかステンシル書体のくだりは、リエージュロゴ側のコンセプトを推論したものであり、主張の根拠となり得るものだ。他方、商標のくだりは何故事前に類似を見抜けなかったのかや、何故ロゴを事後修正したのかという疑問に答えるためのもの

いずれも元記事内での役割があり、その役割妥当性もある。決して「自分に都合のいい事例」でもなければ「ごまか」すためのものでもない。逆にそうレッテルをはってしま反論記事に「ごまかし」を感じてしまう――のだが、はてなの諸賢にはどう映っただろうか。

パクリだと難癖をつけられた時の、対処

スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。

まり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。

ロゴに関しては、専門家の説明と素人感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。

ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。

まあ仕事とか趣味とか、そういう時の話だと考えてくれ。

諦める

一番簡単なのは、諦めることだ。

冗談ではなく、最初検討すべきことだ。

趣味ガンプラに色を塗った。

店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitter写真を載せた。

「それ、セブンイレブンパクリでしょ?」「べつやくれい恐竜に塗ってたのパクった?」

続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。

ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」

みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。

最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。

「言われてみるとパクリっぽいね。消しときます

相手の意見肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。

対応するとして、まずは分類

ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。

パクリ」と「似てる」には明確に差があって、

パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。

「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。

パクリ問題場合

パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。

これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権悪魔の証明みたいになる。

そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。

「この事実があるんだから、この権利があるもの推定する」という方法

カッコよく言えば、「プロセス規定する」と言っても良い。

プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)

似ていることが問題場合

この件で一番仕事で身近なのは特許だろう。

先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。

この場合特許庁登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。

プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。

感情問題場合

混ざりやすく、対応を間違えやすいのがこちら。

  1. ある行為をするに相応しい「人間性」
  2. 人間の飛躍しがちな推定

ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。

人間の屑であってもクレバー人間は多いし、サイコパスからこそ社会的成功するなんて論文もある。

冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。

格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。

情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。

対処法その1:切り分けて淡々対応する

仕事場合が該当するんだけど、実は順序良く対応できる。

  1. プロセスに沿って仕事をしたので、「パクリ」じゃないと主張
  2. 「似ている」事に対する、リスクを説明する
  3. 1,2番に問題がないと言質をとった上で、「格式」の問題確認
  4. 書面にして関係者に展開する

例えば商標登録して、ブランド展開しようと考えたとする。

こういう場合特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)

例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)

こういう時は、弁理士弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。

こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合リスクの報告もしてもらえる。

そして、法律上問題点クリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。

なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。

格式」や「情緒しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。

仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)

対処法その2:言質をとって問題を切り分けていく

まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。

個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。

そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。

パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。

特に発言多様性意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するとき基本方針になる。

これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。

具体例:よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?(深津貴之) - 個人 - Yahoo!ニュース

この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。

たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。

途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。

やっているのは「情緒からの切り離し

「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。

「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、

「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。

その為、深津氏の説明は、

という流れで、以下の結論に持って行ってる

反論しようとすると、法律問題感情問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。

オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体パクリになるし)

(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成

まとめ

パクリだってまれたら諦めてゴメンして取り下げろ。

仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応粛々しますと切り返せ。

仕事ネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。

情緒」の解消は、基本的当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。

法律面は粛々対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ

……上記は、難癖対応であって、弁護士代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。

雑感

まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー

でも、リクルート事件筆頭に、やっぱ国会議員は硬いわ。不逮捕特権伊達じゃねえな-

2015-09-06

パクリが、デザイナー仕事ではありません。,

魚拓用。1時間後に消す

http://www.amazon.co.jp/review/R33VQYXB3J6P7P/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4838725833

ネットで叩かれているようですが、事態はもっと深刻だとおもいます

何より、「グラフィックデザイン」という仕事自体への信頼を落とした罪は、とてつもなく大きいと思います

擁護していた人間が、信じられない。「仕事」あってのデザイナーです。「彼はいい人」?ふざけるな、です。

真の人柄とは、「デザイン仕事」にこそ、出るものなはず、です。

全てのデザイナーが、こんなパクリ、というか、「雑な仕事」をしているわけではありません。

精一杯、ギリギリの低予算と日夜の仕事の上にちょびっとだけ花が咲くような「地味」な仕事です。

この「パクリ」は、むしろ佐野研二郎」さん、「森本千絵」さん、「長嶋りかこ」さんら、

大手代理店の実質・専属デザイナーからこそ、必然的に起こりえました。(まだまだ他にもいますよ)

一連のパクリは、「氷山の一角」に過ぎないのです。

 彼等は、零細のフリーランスや個人のデザイナーと違って、大手広告代理店電通博報堂とのパイプがあるため、黙ってても、とんでもない「大きな仕事」が降ってきますサントリー資生堂TOYOTAHONDA…そんな大企業デンパクにしかできませんからね。

 それをチャチャっと、イメージソースを見つけ出し、Macでコピー&ペースト。下っ端のほぼアルバイトに近い低賃金アシスタントに、徹夜でとてつもない量の「アイデア」を出させ、その「手柄」を横領ます

横領」と「電通博報堂多摩美ムサビ」を中心とする「これがオシャレなんだぜ」という「自己顕示」が、彼等のいう「クリエイティブ」の正体です。

これを私は「クリエイティヴヤクザ連合」と呼んでおります

彼等に創造性は一ミクロンもありません。「芸能人」に好かれているから、成り立っていただけです。

「ま、素人だしな、センスねえ・一般人なら、わかんねーだろ。」これが、彼等のいう「デザイナー感覚」なのでしょうか?

違います。真のデザイン感覚とは、「一般の人」にこそ、パッと「見るだけでわかるもの」だと私は思います

ちょっと心あるデザイナーたちは、みなこの人たちの「センス」の源泉・ソース元が「パクリであることにとっくに気付いていました。ただ、一般の人の目と耳に届かなかっただけなのです。

圧倒的なお金大人の事情があったからです。

彼等は「デザイナー」というより、「中間搾取業者」さんという方が適切なのです。

その一部始終の技術は、この本の「余白」にも書かれています

 

 デザインに、本当はプロもアマもありません。だからこそ、デザインは過酷な仕事なんです。

 かえって、「素人」だからこそ、曇りのない目だからこそ、デザインの本当の良さがわかるし、ウソもバレるのです。

 国民の祭典であるオリンピック」に、あん葬式か、安っぽいブランドロゴのようなデザインを出してくるセンス

 それに疑いもしないセンス。これが「プロデザイナー仕事」なのですかね?

 こんな「雑な仕事」が、止まることなく、まかり通ったのも、彼等を批判することが「タブー」だったからです。テレビ新聞ラジオという「メディア」の一番の資金である広告」を「美しく」作る方(パクリですけど…)なのですから

 まるで、一連の騒動も、「頭の悪いネット民」の批判から、などと、彼等側の人間は、主張するでしょう。

 

いえ、今回ばかりは、発見したのはネットの方々かもしれませんが、日夜真面目に働く「デザイナーたち」こそ、一番の被害者です。

こんなズサンな人々と一緒にされたくない、とほとんどの方は主張するでしょう。そして、デザイナーこそ、こういう愚劣なクソデザイナーに怒りを感じるはずです。

 和田誠さん、田中一光さん、亀倉雄策さん、横尾忠則さん等、デザイナースターだった時代は、手と情熱とで、素晴らしく美しいデザインをつくっていました。いちいち鉛筆で線を引き、イラストレーターと一緒にアイデアを考えていました。

 デザイナーという仕事は「広告屋」「看板屋」などと低く見られ、軽蔑されていました。

 その逆境からの立ち上がりにこそ、創造性があったのです。

 オリジナルの発想だから日本デザインは優れていたのです。

 パクリデザイナーたちよ、恥を知れ!!恥を!

 何が「ミスターデザイン」じゃ!!その「ネーミング」の恥ずかしさに、言葉も出ません。

 普通、「自分会社」に、そんな恥ずかしい名前つけますか?

 最高に笑えないギャグですよ。口に出してみて下さい。「ミスターデザイン」?。

 オレは偉いんだぜ、ってことでしょ。自己顕示欲の塊なんですよ。ちょっと心あるデザイナーなら、誰でも気付いていたことです。

 

 これを機に、「デザイン」という仕事から、足を洗って頂ければ、幸いです。

後記:多くの方に反響を頂きまして嬉しいです。

少なくとも、サントリーパクリの件は、専門学生の1・2年レベル課題でも今時するか?という初歩的な「画像のまんまパクリ」です。フリー素材か、写真を取ればよかっただけのことです。

デザイナーとして、本当に、ありえないレベルミスです。こんな仕事の仕方は、佐野研二郎氏の事務所だけでしょう、と信じたい…。

しかし、それでもまだ擁護する「デザイン村」の人達にはつくづく情けない…。

理研の小保方氏、音楽クラシック村の佐村河内ホントーに、まったく同じ構図じゃないですか!

デザイナーたちも、仕事に響くので、黙っている方がほとんどだと思いますが、勇気を出して、声を上げて下さい。

グラフィックデザイン」を根幹から揺るがす出来事ですよ。

電通博報堂から箝口令のお達しでもあるのでしょうか?

呆れるほどボロボロとずさんな情報が出てきてしまいます。「思考クリア化」しすぎた結果だと思います

この本を読んで、「そもそものデザインのやり方」への「違和感」を感じて、すぐに某本屋へ、売りましたが、まさかあのときに感じた違和感が、これほどまでに実現化されるとは思いませんでした。

でも、いかに佐野氏が、「手抜き体質」かが、出ていると思いますよ。

なんと…驚愕事実が発覚しました(2015年8月30日)。「ペンギンブックス」という、日本人には馴染みが薄いですが、

有名なペーパーブックのシリーズの名タイポデザイナーヤン・チヒョルト」のパクリであることが発覚しました。

私も、GGGでの展示に行って、感銘を受けました。本当に許せない。チヒョルトは、ハッキリ言って、

作風は地味です。しかし、心に残るデザインをする私も心から敬愛する、「巨匠」です。

しかし、そのチヒョルトの「表面」のデザイン部分だけをペーストして、パクる姿勢

本当に許せません。

しかも、チヒョルトは「本の世界」のデザイナーですよ?

スポーツ世界」のヤツラにならば、わからないだろう、という魂胆でもあったのでしょうか?

本当にふざけてる。デザイナーとしても、最低です。許せません。

コメントに追記)>>広告代理店デザイナー仕事プレゼンが主なので細部まで検討して作りに作り込んだファイナルプロダクツ作成することはありません。ファイナルプロダクツ下請け専門家に任せます。だから”これとこれをくっつけて~”みたいに30%ぐらいの力で仕事を仕上げるのが”デザインする”ことだと思っちゃってるデザイナーになってしまうんです。しか代理店にいたというプライドだけは高いから、始末に負えない。

そうなんですよ。彼等のいう「クリエイティブ」は、日本語訳の「創造すること」や「発想すること」じゃないんですよ。

ズバリ、「自己顕示」なんですよ。

いかにして、「自慢するか」なんですよ。

で、CMの世界では相手のクライアントが、「企業」ですから、世に漏れなかった。会議室の中だけでの世界でした。

しかし、「オリンピック」という晴れの世界で、「Mr.デザイン」こと「佐野研二郎氏」は同じように、惰性でやってしまった。彼にとっては、こういう仕事の仕方が、「普通」なんです。

もちろん、考える力も発想のノウハウも、強さもないから、最終的な「アウトプット」は「何かに似せる形」になります。何かに似せる、しか雰囲気だけ…ぐらいなら、いいんです。

「何かに似せる努力」すらやめて、「そもそも画像をそのままネットからパクっていいじゃん!」

フォトグラファーを使う」「イラストレーター絵描き)を使う」「タレントを使う」のにも、何をするにも、

「何かを作る」には、お金がかかります

「パン一個」買うにも、お金がかかります

それを解消するには、タダで「アウトプット」を創り出すには、いくつかのアイデアがあります

しかし、最も単純明解に、クリアに、ボールドに、全ての制作費が浮く方法があります

一番安く、早く、タダで済ませられる唯一のデザイン

一体なんでしょう。

それは「搾取」です(「パクリ」という言葉は、何となく、「万引き」に似た甘やかしの言葉だと思います。そんなレベルではないですよ、コレは。明らかに「システム」として、「自分仕事」として、やっています。でなければ、こんなに出てくるはずはないです。)。

デザイナーたるもの、誰でも一度は、パクることはあります学生時代に、一からオリジナルを創り出せる人間など、いないし、天才でもムリでしょう。「習作の時代」はあります

しかし、今回は、まったく事態が違います

自分の周りへのヒト・カネ」がメインであって、「モノ」(仕事)は、どうでもいいのです。軽蔑された結果なのだと思います

はっきりと、誰かの作ったものを「奪って、人に提出する仕事」に甘んじてたのだと思います原宿事務所Macintoshの中では、イラストレーターが書いたパンも、誰かのブログのパンも、「一緒」です。

ならば、タダな方がいい。

とすら、考える頭もよぎりません。

まったく自然に「ミスターデザイン」は、搾取します無限仕事がつくれ、永久にカネが入ってくる仕組み…。

思考は確かに「クリア」かもしれませんが、その精神は「ドロドロ」です。

クリエイティヴディレクターアートディレクターという「肩書き」は、「搾取指示人」なのでしょうか。

「クソ・デザイナー」というカテゴライズで、はっきりと「普通デザイナー」とは一線を画す社会にしたいものです。

まさに、「デザイン仕事」によって。

全てのデザイナーこそ、今こそ怒りを上げるべきです。

2015年9月1日、ついに、ようやく、取り下げました。が、凄まじいシロモノの反省文を掲示しました。

ここまで「ひどい謝り方」をできる人間が、いたでしょうか。

帰って来た返事は、「被害者」気取り、でした。

「私は純粋で、クリエイティヴ人間アピールでした。

やはり、闇は深い、と確信するばかりです。

もうこれは確実に、しれっとして、またヒョロっと、5年後、五輪のバックで「名前の出ない形」で関わってきますよ。1000%。

絶対に、です。「今を乗りきれば、大丈夫」と思っているはずです。

もちろん、いわれのない誹謗中傷もあるでしょう。それはお察しします

しかし、博報堂の「営業」の人間は、そういうことで強くなるんですよ。何にも言われないのは、クーラーの効いた部屋で、パソコンと戯れるクソデザイナーだけなのです。

今まで、あまりに「無菌状態」だったでしょうからね。

自分の大好きなお仲間たちと、カネをバンバン出してくれるクライアントと、ドラゴンボールドラえもんを使われても、何も言えないそっちのヒトたちの複雑な気持ちアニメーター漫画家アーティストイラストレーターを、笑顔でほがらかに踏みにじってきたわけですからね。アートディレクターって、一体何なのでしょう。

博報堂では、こんなに「謝る」ということは「罪悪」なのでしょうか。

卑怯なのは、「テキスト」ではなく「画像」で謝るということも、そうなんですが、

リュウミン」を使って、この際も「キレイに、クリエイティヴに、素敵なタイポグラフィ」で謝ろうとするクソみたいなデザイン根性です。

ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督出身国だった。お忘れなく。」のあの「ドヤ感」の「薄汚さ」が、本当に蘇ってきました。その「キタナさ」が何一つ変わっていない、どのメッセージでも。

これが、逆にいえば、彼のデザイナーとしての唯一の「統一性」なのかもしれません。

ただ、「ドヤ感満載」のデザイナーだと、仕事になりません。本来ならば…。

こういう場合、「真摯デザイナー」は、実は、普通の、どこにでもある「そっけない」明朝体を使います

リュウミンだと、あまりに「美しい書体」すぎて、ほぼ「ウソっぽく」聞こえるからです。

そんな「文字への美的感覚」すらないんでしょうね。表面的に、「キレイ」なら、何でもいい。佐野研二郎

そもそも本当にデザインを学んできたのでしょうか?疑わしくなってきました…。

皆様が5年後忘れていても、私は「佐野研二郎」という、愚劣な「デザイナー」という肩書きをした「搾取者」の名前永遠に忘れません。

今は、「炎上」し、「祭り」状態かもしれません。

しかし、私は、もっともっと持続的に追求していかなければならない問題だと思います

この多くの批判が消え、静寂になり、命を吹き返した頃に、

また愚劣な身内自慢とともに、高らかな搾取とクソデザインオンパレードが、そっと始まる(reborn)ように思います

絶対に許してはなりません。本当に。

2015-09-02

2020東京五輪クリエイティブに思う事

まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブ問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます

エンブレム盗作疑惑

この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見文句罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます

デザインダメだったのか?

まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます

JOC組織委員会要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状であるから人間認知作用的に受け入れやすい要素を持っていますキャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。

次にマイナス評価として上げられるのが、過去文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ長野シドニー北京バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈オリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティ担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。

上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。

パクリなのか?

正直、分かりません。情報錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件デザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから

何が問題なのか?

これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品過去作品に類似していた場合過去作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています日本批准しています

次に、デザイン機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品制作指針をまとめますが、これを「ビジュアルアイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。

件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場ロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真印刷された情報が、リエージュ劇場情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります

実は妥当デザインだったのではないか

まり一般には知られていないと思いますが、デザイン価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています

内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。

「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。

東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京千代田区http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124

これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます

この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルデザイン制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。

オリンピックという世界規模のイベントロゴですから世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。

以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当デザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。

2015-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20150825150348




元の日記を書いた人ですが、この辺は単なる個人的趣味の話。

TOKYOのTをロゴにするっていう発想自体別に、悪くは無いと思うんですよ。

扇子や桜はわかりやすモチーフだけど、それって凄く古典的で。

大正時代だったら良かったのかもしれないけど、今の日本人洋服を着るし、東京ビルばっかだし。

かと言ってニューヨークのような、ザ・都会じゃないし、パリみたいに整ってるわけでもない。

「1964」から進化した「今の東京」を具体的なモチーフで表すのって至難の技

海外から見た具体的でナウい日本文化といえば、アニメ漫画ファッション

さすがにそれをモチーフにしちゃったらそれこそ国民に怒られる。

じゃあもっとなんか別のモチーフ必要だと。何にしようかと。

個人的には「円」って今も昔も日本っぽいよね、と思ってるけどそのへんはおいておいて、

(そもそも「日本」じゃなくて「東京」なわけだし)

で、東京東京ってなんか、すっごい独特な場所だと思うんです。

私自身はそんなに海外行ったことなから断言できないけど、

海外の人たちの反応を聞く限りでは、他の国にはないような何とも言えない変な場所

高層ビル群があるかと思えば、路地裏には小汚い定食屋が並んでて、

大きなデパートが並んでるのに、突然神社やお寺が現れて。場所によっては屋上鳥居があったりして。

スクランブル交差点があって、うるさいモニターの下で演奏してる人達がいて、ちょっと歩けば広い公園があって。

日本人からしてみれば何てことはない日常景色外国人が珍しそうに写真撮ってて。

なんかそういう今っぽいカオス感が「TOKYO」ってものの中に内包されてる気がしてて

東京でもとうきょうでもトーキョーでもなくTOKYOだよなあ、みたいな。

からまあ「TOKYOのTをモチーフロゴ制作する」っていうのはアリだと私は思います

既存書体を元にするっていう話ですが、

文書体って一杯あるけど、その歴史みたいなのはすんごく奥深くてですね。

日本語と違ってとても幾何学的な字体なので、読みやすさ・美しさ・強さ、あらゆる観点計算されつくしていて。

から新しいフォントを作ったところで、昔からある伝統的な書体には何をどうしたって敵わない。

で、選ばれたのがDidotとBodoni。というか、「モダンローマン体」と呼ばれる種類の書体

これもまた伝統的で世界中から愛されてる書体

佐野氏が「これを元にしました」とか言っちゃうから話がややこしくなるんだろうけども、

DidotやBodoniを元にした書体なんかそりゃもう大量にあるし、

世の中の活字は手書きのものを除いてしまえば漏れなく「元ネタ」がある。

(遡りまくった先にあるのが2000年前にローマに建てられた「トラヤヌス帝の碑文」と呼ばれる石碑に書かれたTrajan)

美術というよりは数学みたいなもので、美しく伝統的な書体を元にしつつ、

その時代や使用目的最適化された書体を「新たに作り上げている」のですね。

で、今回はそれがオリンピックロゴであったと。言うことですね。




蛇足なんだろうけど、好みだけで言えばあのエンブレム別に好きでもなんでもないです。

円を意識して右下に下げたセリフの片割れ、あってもなくても私には円には見えないし。

黒のインパクト強すぎだし。9分割が逆に気持ち悪いような気もするし。

パラリンピックと並べれば、まあアリかなあ、ぐらいの。これから先の展開に期待というかんじです。

私も招致の時の桜のマークは好きでした。あれを使えばいいとは言わないけど。

長々と失礼致しました。

2015-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20150811105512

あれは別に読ませるつもりはないだろ。

五輪パンフレットがぜんぶあの書体印刷されてるとか想像してんのか?

東京オリンピック2020のはロゴだけならダサいパクリ疑惑で済んだけど

オリジナル書体(A〜Z)を見て頭抱えた。

読めねーじゃねーか…

しかも文字として認識できないというのみならず、薄い色が見辛い人もいる事を全然考えてない。これをパラリンピックに使うつもり?何の冗談?まさにクソデザイン

2015-08-05

「似てるだろ」ってコメントしてるブックマーカー見出ししか読まない馬鹿だって自白してんの?

はてなブックマーク - 五輪エンブレム制作者「全く似ていない」 記者会見:朝日新聞デジタル

記事を読めば分かるが、

要素は同じものがあるが、デザインの考え方や背景の色も違い、全く似ていない

要素は似ているがデザインの考え方が全く似ていない、という言葉最後けが抜き出されているんだよ。

まぁ、朝日の要約が下手なのもあるので、もっと詳しい記事を見てみよう。

「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明 (1/4) - ITmedia ニュース

ベルギーリエージュ劇場ロゴは「TとLを主軸に作られていると思う」と佐野さんはみており、Tと円をモチーフにした五輪エンブレムとは考え方が異なる。「要素は同じものがあるが、デザインに対する考え方がまったく違うので、正直全く似ていないと思った」。

 例えば、五輪エンブレムはTの縦棒と横棒が接しているが、劇場ロゴは離れていたり、エンブレム正方形を9分割したグリッドベースに作っているが、劇場ロゴはそうではなかったり、色や書体も違うなど、「デザインの考え方もまったく違うので、出来上がりも自ずと変わってくる」と指摘。

「似てる」って言ってるブックマーカーはここまで突っ込んで観察した上で「似てる」って言ってるのか?

違うだろ?

「ぱっと見でパクリだと思いまーす」ってだけだろ?

素人の澄み切った心だからこそ真実直観できる」なんてこた無いんだから黙って見てろよ。

2015-07-31

東京オリンピックロゴ

パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。

デザイナーロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。

(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)

案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。

それは訴えてる劇場ロゴも同じ考え方。

2文字以上の要素をロゴマーク共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、

大雑把にはプレステトヨタなども同じと言える。

2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するとき

プログラムプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。

問題は両方とも「T L」がモチーフだった事だ。

あのロゴデザインを考えて行くプロセス

書体には大きく分けてセリフサンセリフという種類があるが、

所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。

色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと

パっと見て判る物がいい。

そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。

形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。

どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。

日の丸カーブを「T」の右上のヒゲに重ね合わせて…。

と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。

このプロセスと似たような形をベルギーデザイナーも踏んだはずだ。

中村勇吾が言う「すごく基本的形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。

上記の説明はもの凄く単純化してるけどね。

何故擁護する名だたるデザイナー達はこれを言わないか

言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人ボケを説明するくらい恥ずかしいもの

おまけにそれを同業者に言われたら商売上がったりだ。

から精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。

それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。

こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。

まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。

そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。

(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)

同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。

以上。

※1 正確に言うとゴシック体とは言わないけど便宜上

※2 リスペクトいらないだろ、という意見もあるがリスペクトしたい気持ちは凄くよくわかる。

亀倉先生越えられない壁だ。

2014-10-12

好みが細か過ぎてSNSが辛い

多分向いていないのだろう。

本名アカウントはある程度割り切って使用しているけれど。

iconイラスト書体写真が苦手でフォローできないアカウントがある。

センスが合わずフォローバックできないアカウントがある。

内容自体趣味が被るところがあっても、言葉が好みでなくフォローバックできないアカウントがある。

フォローバックしないことへの心理的負担が大きい。

フォロワー数が少ないくせに選んでいるのかよ、という点からも辛さが増す。

妥協してフォローバックしても、それをよいと選んだ結果とされるなら、

フォローバック100%に徹底したいとも思う。

でもそれをしても、うれしくも楽しくもない。趣味用は楽しみが目的だ。

妥協を全くしないか、全てを受け入れるか、一部妥協しそれを選択した結果と見なされることを受け入れるか、

どれも割り切りが必要だ。それを楽々できる精神が欲しい。

2014-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20141011141439

世の中には、文字の大きさや、書体を変えたり、色を変えること、または、

文章を読み上げてもらえることが、大切な機能になっている人がいるのは、わかる。

自分は、今のところ、それに価値を感じないし、他の人もあまり感じていないと思うし、

売っているほうも、その価値のために、紙の本と同じような値段にしていると、思っていない。

ただ、文字データ、内容に、値段の価値があるとしているように感じる。

でも、

多くの人に、紙の本、の価値が、値段にほとんど含まれていないのかどうかと、思って。

http://anond.hatelabo.jp/20141011140837

紙の本のUI書き込みが出来ない http://anond.hatelabo.jp/20141011134257 っていうのが意味不明から

どっちに言ってんだろうと思ってねえ・・・

電子書籍で文字のサイズ書体が変えられるのはデバイスの種類がいくつもあって

デフォルト状態でユーザー環境レイアウト最適化されてない”ための苦肉の策なんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20141011134257

UIとは、人とモノとの接する、モノの在り方の部分のことだよね。

パソコンスマホアプリの表示や操作のことだけでなくて、

鉛筆のもちやすさ、書きやすさ、鞄のあけやすさ、肩にかけやすさ、みたいな。

紙の本は、書体を変えられないし、好きな紙の本に、別の内容にすることもできない。

けれども、特定の色や、大きさ、感触の紙を重ねて、ある持ち応えの本にしてるそのもの存在

最初に書いたみたいな、何度も複数のページを行き来するような、読み方も、

紙の本のよさに思う。

http://anond.hatelabo.jp/20141011132604

UIっていっても

書き込みもできないし

書体も変えられないし

互換性もないし

2014-04-26

円城塔本の雑誌の連載「書籍化までn光年」で取り上げた本のリスト

http://anond.hatelabo.jp/20140421200127

書籍化まで7光年 (2009年)

  1. アンドルー・クルミー 『ミスター・ミー』    「『ミスター・ミー』とドップラー効果恋愛小説
  2. ポール・オースター 『幻影の書』    「オースター百%の『幻影の書』と本のスカート
  3. ピエールバイヤール 『読んでいない本について堂々と語る方法』    「読んでいない本を語る方法と「特性のない本」」
  4. ジョン・クロウリーエンジンサマー』    「言葉の"ずれ"と物騒な本」
  5. 浅暮三文ぽんこつ喜劇』    「ひよこサクラ実験小説
  6. シュボーンロバーツ 『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』    「迷走と眩惑の理学タイトルの謎」
  7. David Flanagan 『プログラミング言語 Ruby』    「プログラミング言語小説屋」
  8. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「超絶馬鹿技巧小説『麗しのオルタンス』に隠された秘密
  9. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「数と音楽の秩序で作られた希代の小説
  10. ヒュー・ケナー 『機械という名の詩神』    「文学テクノロジー作家関係
  11. チャールズ・ストロス 『アッチェレランド』    「全編ボケ倒しのすごい奴」
  12. 多和田葉子ボルドーの義兄』    「『ボルドーの義兄』謎の276文字を追う」

書籍化まで6光年 (2010年)

  1. パウル・クレー新版 クレー日記』    「小説のような日記日記のような小説
  2. 中野美代子ザナドゥーへの道』    「多幸感に満ちた文字の連なり」
  3. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「『麗しのオルタンス』ジャック・ルーボーに直撃質問!」
  4. ミロラド・パヴィッチ 『帝都最後の恋』    「タロットにしたがって読むパヴィッチの本」
  5. ダンガードナーリスクあなたは騙される』    「現実小説よりハッピーなのだ!」
  6. ティーヴ・トルツ 『ぼくを創るすべての要素のほんの一部 』    「長い小説が書けない理由!?」
  7. 大野克嗣 『非線形世界』    「単純素朴なのになぜか伝わらない本」
  8. ジル・プライスバートデービス 『忘れられない脳』    「ジル・プライス忘却のない人生
  9. クラーク・アシュトン・スミス 『ゾティーク幻妖怪異譚』    「「そういう人」スミスが好き」
  10. スタニスワフ・レム 『泰平ヨンの航星日記』    「レムの欠番を埋めるのは」
  11. エミーリ・ロサーレスまぼろし王都』    「見えないものが見える瞬間」
  12. イヴィッド・レヴィット 『数式に憑かれたインド数学者』    「稀代の数学者架空伝記」

書籍化まで5光年 (2011年)

  1. ブノワ・デュトゥールトゥル 『幼女煙草』    「不穏さに満ち満ちた『幼女煙草』」
  2. スマイル・カダレ 『死者の軍隊将軍』    「不思議な国アルバニア戦争小説
  3. 高橋陽一郎 『変化をとらえる』    「数学教科書いろいろ」
  4. サイモン・シンエツァート・エルンスト代替医療トリック』    「代替医療に挑む議論の書」
  5. 辻原登 『闇の奥』    「辻原登は変である
  6. 柏野牧夫 『音のイリュージョン』    「聴覚だって騙される」
  7. マックス・ブルックスWORLD WAR Z』    「語り伝える書」
  8. ジェラルディン・ブルックスマーチ家の父』    「網目だらけ」
  9. グレゴリー・コクランヘンリー・ハー ペンディング 『一万年進化爆発』    「淡々進化中」
  10. イヴィッド・グラン 『ロスト・シティZ』    「見えない都市
  11. Federico Biancuzzi、Shane Warden 『言語設計者たちが考えること』    「言葉を作る人たち」
  12. A・R・ルリヤ 『偉大な記憶力の物語』    「無限記憶を持つ男」

書籍化まで4光年 (2012年)

  1. V・S・ラマチャンドラン、D・ロジャース=ラマチャンドラン 『知覚は幻』    「美の起源?」
  2. Charles Yu 『How to Live Safely in a Science Fictional Universe』(『SF的な宇宙安全に暮らすっていうこと』)    「ウーのくすぐり芸」
  3. マット・リドレー 『繁栄』    「人類は滅亡しない?」
  4. ウンベルト・エーコ 『バウドリーノ』    「エーコが好きだ!」
  5. Steven Bird、Ewan Klein、Edward Loper 『入門 自然言語処理』    「見えない辞書
  6. エットハミ・ムライ・アメド 『モロッコ食卓』    「信楽焼タジン鍋
  7. ピーター・ペジック 『青の物理学』    「青の見取り図
  8. クリストファーチャブリス、ダニエルシモンズ錯覚科学』    「見えないゴリラ
  9. 大沢文夫 『大沢流 手づくり統計力学』    「百円玉実験不思議
  10. トルケル・フランセーン 『ゲーデル定理――利用と誤用の不完全ガイド』    「ゲーデルさんごめんなさい」
  11. Mark Kac 『Kac 統計的独立性』    「数学者をつくる本」
  12. ロザリー・L・コリー 『パラドクシア・エピデミカ』    「矛盾と逆理の入門書

書籍化まで3光年 (2013年)

  1. レベッカスクルート 『不死細胞ヒーラ』    「ヘンリエッタ細胞
  2. ジョン・パウエル 『響きの科楽』    「宇宙人にあげたい本」
  3. 山田風太郎旅人 国定龍次』    「山田風太郎輪郭
  4. レニー・ソールズベリー、アリー・スジョ 『偽りの来歴』    「世界改竄
  5. Bruce A. Tate 『7つの言語つの世界』    「たくさんの言語
  6. 寺田尚樹 『紙でつくる1/100の世界』    「これは本です」
  7. アンソニー・ドーアメモリー・ウォール』    「非SF作家SF
  8. オリヴァー・サックス 『心の視力』    「サックスおじさんの症状」
  9. ダニエル・アラルコン 『ロスト・シティレディオ』    「読んでも未知の本」
  10. P・Gウッドハウスジーヴスとねこさらい』    「"ゆるさ"のシリーズ
  11. ヴィクトリアブレイスウェイト 『魚は痛みを感じるか』    「魚の痛みの判定基準
  12. イヴィッド・イーグルマン意識は傍観者である』    「傍観者法学

書籍化まで2光年 (2014年)

  1. ブライアンクリスチャン機械より人間らしくなれるか?』    「純正人間の奮闘記」
  2. Clifford A. Pickover 『The Math Book』    「数学的あれこれ250」
  3. トレヴァー・ノートン 『世にも奇妙な人体実験歴史』    「楽しい自己人体実験
  4. フリオリャマサーレス無声映画のシーン』    「幸せ本棚
  5. ジョセフ・オルーク折り紙のすうり』    「折り紙数学
  6. ニール マクレガー 『100のモノが語る世界歴史』    「大英博物館のモノ」
  7. 根上生也四次元が見えるようになる本』    「四次元練習
  8. トーマス・トウェイツ『ゼロからトースター作ってみた』    「トースターを作る男」
  9. ロベルトボラーニョ『2666』    「ボラーニョの奔流」
  10. ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』    「言語世界の見え方」
  11. D・マンフォード、C・シリーズ、D・ライトインドラの真珠』    「空海フラクタル
  12. V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』    「九つの美の法則

書籍化まで1光年 (2015年)

  1. 川添愛『白と黒のとびら』    「数学小説の融合」
  2. リチャード・パワーズ幸福遺伝子』    「純文とSF
  3. ロン・カリージュニア神は死んだ』    「真正突破短編集」
  4. ラウディアハモンド『脳の中の時間旅行』    「素朴に語る時間の話」
  5. Franco Moretti『Distant Reading』    「遠くから見る世界文学
  6. Lev Manovich『Software Takes Command』    「新しい思考の道具」
  7. デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』    「小説ではない小説
  8. シャロンバーチュ マグレイン『異端統計学 ベイズ』    「紛糾する統計学
  9. 内村直之『古都がはぐくむ現代数学 京大理解析研につどう人びと』    「数学という営み」
  10. Stanisław Lem『Summa Technologiae』    「レムの『技術学大全』」
  11. M・G・ヴァッサンジ『ヴィクラム・ラルの狭間世界』    「言葉より速く」
  12. 語り手 姉崎等、聞き書き 片山龍峯『クマにあったらどうするか』    「クマにあったら」

書籍化まで○光年 (2016年)

  1. ピーター・H・ディアマンディス、スティーヴン・コトラー『楽観主義者未来予測』    「未来は本当に暗いのか」
  2. ジェシーケラーマン駄作』    「いない、いない、の本」
  3. キャサリン・ゴヴィエ 『北斎と応為』    「歴史小説の書き方」
  4. 横山悠太『吾輩ハ猫ニナル』    「色んな言葉が混ざる小説
  5. 佐久間保明監修、本庄千代編『しかけ絵本世界』    「四角な本の大革新
  6. エミリー・オスター『お医者さんは教えてくれない 妊娠出産常識ウソホント』    「経済学者出産育児論」
  7. クレイグ・モド『ぼくらの時代』    「オモチャ電子書籍
  8. Noam Nisan、Shimon Schocken『コンピュータシステム理論実装』    「コンピュータをつくる」
  9. マーティンガードナーガードナー数学パズルゲーム』    「人生を変える数学パズル
  10. ピーターメンデルサンド『本を読むときに何が起きているのか』    「「読む」を考えさせる本」
  11. 遠藤侑介『あなたの知らない超絶技巧プログラミング』    「プログラミングロマン
  12. ベン・H・ウィンタース世界の終わりの七日間』    「世界の終わりへ続く日々」

書籍化まで△光年 (2017年)

  1. 奥修『珪藻美術館』    「ぞわぞわ感の境界
  2. マークチャンバーランド『ひとけたの数に魅せられて』    「ひとけたの数を語る本」
  3. ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク『生物はなぜ誕生たか』    「地球が生まれから歴史
  4. ライナー・クニツィアダイスゲーム百科』    「機械が作るゲーム
  5. ウンベルト・エーコプラハ墓地』    「史上最大の偽書の成立秘話
  6. ユーディット・シャランスキー『奇妙な孤島の物語』    「紙に書かれた五〇の島の物語
  7. 高野秀行『謎のアジア納豆』    「納豆とはにかみ」
  8. ロビンダンバー人類進化の謎を解き明かす』    「友達は二百人できません」
  9. アンソニー・ドーア『すべての見えない光』    「ドーア言語兵器
  10. ティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした?』    「変化する音楽生態系
  11. 鈴木真治『巨大数』    「書くことのできない数」
  12. コマヤスカン新幹線のたび 金沢から新函館北斗札幌へ』    「視点がひっくり返る絵本

書籍化まで□光年 (2018年)

  1. まつもとゆきひろまつもとゆきひろ 言語のしくみ』    「言語のつくり方」
  2. 原武史政治思想史』    「物から読み解く政治思想
  3. マリオ・レブレーロ『場所』    「どこまでも続く部屋」
  4. 横山茂雄『神の聖なる天使たち』    「ディーとケリーの奇妙な運命
  5. ルシオ・デ・ソウザ、 岡美穂子『大航海時代日本人奴隷』    「記録に残されなかった者たち」
  6. 倉谷滋『分節幻想 動物のボディプラン起源をめぐる科学思想史』    「「発生」をめぐる学問歴史
  7. イチカワヨウスケ『野菜だし』    「レシピと伝達」
  8. 古賀弘幸『文字と書の消息』    「文字歴史の広がり」
  9. 赤野工作『ザ・ビデオゲームウィズ・ノーネーム』    「2115年のゲームレビュー
  10. 本山尚義『全196ヵ国おうちで作れる世界レシピ』    「世界196ヵ国の家庭料理
  11. フレット・スメイヤーズ『カウンターパンチ 16世紀活字製作現代書体デザイン』    「美しい活字への道」
  12. ジェニファー・ダウドナ、サミュエルスターバーグ『CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術発見』    「遺伝子編集の新技術

2013-10-09

ローザー洋菓子

東京半蔵門に「ローザー洋菓子店」という老舗洋菓子店がある。

レトロ書体かわいい青缶に入ったクッキーシュークリーム、モカロール、プリンくらいしかない、でも変わらない素朴なおいしさがあって、クッキー手土産に、シュークリームOLさんたちのおやつにと、界隈では人気の店だ。

前々から品数少ない上に販売される個数も少ないので、午後イチにはすべて完売ということも多かったが、店主が高齢化し、さら生産数が落ちてしまったと噂に聞いた。それでも半年に1度くらい「ローザーのプチシューが食べたいよねー」などと言って職場で同志を募り、開店時間電話をかけ、予約したりする。その電話対応を含めた接客がめちゃくちゃ悪い女性店員がいる、というのもこの店を語る上では必須なのだけれど、それはまた別の話。

そして10年くらい前から大型バイクが店内に置かれ始めた。どうやら店主の跡を継ぐ息子がバイク好きらしい。

洋菓子店の店内にバイクがあるだけでも眉をひそめる向きが多かったのに、メンテナンス道具やオイルなども店の片隅に置くようになった。・・・ってことは、店のなかでメンテしてるんかい?はっきりいって、店中がオイルくさい。タイヤくさい。ずっと店内にいる人は気がつかないだろうが、かなりくさい。

菓子類はすべてショーケースに入っているのでそれ自体にニオイがつくことはないが、掛け紙、箱、紐、袋、すべて、微かにオイルのにおいが付着している。それが気になって仕方がないが、店側へ指摘したところで変わりはしないだろうから、あきらめている。

老店主がなくなったら、たぶんローザー洋菓子店も消滅するだろう。跡継ぎがどんなに製菓の腕がよくても、バイクを店内に入れることをディスプレイといって喜んでいるようじゃ、早晩客足が離れる。老舗というのはこうしてなくなっていくのかと感慨深い。

というわけで、いまのうちに超絶かわいいクッキー缶を手に入れておくべきだろうかと思案している。

2013-08-19

妹、二度目の就活

ひとつ下の妹がいるんだが、最近リストラされたそうだ。

人事だったため転職は難航しているもよう。しかも既婚なのでますますハードルが高いらしい。つうか業績悪化の人員整理リストラ対象になったのがそもそも既婚になったせい。しかし義弟はアカデミックの夢を追いかけるフリーター研究者になりそこなった感じで家庭に入るという選択肢はない。義弟を扶養家族にしてりゃよかったんだろうになぁ、そしたら切られなかったのに。

新卒就職したときも妹は九月末まで就活をしていた。スーツも夏物のいいやつを買って、写真スタジオでとって、就活セミナーにいって、メイクもわざわざ学校に行って、それでも九月末までかかった。まぁ大学はいとき二浪してたのと09年のリーマンショックの後だったからなんだけどね。ただまぁちょっとあほだけど受け答えはちゃんとしてるし、割と年配のおっさんには気に入られるタイプだし、顔も悪くないのに(生まれたときからかわいいかわいいといわれていた)決まらときは決まらものだと当時は思っていた。

で、転職活動中なのだが、またもや難航している、と母親愚痴っている。

うちの母親はいわゆるモンペで、テストの採点が気に入らないからとねじ込んだり、学芸会とかで特別扱いしろといったりなどする人である。えらい迷惑をこうむったので自分没交渉なのだが、メールけが淡々と来るので近況はわかる。家族自体破綻しているので、姉妹間での連絡はなく、会社リストラされたことも母親からメールが来るまでは知らなかった。

んで、だ。この母親メールがまたクソなわけだ。

曰く、妹が受けに行った会社は聞いたことがない会社でやめとけといった(一部上場企業ではないが一応正社員の職らしかったのでもったいないことをしたと思う)

曰く、五年も働いたのに再就職先(転職だろう)が見つからないなんてどうかしてる、だからあの会社はさっさとやめて転職しろといっていたのに(いつ転職しても09年以降は一般職なら同じだよ)

曰く、妹が切れてて転職の話をぜんぜんしない、聞き出そうとすると怒る(まぁあんたのアドバイスは参考にならんやろと思う)

曰く、妹に家族割から外れたか電話はそんなにできないといわれた、あの子なんてもう家族じゃない!(結婚して姓が変わったんだから書体だと思うが?というか転職活動中に長電話かけてこられても困るだろう)

曰く、専業主婦になればいいのに、子どもだってこれから作るだろうし(だんながフリーターなのにどうやって生活すんだよ)

曰く、男が普通に働けば年収八百万くらいもらえるでしょ?顔だけで選ぶからあんな甲斐性なしの男と結婚する羽目になったんだ、離婚すればいいのに(そりゃ怒るやろ。あと時代錯誤もはなはだしい)

曰く、なんかあせってる(そりゃ難航してるうちに失業保険が切れたら生活できんやんな。ただでなくてもスキルない上に条件悪いのに)

などなどなど。

母親就職したことがない&父親は夜勤のある仕事だったので年収がかなりよく、それで仕事のことはわかってない。

そのうえ産経新聞脳で専業主婦になって子どもを産み育てるのが女の幸せ、夫は大黒柱として一千万くらい稼ぐのが普通、と思っている。

しかモンペときたもんだ。

妹の最初就活ときもうるさく言ったんだろうなーといまさら知った。さすがに面接についていくようなことはしないだろうが、確かに説明会にはついていきそうな人である会社名も有名どころじゃないと…とかは確実に言ってるだろうなぁなんてことを思った。ここらへんとかあるあるである

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1212/10/news043.html

自分はうるさく口を出されそうだったので、1月でさくっとそれほど有名ではないけど堅実で面白そうなことやってるとこにさくっと決めたけど、なまじっかかわいいと甘やかされてきた妹は搦め手から逃れられなかったのか…

妹もアラサーだし、名字も変わったんだし、母の手から全力で逃げればよいと思うんだが、どうなることやら。

2013-08-12

「白頭の血統」ってなにその厨二ワードちょうかっけえ

白頭山大将軍」「白頭光明星」「白頭山陽光

太陽書体」や「革命学院」なんかもさりげに良い

素晴らしきセンス

2013-01-12

流行のおれおれはてな作ってみた

二番煎じでも三番煎じでもいい!自分が使いやすいの作る!ということで作ってみました、「流行のおれおれはてな

他と違う自分仕様なとこ

  • サイト名いらない(記事が見たいのであってサイト名はどうでもいい)
  • 更新日時いらない(今回初めて日付があるの気付いた。ってことは見てないってこと)

今後すること。

作ったのがこれ

http://nonsense-defense.com/hatenafeed/

2011-10-06

Steve Jobsスタンフォード大でのスピーチ

もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。

--

ありがとう

今日世界最高の大学ひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学卒業したことがない。これが大学卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生からつの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。

最初の話は点を結ぶことだ。

私はリードカレッジ最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?

話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。

17年後私はたしか大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これから人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。

ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったか友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。

リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通クラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。

これらの何一つ人生現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初Macintosh設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初コンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体プロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。

もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ運命人生カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。

二つ目の話は愛と喪失についてだ。

私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってから人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。

数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。

当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。

次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初コンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリー制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。

Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。

三つ目の話は死についてだ。

17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。

もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事ものを残してどこかへ行ってしまからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。

1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まり対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。

一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。

これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。

誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。

あなた時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。

私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚人生にもたらした。まだ1960年代パーソナルコンピュータデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラ制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。

スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなた冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。

ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。

本当にありがとう

2010-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20100326122848

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(1)手書き文字に似せた欧文活字の書体

(2)映画・放送の台本

(3)スクリプターによって記録されたデータ

(4)コンピューターに対する一連の命令などを記述したもの。

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