2023-06-11

深刻な誤読に対する指摘。でも良い方向に向いていると思います

anond:20230328175901

ヒルティ誤読について指摘したく思います

引用元の筆者(以後あなた)はカール・ヒルティ敬虔キリスト教徒であることを都合よく忘れてしまっている気がします。

あなたの言う通り、カール・ヒルティの『幸福論』1巻の大半はストア主義哲学ベースにした仕事術のような内容です。

それはおそらく、イエスが人々の聞く力に応じて、何事もたとえを用いずには語られなかったから、

それにならったのでしょう。

*マルコによる福音書4の33-34


また、ストア派の考えとキリスト教思想は一部分似通っていて、

キリスト教の基礎付けとして1巻に配置されていると思います

私もあなたのように1冊目を読んだあと、キリスト教ヒルティ思想をより詳しく知りたくなり2巻3巻と読みました。

彼の著作である『眠られぬ夜のために』や、聖書も含めて日ごとに読んでいます

からこそ、あなたの言われたことには、まったくの勘違いがあると言いたいのです。

「死んだら何らかの形で次の人生が続くと考えた方がいいだろう。もし死んで何もなかったとしても、次の人生がある前提で生きる方が楽しく生きられるから、それでもいいのだ」こんな内容のことを言っていた

俺は、もし死んでも次の人生があるんだからと、適当に好きなように生きてきた



この点についてです。

幸福論』にこのような思想は一切ありません。まったく反対の考えになってしまっています

本来ヒルティ思想は以下の様に読み取るべきと私は思います

「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」

なぜそうなるのか、彼の思想がどう書いてあるのか。

幸福論1-3巻、眠られぬ夜のために、聖書などから抜粋しつつ記します。

キリストイエスが復活したように、

死後に私(達) もまた霊的な復活をし、

自分人格を保持したまま神の国で永続する来世を生きる。

神の国は現世とは違い、完璧に公義と公正の世界である

そして、神の国に入って高い者とされるのは、神に愛されるものである

生前に清かった者、義に篤かった者、憐み深かった者…そのような人達である

から私も、私の愛する神の御前で恥ずかしくない自分になっていたい。

私は現世での朽ちる宝ではなく、永続する神の国での栄光をこそ求める。

現世の国ではなく、神の国国籍を持つことを望む。

から、私は現世においてのあらゆる快楽地位名誉を軽んじ。

親切(愛)と公正を重んじ、勤勉な自己人格を育てよう。

この空しい現世において、そのような決意と実行は難しい…。

しかし、神への信仰があれば可能となる。

神の国を想いかつ行動することで、様々な形で、しかし確かな喜びを感じる。

そうした経験を重ねることが信仰を深くし、やがて神のそば近くにいるという実感に至る。

これが幸福の確かな道である。」

神の国に富を積むとは

あなたも言われている通り、ヒルティ思想キリスト教の教えに根差しています

それなのだから「来世があるから好き勝手に生きよう」となってはいけないのです。

しろ「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」となるのです。*

まり、現世での富はお金ですが、来世の富は神の御心に適う信仰とそれに伴った行いであると説かれているのです。

ヒルティは現世での善く生きることが、来世への貯蓄のようなものだと言っているのだと思います

*マタイによる福音書6の19-21

「来世がある」という思想にすぐ甘えてしま


ヒルティの言う来世は、確かにキリスト教世界観の来世でありますから

たとえ現世において、貧乏や不遇な状況にあった人でも、誠実で親切(愛)と公正を尊び、

神の戒めを守って生きた人は救われる──。そういうものであって、

神を信じず、好き勝手適当に生きた人が救われる来世ではありません。*

*マタイによる福音書25の1-13

あなたヒルティ思想キリスト教的なものであると知りながら、

理解できないキリスト教部分を誤読して自身に都合よく受け取ってしまったのでしょう。

もちろん、キリスト教徒になれ!ヒルティをもう一度信じろ!と言いたいのではありません。

ただ、彼の思想を誤解したままでは、読まれあなた経験無駄になってしまます

それはあまりに勿体ないような気がするのです。

ヤケになるのではなく、ちゃんとこの人生を生きてやろうと思った



とても良いことだと思います応援します。

最後ヒルティの考えをなぞりながら終えます

「これまでを反省して前に進もうとするあなたの心は正しい方向を向いている。

ひとつづつ実現させようと現実的計画し、試みなさい。

その行いが公義や公正に反しないのであれば、それは地上で人に認められたことだからだ。

しかし注意しておかねばならない。

金を得れば、妻を得れば、なにか夢中になれる娯楽を得れば…と。

そうした偶像に救いがあると期待するのは止めておきなさい。

それを得られない事も、あるいは得て、しかし満足と幸福が得られないことは良くあることだ。

地上の一切は煙のようなものから*

いまからでも遅いということはない。

ただあなたの善い生き方をしようと努め、自発的に行う意思のある仕事を見つけて励みなさい。

そして神を信じられないまでも、神はいないと自分に言わず、神を憎まず、

神を思う心があなたの内から無くなってしまわないようにと祈りなさい。」

*伝道者の書1の2-3、9の11

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