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第2次スニーカーブームの人間なのでちょっとジェネレーションギャップあるかも知れないけど手がソワソワして書かずにいられなかった。
増田がどういう意図で書いたのかわからないから、とりあえずスニーカーに詳しくない人向けにオススメすると
お金があるなら、ニューバランスの1000番台買っちゃってもいいと思う。
1300が有名だけど、個人的には1400を推す。まあニューバランスは自分のファッション感覚的に合わないから、そこまで詳しく言及できるものではないんだが
ニューバランスは公式でソールの修理などを行っているから、高いのを買ってずっと履くのに向いているんだ。
修理については下記のスニーカーが対象。まあフラッグシップモデルは手厚くサポートされてるから、マジで生活のための正当な投資としては、ニューバランスが一番いいよ。
https://shop.newbalance.jp/user_data/packages/support/repair_list.pdf
じゃあそんなお金がない人はどうすりゃいいの?って話なんだが
ナイキの安物ランシューを履いてりゃいいよ。スニーカーの魅力は、安い投資でそれなりの性能が得られる部分でもあるんだ。
やっぱタンジュンが一番安いな、3000円台ならこれがいい。アディダスならファルコンランかな、ナイキの方が軽くて汎用性高いらしいけど。
個人的にはアウトレット行って、サイズのあうそれなりのランシューがオススメ。
アウトレットで何を買えばいいのか?だが、プーマならスエード、アディダスなら都市名の名前のやつは最高、VANSはハーフキャブが大好き。ultra cushはマジで最高。
ナイキはなんだろう。。個人的にオレンジの箱以外ならなんでもいいかも。
たまに海外から日本へ商品が入ってきていたりしてるからアウトレットは面白い。
ちょっと前ならair max97のnintendo64カラーがアウトレットで売ってたね。
ちなみによく話題に上がるzoom alphafly next %なんかは勝負靴で、普段使いには向かないし、耐久性はかなり低い。なのでオススメしない。
主語をデカくして言うが、人間なんてNIKEのタンジュン履いて、GUの服着て、iPhoneSE持ってりゃ見かけ上は全員平等なんだ、そこに貧富の差はないんだ。
ファッションの素晴らしいところはそう言うところである。バーバラクルーガーはこれを見てなんて言うだろう。
大体言いたいことは終わり。
増田が「靴が欲しいんじゃなくて、知識が欲しい」とかそう言う感じだったらこっちの方が気に入りそう。
とは言っても、かなり偏見あるからここら辺からボロが出始めると思う。
ナイキは商売がうまい。スニーカーは正直、高くても値段相応ってわけじゃないんだけど、売るのがうまいから高くても売れちゃう。
カルチャーを促進することを重要視している。これはスタバとかもカルチャー意識から自社に還元しようみたいな働きがある感じに
ナイキも顧客に対してそう言う意識を持ってもらおうとしているんじゃないかな。ブランドは「思想」を買って着飾るのだ。
今はSB Dunkが流行っているが、スケートカルチャーとしてのナイキはカスで、カスすぎてスケートブランドのconsolidatedがdrunk hiって靴を出してた。
まあ、そんなナイキだが生まれもasicsのコルセアをパクってコルテッツとして売るっていう不義理なところから始まったブランドなので、カスみたいなことばっかりしてるのは平常運転かも知れない。
アディダスやプーマみたいな靴から生まれた会社じゃなくて、経営学の学生から生まれた会社だからどちらかというと、靴自体よりもその他周辺の物に魅力があると思う。
ナイキはスニーカーを少量生産して、希少性を持たせるというブランディング手法をとっているため、ほぼダメージがない。
みんなにスニーカーを持ち上げさせて、生産数絞って稼ぐって感じ。なので、コルテッツなどの有名スニーカーに関しても、数年単位で生産されてないこともしばしば。
結局この希少性による2次流通で余計に格差が広がるんだけどね。
じゃあ何が一番ダメなのかというと、ブランディングを崩壊させることだからフェイク品を履くことが一番ダメージがでかい。
全員が希少な靴を履けば価値の比較ができなくなって平等になるので。ちなみに偽物を履こうが履かまいが、少量生産なのでナイキの収益に違いはない。転売屋が泣くだけ。(在庫があるなら他社ブランド購入や不買の方が効果的だけど)
国内で偽物を買うとすれば、ラクマが偽物をめちゃくちゃ売ってるから、結局ナイキにお金を払うのか楽天にお金を払うのか、みたいな地獄の2択になってしまう。
偽物と言えば、マフィアにお金が回るとか児童労働が…みたいな話もあるが、ナイキも暴動の発端になるようなヤバい組織だし、児童労働もさせてたし変わらないかも知れない。
インスタで出回ってた工場のシーンでは、途上国の家族営業みたいな感じでフェイクスニーカーを作っているのは見かけたけど、子供はいなかった気がする。
ストリートカルチャーとフェイクは切っても切れない関係で、ダッパー・ダンの話などが見ていて面白いかも知れない。
第二次のスニーカーブームをざっくり語るとこんな感じだと思う。世間とネットの自論だし、メディアの説とは乖離してるかも。
1.スキニーブームで足元が目立つ この辺りでK-POPとかではスニーカーのブームがやや来ていた感じがする。
2.2016年にモアテンがアジア圏で発売される。 この靴は視認性を第一に作られたから、ここから火がついたと思う。
3.ダッドスニーカーが来る。 ここら辺から靴が強調される服装が多くなって来た気がする。
4.StockXが開始。 価格順でトップにDunk SB Low Parisが表示される。
5.リセーラーが中古で安くなったDunk lowを買い占める
なんか、それまでに2013年辺りとかは、「外し」として、きこりファッションと共にニューバランスやサッカニーとか地味目なのが履かれていた記憶があるけど、曖昧だからうまく言えない。個人的に世のアラサーはここら辺のまま地味目な靴を一生履いてるんじゃないかと思ってる。
2011年にも2014年にも2017年にも、何かスニーカーで暴動起きてるけど知らない。リベンジストームとかもう忘れた。オールドスクールが定番になって終わった。
そういえば2.の時点で視認性のあるスニーカーとオタクが相性良すぎて、ハイテクスニーカーのイラストがめっちゃ出たな。
(スプラトゥーンのおかげもあるかもしれないけど。)よふかしのうた とかが一番顕著でわかりやすいかも。
ここら辺でかなり広まったんじゃないかなとも思う。第一次の時はどうだったんだろう?遊戯王や格ゲーはスニーカー出てたよね。
第二次ではノームコアの流行りと共に「わかりやすさ」がより強調されてsupremeのボックスロゴとかが流行ってきて
オタクはとりあえずOFFWHITEだとかsupremeだとかを着てるイメージがある。
あとなんか謎にHUFとripndipを知っている。スケーターでもないのに…ジェルミクラインは知らない。
スニーカーの出る作品としては、ドロヘドロが一番世界観とマッチしてて好き。
これはマジで伝えたい。スニーカー好きがどんな考えなのかは知らないけど、個人的に好きな魅力が1つある。
スニーカーが貧富の差を逆転させて、ファッション史に名を刻んだこと。
ゴプニクだって金持ちに憧れて始まってるadidasジャージのファッションだし。ハイヒールだってそうじゃん。
ファッションショーはなんであんな奇抜な服作るんだ?着られねえよ、動きづらい。
とか思ったんだが、それが”狙い”らしくて、「動く必要もない」という部分に意味を持たせてるらしい。
ルブタンが赤い靴底なのも、絨毯以外で履かないみたいな理由だし。
でも、ラッパーなどが成功してセレブの仲間入りになった結果、ファッション史としては異例の事態が起きた。
あの、動きやすい、スニーカーを、なんならバッシュを。(ヴィトンはAVIAのパクリみたいなやつを作ってた)
貧民層のカルチャー(黒人文化の成功の証がスニーカーだったんだけど)が反映されたのが
個人的に、第一次と比べ、スニーカーの文化は随分オープンになった。
正直なところ、コレクションはあんまり意味をなさなくなった。(とはいえ気がつくと勝手に30足ぐらい溜まってたりするが)
と言うのも、ネットショップが発達していて「お金があればいつでもレアなスニーカーが買える」と言う状態になっている。
昔みたいにカタログを見て、毎日スニーカーショップに通って…なんてことはあまりないんじゃないかな。
唯一スケートショップでスケシューを買うときはある気がするけど。
だから、これ持ってます!ってアピールするやつはスベってて痛い。中身がない。
それこそ、適当に通ぶりたいならスニーカー売買サイトで値段の高い順で買えばいいんじゃないかって思う。
基本的にスニーカーもカードゲームなどと同じく、投資商品成り下がっているので
自分が好きだ!って思うデザインの靴を買ってみるといい。ポリシーを貫ける人の方がかっこいいと思う。
自分の持ってるものを、定価じゃなくて転売価格で語り始めるといよいよ"終わり"になる。
「AJ1だから」「つま先が黒だから」とか謎に正解を求め出す奴が多いけど、好きな物は理由なしにもっと胸張っていいと思う。
個人的に気に入ってるのは、セカストで手に入れたallstar w-punk xx-hiの30cmのやつ。
メンズでallstarのバカ長い靴は手に入らないから、vansのスノーブーツやasicsのボクサーブーツを買いかけた。
高いので言えばsupremeコラボのfoamposite oneやAF1 highの黒。最近のならStrangeLoveのDunkLowとか。
現代っ子って、コピーに対して寛容になっている。反動で現物に価値を見出したりするけど、そう言うのは逆張りでクールと見なされているだけで主流じゃない。
そんな感じのがスニーカーにも来ていて、インスタでちょっとした議論になったけど
フェイクを着るのは悪くないって考えの子が多くなったんじゃないかなと思う。
これに関しては序盤に話した希少性による格差に対するカウンターカルチャーかも知れないけど(カウンターカルチャーで食ってたナイキが食われるのは面白いね)
ラクマでは「dude9系」って言葉で質の悪い靴が売られてるから、見つけ次第通報した方がいい。
Dior x AJ1のフェイクも出るぐらいなんだから、セレブも大変だろうと個人的には思ったのだが
つまり、話題になったOFF WHITEのAJ1であっても数ヶ月経てば無価値とされてしまう(日常的に履いたりはあるかもだけど)
両方に言えることだが、スニーカー自体にそこまで価値はなくて、「セレブには物凄い人脈がある」ということをアピールしている。
回り回って言うと、オタクがモアテンみたいなわかりやすいスニーカーを好んで、絵に潜ませたり、自称スニーカーマニアがつま黒のAJ1 highにこだわるのも
言語として、相手とコミュニケーションを取るためであって、周囲あってこそのスニーカーになっている。
貧富の差があり、悩んだ末の行動がフェイクの着用かも知れないので、真っ向から否定はしないが。。
でも競争ばっかりしてないで、芯をもった上でルールに則った中での楽しみもあって良いと思う。
個人的にオススメするのは、日本限定の伊藤忠版ALL STARを履き潰すこと。
これは安く手に入るし、自分の個性が全面に出るし、他人には絶対に真似されない希少性のある靴ばかりだから、簡単に楽しめる。(履き心地はあんまりだけど)
当然ながら、靴は履く物であって、肩に乗せたり家に飾ったりする物ではない。
(そう言えば佐藤隆太も防水スプレーかけないし、スニーカーをスニーカーとして履いて楽しむタイプだった気がする。)
スニーカーマニアはCT70をやたら高尚な物だとするが、ナイキ傘下のコンバースは日本においてフェイクであり、フェイク批判してる奴がアレを履くのはダブスタじみてて個人的にあまり好きにはなれない。。
結構こういうマイナー叩きみたいなのは割とあって、ABC Mart製スタンスミスはクソだ直営を買え!みたいなのも国内だけでもあるんだけど、実際のところ直営版はシュータンが薄くてスネにぶっ刺さるとかあるから、あんまりライフスタイルを無視してイキる奴の話は当てにしない方がいい。
(abcmart製スタンスミスはシュータンにクッションがあって履きやすい)
ちなみに日本製のALLSTARも今やそんなクッション性に大差ないし、どちらも履けばすぐへたる。
ちなみにABC Martなどにある日本版ALLSTARは、品番すら書いてない物も多くアーカイブがしづらい。
内側がフェルト地のコンバースとか、アッパーが二重になったコンバースなどは今見つけることはできるのだろうか。。
関西に観光する場合は、柿本商店に足を運ぶといいかも知れない。
もっとマイナーで、とにかくスニーカーに関するアーカイブ知識だけを欲するならば
超マイナーモデル、カスタムモデル、PEモデル、チャリティーモデルの収集をおすすめする。
これらは球数が少なすぎて、フェイクすら作れないものも多い。(逆にネットに出回るコンセプト写真だけで再現したフェイクもあるが)
例えば最近ではNike Dunk Low Cactus Jack x PlayStation、製法上フェイクが作られにくいfoamposite one ParaNorman
Nike x MSCHF x INRI Air Max 97 Jesus Sneaker、WWWESH STUDIO™ x HEIGHTENED SENSE TN(c): NIKE® + CONVERSE®
日本人が当選してたUNHeardof × SABOTAGE × NIKE SB DUNK LOWやair32 x Nike Dunk SB Low "Stay Home"
世の中に存在するのか怪しい、triple S x AJ1 offwhite
PEシリーズの入門編としてのオレゴンダックスシリーズ、できるのならばF&Fモデル
アンダーグラウンドに手を染めて、没になってしまったコンセプトモデルの収集なども面白い。
https://anond.hatelabo.jp/20210124182909
https://anond.hatelabo.jp/20210125165404
https://anond.hatelabo.jp/20210127120151
https://anond.hatelabo.jp/20210128145233
小4の席替えの日。担任に頼んで、初恋の人と隣同士にしてもらった。
そうなる少し前、おそらくは英語の話で盛り上がって、その流れで席替えの話になった。
そうしたら
もちろん弾けるわけない。
もちろん弾けるわけない。
しかし、もう全国の小学校では、小4で弾ける人物が、すでに複数人いた。あきらかに田舎の小学生にはハードルが高かった。
あきらめずに、なんとかショパンのワルツやスケルツォ、ノクターン、プレリュードまでは小学校6年までにたどり着けたが、結局ソナタやエチュードまではたどり着けなかった。
たどり着いたばかりのころ。
新人ワレリー・ゲルギエフが読響を振って、ソ連最強作曲家ティホン・フレンニコフを極上の演奏で紹介したのである。
その日に収録された録音はFMで流れた。よく覚えている。
ピアノのキーシンはちょっと幼さがあったが、何とか全曲たどり着いた。
オンエアでは録音でフレンニコフの自作の協奏曲の音源もかかっていて、「この人はピアノも弾けて作曲もできるのか」と深く感動した。
なんとかして、ソ連に行ってみたいと思った。これがなければ、手元にフェインベルクやアレクサンドロフ、スロニムスキー、ティシチェンコの楽譜なんかないはずである。
そのオンエアから1年以内に、全音からスクリアビンのソナタ集の上巻が出版されたので買った。すぐ譜読みしたのを覚えている。
ソナタの1番はオクターブの早すぎる移動が中学生では間に合わず、ソナタの2番から読み始めたはずである。
スクリアビンの話のつづきはその6で。
ピアノのリサイタルもオーケストラも何も行われなくとも、なぜ音楽をやれたのか。思い出せる限りで、気になったことを書いてみる。
かつての小学校は、月末土曜だけ集団下校を行っていた時期があった。その下校する児童が、しゃべり声とともに自分の家の前を通っていく。もちろん私のピアノの音はその児童に届いていただろう。
小学校まで、道があまりにも単純すぎたため、クラスメートの声が、前方100m以上前にいる私に筒抜け。女子の声なのに、きれいに聞こえる。
目の前の文房具屋には、必ず自転車が3台くらい止まっていて、チェーンの音が必ず聞こえた。
神社にいる猫に、煮干しをあげると、鳴かずに食べてきたが足音は聞こえた。
考えられないような薬屋の沈黙。
下級生のやってた「アトランチスの謎」のBGMがドアから聞こえていた。
空き地を走り回る同級生持ちの電動RCカー・グラスホッパーの音(もちろんラジコンは買ってくれなかった)。
台風は周期的にやってきたが、窓ガラスが割れるのではないかと思われるほどの強いのが一回来た。
AM受信時の妨害電波はうるさかった。しかし、SWには妨害電波が入らなかった。
この手の桜の木は、私の故郷とは違ったところにもう一つあり、そこも全く同じ音が聞こえた。
そうだ。一番気になっていたのはこの音だ。
アパートの大家が、気に入って樹木を植えようという話になり、私の小学1年のころには、すでにものすごい高さになっていた。
何が楽しくてこんなものを植えたのが不思議だったが、必ず風が吹くとその樹木の葉は揺れ、かなり大きく音を立てる。
私はこの音とともに10年以上を過ごしていることになる。
世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月のベストです!今年中に年間ベスト、来年の1月中に2020年12月のベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!
Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham
Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズを再現しようとした絶妙な違和感があるのですが(あくまで個人的な感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間。即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。
Andrew Ashsongのソウルフルな歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。
Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis
Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバム。レゲトンやラテン・ポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケ、ダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。
Girls FM / Girls of the Internet
今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム。基本的に歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙な塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。
Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルなトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手にオーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。
Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains
ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEP。ハウスにラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ちに狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。
The Angel You Don't Know / Amaarae
ガーナ出身のシンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバム。Alté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います。
Ekundayo / Liam Bailey
El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。
January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty
元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボのライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興のセッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまいます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。
Speak Low II / Lucia Cadotsch
スイス出身のシンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレス、ドラムレスのトリオ編成によるアルバム。楽曲によってはチェロとハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。
Imminent / The Comet Is Coming
爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!
近況
これはすべてしゃべる必要があると思っている。私は作曲やピアノの道に入った経緯を人に話していない。話しても理解してくれないから。
私の父親は暇さえあればパチンコを打っており、当時2歳の私を腹のあたりに抱えて、パチンコを打っていた。今では考えられないが、すべての客がタバコを吸っていた。煙の揺らめきとともに、パチンコ玉が転がり落ちてゆく。大して勝っていなかったように思う。
帰宅したら、どうやら私は機嫌を損ねたらしい。仕方がないので、テレビをつけることになった。
偶然ペリーヌ物語のオープニングだった。
ミュゼットの懐かしい音質、おそらくフロリンド・サッソーネ楽団からの引用であろうヴァイブラフォンのオクターブ、オズバルド・フレセド楽団経由のドラムスと、タンゴを知ってる者なら次々と出てくる金属的な音。
もちろんこれらの音楽的な意味も分からず、私は世界名作劇場の枠を見せろと、親にせがんだらしい。
ペリーヌ物語、赤毛のアン、トムソーヤの冒険、南の島のフローネはすべてリアルタイムで見ているはずである。そこから先は見ていない。
こうして小学校に入る前に、近代和声のほぼすべてを掌握してしまったので、ピアノのレッスンは苦痛だった。当時のアニメのオープニングも職業作曲家が本当にフルスコアを書いていた。振り返れば、贅沢な時代を過ごしたものだ。
それだけでは音楽家になれるわけがないだろう。問題はこの先だった。
当時デパートの屋上はゲームセンターと相場が決まっており、どこの地方都市でも一緒だったはずである。私の故郷もこれで、ここに連れて行けとせがんだ思い出が残っている。
そしたら、100円玉を与えてくれて、真っ先に遊んだのがPole Position IIだった。コンピュータが正確無比に音符を奏でることが、小学校低学年の私にはショックだった。
とにかく、生楽器ではない音源の音が、当時の私には美しく聞こえたのだろう。この「生楽器ではないのに綺麗な音」というものを、ゲームで遊んだ3年後に現実に見ることになった。
「…それでは平部やよいさんのアルトサックスとGS-1とオーケストラのためのSong of Nostalgiaを…」
この作品の演奏のために、わざわざグランドピアノをしまい、GS-1を出したのである。GS-1といってもほぼ通じないので説明するが、ヤマハが出したデジタルピアノの機種である。まだクラビノーバという単語がなかった。
このデジタルピアノの音はいまだに忘れられない。かなり高価だったのか、私の出身地でこれを購入した人は少なかったように思っている。
音がどうして、こんなに綺麗に鳴るのか、という問いが私の中で目覚めたのだろう。そこからの勉強は早かった。
もう現代音楽のピアノピースなら、小学5年で買っていた。ハーモニクスを覚えたのは石井眞木の「彼方へ」だったはずである。
微分音を最初に聞いたのは中学2年だった。イワン・ヴィシネグラツキーの「互いに12Hzずれて調律された2台のピアノのための24の前奏曲」がFMでたまたまかかったのである。厳密にはヴィシネグラツキーの微分音は計器で測ったものとは違うのだが、そんなことが中学生に分かるはずもなかった。
「現代音楽 1945年以降の前衛」も高校時代に本屋で立ち読みして、「この程度か」とさっさと読了した思い出もあった(この本の原著第3版は学部生でも読むのが大変なので注意)。
数学のように厳密性を重視しなくとも曲は書けるので、現代音楽の先読みは可能だと思う。ただし、児童に強要してはならない。それは意味を持たない。
NHK第二のラジオの語学番組を聴いたり、NHK第二のカルチャーラジオを聴いたり、身近なことから始めてみてはいかがでしょうか。私はピアノのレッスンに片道5時間を強いられた格差社会の犠牲者でした。私を批判した人間がぱかーんと国際メジャーの予備切りになってしまった今、悩むことはありません。
1塁にも立てないような人は、両親が辞書すら持ってないという家があります。辞書はそんなに高価でしょうか?辞書すらないという家は、おそらく、風俗やパチンコやソシャゲに浪費している家が多数だと思われます。両親の浪費は、あまりマスコミが精査しない傾向があります。
大体、中学校や小学校に子供が通っている家で、「英英辞典」を所持している世帯は少ないと思われます。それが日本人の知能の限界なのです。
ラジオの聴き方
1.家の外にアンテナを立てましょう。アンテナはずいぶん安いのがあります。
3.もしも、お金があれば、AIWAの短波ラジオなどどうでしょうか。これは強制ではありません。語学ができると人間社会の幅が広がります。
amazarashiの令和二年って曲を聞いた。
通勤時にFMラジオを流してるんだけど、最近2回ほど立て続けに聴くことがあって気になったのがきっかけだ。
一番最後の
先は見えない 「けど大丈夫」
僕に嘘をつかせた令和二年
のところが一番グッときた。
こんなに嘘をついた一年はなかった。
長期連休に帰省ができなくなっても、楽しみにしていたライブが中止になっても、「しょうがない」って言わなきゃいけなかった。みんな我慢してるんだから。誰も悪く無いから。
GOTOトラベルが始まっておおやけに旅行ができるようになっても、それでも旅行に行くのはあまり良くないこととされた。そういう雰囲気があった。
私は常にマスクをするし、定期的に手指消毒もするし、人混みは避けるように気をつけているし、だから感染リスクは低かろうと判断して恋人と二人で旅行に行ったけれども、なんだかずっと後ろめたかった。
なんで?政府が認めているのに?感染リスクを下げる科学的根拠のある行動をしているのに?みんな我慢しているのに、抜け駆けで楽しむのは卑怯だから?
私にはよく分からなかった。だけど職場の同期は、ずっと可愛がっていた幼い姪っ子に会うのを諦めたらしい。そんなだから私が「今度○○に行くつもりで」というような話をするとあまりいい反応は返されないような気がしたので、旅行なんてしてません、休みの日には家で壁のシミを数えてます、みたいな顔をした。
SNSにもそうだ。
素晴らしい景色、美味しそうなごはん、色々な美しいものを投稿できなくなった。許されるのは「おうちで○○をして楽しんでます」「自粛期間の楽しみ方を考えてみました!」。まあそりゃそうだよな、Twitterなんて何かあるとすぐ炎上するもんな。私だって非難されるのはいやだ。
だから嘘をついた。隠しごとをした。
そもそも人は必ず死ぬわけで、その死の原因をみずから招いてしまうこともあるわけで、もちろん他人の死の原因になってしまうこともあるわけで。今更「大切な人を守るために今は我慢しましょう」とか、よく考えたらチャンチャラおかしいよな。死にたくないなら生きなきゃいいのに。
だけどもちろんそんなことは言わない。
転職が決まって、来月に退職をすることになった。同期が寂しがってくれたので、最後にみんなでご飯でも行こうと約束をしていたけれど、会社からの通達で4人以上の飲み会、食事会が制限されたためオンラインで集まった。
一通りおしゃべりをして、そろそろお開きにしようかというところで、今年特に会えなかった友人に「今度二人ででもご飯行こうね」と言ったけれど、反応は微妙だった。二人ででもダメなのかあ。基準がよく分からない。それとも、好きだったのは私の方だけだったのかな。
さようなら。もう会うこともないでしょう。
代わりに私は嘘をつく。
「落ち着いたらまた会いましょう」
audeeっていうラジオの放送チャンネル?よくわかんないけどそういうの今知ったんだけど
ググったら
インターネット用に特化した配信専用の「オンデマンドオーディオコンテンツ」を中心に、TOKYO FMおよびJFNCが制作する人気番組のスピンオフオーディオコンテンツ、広告主のブランド向上とエンターテインメントを兼ね備えた「ブランデッドオーディオコンテンツ」がお聴きいただける他、
っていうよくわかんないけどFMラジオ番組を転用してんのかな?よくわかんないけど今さっき知って聞いてるんだけど
すでにいっぱい番組があって、それもちゃんとテレビで名前を聞くような人がやってるラジオ番組が並んでて
今まで全然知らんかったけどこういうとこでもちゃんと経済活動してんだなってびっくりした
こういうの知らん人は一生気付かないわけだし、テレビ世代の、情報が向こうからやってくるのに慣れた世代の人たちにどうやって気づいてもらえるようになるのか、その辺どうやってみんな頑張ってるんだろう
北海道のイオンもない街から、都心の国公立大学を単願し、能力を認められ浪人せず就職する。これを最近のピアノのアカデミアを嘆く私に当てはめてみる。私の場合は、どこかの地方都市で本屋はおろか図書館も予備校もない街から、伝統的で保守的な教育を受けるためにNHKの語学番組を聴くことをなぜか急に思い立ち、3年で結果を出す。これに近い。
3年でもっとも素晴らしい結果を出したのはみんなもよく知っている横山幸雄さんだが、2020年代の日本で3年で結果を出すなんてことがあるのだろうか?国がいくら官費で留学させたって、出てくるのはリーズ国際、エリザベート国際、ヴィオッティ国際、チャイコフスキー国際の予選落ちばかりなり。落ちてしまっては元も子もないので、ヴァイオリン業界はあきらめてマイナー国際を受験させることに舵を切ったみたいである。あまりにも失敗例が多すぎたのか、東京人であろうが田舎者であろうが地方人であろうが、「もう3年じゃなくていいもんっ!」と恥も外聞もなく、音楽家の親はお金をつぎ込むようになった。
国公立を単願する人間からすると信じられないだろうが、今の日本の音楽業界は3年で結果など出さなくてもよいので、何年でも留学してよい社会になった。これは日本に限ったことではなく、第3課程を複数回やってるのもいる。どこの現場もものすごい競争率である。この競争率で、3年で結果を出すことは絶望的で、平均は7年のように感じている。12年かけることも珍しくない。
圧倒的な重課金で中学受験をするのが東京のデフォルトなのに、どうして3年で結果を出せる人物が少なくなってしまったのだろうか?それは、もう東京に教養層がいなくなってしまっているというのが真相ではないだろうか?中高一貫で1年分を受験に充てるというのは、冷静に考えれば「ズル」である。それなら、ズルをして敵を倒せばよいのだから、敵の人権は知ったこっちゃない、こんなところだろう。
こうやって、利己的な感覚だけが生き残り、他人への慈悲が磨り減る。こんな都市国家を抱える社会で国際的な作曲家やピアニストなんて出るのだろうか?どこの国際コンクールも、目立って優秀なのは決まって後進諸国ではないかという事態に遭遇することが多くなった。そういう人は、典型的に師匠から教えられた勉強ではなく、自分で独自に発案したレパートリーを持っているピアニストもいた。後進諸国の作曲技術が見劣りするなんてのも20年前の話で、今となっては一番先鋭的な言語を身に着けているではないか。このような努力の塊のタイ、インドネシア、トルコ、タジキスタン、チリ、カザフスタンなどの精鋭の作曲家の出す音は強烈で、日本人はこんなのに勝てるはずがないと思った。勉強量は日中韓の比ではないだろう。彼らはQS世界大学ランキング22位の東大なんてことはない。在籍校はせいぜい、ランキング数百位程度であった。にもかかわらず、彼らは東大生より倍以上優れている。
さて、この「3年で結果出せ」というノルマ。常識的に考えれば、これはほぼだれもが不可能ではなかったか?アメリカ合衆国の大学院の数学科だって修博5年一貫制である。また、アメリカ合衆国は文系か理系かを本当に決めるのは22歳からでよい。アメリカ合衆国のほうが包容力がある。それに加えて、日本は16歳で文系か理系かを強制的に決定させられる。中高一貫は体系数学を使用しているのでノーダメージだが、そうではない普通の公立高校では、そんな教科書は使えない。したがって、地方や田舎では16歳で「お前は文系」などと説教をされるのである。
私は数学の点が悪くはなかったので理系組に進学することができたのだが、今思い返せば、「3年で結果出せ」「16歳で文系か理系」といった昭和の時代の日本人の知性は、そんなに強靭なものだったのだろうか?私は違っていると思う。国際標準は「大学院進学後5年で結果出す」「文系か理系かは22歳まで待つべき」なのだから、それに日本が合わせなければならないのではないか?こういった公教育の欠陥は、やはり音楽家の音に出るようで、日中韓勢の出す音は、作曲だろうがピアノだろうがヴァイオリンだろうがことごとく消極的なものが多い、いや多すぎる。この音質や書法の貧しさは、教育にあるのではないだろうか。
重課金で上げ底になることを東京人はもうやめることができない。このままだと、課金して学歴は買えても教養は買えませんでした、ということになるだろう。中国の教科書に「日本の興亡」として掲載されるかもしれない。NHK-FMでもかつてはミカエル・ジャレルやイワン・ヴィシネグラツキーを放送できる余裕が31年前にあったのだが、今は全く取り合ってもらえないようである。ジャレルの弟子の何人かが日本人であるにもかかわらず、ジャレルの作品が今日のNHK-FMはおろかどこの日本のFMでも一曲もかからないのは皮肉な話である。
私は学歴ではなく、教養を取ったのかもしれない。3年で結果を出すことはもう無理なので、私は他人に甘く、第2課程から第3課程の4年あるいは修博一貫の5年でよいと思っている。
南雲道夫氏の時代は「2年で結果出せ」でした。4-5年で結果を出せなくなっているコンテスタントは、ドーピングをしないとメダルが取れない陸上選手とそっくりですね。