はてなキーワード: 力皇とは
朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明智光秀の実在性は疑いないであろうが、本能寺の変の3年後に生存して馬に乗っていた(「麒麟がくる」)とは認めがたい。
当人が埋葬から3日目に復活してしばらくして昇天しただとか伝道の最中でさまざまな奇跡を起こしただとかは史実として認めがたいにせよ、2000年ほど前にガリラヤ周辺でイエスを名乗り、標準的ユダヤ教教義からは異端とみなされるであろう布教活動を行い、当時のローマ帝国ユダヤ属州総督ポンティオ・ピラトにより刑死させられた人物の実在性は確かである。
推古朝の政治にどれだけ主体的に関与した(十七条憲法や冠位十二階を制定した「聖徳太子」なる政治家がいた)かには疑問を挟む余地があるにせよ、用明天皇の嫡男であり斑鳩の地に一定の勢力を有し、それゆえに嫡男山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされることになった有力皇族厩戸王の実在性についても疑問を持つ者はほぼいない。
欽明天皇の3代前である継体天皇以降の天皇の人物としての実在性はほぼ確実といってよく、例えば天武天皇と持統天皇が叔姪婚をしていることはほぼ疑う余地はない。
小室圭氏叩きがまた活発化してる。帰国を前後にメディア露出が増えたことで「批判したい気持ち」が再燃してるんだろうけど、そういう叩きを個別に見ていくと、以前と違って、もう批判できる要素が外見だの態度だのの(評価者のバイアスや先入観次第でどうとでも転ぶような)要素と、「返す」と言ってる金を相手が受け取らない状態で膠着したままの「母親の借金問題」ぐらいしかなくなってるんだなと思う。
以前の小室氏叩きの根っこには、「この男は、皇室を利用しようとして眞子さまに近づいている」という勘繰りがあった。「皇室に入ることを狙ってる」とか「結婚一時金が目当てだ」とか、とにかく色々あった。数年経った今、どうやら他ならぬ眞子氏自身が、結婚を機に皇族ではないただの一般市民になろうと強く希望し、極力皇室の恩恵やしがらみや好奇の目が及ばない遠い地で2人で暮らそうとしていて、小室氏はその生活設計を支えられる職に就くために3年間活動していた、という経緯が徐々に見えてきた。
「皇室を利用しようとしてる」わけじゃなかったなら、その点を批判してた人達はもっと落ち着いてもいいはずだけど、自分が見てる限りだと、そういう連中の多くは今ますます憤っている。「自分に関わりのない他人が、自分に関わりのない他人と結婚して、両方がただの民間人になる」ということに逆上してる。それは結局、「皇室には価値がある(べきだ)」という自分たちの価値観を、皇室から離脱して「ただの人」になりたがっている2人の生き方自体に否定されるからなのかなあ、と思った。