はてなキーワード: あまつさえとは
なんかTwitter見てたらおすすめ欄に出てきて、色々追ってたらモヤモヤしてきたので吐き出し口というかなんというか。
とある絵師が描いた女の子のイラストを投稿し、絵師本人としてはギャルとして描いたものだそう。
それを「ギャル見たことないの?」と引用RTしたツイートが、自分のおすすめ欄に出てきたのが元。
リプとかいっぱいついてたのでつい見てみたら、「絵に何言ってんだ」っていう引用RT主を批判するムーブだったり、逆に「オタクってギャルの理解浅すぎ」と絵師やオタクを批判するムーブだったりが見えた。
「ギャル」で検索かけるとなんか明らかに当人置き去りで周りだけが対立してる感じがあって、『ど、どっちもめんどくせー・・・』となった。
めんどくせーとなるものの、なんでどっちもこんな必死に怒ってんだか分かんなくて不思議だったので考えてみることにした。
で、考え始めるとどうにも言えないもどかしさが湧いてきて整理がてら増田にきた。こんなもん自分のTwitterでやろうものなら、絶対へんなの来るのが想像に易いので匿名で。
なにがもどかしかったりモヤモヤしたかって、この件ってお互いに怒ってるポイント違うだろうに怒りの根本じゃなくて「イラストのギャル」について延々言い合ってるからなんかすれ違ってる感があるというか不毛な言い争い感が凄まじいというか。
ただ、この「怒ってるポイント」って血気盛んなツイートやリプをしている人の内容をサーッと見て、勝手に思っただけのものだから実際の思考や意図とは違うかもしれない。もしくはわざわざ考えなくても見りゃわかるだろ、って思ってもそっとしておいてください。
で、本題なんですけど。
その絵師さんが好きな方とかそのイラストが好きな方とかが怒ってるのはたぶん、『(ギャルを描いたと言う人に対して)ギャル見たことないの?』という「ネガティブな言葉をわざわざ引用RTという作者本人に見える形で向けたこと」、つまり作者本人への攻撃とも捉えることができる行為に対してじゃないかって。
作者にネガティブなコメントついたらそりゃ勿論ファンはいい気しないのはよくわかる。色んな感じ方があるからネガティブなことを思う人が居ること自体はしょうがない、でもそれをわざわざ本人に言うか!?言わなくていいじゃん、個人のツイートで言えば良いじゃん!なんで本人を傷つけに行くの!?それに言うにしても言い方ってもんがあるだろ!って思う。
だから、温度のない言い方に対してそれ見た作者のひとが傷つくだろうから謝ってあげて欲しい・ないしは発言を撤回して欲しいという感情が先走って、『お前の発言は間違っている』という落としどころに導くために、「絵に何言ってんの」とか「お前のギャル観は間違ってる」とか「作者の人は間違ってない」という方向性に進んで行くんだろうなぁという見解。
自分はオタクなので推しに置き換えて考えた時にそういうことがあったらやっぱりいい気はしないので、自分としての思考はこっちに寄ってしまうけど過剰にファンが騒ぎ立てるのは逆に本人に迷惑かけるので触れないことがそもそも上策だと思う。
そして、その絵師への擁護への反論やギャルに関して諸々の指摘される方は、「リアルと、そのイラストの『ギャル』の違い」を声高に仰る方が多かった印象。
『ギャル』っていう実在する一種のスタイルというかジャンルに対して愛着がある人から見たら、『オタクに優しいギャル』という『オタクが考えたギャル』という概念は、その愛着があるものを勝手に違う型にはめられたような、侵食されるような、違うもので上塗りされるような嫌悪感があるが故の住み分けをして欲しさという解釈。
何かに置き換えてその感情を想像できないかと思うけどいい例が思いつかない。その俳優の人となりが好きなのに、一度演じた役柄の話しかしてこなくてあまつさえその役柄と違うことを素の俳優がやったら文句言ってきたり、素の俳優が嫌いでその役柄に当て嵌めさせようとするばかりか、「(想像上の何か)の○○さん」という概念を作り上げようとする俳優ファンに出会うようなもんなのかもしれない。いやそれめっちゃ嫌だな・・・。勝手な個人の感想だけど「全部愛せよ」ってなる。
もちろんフィクションはフィクションであって、「オタクに優しいギャル」というリアルとは切り離した創作上の概念ではあるけど、「ギャル」ってリアルにも存在する呼称を使うから、リアルと違えば違う程、またしっかりとしたイメージを抱いているほど嫌悪感出るのも分かる気がする。そういうリアルと創作を切り分けて楽しむっていうのかなんというか、誰にも言われずとも「そういうもの」って古のオタクは閉じたコンテンツの中での暗黙のルールとしてやってきた印象はあるけど、昨今の増えていく注意書きや地雷配慮などを見ていると今はそういう時代というか、開かれたSNSってそういうことなんだろうなぁと思ったりもする。
たぶん同じ理由で「オタクに優しい『ヤンキー』」とかでも同じようなこと起こるかもしれない。もしくは起きてるのかもしれない。
そういう観点で見たら「オタクに優しい『ギャル』」じゃなくて「オタクに優しい(自分の見解の)つえーヤツ」とか「オタクに優しい(自分が思う)ヒエラルキー上位層のヤツ」とかなんかもうちょっとふわっとしてたらこうはなってないんだろうな・・・。自分はヒエラルキー下位の人間だったので、創作の中でぐらい夢みたい気持ちは十分にある。
あとは普通にオタクが嫌いだから『イラスト』などのコンテンツに拒否反応がある人もいるだろうけど。それはどうにもできない。嫌いとか嫌だと思うのもそれは人間の感情なので、思うこと自体を否定することは出来ない。
でもだからと言って、好きでも嫌いでも何を言ってもいい訳ではないので・・・。
そんで、「リアルのギャルのこと分かってない」って指摘から「リアルのギャルっつーんならこれもギャルだろ!」って極端な例を持って来て反論して、そんで作者の性別やらセンスがどうこうみたいな話になっていって、なんでどっちもこんな不毛な話をいつまでも冷静にならずに熱心にするのか分からん。熱くなりすぎてどんどん話が訳わからんことになってるし、明確な絵師叩きまでいったらなんか違くないかって思う。
・・・というところまで考えて、ままならんというか、どっちもめんどくせーってなった。絵師本人も自分が見た引用RTの元の人も、既に終わらせた話として話題にすらしねぇのにいつまでやってんだ。
自分の周りにギャルはいなかったので、リアルのギャルは知りません。
でもテレビのインタビューやバラエティとか見たのは、メイクばしばしでまつ毛くるくるで、髪色は明るい茶色とか金髪っぽい髪色してて、ネイルも長くて装飾がすごい感じでとりあえず派手で盛ってて、服装も身体を隠さない(露出狂という意味でなく)ちょっと露出ある服着てて自分に自信があって、という感じの女子だったのでそんなイメージです。
だからそのイメージで言うなら、絵師さんのイラストの女の子は自分のギャルイメージとは少し違うんですけどべつにそれがどうかするわけじゃないので、絵綺麗だな、というふわっとした感想しかなかったのですごい盛り上がってる人たちがいて慄いてしまった。
わたしは啓蒙がキライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。
フェミニズムの運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を
フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。
ススンダ方はオクレタ方に正義を押し付け、あまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。
フェミニズム先進国ー後進国の関係は、たとえば「アメリカの正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義と
変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズムの
出発点だったはずだ。
おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。
法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
◯児相でなく生保に繋ごうとしているのは、この少女が18歳以上だからだろう。
もしくはすぐに使える児相の施設が近くにないか(緊急時に使えるシェルターがあるとは限らない。半年〜一年待ちとかザラ)、どちらかだろう。
◯児相案件にたびたび関わった身としては、収入を得て家を出るなりといった自立を促すのはともかく、「親と縁を切って」などという表現を直接被支援者に向けるのにはどうにも違和感がある。
しかも対面ではなくLINEでそんな強い言葉を使うのも配慮がない。この人は支援の現場にあまりいたことがない人なのではないか。
◯ここからが最大の疑問だが、この当人が共産党議員であるという前提に立った場合、LINEにしても、被支援者と共産党議員が直接繋がる意味あるかね?
そんな「面通し」、支援を必要としている人に本当に必要だろうか?Colaboのスタッフが対応すればいいんじゃないの?
当選経験があるような実力のある共産党議員と面会することは、そこである種被支援者の「選別」に繋がりかねないという懸念が、この周囲にはなかったのだろうか。
この人の経歴を見る限り、福祉畑を歩いてきた訳ではなさそうだ(むしろ安倍元首相の顔写真が打面に貼られたドラムを叩いていた、共産党の中でも極端な活動に従事していたのが記憶に新しい)。
◯共産党がバックアップすること自体はいいが、「勧誘」の有無に関係なく、被支援者を直接特定政党の議員に繋ぎ、あまつさえ面通しまでする、被支援者への無配慮さが見えるタレコミだった。
WindowsかMacintoshかみたいな対立軸を作る人間、そしてそういう煽動者に踊らされてしまう人間、どちらにもげんなりしてしまう。
念のため言っておくが、これはWindowsかMacintoshかみたいな話だけの話ではない。
WindowsもMacintoshもどちらかしか使えないというものではない。必要に応じてどちらかかどちらもを使えばいいだけの話だ。
それなのに、誰に何が必要とされているのかという前提をまるで無視して、どんなケースであったとしてもどちらかを選ばなければならないかのような雰囲気を出し、あまつさえWindows/Macintoshは使えないなどと言った言説を撒き散らす、そういう振る舞いは悪としか言いようがないと思う。
そして多くの場合、そうした振る舞いをする人間の目的はただ他人を煽ることでしかないのがまた虚無である。そこに価値のある議論など生まれようがない。
加えて、Windows派であってもMacintosh派であっても、そうした煽動者の存在に気づかないのか何なのか言い合いに参加してしまうケースは多い。これもまた虚無である。
そうした虚無が蔓延る増田で何を言っているのかと思うかも知れない。
その通りだ。そうした無駄な二項対立を敢えて楽しむか何かをしている増田たちにこの文章が届くわけがない。
では何のためにこの文章を書いているのかという話だが、それは実はとても単純な話である。
新しいキーボードを買ったのでタイピングをしたいがそのための適切な文章のネタがなかった、というだけの話である。
もっと長文で最もらしいことを書いてみたかったが、私の知能というか根気というか、そんなものによるとこのくらいが限界だった。
銀行系や保健系のお客様だとExcelでくれよと言われる場合もあるし、マークダウンその他便利なツールを浸透させるには教育コストが重たいこともあるだろう。
マークダウン記法もわかんねえアホがいるのが現実なのでこればっかりは仕方ねえ。それはもういい。よくねえけど、本当に良くねえけど、妥協する。
だがマジでどうでもいい体裁を整えるためだけに工数をかけるのを今すぐやめろ。というかIT業界をやめろ。
業界それなりに長くて燃えてる現場もそこそこ見たけど燃えてる理由の何割かはこれだ。
現在の仕様書と過去の仕様書の比較を出すのに関数を使うのはいいが、なぜそれを新旧の仕様書をコピペすれば済むように工夫しないで意味わからん方法でバラバラにしながら切り貼りしている?
見た目のためだけに1項目に2行使うな、マクロとかコピペの時に不便だろ。せめてセル改行にしろ(それも許したくないが)
この項目はこのフォント、あの項目はこのフォントと丁寧に分けることが大切か? あまつさえ文字サイズに拘るとか正気か?
過度にオートシェイプに頼るなバカが、コピペや検索しにくくて不便だろうが。
Excelが自動で変えてしまうフォントまでわざわざ訂正しなおせって正気か? そりゃ周りからコピーして特殊貼り付けで解決するがn回やってりゃバカにならねえ手間だぞ。
体裁に拘るあまりドキュメンテーションの工数を増やすから結局メンテナンスされねーんだろうが。
小学校の先生やママは丁寧な書類を褒めてくれるかもしれねーけど綺麗で丁寧にするために10000倍時間かけてたら意味ねえんだわ。
あまつさえその狂気を他者に強要するのはやめろ。チーム全体の生産性が終わってる。
それでいて体裁を綺麗に綺麗に綺麗に綺麗に、神経質な狂気を持って本質的に必要な情報を手早くまとめることを忘れたアホが評価されがちなんだよな。マジで早く辞めさせろ。
ExcelなんてExcel側の気分でフォント変えたり大きさ変えたり文言変えたりする超絶不便で不完全なツールなんだよ。設計書にするにはな。
それを自覚してたらまずは作業を楽にしようって方に頭を働かせねえのか? なんで見た目ばっか拘るかね、内容がわかんないからか?
すると毎回、それまでテレビでも見ていた同居人が、ひとの足音で急にやることを思い出したみたいにキッチンでわたわたと始める。
当然こっちは待たされる。
ということが、本当に毎日のように繰り返される。
完全に、動物の反射行動のようにこちらのタイミングに「合わせて」動いている。
考えてみると、同居人の好きなチープなドラマなんかでは、「時計のように正確に行動するキャラクターを時計がわりにする」なんてジョークが、お約束とはいかないまでも、たびたび「しゃれた人間関係」みたいな感じで描写される。
そういうのの影響を無意識のうちに受けているように感じる。
しかし、これは実際にこういう形でやられてみるとじわじわと辛い。
「交差点から交差点につくたびに、ちょうど赤になるタイミングに設定された信号機」「乗車ギリギリのタイミングで通れなくなる踏切」みたいな、何とも言えない不快感がある。
機械がやることならまだ融通が利かないのも受け入れられるが、人間ならもう少し気づいてくれと思う。
なお悪いことに、本人に直截それと伝えても、まったくこの辛さを理解してくれない。
あまつさえ、「自分は自分のタイミングで動いてるだけ」と主張する。
それまでぼうっとテレビを見ていたのが、ひとの足音で急にばたばたと動き出しておいて、自分のタイミングもないもんだ。
こういうことを何日も何年も続けると、許容量を越えていっしょにいられなくなるんだろうなあと思う。
ちょっと言葉は違うが、「マイクロアグレッション」とか言われる奴の気持ちが少しわかる気がする。
俺が悪い
俺はいい加減な奴なんだ
そしていやなことからすぐ逃げる
鍋の吹きこぼれも書類の紛失も備品の枯渇も故障も破損も、まあ俺が原因だ
これくらい別にかまわないだろうと思ってるんだ
毎回そうなんだ
騒ぎになる、俺は知らんふりをする
バレるときもあるが、大概はうやむや、あまつさえ他の人の責任になったりする
家庭でも職場でもずっとそんな感じだ
俺は普段から柔和で愛されキャラなものだから、薄々感づいていても強くは出られないのかもしれない
でもそれは許されているということとはまるで違う
悪気はない。罪悪感もない。でも俺は絶対悪い
すべてのやらかしから逃げてきた。そしてこれからも逃げるだろう
そのA、B、Cたちのことも、試験問題のことも、俺は何も知らない
でも、だいたいいつもと同じように、この件に関しても、俺が悪い