はてなキーワード: カリカチュアライズとは
わたしは啓蒙がキライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。
フェミニズムの運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を
フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。
ススンダ方はオクレタ方に正義を押し付け、あまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。
フェミニズム先進国ー後進国の関係は、たとえば「アメリカの正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義と
変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズムの
出発点だったはずだ。
おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。
法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。
わたしは啓蒙がキライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。
フェミニズムの運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を
フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。
ススンダ方はオクレタ方に正義を押し付け、あまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。
フェミニズム先進国ー後進国の関係は、たとえば「アメリカの正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義と
変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズムの
出発点だったはずだ。
おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。
法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。
やっぱ只者じゃないわ上野千鶴子は
高市早苗を自民党総裁に推す動きがあるようだが正気だろうかと思う。高市にはナチスシンパと取られる言動の過去があり国際社会に対する国家の顔とするにはヤバすぎる。
2014年にはネオナチ政治結社との記念撮影写真が問題視されて海外でも報道された。
https://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe
更に1994年には『HITLER ヒトラー選挙戦略』小粥義雄著という本への推薦文を寄せていてこれも火種となる可能性がある。(記事中に推薦文画像)
https://buzzap.jp/news/20140910-takaichi-hitler-book/
因みにこの本の著者は自民党東京都支部連合事務局広報部長である。
でも高市がなんでこんな軽挙妄動をしたのかは説明が要る。これは彼女のキャリア形成に大きく関わっている。
まず、1990年代前半には安定と思われていた戦後民主主義への疑義、反発を表す論壇でのブームがあった。それで国法学や地政学、カール・シュミットやナチスに関わった人物を再評価する流れがあった。例えば福田和也の『奇妙な廃墟―1945』はフランスのナチス詩人達を再評価して同国の極右文芸を論ずるものだが、書かれたのはフランス革命200周年の1989年である。
この福田が論壇文壇に上がって来たのは『HITLER ヒトラー選挙戦略』の前~前前年ぐらい。民主主義(仏革命)への異議がナチス再評価へ至るディレッタンティズムな流れだ。鬼畜系などのサブカルクソ野郎はこの底辺である。
高市は松下政経塾に入塾し保守的政治家への指向を最初から持っていたのだが卒業後はコングレッショナル・フェロー制度により米民主党のパトリシア・シュローダー議員の下で働いた。同議員は女性の権利を強く志向する議員でありその後の高市の立場とは相容れない。
政治家になる前に松下政経塾入塾、米国でコングレッショナル・フェローというのは売りになる立派な経歴であるが、高市は後者の経歴、特に師事した議員の事をずっと表に出さなかった。数年前にコングレッショナル・フェローの経歴虚偽疑惑が噂された原因の一端はこの為だ。
シュローダー議員への師事を終えた高市は帰国してCNNデイウォッチなどのTVキャスター等を勤めた。Wikipediaの高市早苗の項では1990年がTVキャスター初登板のように書かれているが間違いである。
CNNデイウォッチでの政治的立場はリベラルだが、仏革命200周年のフランスの祭典のニュースでは反仏革命の思想を紹介するなど保守的な立場を窺わせている。
ところで自民党の票田には神道周辺の右派が居り、老人や学校の先生など一般社会からやや外れた人らを構成員としていた。神社の寄合を核とした緩い繋がりで、その社会的妥当性をやや欠く集団を自民党が票田としつつ、自民党の現実主義が暴走を防ぐという構図である。例えば遺族会の会長には右翼的な政治家を当てないという知恵が自民党にはあった。
90年代の自民党は旧態依然の族議員が幅を利かす男社会であって女性議員が活躍する筋は無かった。高市は三バンのうちTVキャスターで看板はあるが世襲ではない為地盤はない。その為無所属で当選した高市も最初はリベラルを標榜して自由党に入った。
地盤が無い議員が地盤を持つにはどうしたらいいか?族議員の様な支持基盤を持つには?特に居場所がない女性議員であれば?
その答えが神道系固定票へのアピールであったのだ。教育勅諭には良いことも書いてあるとかユルい事を言っていればいい。現実政治との擦り合わせなんて立場は出さずに思想的に理解を示すのが支持に繋がる。
『HITLER ヒトラー選挙戦略』の出版もそれへの推薦文も自由党時代の事だ。これはつまりナチス再評価のサブカル&ディレッタントなブームへの迎合と高市のその後の支持層への秋風だったのである。
高市はこうしてリベラル議員への師事の隠避と宗教右翼層へのアピールにより自民党で女性議員が活躍する道を拓いてきた。総務族と言っても良いキャリアも出来た。
しかし問題なのは高市の開拓した道以外に女性が自民党でやっていく道筋が無い事だ。小泉時代には経済自由主義での道が見えたかに見えたがその後無くなり高市路線だけが残った。
これが安倍チルドレンなどの新人女性議員が差別発言をわざわざするという原因になっている。女性議員はそれまでの人生的蓄積やキャリアをアピールせずアンビバレントで複雑な大人の人格を出さず、イデオロギー的純粋さを見せること。これのカリカチュアライズされた子供アニメの悪役みたいなバカが杉田水脈であるのは言うまでもない。
そもそも現在の自民党は世襲がきつすぎてキャリアのある人が登用される可能性がほぼない。それで高市コースだけキャリアパスが確立されていればそこを歩むしかないのは必定である。
今の就職活動では同じ色のスーツを着るのが常識になっているが、嘗ては特に女性は色付きのスーツを着る自由があった。
それで白いスーツを着ていき、面接で「あなたの色に染まります」と言うキモイやり方があったのだが、高市の拓いたパスはまさに白いスーツの女性議員の量産と言える。その原初は高市の米民主党議員に師事したキャリア隠避だ。
以上が高市が『HITLER ヒトラー選挙戦略』への推薦文を寄せるという軽挙妄動の原因とそれで拓いたキャリアパスである。
こんな過去があって、更に数年前にネオナチとの写真が流布されてサミットとかに出るのは無理なんではないか?
高市の総務省キャリアは放送行政に寄っている。だとすると女性版ゲッベルズとか書かれるのが目に見えている。自民党への不信に対抗するのに女性、と考えたのだろうが安直だし、それはそもそも支持基盤の保守論壇(嘗ての宗教右翼系)の視野を外から見てないから気が付かないのだろうと言う外無い。
差別者は死ね殺せと罵った上で、相手方を「差別者」と罵ることがいかなることかお分かりですな?
むろん私はリベラルではありませんから、思想に基づき死すべき人間を選別するようなことはしませんが、あなた方は違う。靴の先がちょこっと違うだけで笑って人を数億人殺してきた、そういう前科前歴がある。ならばこの発言はもはや新たな被差別階級を生まんとするヘイトに他なりません。
https://togetter.com/li/1627335
https://twitter.com/yukiho_dx/status/1367444386540179460
https://togetter.com/li/1676666
なお、参院は通称が認められているのは基本のき。それすら知らんような馬鹿か、すっとぼけて個人攻撃するような奴に矯正の目はありません。
https://president.jp/articles/-/32830?page=4
https://b.hatena.ne.jp/entry/4697777430609336898/comment/driving_hikkey
おなかいっぱいです。無論、お示ししたからにはこいつらの首、一つ残さず刈り取ってご持参いただけますな。その上でお話し合いをいたしましょう
こいつらみんな国外退去できねぇかな
という直球ヘイトを見たことがあることもお伝えしておきます。見失ったのはこちらの手際ですので特にお探しいただかなくとも結構。発見し次第、こちらに追記いたしましょう。
zmk
https://www.bbc.com/japanese/55728997
見出しを見て暗い気持ちになったが本文を読んでなんというか納得した。
ブラジル人の従業員が「笑顔を描いた」というのはウソだと思う。吊り目を書いたんだ。アジア人だから。
南米人はマジで、吊り目ジェスチャーも、アジア人と見るやチンクチンクと呼びかけるのも差別だと思ってない。日本人が、カタコトの日本語や、付け鼻の白人をカリカチュアライズして悪びれないのと一緒で、ひたすら無知で無邪気なだけなんだ。
だから移民した南米人が吊り目ジェスチャーで問題を起こすのはすーーーーげーーーーあるあるなんだよね
フットボーラーとかも平気でやってあとで怒られたりしてる。
他のアジア人、特にそういう目に会ったことがない日本人はどう思うか知らないが、自分は吊り目ジェスチャーは嫌だ。目の前でやられたこともあるけど背筋が冷たくなる。攻撃されてると感じるからなのか知らないけど。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201005091600
この増田のブコメで見かけたゲイ蔑視・ゲイ差別的な言説が本当に酷いと思ったので書く。
問題としているのは「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」といった発言だ。女性らしきアカウントによるこうした趣旨の発言を複数確認した。スターを集めている物もある(という事は、誰かが押したという事だ)
こうした発言の何が問題なのか、という事を(全て網羅出来る訳ではないが)私に分かる範囲で書いておく。
なお、私は当事者ではないので「許す」事は出来ないが、今からでも撤回と謝罪はして良いと思う。そして、自らの偏見について反省できる女性は居ると信じている。
まず第一に問題なのは、女性がセックスしたいと思わない非モテ男性も、ゲイなら受け入れてくれる、という誤った前提だ。
当たり前だが同性愛者の中でも「モテ」は存在する。「ゲイは男性なら何でもいいんだろ」というのは女性だけなく男性も抱えがちな偏見だが、ゲイにも当然好みがある。
当事者ではないので詳しい事情は知らないが、ジャニ系やガテン系など、好かれやすい男性のタイプがあり、タイプの選別は厳しい人も居るらしい。
非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが、そんな残飯でもゲイなら食うだろう、というのはゲイへの蔑視に他ならない。
問題の発言をした女性は、何故「セックス出来ないのが辛いなら女性をナンパすれば」ではなく「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」と言ったのだろうか?
まず、私は女性へのナンパは加害行為だと考えている。そして相手がゲイでも同様だと思っている。
相手を性的に見ている事、性行為をしたいという意思表明は、相手を傷つけ得る。女性に対しては恐らく多くの女性が同意するこの事は、どうしてゲイが相手なら看過されるのだろうか?
「掘る」という言葉はこういう文脈で使わないほうがいい、それは肛門に男性器を挿入する際の暴力性を強調する表現だ。
その背徳性を興奮につなげる目的ならまだしも、この文脈では、あなたは「ゲイとのセックス」に「暴力を受ける出来事」としての意味を期待している事に成る。
部外者がゲイ同士またはゲイとノンケのセックスを暴力だと決めつけるのは酷い偏見だ。愛のあるセックス、癒されるセックス、救われるようなセックスもある、それを「掘る」と表現するのか?という話だ。
それから当然ながら、ゲイとのセックスの場合、自分が挿入側に回る事もある事は付記しておく。
そして挿入される側に回る事には抵抗があるノンケ男性も、挿入する側なら抵抗は少ない場合はあると私は思っている。
どうも見ていると、「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを挙げている人も居るらしい。
単純に失礼だろう。何故あなたの例え話の為に拒まれ嫌がられる前提の当て馬としてゲイを登場させることが正当だと思えるのだ。
最初の問題点と重なる部分もあるが、重要な部分なので改めて書いておく。
ゲイはあなた達女性がいらない男性を都合よく受け入れてくれる便利屋ではない。ゲイはあなた達女性がいらないゴミを入れるためのゴミ箱ではない。
こうした話題でゲイを登場させたいと思った時、そのゲイを女性と入れ替えて考えてみて欲しい。
「非モテでも受け入れてくれる女性とセックスしろよ」とあなたは言うだろうか?その女性の意志はどうなる?それは「女をあてがえ」論と似てはいないか?
「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを上げているなら、例えば「死ぬほど不細工な女性とセックスしてろよ」とも言い換えられるはずだが、その言い様はあまりにその女性に失礼ではないだろうか?
なら、どうして女性には失礼なことが、ゲイ相手なら失礼ではないと思えるのだろうか?
「セックスできないのが辛いのか、女性に片っ端から土下座して頼めよ」というのは女性に対する迷惑行為の扇動に他ならない、それがゲイ相手なら許容されるとどうして思うのだろう?
あなたはゲイを、女性とおなじく意思も好みも拒否権もあり、暴力的でないセックスもあり得る、ナンパを迷惑とも感じ得る人間だと認めるべきだ。
あなたはゲイを人間扱いしていない、「非モテ男性」に思い知らせるためにカリカチュアライズされた道具としてしか見ていない、それは失礼だ。
自らの中にある偏見と向き合う事は確かに難しく、辛い事だが、それが重要な事である事は分かっている筈だ。
もう一度言う、今からでも遅くないとは当事者ではないので言えないが、撤回と謝罪はするべきだと思う。
「非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが」の部分に引っ掛かっている人が居る様なので書いておくと、この部分は私自身が非モテ男性当事者なので、自虐と「女性が選ばない男性をゲイが選ぶと思い込むおかしさ」を強調する意味で書いた。
尤も、この増田の趣旨はあくまでゲイ差別であり、非モテ男性としての自分の意見をここで披歴するつもりは無い、そんな事をすれば主旨がブレるし、ゲイ差別の糾弾を非モテ男性蔑視への反撃の道具にするつもりはないからだ。あくまでこれはゲイ差別単体の問題である
自分の周囲にはリベラルな人が多く、自分もまたそうである。周囲からもリベラル側の価値観を持った人間と認識されている(恐らく)
当然、フェミニズムには共感的であり、現在の日本にある数々の女性差別に憤りを覚えている。
ただ、時々、きつくなる事が有る。
ツイッターでフェミニストの女性をフォローしている。知り合いも居るし、有名なフェミニストだからと言う理由でフォローしている人も居る。
TLには「時々」くらいの頻度で女性差別に関する話題や、発言が現れる。
それを見て自分は憤り、早く世の中から女性差別が無くなって欲しいと思う。本心からそう思う。
ただ、時々、きつくなる。
そこではいずれも男性が責められている。特定の個人に絞られている事もあれば、性差別的な男性や犯罪者に絞られている事、特定の性癖の持ち主や愛好者に絞られている事、または男性全体が責められている事が有る。
段々と、参ってくる。「参ってくる」と表現すれば良いのか、良く分からない、嫌な気分になる、脳が重く茶色くなる、だろうか?分からない。
理由もはっきりとは分からない。男性全体なら兎も角、ロリコンや(自分はロリコンではない)、痴漢が糾弾されているのに、そうでない自分がストレスを感じる理由は無い筈だ、
そう頭で分かっていても、その発言に男性嫌悪を感じ取ってしまう、被害妄想だ、(いや、しかし男性嫌悪を抱える女性は実際に存在するだろうし(それが正当な事もあろう)そこで男性嫌悪の感情を表に出すために痴漢を使う事も絶対に有り得ないとは言えないのでは無いか?)などと勘繰ってしまう、それ自体救い様の無い妄想なのか、1%くらいは合っているのかも、良く分からない。
そんな懊悩は全く見せない様にして、さも「私こそ完璧なリベラルでござい」って顔で、リベラルな男性を演じている。
オタクでありながらリベラルである、というのがどういうモノであるか、イメージを出来る人がどの位の割合なのか、いまいち実感は無いが、兎も角居る。
表では、フェミニズムによる表現への批判を分かったような顔で読み、同意を示したりする。そこには本心の同意もある。
女性を蔑視する様な表現は勿論公に出す事は許されない、ゾーニングするべきだ。女性を性的に消費するコンテンツは・・・・・
考えれば考えるほど、いや、そうじゃない、考えない様にすればするほど、分からなくなる。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
どうせ表には出せない、出せたとしても、何かしら上手く回避した説明や言い訳が返って来るだけだろう、そこで公正で偏りの無い答えが返って来るという信頼を自分は持てない。しかし、何故そんなにも自分はいつの間に色んな者に対する信頼を失くしてしまったのだろう・・・・。
宇崎ちゃん、キズナアイ、ラブライブ、彼方のアストラ・・・・他に何が有ったっけ?思い出せない、随分忘れっぽくなってしまった。
それらが次々に叩かれて、それに納得したり、納得できないのを考えない様にしたり、そうして納得したふりで遣り過ごして、を繰り返して。
疲れてしまった。
時々、TLにフォローしてる人がいいねしたツイートが流れて来る。
フェミニズムへの疑義や、控えめに矛盾を指摘したツイートを、あの人がいいねしている。あんなに普段リベラルっぽい人が、男性が、
とても苛烈な男性フェミニストをフォローしている。彼には私の様な迷いは全く見えない。妙ないいねも見たことは無い。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
多分、そんな事は無いのだろう、でも、そんな想像をしてしまう。
女性と話す事もあまり無い、仕事で話す機会もあるが、兎に角下心と思われない様に細心の注意を払う。リスクだからではない、私の様な男が女性に好意を持っている等と誤解されて、「キモい」と思われるのが怖いからだ。
私は女性が怖い。
「キモい」と思われる事が怖い、しかし、顔も、行動も、客観的に見れば「キモい」と思われても仕方が無い。
リベラルである事で得をする事は無い。当たり前だ、得をするためじゃなく、正しいと思うから、そうしている。
フェミニストっぽい発言をする時も、もちろんそうだ、それで得をする事は無い、ただ差別は有ってはならないという当たり前の信念の下に、発言をしている。
ただ、時々、分からなくなる、彼女らは俺より不幸なんだろうか?
地獄の様だった学生時代の苦しみが何も清算されぬまま、今自分は成人ヘテロ男性であり、つまり強者で、加害者で、抑圧者で、悪である。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
ずっと罪悪感が有る。
石の様に残っているのではなく、スライムの様に、日々追加され、合体していく、TLを流れるツイートを見る度。
そう言う罪悪感を男性に持っていて欲しい女性と、そうでない女性が居る。両方居る。
片方の女性は「そんな罪悪感を持つ必要は無い」と言うだろう、でも、もう片方の罪悪感を望む女性には言及しない。ずっと、女性は見ている。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
私はこれからも、リベラルを続ける、フェミニストを続ける。疑いも懊悩も表に出さない様にして、
既に若干病んでいる気もするが、離れるつもりは無い、そもそも正しいと思っているから続けている、正しいと思う物から離れる事は出来ない。
疑いを表に出して、例えば周囲の人に解決を委託する、という事もしない。
正直に言って、それが出来る程頭の良い人は居ないか、頭が良い故にそれが出来ない人しか居ないと思っている。
こんな長い駄文を読んでくれる人が居るかは分からないが、居たとして、
出来れば、この駄文を単純化したり、カリカチュアライズしないで欲しい。そういう風に書いた。できるだけ取り留めも無く、よって、感想もうまく考えられ無いような。
今回の件では、ラノベを批判する側も決して一枚岩でなく、いくつかのグループがありました。
そのうちのあるグループがこう主張していました、
「エロい表紙だからダメ」でも「差別的な意図があるからダメ」でもなく、
「私たちに『差別的な意図がある』と思わせたからダメなのだ」と。
なかなか理解できずにいたところ、ふと思いついたのが、
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな黒人を描くのは差別」という論理でした。
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな巨乳女性を描くのは差別」。
なるほど、対応しているように見える。
いったい何が問題なのでしょうか?
なぜ「意図的でなくとも」なのか。
それは、差別的なステレオタイプを「無自覚に」支持していることがありうるからです。
そこからは作者の「意図」が差別的かどうか、という問題となり、
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
葵・喜美というキャラクターの格好には、もちろん作者の「意図」がありますが、
その「意図」を評価するには、作品内容に踏み込まねばならないでしょう。
「被害者が差別的に感じればすべて差別」という論法が使われることもあるらしいですが、
これは「差別かどうか」を機械的に分別しうる分かりやすい基準が欲されているだけだと思います。
当然ながら、「そこに意図はあるのか」「その作者の意図は差別的か」といった判断に思考放棄は許されず、
男性への媚びや隷属、あるいは羞恥といったイメージを抱く人がいます。
一方で、オタクには「エロい女は強キャラだ」というステレオタイプがあります。
あられもない格好をして興奮しているようなキャラクターが弱いはずがない。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
主人公も含め、多くのキャラクターが頭の上がらない存在でもあります。
たとえば「ハーレム」というと男性優位をイメージするでしょうか?
多くのハーレムラブコメにおいて、男性主人公は情の深さと優柔不断を併せ持ち、
その性格がためにむしろ周囲のヒロインたちに奉仕する構図になりがちです。
(もちろん英雄好色を地で行く奔放なキャラも一つの類型として存在しますが)
言うまでもなく「いずれのステレオタイプが正しいか」と主張したいわけではありません。
ステレオタイプというものは意外に食い違っているものだということです。
「女性の頬が紅潮しているのは男性への媚びである」が「黒人の唇は厚い」などと
同程度に共有されたステレオタイプであるのかは議論の余地があるでしょう。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
(ちなみに境ホラⅤ下の表紙は男性です)
しかし、たとえばセリーナ・ウィリアムズをカリカチュアライズして炎上した風刺画とは違い、
オタクにとってあのイラストは、あくまで葵・喜美というキャラクターの「真像」です。
これは、あのイラストを広く遍く「女性」のカリカチュアとして捉える人々との深刻な齟齬となります。
特に、葵・喜美はキャラクターとして「ごく一般的な女性」として設定されているわけでもありません。
シリーズに深く親しむファンほど、「女性」全体のイメージと結びつけるような見方に反発するでしょう。
「付き合っている人が結婚していて……」なんてフィクションに限る特殊な事例だと思っていたのだけど、年を経るに連れて具体例を目の当たりにして「ああ、あれは現実のカリカチュアライズだったのだな」と思い至った。
それまでの偏見では「大人と付き合っている自分」「恵まれない恋をしている自分」みたいな境遇に酔っているだけだと思ってもいたのだが、これも違って、みんなカジュアルに好きになった人がたまたま結婚していた、みたいにアッケラカンとしているのだ。彼女らに話を聞くと、魅力的な異性はみんな結婚してしまっているのだという。う〜む。
どうやら魅力的な人はせっせと恋愛を重ね、30前には結婚してしまう。それで魅力的なので独身女性、男性からモテて不倫してしまうという構造になっているのだ。
そういえば、婚活を頑張っている男女に話を聞くと「こんな酷い男(女)がいた」という愚痴が大噴出する。そのエピソードを聞くと、誇張している部分もあるだろうが、婚活パーティにはかなりの「残念な人」が混じっているようである。
身も蓋もない真実だが、現在の未婚率の高さ、交際率の低さというのは、世の中の大半が魅力のない男女であり、魅力的な男女だけが恋愛を楽しんでいるのだ。その少ないパイを奪い合っているのが現代社会なのである。
そして、どうやら私は「魅力のない男性」に分類されるタイプのようで、もう4年も彼女がいないし、最後にセックスしたのも1年前だ。加齢によって魅力はどんどん目減りしていくので一生独身も視野に入ってきた。しかし、周りを見てみても、魅力的な女性はみんな結婚してしまっている。一昔前は結婚して子どもも産んでいるとなったら、恋愛対象外のおばさんといった感じだったが、今は子どもがいる方が可愛いし、化粧もファッションもしっかりしているし、抱きたさ満点だ。この状況、すごくつらいんですが、皆さんはどうか。