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はてなキーワード: 考える力とは

2016-12-10

魔女狩りを続けると言動が幼くなる

1 少しでも自分たちに都合の悪い発言があると叩くような方向にコミュニティが変化する

2 叩かれるのを恐れて他の人が発言して問題なかった発言だけを皆がオウムのように繰り返すようになる

3 最終的に昔誰かがいった言葉しか喋らなくなり定型文だらけになる

4 会話において新しい要素を考えることがなくなるため少しずつ言葉考える力が鈍る

5 最終的に定型文以外の発言まで内容が空っぽになる

6 余りのレベルの低さに呆れてまともな会話能力が残っている人はそこから居なくなる

恐ろしい恐ろしい

2016-12-04

ADHDだと発覚し、ストラテラを飲み始めた

23歳、学生、女。

周りの友人は医歯薬生を除けば社会人院生で、学部生をやっているのは自分だけ。

20歳の頃、当時通っていた低偏差値大学文系)や、やりたい学問があったのに受験を頑張ることが出来なかった自分に嫌気がさして退学し、

資格を取るために理系大学受験しなおした。

今考えるとそれもADHD衝動性によるものだったんだと思う。

「辞めたからには資格が取れるところを」と生半可な気持ち受験してうっかり合格したが、とにかく不器用実験や実習が上手くいかず班員に迷惑をかける。

やるべきことがあるのは分かってるのにスケジュール管理がうまくいかない。意志が弱い。

元々文系なため分からない部分が多いのに、それを放置して課題が提出できず単位を落とした授業もある。

同い年のみんなは働いているのに、この体たらくは何なんだろう。年下の同級生の方がずっとずっときちんとしている。

もしかして発達障害なのかとは薄々感じていても検査を受けることに対して家族理解を得られなかったり、

通っていたメンタルクリニック主治医からは「ここでは見ることが出来ないから紹介する」と言われた先の医院が「小麦粉を断てばそういうのは全て治る!」が信条のところだったり、

検査を受けるまでのハードルが高かった。

検査を受けた

9月学校近くのメンタルクリニックでウェクスラー検査を受けられることが分かり、家族に無断で受けた。

そして先週結果をもらった。

全検IQ:100, 言語IQ:111, 動作IQ:86, 言語理解:116, 知覚統合:79, 作動記憶:96, 処理速度:100

ADHDに多いと言われる作動記憶の著しい低さがないことに驚いたが、言語IQ動作IQ有意差が見られるというのは予想通りだった。


心理士からコメントには、

聴覚情報記憶したり頭の中で操作する力は概ね年齢相応域にあるが、問題を一度で覚えきれないことがしばしばみられた」

「単調な情報記憶操作はやや苦手なようである

「注意力や集中力を保ちづらい可能性がある」

「断片的な情報統合して考える力は非常に苦手なため、手順を明確に指示されないような作業や未経験の場面では振る舞い方が分からず戸惑ってしまうように思われる」

と書いてあった。実験実習が辛いのはこれが原因なのかと腑に落ちた。


ストラテラが処方されたが、普通40mgが出されるところでまずは体を慣らすために10mgのものを朝晩2回飲むことになった。

飲み始めて今日で3日目。副作用の不眠は飲み始めてすぐに感じたが、期待する効果が出るまでの時間はかかる薬だと言われていたため、

いい影響を実感するのはまだ先だろうと思っていた。

薬の効果が分かった

最近派遣販売員電話受付のバイトをほぼ週1のペース、休日の朝に始めた。

販売員は当日の朝に「これから家を出ます」「お店につきました」という電話事務所にかける。

私は販売員の氏名、販売するメーカー店舗確認するのだが今までは一度で聞き取れなかったり、

『ヤマダハナコさんがAメーカー商品をBという店で売る』という情報メモに書こうとすると「ヤマダハコ」になって、

「あっ、ハナコって分かってるのに!どうしよう、ナ、ナってどんな字だったっけ?あれ?メーカーってAって言ってたよね、Cじゃないよね?えっちょっと待ってもう一回確認しなきゃ!」

というように頭に手のスピードが追い付かず内心パニックに陥ってしまうことが多かった。

今日副作用で2時間半程度しか眠れていないためいつもより辛いかも…と覚悟を決めて出勤したが、不思議なことに一度で沢山の情報が頭に入ってくる。

文字を書くのに頭がいっぱいいっぱいにならない。

また、先週までは知らず知らずのうちに大声で対応していてふと自分の声のボリュームに気が付くということを繰り返していたのだが、今日は終始普通ボリュームで話すことが出来た。

世界が違う

なにこれ、今までと全然違うじゃん。

定型発達の人は世界がこんな風に見えていたんだと思うと同時に、薬がないとき自分がどれだけグズだったのかが改めてわかった。

もちろん薬で全てが改善するなんて思ってない。自分特性理解してミスを減らすための工夫は常に必要だ。

でも、「どうして自分だけできないことが多いんだろう…」とか悩んでいる人は「検査の予約が中々取れなくて面倒だな、受けなくていいかな」

なんて思う前にまず予約してみるといいと思う。

人によって薬が合う合わないはあるけれど、私の場合効果が分かったし、これから毎日が少しだけ楽しくなりそうな気がする。

ちなみに家に帰ってから事務所に箱ティッシュを忘れてきたことに気付いたので、やっぱり過信は良くないです。

<追記>

少なくとも、前の大学を辞める前に辞めたときメリットデメリットをもうちょっと考えることができたと思います

大事選択に対してですら熟考することができないのはやはり異常ですから

知力の低さと真面目さ

http://anond.hatelabo.jp/20161203200232

一般的な正しさにもゆらぎがあるんだけど、増田にとっての正しさは、自分が幼少時代から積み重ねてきた価値観コレクションしかないと思う。

そういうものに苦しまされている同じような人に向けてのエールだと思うが、

増田自身自分の正しさに対する見方の狭さと、自己肯定感が低いがゆえに正しさに自分価値を求めてしまっている視点の狭さ、

想像力の弱さについて言及していないので、別の依存先を見つけてしまうのではないか危惧

一番使えない兵士は真面目な無能とあるように、考える力が弱い人の真面目さってのは時には暴力にも害にもなり得るので、

増田が今後すべきことは想像力の強化と正しさについて考えることだと思う。

多分増田の抱えた問題は未だに解決していないだろう。

 

2016-11-26

根っから逆張り野郎なので

掛け算も足し算も順序はある派。

x+dxをdx+xとか書かれたらキレる。

掛け算も、小学校ルールと逆順に書くときは、「掛ける数は演算子」だと認識するようにしている。

「3.9+5.1=9.0」は減点対象 小学校算数の“奇習”が議論に

これも「9.0は減点」に賛成派。「有効数字ガー」とか言ってるバカがいるが、有効数字を考えるなら、例えば「3.9+5.01」なら8.9を正解にして8.91は不正解にしないと整合性が取れない。算数じゃなくなる。

畢竟これらの議論は、「数学的に同値だが形式的に異なる記述について、それらに異なる文脈的意味を持たせたり、一方のみを「適切」とすることにどれほどの理があるか?」という問題帰着する。この観点を持つと、「理あり」とされているものは実は多くあることに気づく。

たとえば分数の約分。ふつう最終的な解に「2/6」と書けば減点対象だ。(でも、この書き方だって有用性はある。ピザを6等分した後なら「ああ二切れ分だな」とすぐわかるが、「1/3」だとわからない。)

小学校なら「帯分数」とかいう謎の書き方もあった。あんな奇妙な書き方、中学校以降で書いた覚えがないのだが、小学校少なくともある時期は「5/3」というような答えは減点対象だったと記憶している。

こういった「既約分数で答えよ」「帯分数で答えよ」という暗黙ルールは、「足し算・掛け算はこの順序で書け」「小数点以下の0は省略せよ」というのと本質的に同じだ。数学的に同値な書き方のうち、一方をなんらかの意図強制させているのだ。

どのルールにも、それを強制する意図がある。「約分できることに気づかせる」「5/3は1+2/3であることを理解させる」「かける数とかけられる数、という役割の異なる数字があることを認識させる」「なるべくシンプルな形で書くことを心がけさせる」など。それに意味あるかないかは、教わった小学生たちが決めることだ。小学生たちから自分判断する」ことを奪っちゃいけない。

ネットに渦巻く算数教育への批判には、なんというか愛がない。小学校教員の知性への信頼も、小学生たちの知性への信頼も、全然ない。「こんなことを教える先生は頭がおかしい」「小学生にはこんな教育は混乱を招くだけだ」。そんなはずはない。先生だって交換法則くらい知っている。

小学生にも、もっと自分考える力があるはずだ。「掛け算は交換法則が成り立つが、割り算では成り立たない。なぜか?」「かける数とかけられる数には違いがあるのか?」こういった問いかけに、自ら考えさせることこそ教育だ。子供が持ってきた答案用紙に×がついているのを見て、「先生が間違っている」という「答え」を教えてはいけない。「君はどう思う?」と問いかけることから教育が始まる。

2016-11-09

シナリオライターからエロゲーユーザー

引退する身が捨て台詞を残していくのはダサいとはわかっているが、言わずはいられないから残していく。

原画はいいけどシナリオライターゴミ」「シナリオには最初から期待してない」

それでも買うってことは原画のためだけに金を払うって決めたってことだろ? それなのにシナリオ文句言ってんじゃねぇよ。

あとな、シナリオ自分の思っていたものと違うからっていつまでも粘着してる人、さっさと売って忘れてくれ。

こっちは出したくもない体験版出してシナリオの流れも教えてHシーンの回数もどんな体位かも公開して、CG枚数も明かすことまでして判断材料を渡してやってるっていうのに「思っていた話と違った。地雷」とか知るかよ。

だいたい、シナリオについてもなんでお前らのほうが実力は上みたいに批評してんの?

お前の解釈全然違うよ? 小説とかちゃんと読んでる? 表面的な文章しか読んでないんじゃない? 説明たっぷりじゃないと理解できないの?

ライターの知能が下がったって言うけどお前らのほうが確実に下がってると思うよ?

何もしないでも主人公を好きになるヒロインばかりの萌えゲーしかやらないから考える力がなくなってるんだもんな。

「人の口に戸は立てられない」って主人公セリフに対して「当たり前だろ。どうやって戸なんて立てんだよクソライター」ってメールが来た時は呆れたよ。

いや、呆れを通り越して悲しくなって我に返ったよ。

頑張れば転職も出来て年収もあがる状況でこんなバカどもを相手商売してる自分はなんなんだろうって。

こんなユーザーばかりだからエロゲ業界も衰退するんだろうなって心から思えたよ。

からさ、それに気付かせてくれたことには感謝してるよ。お前らがバカなおかげで俺もバカ相手する世界から抜け出せたからさ。

あなたがたはこれからも口を開けながら萌え絵でシコッていてください。

こんな記事書いてる時点でブーメランだけど、2ちゃんねるやらツイッター反論されないからって好き勝手言ったり重箱の隅をつつくように指摘してくる奴ら全員、仕事プライベートで痛い目にあえばいいよ。

じゃあな。

2016-11-06

一応考える力持ってる保守派の中に妙な自虐史観というか破滅願望というようなものがある

こういったものオカルトチックもの世界終末論で発散していくべきなのに

日本人日本はお終いだとか人間なんてゴミだみたいなことを言いやがる

自虐するのは勝手だがもっと夢のある自虐をしようぜ

2016-10-28

サービスされて当たり前と思ってる人

友人の一人がおかしい。頭おかし

いつも遊びで○○しようと言い出しっぺの割に

前日に待ち合わせどうする?△△には連絡した?ってなった時に、いや俺よく知らんしって態度に出る

人にプランを丸投げして決めさせようとする

映画館満席で入れなかった時、何で予約しないの?どうすんの?って

そして仕方ないから別の作品となって、つまらなかった損した。え?え?何こいつ

さぁ飯行こうかってなった時もどうする?っておい。お前には考える力というものがないのか

ボーリング行こうか?あ、いいね場所は・・調べようともしない

こいつはなんだ一体なんのつもり・・

そうか!こいつ!自分のことお客様だと思ってるんだ!

サービスされて当たり前だと思ってるんだ!ありえん

だけど、そうとしか考えられない。

じゃないとこういう態度に出るわけない

あなた友達じゃありません。

さぁ切ろう。縁を切ろう

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025125030

いや、解なしが正解なのではなく、ぴったり持ってる可能性まで考えるのが正解、という感じだろ。

ともあれ解答を出すことではなく、柔軟に考える力を養うのが目的ではあるんだろうな。

引っ掛け問題としては誰もが思いつきうる問題で、もっとからありそう。

2016-10-18

自分子ども発達障害に対する親世代(60代)の理解が難しい

私、どうもADD(注意欠陥障害、不注意優勢タイプ)みたいで。耳から入る情報記憶として定着させることにめっぽう弱いです。

・ざわざわした環境で人と会話しているとその人の会話の内容が理解できない←これ本当に困ってて、経営者間のグループ討論とかも途中で聞き取れなくなるし(うるさくて聞き取れないのではなくて、言語として理解できない)お仕事関係の方と居酒屋に行っても同様

・口頭での連絡が多い学校の移動教室時間割変更、部活の日程変更、習い事の変更などは聞いてない&覚えてないで一人間違えて学校行ったり、教室移動しなかったりとか日常茶飯

子ども向けの教室をやるようになって、発達障害などのお子様をお預かりする関係で、色々と勉強した結果

「あ。私ADDだったんだ」

と、今までのあれこれがストンと腑に落ちまして。自分的にはオールオッケーだったんですね。

しかし。長男がどうも同じくADDっぽい


言ったこと、聞いたことを忘れるのは私と同様、まぁ小学生男子から忘れ物も多いし、やらなきゃいけない宿題も毎回1個くらい忘却の彼方に置いてきて、結局月曜日に「やっぱり絵日記あったんだった」とかいうのも日常茶飯事。私と長男だけなら「またかーやっちまったなー」で済む(学校的には済ませたらだめなんだけど)問題だったのですが


ここで発達障害にまったく理解のない同居している私の母が登場。


忘れ物も、聞いていないのもすべて私の注意が足りないから。が基本スタンスでして、私も子どものころは自分がそんな障害だなんて思わないので「どうしてこんなにお母さんを失望させてしまうのか(小学生時代)→死んだほうがいいかもしれない(中学生時代)→まぁ治らないもんはしかたないか高校生以降)」で今に至る。

長男はね、読書量が足りないのもありますが、書いてある文字理解するのが大変なんです。私が聞いていても理解できないのと同じなんじゃないかな、見てはいるけど、読めてはいない。だから計算は早いのに、文章題全然解けない。当然テストの点数取れない。母激怒昔ながらの勉強至上主義教育ママなので)せっかく(自分の得意分野と苦手分野を知りたいから)全国一斉テストを受けてみようかなって本人がやる気を出しているのに、できない問題に対して横からパニックになるレベルで口を出していく。

発達障害なのかもしれないよ、時間がかかるんだよと説明しても「そんなものはこの子勉強量が足りないだけ、それをさせないあんた(私)に責任がある、だから私(母)がやってあげてる」になっちゃう。母は学歴があればこれから先も問題なく生きていけると思ってる。(私は基礎学力知識考える力必要だけどそれは=学歴じゃないと思ってる)


もちろん、私にも問題はたくさんある。早く帰ってもっと子どもたちと一緒にいるべきだ、とか、今住んでいる家を出るべきだ。とか。できる解決方法はいろいろあるのかもしれないけれど、発達障害への理解っていうのは家族ですらこうも難しいのか、と。そしてそういうのも全部、発達障害言い訳にしているんじゃないの?って思ってしま自分も嫌。

でも、うちの教室に来ている発達障害の子供たちは本当に面白い発想をたくさん見せてくれるし、得意分野になると脳みそフル回転で天才しか思えない。自分もある分野ならスペック高ぇーと自画自賛ちゃうレベルの自信もってるし。

そういうのを伸ばすのがさぁー親の役目なんじゃないのー?なんでも平均的にできる子どもを作るのは違うんじゃないのー?

せめて「学校の点数」っていうものさしがどうにかなればなー、でも比較するのにわかやすいもんなー「学校の点数」

あーあ。

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160920005340

元増田です

それ以外の読解なんてない

国語教育においては、まさに自分はそう思っていますが、

一部の教育関係者には、「つまらない授業」を極端に忌み嫌う界隈がいて、

ボトムアップ式の読み方は「つまらない授業」「時代遅れ産物」のレッテルを貼られ、

まさにその界隈に狙い撃ちされてる現状であります

現状の大学入試知識偏重で、考える力を養わない!とか、

平気でのたまう界隈に敵にされて、むしろ正当性が高まったような気も、冗談です

しろ自分は、トップダウン式の読み方で具体的にどんな教育活動をしているのか興味があります

大体想像はつきますが、うーん

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816122640

なぜその2つが二項対立になるのか、中を端折りすぎて、結論ジャンプした提案をする典型的考える力の足りない例をみた。あと少し。頑張ってくれ。

2016-07-28

日本国民政府に怒れ、全ての政党に怒れ、政治家に怒れ、怒れ、怒れ、怒れ!

怒れ国民よ。

無能国民として怒れ。

己の人生を食い物にしてきた役人どもに怒れ。

自分たちに怒れ、己自身に怒れ。

尊厳を失ったことに怒れ。

怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ。

考える力を失ったことに怒れ。

政府民営化せよ。

2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその2

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカル王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたく真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたく世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界ひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたく世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビ雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたく世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたく世界ひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたし村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想メールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたく世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたく世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるとき絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババア絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドル世界戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたく世界になってしま

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロ世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくそ美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメ世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナー世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、

そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない

だいたい女ヲタ世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い

けれど、二次元絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている

なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うから

わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる

若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元キャラ特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている

しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している

みんなでこアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている

団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う

だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ

そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。

現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。

表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい

でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない

水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う

このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか

わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる

そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる

おたくからするとこれは結構やばい状況である

わたしエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。

本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う

今の若い子達にわたしエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど

ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツール代表であるエンタメがしにそうだ

そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする

若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる

このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う

このままだと日本は確実にヤベエ

そんなもうすぐアラサーババアのつづった生産性のない、エンターテイメントがしぬかもしれないはなしでした。ちゃんちゃん

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-05-26

ポエム

言語フレームワークを先に考えるんじゃなくて、実現したいコト/解決したいコトが先でそれをとことん突き詰めて考えるコトが大事

それがちょっとだけ良くなる程度のものだったら、そもそもそれはあまり問題では無いのかもしれないし、単純に当事者意識情熱がなくてただ普段と違うコトがしたいだけなのかもしれない。

例えば、車輪のようなもの一見するとちょっとだけ良くなる程度のもののように思えるけれど、突き詰めて考えるとちょっとだけ良くなる類のものではなくて、シンプルだけれどすごく応用範囲の広い要となるものだったりするよね。

その応用範囲までもよく考えたものを、最初の段階から応用範囲に至るまでを効率よく実現するために、何を選択するかをよく考えよう。

海外の有名な会社が作ってるようなもの簡単に作れるからとかあの会社も使ってるから、ありとあらゆる部品が揃ってるや既に知ってるものから効率が良いなんてものは、参考にはしても選択理由にするべきものであってはいけない。

そんなコトを理由にしたら、私は自分の頭で考える力も何かを生み出す能力も持ち合わせていません。なんて宣言してるようなものなんだよ。

問題が起きたらまた一から作り直せば良いなんてのは大抵失敗するし、そのコストが支払えない場合は継接ぎだらけで局所的な問題が頻発するものになるコトが多い。そして、最初に感じた効率の良さなんてものはいつの間にか消え去ってしまってる。

必要部品は何なのかをきちんと洗い出して、それらの部品を柔軟に組み合わせられて効率的に動かせるもの選択するコトなんだ。もしもそれらが存在しないなら、それらも含めて作り出すコトも視野に入れておこう。

こんなコトを言うとオレオレかよなんて声が聞こえてくるコトもあるけれど、初めからそうじゃないもの存在しないんだよ。誰かが作り出したか存在してるんだ。だからやると決めたらきちんとアピールしてディスカッションして継続的改善しよう。

そんな風に世の中に数多くいる、言語フレームワークアルゴリズムUIUXシステムアーキテクチャ設計開発研究をしている優秀な人たちの思考を真似てみよう。

流行り廃りに振り回されて後追いばかりに終始して、大きな声でその時々の借り物の言葉しか話せなくならないように。

2016-05-02

マナー

社会化された人間(マナー時間管理責任)

応募書類・・1行目が大事マナーコミュニケーション

研修で前に座るのもマナー、1つでも多く情報を持ってかえる

いい人になれば企業に入れる

考える力がある人

人間力があるひと ⇒企業が欲しい

封筒や貼り方にもマナーがある

あくび、肘をつく⇒グループディスカッションでチェックされる

かい項目で見られる ⇒ジャッジ対象

いい人でも使える場所がないと落ちる

自分自身がどこで使えるかイメージ

相手の身になった行動をとる

言葉と行動で示さないとわからない

・いい表情⇒笑顔、意欲的な顔

挨拶

・分離礼 挨拶してから礼をする⇒ながら作業禁止

いつも元気に挨拶

いつも生き生きしている

(1,2,3,4,5) 丁寧なお辞儀

表情と挨拶に力を込めて丁寧に行う……お辞儀

ベルトも鞄も黒、マチがある鞄で整える

------------------

左手名前を書くと・・

書きにくい、書きづらい

⇒練習していない、使っていない。慣れていない

私⇒わたくし

敬語

昼食を召し上がりましたか

・クッション言葉

恐れ入ります

失礼ですが

よろしければ

目上の人に呼ばれたらメモを持ってその場へ行く

2016-04-26

嫉妬時代

今は過去最高に、人々の心の中に嫉妬心が渦巻いている。

若者も年配も皆、人と比較している。あいつは自分より、美味しい思いをしているに違いない。

そして過去最高に、挑戦する力も、責任もつ力も、考える力も衰えている時代になっている。

なりたい社会人になるのって難しくないっすか?

2017卒の就活生です。

3月から就職活動諸々が大々的にスタートして、楽しみながら慌てふためいて気が付いたらGWがすぐそこ。

説明会でヘコヘコ。エントリーシートをカキカキ。面接心臓バクバク

いやーーー大変ですね!

はっきり言って就活なんて舐めてました!!!

電車に乗ればしなびたおじさんばかりで、どんな人でもやりたい仕事ができるものだと思ってました!

僕はやりたい職種に絞って就活しています

比較採用人数が少なく応募人数の多い、倍率高めな職種らしいです。

この選択は間違っているのかもしれません。そう考えるとゾッとします。

まだ21の僕には5年10年先を考える力が無いです。今で精一杯。

世の中のサラリーマンほとんどが就活してたと思うと尊敬します。

30歳40歳の僕は今の僕になんて言うのでしょう?

電車に乗ってるしなびたおじさんは就活中の自分になんて言うのだろう?

「よくやった!さすが俺!!」って就活中の自分に言える人は何人だろう?

2016-04-24

流行に向き合う、表現者

増田文学の不毛さ

君がどういう立場文章と向き合っている人間か分からない。プロアマチュアワナビかも知らないが、真面目に憤っているみたいなので、まぁ取り敢えず整理してみようか。

 

記事は以下の2つのテーマと、その結論にわけられる。

  1. 増田文学が嫌いである話
    1. 実体験を偽装したフィクションが多く、姑息に感じられる。
    2. 安易レトリックが、姑息に感じられる。
  2. バイラルとの向き合い方の話
    1. 話題になる=文章の力量がある」ではない。
    2. “本当にウケる文章”をやりたいなら、“本当の文章の実力”で勝負すべきだと思っている。

 

う〜ん、根深い。何が根深いって、君の自意識が、こじれてる。

居酒屋で飲み交わしたら、面倒臭いタイプだ。あなた文章に関わるプロもしくはプロ予備軍なら、2つの意味で深刻なので、珈琲でも片手に落ち着いて考えるべきだ。

  1. 文章構成が下手。(1)と(2)の論点を適確に整理して書くべき。ごちゃごちゃに書いている為、文章の焦点が定まらず、散漫な記事になっている。
  2. 流行に対する視点感情世間ズレしている。ネットにおいて売れる文章を嘆いても仕方が無い。それは世の流れだし、憤るくらいなら自己が満足する表現で勝つ他ない。それが、流行に対して創作者が取れる唯一の方法から

 

つまるところ元エントリで登場する「本当のバイラル」や「実力」や「力量」ってのは、

増田の考える本当のバイラル」「増田の考える実力」「増田考える力量」であって、それは世間一般で求められる表現とズレているんだな。残念ながら。

そんな悶々とした憤りを表現しようにも、「1. 文章構成が下手」なので、ちゃんと読者に伝わってないね。残念ながら。

 

あなた文章表現する者たりえるなら、解決方法一般的に3つしかない。

批評家になる」「自分の満足する表現で、世間勝負する」「不毛だと感じる場所から去る」である

少なくとも、元記事のような「増田文学不毛である事を下手クソな文章で嘆く」のは、誰にも影響を与えない愚痴の上、批評問題提起としても浅い。それこそ不毛だと思うね。

流行愚痴を言うようになったら、おしまい一歩前だ。

 

こんな不毛記事レスをした僕の文章も、まあ不毛なんだろうけれど。なぜ書いちゃったかというと、かつて自分が抱えていた感情に似たものを覚えたからだ。

もし君が文章プロを目指すなら、社会だの流行だのバイラルだの互助会など、そんな些末な事を屈服させ吹き飛ばすような、そんな文章勝負するしかあるまい。

それしか心のわだかまりから抜ける方法はないだろう。多くのワナビはそれに挑み、敗れる。しかし、真の表現者であるなら、不毛流行に憤りを感じるなら、そうせざるえないだろう。

 

君が次に何を書くのかなんて、知ったことじゃあないけどね。

がんばれよ。

2016-03-28

10年後に半分の仕事が無くなる予想にこの先生きのこるには…知能労働?

この記事とかで

http://diamond.jp/articles/-/88551

三行にまとめると

こういう話なんだが、これ全く逆じゃね?

こう言われる人々が真っ先に淘汰されるだろうってのが今の流れだろ。実際には

大量に集められた情報をつなぎ合わせて、意味を推察する分析は、コンピュータが得意とするところだ。ここ4年ぐらいで爆発的に進化してきている。そう考えると、ここで挙げられている「微妙に高給取りの、中途半端頭脳労働者」、つまり上の下ぐらいが一番淘汰される可能性が高いんじゃないか。

中途半端な知能労働者不要になるのが最初じゃね?

例えば販売員不要になって、コンサルティングが残るという話があるけども、すでにネット通販では「あなたおすすめ」「これを買った人はこれも買ってる」「この作家好きな人はこの作家も好きだけどいかが?」とかおすすめするのが当たり前になってる。

これがリアルに持ち込まれなかったのは情報の集約と、顧客識別問題があったわけだが、これはすでに技術はできた。

あと数年以内にTカード当たりがカード不要顔パスサービスなどと言い始め、顔認識コンビニレジに搭載されて、店員側のレジ端末にその客に対する対応の仕方や、よく買うタバコ銘柄、●×の商品を勧めろ、と言った情報が表示されるようになるんじゃないかと思う。

こうなると、昔は研修研修を重ねて経験によって案内していたような上級販売員の様なことを、一山いくらパート従業員ができる様になる。同じようなことは、経営方針分析などもそうだし、製造業などの方針決定や、製品設計の初期段階における実現性妥当分析などもそうなるだろう。

高給取りの専門家がまずは消える

それから、この手の記事で一番抜けているのは、経営改善コストが高いところから削減されると言うことじゃないのかと思う。そして「代替可能になる」と言うことと「実際に代替される」という所は大きく違うのだが、その読みが足りないような気がする。

改善活動で使われる手法に「パレート分析」って言う物がある。要求度を分析して、要求度の高い順番に並べる。これの目的は影響が大きいところから手をつける対象になる。ここだけみると、コストが高い部門がまず真っ先に改善対象になるはずなんだが、なんで今まで対象じゃなかったか、と言うと代替不能だったからだ。それが代替可能になったとなれば、まずそこから片付ける事を考えるのでは。

と言うわけで、こういう所で「考える力を身につけて創造的な「職種」になる事ができれば生き残れる」というのは全く間違いなのでは。

結局は金の問題なのだと思う。

昔、最先端花形職業として「タイピスト」というのが合った。活字を直接指定するような特殊日本語タイプライターを操り、漢字混じりの文書を直接作成する仕事だった。タイピストはみんなのあこがれで、専門技能者として給与も高かったそうだが、電子ワープロの開発できれいさっぱり消えてしまった。

彼らは創造的な仕事かどうかという話ではなく、彼らが高給取りだったからこそ、そこを改善する為の装置は高く売れるだろう考えられ、資本投資されて開発されたという面があると思われる。

そう言う面では、安全だと言われる筆頭格の医者なども技術さえ開発されたら危ない。高給取りなので、1人の医者に3人分の仕事をさせる装置を1人分の医者給料で売れよく、医師一人分の給料が高ければ高いほど開発に投入できるリソースが増えるわけだから

資本家にもなりきれず、給与所得者という「使われる」立場から抜け出すことができず、一方で単純労働者よりもコストが高い、こういう所が真っ先に狙われるのではないか。

そしてどうなるか? 結局貧者最強?

そしてその結果どうなるかというと、職がなくなる、んじゃなくて、給料が安くなると言うことなんじゃないかと。

高価なセミナーを受講して、苦労して身につける必要があったスキルが、今後はコンピュータ支援を受ければ低賃金バイトでもできる様になる。このとき低賃金バイト給料+コンピュータによる支援システム総合計とコストを比べられることになると言うことになる。

同じ事は、末端の製造業製造ラインでおきている。

だって製造ラインのかなりの部分はコンピュータロボット代替だ。最先端映像認識技術と、ロボットアームを扱えば一瞬で魚の大きさを判別して分別することもできるし、大きさと形状を認識して三枚に下ろすことも可能だし、そう言う装置販売されている。でもそれが現実に使われないのは、そんなものを頑張って入れるよりも、おばちゃんたちを最低賃金で雇った方が安いからだ。

あるいはあらゆる物を数値制御で作り出すマシニングセンタや、立派な研究開発施設をもって一品物ならばあらゆる物が作れる設備がある大企業が、町工場おっちゃんたちを職人職人と持ち上げるのは、お金をかければラインに入れられるが、それよりも彼らは安く挙げるからだ。職人さんたちは頭を下げて依頼しに来る大企業担当者よりもずっと給料は安い。

と言うわけで、中途半端な知能労働者、それこそダイアモンドとか東洋経済とかプレジデントとかそう言う経済ポルノ雑誌をありがたがって読んでいるような層が一番危なくて、彼らは実家住まいでないと生きていけないような薄給で働かされている中の下以下の貧困層競争を強いられる時代になるのでは。

貧者最強…でもなかった。

しかしその貧困層途上国労働力と戦うことを迫られるわけだが、10年後にはまだあるだろうと思う。その頃には政治体制がいろいろな変革を迫られる状況になるとは思うが、その後も、今から20年後、30年後というスパンでみたときも、今と同じく社会に最低限の人権が残る程度だと仮定すると、それでも貧困ビジネスのような物は残るかなと思う。

そのとき(30年後ぐらい?)上流階級になるには、普遍的価値を独占する資本家になるか、時たまおきる新商売の中で先行者利益を独占できるような「強運」(実力ではない)に賭けるか、そんな金持ちの彼らにかわいがられる芸術家宗教家になるかぐらしか方法がなくなってくる、ような気がする。

結論  社会構造の変革待ったなし

結局、に中間層が消え去って貧富の格差が増大するが、今の流れだと自分高所得者層に入れるだろうと思っている人々の多くが脱落してくるんじゃね、と言うありきたりな結論なっちゃうわけだけど、ただそんな社会はいろいろと持たなくなって、経済的な面でも持続的成長は止まるだろうと思うので、額面通りインダストリアル4.0が来るとしてたらここらの前提になる部分はどこかでひっくり返るんじゃないだろうか。

2016-03-27

転載プロジェクトマネジメントなう\(^O^)/

はじめに

すごく良いこと書いてあったのですが参考にしようとしたらサイトが消えいたので、魚拓から転載。

監督とは、 他人が打ったホームランで金を稼ぐことだ。

by ケーシー・ステンゲル(MLB監督

ポリシー
  1. やるからには圧倒的な当事者意識と絶対に成功させるという気迫を持つ。
  2. 全てのメンバー目的段取りのわからない仕事をしない/させない。
  3. プロジェクトの成功には、短期的な成功と中長期的な成功がある。両方を意識する。
  4. プロジェクトの短期的な成功は、お客さんを満足させることと利益をあげること。
  5. プロジェクトの中長期的な成功は、リーダーメンバーが成長し、また一緒に仕事をしたいなと思い合うこと。
  6. リーダーメンバーフラットオープンな関係を築けなかったプロジェクトは中長期的には失敗する。
  7. メンバーの強みを見つけて伸ばすことに注力する。その強みを持ち寄ってチームで仕事をするイメージ
  8. 一つとして同じプロジェクトはない。どれだけ成功体験を積み重ねて実績のある方法論を確立しても、常に考えて工夫して改善し続けよう。常識という思考停止をしてはいけない。
  9. 人は一人一人別人であり仕事に対するスタンスは様々だが、ほとんどの人にとって仕事はあくまで生活の手段であり、生活のイベントより大切な仕事のタスクなんてないと考える。
  10. リソース(ヒト・モノ・カネ・タイム)が十分に足りてるプロジェクトなんてめったにない。それでも工夫と仕組みでなんとかするのがマネジメント醍醐味
  11. 業務システムの開発でどんだけ失敗しても人は死なない。気楽にやろう。最も大切なのは人の心。なるべく楽しくやろう。
  12. リーダーシップマネジメントは効果の見えづらいものだが、人の集まりである組織には絶対に必要なもの。誰にも理解されなくても淡々とやるべし。

働・学・遊・美をミックスしましょう

by 川瀬武志コンサルタント

フラットオープン
  1. リーダーサブリーダーメンバーはたんなる役割であり、対等に仕事を譲り合い奪い合う関係である
  2. 役割に関係なくお互いになんでも言い合えるフラットオープンな関係を作ることが最も大切。
  3. リーダー自身が自由で本音な発言をすることでしかフラットな関係は作れない。
  4. 全ての情報を全てのメンバーオープンに。基本的にはメールメッセージは常に全てのメンバー宛に。
  5. 情報連携はできるかぎり速やかに。リーダーメンバー情報格差百害あって一利なしオープンにできないことはやましいことである
  6. チーム内に何してるかわからない人がいたり、一部の人しか知らない事情があると、とても雰囲気が悪くなる。
  7. 見積り・計画・スケジューリングアサインは全員参加で。

門限なんかできたら私が一番困る。幼稚園の子どもではあるまいし。

by 仰木彬(NPB監督

スピード&フレキシビリティ
  1. やってみないとわからないことの方が圧倒的に多い。トライエラーリスケを繰り返す。スモールスタート&リスケジュール
  2. 考えてもしかたないことやわからないことを考えない。下手に予測するより聞いたり試したりする方が速い。
  3. 早く失敗することは遅く失敗することよりも何倍もよいことである
  4. スピードとクォリティは反比例する。どんな要求にもまずは素早く対応する。
  5. リーダーは自分の作業に集中していてもメンバーからアクションにはすぐ応える。「今いいですか?」の答えは常に「YES」メンバーを待たせてはいけない。

明確なのは、楽しく笑顔が生まれる環境ほど、物事は成功しやすいということだ。我々はそういった環境を作り出そうとしている。

by ジョセップ・グアルディオラサッカー監督

スケジューリング
  1. 日々リスケする。プロジェクトの初日に完璧スケジュールが引けるはずがない。実態と乖離した変化しないスケジュールは失敗の素。
  2. スケジュールCCPMに準拠したやり方で管理する。これが現状の把握と未来の計画が最もやりやすいやり方。
    1. 個別のタスクにはバッファを積まずに最短期間とする。
    2. フェーズ毎にプロジェクト全体のバッファを持たせ、人単位で管理する。
    3. スケジュールには全てのタスクと人単位バッファを掲載する。
    4. 個別のタスクの長さは、日々、現状に合わせて変更する。(常にオンスケ状態になる。)
    5. プロジェクトの状況把握はバッファの消費率とメンバーの稼働状態で判断する。
  3. スケジュールとWBSは似て異なるもの。スケジュールは見易さと扱い易さが命。メンバーが手元にスケジュールを持っていないプロジェクトは失敗する。
  4. どの時点でもどれだけ未確定なことがあっても、実際に全体のスケジュールを引いて実名でアサインしてリソースの過不足を確認することは大切。
  5. リソースの状況に関わらず必ずやるべきことと、リソースから逆算してやれる範囲でやることを区別すること。
  6. 重要であること/ないこと・緊急であること/ないことのマトリックスを意識する。
  7. スケジュールを変更する時は必ず担当者と話して一緒に考えること。
  8. 森を見ずに木に手をつけてはいけない。木を見ずに森を見積もってはいけない。

計画は役に立たないが、計画することは不可欠だ。

by ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代アメリカ大統領

アサイン
  1. 一人一人の特徴や好みに合ったアサインをすることはとても重要。
  2. メンバーちょっと頑張ればできるくらいのちょうど良い質量の仕事を担当させることが理想
  3. 全てのメンバーが自分の役割と他人の役割に納得できるようになるまで見直す。
  4. プロジェクト期間中に成長したり変化するメンバーもいる。最後まで柔軟に変更する。
  5. 経験年数や業務知識よりも、頭の良さや心の強さや柔軟さを重視する。前者は変わるけど、後者ほとんど変わらない。
  6. ダメな人をイイ人の上につけない。年齢や役職を無視する。新人が入社初日から旧人より仕事ができることもある。
  7. 「どんな仕事でも長時間かけても平気」「面白い仕事なら長時間かけても平気」「どんな仕事でも長時間は嫌」という仕事に対するタイプを意識する。
  8. アサインに関してチームとメンバー利益が一致しないことはよくある。ありのままメンバーに話して一緒に考える。
  9. いったん良いチームができたら同じチームで様々な仕事をしていくのが理想。(とても難しいけど。)
  10. 本人がその役割を好きかどうかはとても大切。
  11. 適切なアサインができたら、チームと個人に明確に責任を持たせ、信頼し、任せる。
  12. カテゴリのチーム内の権威が自然にチームリーダーをするのが望ましい。
  13. 適材を適所に。それが全て。適材がいなければ始めてはいけない。
  14. 下流工程は人数さえそろえば誰でもいいというのは大きな間違い。また、レビュイーとレビュアー比率には要注意。
  15. 少数精鋭がベスト。できる人を入れることとできない人を入れないことは同じこと。「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、さらにプロジェクトを遅らせるだけだ。」(ブルックスの法則

人を最もダメにするのは「全体像」を見せずに「部分的なこと」をずっとさせること。

これ続けてると何も考える力のない指示待ち人間ができあがる。こわいこわい。

by 外尾悦郎(スペインバルセロナサグラダ・ファミリア主任彫刻家

プライド
  1. 全ての人には美意識や価値観プライドやこだわりがある。それをできるかぎり尊重し傷つけないようにする。
  2. 人が一生懸命に話をしてる時にはなるべくさえぎらない。ため息をついたりしない。
  3. 「ダメじゃーん」と言った方ががんばる人もいるし、「よくできました」と言った方ががんばれる人もいる。
  4. いったん優秀さを信頼した人には、どーんと仕事を任せて長い目で見る。
  5. ほめる時はみんなの前で、注意する時は一対一で。
  6. 短期的な効率よりもやる人の気持ちを優先する場面も多い。
  7. 踏んだ人はすぐに忘れても、踏まれた人はその痛みをいつまでも覚えいている。リーダーマネージャーは常に踏む側。

腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け。

by 村上春樹小説家

コミュニケーション
  1. チーム全体で話す。数人で話す。一対一で話す。それを上手に使い分けること。
  2. 状況によって話がぶれないようにする。相手によって話を変えてはいけない。
  3. 常にメンバー全員の気持ちを知っておくことは大切。定期的に一対一で話すなど。
  4. 常に明るく楽しく。仕事に負の感情を持ち込まない雰囲気を作ることが大切。
  5. 必要な話を必要なレベルで必要な人にする。相手が望んでない話を理解できないレベルでしてもムダ。
  6. 神経質な人にはおおらかに、おおらかな人には神経質に、楽観的な人には悲観的に、悲観的な人には楽観的に。
  7. 仕事でミスした人に「ミスしただろ!」と怒っても百害あって一利なし。原因や対応や予防策などを一緒に考えることが重要。
  8. 人や仕事をなめてると感じられるメンバーを見つけた時だけは厳しく。なめられてもなめてもダメ。
  9. 仕事も遊びも類友ではあるが、できるかぎり負の影響が出ないようにする。また、類友とそうでない人の意思疎通の差は要注意。
  10. 議論の対立は失敗ではない。対立を敵視すると自由な議論ができない。
  11. 沈黙を同意と思ってはいけない。多くの場合、沈黙とともに問題が潜在化する。明確なYES以外は全てNOと受け取る。
  12. 全てのステークホルダーと良い関係を築き、明示的・暗黙的な期待を察知してコントロールすることを心がける。
  13. 人と人との問題は徹底的に話し合うしか解決の道はない。感情のぶつかりを恐がってはいけない。

ミスした選手に「ミスしただろ」と言ったり責めてもしかたない。本人が一番わかってる。

by ピクシーサッカー監督

クォリティ
  1. 目的、内容、責任所在、〆切、優先度、質重視かスピード重視かなどは常に明確に。曖昧さを徹底的に排除する。
  2. どんだけ簡単な話でも箇条書きや表や図にして考え、人と議論する時にはどんだけ簡単なものでも良いので必ずなんらかの紙を用意する。
  3. 必要のない冗長性を排除する。ルーティーンワークについては、できる限り何も考えずに簡単にまわる仕組みを作ること。
  4. 成果物タスク粒度に注意する。一つ一つが大きいと数が減って管理しやすい。小さいと数は増えるが柔軟にアサインできたりする。
  5. 問題を相談する時は、根本原因を明確にした上で選択肢を洗い出し、最終的な自分の意志を持って臨む。
  6. 最新の問題が最優先ではない。最古の問題が最優先でもない。発生順と優先順位に関係はない。
  7. 目に見える成果物だけではなく、段取りや、会議や、議論などの質を意識する。
  8. 頑張りや心がけではなく工夫と仕組みで救う。

神は細部に宿る。

by ミース・ファン・デル・ローエ建築家

コスト
  1. なにかを作るコストとそれを利用するコストバランスには細心の注意を払う。
  2. 〆切ぎりぎりに慌ててやるのが一番コストが低い。意識的に上手に利用すること。
  3. メンバー作業を遮る度に生産性はどんどん落ちていく。
  4. だらだらした会議は諸悪の根源。会議のコストは莫大であることを常に意識する。
  5. 短期的に生産性を上げる方法はない。プレッシャーをかけても思考は速くならない。過度の残業(短期を除く)は生産性を落とす。
  6. 費用的なコストだけではなく精神的・身体的なコストを意識する。サービス残業は費用的なコストメンバーの精神的・身体的なコストに転嫁している。
  7. 全ての仕事を全力でやってはいけない。(そんなことしてたら家に帰れない。)重要度に応じてコスト配分すること。

放っておくと会議の時間の九十五%は「コメントの交換」に使われている。

これを「明確化のための質問」「代替案の提示」「リクエスト」の三つだけに絞ると面白いほど会議が前進する。

by 大橋太郎コンサルタント

リスク
  1. フラットオープンの実現が最大のリスク管理メンバーからアラート頼み)である
  2. 契約前にできる限りリスクを洗い出して契約に反映する。契約後にリスクを洗い出しても手遅れ。
  3. 問題が起きた時は、暫定対処をした後に何度も「なぜ」を繰り返して根本的な原因に到達するまで対処しない。
  4. 知らないことが問題になることより、知っているつもりで誤解していることが問題になることの方が圧倒的に多い。
  5. リソースが足りなければリーダーは無力。それを闇雲に根性で埋めようとするリーダーマネージャーが最大のリスク
  6. リスクのない仕事はない。リスクがあることが当たり前。リスクがなければマネジメントなんぞいらない。

たとえば、よく晴れた日曜日の朝に戦争がはじまる。

by 「ケッヘル」(中山可穂

リーダーシップ
  1. 「いいからやれ!」というのは通用しないし、それを言う人もそれで動く人も信用してはいけない。
  2. 正直に誠実に。自分のミスは素直に認める。公平にはできないけどできるかぎり公正でありたい。
  3. リーダーだけは結果責任。正しくても結果がダメなら意味がない。
  4. 常に問題や誤りが起きるのが当たり前。要件見積りも常に変化するのが当たり前。問題や誤りや変化に対応することがリーダーの最も大切な仕事。
  5. 過度の残業の発生はマネジメントの失敗をメンバーに救ってもらっているということ。残業は悪ということを徹底する。
  6. 平和だったらリーダーはヒマなのが正しい。メンバーが忙しくなる頃にはリーダーの仕事のほとんどは終わってるはず。
  7. リーダー笑顔義務。加えて絶対にくじけない胆力。いつでもヒマで上機嫌が理想
  8. どれだけオープンフラットを実現しても、管理者は同僚ではないし純粋なチームの一員にはなれない。これはしかたない。
  9. メンバーからの信頼は絶対に一朝一夕には得られない。長期間にわたる日々の積み重ねでしか得られない。
  10. 個人の評価は難しく苦しいことが多いが、厳しく明白に成果の差をしっかり反映するように努力すること。
  11. 問題が起きた時には必ず先頭に立って矢面に立つ。絶対に逃げてはいけない。結果が伴わなくともその姿勢がチームの雰囲気をよくする。
  12. 外部からの雑音を遮断することは難しい。一つ一つ理論的に検証してメンバーと共有する。
  13. 旧来の悪習は自分以降の代には持ち越さないという強い意志を持つ。
  14. リーダーの成功は優秀なメンバーに支えられている。常に感謝の気持ちを忘れない。
  15. 北風ではなく太陽でいよう。

重要なことは、正しいか、間違いかではない。うまくいくか、いかないかです。

マネジメントとは、そのようなものです。

by ピーター・F・ドラッカーマネジメント神様

その他
  1. 数値はたんなる道具であり、現場判断の材料であったり後を追うもの。数値を計測・記録する事務作業マネジメントの本質ではない。
  2. ウソはあらゆる面でものすごくコストの高い最悪の手段
  3. 夕会は人気がない。朝会か午後会で。
  4. 人は変化を憎悪することが多いし、変化への基本的な反応は論理的なものではなく情緒的なものであることが多い。
  5. ハラスメント系の問題は何もしなければ絶対に見つからない。発見するための仕組みを用意すること。
  6. ストレスプレッシャーは逃げると追いかけてくるけど立ち向かうと逃げていく。でもしんどい時は相談してね。

やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず

by 山本五十六連合艦隊司令長官

クロージング
  1. 評価や反省は厳しくごまかしなく。それが最も本人のためになる。
  2. 反省会必須記憶が定かなうちに他者も交えて反省・改善をしないとせっかくの経験がムダになる。
  3. 反省会で、全員がオープンフラットに悪い部分も含めて相互を評価し合えたら、そのチームはうまくいったということ。
  4. 全ての項目が○な人はいないし×な人もいない。固有のミスや特定のカテゴリで人を評価しない。全期間を通したトータルで評価する。
  5. 打ち上げは必ずやる。絶対にやる。やる。

あなたに幸運の女神が微笑んだのであれば、プロジェクトは無事に完了し、幸せになれます。とてもとても幸せになれます。多くの人々は、自分では何の失敗もしていないのに、ここまで到達することができないのです。豪勢な夜を計画してください。どんちゃん騒ぎをして散財してください。そして、その時のことをいつまでも語り継げるようにしてください。

by 「アート・オブ・プロジェクトマネジメント

ヒント1(仕事の進め方)
  1. 〆切を確認する。
  2. 成果物の内容を確認・提案して合意する。
  3. タスクを分割してスケジューリングする。
  4. 難しいタスクの目処を早めにつける。放置してはいけない。
  5. 参考になる前例や詳しい人を探す。車輪の再発明はダメ。
  6. 定期的に報告する。ただし、困った時はすぐ報告する。
ヒント2(ミーティングコスト
  1. 1人が事前に10時間かけて準備して2時間で終わった場合、50人時間。
  2. だれもなにも準備せず5時間かかった場合100人時間

この50人時間の差が大規模で長期間プロジェクト場合に大差を生む。

ヒント3(生産性

20人のチームの場合

  1. 各人の生産性が10%上がったら、22人分。
  2. 各人の生産性が10%下がったら、18人分。

この4人分の差が大規模で長期間プロジェクト場合に大差を生む。

ヒント4(報告メッセージメール

ミーティングと同じようにコストを意識する。読む人の時間をムダに奪ってはいけない。

  1. 目的を明確に。問題提起なのか周知なのか依頼なのかメモエビデンス)なのか。難問だったり緊急なら直接話そう。
  2. 必要のない重複を削ってなるべくサイズを小さくシンプルにする。時間をかけられる時の方が十分な推敲で文章が短くなるのが正しい。
  3. リーダー結論だけを知りたい。サブリーダーはその経過も知りたい。他のメンバーは具体的なやり方まで知りたい。だからその順番で書く。
  4. 文章だけのメッセージでもレイアウトマトリックスを意識する。例えば「AはBでCはDで」みたいな部分は箇条書きにする。
  5. 「ご連絡」とか「お願い」というタイトルはダメ。検索できるとはいえ後から探すコストはバカにならない。
ヒント5(オンライン反省会

反省会は、社内グループウェアメッセージ機能を使って、こんな感じでやってます。

  1. 全員がなるべく全員の良かったところと悪かったところを書く。
  2. プロジェクト全体やお客さんや会社についてもなにかあればなんなりと。
  3. 定型に自由にコメントOK。気付いたことがあれば数年後でも書き込みもOK。

オンライン反省会をする理由はこんな感じ。

  1. 声の大きさや考えるスピードの影響が少ない。
  2. その場の雰囲気感情に流される確率が低い。
  3. 自分のペースでじっくり消化・表現できる。
  4. 場所とか時間とかの制約がない。
  5. 完璧な記録が残る。
ヒント6(ファイアープロジェクト

ファイアープロジェクト助っ人参戦した場合にどうするか。原因のほとんどはマネジメントもしくはコミュニケーション

  1. 全てのメンバーと1:1で話をして問題や要望を挙げてもらう。リーダーサブリーダーからは出てこない様々な話が出てくるはず。
  2. 面談でキーマンが浮かび上がってくるのでアサインを見直す。ただし、人を腐らせて雰囲気が悪くならないように細心の注意を払う。
  3. スケジュールに全てのタスクと全てのメンバーの空き工数を記載し、進捗もぴったり現状に合わせて状況をはっきりさせる。
  4. リソース不足や課題が出てきたらすぐに手を打つ。スピード感が変わったことを印象づける。
  5. マネジメントの問題だった場合メンバーに「君たちの問題ではないよ」と明確に伝える。

20人程度のチームならこれらを1~2日で終わらせて雰囲気一新する。あとはふつーのマネジメントへ。

ヒント7(ヒューマンスキル

2016-03-22

AI進化した先に人間不要になる

仕事でとか芸術でとかじゃない

名実ともに不要になる

まず人間が感じる幸せというのは所詮外部からの刺激を変換したものにすぎない

耐えがたい苦痛を乗り越えた先に快感があるというのならそれを再現したらいいだけだ

家族恋人AIがそれを出力できるようになった時点で愛というもの価値がなくなる

いや、差別なく誰にでも分け与えられる存在になると言った方がいいか

人間人間必要としなくなるのだ

そうした先にあるのは人間存在意義消失

もはや子孫を必要としなくなる

新しい人間が生まれなくとも自分ひとりが死ぬまでの間に全ての欲望AIが満たしてくれるのだから

もしAIに満たせないことがあったとしてもそれは人間に満たせるかというと到底不可能

機械でできないことが人間にできるわけがない

今でこそスパコン計算力に人間は敵うことができないのだ

ダンプカーに勝つことができるだろうか

計算機にすら勝つことは難しい

将棋は?囲碁は?

人間は何1つ機械に勝つことはできていない

考える力人間が優位に立てているのは

心を持った機械がまだこの世に存在しないだけだ

自動車発明される前は馬が一番早かった

単にまだ存在しないだけの話だ

まりAIの完成とは人間の心という神域がついに負けることを意味するのだ

そうなったとき人間名実ともに存在意義を失う

あとはお情けで生かされるだけの水槽の観賞用生物になるだろう

フィクションを信じる人間はまだ人間には機転が残されているだとか

何らかの手段が残されていると信じて疑わない者もいると思う

だがその機転を獲得することがAI目標なのだ

機転という人間けが持つ奇跡を誰よりも強い奇跡を獲得することがAIの完成なのだ

人類最後奇跡とはAIの完成という歴史で幕が閉じることなのだ

そしてそれを望んでいるのも他ならぬ人間自身なのだ

これは遠い未来の話ではない

すぐ目の前まで来ている明日の話

2016-02-23

算数円周率問題に関して塾講師が思うこと

小学生中学受験算数を教えている。

私は「半径11㎝の円の面積は、円周率3.14としたとき379.94㎠」が正しい派。

理由は二つ。

1.算数重要なのは「なぜ円の面積は半径×半径×円周率で出せるのか?」の部分だから

2.有効数字という概念子供に教えてもそのあとの発展がないから

詳しく説明していく。

1.算数重要なのは「なぜ円の面積は半径×半径×円周率で出せるのか?」の部分だから

まず前提として、中学受験算数世間で思われているほど詰め込み勉強ではないことを知っていてほしい。

何故なら公式を丸暗記してそこに数字を当てはめて計算するという行為では、公式の暗記と計算力でしか結果に差が出ないから

そこで生まれる差は偏差値55程度でも微々たるものだ。

重視されるのは考える力ってやつ。

我々塾講師子供に常に「なぜ?」を考えてもらって、その力を磨こうとする。

私が円の面積の出し方を教える時、「公式がこうだからこう計算するんだ」なんて教え方はしない。

円の前に長方形の面積の出し方をしてて、1㎝×1㎝の正方形の大きさを1㎠とする。

3㎝×4㎝を細かく切ったらそれが3×4で12個出来るから12㎠、ということを子供が解ってる前提。

書いてて面倒になったから細かいことは省くけどうまいこと子供と掛け合いをやって、大きさ1㎠、0.1㎠、0.01㎠・・・を用意して円に詰め込んでいって大きさ測ればいいよね。すると大体半径1㎝だと3.14、半径2㎝だと12.56になって~。

もしくはめちゃくちゃ細かくピザに切ったら三角形沢山に分けられるよね。その三角形の高さは半径、底辺の合計は円周になるから~っていう話からうまいこと円周の出し方にもってったりする。

円の面積は簡単なところだから、発展は少ないんだが例えば

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ee/29ac652bcf8c51576fff409ca74295af.jpg

こんな半径の長さが出ないタイプとかは公式丸覚えしててもわかんないよね。

公式が何故そうなるのか理解してることが応用に繋がる。

これは高校数学でもそうだよね。

2.有効数字という概念子供に教えてもそのあとの発展がないから

小学生でも説明すればなんで有効数字って概念必要なのか、どう処理すればいいか理解することは出来ると思う。

ただそれがわかったからどうなの?って話。

私が有効数字を習ったのは中学物理だったけど、そのあとに有効数字が確かに必要だなって場面がたくさんあった。

でも小学生がそれを知っても「で?これって何に使うの?」ってなってしまうよ。

以上、こんだけです。

要は算数って、処理スピード問題読解、条件整理、公式等のツールの使い方で差が出る。

子供の賢さとは、全然関係ないとこであーだこーだ言ってるなってことです。

2016-01-26

名付けのリテラシー

名付けについて、もう何度目かっていう議論が巻き起こっている。

昔は通名でも諱でも、ある程度ルールがあった。

いわゆる諱だったら大抵二文字で、家ごとに通字がある。源氏のある種の家系松浦党は諱一文字で特例だ。通字は一種類のこともあれば、たまに二種類のこともある。三条家とかは二種類通字がある。諱が二文字になる以前の古代の話は省略するぞ。すまんな佐伯今毛人。

通名もある程度ルールが決まっている。江戸時代百官名東百官など。東百官って実はルールの逸脱なんだけど、それがルール化してしまっている。

要するに昔は名前の付き方にかなり厳格なルールがあったということ。

江戸時代農民はどうやって名前を付けていたんだろう。

言い方は悪いが、キラキラネームを付ける人は教養がない人が多い(書いてて思うが、こんなこと増田じゃねーと書けないな)。

江戸時代農民はまぁ教養はそんなにないだろう。キラキラネーム付けちゃうことはなかったのだろうか。

個人的には農民であってもある程度名前ルールがあったように思う。すなわちキラキラネームは付かない。なぜか。

彼らはほとんど名前について考える知識も素養も機会もなかったから、そこらにある名前をあまり考えずに適宜つけていたか教養のあるお坊さんなんかに頼んだのではなかろうか。

これならば著しいルールからの逸脱は起こらないだろう。

明治時代になっても、何らかのルールはあったはずだ。次第に通名と諱の区別が無くなる。私の曽祖父祖父明治期茂三郎と名乗っており子孫も茂三郎じいさんと呼んでいたようだが、天保期の文書には茂三郎直俊とある明治時代に諱を使用しなくなった世代なのだろう。あるいはこの世代の中には諱の方を名乗りに採用した人もあるだろう。とにかく、何となくルールは存続する。「~子」という、伝統的に見えてその歴史結構浅い女子への名付けも、元は公家社会女子名にルーツがある。要するにルールがある。

さていよいよ戦後だ。戦後民主化。これが実はキラキラネームの直接的な引き金になっている。またその基礎部分には西洋文化の流入がある。この流入は明治維新前後から連続しているが、本格的に高度経済成長を迎えるところに画期があるように思う。服装和服が消えるころ。このころに、名付けというか、名付け方への変化が起こる。

要するに民主化なのだ。個人個人が投票権を持つようになったのと同様に、個人個人が考えて名前を付けるようになったのだ。だからキラキラネームが続出する。とくにルール意識されていた世代が亡くなったのち。江戸時代農民と今のキラキラネームを付ける層(雑駁な分類だとはわかっているがあえてこうするぞ)。両者の違いは何か? それは「自分で考え行動する度合い」だ。選挙が本当にわかやすい。江戸時代人間為政者を決めることはできないし決める必要もない。個人に人権が与えられ個人の権利がなんと国の根本法典にまで認められた現代では、個々人が自由に選択し思考することを全く妨げない。ここに両者の違いがある。知識のない人が自由に考えた結果どうなるか? 光宙が生まれるのだ。

これは必ずしも悪いものではない。知識や故実に詳しい人、少しでも馴染んでいる人はキラキラネームに顔をしかめることもあるだろう。しかルールなき名付けこそが民主化成熟とも言いうるのだ。だがここに民主化問題点も浮き彫りになる。教養がなくてもやっていけるのだ。教養批判なんてそこらへんで見かける。確かに教養ってのは鼻につく存在で、自分がそれを知らないとバカにされたような気になって教養批判に走りがちだ。しかし、なんと、これが現代では許される。何故か。自由憲法保障されているから。江戸時代じゃ無理。武家社会でやってけない。今なら別に教養無くてもいい。あってもいいけど。ということで名づけのルール消失現代社会を占う一つの要素だ。私としてはこういう自分で考えなければならない時代からこそ個人で努力し、考える力をこそもっとも重視して培わなければと思う。

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