はてなキーワード: 考える力とは
特定の相手に対する「行為」(リアル)と、不特定多数の観衆に対する「表現」(フィクション)を区別しないと、回りまわって首を絞められて困るのは僕ら自身だってことに、いい加減気が付いた方がいい。そして、観衆にはそれを見ない自由も手段もあるってことも。https://twitter.com/cynanyc/status/943741182428844032
区別した上ではあちゅうさんは非難されてるので安心してほしいし、差別表現の問題を「見ない自由」によって解決した気になれるのはちょっと面白いですね。未だ居るんですねこういう人。
漫画の主人公も大体童貞キャラだよね。二枚目でちょっとスケベだけど、根は純粋で実は童貞ってパターン。で、ひょんなことから転校生の美少女と何かの行き違いから一つ屋根の下に同居するようになるんだけど、童貞クンだから何もできない。これが漫画のお約束。これもNGなのw 例えば、めぞん一刻も。
誰もそんなこと言ってないから安心して回線を切って寝て欲しい。
不特定多数へ向けた童貞いじり(つまりフィクション)がNGなら、もうハリウッド映画にプロムのシーンは描けないよね。プロムって、彼女のいない男子高校生(つまり童貞)たちがいかに彼女を誘うか人生を賭けた一世一代の芝居が見せ場だけど、例えばバック・トゥ・ザ・フューチャーもダメって話になる。
誰もそんなこと言ってないから安心して回線を切って寝て欲しいし、バック・トゥ・ザ・フューチャーのプロムと『「ねえねえ童貞ってなんで童貞なの?」( ´ ▽ ` )ノ』が同じに見えるならそれはね、すごいよ。
特定の「童貞」個人を指した「童貞いじり」は立派なセクハラだが、個人がブログ等で童貞という一般的な属性を茶化すのはセクハラじゃねえ!表現の自由の範囲。それとも童貞は人種のように本人努力では変更不可な属性だからヘイトスピーチ扱い?>はあちゅうを絶対に許すな
「本人努力では変更不可な属性」ってのにこだわってるけどなんなんですかね。宗教って改宗で変えれるから茶化すのは差別じゃないのかな。「プチ整形したらギリギリ可愛くなれるブス」は本人の努力で変えられる性質だから、茶化すのは差別じゃないのかな。面白い考え方ですね。このひと初めて知りましたがどこかの会社の執行役員なんですね。これくらいの考える力の水準で執行役員になれるってことは、優秀な方が入ったらとてもいい待遇が待っているのだろうな。優秀な方はぜひこの会社に入りましょう。
何度も言うが童貞は差別用語じゃない。性、年齢、身体的特徴、人種、心身障害、出自、民族、国籍、身分、宗教、言語、社会的地位、貧富、職業、学歴、思想は差別の原因になるが、童貞は経験の有無を指す言葉なのでそのステータスは簡単に変わりうる。信条として童貞を貫く場合のみ例外だろうけどね。
だれも童貞が差別用語だとは言っていないので安心して寝てほしいし、「男性」も「32歳」も「黒人」も差別用語ではないので本当に安心して寝て欲しい。
今、私が納得がいかないのは、童貞をネタとして気軽に扱うのはダメだ、傷つく人がいるんだ、←ここまで理解、謝罪
の先の
じゃあ世の中に溢れてる童貞コンテンツは?童貞の自虐はどうなの?自虐もやめさせるべき?
全部ダメなの?
というところです。
お前が世の中にあふれる童貞コンテンツについて納得できるかなんて全く関係ない話なんだから落ち着いてほしいし、まず小学校などに通って欲しい。
童貞をいじるのはダメっていう人に聞きたいんですが地震のたびに「おっぱい!」と男性がツイッターに書くのはいいんでしょうか…?私は実はあれ、結構嫌なんです…。でもそれは私の感じ方が相手の感じ方と違うだけだし、楽しんでる人も多いみたいだから、私の反応が過剰なんだろうし、別に→
https://twitter.com/ha_chu/status/943652436803166208
→私個人に面と向かって言われているわけではないからセクハラだとは思ってなかったけど、私がツイッターで童貞というのがセクハラならタイムラインに地震のたびに並ぶ「おっぱい」はどうなんだろう?とふと考えました→
なんなんだ、おまえは。
遠い親戚関係でたまに会う未婚のいまいちパッとしないジジイの話。
うちは田舎なんで法事とか何かがあると結構な人数が集まるのだけど、数年に一回くらいたまに会うジジイがいる。
年齢はよくわからないけど、前に聞いたら実年齢よりかなり老けているなと思ったことがある。
なお未婚。というか過去に付き合ったことがある人がいるかも疑問。
自分が子供の頃から親戚の中でも空気みたいな人で、用事で話しかけても「あ、あ、あ。うん、どうも」みたいなキョドった態度してるんであまり気にしていなかった。
それがつい先日同じようにある家族行事があって顔を合わせたときに、初めて「こいついやべー」っていうところを見た。
ちょっと軽くお酒が入った席で、ある親類の1人(女)が付き合っていた人と結婚する予定だったがいろいろあって破談になったということを報告してくれた。
周りはちょっと意外そうではあったけどまあ縁がなかったんだなという話になった。
でも古い頭の人も中には少しして「努力はしたの?」とか「本当によく考えた?」みたいなことを言って、それでもその子は「自分で考えたことだから」ってことを言ってそこで話を終わりにしようとした。
そしたらそれまで空気だったジジイが急に口出して「何を生意気なことを言ってる」と言い出した。
周りは「は?」て感じでそいつのことを見たら、急に「何が自分で考えただ。お前にそんな考える力なんてないだろう。だいたい男に捨てられるとか、みっともないのに何をヘラヘラしてるんだ。恥ずかしいと思わないのか」みたいなことをかなり口汚く言い始めた。
最初はポカンと話を聞いてたその女の子も、割りとはっきり言う性格ということもあって「あなたに関係ないじゃないですか。私は自立してるしそんな事言われる理由がありません」と言い返した。
するとまたジジイが「大した稼ぎもないくせに何が自立だ。美人でもないくせに男を選ぶとか、何様のつもりだ」と攻撃を続ける。
途中で不愉快になってその子は席を外したが、別の部屋でものすごい文句を言っていた。
何がそんなに気にいらなかったのか知らないけど、あのジジイ人畜無害なふりして実は相当鬱積したなんかを持ってるんだなと思って怖くなった。
思考法やロジカルシンキングの本を読んでも、その場では納得できても実生活(本を読んだり説明したり)でうまく活かせない。
・具体と抽象
・対立
・並列
といったあたりを意識して読むと良いみたいなのだが、普段本を読むときにそんなところまで意識する余裕がない。
読み始めは意識できるけど、それを維持したまま読み進めるスタミナ(思考体力、思考の粘り強さというのかな)、そういうのがない。
読んでいるときに線引いたり、メモとったりして、図の形にまとめるとかした方がいいのかな。。
趣味の読書に影響があるくらいならいいんだけど(それだってちょっと困るが)、
仕事でプログラミングをやっているので、ロジカルに考える力が弱いとすぐ頭打ちになる。
どうすれば思考の粘り強さを鍛えられるかなぁ。
例えば、あなたは生活保護の受給申請を受け付ける担当・責任者です。ある生活保護受給申請をしてきた人がいるけれども、その人は書類不備でした。しかし申請してきた人にはわからないけれども、自分が少し手直しをすれば十分申請を通す事ができる。ルール上本来であれば申請してきた書類に手を加えてはいけないとされている。さて、あなたは手を加えますか?それともそのまま突き返しますか?
もう一つの例として、あなたはある会社の財務担当社です。このままではあなたの会社は資金ショートしてしまうのですが、ある会社が大量に購入してくれると申し入れがありました。しかし、その購入は月末にはキャンセルして、お金を返金してほしいという申し出でした。ただ、月末には銀行から融資の振込があり、資金ショートを免れることができます。加えて黒字だったので、どんどん利益を伸ばすことができます。この場合、あなたは取引先の申し出を受けますか?断りますか?
サンデル教授の正義の話と同じ性質を持つものだが、普通に生きている上でも十分上記のようなことは起こりうる。もちろんルール通り運用することは正しいことであり、避難されることではない。しかし自分が少し手心を加えることで、多くの人が救われるという場合も往々にしてある。
あまり社会経験を積んできていない人、考える力が足りない人というのはだいたいルール通りやればいいと考えがちだ。それは間違いではないが、ルールを逸脱した人にはそれなりに理由があるということを忘れてはいけない。意見を変えろとは言わないが、自分と違う意見を持つ人の立場に立って考えることも大事だということだ。
だから日本のいいところも駄目なところもよくわかる。でも特に駄目なところが最近すげー目立つ。
日本はいろいろ分析されてるけど、この国は既に破綻してるんだよね。日本の政治家は知ってるはずなんだけど、なんで宣言しないの?
そもそも高齢化が進みすぎ。厳密には、進めすぎというべきか。意図的な政策だからね。
おまえら政治家は、今から対策取ったって手遅れってところまで汚職に手を染めたなあ。非常宣言を出さざるを得ない状況になって更に、今井絵理子なんてサルの脳みそ以下のやつを議員にしている場合じゃねーんだよ。
ちょっと脱線するけど、日本の社会しか知らない視野の狭いやつに政治家になる権利は与えないでほしい。100の知識がある人間のとる政策と、1の手段しか知らない人間の政策ではどちらに希望を持てる?
政治界隈が途上国というか、クリーンじゃないから政策がもう非合理性であふれているし、その結果、社会にまで非合理性が伝搬してまったく時代についていけていない。
特に日本は無益なヒエラルキーが絶望的に成長を止めている。この数十年世界は大きく変化した。でも年取ったじいさん、ばあさんは時代についていけてないにもかかわらず、権力だけ持っているんだよね。いつまでも古臭い過去の成功体験にしがみつく。
新興国にあらゆる分野で追いつかれたよな。そりゃ大学教授にまで雑用やらせて安月給で雇ってたら当たり前だ、バーカ。
政治家さんさあ、あんたらの社会に与えるインパクトって大きいんだよ。なのに、何やってるのさ?正気??国を破綻させたけど自分が戦犯と言われたくないから、まだがんばれてますっていっているの?もうハゲが禿げてないよぉ〜ってあたふたしている感じ???ハゲとるわ、スッカスカじゃ。
なんなんだ政界ってやつは。楽して金儲けできて安泰、欲にまみれたやつの集まる欲望ホイホイじゃねーか。
早く破綻していると言え、楽になりたいだろ??
今のまま年寄りばかり増えてったらどうなるかわかる?
今の少子化に加え、このまま子供の出生率が低かったらどうなるかわかる??
2050年を予想してみろ。
老人だらけで会社はまわらない、生産性は今よりさらに下がり、国際競争力はゼロ。老人だらけの社会では内需すら絶望的で、経済はもう壊滅的。もうすでに地方ではインフラ維持が厳しくなってきた。
それが日本中で起きるんだ。頭の中がお花畑の日本人でもわかるだろ、地獄絵図ってやつが。
いつまで老人を医療漬けにして医療機関に税金を大量投入して老人の寿命延ばすつもりなんだ?さっさと安楽死を導入して、寝たきりの老人で本人の意思があるのなら死ぬ選択肢を与えろよ。
寝たきり老人を本人の意思を無視して延命させることのほうが、現役世代の将来の保証より大事なわけねーだろ、ゴミども。
少なくとも年金制度は破綻しましたって言えるだろ??それは言わないと詐欺ってもんだよ。言っても詐欺だけど。
日本に金があるなら、今の過剰な医療制度も目をつぶることができる。
でも金ねーじゃん。働いている世代の保証を削ってもまだ足りてね~じゃん。
こんな状況になって今なお少子化対策を無視とか、おまえら、日本の将来なんて微塵も見据えていませんって言っているのと同じじゃん。
働いている世代の保証はなくなりました、結果地獄のような国になったけど、しょうがないよねってノリで洗脳しようとしているだろ?しょうがなくねーよ。おまえらの意図的な政策だろ、日本史上最悪の国賊共が。
しかしこんな状況にもかかわらず、仕方ないって考えている人って日本に大勢いると思う。でも全然仕方なくないんだよなあ。政治家が普通に将来を見据えた政策をしているか、していないかの違いだ。今のこの状況は。
年金のない老後がどれだけおぞましいか考えてみろ。貯金がなければ死ぬまで働けってことだぞ。いつまで生きるかわからない不安に怯えながら生涯を終える人生とか想像しただけで吐き気がするわ。
働き続けようにも頭を使う仕事が爺さんには無理なのはおまえら政治家が証明しているよな。体を使う仕事なんてもっと無理だ。さらに時代が時代だ、AIによってあらゆる仕事が奪われる。老人のできる仕事なんて将来まったくないわカスどもが。
人口減の最中さあ、地方創生って言ってるけど、おまえ医者が病気の原因を無視して、治療しないで痛み止めだけ処方しているのと一緒だろ。痛み止めを永遠に出し続けるのか?医療費いくらあっても足りんわ。
もう無駄。無駄すぎる。もう癒着ゼネコンが儲かりました!わっしょい!で終わりじゃ、ボケが。本音どころか建前すら、ただ地方の老人票がほしいだけだろ。
癒着に癒着、嘘に嘘で塗り固める日本の政界は絵に書いたような癒着スパイラル。ドラマでもこんなベッタベタな癒着だらけの政界は描けんわ。
おまえらがやるべきは、日本そのものを健全な状態にすることであって、破壊することじゃねーんだよ。もう手遅れだけどな。
将来戦争が起きることも現実味を増してきたよな。防衛費でるの???
でも政治家さん、国を守ることより自分の将来の安泰と票をくれる老人の寿命のほうが大事なんでしょ?
今の10代はまだ自分の将来がどうとか、そんなこと考える力も経験もないだろう。
でもそんな世代の子供を持つ親はこの日本社会と未来に何を思う?2100年まで生きるかもしれない子供の未来をな。
20代もさあ、ウェーイとか言ってる場合じゃねーよ。なんとかなるっしょーだって?危ない橋もみんなで渡れば怖くないって?みんなまとめて地獄を見るだけだ。
30代、40代の世代はもうそれなりに年金払ってきたよな。絶対リターンはないけど。これから日本はどんどん衰退する。50歳やそこらで転職せざるを得ないことになる人ってすげー多いと思うんだけど、その頃年齢的な問題以前に経済的背景を考えると絶望的だよね。老後に対して貯蓄するなんて無理無理。
さっきも言ったけどAIによって仕事を奪われる人も大勢出てくる。この年齢で大幅なキャリアチェンジってできると思う??
今の50代はなんとか逃げ切れると思ってるだろ?甘いわ。ギリギリ逃げ切れるのは今の60代までだ。
なんでみんな平然としていられるのか本当、不思議。
政治家も悪意が極限まで高いと平気なんだな。国を破壊しても平気でいられるってまじすげー。やはり人間の本質は悪なのか。
起業したが、知り合いの会社起したばかりが能力のない社長(もどき)にちょっかいを出してさんざんこちらに迷惑をかけられた。
で、切ろうとしたらま周りにも非難轟々だが耐えられないので、周りごときった。
そもそも、母親と折り合いが悪い。つーか、20年ぐらい霊感商法に入ってる。
で、入った時からあそこおかしいと感じていて、しかも、霊感商法に入った一因は俺の身の回りのトラブルなので、さんざん喧嘩して弟妹父親にも文句言われてる。
母親については「とにかく喧嘩するな」とのこと。妹の結婚でおおさわぎした。
その頃に僕もちょうど起業したが、起業にもかなり気色悪い話してくるわ、霊感商法に情報流すわのトラブル。
母親関わろうとしてくる。周りに仲良くしろやと言われる。物凄い疲れた。もう弟妹親類との縁も切り気味で行く。
共通して言われたのは「お前が我慢して適当に流してればいいのに」
まあ、でも能力のない社長もどきも母親もこっちに迷惑かけてくるの見えるからやっぱり周り込みで切るしかなかったんだと思う。
初めから拘りを持たずに相手に注目されない存在、接点が少ない存在になってればよかったのかもしれない。人を見ずに近づきすぎた。
母親も霊感商法に入った段階で極力距離を置かないとならなかったのかもね。
で、「就職に必要なのは不条理に耐える力」という記事を読んだ。
ストンと胸に落ちた。ああ、日本は「和を求める」というが、それは「どうしようもなく迷惑な存在でも、上位層に入った奴は受け入れて我慢しろ」という社会なんだ。
改善して変える能力なんか求めてない。あるとしても「上位層が思いついたという形にして」という条件が必要。
本来組織というのは例えば目的に応じて必要な仕事を決め、不要な仕事を削減する能力。
あるいは、自分を抑えて部下が正しいのなら部下の進言に従って今なすべき目標に対しての最適な行動を取る能力が求められる。
でも、日本で求められるのはとにかく議論を嫌がり、各々の自己愛を傷つけないようにする。上位層に入れれた奴の自己愛を守るだけの社会。
森友や日本会議みたいなね。上の言うものはイエッサーと服従してくれる社会。本来儒教は上がどうあるべきかの話のほうが遙かに多いが、下がどうあれというのだけ切り抜いた腐った儒教。
目標があってやるべき仕事の優先順位が決まるというが、日本企業だといろんな「俺を認めて欲しい」という関係者でぼやける。
それで、上位層に入るのが当人の能力じゃなく年功序列で決まるものであれば、上位層が腐ってしまったらもうどうしようもない。
議論ができない社会でもあるから内部からその腐った上位層を補正する方法がない。まったくない。
一方で考える教育というが、そんな物「上位層が腐った状態」で「目的に応じて」考える能力なんていらないでしょ?
必要なのは「上位層のプライドを傷つけずにやり過ごす能力」「上位層が右と言ったら右という能力」
だから、日本企業は総崩れ。根本的に金回りを悪くして日本経済が悪化し、企業の新陳代謝が悪くなったというのもあるが、加えて腐った上位層が増えすぎているという事もある。
そうして「考える力」がついた人たちは苦しむ。「不条理に耐える力がある人」はそういう全体像が見えてて、大企業でも腐っているのが見えてる状態ではとにかく潰れない公務員がいいよねとなる。
別に不条理に耐えるから幸せになりたくないというわけじゃないでしょう?不条理に耐えるから、生活がきちんとできて極力不条理が少なくてもいいところを見極めてそこに行きたいだけ。
みんなおまんまきちんと食えて、家族作って幸せに暮らして、老後も苦しまずに生きて、そして死んでいきたいんだわ。
腐った上位層を排除して、儲かりそうにない事業から撤退しその時儲かりそうな事業に専念できる経営者に変わったら復活する事例が多いのもそのため。
これはただ単に「ワンマンでやる経営者が良い」というのではない「目的に応じて必要な行動を取るために調整、場合によっては喧嘩、人を切ることもできるが、目的に達成する人を生かせる経営者」
という事なんだよな。
という組織論。自分に照らし合わせてみると、自分の会社の開発商品も未完成。うまくいかない可能性もあるかなと思う。
けど、その暁にはやはり、海外にも通じるぐらいの実績残して、この分野の仕事として海外に出ないとな。
やはり自分の仕事で新しい分野は切り開けると思う。自分の会社の仕事としてではないかもしれないけど、海外なら高給取りも狙えるかもしれない。
けどまあ、「不条理に耐える力」「適当に流す力」がないから一人になったね。そもそも、周りに関わり過ぎというのはある。おせっかい。
けど、こうじゃないかな?ああじゃないかな?という考えとか何とか「考える力」「変えられないかという気持ち」があったからアイデアが持って起業はしてて、技術的にはそれなりに自信がある。
やっぱり、自分自身アイデア出す力あるわと仕事していても思う。どうしてもひとつひとつ実現していかないとならないから歩みは遅いけど。
パッパラパーに能力がないのに海外行くのは薦められないけど、やっぱり能力に自信がって海外出たいというのなら出るべきなんだろうね。
中国でもインドでも母国が未開の不条理に耐える国だからアメリカに行きたがって、そちらで成功するんだ。googleの社長とかMSの社長今インド人だし。
何かを考えながら話す時、敬語で話すことが出来ない。いや、敬語で話すことは出来るけど、敬語を使おうと意識すると話の構成能力が著しく低下してしまう。その低下を感じ取ると自然と敬語を使うのを諦めてしまう。
面接では敬語で話さなければならない。でも、僕は敬語では考える力が落ちてしまう。
ほかの人も僕と同じように敬語を使う時には考える力が低下しているのにも関わらずうまく話せているのかもしれない。つまり、僕の脳みそが足りてないと言うだけの話なのかもしれない。
もしくは、僕の敬語へ変換する機能が最適化されていなくて、それが最適化されればなんの問題もなくなるかもしれない。
どちらにせよ今の僕は敬語でうまく話せない。
心の中ではそんなのどうでもいいじゃないかと思っているのだけど、世間はそれを認めてはくれない。敬語が上手く使えないのは自分に損があるのでどうにかしないといけない。
でも、むりなんだよー。
Wikipediaによれば、あのリチャードファインマンはどんな相手にも下町言葉を話していたというし、どんな言葉遣いをするかということと、その人がどんな人かということは少し距離があるはずなのに、すこしズレた言葉を話すと、ズレた人間だと認識されてしまう。いや、それは正しいのか。リチャードファインマンがすこしズレた人間であることに間違いない。
結局僕もすこしズレた人間で、それをそのまま表現すればいいだけなのではないのか?いや、しかしそれはリチャードファインマンのように有能な人間にだけ許された特権で僕のような凡人は普通の言葉遣いを覚えて凡人として生きていく術を身につけなくてはならないのだろうか。
どちらにせよ、敬語が上手く使えないのは就活では不利なので、どうにかしなくてはならない。
どうするかはまだ決めてない。
私は面倒くさがりだ。
放置していると後々面倒になると分かっていても、「面倒くさい」で先延ばしにする。
想像のとおり、「夏休みの宿題」も面倒だから先延ばしにするタイプだった。
社会人になり、面倒くさがりは身を潜めた。
逆に良い方向へ働いている。「毎日毎日同じ作業、面倒じゃないですか?」とExcelのVBA組んだりしていた。
ただ、こうなった理由として考えられることが一つ。
「親が過保護すぎた」のだ。
一人暮らししていたら、部屋を散らかしたら片付くことは無い。自分でやるしかない。
一人暮らししていたら、事前準備をきっちりしないと忘れ物をすることがあるだろう。
だが、母が時間割を盗み見て全て準備してくれていた。
一人暮らししていたら、料理、洗濯、掃除全て自分でやらないといけないだろう
一人暮らししていたら、通帳やその他手続き全て自分でやらないといけない
だが、母が全てやってくれていた。電話や役所への手続きは全て母だった。
母は、家政婦のような位置づけだった。
私は自分で「どうすべきか」考える、予想する力がどんどん低下していった。
でも、母の事は、すごく感謝している。母のせいにするつもりはない。
まず、今日は家に帰ったら「5分だけ机の上を片付ける」ことから始めようと思う。
いきなり全ては無理だ。絶対に続かない。
所属研究室は、テクニカルスタッフを雇うほどお金に余裕がある研究室ではないため、研究の準備・雑用はほとんど学生達で行っています。
そのため私自身も本意ではないけども、研究の準備・雑用も自分のタスクに入るのではないかと考えています。しかし、先輩は自分のタスクにそれらを定義していないのかもしれません。共有事項ではなかったことに残念です。
ところで、高品質かつ高速でタスクをこなしてゆく人が「仕事が出来る人」というご回答ですが、すごくしっくりときました。それと同時に、先輩に対しては「高品質」というのが欠けているのかもしれないと妙に納得してしまいました。
先輩は研究に対して考えることを放棄してしまっているが故に考える力が欠落してしまっているかもしれません。勉強はできる人なのですが…。なんだかなぁ…と思ってしまいます。
アマゾンの無人レジで有名なAmazonGOや、イオン・TSUTAYA・ローソン・GUでの無人レジ&自動袋詰め導入で、時代が大きく変わっていきます。
2016年ではすでに日本でも、イオンやTSUTAYAの無人レジは一部の店舗で導入されています。
今後2017年以降は、アメリカでもテスト試験されているAmazonGOが日本でも導入するとのこと。
ローソンの無人レジ&自動袋詰めの「レジロボ」(Panasonic開発)も、2018年以降に随時導入していくというニュースがありました。
これらの無人レジで得るものはたくさんありますが、逆に失うものもあります。
当然ですが、コンビニのローソンがこの無人レジ&自動袋詰めを導入するとなると、その他のコンビニ大手も必ず導入していきます。
それから、コンビニだけではなく、スーパーや百貨店などのあらゆる店舗に無人レジ&自動袋詰めが当たり前の時代になります。
ローソンなどのコンビニの仕事の中で、お金を扱うレジ係は1番気を遣うもの。
その仕事がなくなることで、コンビニなどの仕事の負担は軽減されます。しかし、人間の仕事が限られてくるので、コンビニの採用枠は減っていきます。
別にそんなに人間を雇わなくても大丈夫な地域も出てきますからね。
今までレジ係をしていた人の仕事がなくなるので、他に仕事がない人は少し危機管理を持たなくてはいけません。
これは何も無人レジに限らず、他の業種にもいえること。例えば、タクシーの運転手という仕事もいずれ「自動運転化」によって無人タクシーが導入されることでしょう。
対策としてはこういう時代になる前に、副業が本業になるくらいの稼ぐ力をつけていきたいものです。
けれども、AmazonGOの完全無人レジ化で、万引きという犯罪はほぼなくなります。これは大変店側にとっても嬉しいことですが、また別の犯罪も生まれてくるのが世の常。
例えば、他人のスマホや、盗んだAmazonIDで買い物をするという悪い人間も出てくるでしょう。
何かが終われば、また新しい何かが誕生するのは仕方のないことですが、犯罪も例外ではありませんね。
コンビニの店員とコミュニケーションをする風潮は、時代とともに少なくなってきていますが、それでもコミュニケーションを楽しみにしている人も少なからずいます。
ローソンなどの無人レジ&自動袋詰めが完全に導入されると、「お弁当温めますか?」という会話も消えます。
そのうち、お弁当などを自動認識して温める機能も付いてくるでしょう。
店員たちとコミュニケーションをすること自体が少なくなってきている感じがしますが、無人レジ化によって、ますますコミュニケーションがなくなるのは間違いないですね。
これからの時代は、ドンドンと無人化やAIロボットなどで自動化が進んでいきます。日本の人口が減少傾向になりつつあっても、このシステムがある限り、国が廃ることはありません。
しかし、考える力や個人で稼ぐ能力を持たないと、個人個人が廃っていく時代になります。
いつまでも、他人の会社による給料だけで生きていく人生は本当に危険かもしれません。ただでさえ少ない給料に、今後はもっと下がる現実も待っています。
給料泥棒の使えない人間を雇うよりも、24時間無休で働いてくれるロボットの方が絶対にいいですからね。
上司「お前らはまさにソレだ」
同僚「どうすればよいのでしょうか?」
こんなやり取りが2年ほど続いた。
そして同僚は自殺した。
今ならパワハラとして訴えることが出来るのだろうか。
今でもまだ難しいのではないだろうかと私は思う。
今の日本人の目には、ただ上司が部下を指導しているだけに映るだろう。
今なら分かるがその実態は全く違う。
だけど当時の私はその事に気づけなかった。
曖昧な言葉を使う事で相手に言葉を反芻させ、結果として自分から破滅するように仕向ける。
”一時が万事”という言葉だけを使い後半を隠す。
その後に隠されているのはネガティブな単語だと想定する事ができるが、それは直接言われたのではなく自分で考えた言葉なのでより深く刺さる。
また、”一事が万事”という表現を使うことで相手の何もかもを否定すると同時に、全てを上手くやらなければ批判されるという恐怖を与える。
リソースには限りがあるので全てを上手くやることなんて出来ない。
何かに力を傾ければ何かが犠牲になる。
部下の考える力を伸ばしているという風に見せかけて、実際は相手に反論の余地を与えないようにして逃げ道を封じているだけだ。
上司が何を求めているのかが説明されないのにそれまでと違う自分であろうとするのだから、リソースの配分は滅茶苦茶になる。
それを繰り返させながらも上司は一向に答えを示さず全ての責任を同僚に負わせた。
そして同僚は、上司のマネージメント力不足による影響までもを自分のせいだと考え遂には死を選んだ。
整理してみると分かるが、実によく出来た呪いだ。
黒魔術と呼ばれている物は、もしかしたらこういった相手をいたぶる言葉のテクニックだったのではないだろうか。
言葉には不思議な力が宿っており、何気ない言葉の使い方1つで他人をいらくでも苦しめることが出来るのだ。
また、その暴発に気づかないで呪いを振りまいている人間には近づくべきではない。
よほどの理由がなければ関わる事でメリットが生まれることはない。
自分の使う言葉に無自覚な人間というものは、他人との関係に無自覚なのだ。
他人との関係に無自覚ということは、相手を傷つけることを平気で行える人間だという事に他ならない。
http://anond.hatelabo.jp/20170514161530
というダイアリーがある。
まず一つ目。見ないと馬鹿になるという方。
>>「テレビ見ないからみんなバカになるんですよ。そういう人は芸能人の話にも疎いし、話に厚みがないじゃないですか。」<<
なるほど。この人の認識として、芸能人に疎い、又は話に厚みがない事をバカとして認識している。
ここでは芸能人として書かれているが、たしかにTVを見ていないと知りえない知識が存在するのは確かである。
TVでは単純に情報量が多いのだ。なぜなら視聴者は一方的に受け身になりつづけるからである。
受け身の視聴者を飽きさせずに楽しませるには、情報の消費がもっとも単純かつ明快であろう。
まったくTVを見てない人と、よくTVを見る人では、情報量の差は必然的に変わってくる。
ここでいう情報の質とは、「使うか使わない」ではなく「信頼し得るか」である。
確かにTVを流してみていると凄い量の情報を与えてくれる。自分で調べるよりはるかに手っ取り早いし、自分が興味ない情報までも入ってくる。
情報量の多寡をバカかの判定基準にするならば、TVを見てないとバカになるという説もあながち否定はできない。その情報の質は問わずにね。
あ、TVでどういう番組みるかって話をすると面倒だからここでは省略するね。
私はどっちかと言えばこちらの意見に賛成する。
ただ勘違いしないでほしいのは、決して「テレビを見なければ賢くなれる」訳じゃあない。
テレビは沢山の情報を与えている事はわかっている。じゃあその情報って100%正しいの?ってお話。
別にTVの情報が間違っていると言っているわけではない。が、正しいとも言わない。
ただ情報の質が良くない。質の高い情報は、合理的で、簡潔で、シンプルなものだ。
出所のわからない情報や、偏っている情報は"質の悪い情報"として考えている。
TVというのはたまに一方的な視線で物事を捉えて話す。即ち印象操作である。
印象操作とは嘘をつくことではない。偏った物事を報道するわけなので、真実を報道する。
その真実をどう話すかで、視聴者の印象なんでどうにでもなるのだ。
偏見放送でなく、単に知識をつける系の番組も存在する。語彙力ないからなんて言ったらいいのかわからないけど察してくれ。
その番組を見てて思うのは、結果を異常なまでに重視しているのである。結果は解答と言い換えてもよさそう……か?
この記事を読んでいる皆いいかい?物事において大切なのは、結果ではなくプロセス、即ち思考だ。
問題定義が変われば結果なんてどうにでもなるんだ。結果は万能ではない、あくまで結果だ。
そのプロセスをすっとばして結果だけを報道するTVって多くないかい?
どうしてその結果・回答に至ったかを、さもわかりきった顔で説明しているTVは、ほっとんどその表面を撫でるだけの説明にしか過ぎない。
つまりのところ、何が言いたいのかというと、TVでは考えるというプロセスを挟まない。
考える力を伸ばすという点においては、それを放棄させる動きにあるのがTVとみている。
もちろん全ての番組がそういうわけでもないし、あくまで平均化された一般的な番組を言っているので、あの番組は違うとか言わないでね。面倒だから。
つまりのところ、この考えの人は「バカ=思考停止している」という認識なのだ。たぶんね。
しっかり自分で考える事の出来る人は、報道番組を見てても違和感を覚える人はおおいだろう。
なぜならその情報を鵜呑みにするのではなく、しっかりと自分で考えるというプロセスを持っているからである。
違和感ばかりになったTVを見続けるかと言われたら、見なくなる人もいるんじゃないのかな。
そういう意味において、「TVを見ればバカになる」=思考放棄するクセがつく、という事なんじゃないだろうか。
あと、このすごく長い長文をここまで読んでくれた人、ありがとうございます。
これは私の思考プロセスを示したものであり、TVでは放送しない、考える事に重点をおいた駄文でした。
常々思っているのだが、新人に仕事を教えるときに、自分で考えさせると伸びないと思う。
すぐに答えや手順を教えてやった方が良い。
もともと考える余地もあまりないし、右も左もわからない新人から劇的な改善策など出てくるわけがない。
自分で考えさせたところで、無駄に時間がかかって、おまけに間違えてるのがオチだ。
作業手順を教えるのでもあえて簡略化して教えたり、
結果が間違っていた場合もどこが悪かったのかをすぐに教えず、考えてみろと放置してしまうパターンが横行している。
むしろ仕事に対して恐怖感を覚え、萎縮してしまい、緊張感から物覚えが悪くなったり、
怒られる恐怖から聞くべきことを聞くこともできず、結果さらにミスってしまうという悪循環に陥りやすい。
結果として成長を鈍化させているという残念なパターンが大半だ。
中には自分で考えて正しい答えを出せるやつもいるが、それは指導方法が良かったのではなく、もともと優秀なだけだ。
当時は自分もまだ子供だったのだけど、そんな子供ですら周りが子供に見えたのはネットから。
誰が何を言っても、まずは周りを否定することから始める人がいた。
その人が否定して相手を徹底的に貶し始めると掲示板が荒れ放題になる。
一人の心無い行動のおかげで荒れまくったのだけど、気がついたら皆が荒んでしまって
新規・既存問わずで手当たり次第に噛み付く人だらけになっていた。
学生から成人まで、みんなが個人を攻撃する様は小学生のいじめのようだった。
うんざりしたので掲示板にいくのは止めた。それからは気が楽になった。
現在になって、ここ数年で特に感じるのはネットからその子どもたちが外に飛び出してきてしまった。
ネットは相変わらず、相手に対して煽り・攻撃の繰り返し、社会でも政治家同士の子供の喧嘩。
注意されれば逆ギレを起こす人たち。
長々と説得されるような文章でレスされると理解しようとせずに「長文乙ww」で済ませてしまう人たち。
相手の言っていることを理解しないで流す事ばかりしているから成長しない。
学校の関係でもPTAは教師を殺そうとしているレベルの要求をしているし、
政治家は政治家で足の引っ張り合いが一番になってて国全体を本当に見ているのか怪しくなってる。
ネットでは日々、煽ったりしながら他人を攻撃しているだけの頭のおかしい人が減らない。
当たり前だけど、自分は完璧じゃない。けども、上の事を考えるくらいの力は持ってる。
でも、社会でああいう行動を行っている人たちはその程度の考える力も持っていないんだとも思ってる。
もし仮に疑問に感じる事があるなら、今までの自分の行動に恥を感じるんじゃないかと思う。
そういう気持ちが一切ないままだとしたら、やっぱりその程度の力も持っていないんじゃないかな。
いくら多種多様な意見があるとしても、相手を傷つけるくらいの言葉かそうじゃないかくらいは判断はできるはずなんだよね。
言葉を選んで回答するという配慮ができない人が多くなってきているのが辛い。
そんなに相手を傷つけたり、つまらない諍いに発展させようとしている人たちは何を考えているのかが分からない。
こうしている間にも増田では、他人を攻撃するトラバが絶え間なく続いている。
そういう人たちは「自分がやられたら嫌と思うことを他人にしない」という幼稚園児でも習ってわかっている事が学べていない。
大人になればなるほど、嫌なことをしないっていうのは理解が深まるはずなのに出来ない。
なんでだろうね。
「「「.................」」」(思い出したようにビールに口をつける)
となるバッドエンドにしか辿り着けない。
というかよく考えたらこれまで自分はきちんと他人と会話してきたのかな??
「ボケ寄りの行動とる」→「周囲にいじられる」というスタイルに頼ったコミュニケーションをしてきたので、
穏やかな会話の仕方がわからないことに気づいた。
まあでも聞き手でいても良いなら、なんとかやれるかも。
話し手は無から有を生み出さなきゃいけないから大変だけど、聞き手はあんまりそれがないからラク。
あと自分に主体的に考える力がないので、大抵の発言に「なるほど!すごーい!!」と思えるから。
なるほどすごいマンでいることも、反応乞食みたいなボケで場を繋ぐことも、
卒業しなきゃなあって思うんだけど。
あと不安なのが、年代まちまちの人たちと会話しなきゃいけないこと。
年代が違う人との会話って、なんかいづさ(※東北の方言。しっくりこないみたいな意味)を感じる。
特に20歳差くらいから感じる。通用しない冗談の幅がグッと広まると思う。
で、この違和感キャッチすると、なんかもう会話するのがやんだくなる。
そして相槌マンと化した私は、正しい反応を狙う博打をするのみ。
汎用性高い、野球やサッカーの話ができればよかったが、どうしてもスポーツには興味持てなかった。
(スポーツの会話できる人は強いと思う。)
というかスポーツに限らず、何か首ったけになれる趣味の一つでもあれば、会話の入り口要因くらいにはなれたかもだな。
また浅く広くでもいいから、見聞が広ければ、他人の発言にもっと適切に共感できたのになあ。
ざまあみろと思う。
「便利なツールによって人は馬鹿になった」とは、上司の口癖のひとつである。
だが厳密にいうとこれは間違いだ。
便利なツールは人間を均しているのだ。つまり馬鹿になっているのは、あたまのいい連中だけだ。ははは。ざまーみろ。
テラタームの普及により、新人からはtelnetの概念が掴めなくなった。
環境変数が存在するから、javaのバージョンも変更できねえ。
みんなそうなんだ。ははははは。ざあまあみろ。ははははは。
かつて、コマンドとかカレントディレクトリとか、エンジニア界の絶対的な概念が理解できず躓いて、頭が悪いと認識されたやつ
そんなやつが、それを明らかにせず、あたまのいいやつと同等のパフォーマンスを上げられる時代になったんだ。
そうして自分が馬鹿であることに自覚がないやつは、ある程度の時期で気づく。浅い。考える力がない。
そして、できないやつとレッテルはっていた、自分がバカにしてきた、
作業の遅いやつが、一番だいじな「思考力」をもってるのだと気づく。
便利な道具うんぬんじゃなくて、
それは経過にちょっと影響を与えるだけで、