はてなキーワード: 排外主義とは
ゼノグラシアを「アイマスでない」みたいなわけわかんない理由で袋叩きにしたり(アイマスでないって何????????????作品で評価できないのかよハゲ)
キャラクターの胸のサイズをいじり続けてたり(これはマジでキモすぎる)
男オタクはプロデューサーで女オタクはプロデュンヌみたいに男女で呼称分けしたり(差別では??????)
アイマスが好きなんじゃなくてアイマスで慣れ合うことが好きなんだろ?
これでさー
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/180111
sho 面白いテキストだったし、.KRは一度は観ておきたいと思ってるけど、文中何度も登場する「私達ファン」をみて「それはアイマスではない」って気持ちにしかならんかった。おれらファンじゃなくてPだし。
てゆーーーか慣れ合いの排外主義すぎるんだよ
「自分が貧困になる可能性がある」とか言って、福祉政策の必要性を主張している人がいるけど、バカじゃないの?
ネトウヨだって、労働問題や福祉政策については弱者目線の人が多いっつーの。
人が失職して生活に困ったり、病気・障害を負うことはあっても、性別は変わったりしないし、LGBTになってしまう可能性は無い。
そのため、「もし経済弱者になったら」という仮定は有効だが、「もしマイノリティになったら」という仮定は無意味なのだ。
一方、現代の左翼(リベラル?)は、経済的弱者だけではなく、マイノリティを支援しようという動きを取っている。
つまり、女性、少数民族、LGBTが差別されない社会を作ろうというのである。
このようなアイデンティティ・ポリティックスは、明らかに左翼の力を分散させる結果になっているし、個別に見ればマイノリティが経済的強者というケースもあるから、ねじれを生んでいる。左翼がネオリベの走狗になっているという、まるでディストピアのような政治状況だ。
それに、マイノリティの間でも利害の衝突はあるわけで、女性・LGBTの権利とイスラム教徒の権利は衝突するのではないか? 本邦においては、hatenaやTwitter界隈で、フェミニストとオタクが演じている激闘がそれである。
https://anond.hatelabo.jp/20171023212011
追記
「ネトウヨだって、労働問題や福祉政策については弱者目線の人が多い」という部分に反発があるようだが、在特会のレイシストが「普通の日本人」と自認していることを考えてみればいい。
彼らの脳内では、自分たちは権力を持たない一市民である。そして実際、その多くは富裕層ではなく、一介の庶民なのだ。
差別や排外主義、歴史修正主義の主張を行っている者たちが、労働者である自分たちの賃金を上げてほしい、ブラック企業は撲滅してほしいと述べることは、ことさら矛盾していない。自己の利益を最大化しようと活動するならば、自分とは直接関係のない者に対して冷淡にふるまうことは合理的だとさえ言える。
失業や貧困については、将来的に起こりうる不安だから我が事として考えられるけれども、差別問題をそのように理解するのは難しい。こうなると元増田の人が言っているように、リベラルは「弱者を救えば最終的には貴方も救われる」というやり方で連帯を訴えるか、「弱者に尽くす事は損得勘定以上の意味合いがあるのだ」という宗教じみた倫理観に訴えるしかなくなるだろう。
私は別エントリで、サヨクのことをカルト宗教と呼んだが(https://anond.hatelabo.jp/20171024075235)、後者の態度がまさしくそれである。それは信者に損得勘定を忘れさせ、人権やポリコレにひたすら尽くす苦行・喜捨をやらせて、仲間内でたがいにその涙ぐましい努力の成果を自慢しあっているようなものだ。
勿論、そのようなカルト的な熱狂で動いているサヨクがいたからこそ、さまざまな人権問題が改善してきたのだとは言えるし、むしろ有益な部分は多い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c
あとシノドスのフリーライターのレポートもあったが、どれも「医術と呪術を混同する両論併記をやめよ」という趣旨が確認できる。
林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、
林氏は心無い中傷で県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。
本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。
壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。
そうした福島県民を始めとする東日本大震災の被災者の皆様の気持ちは自然であることは認める。
しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会が始動しだしたところである。
私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、
泥流による放射線の健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、
新潟県知事選当時、県内在住の反原発派から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。
(インターネット上で選挙運動や訴訟活動を行っていることを明記した人物に限定した話ではある)
現在、在日コリアンを念頭に外国にルーツある人物へのヘイトスピーチは違法化された。
この前例に則り、学術会議への異論も福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、
事実、在日朝鮮人や沖縄人への民族差別をアナロジーとして、福島県民への差別を説明するレトリックは存在している。
このような議論は被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である。
しかしポストコロニアルな当事者性を強調することで国や東電の構造的責任が看過されてしまうことはないのか。
実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災の観点から引用し検討することすら差別や呪術であり、
野蛮な攻撃とすることは学問の権威化であり、自由を害することである。
こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。
2007年の中越沖地震での放射能漏れが原体験として上げられている。岩手県の震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。
チェルノブイリは福島第一よりも安全という発言は海外への県の農産物輸出戦略の一環である。
国際的観点から見て廃炉出来ていない原発がチェルノブイリに比して安全だと言えるのか。
ショッキングな発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要な見解だったのであり、
過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。
(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義を扇動している自民党からしか国政候補へ立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)
私の知る限り、泉田知事が被爆が疑われる人物に意識的に差別的な県政を行ったという情報はない。
四期目を断念した後自ら原発に屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、
撤退理由であるフェリー船問題は船を売りつけた韓国企業が東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、
そのような形で追い込まれて撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。
このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難な言動を求めるのは酷すぎる。
県民の代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味を想像していただきたい。
5分でわかるカタルーニャ問題の増田です。すごい伸びててビックリしました。増田でブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!
https://anond.hatelabo.jp/20170910082231
ということで、補足説明の補足に来ました。
sgo2 東京が税金が地方にばら撒かれるのはうんざりだから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府が辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)
その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画の実施率はマドリードがほぼ100%、バルセロナでは10%以下)。
さらに、法律では介護費用は中央政府と自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州の拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局も廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。
仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。
mahal しかし徴税権の上前問題、ぶっちゃけバレンシアやラマンチャ、アンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。
実は2006年のカタルーニャ自治州新自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシア、ラ・リオハ、アラゴン、バレンシア、バレアレス諸島の5自治州からも違憲だとして提訴されています。ムルシア自治州とラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州を構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州とバレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州の独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語の勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語はスペイン語)。要するにカタルーニャは隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。
shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい
スペイン語という習い事をカタルーニャ人に押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。
スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方でしか通じない特殊な言語で学ぶ必要は特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。
IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪を別にしても政治そのものがヘタクソすぎないか
これはもう統治技法の問題じゃなくて、国民党(や市民党)からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法を無視し国家の統一を破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。
ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャの雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャの要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつうの市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党・国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。
もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャの民意をそれなりに反映しているわけです。独立派+独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。
あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動をフランスの国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義的運動だと誤解する人も結構います。実際には既に指摘したように移民の出自で独立に賛成している人も大勢いますし、普段スペイン語で生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャを独自のネーションと認めないのってスペイン国粋主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャに移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちがカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。
以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルにカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。
マドリーに住んでる子にちょっとカタラン少しだけ勉強してみようかなって言ったら「スペイン語に集中して。カタランはそこでしか話されてないから」的な返信来てあぁ〜!!これが噂に聞いていたスペインの多様性!!(褒めてない)という感動 castellanoのことをespañolと書いてるし— さいか@バルセロナ (@sik15esp) 2017年9月10日
これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画がようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。
https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM
atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語を統一して、国を維持してるよね。イギリスはスペインよりうまくいってないし。
いや、フランスもバッチリ少数言語のアイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者のテロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近は地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。
ちなみに欧州の少数言語はWikipedia作りが盛んで、バスク語やオック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。
参考文献はこちらです。
stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理がおかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。
私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈で違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。
anus3710223 仮に独立した際、ビルバオの処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。
mrescape 独立したらリーガのバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカのMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージで
ビルバオはバスク自治州のチームなので、今回の住民投票でカタルーニャが独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思います(https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。
gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスクも自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。
が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。
yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民が47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治に成功しているんだなあ
いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民の民意が中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策・発言ばっかりされている、独自の文化と歴史を持つ県が。
「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!
田山さとし battery_brides を報告ページからこの文章と以下に挙げるツイートで報告した。
ツイッターURLを付けた文を増田にアップしたところ反映されなかったので、URLを削って再アップしました。
読みにくいと思うけど勘弁して。
「『○○○○ン人』を最初に使ったのは野間」という文句が田山界隈から挙がっていましたが稚拙な反論だったので無視していました。
しかしブクマで疑問に思う方もいらっしゃったので、文末に理由を書き添えました。
6月27日に田山さとし battery_bridesを、以前凍結されたアカウントと同じように李信恵氏(rinda0818 リンチ? QT rinda0818: 例の奴キメてきた。 )
それから二ヶ月、このアカウントは報告した5つのツイート以外にも嫌がらせや差別の扇動を続けています。
李信恵氏には事ある毎に「リンチ」という言葉を入れたツイートをしています。
(https://twitter.com/search?f=tweets&q=from%3Abattery_brides rinda0818 リンチ&src=typd)
これは数年前に起こった傷害事件を揶揄しているのですが、李さんは刑事事件では立件もされず現在民事で係争中です。
このアカは李さんに限らず手当たり次第この件と結びつけた返信を続けています。
「主水にムカついたら殴っていいみたいですよ QT @Tomicajpn: 渋谷さんにムカついたら殴っていいんだよね?7:02 - 2017年9月3日
「返信先: @Anti_Discriminaさんリンチ報道に苦言を呈した李信恵と記事隠蔽の圧力をかけた西岡研介と似たようなもんじゃん」
事件当事者でもないこのアカウントが執拗にこの件を持ち出すことが嫌がらせでないのならなんだとお考えでしょうか。
このアカウントは報告した「この糞チョソン人 」「外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然」という直接的な差別表現の他に
「早く日本を脱出すべき」(言い方を変えた日本から出て行け。在日差別についてのツイートであることに留意)
「固有の歴史って何?」などと他文化を否定するツイートの他に、「Kアラート」などと災難は北朝鮮からしかこない様な物言いや
朝鮮学校をネオナチ教育などと呼ぶ差別発言や扇動も数々しています。
そしてこのアカウントの一番の特徴は前回報告でも指摘しましたがQTを使い、
そのツイートを自分のフォロワーに自分が元IDを文面に入れる事で元アカウントを攻撃させることです。
このツイート
「返信先: @springrollerさん
QT @springroller: 灘校が学び舎の教科書を採択したら、自民党議員から電話が入り、ウヨから学校に変な投書がじゃんじゃん届くようになったという校長先生の話。 「謂れのない圧力の中で ̶̶ある教科書の選定について」19:18 - 2017年8月1日」が、
この返信を誘発し、「返信先: @battery_bridesさん、@springrollerさん灘高も汚染されてるって事か」
田山をブロックしていた元アカウントの知るところとなりました。
「しかしこっちがブロックしてるのにわざわざTweet拾ってフォロワーに突撃させる式神使いみたいな人って何なんだろうねぇ。突撃してくる人も自分が式神とじゃ使い魔とかファンネルみたいな扱いされてるって自覚してるんだろじゃ」
「返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)」
このやり方は巧妙で、田山アカをブロックしても次々新しいアカウントが出来るフォロワー全てをブロックしきれません。
shiri_no_waremeというアカウントは以前shirinowa_reme_ というアカウントを凍結されましたが、
「返信先: @battery_bridesさん、@rinda0818さん
隠蔽工作も #エル金は友達 タグも凡どどラジオ自粛も講演会中止も、全部しばき隊のリンチ事件と繋がってるよね QT @battery_brides @rinda0818: Jアラートも小池知事の追悼文を取りやめも、根底は全部排外主義や歴史改悪主義に繋がってる」
「返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …」
battery_bridesはつい最近ツイッタールールに違反したとして警告された筈ですが、
警告後も世間で話題となった事件に李信恵氏を関連づけアンケートをとるという攻撃的なツイートをし、
これらの行為はツイッター社のルールのみならず、常識的に考えても悪意ある行為だと私は思います。御社の厳正な判断を望みます。
尚この報告文は他の方の意見を仰ぐためネットに公開する所存です。
返信先: @Yonge_Finchさん
この糞チョソン人凄いこと言うな QT @Yonge_Finch: 今考えて見ると、北朝鮮が拉致被害者を返した頃は、北朝鮮はまだある程度対話が可能だった。あの時、北朝鮮は彼らなりに低姿勢で来たのにまったく効果ないことに気づき、今のような極端な生きるか死ぬかの戦法に変わったのだと
返信先: @kentarotakahashさん
マジかよ李信恵最低だな QT @kentarotakahash: スティック取り上げられても、日野を睨みつけ、素手でドラムを叩き続ける中学生と、「何だ、その顔は」と素手で殴っちゃった日野皓正。どっちがカッコワルイかも歴然だな。
返信先: @rinda0818さん
リンチ事件の当事者が「暴力はあかん」と言っても誰も聞く耳を持たないけどな。 QT @rinda0818: その子どもが持つものを伸ばすのが教育だと思うので、不均衡な場所での暴力はあかんなあと思う。
返信先: @sing_whaleさん
外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然だよ QT @sing_whale: ノンフィクション作家の高 賛侑(コウ チャニュウ)氏 「日本に住んでいるのなら帰化(国籍を取得)すればいい」と言われることがあるが「この言葉には裏を返すと、外国籍だったら差別されても仕方がないと…
返信先: @rkayamaさん
朝鮮ネオナチ養成の朝鮮学校を潰そう! QT @rkayama: 可視化されてなかっただけで、日本にもネオナチがたくさんいたんだな。恐ろしい。でも気づけてよかった。その動きをネットの外には出させたくない。
固有の歴史って何? QT @sing_whale: 多民族共生人権教育センターの文 公輝(ムン ゴンフィ)事務局長 「在日コリアンでも日本で生まれ育った人の多くは、在日が持つ固有の歴史や問題を理解していない。生活保護を受ける人が多いという実態と『無年金』問題の絡みなどを
返信先: @rinda0818さん
返信先: @ishibs_kanagawaさん
一刻も早く日本を脱出すべきだな QT @ishibs_kanagawa: 朝鮮学校の無償化排除を巡る裁判の勝訴に「生きていてよかった」。そう感じさせるほどの抑圧と絶望の中、在日朝鮮人はこの社会で生きているのだと教えてもらいました。時代の正体
返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …
返信先: @harumi19762015さん
言わなくて正解 QT @harumi19762015: たとえ宇宙空間であろうと国土の上空に飛んでいたら落ちるかもしれなくて怖い、アラートはちゃんと鳴らして欲しい。ってお友達が言うんだけど、落ちるかもしれないから怖いって理由でアラート鳴らしてたら飛行機とかオスプレイとか鳴ら
返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)
これを放置し続けるツイッター社は不作為通り越してヘイト推しでは
「@rinda0818 圧倒的得票数おめでとうございます!」
https://twitter.com/battery_brides/status/904162013626023936
「battery_brides(田山さとし)は以前neon_shuffle(田山たかし)というアカウントで差別を煽り
(ほんの一例 URL貼れませんでした)、
在日外国人ユーザーに絡んでおり、先月そのアカウントが凍結されました。
その直後、今報告しているアカウントを再開し、最初はしずしずとツイートしていた様ですが、
今また全く関係のないツイートに「リンチ?」などと冷や水を浴びせかけるようなツイートを始めました。
また特定のアカウントに対し執拗にQTする行為もしています(https://twitter.com/search?q=from%3Abattery_brides%20rinda0818&src=typd)
このアカウントには差別的なメンションを投げつけるフォロワーが大勢おり、QTをしツイートの存在を示すだけで、
自ら直接手を下さなくても被QTアカウントには差別罵倒コメントが押し寄せる事を承知してのQTである事は間違いありません。
御社はneon_shuffleのような差別扇動アカウントを何年も放置していました。
彼のサブアカウントであるbattery_bridesもこれから10年近く放置するお考えでしょうか。
凍結されたアカウント時代と同じ事をしているbattery_bridesの凍結を強く要望します」
anmin7さん
呼びつけるようで恐縮でしたが、他に通知する術もなかったのでidコールにしました。
>>しかし「糞○○○○人〜」のフレーズはCRACの野間氏が「カウンター」として発したものではないでしょうか?
はい、その通りです。この言葉を発した野間氏のツイートは報告されてしかるべきです。でも野間氏が使ったからといって、
この侮蔑語を他の誰かが何度も使っていい理由にはならないと思います。
もし野間氏の行為を非難したいのなら「差別語を使った」と書けばよいだけで、使った差別語を連呼することが許されるわけではありません。
野間氏は今もこの言葉を連発されているのでしょうか。問題のツイートは2014年5月9日のもので、その後2015年に一度件の言葉を用い
「これを使ったのは1回だけだが執拗に拡散されている」旨のツイートをしています。
拡散されるならとっとと消せばいいと思いますが、野間氏が削除しないからと言って、それをまき散らしてよい理由になる訳がありません。
このbattery_bridesというアカウントが活動し始めてまだ三~四ヶ月ですが、この報告を書くまでに十数回、今はそれ以上に、
全く別の在日外国人に向けて発せられています。こうなれば、相手の言質を取った上での執拗な嫌がらせと考えるのが妥当かと思います。
これでanmin7さんのご質問への答えになっていればよいのですが。何かありましたらまたご連絡下さい。
不景気とか少子高齢化で将来が不安だから、ナショナリズムに浸かりたいんだよ。
「日本すごい→日本人すごい→日本人である自分もすごい」としないと不安なくらい自信をなくしている。
しかも、現政権のナショナリズムは排外主義は余り見せずに、自国賛美を押すから
そこに輪をかけてTVでは日本すごいでショーをバンバンやるから、
先日、知人に久しぶりにあった。
お互い40代後半の同じ業界、同じ職種で、業界の情勢などについていろいろ話をしていたのだが、
時々中国や韓国について意味無く貶めるような発言をするのが気になって、
嫌いなの?と水を向けると、堰を切ったように両国への憎悪をしゃべり始めた。
おどろいた。
彼は、こちらが知らないだろうという前提で「これ知ってる?」と、ネットで見かけるようなヘイトまじりの言説を羅列し始めた。
その内容は、陰謀論と排外主義と、日本はとにかくまともな国だという根拠のない誇りがいりまじった、支離滅裂なものだ。
彼は自分がしゃべっている内容が間違っている可能性については全く気にしていないようだった。
なのに、目の前の彼は、ネットで集めたごみのような情報を疑っていない。
家族が急に変な宗教に入ってしまった気分ってこんな感じだろうか。
これは自分の偏見だが、ネトウヨって社会的に報われていない人がなるものと思っていた。
ルサンチマンをこじらせて、でもどうにか誇りを持つために日本という国に寄っかかっているんだと思っていた。
(その点では極左も同じように思っていた。)
まあ要するに、恥ずかしながら自分は関係ない世界だと思っていたわけだ。
それは間違いだったんだな。こういう切断処理で、思考停止をしていたんだな、自分が。
彼は社会的には報われている側だと思う。おそらく自分よりももっと。
彼に何があったんだろうか。
例の「私、日本人でよかった」ポスターの件。増田のネタ投稿http://anond.hatelabo.jp/20170505015130読んで、遅まきながらその気持ち悪さに説明がついた。ここに用いられている日本語が、決定的に気持ち悪かったのだ。翻訳してみようと思えばすぐその違和感の正体に気づくと思う。このコピー、たとえば英語にするとして、あなたならどんな英語に訳すだろうか?
もしこのコピーの趣旨が「I love Japan.私は日本が好き」なら、当然まったく炎上しなかったと思う。そんなのその人の勝手だからだ。それはアイデンティティにかすりもしない発言だし。
だから、これはこのコピーの含意全てを説明しきっていないと思う。
だが、もう少しこのコピーに寄せて
「I appreciate that I was born in Japan.私は日本に生まれ『て』よかった」あるいはもう少しアイデンティティの問題に寄せて
「I appreciate that I was born as Japanese.私は日本人として生まれ『て』よかった」という言い方であっても、まだこのコピーを十分説明しきれているようには思えない。
なぜなら、このような屈折した自己愛表明行為ですら(それはそれで怪しいものだが)、まだ元コピーに感じられるほどの気持ち悪さには及ばないのだから。
最初の「私、日本人『で』よかった」というコピーが含意するのは、結局のところ「ほかでもない日本人『で』」という排外的ニュアンスだ。ポスターへの反応に
自分の遺産を誇りに思うことは何も問題ではないけど「他でもないこの国籍に生まれたのはとてもよかった」と言うのはちょっと差別的かもしれない。
というものがあったが、まさにそれだ。そのことに気づくのに、ずいぶんかかってしまった。この「で」には、他の可能性と比較して(~デアッテ、ソノ他デハナクテ)というニュアンスが含まれうる。そして、マイルドにあるいはあからさまに排外主義的主張を行うことが流行っている現代社会を背景においてみれば、このコピーの作者はその含意を十分に分かった上で、まさに確信犯的にこの「で」を選んだということは確実に言いうるだろう。自国のことを誇るのは普通じゃないか、という言い訳を一方におきながら、実にこっそりしかも堂々と(!)拝外主義的主張を大っぴらに口に出せるというのが、まさしくこのコピーが選ばれた理由だろう。そして、そのように「暗い意図を大義名分に隠してはしゃいでいる」雰囲気、それこそが「気持ち悪さ」の正体なのだと思う。
いや違う、考えすぎだ、という人は、日本人「で」なく不利益を被っている/被った様々な人たちを目の前にして、このセリフを口にする自分自身の姿を想像してみるとよい。
・戦争で祖国を追われて亡命してきた人に向かって、あなたはほほえみながらこのセリフを口にできるか?
・両親が外国人であるなどして、自分のルーツと現に暮らす国の間でアイデンティティを引き裂かれ悩んでいる子どもに向かって、同じことが言えるか?
・海外に出て、今なお残る人種差別、民族対立、移民問題などに直面したとき、現地の人に向かって、このセリフを口にすることができるか?
それがどれほどグロテスクな絵面になるか、少しは想像していただけるだろうか? アイラブジャパンにはない、このセリフに潜む他者切り捨ての姿勢。それでもあなたはこのコピーが無実だと唱え続けられるだろうか?
私は愛国が悪いと言っているわけではない。愛を表明するのは自由だし勝手だ(そして、愛というのは、それがなかったとしても強制したり責めたりするべきものでないことも、もちろんのことだ)。むしろ、世界の人と語り合う上で、自分のルーツを愛し誇りを抱くことは、相互理解の上で重要なことであり多くの場合必要なことだろうとすら思う。だから、世界に出て、お前はどういう人間なんだと聞かれたときに、あいあむじゃぱにーずあいらぶまいかんとりー、と言えるのはとてもいいことだ。ざっつおけぃあいしー。だが「日本人『で』よかった」←このコピーはダメだ。そこには他者への理解や尊重という視点が決定的に欠けている。内輪で閉じた集団の自慰的満足のニオイしかそこには感じられない。陽の下で成熟した人間同士がオープンに交わすコミュニケーションの「愛」ではない。強いて言えばそれは暗い部屋の中で、想像上のイコンに対し己の歪んだ欲望を一方的になすりつける孤独な行為のような思想だ。それをおおっぴらにやろうとしている。やめてくれ。
かようなものをポスターにして国際観光都市に貼り付けるなど、暗い欲望を公衆の中で密やかに開陳する露出行為のように彼らの快感を非常によく満たすことなのかもしれないが、普通に考えて国際的には恥なので、関係者はそこのところを考えて適切に判断されるのが望ましい、と私は考える。それとも、こういうHENTAI行為こそ彼らの考える「クールジャパン」なのか。ちょっとあまりにCool過ぎやしないか。
なお、いろいろと私にもの申したい人もいるかもしれないが、とりあえず、露出行為ならばこうして公にその行動や意図をさらされるとその快感の半ばは台無しになるものなので、こうした文章を書き公にした時点ですでに私の意図の半ばは達成されているということだけは申し添えておく。
発達障害を自覚することで人生が悪化する人とマシになる人がいると思う。
脳科学や医学が発達したおかげか、それとも社会に経済的余裕がなく貧しくなったせいか、はたまた排外主義の台頭か、原因は知らないが、発達障害の人間はけっこう多いということがわかってきた時代。
自分が発達障害だと自覚していない、潜在的な人間ってたくさん居ることになる。しかも何百年も昔の時代から。
事実に基づいた思考・科学的思考ができ、かつ世間体をあまり気にしないか、もしくはある程度は理解してくれる人に恵まれている人なんかは、
今までの苦労や違和感の原因が、後天的な性格や努力不足などではなく、先天的な脳の性質であることを理解することで、苦痛が緩和され人生がマシになるタイプ。
発達障害について学ぶと本人でなくとも第三者でも「あいつ発達障害じゃね?」と気づくケースもあると思う。そういったときに、本人に対してアウティングというか告知すべきかどうかは、わりとデリケートな問題だと思う。
理解者が周囲にいるかどうかで、発達障害者の人生って大きく変わる。発達障害者同士にも格差がある。
ありていに言うと、発達障害であっても成功者や能力者は無罪、それ以外はただの役立たず。みたいな空気はある。
"貧しい"ってこういうことだと思う。
https://this.kiji.is/207438898890506241
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170210112714
タバコを吸わない事もあって、恥ずかしながら海外の喫煙/禁煙事情に疎かった。
なので上記の件についても知らなかった事は言っておきます。
でもこれは正直ショックだった。
というより、これから先2020年を想定した五輪で行われる議論の中で、ゴルフクラブの件と並んで最も酷い未来しか見えない。
この件については想定されうる中( 想定してなかったけど(笑) )で最悪のパターンだ。
少しネットで調べてみたけど、どうやら欧米で路上喫煙が盛んな国が多いのは本当みたいだ。
しかし、最悪なのは、この違いについての欧米人の意見についてである。
どうにも、欧米人はこの違いを「JTが強力な会社だから」とか「進歩主義的な価値観から日本が遅れているからだ」
とみなしている人も多いようだ。
そして、中には他者への気遣いからくる副流煙に関する警告が多いことすら文句をつけている人もいるようだ。
日本人のタバコへの警告は主に他者へ被害を与えるから良くないという論理で成り立っていることが多い。
路上喫煙禁止への後押しをしたのは子供への歩きタバコの被害が多発したからなどの事情も大きい。
そして、このような考え方は日本の社会では公正で非常に良いことだとされる。
つまり、日本人から見ると路上喫煙し放題の欧米諸国は野蛮な国であるとみなせてしまうということだ。
これは冒頭で述べた店内における喫煙の防止という欧米の価値観と明確に衝突する。
五輪の時期にやってきた欧米の観光客が路上でタバコを吸いながら、店内でタバコを吸えることに驚き、日本は野蛮で遅れた国だ。
などということを言う人まで出てくるだろう。
結果として日本人と欧米人の議論が全くかみ合わず、排外主義と強く結びつく可能性すら考えられる。
これまで日本が積み上げてきたタバコに関する議論が土台から破壊されかねない。
もちろんこれは極端な話だけど、将来的にそういう方向に進むことは十分にありえる。
ちょっと知識が浅いので欧米における少数意見までは拾いきれていないけど
できるなら今のうちに欧米人がタバコを店内で禁止して、なぜ屋外では禁止していないのか。
難民を受け入れているわけでもなく、陸続きの隣国から不法移民がやってきているわけでもないのに、
なんで彼らはああも偉そうなことが言えるのだろう。
同じリベラルでも、西欧のリベラルは危うい状況の中で、過激な排外主義を抑えようとしつつ、
現実的に落としどころを模索している。本当に頑張っていると思う。
ところが、日本の自称リベラルというのは、そういう状況を他人事としか考えていない。
難民は来ないし、だから難民に混じってテロリストが来ることもないと思っている。
リベラルに限らず、日本人は左から右まで、島国の気楽さに漬かってしまっている。
しかし、ジャパニーズリベラルはそれをいいことに、西欧の有権者に対し、
「低学歴の差別主義者がバカな選択をした」と安全圏から一方的にコケにしているだけだ。
そんな筋合いあんのかよ。
タラレバの話をしたってしょうがないが、イラクやシリアがもう少しまともに行ってて、
難民が来なければ、欧州は今まで通りリベラルの天下だったはずだ。
どのみちギリシャ経済はパンクしていただろうが、EU離脱の議論までは行かなかっただろうし、
私用メールの問題があろうが、ロシアが暗躍しようが、まずトランプが勝つことはなかった。