はてなキーワード: 飛騨地方とは
また大雪を機に騒いでいるが、EV車普及は世界の流れである。日本もそれに追いつかないといけないが、如何せん日本は障壁が多すぎる。
ここでは、その障壁を取り払い、日本もEV車が普及できるようにするための施策を提案する。全部できればノルウェー、フィンランド並の普及が達成できるだろう。
ほぼタダ同然の金額で購入可能とし、高速道路代や車検代を減免する。一方でガソリン車には高い税金をかけて事実上購入困難にする。
これはノルウェーが実際にやっている施策だ。https://car.motor-fan.jp/article/10017800?page=2
具体的には水力と原子力。ノルウェーはエネルギー自給率800%というとんでもない国だ。しかしそこまでは要らない。
ノルウェーは水力発電だけで自国の電力需要を満たすことが出来る数少ない国である。
ただ現実的に日本ではそこまでは厳しいので原子力の補助も借りる。
ノルウェーやフィンランドは日本より少し大きいくらいの国土に500~600万人程度の人口である。つまり人口密度が9割以上違う。言い換えれば人も車も密度が少ない。
だから前述の通り水力発電だけで自国の電力需要を賄えるし、EV車の弱点である「充電渋滞」「充電渋滞による物流破綻」も起きづらいのである。
ただよくよく調べてみるとEV先進国は山間部や内陸に人が住んでおらず、一部海沿いに人が集中しているのである。
人口密度で見てみると、フィンランドの首都ヘルシンキ、ノルウェーの首都オスロともに1400人/平方キロ程度で、東京都の2割強。
つまり日本も人口を8割減らせばEV普及に大きく近づけると言える。人を減らすことで電力需要も減らせるので、原子力発電への依存度も下がる。
減らす方法はいろいろあるが、ロシアとかの外国に強制移民とかがあるだろう。自らこの世を去りたい人にその場を与えると言うのも良い。軍拡に伴う片道特攻隊という手もあるだろう。
ただ子育てしている人たちと、次世代を担う子供たちは残す必要があるのでその点要注意だ。
よくEV車は寒さと雪に弱いと言われる。
ノルウェーの首都オスロは年間降雪量80cmくらいで、11月から翌年4月の半年かけて降るが、実はここより雪が多かったりより寒い地域だと、同じノルウェーでもEV普及率はだいぶ下がる。つまりオスロの気候がEV普及の指標値と言える。
日本は12月から3月が降雪期間なので、日本に当てはめたら年間降雪量50cmくらいのインパクトだ。
先日の新潟は24時間で50cm、長岡は12時間で60cm降ったが、これはオスロで4か月かけて降る雪の量に相当するのだ。そんな環境は北欧には存在しない。
ということで、年間降雪量50cm以上の市区町村全てを立ち入り禁止にする。本州日本海側と北海道、長野県の北中信、岐阜県飛騨地方、滋賀県、中国山地、関東地方北部山地、などが当てはまるが、その地域に住んでる人は全員出て行ってもらう。
ネックは米どころが多いことだが、1つ前の人減らし施策と合わせることでコメ不足の懸念がなくなる。
それ以前にコメとEVどちらを取ると言ったらEVだろう。コメは脱炭水化物の流れに反する。肉食え。
EV車の弱点その2は山登りだ。山登りはかなりバッテリーを食うし、その道は一部例外除いて対面通行なので、充電渋滞が起きたらその道に居るEV車すべて終わってしまう。
それを避けるために標高が高い地域に行けないようにする。EV先進国もレジャーはもっぱら低い標高で楽しむクロスカントリーやスケートが中心だし、フィンランドはそもそも山が無い。
温泉観光地は大半が消えるし、スキー場も大半が消えるし、特に山登りと言うレジャーが消滅するが仕方がない。
EV先進国では登山はレジャーでなく、それを生業にした傾奇者が命を賭してやるものなのだ。
EV普及は覚悟を持ってやらないといけない。防衛費増額を覚悟を以て決めた岸田総理の次の決断として「EV普及に向けた日本国の構造改革」を期待する。
どうせこれらの政策は全て国民から総スカンを食らうので、大きな選挙が無く支持率が政権運営にあまり寄与しない今のうちしか出来ないのだ。
デフォルメされた猿が手足をくくられた姿をしている人形。猿は過剰な欲望を表す姿であり、欲深さは願いが叶う道を妨げるものとされる。ゆえに、縛る。
京都の八坂庚申堂のものが有名で、最近はインスタグラムでも有名になった。
ちなみに、よく似たサルボボは飛騨地方のもので、源流は貴族のお守りだったらしいのだが、時代が下るにつれてこちらも庚申信仰と結びついた。天帝に人間の罪を密告する体内の存在、三尸の天敵である猿を飾り、寿命を縮めるような報告をされるのを防ぐ意味があるとのこと。奈良にも、ならまち庚申堂の身代り申というものがある。それぞれ形が違う。
余談だが、「見ざる言わざる聞かざる」のシャレが日本語でしか通用しないものだから、いわゆる三猿は本邦独自のものかと思っていたが、世界的に分布しているらしい。驚いたことに、マンハッタン計画の参加者向けにも秘密を守るよう忠告する姿が描かれている。
連れを「君の名は。」に連れて行った。
11月4日に金曜ロードSHOW!で「となりのトトロ」を見せたが、
前半は「話が進まない、眠い」とこぼしていた。
後半はそれなりに見てはいたが……。
ただ、RADWINPSの曲は好きだという。
そして、映画を見ないままオーケストラ編曲を聞いたこともきっかけになり、
なんとか「君の名は。」に連れて行った。
だが、連れの方を見ると、表情がよろしくない。
「絵は確かにきれいだったし、曲も場面にあっていた。
ストーリーがまったく把握できなくなって、場面場面の連続になった。
あれは何?どちらかが空想?だったら私には無理。疲れた。1000円損した。」
そんなことを言った。
不満をなだめていたときに、引っかかったポイントがいくつかあったので、書き留めてみる。
→飛騨地方までははっきり表現しているが、その後は知らない、おそらく架空と思う、と答えた。
・瀧、三葉はどうやって連絡をとっていたのか?メールしていたのか?
→お互いがアプリや日記、顔を使って記録を残していたことを説明すると、一応納得したようだった。
・どちらかは空想なの?空想ならちゃんと「ここは空想」のように表現してほしい。
→これに答えるのは難しかった。
「どちらかが“空想”というわけではないんだ」
「2016年東京を生きる瀧の世界では、2013年に糸守村は壊滅したことになっていたが、
実は以前の上京した三葉と瀧の間につながりができていて(※)、
その後、2013年の糸守・三葉と2016年の東京・瀧が入れ替わるようになったが、
「それでも、違う時間を生きる人間同士が出会える、一瞬の黄昏に二人は再会し、
三葉が死んでしまう世界と生き残る世界の2つがあるのかは映画からはわからない」
実際にはもっとつっかえつっかえ話したこともあり、納得はしていないようだった。
(※)どの時点の三葉がどの時点の瀧に会ったのか、あえて検索せずにずっと考えているが、私にも分からない。
そもそも「体の入れ替わり」という表現自体を受け入れない、というほど頑なではないようだが、
「時空を超えた平行世界」的なお話、考え方に一度も触れたことがなかったりすると、
逆に、観客の多くはそれなりに理解できたのだろうか。
雰囲気で感動しているのだろうか。
たとえば、マンガを読むときのルールに「吹き出しの形で台詞とモノローグを区別するし、背景に稲妻が走っても本当に天候が悪いわけではない」というのがある。
http://ddnavi.com/news/215595/a/
「君の名は。」を鑑賞するには、どういったルールの理解が必要だったのだろうか。
今連れは「中国でもヒット?信じられん。ホントに分かって見てるの?」と言っている。