はてなキーワード: アポトーシスとは
・言及している人間の取り違え。”その部位が壊死してなくなっても生きるのに不都合ないのに”と言ったのは別の増田。
・アポトーシスはプログラムされた細胞死であって、ネクローシスは偶発的な細胞死。アポトーシスは計画的かつ制御された過程であるのに対し、ネクローシスは偶発的かつ制御不能な過程。で、ネクローシスについてもうちょい言うと、
通常の死とは違い、体の一部分を構成する細胞だけが死滅する。感染、物理的破壊、化学的損傷、血流の減少などが原因となる。血流減少によるものを特に梗塞と呼ぶ。細胞の死ではあっても、血球、皮膚、消化管の粘膜上皮のように正常な細胞、組織が次々に補充され機能的な障害、組織学的な異常を残さないものは壊死と呼ばない。
壊死した組織は、生体の免疫系により、最終的には取り除かれ、欠損部分の一部が元の組織が再生したり線維化したりすることで補われる。
なので、今回能登が被災して、完全には復旧しないであろうことは、アポトーシスというよりは壊死に近い。だから、君、アポトーシスとネクローシスの違い分ってんの?って聞いてんの。
アポトーシスという喩えは「そこがなくなっても国はなんとか生きられるから」ってことじゃなくて「もともと訳あって過疎ってる」って意味だよ。
要するに、君の話はほぼ全てに渡ってとんちんかんなのよ。
だから違うって言ってんじゃん。
一部のアポトーシスを見て「生命力が下がってる!身体が末端から壊死している!」ってそれでなんかもっともらしいこと言ったつもりかって話をしてるのに
それをそのまんまリピートしてどうすんだよw
アポトーシスとネクローシス(壊死)は違うし、君が国の状態に対してアポトーシスという喩えを使うなら、同じように国の状態に対してネクローシスという喩えを使ってはいけない理由が見当たらない。
追記:むしろ、能登の被災と今後辿るであろう展開はアポトーシスと言うよりネクローシスと言ったほうが喩えとしては的確だ。ここまで言ってもたぶん君は理解しないだろうけど。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
肌質ガチャハズレ民としてF外失。
いいか、元増田が紹介してるケアはあくまで肌質ちょい皮脂多め〜普通肌〜乾燥肌民のケアだ、肌質負け組はこれ続けても意味ないので指摘しておく。(※元増田は何も悪くないです)
大前提として肌質には偏差値がある。皮脂過多系の肌質下位20%民は普通のケアじゃ綺麗な肌にならない。
所謂“普通のスキンケア“を2-3年続けても肌ガチャハズレ民はニキビ減らないしクレーターも悪化するし、毛穴も開きっぱなしだからもしかして負け組かも?と思ったら読んで欲しい。
・すでにニキビが複数(15以下)あるならまずは初手皮膚科で良い。スキンケア+治療で1年ほどで良くなるだろう。
・ニキビというよりももう顔面が赤い、複数クレーターがある、フェイスラインがボロボロの場合、初手美容皮膚科のが良い。普通の皮膚科だと5年かかる。せめて併設院に行け。
・保険適用治療:初手はおそらく飲み薬の抗生剤+クリーム、抗生剤飲み切ったらクリーム+スキンケアを行いながら2-3年ほど薬を使う。
病院によると思うが、ピーリング系クリーム+抗生剤クリームになるはず。
・自費治療①イソトレチノイン:重症は正味これが1番早い。他国では認可が降りてるが日本では保険適用診療の許可が降りてない、重症ニキビ患者向けの薬。異常分泌皮脂を作り出す皮脂腺をアポトーシスへ促すとかなんとか。副作用が色々あるので自己輸入絶対ダメ。美容皮膚科で医者に様子を見てもらいながら処方してもらうこと。
・自費治療②ケミカルピーリング:中度〜と薬はちょっと、と言う人向け。短期即効性の強めのピーリング剤を用いて肌のターンオーバーを強制的に促す、定期的に通うことで自力でターンオーバーができてない肌をサポート。金ドブ派も一定いるがニキビ系の人に効果ある傾向。
・自費治療③(ただし女性向け)低容量ピルの服用:ニキビの悪化に男性ホルモンが作用しているパターンだとピル飲んでホルモンバランス整えるだけ効くことがある。
他にもあるにはあるが、どちらかと言うとニキビ跡治療と並行して行うものも多いためそれは後述。
・洗顔:泡タイプが正解は認めるが、大半は乾燥肌向けなのでニキビ肌(アクネ菌・サリチル酸云々〜)や皮脂肌向けをセレクトすること、その中でなにが合うかは人による……。ちなみにベビーオイル洗顔は乾燥肌向けなんで真似しないこと。
・洗顔の仕方:もこもこの泡で汚れを取り、大量の水で洗い流す、ゴシゴシしない泡で汚れを巻き込むイメージ。眉間と小鼻横とフェイスライン近くの首も忘れない。皮脂過多民は朝夜2回かな。お湯洗顔じゃ皮脂過多民の皮脂は落ちないので洗顔料使え。
・化粧水:手軽で安いものは多数派の乾燥肌向けがほとんどでハズレ民に効果ない、拭き取り化粧水も向かない。まずは保湿成分が入っていることを確認(ナイアシンアミド、セラミド等)、あとはトライアンドエラー。ニキビの赤みが気になるならツボクサ系もありだが保湿が疎かになりがちなので保湿クリームと併用。
・乳液:皮脂過多民はいらないケースが多い、あれは乾燥肌向け。
・保湿クリーム:治療と並行してスキンケアを行う場合は必須、その他でもインナードライの傾向があるなら塗った方が吉。
・クレンジング:日焼け止め塗るなら必須、何故なら普通の洗顔だと皮脂過多民は毛穴が詰まるから。皮脂が多いならミルク系と拭き取り系以外。ジェル、バーム系おすすめ、オイルはよく取れるけど化粧しないなら選択肢から外す。
・ドクターズコスメ: 化粧水探すのめんどい奴は皮膚科や美容皮膚科でニキビ向けとして売ってるの買っとけ。ゼオスキンシリーズは高いけど一定評価者がいる。その他はXでユーザーの評価を見てから買え。
・(私怨)プロアクティブシリーズ:CMで見た割に試した中で一番効かなかった。お勧めしない。
・アゼライン酸:皮脂の分泌を抑えるのと抗炎化作用がある。治療と並行して入れてもいいはず。
・レチノール:ターンオーバーを促す。効果が強めなので治療と並行しているかは医師に確認したほうがいい。
・ビタミンC誘導体:皮脂を抑制する、私は効果なかったけど効果感じてる人もいるのでいちおう記載。
・枕カバーを毎日変えろ、めんどいなら毎日新しいバスタオル引いとけ。
・顔は絶対触らない、ニキビ跡汚い爪でほじらない、頬杖つかない、ニキビ潰さない。
・極力運動習慣をつけろ、ただし運動後即シャワー→スキンケア、ベタベタの汗放置は肌に悪い。
・顔に髪がかかるのは論外。髪って肌にとってすっごい汚いので。
この辺りはプラシーボと眉唾もあるが効果がある人はあるので一応記載。
・乳製品抜く/グルテンフリーを心がける/油っこいもの食べない/お菓子(糖分・砂糖)取らない
・食物繊維多めに取る
男女問わず肌ガチャハズレ民は適切な治療法や対処法の存在を知らないがために5年10年も費やしてしまった同志が多い。ここに私がこれまで集めたニキビ治療の一部を記した。
私は普通の皮膚科と普通のスキンケアで5年費やしてもあんまり綺麗にならなくて試行錯誤+美容皮膚科導入してやっとちょっと汚いかな〜レベルに収まった人間だ。さっさと美容皮膚科行きゃよかった。
恐怖のアルコール その1 (酢を昼間から飲んでいた酒豪のクラスメートの謎がようやく解けた)
http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/28140763.html
大学時代に酒豪のクラスメートがいたが、彼はよく酢を飲んでいた。
彼の机には酢の瓶がいつも置いてあり、コップについではガブガブと飲んでいた。
彼が言うには、酢がすごくうまいのだという。
しかも酢を飲むと集中力が高まり勉強がはかどるのだという(そんなことあるかいな)。
しかし、この謎が30年以上も経ってようやく解けたのであった。
アルコールを飲み続けると、脳の神経細胞はアルコールの代謝産物である酢酸ばかりをエネルギー源として利用するように変化してしまうという論文が出たのである。
彼は、ブトウ糖よりも酢酸を好んで消費するようになった脳の命令に従って、昼間から脳のエネルギー源として酢を好んで飲んでいたのだ。
今、ようやくクラスメートの謎が解けたのであった。
「Increased brain uptake and oxidation of acetate in heavy drinkers」
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3613911/
.....................
もはや、脳が酢酸ばかりを利用し、ブドウ糖を積極的に利用しなくなっており、断酒によりエネルギー源にしていた酢酸が絶たれ、神経細胞のエネルギー産生が激減し、断酒が逆にアポトーシスを早めてしまったのだ・・・・・(;゚Д゚)。
ウェルニッケ脳症前段階(認知症移行段階)+断酒による酢酸の供給停止に伴う脳へのエネルギー源の途絶→(ウェルニッケ脳症へ発展。しかも、このステージをいっきに飛び越えて)→完全なる認知症(コルサコフ症候群やアルツハイマー病を含む認知機能低下をきたす病態の複雑な合併)へワープ完了。
そこに、もし、脳血管性の変化も加われば、病態は、さらに複雑なことになるであろう。脳へのエネルギー供給の激減によって、認知症へのワープ速度はさらに加速することだろう。
.....................
さらに、論文では、深酒を繰り返すことは、脳が酢酸ばかりを消費するようになるこの適応メカニズムが促進されるから非常に危険であり、深酒はやめねばならないと警告している。これらの現象を防ぐには、酒を飲む時はちゃんと食事も食べてブドウ糖を減少させないようにすることが大切だと著者らは述べている。
そして、この論文では、最後に、アルコール依存症の解毒時の禁断症状などを緩和するために酢酸を供給することが有益になるだろう。と締めくくられていた。
アポトーシスについてはどう考えてるの?
ひとまずこの3つが癌だな。
生存活動をするために価値を生み出し続けないといけないプレッシャーがまずしんどい。
他人が自分と同じだけの人権を持ち合わせていて同じように思考しているというのも気まずい。
よくディストピアの好例として挙げられる「ネトゲ世界で労働もせず無限に生きられてその中では自分が王様で何でも自由」みたいのは普通に理想だな。
労働が必須で、寿命から逃れられず、他人を避けて生きることが不可能な世界を「正しい」と押し付ける価値観そのものが嫌いだって部分はかなりあるけどな。
この世界で生きているとその価値観に染まってこういった思考について考えるコストをゼロにするのが賢いのは分かるんだが、そうやって「生きるために洗脳されざるを得なかった」のを「正しい考えを受け入れた」と言い張るのだけは嫌なんだよなあ。
いわゆる「もしも全人類のデフォルトが無寿命の生物だとしたら、子供向けアニメでラスボスが人類に寿命を目覚めさせたのを「やめろー!人間は無限に生きられるから尊いんだ―!」と否定してたんだろうな」ってアレだよ。
むしろ俺が本当に望んでいるのは、その価値観に染まった奴らが手のひら返した所ですかさず「お前完全にはだしのゲンの愛国手のひら返しのムーブじゃん!ばーかばーか!」したいってことの方なのかも知れねえな。
自分が一時的にストレスから逃れるために「愛国者として正しい考え」みたいなのに染まっている人間は。
俺はやっぱ間違っていると思うよ。
地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間の細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞は自死を選ぶ作用、アポトーシスはよく知られている。
ダーウィンは進化の仕組みに関して、適者生存の原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定の環境に置かれた生物の遺伝子変異は特定の領域にしか意味がないのに対し、ダーウィン的進化ではそれぞれの変異が未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類の実験成果によっても示されている。
さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造性から、地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫に匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権を保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論の余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世の王権神授説と何ら本質的な変わりはない。
であるからして、わたしは人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。
市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会、特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。
私たちの細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?
たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時
たとえば、ウイルスに感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時
これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである。
人類がここまで発展した以上、このシステムの有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類をマクロで見た時、アポトーシスを選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代の人権思想などでは到底語り得ないはずである。
私はこれまでの人生において、自分が死ぬべきだと思っており、また因果関係は証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである。
自分自身の身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。
な
生き物には生存本能という抗えないものがあり、死にたいという感情はそれに反するものである。
生まれたからには死にたくないのが当然だという意見も尤もだが、私は、死にたいと思うことはアポトーシスの一環
オタマジャクシがカエルになる際にしっぽがなくなるのがいい例だろう。