はてなキーワード: とはいえとは
webを使った出会い自体は、わりとあちこちであったんだよな。
yahooとかもあったし。
ただまぁ出会いを目的としているガチ出会い系は主に2つの問題があって
もう一つが援助交際なわけだ。
色々とゴニョゴニョするわけなんだけども、
それまでもスパムがどうのこうのとか色々話題だったよな。ゼロ年代は。
結局のところ、腹が真っ黒な人たちによる金づるとしてしか機能してこなかったのゼロ年代の出会い系業界である。
それまでなんて、そもそもメールの相手はサクラしかいなかったんだから。
で、会えるようになってからのほうが儲かっているのも面白い話。
一人パコるのに1週間3000円くらいだ。
継続的なセフレ見つけるのだって↑の中から3人に一人くらいなもんだ。
とはいえ、婚活アプリに潜り込む既婚男性もまた多いこと多いこと。
まーよくないよね。
そういう意味も含めて、都が事前にしっかり未婚であることの裏付けを取ったマチアプだったら、
少なくとも本気の婚活女性が既婚男子に食い散らかされるなんてことはないわけだ。
当たり前だけど、既婚男子と未婚男子がならんだら、普通は既婚男子のほうが魅力的だからな。
釣れるんだよ。
しかもマチアプの悪いところは、ブロックしたらそれで終わりだからな。
間に立つ人がいないから、もうほんと終わりなの。
これ「実在する」の定義次第で無限にディスカッションできるんだけど。
「実在する」=「物理量として観測に現れる」という意味なら、虚数 (複素数) はインピーダンスとして観測されるよなと思い至った。
議会の方は割とどうでもいい。
それよりはポスター。
業者「実費払え実費」
ということで、石丸は選挙標準額はきちんと収めたけど、そこから足が出る分については負担しない、と突っぱねた結果、争いになっている。
石丸の言ってる額(公費負担の範囲)で請けるのがほかにもいるのか、
それとも業者の言う額が正しいのか。
選挙ポスターの適正額というか、そういうのにも公費の支出があるとか知らなかったので興味がある。
裁判の焦点はそこにはないっぽくて
一部とはいえ支払ってるンだし、契約の意思ははっきりしてるから業者の言い値払えや
という感じみたいなんだが。おれは
石丸の公費負担の範囲内で収まる(ので、支払わない)が正解なのか。
この辺には答えが出なさそうなので識者のご意見が聞きたい。
おそらく、このようなことはコロナ禍前から散々語られてきたことだろうが
ガラケー世代、おじさん、年代でいえば40代後半以上だろうか。
スマホ世代、若者、年代でいえば30代前半くらいまで、だろうか。
この、たかだか10年か、15年かそこらの間に、深く、広大な溝が広がっている。
コロナ禍でも浮き彫りになったが、おじさんたちはテレワークに向いていない。
ただ、やはり単純な人数比から言っても、決裁者の比率から言っても
対面・会話が中心にならざるを得ず、結局9割が出社することになっている。
特にJTCでは、その橋渡し役になったであろう、氷河期世代がごっそりといないから
その溝を埋める役目がいない。いたとしても、そこに掛かる労力がとんでもなく、辞めていく。
若手がスタートアップや、外資など効率性を求める組織に飲み込まれていくのは仕方のないこと。
要は、慣れの問題だ。
対面や電話でのコミュニケーションで教えられて、自身もまたそれを重視してきた人間にとって
相手の表情が見えない、遠隔・文字のコミュニケーションには慣れていない。
対面・会話でのコミュニケーションには慣れていない。
だから、おそらくどちらのコミュニケーションにも精通している、そんな世代。
おそらく、30代後半~20代後半くらいまでの、どちらもほどほどにいける人材。
こういった存在が重宝されているのだろう。
それはもう、今いる現場の人たちの意見を聞いて若手に選ばれない組織のままでいるか
の二択になるのだろう。
変なコンサルに引っかかって結局無理でした~wという企業もいる
世の中の流れとしては遠隔・文字コミュニケーションに移るのだろう。
きちんと言語化ができて、誰にでも分かりやすく説明ができて、理解力がある
あと10年くらいはハイブリッド的な運用になるのだと思われる。
40前後の、あと20年以上働かなくちゃいけない層は新しいものを学ばなくちゃいけないだろうし
50代半ばくらいの、あともう少し踏ん張ればいい層はふんぞり返っていてもいいかもしれない
気後れするからわざわざ増田を選んで書いてる意識がウルトラ低い人が言うことじゃあないんですけど、
マジでどんな人生歩んでれば、幼少期や青春を潰して行われる、良い奴隷になるためのあれやこれやをありがたがったり、
日々の生活に苦労しているから・・・・とかならわかるんだけど、なんかまぁそう言う感じもしない
せいぜいちょっとした贅沢をする予算がなかったり、老後の不安があるとかその程度だ
深刻な体調な人も中にはおるけども、お育ちに限定すると基本的にお育ちは良いからな
(ただし、ブクマカは、親が普通から普通以上でも本人は稼ぐ力が弱く、端金でガタガタ抜かす)
羨ましがる必要がある人って、なかなか金にしにくいこと商売にしても、余裕で生活が成り立つ人じゃないですかね
それは本人の才能かもしれないし、アホみたいにスクールやクラブに金かけてくれるの親のゴン太さ/子が一生無給でも無問題な親のゴン太さかもしれないし、そのぜんぶかもしれない
とはいえ、某リアリティショーで、西海岸で不動産屋を営むゴン太実家の生まれのパッとしないDJが、あんま幸福そうではなかったのは、すごく印象には残っている
あと、重めの知的障害の子を持つ親御さんが、アートの才能がかなりあるのに、アートは仕事ではなく趣味でしろとして、障がい者雇用で仕事を務められる訓練をしたのや、
訓練をしても、生活を立てる賃金を得るのは厳しいレベルの障害がある人が、それでも働きたがったりすることも印象的だ
けどまぁ、やっぱ、才能があろうがなかろうが自分が価値観を置いてることをやって、出来たら『ありがとう』と言われてぇみたいもんですわな
某アート業やっている人、たぶんワイと年収同じかワイのが年収上なんだろうけど、能力ごと仕事交換できるならしたいわね
某NPOの求人もワイは英語すらできないポンコツなので論外なのだけど、とりあえず600万以上年収貰えるなら、ぜんぜん生活できるので(なきゃ無いなり生活)、
ほんま代わりたいよって思いました
これはかなりの田舎だなあ。
これがポイントなんだろうな。
生活費激安になるレベルのガチ田舎は仕事もないのが普通だから…。
私は以前、AGIへの短期的なタイムラインには懐疑的だった。その理由のひとつは、この10年を優遇し、AGI確率の質量を集中させるのは不合理に思えたからである(「我々は特別だ」と考えるのは古典的な誤謬のように思えた)。私は、AGIを手に入れるために何が必要なのかについて不確実であるべきであり、その結果、AGIを手に入れる可能性のある時期について、もっと「しみじみとした」確率分布になるはずだと考えた。
しかし、私は考えを変えました。決定的に重要なのは、AGIを得るために何が必要かという不確実性は、年単位ではなく、OOM(有効計算量)単位であるべきだということです。
私たちはこの10年でOOMsを駆け抜けようとしている。かつての全盛期でさえ、ムーアの法則は1~1.5OOM/10年に過ぎなかった。私の予想では、4年で~5OOM、10年で~10OOMを超えるだろう。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/this_decade_or_bust-1200x925.png
要するに、私たちはこの10年で1回限りの利益を得るための大規模なスケールアップの真っ只中にいるのであり、OOMsを通過する進歩はその後何倍も遅くなるだろう。もしこのスケールアップが今後5~10年でAGIに到達できなければ、AGIはまだまだ先の話になるかもしれない。
つまり、今後10年間で、その後数十年間よりも多くのOOMを経験することになる。それで十分かもしれないし、すぐにAGIが実現するかもしれない。AGIを達成するのがどれほど難しいかによって、AGI達成までの時間の中央値について、あなたと私の意見が食い違うのは当然です。しかし、私たちが今どのようにOOMを駆け抜けているかを考えると、あなたのAGI達成のモーダル・イヤーは、この10年かそこらの後半になるはずです。
マシュー・バーネット(Matthew Barnett)氏は、計算機と生物学的境界だけを考慮した、これに関連する素晴らしい視覚化を行っている。
私たちは今、基本的に人間のように会話できるマシンを手にしている。これが普通に思えるのは、人間の適応能力の驚くべき証であり、私たちは進歩のペースに慣れてしまったのだ。しかし、ここ数年の進歩を振り返ってみる価値はある。
GPT-4までのわずか4年間(!)で、私たちがどれほど進歩したかを思い出してほしい。
GPT-2(2019年)~未就学児:"わあ、もっともらしい文章をいくつかつなげられるようになった"アンデス山脈のユニコーンについての半まとまりの物語という、とてもさくらんぼのような例文が生成され、当時は信じられないほど印象的だった。しかしGPT-2は、つまずくことなく5まで数えるのがやっとだった。記事を要約するときは、記事からランダムに3つの文章を選択するよりもかろうじて上回った。
当時、GPT-2が印象的だった例をいくつか挙げてみよう。左:GPT-2は極めて基本的な読解問題ではまあまあの結果を出している。右:選び抜かれたサンプル(10回試したうちのベスト)では、GPT-2は南北戦争についてある程度関連性のあることを述べた、半ば首尾一貫した段落を書くことができる。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt2_examples-1024x493.png
当時、GPT-2について人々が印象に残った例をいくつか挙げます。左: GPT-2は極めて基本的な読解問題でまあまあの仕事をする。右: 厳選されたサンプル(10回試したうちのベスト)では、GPT-2は南北戦争について少し関連性のあることを言う、半ば首尾一貫したパラグラフを書くことができる。
AIの能力と人間の知能を比較するのは難しく、欠陥もあるが、たとえそれが非常に不完全なものであったとしても、ここでその例えを考えることは有益だと思う。GPT-2は、その言語能力と、時折半まとまりの段落を生成したり、時折単純な事実の質問に正しく答えたりする能力で衝撃を与えた。未就学児にとっては感動的だっただろう。
GPT-3(2020年)~小学生:"ワオ、いくつかの例だけで、簡単な便利なタスクができるんだ。"複数の段落に一貫性を持たせることができるようになり、文法を修正したり、ごく基本的な計算ができるようになった。例えば、GPT-3はSEOやマーケティング用の簡単なコピーを生成することができた。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt3_examples-1.png
GPT-3について、当時の人々が印象に残った例をいくつか挙げてみよう。上:簡単な指示の後、GPT-3は新しい文の中で作られた単語を使うことができる。左下:GPT-3は豊かなストーリーテリングを行ったり来たりできる。右下:GPT-3は非常に簡単なコードを生成できる。
GPT-3はSEOやマーケティング用の簡単なコピーを生成することができた。上:簡単な指示の後、GPT-3は新しい文章の中で作られた単語を使うことができる。左下:GPT-3は豊かなストーリーテリングを行ったり来たりできる。右下:GPT-3は非常に簡単なコードを生成できる。
繰り返しになるが、この比較は不完全である。しかし、GPT-3が人々に感銘を与えたのは、おそらく小学生にとって印象的だったことだろう。基本的な詩を書いたり、より豊かで首尾一貫した物語を語ったり、初歩的なコーディングを始めたり、簡単な指示やデモンストレーションからかなり確実に学習したり、などなど。
GPT-4(2023年)~賢い高校生:「かなり洗練されたコードを書くことができ、デバッグを繰り返し、複雑なテーマについて知的で洗練された文章を書くことができ、難しい高校生の競技数学を推論することができ、どんなテストでも大多数の高校生に勝っている。コードから数学、フェルミ推定まで、考え、推論することができる。GPT-4は、コードを書く手伝いから草稿の修正まで、今や私の日常業務に役立っている。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt4_examples-3.png
GPT-4がリリースされた当時、人々がGPT-4に感銘を受けた点をいくつか紹介しよう。上:GPT-4は非常に複雑なコードを書くことができ(中央のプロットを作成)、非自明な数学の問題を推論することができる。左下:AP数学の問題を解く。右下:かなり複雑なコーディング問題を解いている。GPT-4の能力に関する調査からの興味深い抜粋はこちら。
AP試験からSATに至るまで、GPT-4は大多数の高校生よりも良いスコアを出している。
もちろん、GPT-4でもまだ多少ばらつきがある。ある課題では賢い高校生よりはるかに優れているが、別の課題ではまだできないこともある。とはいえ、これらの限界のほとんどは、後で詳しく説明するように、モデルがまだ不自由であることが明らかなことに起因していると私は考えがちだ。たとえモデルがまだ人為的な制約を受けていたとしても、生のインテリジェンスは(ほとんど)そこにある。
https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/timeline-1024x354.png
続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (3) https://anond.hatelabo.jp/20240605204704
独身証明書と収入申告必須で、かつ虚偽申告はBANされそうという安心感
本気で結婚前提の人が入るものでヤリモク男が少なそう、というイメージから、意識のミスマッチが減って成婚率は上がるかもしれない
そして一番大きなものは、東京都のネームバリューと付随する本気度・ガチで支援受けられそうな"イメージ"
とはいえ自衛官と一般人専用の結婚前提マチアプですら、ヤリモク男自衛官だらけ(女から結婚の具体的な話を出すと逃げる)と聞くから、走らせてみないと分からんけどな
この前、保育園で送迎時間が被るママさんに、どういう教育を取り入れているのかと、ちょっと尋常じゃない様子で聞かれた。
矢継ぎ早に繰り出される呪文みたいな羅列。
馬鹿正直に、いやそういう系よくわかんなくて何にも、って答えてしまったよね。
またまたそんな嘘でしょう、じゃあ何か教材?お家での過ごし方ってどういう感じ?
人の言うことを第一声「嘘でしょ」って否定から入る人、そういや昔から嫌いだわぁって思い出しながら、わー面倒臭い、と思った。
えー…教育系って言われても、あえて言うなら某ちゃれんじくらい?
とはいえ、知育とか一切考えてのことじゃなく、アレは程よいおもちゃと絵本が貰えるだけだと思ってて。
月齢?発達?に合わせたおもちゃと絵本が、お金さえ払えば勝手に送られてくるって便利よねーありがたーい程度の認識で加入してる。
届いたら子供にはい、って渡して、最初ちょっとだけ一緒に遊んで&読んで、後は収納に入れとくから勝手に遊んでね&眺めてね、っていう。
一緒に遊ぼう、もしくは読んでくれと持ってきたら応えるけども。
あ、でも内容だけは確かにちょっと知育意識はしてるかも知れん。知育界隈に怒られるレベルの意識だけど。
動画からの吸収、割と半端なくて。ありがたいなーすげーなーと思っている。
子供が動画に依存するタイプじゃないのは、幸いなのかなとは思う。
ママさんの追撃に、どう答えれば角が立たんのだろうかなあと思いつつ、かといってうまい返しも出てこず。
いやいやほんと何にもしてないっす、全然そういうの分かんなくて、と愛想笑いで逃げようとしたが、正解ではなかったらしい。
ただ送迎時間が被るだけの接点の人間に、ガン決まりの目を向けて、そういうこと言えちゃうかー……と遠い目になった。
曖昧に笑って逃げました。
保育園で知育とか教育とかに傾倒するのも分からんし、幼稚園ならまだしも。
3歳くらいまでの子供の発育状況なんて、標準から余程に外れていなければ、年齢重ねりゃ誤差の範囲に収まるもんだと思っている。
可能性、なのかなあ。うーん。
言ったって、うちの子、そんな天才だとか言い出したら笑われるレベルだと思うよ…。
この年頃なんて、上も下も振れ幅大きいんだから、上にちょっと多めに振れてるのは珍しいことでも何でもないだろうと。
知りたい学びたい吸収したい、という要求には応えているしこれからも応えるつもりだし、年齢や状況に合わせた諸々の環境は我が子が独り立ちするまできちんと整えていくつもりだ。
それは親の務めだと思っている。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人。
真理だと思っているんだけども。
そういうこと言うと、子供に期待しないなんて、子供の可能性を信じてあげないなんて愛が無い、って言われるんだろうか。
可能性、潰してんのかなあ。
幼児教育が無駄だなんて言うつもりは毛頭ないし、やりたい人はどうぞご自由に、我が家は特に興味ないです、というスタンスですが。
思ったよりもなんかちょっと気にしてるのかも知んない。
俺は低身長低収入チー牛の典型的弱者男性だったけど、30歳の時に家庭の事情で地元にUターンした結果、結婚して子どもも授かったので、その経験から思ったことを書いてみる。
これはたぶん間違いない。30歳ですでに結婚は諦めてた。
休みも基本はひとり。
だけどひとりでも楽しい。
一日ふらふら遊んだあと、最寄駅近くの居酒屋で一杯やったら、もうずっとこれでも良いかなって気分になってた。
これがあと10年続いたらもうだめだったと思う。
でも田舎は何もかもが違った。
遊ぶところがない。
最近話題の美術館はもちろんないし、図書館ですら遠い。わざわざ出かけなきゃいけない上に行っても中身がしょぼい。
飲み屋もレベル低いし、車でしか行けない場所だからひとりだと飲めないし、値段が高い。
田舎はなぜか外で酒を飲むと高くつく。
とにかくヒマだ。
ヒマだと寂しくなるし人恋しくなる。
昔の人がやたらと恋愛にこだわったのは、たぶんネットやスマホがなかった頃は今よりヒマだったからなんだろう。
俺もヒマすぎてパートナー欲しくなった。
30歳が若者かどうかは意見が分かれるかもしれないが、田舎だと圧倒的に若者だし、圧倒的に数が少ない。
右を見ても左を見ても年寄りばかり。
出会いなんてなさそうに思うが、少ないと探したくなるのが人情というものなんだろう。
限られた同世代はなんか集まる。
ヒマだし。
田舎に帰るとすぐ同級生から声がかかり、そこからなんか同世代の知り合いが増えていった。
紹介してくれと頼まなくても独身だとわかると合いそうなタイプの人をなんか紹介してもらえた。
妻と出会ったのもそういう知り合いの集まり。忘年会かなんかだったはず。
都会には美男美女高学歴高収入高身長などなどたくさんの若者がいる。
レベルの低いやつはフィルターにかけられて出会いにも到達しない。
多少容姿が悪くても身長が低くても、門前払いされることはない。
そんな状況だから、都会みたいにパートナーのスペックでマウント取りあったりポケモンバトルしたりっていう文化は成立しない。
だから都会では相手にされないスペックでもパートナーが見つけられたんだと思う。
これは悪い面の方が多いんだけど、都会にはない圧がたしかに存在して、それに背中をぐいぐい押されたのは否定できない。
親や親戚、ご近所だけでなく、職場や同世代の友人たちに至るまで、結婚させようと圧をかけてくる。
妻と俺がちょっといい感じだとわかると、本当にいろんな方面から押された。
正直ウザいのも事実だが、俺みたいに煮え切らない人間にとっては背中を押されるのは良かったのかもしれないと思わなくもない。
実はこれが一番大きいかも。
東京にいた頃は常にカツカツだったのが、地元に帰ってきてからは結構貯金できるくらいに余裕ができた。
運良く地元の工場で正社員になれたとはいえ、それでもそんなに手取りは増えてない。
外食、特に外で酒飲むと高くつくけど、そもそも飲み屋が遠いので飲みに行く機会が減る。
そしてなんか野菜もらえる。
親切でくれてんのかなと思ったら、実は一度にたくさんとれて消費しきれないからくれてるらしい。
畑やってる家はどこも同じ時期に同じものが余るので、畑やってない奴は絶好の引き取り手なんだとか。
でもこれが地味に助かる。
あと、家賃。
実家出て同棲した2LDKの新築アパートは駐車場2台分付きで東京で住んでたワンルームの半分以下の家賃だった。
子どもが生まれたのを機に実家の土地に家を建てたんだけれど、2千万円で結構広い立派な家が建った。
都会だと土地すら買えん額だ。
とにかく、金の余裕は心の余裕。
都会に住んでた頃のカツカツな経済状況では結婚なんてとても考えられなかった。
非モテ弱者男性はもしかしたら田舎に引っ越したら結婚できるかも?
いや、地元とかじゃないところにいきなり行っても厳しいだろうし、仕事なかったら話にならんし、そんな簡単じゃないとは思うけど。
でも都会だと致命的になる要素が田舎だと意外と気にされなかったりする、ということだけは伝えておきたい。
自分手動でプレイしないゲームは糞詰まらないと思ってるタイプだから心配無用よ
そこそこ根拠を持ってレスしてるし、実際釣られて別の投稿に本人来てるので
目論見は達成してるのよ
既に書いたが流動性高いのである。生活費が安く済むし行政サービスも平均以上で悪くないので住み続けるのもできるが、住んでて死ぬまで川崎に閉じこもるのかと言われたら、普通に市外に就職もするし遊びに行く。免許取っちゃえばお台場に30分、ディズニーランドに1時間弱、丹沢にバーベキューに行って川に流されたっていい。川崎は基本的に企業城下町として発展してきた町でありその意味で地方都市的な性格が大きいが、一方で電車に飛び乗れば20分で銀座に着くお手軽ベッドタウンでもある。「流される」ことは多々あるだろうが「腐る」ことはない。
川崎ヤバイネタの定番はJFE、かつての日本鋼管だった。日本鋼管に勤めてる人は給料が良かったので川崎に一戸建てを建てる人も多かったが、その家の当主は家を建ててすぐ死んでしまうというので「命と金の交換会社」と呼ばれていた。鉄粉や石炭粉塵舞う口上をマスクもせず働いてたそうなので。そんなJFEの製鉄も終了である。ヤバいネタはどんどん消えていく。
中学時代といえば、地下街アゼリア新星堂で「八神くんの家庭の事情」のイメージアルバムを購入して店を出たところでスーツ姿の中年のオッサンに声をかけられ、お茶に誘われた。声かけて即座に太ももを撫でてきて、ちんこまでちょいちょい触れてきたので当然のごとく誘いを断ったが、当時はあれが性的意味だとちゃんと理解してなかったのでちょっとヤバかった。
上記の痴漢は平均的サラリーマン姿のおじさんであり、そういう人のがヤバいのだろう。一方で川崎駅前をトンチキな格好の人が歩いてることがあるが、基本、歩いてるだけである。
アゼリア地下街のど真ん中で痴漢というと凄く治安が悪いと思われるかもしれないが、当時、駅前のゲーセンで遊び倒していてトラブルに巻き込まれたことは皆無である。ゲーセンでヤバそうに見えるのは川崎駅から離れた産業道路近くのラウンドワンとかベネクス、あるいは今はとっくに潰れてる町内の小さいゲーセンとかは雰囲気がヤバげではあったが、三国志大戦や艦これアーケードであっちこっち入り浸ってた頃も特にトラブルはなかった。三国志大戦で言うなら高津あたりのがよほど(略
川崎駅前で有名どころといえばタケちゃんマンの歌で有名な堀之内(風俗街)だが、再開発でマンション建てまくって往年の面影はない。飲み屋街の仲見世通りも客引きが多いが善光寺の門前で一定の秩序が保たれてる(店は選ぶ必要がある)。堀之内よりガラが悪く素人は行くなで有名な南町も風俗店はだいぶ減って客引きもいなくなり、普通に歩ける。というか川崎区民の通勤通学路であり、XX組の黒塗りの車がやたら停めてる前を女子高生やサラリーマンが徒歩や自転車で大勢通り抜けている。一方、昔の闇市だった平和通りや砂子通、銀柳街が昔の一般商店が消えて風俗や夜の店ばかりになり、こちらは静かになって逆にガラが悪くなったなーと思ったりする。
ガルクラでお出しされる川崎市の風景だがセレクトに引っ掛かりを感じることはちょくちょくある。川崎駅前の路上ライブの場所が浮浪者を追い出して作られた話は先日書いたが、昔の駅前はそこらじゅうに浮浪者が寝ていた。駐輪場入口など特に排水溝に小便をするのでめっちゃ臭かった。一方で浮浪者はそこにいるだけなので特に害があるわけでもなく、治安悪化に直接影響するでもなく、直接接触するわけもないので汚いとも思っていなかった。どちらかといえば浮浪者にちょっかいを出すクソガキのほうが危険で、段ボールハウスに放火してボヤ騒ぎになった一部始終を見てたこともある。
自分が駅前で遊び飲み食いしても犯罪に巻き込まれることは(痴漢以外は)皆無だが、弟は駅前の路上で寝てたら財布を盗まれたそうである。寝るな、としか言えないが、浮浪者の目があった頃のほうが路上で寝てても安全だったかもしれないと思う。
仁菜ちゃんが練習してる多摩川河川敷の公園だがすぐ目の前にマンションがある。あの公園やマンションは多摩川の堤防の河川側に家を建てて住んでた人たちに立ち退いてもらうために整備された場所。多摩川が増水するたび被害が出て危険なので補助金を出して立ち退いてもらったという場所なので、行政の努力の場でもある。
あの多摩川の公園の向かい側にあるのはリクルート事件の発端となった開発エリア。どうせならソリッドスクエアの1階の噴水をバックに汚い大人たちを思いっきり蔑む歌詞をシャウトしてくれても楽しい。
智ちゃんとルパちゃんの住んでる河原町団地は有名だが、そこからもう少し先に行くと川崎競馬の小向厩舎がある。早朝5時前に行くと小向厩舎から多摩川河川敷の練習場へと競走馬が公道を横断してるので、馬を眺めながらのシーンがあっても可愛い感じで良いのでは。そこからウマ娘とコラボをぜひに
特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど
坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった
ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの
親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないからニコニコしてたけど
別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど
そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ
亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨なものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし
俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ
だから一同真面目な気持ちで法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった
法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな
坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった
いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ
終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった
死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、
確かにお通夜のときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた
じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?
納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん
これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない
またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ
猫も坊さんももう嫌いになりそう
子持ち(あるいは妊婦)が突発的に休む
↓
その分の仕事を比較的タスクが少ない人や知識レベルが同じ人がカバーする
↓
繰り返していくうちに負担になる
っていう流れを誰かがXで嘆くと、「悪いのは子持ちじゃない。一人休んだくらいで回らなくなるような会社が悪い」て言う人が必ず現れる。
本当にそうなのだろうか。
もちろん子供の事情で休むのは仕方ない。だけど「仕方ない」と言っていいのは、その分の仕事をカバーしてあげているその人だけであって、「自分もカバーしてきたから」とかいう理由で他人がとやかくいうのはお門違いじゃないか。
明日戻ってくるのかも分からないし、明後日だって分からない。そんな状況でが増えたりなんかしたら、もうその人に回すのははじめから避けようってなってもおかしくない。
よく「病気になったら、事故にあったら自分だって休むだろ」みたいな理論言う人いるけどさ、子供って自分が計画しないとできないだろ。病気や事故で休むことがあるって自覚してて仕事する人なんていないけど、子供の場合はそうじゃない。
周りの人だって皆、子持ちのカバーをする前提で働いているわけじゃない。それなのに、度々休むって自分で分かってるのに職について「子どものために休むのは当たり前、権利だ」なんて言ってればそりゃもう…反感は買うよ。仕方ないよ。
とはいえ、予備として一人くらい人員を用意しとけばいい論は分かる。
でもそれって、専門的な知識や技術だったりが必要な場合はかなり厳しくないか?
有能な人はそれなりの人件費がかかるから、予備として置いておくなんてほぼありえない。
ありえるのは、それくらいなら休みが増えがちな子持ちじゃなくて、はなからその人だけを雇えばよくね、てなる方だと思うよ。専門知識が必要なタスクは回すの辞めとこ、とかもね。
子持ちを雇うなら予備の人員としてプラス一人雇わなきゃいけない、なんて状況になるならどこも子持ちなんてとらなくなるよ。
・専門性がなく誰にでも引き継げて、
・タスクは一つずつとか少なめで、
とかだけ引き受けてた方がいいよ。休みやすくなるし、周りだけじゃなくて自分のためにも。
子供のためだろうがなんだろうが、休むのって当たり前じゃないからね。カバーしてくれてる人に感謝の気持ちすら持たないのは、社会人としてだめだと思うよ。
中学、高校、大学と「恋愛にうつつを抜かすとか恥ずかしいしダサい」という小学生マインドを拗らせてきた
でも好きな人がいるっていうのは羨ましいなとも思ってきたので、良い出会いがあれば、という感じで生きてきた
出会いはなかった
社会人になったら仕事が忙しいし、仕事関係で会う女性をそういう対象にすることもなかった
彼女がいなくてそこまで困ることもなかった
性欲については、自慰をすれば良いだけ
話せることがないからだ
他人の恋愛話は楽しく聞けるから良いのだが、相手が話してるのに自分が話さないのはちょっと釣り合いが取れないので困るのである
結婚とか子供とか、そういうのは時間制限があるし、俺ももうギリギリだ
その焦りからマッチングアプリ入れたり、結婚に動こうかと思ったこともある
だけどすっげ〜〜〜面倒臭いんだ
好きでもない人とご飯食べたり、会話したり、デートしたり、何も楽しくはない
家でスマブラやったほうがまだよくない?何人か友達呼んでボドゲした方が楽しくない?
面倒、面倒…この怠惰が良くないんだろう
彼女いない歴=年齢の同志たちの一部は、女が欲しくて仕方がないみたいだ
確かに女に愛されたことないってのは、劣等感を覚える事実ではある
人は自尊心がなければまともに生きていけない
うまく行くことばかりでもない
人に好かれる才能とか、人を好きになる才能とか
この歳まで彼女いない歴=年齢の時点で、それらが俺にないことは実証されている
多分同志もそうなんだろう?
実際、本当はそんなに女を求めてないんじゃないか?
求めてたら既に行動して、なんらかの結果を得てるだろう
ただ人生を振り返って、周りとの違いに愕然として少し拗ねてしまってるだけじゃないか?
同志も俺も、いずれ死ぬ
この世は苦しいことばかり、楽しいが2割で苦しいが8割
大変っす。
すっかり忘れてましてね。
もう週末に迫っちゃったんです。
本人は母が働いててほったらかしてるあいだにも、けなげに練習を一生懸命してるし。
偉いもんですよ。
習い事ってね最初の申し込みもだいたい、働く母にとっては大変なんですよ。
また別の日に申し込みに行って、口座の登録用紙を書いて、とかね。
フルで働いてる人間には2日間にわたって平日昼間が必要なんで、
過酷なんです。
結局ねこういうこと、男はようやらんのですよ。
うちは私が大黒柱なんです。夫が働かないので。
最初は少しは働いていたが、どんどん働かなくなった。
まあ昼間に在宅しててくれるので、保育園の送迎はやってもらって、
通院させたり、服や日用品を選んだりとか、そういうのは
ぜんぜんできない。だから私はとんでもなく忙しいです。
それはまたおいおい書くとしてそうそう、
そうやって、平日の昼間に2回かかってピアノ教室に申し込んだのが半年前。
そしたらやっぱりあるわけです。
発表会ってやつが。
本人に「参加したい?」ときいたら速攻で頷いたので、申し込みました。
ほらバレエとか、ママ友情報では「ひとり10万以上よ」っていうのは聞いてましたから。
何代が含まれてるのかはよく聞いてなかったけど、出演料が何万円かで、衣装代、花代とかも大きいみたいです。
おちおち習い事とか、情報なしには始めさせられない時代なんですよ。
でもまあピアノは参加費は1万円とかそんなもんだったし気楽だなあと思いつつ、
あとは本番にむけて練習がんばろうねーってのんきに構えていましたが
「靴は、おうちでの練習のときも、本番ではく靴をはきながらやってくださいね。」
そこで、はたと気づきました。
そうでした。
発表会といえば、
すっかり忘れていました。
何をしてるかっていうと、靴、靴下、ドレス、これを血眼になって探しています。
ネットで。
家族四人とも食べこぼしがついているか習字の墨がたれているか、
よれた服しかないわけです。
夫に至っては、かろうじて働いていたときの作業着ぐらいしか外出に来て行く服がありません。
おいおいおいとすると家族4人とももっと普通の服がいるのか??
まあそれは置いて、まず娘の衣装だ。
ネットで見ているだけで目が回りそうです。
そしてまたサイズ選びも難しいし。
だいたい、「お、これいいな」と思うとsold outばかりだよ!!!
まだ購入ボタンを押せておらず、
午後までかかりそうです。