はてなキーワード: 外資系とは
この程度でも600万は稼げるという夢を持つか、こんなのでもちょっと何かが違うだけで600万稼げるか否かが分かれてしまう業界に闇を感じるか、600万程度で何ドヤってるの?と思うかはご自由にどうぞ(外資系ってもっと稼げるの?)。
歳は30台前半。学部卒。BtoB向けのパッケージ製品の開発プロジェクトで、設計、コーディング、テストあたりを担当している。仕様について発注元との折衝もやっている。
業務で使う技術のうち、自分自身がそれなりに習得しているものだけを書く。プライベートでしか習得・使用していない技術は別。
以上。
PythonもgitもDockerもkubernetesもAnsibleもCIツールもAWSもGCPもRuby on Railsも知らなくてもなんとかなってしまっている。業務でこれらのスキルを要求されることは(今のところは)ないから。
楽でいいと思う一方、このままだと将来ヤバいとも思っている。いざ転職となったときに詰みそう。
でもいざとなったらググっていくらでも独学できるだろうとたかをくくっているので焦ってはいない。
というか「その他」のところに書いた能力が高ければ世の中大体はなんとかなるんじゃないの。知らんけど。
ちなみに自分は構築できないというだけで、プロジェクトではJenkinsとかgradleとかbabelだかwebpackだかでビルド環境は整えられている。
あとプライベートで、単純な仕様の独自言語のコンパイラフロントエンドをC++とLLVMで作っている(これで金が稼げるとは微塵も思っておらず、完全にただの趣味)。
これはプライドが高くて人間としてとてもつまらない男の愚痴だ。
普段は外資系のIT企業でエンジニアとして働いていて社畜としては(長時間労働なので)収入も高く、エリートと持て囃されることも多い。しかし、プライベートの話になると孤独以外の何者でもない。少し振り返ってみて数年前に遡ると、大学時代から周りと深い仲になれることがなく遊びに行く経験もほぼなかった。大学院にいけば、社会に出れば、そう思ってはいたが、結局コミュニティに属することはなく、新しい友人ができない上に、ジワジワと旧友との交流が無くなっていくことを自覚しつつも気にせずに生きてきたが、とうとう年末年始に会おうといった話や、そもそもLINEなどで連絡する友人がいなくなっていることにこの正月休みをきっかけに気付いてしまった。TwitterなどのSNSもまともにやっていないため本当に孤独だ。趣味のゲームもひとりでじっくりする方が好きというのもあって、まともな繋がりから友人を作れる気がしない。このまま1人寂しく死んでいくのだろうか・・・。
正直本気で信じられないと思ったからここで書き出したい
スペックは俺35歳で外資系ITエンジニアで年収は1200万くらい、まぁITエンジニアとしてはそこそこってくらいだとは思う
彼女は21歳で飲食で働いてる、2年くらい前から付き合ってたけど、結婚匂わせたから即日別れ話切り出したらなんでだって言われて懇切丁寧に理由を説明したら泣き崩れられた
泣き崩れたいのはこっちだよ、まったく
理由としては俺はIT系ではそれこそ70年代からこの業界に携わっている両親の元で生まれて、苦行の様な勉強や学生生活を送り、常にひりつく緊張感やミス一発で沽券にかかわる仕事をITエンジニアとしてやってきた自負があるんだよ
幸い、周りにも認められて責任ある立場任されて億単位ののプロジェクト回してる中で、もし結婚したとして、その両親、兄弟、知り合いに一人でも訳のわかんねえ底辺やキ〇ガイDQNが混じって意味不明なインシデント起こされたら、親の名前にも会社にも俺自身のプライドにも傷がついてて迷惑たまらねえんだよって話、お前らが束になってかかってきても生涯賃金ベースで人生10回分くらいの金を回したプロジェクトやってるんだから、そういう人間と付き合ってる自覚あんの?って
このクラスのエンジニアの領域になれば、それこそ付き合う相手も周りはそれにふさわしいことさえ求められるっつーのに、川崎とか八王子の貧困地帯とか北九州のウエイストランドみたいなところの人間がもし知り合いに言て、かかわりになったってだけでいらんインシデント抱え込むわけで、そんなことITエンジニアとして許せるはずもない、付き合うくらいならいいが、結婚するのなら今すぐ両親の仕事と年収、そして周りに変な奴がいないかどうかを調べて書面でエビデンスとして提出しろ、って机蹴っ飛ばしながら言ったらでも別れたくない、どうしてそんなひどいこと増田くんは言うのさめざめと泣き始めたから
「本当にやる気があるのなら今すぐにでも着手できるはずだろ、泣いてないで何でエビデンス出せないのか理由を言え」って詰めてたら答えないの、論理的に考えられないこういう文系脳の奴俺すげー嫌いなんだよな、てかエビデンスって意味さえ理解してなかったみたいだし、これだから高卒は嫌なんだよ、教育投資低いからさ
何か昨日から着信何十件も入っててうぜーんだよ、効率下がるだろうがって話
まぁこの時点で感情論で隠そうとしたんだから、マトモな人間しかいないって保証を出せないってわけだし、別に俺の年収とスペックなら後で幾らでも女なんか選べるわけだけど、まさか自分の周りの人間がちゃんとしているって保証も出せない奴と2年も付き合ってたことが、俺にとってはショックだわ、返せよ、2年間の時間をよ
やっぱちゃんとした家柄の子がいいと思うんだよな、自由恋愛なんてロクなもんじゃないし、男女双方不幸になるだけだろうって思うよ
ワイは普通に下記のように思っているので
あと20年も持たないよ
マジレスすると英語ができるだけで他は何もできないは使い道あるぞ
逆に英語が全然出来ないけどそれ以外はそこそこ出来るみたいなのは
経営者なら出来る子雇えば済む話なのにね
下々の者は辛い
じゃあワイとキミの何も出来ないの定義が違うのかも知らん
もちろん日本が奇跡のV字回復するならするにこしたことはないけどな
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
https://anond.hatelabo.jp/20200813164528
久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。
私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。
ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。
※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。
80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。
また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である。
(余談だが、日本の半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトはさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)
とはいえ世界的にみると日本の電機メーカーは資金力・技術力ともに上位であり、一時的な不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。
そんな時代背景の元、日本企業は貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業の成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | カリフォルニア州ローズビル | 1981 |
富士通 | オレゴン州グラシャム | 1988 |
三菱 | ノースカロライナ州ダーラム | 1989 |
日立 | テキサス州アービング | 1990 |
松下 | ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収) | 1991 |
東芝 | ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) | 1996 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 英 リビングストン | 1982 |
日立 | 独 ランツフルト | 1990 |
三菱 | 独 アーヘン | 1990 |
富士通 | 英 ダーラム | 1991 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 中国首鋼集団と合弁工場設立 | 1991 |
三菱 | 台湾力晶半導体(Power Chip)と提携しDRAM技術供与 | 1994 |
東芝 | 台湾華邦電子(Winbond)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
沖電気 | 台湾南亜科技(NANYA)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
日立 | 新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資でシンガポールに工場建設 | 1996 |
Windows95ブームの終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。
次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。
かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業に覇権を譲り渡してしまった。
資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期に事業の多角化を進めて半導体に新規参入した鉄鋼メーカーだった。
続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場は投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...
工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワーと資金の浪費に終わった。
こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。
NEC、日立、DRAM事業の統合を決定。エルピーダメモリ設立。
神戸製鋼、米TIと合弁の西脇の半導体工場を米Micronに売却
日立、台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能。現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場、トレセンティテクノロジを常陸那珂に設立
東芝、DRAM撤退。北米拠点のドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。
NEC、非メモリー半導体事業を分社化、NECエレクトロニクスを設立。
繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。
90年代後半からの不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。
折からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!
パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶・プラズマをはじめとするテレビ、DVDレコーダーにデジカメ等、日本のお家芸である家電のデジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!
さらに、世界中で規格が共通化された第三世代携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本の携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!
製造業の国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!
日立と三菱がロジック半導体事業を統合、世界三位の半導体メーカールネサステクノロジ誕生。
富士通、米AMDとNOR型Flashメモリ事業を統合、Spansion設立。
エルピーダ、三菱電機からDRAM事業を譲渡。日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash工場、四日市第3工場建設開始
Spansion、会津若松に300mm対応のNOR型Flash工場建設を発表
ルネサス、UMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社化
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash第4工場を建設開始
2000年代の日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。
日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電は韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。
90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資を継続する資金的余力はもはや残っていなかった。
不採算部門とみなされるようになった半導体事業は設備投資が止まり、建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。
これ以降は、東芝のNAND型Flashメモリや、ソニーのイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダのDRAM工場といった外資の資金を得た分野のみが投資を継続されることになる。
ルネサス、日立時代からの欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却
日立、シンガポールの工場をシンガポールのチャータードセミコンダクタに売却
ルネサスとNECエレが合併。世界第三位の半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクス発足。フィンランドのノキアからモデム部門を買収。
ルネサスエレ、NEC時代からの北米拠点、ローズビル工場を独テレフンケンに売却
米オン・セミコンダクター、三洋電機の半導体事業を買収
ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退、さらに2300人リストラ。またNEC時代の中国の合弁を解消し撤退。
富士通、マイコン・アナログ事業を再建したSpansionに売却
東芝、四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え
Panasonic、半導体工場をまとめてイスラエルのTower Jazzに売却
富士通とPanasonic、SoC設計部門を統合、ソシオネクスト設立
この時期に至ってようやく主要半導体メーカーの工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。
リーマンショック後の大規模再編で日本企業の世界的地位はかつてないまでに低下し、国内の工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。
現在半導体の先端工場に継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニーと東芝のメモリ事業を引き継いだキオクシアだけである。
はたして日本の半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?
東芝、四日市の第2工場建て替え完了。大分と岩手の200mm工場を分社化、ジャパンセミコンダクターを設立。
東芝、本体の粉飾決算のあおりを受けてメモリ事業を分社化。東芝メモリ設立。四日市に300mmの第6工場建設開始。さらに北上市に300mm新工場を建設
ルネサスエレ、米intersilを買収
東芝メモリ、四日市の第6工場が稼働。多国籍連合のファンド、パンゲアから出資を受ける。
富士通、桑名の300mm工場を台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。
Panasonic、残ったマイコン等の事業を台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退
12/13追加
投稿から一晩たって想像以上の反応があったので追記を書いた。ブコメやリプライを読んだ上での俺の追加見解である。
https://anond.hatelabo.jp/20201213092307
以前は単に学校の選択肢が豊富な都市民のナチュラル見下し vs 学校の選択肢がない地方民の怨恨と言った構図だったのが、ここにきて公立中学校を『動物園』と揶揄するのは差別だという視点が持ち込まれて収集がつかなくなってきている。
この流れに便乗して、3万人クラスの日本海側の田舎町に生まれて、『動物園』状態(校内暴力、喫煙、窓ガラス等の器物破損、ストーブや理科の実験でのいたずらによるボヤ騒ぎ、教師いじめで学級崩壊レベル)の公立中学校の実態を経験して、地元の公立高校進学コースを経て、地元エリアの政令指定都市の国立大学を卒業して、今は東京区部に住んで外資系で働いている俺の見解を投下したい。
こんな経歴なので地元の公立を出てそのまま田舎に留まった友人もいれば、銀の匙をくわえて生まれてきたような奴も友人にいたりするので、両方の環境を知っている立場ではある。
前置きが長くなったが、この問題に対する俺の見解は動物園問題はゾーニングの問題だと言うことなのだ。
今回の話題は差別感情に結び付けられて炎上しているけれども、はじめに前提として認識しておかなければならないのは世の中には出自に限らず暴力的な奴、反社会的な行動を好むやつが一定数いるということである。昨今の上級国民と揶揄される方々の傍若無人な振る舞いや、マナーの悪い走行をする高級車の存在などを見れば一目瞭然である。逆にいかにも田舎の不良ヤンキーと言った感じの輩が改造マフラーのバイクで暴走行為をしているのもよく見る風景ではある。
で、我々の周りにはガラの悪い人たちが一定数いるのが前提で、我々は意識的、無意識にそういう環境に近寄らないことで危険を避けながら暮らしている。スリルを味わいたい人以外、ヤンチャな上級国民御用達の六本木の怪しいバーには近づかないし、西成区のドヤ街を無意味に歩き回ったりもしない。学校選びでも、当然のように同じような判断基準を適用しているだけなのだ。
ここで、『動物園』と揶揄されるのがもっぱら中学校であることに注意していただきたい。近所の子供で構成される公立小学校でガラの悪いエリアを避けるためには家の立地を気にするし、公立高校は学力に応じた選択肢があって入試で足切りもするので、そもそも問題になりにくいのである。だが、公立中学校はそうではない。
私の地元の話になるが、3万人の町に公立小学校は10校程度で公立中学が3校、公立高校が1校であった。ちなみに私立進学校というものは一つも存在しない。なのである程度教育に関心のある家族は、住むエリアを選択するときに公立小学校の校区を意識して選んでいた。だが、公立中学校は3校どれを選んでも一定数のガラの悪い生徒が混ざることを避けられない状況だった。
そんな環境でも、公立小学校の校区を気にするような家庭は大抵教育熱心なので、公立中学校で酷い目にあったとしても、高校で挽回し都会の大学に入学することが一般的である。そこで初めて地方の『動物園』出身者は中高一貫の私立校出身者と出会い、その恵まれた環境に驚愕し、嫉妬する。公立中学校の『動物園』問題はこういう構図で生まれているのだ。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。中学校入学時点で問題行動を取るような生徒はせいぜい10人程度なので、その人たちだけ少人数制の特別クラスにぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民の学ぶ権利の敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、都市と地方の教育リソースの差は簡単には埋められないので、現状こうでもしなければ私立進学校の選択肢のない地方民は安定した中学校生活を過ごせないのではないかと思う。
NEWSポストセブン(2011.12.25.16:00)より抜粋
しかし採用の現場では「大学名より高校名に注目しろ」なのだという。
作家で人材コンサルタントの常見陽平氏が、「最強の東大生」について語る。
* * *
面接官の間で、昔から使われているテクニックがあります。それは「高校名に注目しろ」というものです。
大学は一流でなくても、名門高校に通っていた学生は地頭がいいのではないかというわけです。
名門高校は自由な校風のところも多くて遊び呆けてしまう人もいるわけです。
逆に受験勉強がガチガチに厳しく、ドロップアウトしてしまう人も。
だから、有名大学ではなくても、高校が名門校なら優秀じゃないかと考えるわけです。
上場IT企業の採用責任者は「いまや、一番信頼できるのは高校名では?」と語ります。
~中略~
「ウチは東大生を毎年採用しているが、麻布→東大、開成→東大は採用できても、灘→東大は一人も採用できたことがない。企業風土の影響なのだろうか?」
さらに、こんな証言も。外資系戦略コンサルティング会社に勤める社員はこう語ります。
「やはり最強なのは灘→東大。コンサル会社は頭がいいのは大前提。その上で、競争に強くなくてはならない。その両方を兼ね備えたのは、やはり灘→東大」
自分は神奈川県の小中公立、バカ私立高校、Fラン大卒という絵に描いたような量産型の落ちこぼれなんだけど
Twitterやはてなで言われるような「動物園」だった記憶がない。みんなそんなにひどい学校生活だった?
80年代ならいざ知らず今の時代でそこまでひどい公立の学校あるのか疑問すぎるんだけど。
確かに不良や貧乏もいたし、イジメもある時点ではあった。悪いことして絵に描いたようなマッチョ体育教師に頭叩かれたこともあった。
公立の学校は教師が価値観を押しつける?そんなことある?悪いことは悪いぐらいしか言われなかったと思うよ。
大学以降の人脈についてはよくわからん。たまにマンモス大学は共通の話題があって羨ましいなと思うことはある。
卒業後の仕事や給料は自分の同僚として高学歴な人がいるぐらいだから学歴はほぼ無関係だと思われる。
私は首都圏のマンションで育った。平成初期に建てられた分譲マンションは同世代が多く、私の住む棟は平成3年生まれが私含めて4人いた。30歳を目前にしてそれぞれの人生を振り返ってみた。
中学時代は水泳部で部長を務め、行事ごとにリーダーシップを発揮してキラキラしていた子だった。地元一番の進学校へ進みそのまま首都大に進んだ。小学校の先生を目指していたが試験に通らず、現在は都内のホテルで働いている。
2.女子(私)
中学時代はとことん地味だった。高校受験で都内の進学校(御三家)へ進み、現役で学習院へ進んだ。外資系の人材企業へ就職して数年でメンタルを壊し、現在はSE。
3.元気な男子
野球一筋の男子でいじめっ子だった。頭は当然悪く、地元の偏差値40くらいの高校へ進んだ。指定校推薦で体育系の学校(日体大?)へ進み、今は駅ナカにあるマッサージ店で働いている。
4.地味な男子
元気な男子に虐められていた。地元一番の進学校へ優等生女子と進み、一浪の後中央大へ進んだ。三菱系の企業へ入り、アメリカの現地法人で働いている。
地味な男子が一番楽しそうに生きていた。いじめっ子は楽しそうに働いており、親と同居している。優等生女子はキラキラしてるけれどたまにつらそうな投稿をしている。私は身の丈にあった生活をしている。昨年末に中学の同窓会に誘ったのに誰も来なかったのは、何かしらのコンプレックスがあったからかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20200419103335
を4月に書いた者です。
コロナ後最初の夏を経て冬の準備が整いつつあるので、現状のニセコがどうなったかを書きます。
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コロナウイルスが猛威を振るった3月以降、多くの会社がリストラを行い多くの人がニセコを去った。
自分の会社も例外でなく、相当数の人間がリストラに遭い職を失った。
会社によりリストラの方針は様々で、ある会社は会社が存続できる最低人数まで従業員を減らし
失業保険給付が終わったら順次復帰するという手法を取った会社もある。
この後者の手法は本来なら違法(失業給付の法律的意義にそぐわない)なのだが
今回は事情が事情なだけに、ハローワークは表立って宣言こそしないものの、裏でOKと話がついたようだ。
しかしながらコロナの影響で大きかったのは単に収入的な側面だけでなく、人材面での影響だ。
解雇または退職した人間が同時多発した結果、ニセコでは人材の流動化が起きた。
否、流動化といえば聞こえは良いかもしれないが、正確には「人材の希薄化」だ。
高クオリティ・高価格(1泊100万円も普通である)のホテルの部屋と
アルバイトのような低クオリティのスタッフのギャップについては前回のダイアリーで指摘したが、
コロナの影響が続くこの状況下でも、ホテルの建設ラッシュは続いている。
理由は簡単でコロナ前に建設工事請負契約や土地の売買契約を交わしてしまっており
この冬もリッツ・カールトンがビレッジというエリアにオープンするし、
2025年に完成する花園エリアでの大規模リゾート計画もつい先月発表されている。
その増える一方のリゾートホテルの間で、能力の高い人材の奪い合いが起きている。
経験豊富でホテル全体のマネージメント(支配人)ができるような人材は非常に希少で
ヘッドハンティングされていく。
その一方でこのコロナによりこの冬は海外からの季節労働者は皆無に等しい。
毎年来日していてニセコでのサービスに慣れている外国人スタッフが今年は来れない。
各ホテルとも現在ニセコ近辺に在住している人間だけで運営していかなければならない状況だ。
昨シーズンまではアルバイトレベルだったかもしれないが、今年はそれすらを超えてもはや素人だ。
今社内にいる人間を人材不足のポジションに充てるか、働いてくれる人を頑張って探し雇うしかない。
高クオリティ・高価格なハコと低クオリティなスタッフのギャップはさらに加速するだろう。
高級リゾートホテルに安く泊まれるのではと期待している人も多いだろう。
価格は多少(2~3割)下がってはいるが、残念ながら大幅な値引きにはなりそうにない。
これは今回の本題からは逸れるので詳細を述べるのは避けるが
ニセコのホテルはほとんどが自社建築のホテルでなく、分譲マンションのように各客室にオーナーがいる為
オーナーの意向が最優先され、価格を下げたくても下げれないという事情がある。
何なら維持費が発生するのでこの冬はオープンしなくて良いと言うオーナーも多い。
ただそうすると、運営会社(実際にホテル業務を行っている会社)の経営がもたないので
何とかオーナーを説得して少し安くしてオープンしているという状態である。
このような前提条件が揃ったこの冬、
これまで「ドル箱」だったはずの超高級リゾートホテルほど難しい状況になると考えられる。
客室も「3ベッドルーム」「4ベッドルーム」といった寝室が3つも4つもある海外客向けの造りをしており
日本人の旅行スタイルに合わないので日本人の富裕層も来てくれない。
(海外の富裕層は友人や親など3家族、4家族で合計10人といった大人数で長期間宿泊することが多い
余談だが私が知っている一番大きな部屋は5ベッドルーム・3バスルーム(1つの客室内に寝室が5部屋、浴室が3部屋ある))
逆に言うと日本人の旅行スタイルに合った小さ目な部屋を持ったリゾートホテルは健闘できる余地がある。
これまでの冬の状況だと、こうしたホテルは大きな売り上げを上げられず「ドル箱」ではなかったが
前回詳しく述べなかった「バブル崩壊に備え、ニセコの永続的な発展に必要なもの」はまさにこれだ。
私は、ニセコの永続的な発展の為にはこのような日本人にも向けられたホテルが大事だと思っている。
コロナの影響が続いても、またこの先さらに厳しいバブル崩壊が起きても
最後に、北海道新聞社がこのニセコについては力を入れて取材を続けており
地元の倶知安支局がニセコの発展した理由の分析や問題提起をはじめ、
https://www.hokkaido-np.co.jp/nisekonokiseki
地元の関係者、外資系リゾート企業の経営者などへのインタビューを積極的に行っていて有益な記事が多い一方で
調子の良い不動産業者の言葉を借りた提灯記事も散見される(ある程度は仕方ないのかもしれないが)。
北海道新聞には北海道を代表するメディアとして、もう一歩深く切り込んで頂き
私も、成績大してよくなくて好きに生きてたらえらくマウンティングしてくる人ばっかりが友人だったけど、
今多分彼らより収入いいと思う。勤め先もいわゆる有名な外資系IT企業の一個だし。
ただ、もう違う道の人生だし、たまに懐かしみ程度で会うのも面倒になってきているから縁は少しずつご遠慮差し上げているよ。
彼らが小さいことで苦しんでるのを見ても楽しくないしね。
高校の時は酷い落ちこぼれで、毎回赤点、長期休暇は補修三昧、毎年留年の危機だった。
遊ぶの大好き、バイトも大好き、授業中は机の下で携帯触って、よく没収されてたな。
大学は推薦で地方の国立へ、先生には可愛がられてたからダメ元で推薦状を書いてくれた。
面接と小論文だけだったので馬鹿でも地方の国立大学に受かってしまった。
大学でも当然落ちこぼれたのだけど、当時の彼氏がめちゃくちゃ勉強出来る人で、テスト前のデートはだいたい勉強だった。成績はするする伸びた。
就活はやる気にならなかったので別の大学院に進んだ。サクッと受かった。旧帝の院。学歴ロンダリング成功。
そのままある程度研究して、卒業して、上京して、外資系の大企業に入った。
地元に帰った時、久々に連絡を取った高校の友達グループと飲みに行った。
話してて気づいた、すごく見下されてる。
友達の中で、自分は赤点ばっかの馬鹿な友人のままで止まっていた。
引かれると思って今働いてる会社名とかあえて濁して仕事の話をしたら、弱小ブラック企業で働いてることになってて、それが私にお似合いということになってた。
婚約したと話したら、結局大学院まで行ったのに男に逃げるんだねーとなっていた。
逃げじゃなくて仕事するよって伝えると、夫の稼ぎが無いことになってた。
とにかく悪い方に捉えられる、下に見られる。
夫は私より優秀で、私の数倍稼いでいる。ベンチャーだけど経営者だよ。
どこの大学院に進んだとか、どこの企業で働いてるとか、どうでも良いと思ってあえて言ってないのだけど、自分の近況を都度伝えないと、高校時代の自分のままのイメージで固定されてしまうのかも。
夫には友人(との関係を)切ったら?って言われるけど、貴重な地元の友人なので、年に数回会うレベルだし良いかなと思って放置してる。
疲れた。
人って変わっていくものなのに。
外資系に行けば、まあ輝くのであろうな。
80年代にはイケイケで、大企業に入ってガシガシ稼ぐのが大正義で、給料はジャンジャンあがるし金利はメッチャ高い、という前提で生活していた。
基本的にこの時の嫉妬は大企業に向けられていて、大企業は好き勝手に金儲けをして蓄えてると思われていた。
公害良くない、バラマキ良くない、企業よりも個人が大事、お金よりも心が大事なんや、というのはそのアンチテーゼとして底流になった。
それが90年代に入ると一気に景気が悪くなり、大企業はバンバン業績を悪化させてつぶれ、分裂し、弱くなった。
逆に嫉妬の向けられ先は、それまでとるに足らない、個性のないつまらない仕事をしてると言われていた公務員に向けられた。
公務員は高給を取りすぎている。公務員が大勢いる団体は効率もよくない。だから民営化しようと民営化が進んだ。
そもそも、企業のなかでぬくぬくしてる奴らよりも、仕事をする実力に応じて給料が出るべきなんや。
と、就職口が細くなったのと合わせて、企業に勤めない個人が専門性をもつ生活が良きものとされた。
ところがどっこい、0年代になって、弱った企業では個人にノルマが押し付けられ、公務員も数を減らされた結果、非正規雇用が増えた。
この時代の羨望の先は外資系の高給サラリーマンたちだった。彼らは多大なノルマに向かい合い、次々と燃え尽きながら仕事をこなした。
どんどん世間は貧しくなり、80年代に多数派だった「大企業勤めでぬるま湯に浸かってる会社員」「親方日の丸の公務員」というのはいなくなった。
ジリ貧のなかで「一髪グレートリセットを掛けてみたらいいんじゃないか」という話になって民主党政権になった。
ところがこの人らは、80年代、90年代の感覚のまま政権運営をしたので、景気対策に消極的であり、世間はさらに貧乏になった。
10年代になって、現場の疲弊が頂点に達し、自民党政権に戻り、グレートリセットから安定に世論が変わった。
0年代に横行していたブラック労働に改善が入り、政府のバラマキ的な景気対策で景気は回復に向かったので、給料水準も改善した。
ただ、非正規雇用をもう一度雇い直すほどの企業体力はまだ回復していない・・・・・と企業側は言い続けた。
世間の構造はあまり変わらず、再度「好きなことをして生きていく」に世論は変わった。ネットで騒いで客を得る商売が流行った。
ただそれは90年代の「お金より個性」とではなく「個性を売ってお金を得る」という方向に変わった。
20年代である。安定路線で10年きたことで、逆に腐敗が生じたが、世間はまだ大変革には忌避感がある。
10年代にあったブラック労働の改善、パワハラ、セクハラの撲滅から、逆にポリコレへの反感を育てた。
企業は10年代にかなり業績を回復し、立ち直りつつあったがそこにコロナが直撃し、明日が見えない。
ネットで騒いでお金を儲ける方法論は飽和して、社会迷惑行為と認識されるに至った。
大阪都構想は基本的にこのうちの、「ジリ貧だからグレートリセットをするべきだ」というのと、
「公務員はロクに仕事もしてないのに安定して給料を貰ってるやつらだ」の合わせ技をベースとして、
ここでいうコンサルは大手コンサルファームでもなければ、ITコンサルでもなく、〇〇弁護士事務所みたいな企業再生を手掛ける法律系コンサルでもない
町の中小零細企業を相手にした経営コンサルタントだ 地方都市には元銀行員だったり大手企業ドロップアウト系の個人コンサルがわらわらと居る
社長に対し何か提案するわけでもなく、毒にも薬にもならないようなことだけを言ってフィーだけを受け取っていく彼ら
この手のなんちゃってコンサルたちが生き残っていられる理由は何なのだろうと常々私は考えてきた
まず最初に思いついたのは「税理士が果たすべき仕事を果たしていない」ということだ
大抵の場合、中小企業の担当税理士は税務署上がりで税務申告だけに特化した税理士だ 当然財務や経営のアドバイスなどするはずもない
税理士に相談出来ないからコンサルに相談する、ただだからといってなんちゃってコンサルに金を払って相談をする理由としては弱い
次に思いついたのが「銀行員が果たすべき仕事を果たしていない」ということだった
最近になって地方金融機関は「担保に頼らない融資」だの「決算書の数字だけにとらわれない事業性の評価」だのと打ち出してきているが、ちゃんと機能しているところを見たことがない
社長を捕まえて1~2時間質問した程度で事業性の評価など出来るわけもない 本腰入れてやろうと思えば、担当の1社に1週間くらい常駐するくらいのことが必要だろう
ところが銀行は「今月1ヶ月で各自最低10社の事業分析をすること」なんてノルマを課して、事業性評価を「手段」ではなく「目的」としてしまっているので論外である
ただ銀行員に相談出来ないからといってやはりなんちゃってコンサルに相談する意義はどこにも見当たらない
そういった疑問をずっと抱いていたのだが、先日地元で活動するコンサル2人と話をして、自分の中でようやく答えを見つけることが出来た、ように思う
まず最初に会ったのがコンサルのAさん 東大を出て大手メーカーに入社し数年して退社 「地元の地方創生の手助けをしたい」という高尚な目的でコンサルとなったらしい
ただ地方自治体はリスクをとりたがらないのでそれなりに実績のあるコンサルにしか外注を出さない まずは実績を積むため、中小企業の経営支援を行っているらしい
Aさんの話はすごく分かりやすく、分析資料も凄く丁寧に出来ている ただクライアントとの契約が長続きしない
Aさんはクライアントの社長に対して遠慮なくズバズバ厳しいことをいうので、恐らくそれが契約が長続きしない理由なのかなと自分なりに察した
次に会ったのがコンサルのBさん この人は外資系生保のセールスマンとして節税目的の保険等を売っていたのだが、そのときに築いた社長人脈を活かしてコンサルをしている
BさんはAさんと違って時間をかけて分析資料等を作ったりはしないらしい ただ生保セールスマンだけあってトークスキルは抜群だった
私は名前を伏せてAさんの話をし、なぜ契約が長続きをしないのかを訊ねた ここになんちゃってコンサルが生き延びていられる理由があると思ったからだ
「例えるなら企業は人間で経営コンサルは医者なんですよ そりゃごく一部には外科的手術が必要な企業もある でも大半は軽い風邪とかそんなものなんです
ひょっとしたら風邪ですらないかもしれない 長く生きていれば朝起きて頭痛がしたり体がだるかったりとかそういうことだってあるでしょう
それを医師に相談して“じゃあMRI検査しましょう”とか“すぐに精密検査を受けてください”って言われたらどう思います?
彼らが求めているのはそういうことじゃない 話を聞いてとりあえず適当な薬を出してさえくれればそれでいいんですよ」
この話を聞いて私はようやく理解出来た なんちゃってコンサルがなんちゃってコンサルとして存在していられるのはクライアントが望んだ結果なのだ
提案もしなければ提言もしない、財務分析もSWOT分析もしない、適当に雑談しながら適当に相談出来る相手、それがなんちゃってコンサルの存在意義なのだ
新型コロナの影響で中小企業が苦しむ中、国は地方の中小企業を救うべく色々な予算を組んで、そして助成金を出すのだろう
予算だけつけられても県や市に中小企業を救うノウハウを持った人間はいない
そうなると県や市はなんちゃってコンサルに外注し、予算が無駄遣いされていく
ただそのような状況を作り出してしまった原因の一部は中小企業の社長たちにある
Bさんがいうところの外科的手術が必要なのは中小企業ではなく、こんな構造を作り出してしまった日本という国自体なのではないか
https://anond.hatelabo.jp/20201026003439
バズってる増田を読んだ。
日本海側の3万人クラスの田舎出身の人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。
元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業のイメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒の仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人にロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学進学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。
研究者→少年マンガのサポートキャラ、コナンの阿笠博士的な発明家ぽい人
その他商社マンや広告代理店とかの文系花型の仕事や司法書士、公認会計士等の仕業→そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!
見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方の国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方の高校生の認識ってマジでこんなもんだと思うよ。
個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方の田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校がダメダメ。動物園状態。英語のリーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下を自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブで教科書を燃やしたりする馬鹿とかいてしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校の選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシンで過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地の中高一貫を受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫高自体が無かったりするのがザラなんで。
コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式と赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策は全面的に高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任は地方国立の数学科院卒の経歴で、難関大学の入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身のちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。
まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋やジュンク堂的な大型書店があって多種多様な参考書を手に取って見れらし、進学校が存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウやエピソードを聞いたりできそうだし。
やれやれ。ようやく今週の週報を書ききってほっとしているので興にまかせて書いてみる。
テレワークが始まってはや6か月。俺ドマイナー外資系製造業の営業。給料はそんなに悪くない。GAFAみたいに高くもないが普通の生活する分には十分だし少しだけど貯金もできている。日々Zoomで営業営業会議会議。気づけば毎日7時。NHKニュース見ながら作り置きのメシ食って風呂入って寝るって感じの生活。少しは事務作業させろよクソがと思うんだけど言い出せないチキン。しかたなく重めのやつは週末にやってる。
でもテレワーク始まってよかったのはやっぱり通勤しなくてよくなったこと。毎日毎日朝6時半に起きてクソほど混んでる電車に乗って1時間半かけて会社行ってクソみたいな会議したり2時間かけて田舎の客(お客様!!)のところいかなくて済むようになってマジでQoL上がった。おかげで朝ランニングもできるしシャワー浴びて着替えて仕事すっかって感じでできる。最高だよ。永遠にテレワークにしたいね。
で最近思うのは結構田舎にも都心にあるようなもの欲しいなって。具体的に欲しいのはこういうのだ。
こういうのって割と東京都23区内にしかないと感覚的には思う。あんなところに住みたくないけど利便性もほしい。今みたいな状況があと10年ほど続いてくんねーかなと思う。そうしたらこういうものも地方にできてくるんじゃないかな。需要あるよ俺ぜんぜん金払うし!
はー書いて満足した。風呂入ってクソして寝るわ。じゃあな!
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
妻:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の妻とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から妻が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
妻はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は妻に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ妻に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、妻からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるので、妻自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、妻のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、妻にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに妻はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その妻の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が妻の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで私が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、妻が寝てる時はリビングで、妻が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
妻はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、妻はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
妻は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、妻からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を妻の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、出会い系で男を漁ったり、ホストにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や妻からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
妻から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も妻の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった妻が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒っていいだろ?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、妻の言動の方がアダルトチルドレンぽい、妻があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。妻からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は妻も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。妻はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今ホストにいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると妻は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった妻に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。