はてなキーワード: 副会長とは
ツイッターをやっていると、よくわからないファボやリツイートがつくことがある。
自分はフォロワー数の多くない企業アカウントの中の人で、今年の夏、熱中症の注意喚起を呼びかけたツイートが、先月、だいぶ涼しくなってからリツイートされたことがあった。
私のツイートの内容は、今日も何回か救急車の音を聞いた、熱中症に気をつけるように、また熱中症だと思っていたら、脳梗塞の場合もあるので注意、というような内容であった。
なぜ、こんな涼しい日に?
と気になって、リツイート先を見に行く。会社のアカウントにアクセスしなかった時間は半日ほどである。にも関わらず、リツイートされているはずの自分のツイートは大量の他のリツイートや、本人のツイートに紛れて見えない。
プロフィールを見ると、「児童相談所に子供を拉致された」ということと、「集団ストーカーの被害を受けている」ことが書いてあった。
統合失調症にかかった親が、その症状による子供に対する暴言や暴力を通報されて、子供を保護されてしまったのだろうと分かる。
だが、本人には病識がなく、あくまでも自分を攻撃する勢力によって、子供を拉致されてしまったと思い込んでいる。児童相談所もその勢力の一つだと思っているようだった。
さらに、ツイッター上には似たような状態にある親が何人もおり、そういった親同士が繋がることによって、妄想を強化させ、病識から遠ざかってしまっている様子が伺え、朝から恐ろしいものを見る思いだった。
だいぶスクロールして、自分のツイートを見つけた。その上下には、「救急車」と「脳梗塞」というキーワードで拾ってきたであろう他のツイートが並んでいたが、正直なところ、どういう脈絡でそのキーワードを持ってきたのか分からなかった。
自分のツイートまで遡っただけだが、その人物の配偶者や親など、他の家族の影は見えず、孤独な状況に置かれている様子も伺える。
孤独な状況でSNSに頼り、妄想を増幅させている。SNSの問題点が浮かび上がっており、本人もそうだが、何よりも児童相談所に保護されているという子供が哀れだった。
ずっと胸の奥につかえるような居心地の悪さを感じて一日を過ごしたが、思い立って今度はグーグルの方で、どのようになっているのか検索してみた。
児童虐待を通報され、子供を児童相談所に保護されてしまった親に対して、「児童相談所の方が子供を拉致している」と吹聴して回る、社会的地位のある人々が存在し、お墨付きを与えている。そして、そういった親に対して、本を出したり、セミナーを開いたりしている。
彼らの動画や本を紹介している人の中には、イルミナティであるとか、宇宙人と思しき片仮名であるとか陰謀論で目にする言葉が脈絡もなく飛び出し、妄想性のある病に罹患していると思われる人も含まれていた。
だが、彼らの主張はあまりにも荒唐無稽である。子供が児童相談所に保護された時に生まれる親側の「自分は虐待などしていない」と言う否認感情を逆手に取り、悪いのは児童相談所の方であると吹聴している。その中には、上記のような明らかに妄想性の疾患のある患者も含まれている。
こういった主張をしている社会的地位のある人物は他にもいるようだったが、具体的に目についたのは二人、肩書はそれぞれ弁護士と医者である。
極右的な主張の持ち主であり、体罰の会の副会長をしている。日本国憲法が無効であるから、それに基づく教育基本法も無効であると主張する極端な人物である。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=bsVc_DCAxOw
ざっと調べてみたところ、反ワクチンで有名な医者のようである。ワクチンどころか、向精神薬を全否定し、さらには精神の病そのものさえ、無いと主張しているようである。
南出の方は極右的な人物であるが、内海の方にそういった思想的な傾向はあまり見られない。南出の動画はチャンネル桜だが、ふたりともIWJに取材されているページも見つかり、単に右翼左翼という問題ではないようだ。
二人とも、大した理由もないのに、児童相談所が子供を拉致する。目的は、児童を保護した時の一人あたり、30~40万円ほどの補助金が狙いである。児童相談所が拉致した後は、子供を薬漬けにすると主張している。
だが、常識的に考えて、補助金は保護した子供の食費を始めとする経費として、決して高い金額ではないだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20170816-00074094/
通報があったうち、実際に虐待であると認められたのは8割だが、保護する必要があると判断されたのは13%であったと記されている。保護はその緊急性を要する13%とみなされて行われているのであり、大した理由がないとは決して言えないであろう。
また、向精神薬の利用に関して、適切かどうかは、別の問題として適宜考えればいいことである。
最も重要なのは、このような主張に取り込まれてしまったのでは、虐待をしてしまったことの反省から遠ざけられてしまう。また妄想性の疾患を抱えた親に関しては治療が最優先であるはずである。
何よりもその一時保護を受けている子供の人権に関わる問題である。
だからと言って、見つけてしまったからには、そのまま通り過ぎる訳にもいかない。
忙しかったので、見つけてから二週間ほど時間が経ってしまったが、この間にもおかしな主張に取り込まれた親子がいたのかと思うと忸怩たる思いである。
個々のデータや事実関係の検証については、他の人にお任せしたいと思う。
実際に虐待を通報されたことのある経験を持つ人は少ないだろう。私もあのようなリツイートが飛んでこなければ検索することも無かった。
だが、例えば「児童相談所」で検索すると、「拉致」がサジェストされ、「児童相談所 拉致」と検索された結果は反証のない、バイアスに満ちたものになっている。
2004年の衆院埼玉8区補欠選挙で当選した自民党公募議員の第1号。公募は当時党幹事長だった安倍晋三首相が主導した。首相の側近の一人で、12年の第2次安倍内閣発足以降、首相補佐官や党総裁特別補佐を歴任した。
もともと弁護士で司法制度やエネルギー問題、外交・安全保障、憲法に詳しい。
学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざん問題では、党のプロジェクトチーム座長を務めた。
https://www.sankei.com/politics/news/180608/plt1806080026-n1.html
記者会見に同席した新藤義孝政調会長代理は柴山氏の発言について「(改竄は)首相の発言で指示が出たわけではない」と否定。
「佐川宣寿前国税庁長官が自分の答弁の整合性を図るためにやった。原因は首相の答弁ではないと私たちは思っている」と釈明した。
https://www.asahi.com/articles/ASL68664JL68UTFK019.html
自民党の柴山昌彦・筆頭副幹事長は8日、記者団に「(改ざんは)国会における総理の答弁が少なくともきっかけになったことは紛れもない事実」と述べた。麻生太郎財務相は首相答弁が改ざんのきっかけになったことを否定しており、柴山氏は同日夜、発言を撤回した。
マンガ・アニメ・ゲームの表現を規制する児童ポルノ禁止法改正案(自民・公明党案)が国会に提出された際には、提出者の1人に名を連ねた
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-15/2014091515_01_1.html
カジノ議連の幹部では、萩生田光一事務局長(前総裁特別補佐)が筆頭副幹事長に、吉川貴盛副会長が経理局長に、岩屋毅幹事長が党・政治制度改革実行本部長に、柴山昌彦副幹事長が情報調査局長に、秋葉賢也副幹事長が地方組織・議員総局長に、それぞれ就任しました。
最初は単なる森元の思いつきかと思っていたら安倍首相が自民党に議論指示したと報道されて本気モードになった。
なぜ突然にサマータイム導入が議論されなければならないのか、これは自分だけでなく誰もが思う疑問だと思う。五輪対策なら競技時間のほうを変更すればいいだけだ。五輪のテレビ中継の海外放送時刻と競技時刻との調整がいつも注目される中で、サマータイム導入のニュースではそのことが一切言及されないのはおかしい。今回のサマータイム議論は、目的が全く意味不明だという点が、今までの議論との違いである。
これは議論を起こした側も、サマータイム導入を本気で狙っていないということだ。「五輪のためのサマータイム」であるはずだが、未だに選手の一人もサマータイム導入支持を表明していない。顔と名前を出してサマータイム導入を推進すると名言してるのは、自民党の森元五輪委会長と遠藤副会長だけである。
第一に自民党総裁選の報道を減らす目的がある。サマータイムは政治ネタだ。サマータイムで枠を使えば自民党総裁選のニュース放送も減る。総裁選は、安倍圧勝の結果は確実だが、石破が何票獲得できるかが争点となっている。安倍としては石破の露出を減らしたい。そのための、このタイミングでのサマータイムの投下だ。
第二に臨時国会での争点逸らしの目的だ。安倍首相は秋の臨時国会で自民党から改憲案を提出すると名言した。そんなことになれば報道は憲法改正議論一色になるはずだが、そこでサマータイムである。夏に自民党に指示していたサマータイム法案を臨時国会で提出させる。世論としてはサマータイムのほうに目が行ってしまい、野党もサマータイムの議論に対応せざるを得ない。サマータイムは国会対策の先の先まで読んだ自民党の計略の一つである。
その時、相手は困ったような顔をして「少し考えさせて」と返答された翌日、生徒会の副会長であり学年女子の中心人物であった女に
「○○があんたに告白されて気持ち悪くて困っていると言ってるの、もう○○に接触しないでくれる?」
と教室でしかも怒鳴り声に近い口調で言い放たれた・・・・あまりに勢いに驚いたけど翌日から奇異の目で見られるようになった。
その出来事以来、中学の3年間は「キモい奴」と言うレッテルが学年の女子だけでなく男子にまで広まり、黒板消しを投げつけられたり
後ろからいきなり蹴られたりして怒ると「キモい奴が口答えすんじゃねーよww」と中傷されるようになった。
今考えるといじめなのだが当時は「自分はキモいから、そんな目に合うんだ」と何となく納得して・・・・教室の隅で大人しく過ごしていた。
高校に入ってから人間関係がリセットされたおかげで楽しい時期を過ごしたが、唯一できないことがあった。
それが「告白」だ、好きな人がいたけど結局遠くからたまーに眺めるだけ・・・生徒会の役員にもなったし運動部でそこそこの成績を残した
影響で充実していたが「好きな人に告白をする」が出来ないまま卒業した。
勇気を出そうとすると中学時代の自分が頭の中で「おまえ、キモい奴と思われてるのに告白なんてしたらまたサンドバックにされるぞ?」と何度も何度も呟いてきて
どうしても想いを伝えるに至らなかった。どうしても勇気がでなかった。
大学に入ってからも恋愛に至っては中学時代の自分が頭の中で「おまえ、キモい奴と思われてるのに好きなんて言ったらまたサンドバックにされるぞ?」
大学卒業してから今年で15年・・・・・彼女いない歴=実年齢の童貞、もう青臭く「告白」で恋愛できるような年齢は過ぎてしまった。
大人の対応を迫られるようになり、ビジネスで性を持ち出すことがジェンダー問題的にまずいと言われてから女性には気を使い男女の認識を消して対応している。
プライベートな話や内面に関わる話はセクハラと言われやすいので会社内では誰と話しても仕事仲間以上の感情は抱かないようにしている。
ふと、仕事の休憩中に好きな人に「キモい」と言われると言うことがなければ今頃隣に好きな女性が座っている人生もあったのかな・・・と思う時がある。
過去の亡霊に取りつかれているのは良くないと思いつつもやっぱり中学時代に受けた仕打ちは大きかった。
成人式で中学時代の奴らと出会ったがお酒の力もあり最後は楽しく同窓会を終えたが、俺に「キモい」と言った女は結婚して子持ち、俺が一目ぼれした女性は同棲している彼氏がいると
同窓会の席で隣で座っていた元クラスメイトの女性に教えられた。なんとなく気になって自分が聞いたわけだがモヤモヤとした何とも言えない感情だけが残った。
このネタ(田中理事長とヤクザの関係)は2014年末の海外サイトの報道が発端。
https://news.vice.com/article/this-may-be-the-most-dangerous-and-most-costly-photo-in-japan
(日本の出版社にも同じ画像が同時期に複数送られたとあるが海外サイトがはじめに載せた)
これを現代ビジネスや週刊金曜日、日大と対立する敬天新聞社などが転載し当時すぐ記事にしている。
hagexはネットで既に著名だったネタを数年遅れで転載の転載をしたにすぎない。
【日大理事長と山口組組長の写真が海外メディアで報じられ、下村文科相が調査を約束】
http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/43023
この件についてはそのときの報道を元に国会の場で質問されているのだ。
JOCの副会長である日大の田中理事長はヤクザと関係があるのか?と
文部大臣は調査すると言ったが音沙汰なし、しかし田中はJOC副会長を退任する。
このネタはその後も週刊誌、ネットニュースなどに定期的に出てきていたし、田中理事長とヤクザの関係は広く知られていた。
巷で広く知られ、国会で質問までされたネタでいまさら事件が起きるか?今更こんな有名なネタを再度書かれたことで誰が困るんだよ。
どんだけバカなんだよお前ら。
TBSラジオ「荻上チキSession-22」の、6/7放送分のアーカイブを聞いて、同じTBSラジオの「アルコ&ピースD.C.GARAGE」が炎上していることを知る。
アルピーのラジオはANN時代から、「不要な奴をあえて主人公にする」「半端なやつにこそ価値がある」っていうような企画をやってきた。今回は(勝手に)「不要」と見なした相手が全然半端ではない、マーベルと黒人とヒスパニックの歴史を背負ったヒーローだった。そこを配慮せずに企画を発信してしまった「アルコ&ピースD.C.GARAGE」は、見識の浅さを批判されてしかるべきだろうと思う。全体的に、私もSession-22の荻上さんに同意だ。
という前提の上で、アルピーの一ラジオリスナーとして、アルピーのラジオ文脈的なものを知ってほしいという気持ちもある。上にも書いたが、アルピーのラジオは、ANN時代(=2012から2016までやってたアルコ&ピースのオールナイトニッポン時代)からずっと不要な奴を主人公に祭り上げるという企画をやってきた。
ANNの「平甲子園」とかそうだった。平甲子園は、「我こそは不要」というリスナーを募って、野球チームを作ろうという企画。
・友達がいないから、教室で地図帳の日本地図の県境をずっとなぞっている。日本はすぐになぞり終わったから世界地図に移行した。
・PTAの副会長だけど、ぜんぜん意見が取り入れられない。私がいなくても行事も会議も滞りなく進む。絶対私は必要ない。
・卒業式のサプライズで、クラスメイトが担任の先生が好きな歌を届けるという企画をしていたが、自分だけ知らされていなくて、一人だけ歌詞カードを持たずに俯いていた。
など、何か聞いてて涙が出てきそうなエピソードが集まり、数ある不要エピソードから選りすぐられたリスナーが、野球チームを結成。最終的に、このチームは甲子園を飛び越えてメジャーリーグでレッドソックスと対戦し、「不要なやつなんていない」ということを証明する。
アルピーのラジオには「何者でもない不要な奴」を敢えて中心に据える企画を打ち、アルピーの二人の演技力とトークで「何者でもない」やつを「何者か」にしてしまう。という流れがある。
アルピーのラジオは、学校でいうと、スクールカースト上位にはいられない、成績もよくない、オタクやマニアというほど何かを極めたわけでもない、中途半端で居場所のない人を主人公にする。みたいなことをずっとやってきた。
だから、今回も、「キャプテン」ではなくて、「キャプテンには内緒だぞ」というファルコンに価値が見出されたのだ。
アルピーのラジオを聞いていると、端々に、学校の成績は悪くていじめられっ子だった平子っち、ガチ川崎ヤンキーには逆らえない酒井ちゃん、みたいな、「何者にもなれなかったアルピー二人の学生時代」エピソードが出てくる。アルピーのラジオには、パーソナリティ二人の、「男社会の中で男らしさを達成できなかった自分」みたいなものが流れていて、半端者たちがこのラジオに集う。佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』の主人公――大学を休学してコンビニでアルバイトをする行き場を失くした青年――も、その一人だった。
このような背景があるからこそ、酒井ちゃんも「キャプテンには内緒だぞ」なファルコンを好きになったんだろう。
Twitterのアルピーファンが指摘しているように、DCGではここ最近、ずっとファルコンの話をしていた。酒井ちゃんは同じTBSで放送しているうしろシティのラジオにゲスト出演した時すらファルコンの話を持ち出した。この回で、酒井ちゃんは、キャプテンアメリカ好きの金子さん(うしろシティ)に「キャプテンよりもファルコンがいいんだって!」と主張し続けている。酒井ちゃんがファルコンを好きなのは確かだ。
しかし、アルピーのラジオにおいては、「不要さ」こそが「主人公」の証となる。この文脈が炎上に繋がった。
確かに、アルピーのファルコン理解はめっちゃ「浅い」。マーベルを深く掘るでもなく、歴史的な文脈を踏まえて映画を見るような「見識」もない。
黒人の歴史とかよく分かんないけど、ファルコン、マジおいしいキャラじゃん!
みたいなノリしかない。だから、今回の炎上はなるべくしてなったと思う。でも、そういう軽くて半端なノリこそが、リスナーの居場所でもあった。アルピーのラジオは学校の端っこでノリで話してたことが日本中、世界中に発信されてしまったみたいなところがあり、アルピーもリスナーも「そういうつもりじゃない」と言いたいだろう。
だけど、パロディするなら、原作の文脈に乗るのは当然であって、怒っている人たちに「そういうつもりじゃない」と言ったって、自分からその文脈に乗りに行ったのだから言い訳しようがない。アルピーにはアルピーの文脈があるように……いや、それ以上に、遙かに長く、ファルコンにはファルコンが切り開いてきた文脈と歴史がある。だから、炎上させてしまった側から、「そういうつもりじゃねえんだよ」と言うようなものではない。指摘は真摯に受け取るべきだろう。
私は、「半端なやつ」と思って企画のネタにしようとしていた相手が大ヒーローだった、というこの滑稽さにこそ、アルピーDCGらしさを感じる。
ウサクは地団太を踏んでいる。
笑ってはいけない状況なのだが、それが逆に口元を緩ませようとする。
俺は左手で口元を覆い隠し、現状を分析することで気を紛らせた。
まあ、ウサクはよほど悔しかったのだろう。
それは無理を通すためじゃなく、無理を通さないためにだ。
にも関わらず、相手はそれを無下にするのだから、たまったものではない。
一体、どうすればいいのか。
俺たちには光明が見えなかった。
副会長含む生徒会のメンバーが、そんな俺たちを尻目に悠々と通り過ぎる。
会長は、無言でウサクの肩をポンポンと叩くと、そそくさと生徒会の列に加わった。
あれが精一杯の慰めなのだろう。
「……ん? ウサク、襟元に紙が入ってるぞ」
だが、それはあくまで表向きのモーションだった。
会長はその時に、こっそりとウサクに紙を渡したんだ。
「何か書いてあるな……こ、これは!?」
そして、その紙に書かれていた打開策に、俺たちは驚愕した。
「鎮圧部だ。副会長、あなたが校則4条の3項、及び校則8条の2項を違反したという報告を受けて、馳せ参じた」
「その他にも、様々な報告がきていた」
とはいっても、カジマとは違い、副会長が校則違反をしている証拠は何一つない。
「事実無根だ」
「事実そうだったとして、現時点での我らでは、それを判断することができない。なので調査にご協力いただきたい」
「これから、しばらくの間、身辺を鎮圧部のメンバーが付いて回ることになるが、ご了承を」
「邪魔にならないよう極力務めるが、仮に邪魔になったとしても、そんなことは我々には関係ない」
大校則修正の首謀者である副会長は、これで動きを制限されることになる。
ひとまず、妨害工作は落ち着くだろう。
生徒会長が結果を発表する。
「……ということで撤回案により……大校則修正を……撤回します」
ウサクたちはガッツポーズをあげる。
「やったぞ、我々の勝利だ!」
「オイラが鎮圧部にこってり絞られている間に、なんか勝っちゃてるんすけど……まあ、いっか」
いや、通っていたのだ。
そのまま撤回案を出しても、奴らの「後回し戦術」によって別の案ばかり優先されて通りはしないだろう。
だから、逆にそれを利用してやった。
『壊れた備品の買い替え』などが書かれた紙に、大校則修正の撤回案を“ついで”という体でこっそり紛れ込ませた。
お世辞にもスマートにとはいかなかったが、こうして学生生活の平穏は保たれたってわけだ。
話はこれで終わりだが、ちょっとした余談がある。
実はもう一つ策があったんだ。
修正された大校則を、更に修正する案を出すことで、元に戻そうという策だ。
生徒会が大校則を修正するのは、新しい校則を作りやすくしたり、既存の校則を変えやすくするため。
整備されたような道にも、抜け道があったり、獣道ができるなんてのは珍しいことじゃない。
「この策を使わずに済んで良かった」
「確かに。その案を通すために、また面倒くさいことをやらなきゃいけないのは嫌だもんな」
「違う。そもそも秩序とは、社会を安定させるためにある。その秩序が頻繁に作られたり、変わったりするのは社会が不安定だということを意味するからだ」
「なんだそりゃ。だったら、大校則が修正されたままでもいいってことか?」
「そうじゃない。だが、理由があるからと秩序を易々と作り変えようとすれば、生徒会の奴らと同じになってしまうだろう。その点では、鎮圧部の奴らは遥かにマシだとすら言える」
ウサクは相変わらず、変なところに拘るなあ。
最終的には、自分にとって嫌かどうかっていう話でしかないのに、やたらと取り繕いたがる。
「反対×反対……え、何だアレは」
「な、何で鎮圧部が」
そんな鎮圧部が、校則に違反した行為をしているわけでもないカジマたちに、接触する理由はないはずだ。
「君たち“反対団”のメンバーに、校則の7条を破ったものがいると聞いて、馳せ参じた」
鎮圧部が赴いた理由は、カジマたちのデモとは直接関係がない、校則違反についてだった。
だが、それは緊張感をより一層高める報せだったんだ。
「カジマ……そこの君だな?」
「な、なんでオイラだって!? あれを知っているのは……ああっ!」
デモそのものを止めることができないなら、校則が適用される別の案件で取り締まればいい。
そうすれば、懲罰中の生徒はマトモに動くことができなくなる。
結局、デモもできなくなるってわけだ。
「アンタら、こんなんで本当にいいんすか! 校則が大きく変わっちゃうんすよ?」
「我ら鎮圧部は、校則に隷属することはあっても、選り好みはしない。さあ、ついてこい」
「や、やめてくれっす~」
カジマの叫びは虚しく響く。
「な、なあ、どうする? 残りの奴らで続けるべきか?」
「いや……多分、このままじゃあ、みんなカジマのようになるだけだろうな」
今回、連れて行かれたのはカジマだけ。
デモを続けることに大して支障はない。
だが、みんな校則の一つや二つ三つや四つ、守れていないことはあった。
多くは見過ごされているか、誰にも認知されていないだけである。
その気になれば、ほとんどの生徒をカジマのように出来てしまうかもしれない。
そう思わせるには、十分な出来事だったんだ。
反対派を、こんな方法で黙らせに来るとは。
反対団のメンバーである、学級代表、委員会にも、その手は伸びた。
「今日は学級代表は、“近々ある行事”で忙しいので欠席です。それに関係している委員会も、ね」
副会長が、坦々と報告をする。
だが、その時、わずかに口元が緩むのをウサクは見逃さなかった。
集会に参加している学級代表も、委員会も、本来の仕事が発生したら、そちらを優先せざるを得ない。
「くっ、だが我一人でも、大校則修正の議論で戦うことは出来る……」
「では、今日の議題は、まず『花壇に植える花について』です」
「な、何ぃ?」
生徒会は、更にウサクの弁舌をも封じた。
他の議題ばかりを挙げて、大校則修正に対する話をさせないようにしたのだ。
これではいつまでも後回しにされて、俺たちは何もできないままだ。
「古い慣習を、“伝統”という言葉に摩り替えて庇護するのではなく、その時代に合わせて柔軟に変革する。それこそが生徒会、ひいては在校生に求められることだとワシは考えております」
「副会長……そういう崇高な理念も結構だけど……先に要件だけ述べたほうが皆にも分かりやすいよ」
基本は副会長が前面に出て、会長はでしゃらばずにバランスを取るというのが、今年の生徒会の特色だ。
生徒会における活動は副会長がほとんど掌握しており、なぜその立場に留まっているのか、疑問の声がよくあがる。
何らかの大きなトラブルが発生したとき、人柱になる人間をトップにしている、というのが俺たちの間での定説だ。
「では、単刀直入に申します。“大校則”の3項を修正することを提案します」
「あ……オレっちは反対したからね……一応……オレっち以外の生徒会メンバーは……みんな賛成していたけど」
“大校則”
これを現代風にアレンジしたい、っていうのが副会長の提案らしい。
各学級の代表たちがザワつき始める。
そもそも話の要領を得ることが出来た人間が、その場にはいなかったんだ。
大校則の一部分をちょっと変えたくらいで、何がどう変わるのか分からなかった。
全ての校則を律儀に守っている生徒なんて一握りだし、破ったところで大した支障はないのが現状だったから、ほとんどの人間にとっては「あっ、そう」って具合だったんだ。
それは大校則においても変わらない。
副会長にとっては、みんなの関心の薄さが、むしろ好都合だったに違いない。
俺たち無所属の在校生に、大校則の修正案の情報が届いたのは、それから数日後のことだ。
「大校則の3項? ふーん……」
とはいっても、学級代表者と同じく、俺たちも大して関心はない。
最初は誰も気に留めなかった。
不真面目団たちも、これの意味するところが何なのか気づかなかった。
「確か3項に書かれている内容は……なんてことだ!」
真っ先に気づいたのは、ウサクであった。
ウサクはこういったことに勤勉な性格で、学校の校則も把握しているんだ。
「愚かな。生徒会の彼奴ら、そこまでするか!」
「ウサク、何をそんなにテンパってるんだ」
「分からんのか? これは貴様や、不真面目団にも大きく関係することなんだぞ!」
そう言ってウサクは生徒手帳を取り出し、その大校則が書かれている箇所を指差す。
そこには『学校でのカリキュラム、行事に直接影響する場合のみ校則は強制力を持つ』と書かれていた。
「これを修正すれば、不真面目団などの気に入らない者共を、容易に取り締まることが出来るってことだ!」
ウサクの言いたいことは、何となく分かる。
だが、俺の反応は鈍い。
取締りが厳しくなるってことなんだろうが、それは単に生徒会メンバーによる注意が、今よりもウザくなるってだけだ。
普段から守っている人間には関係ないし、よく注意を受ける人間は既に慣れてしまっているから大して意味がない。
カジマの反応も鈍い。
それもそのはず、不真面目団は別に校則を破っているわけじゃないからだ。
単に生徒会メンバーが眉をひそめるような振る舞いをしているだけで、結局は取り締まれない。
仮に取り締まられたところで、痛くも痒くもないだろう。
よくある、ウサクの過剰反応だ。
俺たちはそう思っていたが、どうも問題はもう少し複雑らしい。
「まだ分からんのか? 例えば生徒会の奴らが、『ピアス、タトゥーなど身体に影響を及ぼすオシャレは禁止、違反すれば厳しい罰則を課す』っていう校則を作ろうとしているとしたら?」
「いや、そんな校則は作れないだろ……あっ」
作れるかもしれない。
俺はその時、ウサクの本当に言いたいことが、やっと分かってきた。
ルールとは何だろう。
俺がその問いに回答するには辞書に頼らざるを得ないし、それ以上の答えは用意できない。
守るか、破るか。
それで十分だと思っていたし、実際それで何とかなっている。
でも、この世がみんな俺みたいなスタンスだと社会は崩壊するだろうな、くらいの思考は働く。
このように、登校した生徒に絡んでくる奴らがいるのは珍しいことではない。
違うのは、絡んでくる人間が教師ではなく、生徒会の奴らって点だ。
こういうのは生活指導の教員がやっているだろうが、俺たちの学校では少し趣が異なる。
「勉学だけならば学校は必要ない。社会、教養を、日々の生活で育むことこそ、学校に求められる役割だ。その資本とは、生徒自身なり」というのが校長の弁である。
要は社会性を学ぶのに、“生徒の自主性を重んじ”ているってわけだ。
まあ、これは名目で、実際には生徒の面倒を見切れない教師側が、仕事を減らすために作ったカリキュラムなのだろう。
とは言っても、大半の在校生にとって、この差に大した意味はない。
大きな違いがあるとすれば、この生徒会に対抗する“組織”が存在することだろう。
「なんだ、そのピンク色の髪は!」
クラスメートのカジマが注意を受けている。
「いやいや、地毛っすよ」
見え透いた嘘だが、カジマは強気だ。
「ピンク色の髪が地毛だというのか?」
「ふざけるな!」
「仮に染めていたとして、それが問題なんすか? 校則で『髪を染めちゃダメ』と書かれているとでも?」
「なっ……に。だが、風紀法には反するだろ!」
「風紀法には強制力がないっすよね?」
「カジマのやつは、また“不真面目団”の活動か」
「でなければ、あんな悪目立ちするだけの色に染める必要がないだろう」
「いずれにしろ状況は変わらん」
“不真面目団”
要は不良の集まりってことになると思うが、一般的に認知されているものとは少し趣が違う。
この集団は、生徒会のことを気に入らないと思っているメンバーで構成されている。
カジマみたいに、校則で罰することができない範疇で、生徒会が眉をひそめるような行為するわけだ。
しょうもない嫌がらせレベルのことしかしていないが、生徒会には効果的だった。
なにせ生徒会に所属する人間は意識が高く、真面目さと柔軟さが反比例するような奴らばかりだ。
そんな生徒会にとって、取り除けない目の上のタンコブほど邪魔なものはない。
そんな生徒会と不真面目団の小競り合いを横目に、俺たちはホームルームまでの時間を潰すわけだ。
「どうしたんだい。生徒会番号06」
カジマの小競り合いに、生徒副会長が割り込んできた。
普段はこういった活動には顔を出さないのに、どういった風の吹き回しだろうか。
「こいつが髪を染めているのに、逆らってくるんです……」
オーラでも出ているのだろうか。
さっきまで強気だったカジマが怯んでいるのが、傍目にも分かる。
「さ、ホームルームに遅れてしまう。かといって走らず、自分の教室に行きたまえ」
カジマはそう促され、おずおずとその場を後にした。
このときカジマは、その生徒副会長の物腰の柔らかさが、逆に得体が知れなくて不気味に感じたらしい。
「で、ですが副会長!」
「仕方ないさ。ワシらにはどうしようもない」
生徒副会長は、その後に続けてこう言った。
「今のところは、な」
そう確かに聴こえたと、カジマは語る。
まず、この記事は同人歴約一桁後半の腐女子のぼやきであることを念頭においてほしい。
定番どころだとファンタジー作品の学パロ(学園パロディ)やBL定番の吸血鬼パロ、最近ではオメガバースなんかもある。二次創作どころか、公式でパロもののスピンオフや番外をやるタイトルも少なくない。
(型月のちびちゅきとか、進撃の中学校とか)
パロ自体は好きだ。読んだことも創作したこともある。魔法学校パロとか世代的にドンピシャ。
そんな私が最近、twitterで見かけて目が点になったものがある。
「前世設定で吸血鬼Aとシスター女体化Bが同級生の幼馴染なAB」
特定できないよう少しフェイクを入れたけどほぼ近い内容。ちなみにこのAとBは原作ではおっさんと少年である。
つまり上記の一文には、設定だけで「前世、吸血鬼、年齢操作、性別逆転、学園モノ」の五要素が盛り込まれている。
正直、それABでやる必要あるの?と思った。
二次創作なんて全部捏造だとか、そもそもBLの時点で…とか、個人の趣味なんだからとか、そういう「そもそも論」はとりあえず置いてほしい。
わかっている。そんなことはわかっているが、それでも二次創作は「キャラクターの雰囲気を残す」からこそ面白いんじゃないか。
けれど私にとってのパロとは、「そのキャラクターのもつ特徴やキャラクター同士の関係性が、別の設定、別の世界観に投げ込まれた時に、何に置き換わるのか」を妄想するのが楽しみだった。
たとえば殿と従者なら、学パロなら生徒会長と副会長、リーマンなら上司と部下かなとか。このキャラはこういう性格だからスリザ●ンに入りそうだなとか、そういうことだ。
あまりに過剰に設定を盛り込みすぎて原型を無くすなら、もうほとんどオリジナルではないか。
見た目も、中身も。
もちろん、例に挙げた前世吸血鬼(以下略)でもそのキャラたちの面影、ABの関係性をきちんと残して素晴らしい作品になっているならすごいと思う。
けれど私にはどうにもそれが想像できない。
自分の頭が硬いのはわかっている。他人のことだし口を出す気はない。間違ってもオリジナルでやれとリプライを送るような真似はしない。
けれど、ABが好きな腐女子として言いたい。
あなたはAのどこに惚れたのか。Bのどこに惚れたのか。ABのどんな描写に、どんな関係性に、原作のどこに燃え滾って同人に手を出したのか。もう一度原作を見直しながら思い出してほしい。
子供を公立幼稚園に入れているんだが、今園児保護者達と自治体の教育委員会が揉めている。揉め事の詳細は話せば長くなるので省略。
揉め事を通して分かったのは、揉める相手が教育委員会だと、PTAは全く役に立たないという事だ。これは本部役員個人の資質の問題ではなくて、PTAそのものの仕様がそもそも教育委員会とは戦えないものになっているという事。
ご存じの通りPTAとは保護者と教師が加入する団体な訳だけれども、教師も加入しているということが、公立校においてはどんだけヤバイ事なのかっていうのを、私は今回の揉め事が起こるまで考えた事もなかったが、考えてみれば相当ヤバイ事だったのである。
PTAに教師が入っている事によってPTAは教育委員会に逆らえなくなる。何故かっていうと教育委員会が実質教員の天下り先になっているからだ。
先生達は教育委員会に逆らって自分のクビが飛ぶのを恐れているし、身内贔屓で教委の肩を持ちたがる。
今回の揉め事の場合、揉め事の発端となった件の保護者説明会よりもずっと前に、教育委員会がPTA本部役員を呼び出しその口を塞いでしまった。園長らがグルだったので本部役員は園の子供達やその担任達を人質に取られた格好で口をつぐんでしまった。
本部役員の中に役場職員がいたのもまずかった。たぶん本部役員選出の際になり手がいないからって引っ張ってこられたのだろうが(なり手がいない場合、園長から適当な人物に電話で声かけがあるらしい。前年のPTA会長副会長は個人情報保護とか保護者達の自由を侵害しない様に=保護者同士の軋轢や喧嘩を防ぐようにかそういった事はしないらしい。)、教委ひいては自治体そのものを敵に回すと仕事がなくなるので当然戦う事は出来ないし、むしろ積極的に教委の肩を持ってもおかしくない(まぁなあなあでスルーしてるとは思うが)。
何も知らない一般の保護者達は教委の卑劣な遣り口に怒り、教委に対して抵抗しないPTA役員達を責めて疲弊させてしまった。
実はPTA本部役員ほど子供達の事を考えるやる気のある人達ばかりだったりするのだが(なり手不足でほぼ無理矢理入らされた役場職員以外は)、まさか教委相手だとどんな理不尽な事でも園側から圧力がかかるとは就任時点では思いもよらず、こんな時は子供達の為に保護者の皆の先頭に立って戦いたいのにそれが立場上出来ない事とその立場を選んだのは他でもない自分だという事に絶望している。
一方、動けなくなってしまった本部役員のかわりに何かしたい一般保護者の有志は、保護者達の中でももっともやる気と能力とリーダーシップと人脈のある人達がPTA本部に吸い上げられてしまっているので苦戦中。
大抵の保護者は誰かが何とかしてくれると思っているし、何とかならなくても最長たった三年我慢すればいいので、遠巻きに見守っているだけだ。多くの人達が教委のやり方はおかしいと思ってはいるのだが、園を敵に回せば子供達に何をされるかわからないから黙っている。
正直今回は既に詰んでいると、密かに抵抗を企てていた有志のメンバーは諦めモードだ。
しかし、子供を公立校に通わせている以上は教委とは関わっていく事になるというのに、こんな風に教委の横暴に易々と屈していていいのか?という思いがある。くじけそうだけど。
今回の件はイジメや虐待や事故など子供達に直接の危害が及ぶ事案ではないので、一般保護者達がいまいち吹き上がらないのだが、我らがこんな容易く負ける姿を見せつけていれば、子供達に危害が及んだ場合にも教委はのらりくらりと責任を回避するばかりか被害者本人とその家族に罪を擦りつける様な事をしかねないのではないか?
実際、過去に自治体内で起こった事件の数件では責任を問われた教委は逃げたり教師側を庇い被害児童を見殺しにしたという噂も聞く。
今回の件はそういう人の命がかかるものではないが、役場内や自治体内の政治ゲームに幼稚園が利用されている感があり、何とか取り繕って誰も損しないで済んだとしても、黙って見過ごしては不味いのではないか?ここは保護者の意地の見せどころではないだろうか?
だが、結局は政治とはそういうもので、役場や教委は子供達の為にーとかうまい事言って来るが我々も子供達も所詮誰かの権力争いの駒に過ぎず、駒が何を言おうが権力者達は勝手に我らを良いように動かし遊んでいるのかもしれない。
ま、本当に子供達の為を思うならPTA本部役員にはなってはいけない事は分かった。どんなに頑張っても園の下請けでしかない、そういう不自由な立場立と分かった。
園から直接手出し口出しの出来ない保護者達だけの団体が必要なのだ。
しかし、PTAが園の道具で教委の犬で自治体のお偉いさんのオモチャに成り下がってしまった一因は保護者達自身にある。PTAの仕事や人間関係を面倒がり忌避するあまり大事な本部役員の人選を園に丸投げしたのは私達だ。
そんな私達にこれから教委とも対等に渡り合える新団体を立ち上げそれを運営維持出来るかというと、かなり疑問なのである。
ともかくPTAはもう要らない。どんなに真面目にやっていてもここぞという時にむしろ子供達や一般保護者に牙を剥く様な団体なんか要らない。あったって誰も幸せにならない。子育て支援をうたって票取り合戦してる地元の有力者以外は。
うちの園ではPTA活動は園の運営には必要不可欠だったし、これまで適切に運営去れているいいPTAだと思っていたから、ネットでPTAが槍玉に上がった時はどちらかと言えばPTAの擁護やそれでも必要であるという方向性のブコメをしていたけれども、これからはPTAは不要、絶対に不要だと言い続けてやる。
確かにゆるゆりは公式でいろんなカップリングを手探りで試してる感があるのが手に取るようにわかるね
でもそういう試験的な組み合わせはえてして中途半端になりがちなんだよなあ・・・
そのギクシャク感がひとつのテイストっていえばそうなのかもだけど、そこにあらたな啓示を与えるのが公式の仕事だから、できればテストは公式ではやってほしくないなあ
新たな性格や趣味とかが見えて、今後の可能性が広がる楽しさがあるならいいけど・・・
ゆるゆりのきょうこがすきな副会長とゆいのかっぷりんぐとか・・・読んでるこっちがなんか胃がきりきりしたわ
仲が悪いわけでもないけどとりたてて仲がいいわけじゃないっていう微妙な関係
友達の友達っていうのか
PTAの役員やらされていたとき、会長だか副会長のおっさんの口臭がすごかった。
なにがすごいってこれまでに嗅いだことのないシロモノで臭いといえばそうなのだけどそれに「恐怖」を感じるような臭いだったのだ。
それなのに平気な顔して他の人と談笑したりしてておれだけが臭うのかなと思うくらいだけど、たまにババアがさりげなく口元を避けるしぐさをしてるのをみてはいた。
おっさん自体、別のところでも薄いつながりがあるんで、会うたびに会釈はする程度の関係性ではあるんだけど、おっさんおれが役員を終わってすぐくらいからこっちが会釈しても無視するようになった。
そういう人は多いので「口臭ジジイが偉そうに」くらいに思っていた。
そしてパタリとみなくなって1ヶ月後くらいに訃報。
そしてふと思う。あの口臭は死臭だったんだと。
イーガン音頭(あるいはイーガン節)っていう、オリジナルの音頭なんだ。
イーガンってのは外国のSF作家らしい。俺は読んだことないんだけど、町内会によく顔を出してる妻は忖度的ノルマで本を読まされるらしい。
妻は楽しそうに読んでいるのだが、他人に押しつけられたモノを楽しく読んでいる姿をみて夫としては内心穏やかではない。
妻がいきなり、ワンの絨毯で構成される巨大な生物がもつハードディスクのなかで計算される宇宙に意識のある生物がいる! とかヤチマやっちまったな! とか
スプリンターの可愛い虫たちがほとんど一代でアインシュタインを超える! とか。
妻が語るようなイーガン作品をバックグラウンドに、数年前に町内会副会長はオリジナルのイーガン音頭を作成。会長の承認を経て正式な音頭になった。
きょうも祭りの準備。集会所前の公園から囃子の音が聞こえてくる。子供達はバーチャル空間のサッカー場がうんこやゲロやヒツジにまみれる「くだり」を何の疑問もなく当たり前のこととして、楽しんでいる。
オタクは自由で放任主義な右翼と親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。
左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。
その言説について思うところを描いていく。
ヘイトスピーチや所謂「言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である「他人の人権を侵害しない」という原則の問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈からの反論(1)や、大日本帝国時代の児童文学や新聞の規制が言論統制そのものに変化していった前例が示すように、原則、否定するべき物ではない。
また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトのラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。
漫画関係の表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。
これらの理由から、オタクが左翼的言説を嫌うことには一定の理由があることがわかる。
チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現の規制側に回っていた。猥褻物や公序良俗を使用した最高裁の判決に対しては、保守派を批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼が表現の自由に不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。
悪書追放運動以来漫画の規制では政府与党が応援してきた。悪書追放運動の主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である。
所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ。
84年の衆議院予算委員会で、マンガを規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。
漫画関係でも、保守派の麻生議員とかは、漫画の規制に積極的な人だし、東京都でのマンガの規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎が都知事だった期間だ(5)。
漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。
つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタクの趣味をポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタクの趣味をポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。
ついでに、戦前でも児童文学の表現に著しい規制が付けられていた。
表現規制の問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。
それどころか、この10年の間は、マンガの表現規制は保守の側から行われている。
だと言うのに、どう言うわけか保守層が放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。
幾度か、マンガの規制の法制化がされるときに反対に回ってきた共産党の立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガの規制するよう求めてはいたから濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。
にもかかわらず、左翼は教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制の法制化の歴史を紐解くと真逆としか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。
……本当に、どう言うことなの?
理由を考えてみると、実際の活動は兎に角、左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動の発言や、ウルトラセブン第12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマトや宇宙の戦士への批判(小説の批評・批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。
特に、ウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨の文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。
また、政府肝いりの団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。
恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。
その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク=人権を御旗に自由を侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識と化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。
00年代前半からの10年、警察や保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨の認識の影響は少なくない気がする。
余談だが、戦前の表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉や表現が問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。
実質的に、差別を助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定や差別の強化自体は問題にされてしかるべきだ。
キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題が解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。
一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者は表現規制そのものを問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判は積極的に行われてよい。
兎に角、「表現を規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現は問題ではないのだから、どんな差別的な表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈の正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか。
いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。
「どんな表現にも寛容な保守と、教条的で表現の規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制の歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯ものの理屈がネットの世まかり押し通ってしまうのは
・60年代の悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った
・「セブン12話」や「宇宙の戦士」批判など、容易な「左翼の抗議による作品の封印」の戦果に容易にアクセス可能
・00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識が流行した
・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用
と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。
(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法のエチュード」86~91ページ
(2)ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」483~484ページ
(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落
(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ
(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ
まず率先して場を取り仕切る役をやりたがらない、意見を言いたがらない人が多い。
例えば転職して最初に出た会社の会議で、いきなり場を取り仕切り意見を言いまくれる人がどれだけいるだろうか。
余程乞われて鳴り物入りで引き抜かれた期待の人材でもない限り、そんな事ができる人はほぼいないのではなかろうか。
それが出来るようになるのは、ある程度その会社に慣れて状況も把握しある程度実績を作ってからだろう。
こんなの女に限った事でも、専業主婦に限った事でもないのに
「女だから、専業主婦だから、無能だから出来ない」と言うマウンティングの典型例。
くじ引きで決めて1年限定は下っ端の役員のみで、所謂本部役員(会長副会長とかああいうやつ)は別に立候補や推薦等で決める事が普通かと。
そもそもこの辺りになると割とやりたがる人がいて、同じ人が何年も続けてたりする。
会長までもがくじ引きで決めざるを得ないような地域は、地域の繋がりも保護者の繋がりも崩壊しているという事なので
その500円はどういう根拠で出て来たのか。
ああいうのは「無償だから」こそやる人が出て来るんだよ、アホ。
無償だから名誉職となり得て、セレブ主婦的な人や地域の名士的な人がやってくれるのだ。
500円×何人分の計算かは知らないが、金を貰うとなると「仕事」となるだろ。んでどうせ大した額にならないだろ。
「名誉」を求める人は逃げ出し、「その金すら欲しいがもっと良い職には就けない無能な貧乏人」しか来なくなるだろうさ。
んでそんな人がまともに働けると思ってるのか。
しかも参加しない連中が「金払ってんだから働けよ」と無理難題押し付けるようになるのも確実。500円しか払ってないくせに。
じゃあもっと額を上げて「仕事」として正当な対価を与えればいい?
11 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オーパイ fa85-ldtI)[sage] 投稿日:2017/03/14(火) 12:16:58.59 ID:q2Hr3Zp+0Pi [1/4]
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ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/
教育再生会議 設置
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13 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オーパイ fa85-ldtI)[sage] 投稿日:2017/03/14(火) 12:17:10.57 ID:q2Hr3Zp+0Pi [2/4]
副会長 鴨下一郎 菅義偉 塩崎恭久 下村博文 岩屋毅 高市早苗 鴻池祥肇 世耕弘成
副幹事長 新藤義孝 高木毅 梶山弘志 西村康稔 江藤拓 古川禎久 山本一太 有村治子 山谷えり子
14 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オーパイ fa85-ldtI)[sage] 投稿日:2017/03/14(火) 12:17:26.76 ID:q2Hr3Zp+0Pi [3/4]
ttp://www.kyoiku-saisei.jp/wf/activity/16860443
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ttps://www.youtube.com/watch?v=K0yvSFxYUTE
創生「日本」6月総会 講師:大阪府知事 松井一郎氏 平成24年6月8日
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去年3人の子供が全員中学を卒業したので私(♀)もPTAを卒業した。
「子供一人につき役員一回」っていう小中学校のルールを律儀にこなしてPTA役員を6期務めた私(最高は副会長)が、やっぱりPTAは無くした方がいいと思う理由を書くよ。
※夫婦のスペックは、2人とも別々の弱小Web系開発会社で働くエンジニア、ここ数年でほぼ同時に管理職になった。労働時間は長めだけど、わりと時間の融通はきく。
まずPTAの存在意義でいうと、ブログエントリーにもあったけど公立校(特に小学校)は保護者の協力がないとまともに運営できないのは事実だと思う。
地元に仲間もできるし、実際子供たちの成長に寄与してるっていう実感もある。
じゃあなんで無くした方がいいと思ってるかっていうと、このままじゃPTAは怨嗟の吹き溜まりになって、子供たちにも悪影響を与えると思ったからだ。
専業主婦の参加を前提として構築されたPTAには、様々な「逃げられない」仕組みがかなりの完成度で備わっている。
・クラスで一役あたり2名、役員をたてるルール → 都合の悪いとき二人で補い合う主旨だが、「相方に悪い」という心理が働き欠席しずらくなる
・次年度の役員を不足なく決める責任は現役員が負う → 役員決めの保護者会の沈黙。現役員の憔悴。一年間頑張った現役員が可哀想になり、誰かがしぶしぶ立候補
・都合の悪い方は無理に引き受けなくて結構ですの建て前だが、卒業まで一度もやらないと陰口を言う人がかなりいる → うちだってしょうがなく引き受けたのに…という不公平感
あと、ゼロではないけど圧倒的に父親の参加率は低く、意を決して参加してもひしひしと感じるアウェー感。
数回参加した夫によると、進まない会議にイラッとしたら敏感に感じとられ、「お父さんお忙しいでしょうから、このへんで大丈夫ですよ?」と周りに言われる始末(夫に気を遣ってくれるのは有り難いけど、私だって忙しいっつーの)。
数十年で培われた文化は任期一年の役員の頑張りで変えられるようなものじゃなく、そこそこ頑張った私も無力感と徒労感に何度も苛まれた。
最初に書いたようにPTAがないと学校は回らないし、やりがいもそれなりにある。
だから一旦PTAは無くしてしまって、機能不全を起こした学校を見て行政が重い腰をあげるなり、有志の保護者がゼロから組織を立ち上げない限りダメなんじゃないかな。
なんだか各所でPTA関連で騒がれてる。
http://anond.hatelabo.jp/20170127224355
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2017/01/29/215244
ぶっちゃけPTAって名前が共通しているだけで学校毎に別組織なんだから、一括りにして話が出来るもんじゃないだろうって思うんだけど。
うちの子どもが通う学校のPTAについて俺の雑感を書いてみる。
実態は行事等の実働担当で、計画やら何やらの部分は他役員に丸投げ。
話が来た時点で「行事等の実働をお願いするので、話し合い等は来なくても構いません」と言われてるのでそれに甘えている形。
あくまでうちの子どもが通う学校のPTAの話、という前置きをしておく。
特に「モンスターペアレント」という言葉が広く知られるようになってからは学校側に意見を言いづらく感じる人が多いらしく、結構な数の相談事が持ち込まれているようだ。
学校側に意見を挙げるだけでは解決の見込みが薄い問題についてはPTAからも人員を割いて対応に当たるケースもある(センシティブなケースなので詳細は省く)。
で、これらのことを執行部の総数30名、各部役員を合わせて100名程度の役員でやっていく。
行事のことをやるだけなら仕事してる人でもどうにかやれる分量なんだけど、色んな雑務を合わせるとまず無理。
事実役員の半数以上は専業主婦の人(うちのPTAには専業主夫はいない)が頑張ってくれてなんとかなっている。
会議は平日夜や休日昼間に行うことが多いけど、学校に意見したり校外活動時の立哨なんかは平日昼間に時間取れる人じゃないとやれないからね。
平日昼間に時間を取れない人は、その分休日に行われる行事等の仕事を担当して負担を分散していて、今のところ不満は表には出ていない模様。
全部を役員で賄うのは無理なので、PTA会員からボランティアを募る。
うちは1家庭あたり最大年2回のボランティアをお願いしてるけど、正直言って必要数に全然足りない人数しか集まらない。
そら誰も面倒なことはやりたくないよな、って思うんだけど、運動会の運営補助やら大掃除の実働要員程度はともかく、校外活動に関することは人が足りないと最悪中止になるので、子どもたちのためにと自治会なんかにお願いしてどうにか人数を揃えている。
うちの地域はクソ田舎だからか共働き世帯はそれほど多くないんだけど、それでも集まらないので共働き世帯が多い地域のPTAはもっと大変なんだろうなと思う。
PTA会費は各PTAでバラバラだけど、うちの場合は一世帯あたり年間1,500円の負担をお願いしている。
ただ、児童数の減少に伴い各種補助金を受けても賄いきれず、ここ10年ほどは赤字が続いている。
一応児童数が多かった時期から続く保留金があるのでそれを切り崩しながらやってる状況だけど、あと数年すれば保留金も底をつくという状況。
で、お金が足りないなら会費上げればいいじゃないかっていう案も当然出る訳だけど、会則を変えなきゃいけないので会則に従い全会員数の2/3以上の承認を受けなければならず、未だ会費を上げることが出来ずにいる。
じゃあ支出を抑えるために活動を改めるか?となると、会員から「それをやめるなんてとんでもない」みたいな意見がぶち上がって来るのでなかなか進まない。
ここ数年で幾ばくかの改善を行えたらしいけど、赤字である事実は変わっていないので若干延命出来たか?っていう程度。
一応寄付金も常時受け付けてるし、年数回行ってる総会での会計報告でも赤字であることの報告と寄付のお願いをしているけど、俺が把握している限りでは寄付は一度もない。
そんな財政状況だけど備品の管理はちゃんとやらないといけない訳で、そこでベルマークが登場する。
各家庭に金銭的負担をお願いすると不満が多く出るけど、ベルマークであれば金銭的負担がないからかそこそこ集まるので、ベルマークの積立金で備品の補充を行ったりする。
ベルマークの運用も多分学校ごとに違うんだろうが、うちの学校ではPTAが完全に管理して、学校側から相談があればPTAからの寄付という形で学校側に贈られる(一定数の会員からの承認がなければ行えないシステム)。
ベルマークなんて集めずに寄付したい?どうぞどうぞ、PTA役員としても現金で貰えるなら助かります。本当に寄付してくれるんならな!
うちも例に漏れず加入届はなく、加入する意志がなければ非加入届を出す必要がある。
ただこれについては入学前の説明会で説明して、説明会不参加の家庭にも明記した資料を学校から配付してもらい、一応任意加入の団体である体を整えようとしている。
「任意加入の体をちゃんと取るなら加入届を提出する方式にしては?」という意見も毎年出ているようだが、じゃあその加入届を誰が処理すんの?個人情報の管理は?ってなって誰もが沈黙している状況。
非加入者の児童名だけ管理しておいて、会員の住所や電話番号等は一切管理せず徹底して学校にお願いしてプリント配布や連絡網で伝えてもらうことで管理の手間を省くシステムで長く運用されているので、人手のことを考えたらまぁ仕方ないのかなと俺は諦めている。
というのも、子どもの健全育成を目的とした地域団体は他にもあるため、PTAがなくなっても多分それが似たような立ち位置に立つんだろうなと思ってる。
子供の頃、”男の子が泣くなんて女々しい””女の子なんだからもう少しお淑やかにしなさい”簡単に言うとこういうことが問題らしい
同じ人間なのに性別で色々分けるのはジェンダー問題だと言っていた。
学校で男を君、女をちゃんで呼ぶのも問題らしく一律さんじゃないとダメらしい。
ソースはわからないけど、日本人は小学校中学校の生徒会長は男にやって欲しい人が多いらしいそして副会長は女にやって欲しい人が多いらしい
これもジェンダー問題で学校教育が男はこうあるべきで女はこうあるべきという思想を教育しているらしい。だから問題だと。
日本の国会議員の女性の数は世界の190ある国の中で161位と言われた、これも問題らしい
大学の教授の数も70%が男らしい、これも問題らしく大学はジェンダーに非常に過敏になってるから女性の教授を増やしてる最中だとか
そして同じ能力なのに女性だからといって管理職に無理矢理挙げられたりするのもジェンダーの問題らしい
欧米諸国はジェンダーが凄い進んでいて女性の社会進出もめまぐるしいらしい。特にスウェーデンについて語ってた。
そして講師も、旦那と結婚したかったが名字が変わるのが嫌だ、変わったら今までの私は何だったの?と思いずっと籍をいれてなかったらしい。
しかし両親、義両親からのお願いで数年前に籍を入れたらしい。そして大学は旧姓を名乗ることを認めてくれたらしい。
夫婦別姓ってのは別にいいと思うけど名字が変わったくらいでそんな今までの人生否定されるような事ではないと思うんだけどな。
価値観は人それぞれだから難しい問題ではあるね、いずれは別性認められるだろうし。
覚えてるのはこれぐらいだった。
女性の社会進出については、女性だし結婚してやめて行ったり子供産んだりとかあるだろうから
それを考えて採用しない現状はジェンダー問題だと思うけど、男だから、女だからって言うのは何が問題なんだろうか
社会進出についてのジェンダー問題に関してはそうなればいいねとは思うけど