はてなキーワード: ライフワークとは
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
欧州最大のレアアース鉱床をスウェーデンで発見!って世界がインスパイアザネクスト級のニュースあったじゃない。
というか
おでんを作っている最中にもうかれこれ丸2か月になるんだけれども、
お馴染み私の攻めのおでんの具のメンバーの牛すじ・スペアリブ・手羽元のそれぞれの具材から出る超絶うまうまエキスというか
鍋の中で精製されたものなんだと思う?
そうお察しの通り
正解は越後製菓!
って違う違うそうじゃそうじゃないの
マーチン脂なのよ。
でね、
鍋冷えてるとラード状に脂が固まって層になっていて
火を入れるとまたそれがとろけて鍋のルーシーの出汁とかとつつみ込むように一体化になるの。
そこで私は思ったのよ。
そのどう考えても旨味しかなさそうな三獣脂の脂は美味さ最強なのじゃないかしら?って
その前に三獣脂!ってもの凄く上手いこと命名この瞬間思い付いて言えたからこれメモしてパクって今これを読んでいるあなたが自分発信で開発した言葉です!って言っていいからね!
手柄は譲るわよ。
ひとりはみんなのために!みんなはひとりのために!ってそれが三獣脂の主題歌よ!ってそんな夢冒険!
そんでね、
その三獣脂で作る炒飯って爆発するんじゃない?って今から悪いこと考えてるのよ!
もちろん爆発するってフィジカルにポップコーンのようにお米がポップにコーンと爆発するって意味じゃなくて、
牛すじ・スペアリブ・手羽元の脂の3つの旨味が縦の糸はあなた横の糸は私方式に、
うちのお店はそれでやってます!みたいな織り重なって出来たその布は誰かを温めうるかも知れない級の炒飯の美味しさ的な意味で温まりうるという意味で
そのつまりは
三獣脂で炒めうる炒飯は美味さが爆発するんじゃないかしら!ってことなの。
まだ実験はしていないけど、
机の上で考えた机上での理論は完成しているので空論ではないわ!
イーロンでも無いし
マスクでも無いし、
脂っこいものを食べて黒ウーロン茶を飲んで何事も無かったかのように涼しい顔してチャラからのノーカウントにしようとしている人でも無いんだから!
みんな黒ウーロンを過信で信じ過ぎているのよ!
ゆくゆくは十六獣脂茶を作って新垣結衣さんことガッキーにシーエムしてもらうの。
でも三獣脂の旨さは嘘じゃないの!
机の上での理論は机上で完成しているので、
ってこれどう机をひっくり返しても、
これどう考えても美味しさしかなくない?
普通味の走攻守のバランスをレーダーチャートのグラフに示してみてエクセル上で考えてみると
篠原涼子さん的に言うと
「愛しさと切なさと心強さ」のそれぞれの項目が100点だし
平松愛理さん的に言うと
「部屋とワイシャツと私」のそれぞれの項目が100点だし
私のライフワークであるおでん作りの前に研究していたお粥のテーマである
「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」のそれぞれの項目が100点なの。
何々と何々と何々でってのの大喜利ができるぐらい
3タテと言ってもかつてソフトバンクホークスがいつかの何年かに優勝を決めてビールかけ優勝祝賀会の翌日みんなベロンベロンで酔っ払って二日酔いでへろへろでくたくたのしんどいはずなのにその次からの3試合3連勝とか!
「挽きたて、打ちたて、ゆでたて」ってなって全く意味が違うことになるからこれ豆な!って蕎麦だけどねって1つ賢くなるぐらい注意してね。
でもさー
ネットミームで各ジャンルの専門家の方面の方々の何々の三銃士呼んでくるよ!ってタクシーで連れてくる漫画のやつ
私ももしかしたら炒飯三獣脂呼んでくるよ!って呼ばれる方のネットミームになれるチャンスかも!
でもこの三獣脂事業は誰かに譲って使って良いよって今言ったから、
この炒飯三獣脂のネットミームにもなれるってダブルゲットのチャンスよ!
クイズ番組で言うと
でも冷静に考えたら
もし4チーム中4位で
愛川欽也さん真面目か!って冷静にそんなことを言いたいんじゃなくって、
そっからでも十分に1位に優勝出来そうな勢いの三獣脂美味さ爆発の机の上の理論は机上で完成されているのよ!って意味だから
心意気の意気込みでの飛び込み前転の話しよ!
この三獣脂精製に2か月はかかんのよ。
ドラゴンボールのタイムマシーンのエネルギーを動かす片道分の抽出時間の1年よりかは早いけど
またさらに
量産化となると大変よね。
瓶詰めのラインを動かせる量ほどは今の技術では三獣脂は大量生産できないわ。
ゆくゆくは最終、
街中で走っているあなたも見たことがあると思うウエイパーの赤いトラックみたいにイメージキャラクターをシソンヌの長谷川さん似の人を採用して、
またそして、
1日1日操業が終わったらドモホルンリンクルの製造工程のラインの機械を毎日全部分解して、
綺麗にしてまた1から組み立てて明日の三獣脂の製造に挑むぐらいでもあるわ。
そんでおでんを作っている副産物としてこの三獣脂が発見されたのと同時に
偶然にもまた一つおでんの中のザワールドの世界で鍋のベーナーで発見したことがあるの!
それはつい先日おでんに投入すべく
スペアリブを鍋が冷めた状態からぶっ込んで火を入れて煮ていくんだけど、
その灰汁が鍋のベーナーの中の漉しきれなかった2か月という古式ゆかしい不純物と一緒に固まって、
なんかこれ間違っていたらリアルにごめんなさいだけど、
出来立ての白濁の日本酒を透明な澄みきり綺麗にするために灰を入れてそこに付着させて沈殿させて透明にさせるってレガシーテクノロジーの技術に似てない?
いっぺん鍋を綺麗に洗おうと
濁りはさすがに取れなくて半ば諦めていたんだけど、
まあ半ばと言っても50パーセントではなく75パーセントぐらい、
いや正直80パーセントぐらいほとんど濁っているのは取れないと思い仕方ないと諦めていたの。
本当は自分の中にある頭痛薬の処方成分のように半分の優しさは残しておきたかったけれども。
でもその濁りが
スペアリブを煮たときに沸騰して浮かび上がってきたスペアリブから出た灰汁が全部中の余計な不純物をもミーシャさんの曲の「つつみ込むように…」って感じで吸着して、
笑うぐらいに澄み切った清おでんのおでんのルーシーの出汁のスープになったのよ。
あれさらに
例の自衛隊やアウトドアの達人の人たちがそこら辺の水たまりとかの泥水をも漉して飲料水として飲めるようになるハイテクアウトドアグッズを用いれば
でも正直手放しでは喜べないこともあって、
あれ一応あの不純物も旨味の歴史の積み重ねの地層の堆積物の一部のルーシーの出汁の要素なのよね。
権威が濃すぎる人もいるけれども
きっと。
スープが透き通って綺麗になる反面旨味も灰汁に吸着してしまって取り除かれると味が落ちるそういったことがあるかも知れないので手放しでは自転車運転したら危ないわよ!
違う違うそうじゃそうじゃないの、
手放しで喜べないってマーチンが初めて自転車に乗れたときの幼少期のエピソードトークよ。
よく実験で間違って、
シャーレとかの培養液的ななんか寒天みたいな上にくしゃみぶっ放してペニシリンかラクリマクリスティーが偶然にも出来ちゃったとかの話しあるじゃない。
私もそれ自由気ままにおでんにスペアリブ間違って入れちゃった!みたいに
濁ったおでんを澄み切った清おでんに綺麗にする方法って実用新案出せっかも!
まあこの手柄も誰かに譲ってあげるわ。
キレてるね!とかナイスカット!とか肩の上に山手線の電車乗っけてんのかい!とかの声欲しいわ!
他にもボディービルのかけ声辞典に載っていないかけ声でもいいしさ。
にしても、
うふふ。
葛湯をいただいたわよ。
作り立てお湯で溶いたときは熱すぎるので、
少し冷ましてからいただくのが
朝寒いので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Twitterに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20221207122508
前提としてこれを読んだうえでの話をするので、未読の人はこちらから読んでいただきたい。正直TRPGをやっている人、これからやろうとしている人には読んでほしい話だった。
というのも、私も以前の恋人と全く同じような内容で喧嘩していてそれが原因で関係に亀裂が入って別れたからだ。(この辺は読まなくていい)
恋人がTRPG(ただしくはCoCだ。以降は卓と表記する)にはまってから、各段に一緒に過ごす時間が減った。
気が付けば卓が、立ち絵が、部屋作りが。同卓が、KPが。そんな話ばっかりだった。
少しでもいいから私との時間を取ってほしい。そういった話は何度かしたし、それで何度も話し合いや喧嘩を繰り返していた。
それでも直らなかった。今思うと私が多くを求めすぎていたんだと思う。さっさと別れておくのが正解だった。NOT FOR MEの精神が当時の私には足りなかった。いたく反省している。
もうあの記事を読んだときにものすごい勢いで自分のそれと重なっていた。正直あの増田に親近感沸いたし酒も飲みにいける。奢りたい。
増田に伝えたいのは、悪いのは自分で日程管理をできていないAであって周りの人じゃないんだよ、ということだ。
でもすごくわかる。周りすら憎くなるのもすごくわかる。私もそうやっている間、本当に周囲に募集掛けないでくれ、頼むから私たちの時間をくれと願っていた。お前もなに意気揚々とやりますとか言ってんだよとも思ったが。
多分このあと落ち着いてすっかり未練だったり心配だったりを断ち切っていけたらそうなんだなって思えるとは思うけどね。こればかりは時間が解決するものだろう。頑張れ増田。応援してるよ。
今卓をやってる人、本当に自分は大丈夫かな。いったん落ち着いて自分の周囲を確認してみてほしい。
特にいわゆる卓修羅と呼ばれるような人ね。あとあの記事を読んで嫌な気分になった人はおそらく何かしら無意識に思い当たるフシがあるんだと思うよ。
誰かを、何かを疎かにしていないか。もし恋人や家族がいるのであれば、それが大切なものであるのなら、ちゃんと向き合う時間を取るべきだよ。
確かに卓は楽しい。私も1プレイヤーとしてやってきたし、その事実は覆ることはない。
睡眠や、食事や、そのほかもろもろを疎かにしてでも遊びたいのもわかる。
でも、それで何かあった時に卓は責任を取ってくれないよ。他人の愛情は無限でも無償でもないし、私たちの体は日々衰えていく。私は最近ハンバーガーのセットを食べきれなくなってきた。デブの名折れです。
スケジュールを組むのも自分だし、大切なものを失うのも自分だ。
冗談抜きにそれでいいと思うぞ
経済的に大成功した人たちがわざわざ重い障害の子どもたちの親になってるのはいくらでも拾えるよ
日本もそうなるべきだし、障害の程度によってはワイの経済力でも面倒は見れるので
この辺もっとオープンになるべきだが、養父・養母に虐待される事案もなくは無いからな
それら防ぎつつ、なんとか出来ないものか
それ以前の問題として児童養護施設で虐待とか入居者同士の刑法で処理されるレベルのトラブルもあるらしく、
雑な里親のとこ行くよりは1億倍マシなポジティブな面だけ見れるといいんだけど、
レイプだの切断だの言葉が並んでいてキツい。マジでここは日本か?みたいな
基本的には男女で分けてるはずなのに何でそうなるの?みたいな
音楽を聞かなくなってもう何年も経つ。
マニアと呼ばれる人たちの足元にも及ばないだろうがそれでも普通の人より熱心に音楽を聞いていた人間だと思う。中学時代に邦楽と洋楽それぞれに大好きなアーティストができてからというもの、毎日のように新しい音楽を探し、過去のアーティスト達をたどり、知らない作品やジャンルに出会い、音楽の世界を広げていった。ライブやイベントやフェスにもたくさんいったし音楽に関する本や雑誌も読みふけった。それは俺にとってのライフワークのようなものだった。「レコード屋に住むのが夢」だと公言していたくらい、俺の毎日は音楽と共にあった。
ところがある日、自分が以前のように新しい音楽を聞けなくなっていることに気づいた。家族ができて生活が大きく変わったわけでもないし人生観が変わる体験をしたわけでもない。音楽を聞くことに疲れたわけでもない。ただ、以前は放っておいても音楽のほうからこちらに飛び込んできて大暴れしてくれていたのに、いつの間にか新しい音楽を聞いても心が動かされることがなくなっていた。一生懸命「この音楽の素晴らしいところ」を探して無理やり感動したり興奮したふりをしていることに気づいてしまったのだ。それに気づいてから新しい音楽を探すことをしなくなった。1クリックであらゆる時代のあらゆる音楽にアクセスできる夢のような環境が目の前にあるにも関わらず、レコード屋に行くことも、ネットで探すこともなくなっていた。
昔のアーティストたちと違っていまのアーティストたちが劣っているとか音楽のクオリティが低いなんてことは絶対にない。新しい世代のアーティストや音楽が若い人たちのためだけにあるとも思わない。もし俺が以前のままだったら彼らの音楽に心を震わせ喝采を浴びせていただろう。彼らの音楽を考察しその素晴らしさを熱く語っていただろう。いくつかの音楽は俺の心の拠り所になっただろう。俺が大好きだったアーティストたちと同じように、彼らもまた国や世代や時代を超えた素晴らしい音楽をつくっていると思う。
でも。でも俺はそういう音楽を楽しめなくなってしまっていた。そうやって新しい音楽を探すのをやめて以降、自分が好きだった音楽を聞くことも減っていった。音楽に対して嘘をついているようないたたまれない気がしたからというのが理由の半分。もう半分は音楽を楽しめなくなった自分をこれ以上見たくなかったからだった思う。そうして俺は「音楽を聞かない人」になった。1万枚近かったCDはとっくの昔に売り払っていたしデータもすべて消してしまった。いま俺のPCやスマホには一曲も入っていない。まるで、あれだけ大好きだった音楽たちが俺の中からすり抜けてしまったかのように。
思い返すと、俺が音楽に夢中になっていたころはいつも俺の中に「俺の音楽」が鳴り響いていたように思う。いつもそいつが求めていたのだ。もっと新しい音楽を、素晴らしい音楽を聞け、と。そして新しい音楽を聞く度に「俺の音楽」も変わっていった。まるで楽器同士が反響し新しいハーモニーを生み出しているかのように。そいつがまた新しい音楽を求める。これが俺にとっての音楽を聞き続ける理由だった。なのに、あれだけやかましく鳴り響いていた「俺の音楽」がいつの間にか消えた。だから新しい音楽も好きだった音楽も以前のように楽しめなくなってしまったのだろう。
こういう日が来ることを予想しなかったわけではない。いつか熱が覚めることはわかっていた。悲しいし寂しいが「音楽が鳴り止んだ世界」を静かに受け入れるしかない。みっともなく音楽にすがりついたり、逆に否定するような真似だけはするまい。そう思っていた。
ただ、実際にやってきたその世界は俺が予想していたものとは違っていた。確かに喪失感はある。けれど予想していたように空虚で色あせたものではなかった。諦念とも忘却とも違う、ささやかだけれど確かな充足感や満足感がそこにはあった。あんなに大好きだったもの、夢中になっていたものが消えてしまったのに空虚さどころか満足感を感じてすらいる。俺はこのことを長い間咀嚼できないでいた。「俺にとっての音楽はその程度のものだっただろう」と落胆し納得しかけてさえいた。
しかしある日気づいた。
それは黒人差別に抗議するひとたちのデモを報じるニュースを見たときだった。そのニュースを読んでいるうち、いつの間にか俺の中で音楽が再び鳴っていることに気づいたのだ。偏見や警官の暴力。貧困や教育の格差。社会の無関心とそれに慣れてしまった自分たちへの憤り。黒人差別の現実を訴えていたたくさんの音楽が俺の中で鳴っていた。その音楽を聞いていた当時と同じ感覚が確かにあったのだ。
それ以降、いろいろな場面で"音楽が鳴っている”ことに気づくようになった。ニュースを見てなにかを考えているときだけではない。なにか嬉しいことや悲しいことがあったとき。誰かと素晴らしい時間を過ごしている間。初夏の海岸線を走る車の中。晴れた日の朝に窓を開けた瞬間。温かい毛布とまどろみのなか。俺が気づかなかった、聞こうとしなかっただけで、いままで聞いてきた音楽たちは確かに俺の中で鳴っていた。それも最適なタイミングと最適な選曲で。
俺が感じていたささやかだけれど確かな充足感や満足感の理由はここにあった。音楽は俺の中からすり抜けてなどいなかった。俺が音楽を必要としなくなったわけでもなかった。俺はたくさんの音楽を取り込んで「俺の音楽」を完成させたのだ。誰にも聞けない、誰のものでもない「俺だけの音楽」を。
好きなものから離れたあとも自分の中に残り続ける。なんて幸福なことなんだろう。音楽を必死に聞いていたころはこんな幸福が自分にやってくるなんて思ってもみなかった。ただただ音楽を聞いていただけでなにひとつ音楽にお返しなどしていないのに、彼らはずっと俺に寄り添ってくれているのだ。これ以上の幸福があるだろうか。
音楽は素晴らしい。
4歳早々に自転車はコマなしペダルとなり猛スピードで走っている。危ない。
公園まで信号は無い、だが交通頻繁な道路を一つ横断しなければならないが信号は設置されてない。
さて俺は子供が生まれる随分前、結婚前からこれが気に食わなかった。
自分が車を運転していた時は歩行者を蹴散らして走っていたが自動車に乗らなくなってから歩行者の俺様が優先だろ?と転換した。
蹴散らして走り抜けようとする車に対して横断の意思を見せ急停車させるのは長らく俺のライフワークだった。
皆が俺と同様に自動車を強引に止めさせるのが当たり前になれば多くの自動車はいわずもがな止まるようになる。
事故は減る、皆がきっちり歩行者に譲るようになれば信号機の数も減らせる。
誰一人横断者がいないのに信号で止められる、そんな理不尽な信号機も削減できる。
歩行者がいれば歩行者の横断を待つだけ、信号で待たされるよりも合理的で短い。
皆にとって良いではないか。
俺は基本的に信号を守らない、歩行者、自転車は信号を守らなくて良いと思っている。
自動車が交通法規を守らない国で歩行者だけ守らせても仕方あるまい。
信号のない横断歩道で自動車が100%止まるようになれば俺も信号を守ってやる、これはディールだ。
俺は自分の身を守れれば良いのだ、ルールなど知ったことではない、
こっちがルールを守っても違法な車に轢かれて死んだのでは意味がない。
俺はとある交差点で慢性的なタクシーの客待ちで始終渋滞している箇所があり、何度も警察に取り締まりを要請した。
俺がまだ自動車を所有していた時期で俺は毎日その交差点を通過せねばならないため渋滞が鬱陶しかった。
タクシーの客待ちは止まっている、静的違反である、これは取り締まり対象ではない、動いて事故を起こした車だけ取り締まりするのだ。
だってさ、
俺は「ならばスピード違反、信号無視も事故じゃなければいいじゃないか、俺がそれらの違反をしても切符切らないと一筆書け、警察署長がサインしろ」と食いついた。
だってさ
意味がわからん、そもそも静的違反とはなんぞや、いくら調べてもそんな法律用語はない。調べ方が悪いのか?
ともかく、違法性阻却事由、可罰的違法性の事を言うているのだろうか。
事故加害当事者にならなければ良いというのが警察の公式見解であると解釈したので以後歩行中は信号は守らないと決めた。
アホらしい。
加害者になることはありえない。俺にぶつかった自動車がふっとぶか?俺がいくらデブでもありえない。
たかが歩行者の信号無視ごときが可罰的違法性を満たすとも思わない。
倫理的な議論の余地はあるだろうが、俺は自分の身を守り訴追から回避されてりゃそれでいいのだ。
そうだよ
文句ある?
ルールがぁ、法律がぁ、とほざくアホがいるだろうが、道路交通法76条4項2号、守れるものなら守ってみろボケ。
条文通り文字通りに解釈するなら信号待ちでも立ち止まらず足踏みを続けなきゃならない。
やんねぇだろうが
ちなみにこれ罰則は5万円以下な。
ちなみにこの条文、安保闘争で便利な条文として警察は乱用した、死条文ではないのだ。
道路で立ち止まった「だけ」のアカどもをバシバシ検挙し48時間拘束。
もうね、道路では一切立ち止まれなくなります、立ち話、信号待ち、ぜーんぶダメ、一切ダメ、法律だから。
ともかく、屁理屈はどうあれ現実問題として俺は信号なんぞ守らんのだが、さて子供にどう教えるか。
正しくは信号は守るべきである、そのように生きたほうが人生楽である。
俺のような面倒くさい人間にはならない方がいい、そりゃわかってる。
さりとて、今更俺も宗旨変えなどしたくない。
ここにジレンマが生じる。
子供には信号を守りなさい、信号の無い横断歩道では自動車に進路を譲り安全を確認してから渡りなさい。
ここでいうライフログとは、
11月5日の何時何分まで〇〇をしていた、という記録を取ることである。
なぜそんなことをするのか?と問われたら趣味です、としか答えようがないのだがとにかくライフログをとることをライフワークにしている。
しかし、このライフログというものなかなか曲者でしょっちゅう忘れるのである。
例えば、いま増田を書いているのだがこの増田は一体何時何分から書き始めているのだろうか?
となったとき、きちんと書き始めでタイムログを取っていればいいのだが、それを度々忘れるのである。
というか忘れていたと書くべきか。
そうボディカメラを導入したのだ。
家にいるときには(今もそうだが)たすき掛けにしてるベルトにカメラを装着してる。
この記録を取ることによって何かをするときにタイムログを打刻し忘れていてもあとから時間の確認をすることが出来るのである。
といっても自宅に居る時限定ではあるのだが。
ボディカメラを着けた状態で街を歩いてトラブルは起きないだろうか?
しかし、ライフログをつけ忘れるのは家でいるときよりもむしろ外での場合が多い。
だからスーパーに入るときなど買い物カゴをとることに気持ちを奪われてスーパーの入店時間を取り忘れてしまう。
とはいえ盗撮がどうとかそういう問題がカメラをつけていれば発生する可能性がある。
解像度を目一杯落とした状態であれば、万一に盗撮を疑われたときにも無実を証明できるのではないかと考えている。
クリエイティビティが大事だとかなんとかすぐ言うこんな世の中だけど、クリエイティビティは人生のバックグラウンドから醸成される性質であってスキルのようにサクッと身につけられるものじゃない。
と言う自分もクリエイティブな人間に憧れを持っている。クリエイターとして何かを表現する人間になりたいと思う。別にそれで一発当てて富を築いたり、名を残したりしたいわけじゃない。
アートが好きだ。生み出された表現のバックグラウンド、クリエイターの心情を知ることで、何かインスピレーションを得たような気分になる。
だがその実これはクリエイティブへの憧れをアートをただ消費することで満たそうとしているに過ぎない。自分はいつも作品の対面側にいて、作品の背後にはいない。
絵を描くのは元々得意で真面目に練習して描こうとしたり、他にも文章を書こうとしたこともあったが、表現する方法を知っていてもそもそも自分の内側には表現したいものがないことに気付いてしまう。中身のない絵が上手く描けることにも大した喜びを感じられないのでやめてしまった。
プログラミングが生業だが、こんなアプリケーションがあったら便利だとか、こんなものが作れたら面白いとか素敵だとかクールだとか、そんなアイデアも想像力も全くない。それをどんどん思いついて生み出すクリエイティブな人間を身近に見たり、求めずとも情報が入ってくる環境にいるだけに、自分は全くもってクリエイティブな性質ではないということを認めざるを得ない。自分は人のアイデアに乗っかりそれを作る手伝いをして対価を貰っているだけ。
クリエイティブじゃない背景的な理由の一つとして、自分には強い情動のようなものが全然ないということがある気がしている。
一つの物事に真剣に最後まで取り組んで、歓喜したり絶望したり激怒した経験がない。子供の頃から大きく感情を波立てながら何かにぶつかった覚えがない。大した苦難も努力もないままここまで来てしまった。今だって自分はクリエイティブじゃないなんて言っても別にそれが人生の壁になっているわけじゃない。
新しいことを始めるのが好きで趣味は多いが、一生かけて情熱を注ぎ続けられるライフワークと呼べるようなものは持っていない。一生付き合っていたいと思う人間関係も持っていない。そういうものを持つ人に憧れて色々なことに手を出しているというのも無意識下にあるのかもしれない。
自分にとって趣味と呼べるものほとんど全てが一過性で、表面的に消費することで短期的な快楽を得ているに過ぎない。ある程度まで知識や経験を得たら満足して次に目移りし、浅い知識だけが広がっていく。
短いスパンで大きな意味もなく職場や住居や友人関係など環境を変えたがるのも同じなのかもしれない。
金への執着もない。これはすでに現状何不自由ないというのもあるし、今以上に経済的に豊かな暮らしに憧れているわけでもない。
性愛への情熱もない。異性への好奇心も性欲に駆り立てられて行動することもここ数年でほとんどなくなってしまった。最近は結婚や子供を持つというライフイベントが何か自分を変えてくれるんじゃないかと思って行動しているが、多分そんなことはないと冷笑するもう一人の自分がいる。
失われた20年に生まれ育った自分の同世代には同じように感じている人間が少なくないのではと勝手に憶測している。いわゆるミドルエイジクライシスに似た状態に早くもなってしまっている。
アートに限らず新しいものを生み出す発想の源泉が、生活や仕事のちょっとしたフラストレーションに始まり、自分の置かれた境遇や社会への不満、抑圧への抵抗、強い欲望などの情動であるならば、それらのような感情が枯渇した何も表現できない何にも情熱的になれない自分のような人間が、あと70年近くある人生を何のために過ごせばいいのか分からなくなる。
趣味で女装を嗜んでいる男性だが、女性ものの服を着用する男性は3種類に分けることができる(独自研究である)。
① 女性として生きたい
③ 女性として扱われたい
①は、性別違和や性同一性障害などの性質を有しており、性別適合手術を受けて女性として埋没して生活している人が多い。
②は、ジェンダーレスの流れに乗り、10〜20代前半の若い男性が自己表現の一環として行なっていることが多い。
③は、女性として扱われることで性的な満足感を覚えるタイプの人であり、いわゆる「オートガイネフィリア」と呼ばれる。
しばしば問題となるのは③の人たちであり、女性ものの服を着用することが性的欲求に結びついている。
これらの人たちは、女性ものの服を着用することで性的興奮を覚え、射精すると賢者タイムに入るので脱衣する。
また、過度に女性的な要素を強調するような要素(制服、メイド服、ボディコン等)を好む傾向にあり、年齢や相貌に似つかわしくないメイクや服装をしばしば行う。
はじめは「室内女装」で満足するも、性的欲求はエスカレートする性質があり、次第に女装外出に発展していく。
女装する男性を狙う男性も一定数おり(女性は更に少ないがいるにいる)、女装する男性の一部は褒められ慣れていないことが多く、容易にホテルに連れ込まれたりする。
大抵の男性は数年もしないうちに飽きてしまう、または子育てなどのライフステージの変化により元の生活に戻るのだが、
一部の男性はライフワークのように長年続けたり、高年齢から女装を開始する一部の男性は、色々と人生を割り切っていることが多く、後先を顧みない行動にでがちである。
女装趣味と性的欲求が結びついているのでコントロールが難しく、夫婦関係に暗い影を落とすことがあるようである。
完全にやめることができずに、妻に隠れてこっそり女装を続けている人も多いようである。このような状況で、好き勝手に女装をしている人の情報が入ってくると心中察するところである。
また、知り合いの中だけでも、女装を続けることで夫婦関係の解消に至った例を複数知っている。
性的欲求を満足するために女装を続けている男性を完全に受け入れられるような女性はあまりいないのではないかと思われる。
一方で、女装でしか得られないような類の性的満足があるようであり、中途半端に禁じることで余計に禁断症状が出てしまう可能性がある。
結局のところ、女装趣味を受け入れられない場合、十分な話し合いの上、完全に女装趣味を断絶する(完全に、がポイント)、または夫婦関係を解消する、というのが妥当なところであろう。
以下の記事の追記です、もう前回でだいぶ書きたいことは書いたのであれが最後でいいかなとは考えていましたが、ブコメを読んでいてふつふつとこれだけは書いておかないといった思いが沸き上がり書き散らします、これで最後の追記です。
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910005727
続まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910153218
新まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220911020227
似たようなコメントは最初の記事でもたくさんいただいてたのですが、ここに来てだいぶ意見が強くなってきたのでこれは書かないとといけないなとは。
もう何度か書いてますが、実際にテロなのにもかかわらずテロじゃないというのは、この事件の本質を覆い隠すような、本当に解決しなければならない社会の瑕疵から目をそらしてるような気持ち悪さを感じてます。
まさにプーチンが戦争を軍事作戦といいかえ狂気に走ったようなインチキさ、統一教会から世界統一家庭連合と名前を変えてかつての罪から逃れようとしたように誤魔化している、そんな気がしてなりません。
私怨で安倍晋三と山上との個人的な関係の話だから事件とは自分たちは関係ないんだといった無責任な態度はもうとれないのです、この事件、人が死んでいることをもっと重く受け止めた方がいい。
はてなではテロではない私怨だといって安倍晋三は殺されて当然みたいな意見が憚り通っていることには勿論許すことができませんがメディアの記事や一部ジャーナリストまで言っていることに危機感を覚えて定期的に啓発をするようになりました。
例1 この記事では銃の乱射事件であってテロではないとよくわからない論理を持ち出してる
<凶弾に倒れた安倍元首相>「テロ」と呼ぶことに疑問、「暗殺」は?=国際定義から考えるhttps://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_900837/
例2 この記事は海外メディアはassassination=暗殺と報道しているからテロではないとしている、しかし前の記事でも言ったが暗殺とはテロの一形態だ
安倍元首相銃撃は「テロ」ではない 事件めぐり出回る2つの誤解https://news.yahoo.co.jp/articles/db2b787d0a9dbc1da2df323039f74cd69b3e2f61?page=1
※ちなみ少し検索してみたら海外メディアが暗殺かつテロリズムと報道している例はすぐ見つかった‘
Terrorism’: Abe killing seen as attack on Japan’s democracyhttps://apnews.com/article/shinzo-abe-crime-tokyo-freedom-of-speech-b6a34a5269f6c90097eb677071aeb11c
例3 日曜討論で遮られたのが話題になったジャーナリストの江川紹子氏は発言の中で政治テロというよりも統一教会への恨みとしている
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1548680986384220165/pu/vid/640x360/IG9lWLZpbjHBIDV2.mp4
以上のようにテロではないと言い換えるようなことがメディアでも行われていることに危機感を抱いたのです。
onesplat “定義の話をし始めたら死ぬほど面倒な言葉遊びに” いやいやw 「AはXである」という主張はまずXの定義について合意が取れていないと何の意味もないことは理解できるか?まさにその言葉遊びを始めたのはお前なんだよ
最初に定義を書かなかったのは、これまでの記事では最初にテロの定義について書いていたのですが、あんまり伸びなかったからです。ある程度ツッコミポイントを作っておいた方が記事が伸びるのでは?といった狙いもありました。言葉遊びの不毛さに嫌気がさしていたのは事実ですがね。
それに最初に言葉遊びを始めたのは安倍暗殺事件をテロではないとして山上を英雄視しているような身の毛もよだつような連中です。
lady_joker 内容よりなんでこんなエントリを書き続けているのかのほうに興味があるかな。いちいち「自分は統一教会の関係者ではありません」という旨を表明し続けているあたり、他人の目を怖がっている人なんだろなとは感じる
書いておかないとお前は統一教会関係者だろ!って赤狩りし始めるのが目に見えてたのでね、主題とは違うことに論争を費やすのはあまりにも無駄。増田に書き散らすのはただのライフワークです。普段は映画とか漫画とかアニメのエントリ書いてます。
ackey1973 まだ“テロかテロじゃないか”で消耗してるの? 山上容疑者は殺人犯で、統一協会は悪質なカルト。そこがブレなければ、まあいいかな。
分かってない人達の声が大きい限りは言い続けます。山上は頭のいかれた殺人鬼でテロリスト、そして統一教会は悪質なカルト集団これに変わりはないです。
aLa 政治目的ではなく私怨なのでテロという表現には違和感があるね。国葬を強行したい自民党からすれば、「私的なトラブルが演説中に起きた」より「元総理を襲ったテロ行為」と表現した方が都合が良いだろうけど
安倍晋三をテロによって命を落とした悲劇の政治家にしたのは政府や自民党ではなく山上なのです。それがわからない限りはあなたとは平行線のままでしょうね。
koo-sokzeshky 「あの事件はテロだ」は発言者次第で色々な事実認識(山上の目的等)や価値判断(いま何を問題視すべきか等)が埋め込まれるので、テロか否かの論点は単純に遠回りですね。「問題点」のくだりに注力するとよいのでは
遠回りでも本質を覆い隠すようなことにはNOと言い続けます。それが私ができる反暴力、反テロ活動、山上が言論に力はないと凶行に走ったことへの意趣返しです。
itochan 「結果として○○だからテロ」というのは変かと。「○○するために行動したからテロ」と、犯人の意図を重視したい。でないと殺人と業務上過失致死が別けられない。テロ未遂事件も結果がでないなら無罪になる。
起こした状況や関係性によって呼び方が変わるのは当然です。上司が部下に殴ったのならそれはパワハラ、夫が妻を殴ったならDV、政治活動中の政治家を殴ったのならそれはテロです。
kotobuki_84 現状まあ少なくとも「テロリズムの信奉者たちに担ぎ上げられるという形で、あれはテロだったという既成事実が後から形成されつつある」という所までは確実だと思う。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/200133
過激派にはつける薬がないのでどうしようもないですが、私怨だから山神というような気持ち悪さに与するのは勘弁ですね。記事を読む限りテロリストという側面は強調していないみたいですが