2022-09-26

クリエイティブじゃない人間は何のために生きればいいんだ?

クリエティティ大事だとかなんとかすぐ言うこんな世の中だけど、クリエティティ人生バックグラウンドから醸成される性質であってスキルのようにサクッと身につけられるものじゃない。

と言う自分クリエティブな人間に憧れを持っている。クリエイターとして何かを表現する人間になりたいと思う。別にそれで一発当てて富を築いたり、名を残したりしたいわけじゃない。

アートが好きだ。生み出された表現バックグラウンドクリエイターの心情を知ることで、何かインスピレーションを得たような気分になる。

だがその実これはクリエティブへの憧れをアートをただ消費することで満たそうとしているに過ぎない。自分はいつも作品の対面側にいて、作品の背後にはいない。

絵を描くのは元々得意で真面目に練習して描こうとしたり、他にも文章を書こうとしたこともあったが、表現する方法を知っていてもそもそも自分の内側には表現したいものがないことに気付いてしまう。中身のない絵が上手く描けることにも大した喜びを感じられないのでやめてしまった。

プログラミング生業だが、こんなアプリケーションあったら便利だとか、こんなものが作れたら面白いとか素敵だとかクールだとか、そんなアイデア想像力も全くない。それをどんどん思いついて生み出すクリエティブな人間を身近に見たり、求めずとも情報が入ってくる環境にいるだけに、自分は全くもってクリエティブな性質ではないということを認めざるを得ない。自分は人のアイデアに乗っかりそれを作る手伝いをして対価を貰っているだけ。

クリエティブじゃない背景的な理由の一つとして、自分には強い情動のようなもの全然ないということがある気がしている。

つの物事真剣最後まで取り組んで、歓喜したり絶望したり激怒した経験がない。子供の頃から大きく感情を波立てながら何かにぶつかった覚えがない。大した苦難も努力もないままここまで来てしまった。今だって自分クリエティブじゃないなんて言っても別にそれが人生の壁になっているわけじゃない。

新しいことを始めるのが好きで趣味は多いが、一生かけて情熱を注ぎ続けられるライフワークと呼べるようなものは持っていない。一生付き合っていたいと思う人間関係も持っていない。そういうものを持つ人に憧れて色々なことに手を出しているというのも無意識下にあるのかもしれない。

自分にとって趣味と呼べるものほとんど全てが一過性で、表面的に消費することで短期的な快楽を得ているに過ぎない。ある程度まで知識経験を得たら満足して次に目移りし、浅い知識けが広がっていく。

短いスパンで大きな意味もなく職場や住居や友人関係など環境を変えたがるのも同じなのかもしれない。

金への執着もない。これはすでに現状何不自由ないというのもあるし、今以上に経済的に豊かな暮らしに憧れているわけでもない。

性愛への情熱もない。異性への好奇心も性欲に駆り立てられて行動することもここ数年でほとんどなくなってしまった。最近結婚子供を持つというライフイベントが何か自分を変えてくれるんじゃないかと思って行動しているが、多分そんなことはないと冷笑するもう一人の自分がいる。

失われた20年に生まれ育った自分の同世代には同じように感じている人間が少なくないのではと勝手憶測している。いわゆるミドルエイクライシスに似た状態に早くもなってしまっている。

アートに限らず新しいものを生み出す発想の源泉が、生活仕事ちょっとしたフラストレーションに始まり自分の置かれた境遇社会への不満、抑圧への抵抗、強い欲望などの情動であるならば、それらのような感情が枯渇した何も表現できない何にも情熱的になれない自分のような人間が、あと70年近くある人生を何のために過ごせばいいのか分からなくなる。

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