はてなキーワード: 長所とは
婚前旅行で彼氏に容姿のことを言われて婚約破棄したという記事。今は削除してしまったようでブックマークのみが残ってます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170108232919
記事についての感想というより、日頃思ってる容姿のコンプレックスについて書きたくなったので。
自分がコンプレックスだと思ってる自分のところはとてもじゃないけど長所には思えないんですが、女性の容姿に関して、その女性がコンプレックスに思ってるところが僕にとってチャームポイントだということは多々あります。
僕はブスの要素になりがちな団子っ鼻と出っ歯がけっこう好きです。団子っ鼻なら出っ歯なら絶対に好きってほどじゃもちろんないんですが、かわいいなって思う確率かなり高いんですよね。団子っ鼻、出っ歯に限らず、人の容姿の特徴、目立つポイントは目立つ故に、人からいじられやすいし、いじめのきっかけになったりもします。だから本人からしたらマイナスな思いを抱えてること多いんですが、その特徴はその人をその人たらしめるところがあって、そこがいいじゃないと無責任ながら思います。
容姿は容姿にとどまらずその人の仕草にも表れて、出っ歯の方は上唇で歯を隠すようにしたり笑うときに手で口を覆ったりしがちでですが、そこがまたたまらない。一見自分の出っ歯に気にをとめてないような方でも体の癖は染み付いていてそういう仕草を見るとぐっときちゃいます。背が高い方や巨乳の方がそれを目立たせぬよう縮こまりがちな姿勢になる方がいるんですがそういうのもぐっときます。
コンプレックスフェチなんですかね。でもこういうことけっこうあると思うんですが、みなさんどうなんですかね?
http://anond.hatelabo.jp/20170109115939
蓼食う虫も好き好き でもそれを蓼に言っても何の慰めにもならんのだよなあ悲しいことに
慰めたいっていうのもあるかもしれないけど、こちらが勝手に好意持つだけだからね。それに簡単にコンプレックス解消されたら逆に肩透かしというか、コンプレックスに感じてるとこに萌えてるんだから。
昼2時。図書館に向かう途中、スマホをいじってると、●屋でワンコイン定食フェアが始まったとラインのメッセージを見て知った。
普段、豚バラ焼肉定食は550円なのに、しばらくはこのキャンペーンが続くんだと。
朝食べてないし途中に●屋あるから行こ。
そう思って向かった。
だろうなぁと思った。でも、いいや、急いでるわけでもないし。
600円だ。
しかも店舗限定で11時から15時までのランチタイムは大盛り無料ときた。
見えた。
小銭を全部投入して、券を買う。
空いてる席は前の客が食べ終えた食器が片付けられていない。
困ったなー、他に空いてないかなーと店内を見渡していると、奥の方に2つ空いてるっぽい。
でも、近づくと1つは食器がそのまま、もう1つはその席の隣の客がでかいリュックで占領してる。
隣の片付けられてない食器をその占領されてる席にずらすことで、席を生み出すことに成功した。
割とすぐ注文を聞いてくれた。
でも水が出てこない。
まあいい。
混んでる●屋において、これぐらいは想定の範囲内だ。
俺の心はこれくらいで動揺しない。
もちろん料理が出てくるのが遅いことも、おり込み済みだ。
料理が出てきた。
肉の盛り付けが下手すぎる…。
なぜだ?
忙しいからか?
そして肉にポン酢(俺はポン酢派だ)をかけて、箸でつまみ上げようとする。
第二の違和感。
カリカリだ…。
これはベーコンか?
まあいい。
カリカリベーコンが美味しいことは、西荻窪の洋風居酒屋で、シェフの気まぐれサラダを食べたときに確認済みだからだ。
とりあえず食べよう。
第三の違和感。
常温?
言っておく。
冬の常温は冷たい。
あったかいと思って口に運んだ料理が冷たいとき、それはハッカ飴を舐めるよりも体が冷やされたような気がする。
食べた瞬間に、かたみ、つめたみ、しおこしょうみが、口いっぱいに広がる。
まずくはない。
だいたいの料理が美味しいと思えるこの舌のおかげで、料理下手がコンプレックスだという女を、そのコンプレックスから解放させたくらいの自慢の舌だ。
話を戻そう。
俺の前にでてきた豚バラ焼肉L定食600円は、だいぶ前に作られていたものではないか?
オーダーミスなのかはわからんが、さっきミスって作ったものを横に置いといて、すぐに注文来たら出しちゃおう的な。
この忙しい状況ならありうる。
それにしても、肉は、かたく、つめたく、しょっぱい。
悩んだ。
この作り置きを許すかどうかだ。
俺は●屋が好きだ。
おかげでBMIは29だ。
店員さんに、作り置きではないのかと、尋ねるべきか?
いや待て。
その都度、俺は内心、その客を蔑んでいた。
●屋ってのは、低価格でそこそこのサービスでそこそこの定食が食べられる店だ。
胡麻ドレッシングが空になってるときもあるし、テーブルに乾燥した紅ショウガが落ちたままになってることだってあるし、外国人旅行客の集団が券売機で苦戦してなかなか券を買えず、ガラガラの店内で結構長時間待たされるときもある。
それが●屋クオリティだ。
そこを勘違いして、何やらクレームをつけているおじさんを見ては、あーはなりたくない、おれはまだマシな人間だ、とか、そういうことを考えながら、独身30男がメシを食う場所なんだ、ここは。
おれは決めた。
クレームはつけない。
今後は作り置きもおり込んで●屋に通う。
朝、作っておいた弁当だと思えばいい。
一旦弁当に入れておいたおかずを皿に乗せて出したってなもんだ。
ほら。
おれは食べきった。
そしたら、向かいの30後半の男性の豚バラ焼肉L定食のオーダーが入った。
気になる。
あ、出てきた。
俺は作り置きを受け入れたぞ。
あんたはどうする?
その客は「これって、注文聞いてから作りました?」と若い店員さんに尋ねている。
店員が厨房の奥に入っていき、すぐに、30代後半の女性店員と一緒にでてきた。
「今作ったところなんですが、すぐ作り直します、すみません」。
その客は何事もなかったかのようにアツアツ豚バラ焼肉L定食をほおばり、店員たちはいつも通りいらっしゃいませーと叫んでいた。
①女抱き放題
少なくとも、普通レベルの女なら、「え~〇〇に遊びに行こうよ~」で誘える。
普通に喫茶店でもおごれば、いい感じにデートになる。「そうなんだー」とか話合わせてるだけで好感度アップ
だいたいその後は、ホテルなり行けばって感じか?
美人相手でも、横に居ても不自然じゃない。普通に話していればいい。
お互いにお互いを認め合った強者同士でわかりあうんだろう。
で、少女漫画みたいに相手の人間性っつーの?長所?相手が褒めてほしそうなところを認めてあげれば、よいのか。
このクッソ単純なゲームシステムが完備されてるんだろう。そりゃ楽勝で女抱けるよ。
『俺の青春ラブコメは間違っている』というので、イケメンの自称非リアボッチが出てくる。リア充のイケメンもでてくる。
しかし、どうだろう。イケメン自称非リアボッチにはやはり女が寄ってくる。女が寄ってくるとリア充も寄ってくる。
そうなのだ。この世は、リア充がイケメンを取り合ってる構造なのだ。
一見、世の中リア充が勝ち組に見えるが、違う。リア充が役に立つから、イケメンが使ってやってるだけだ。
イケメンに使ってるように、つまりイケメンをグループに囲って、『イケてるグループ』になるために、リア充はイケメンを獲得しようとしている。
そりゃそうなんだよね。イケメンがいれば女が集まる。女がいなきゃ、リア充なんて、価値が無い。単に維持費がバカ高くて生産性の無いバカでしかないから。
そう、リア充グループはそのアイデンティティを守るために、イケメンを囲うことに必死。
ボッチイケメンなんて居たら、当然皆が寄ってくる。
いや、そりゃ勝手にやってりゃいいと思うんだけどさ、非リア的には。
しかしな。その利権を得るために、リア充グループは、『スクールカースト』を作る。意図してるかしていないかは別として。
③ちょっとできるだけでやたら褒められる
これね。
④雑魚女に金を貢がせることができる
一見儲かりそうがないが、女を集めて他人に紹介するだけで死ぬほど金を稼げる。恩を売れる。コネを作れる。
美少女側が泣いて喜ぶわけだ。
はっきりとそう言えないってだけで
発達障害ですという前置きをつけるだけで
健常者と関わるかぎり「こいつ空気読めてないな鈍くさいな」という眼差しからは逃れられないし
健常者と関わらずに生きていくことなんてできない。
健常者は発達障害者の欠点を受け止めつつそれをカバーできるよう
なんとか良い面がうまく作用するように工夫して付き合う必要があるし
発達障害者も障害は欠点にしかならないということを受け止めた上で
自分の長所や個性を活かせるライフスタイルを模索したほうがいいんだよ。
「障害があるからこれまで人生うまくいかなかった」んじゃないの。
あなたの人生がうまくいかなかったのはあなた個人の問題であって
あなたと同じ様な障害を抱えていても地位や名誉や富に恵まれている人もいるし
健常者なのにあなたと似たような境遇に陥って困っている人もいるんだよ。
と感じる。
障害があれば難しいこともあるのはわかるけど、
ああいう人って外的要因のせいにして自分を正当化しようとしてるところない?
「障害さえなければもっと人生うまくいってた。障害を除けば自分は結構能力高いんだよ。」
相応の待遇って何なんだろう?
自分のことを無能だと思っている人が目につかない世界を構築しろってこと?
増田が無能扱いされてて、一般社会の目に晒されればそういうこともあるだろうっていうのは事実であって覆せないんだよ。
「空気読めない、鈍くさい」ということが明文化されてる分余計相手は意識して見てくるよ。
無能であることを受け入れて、そんな自分でもできることはないかって考えない限り
そのフラストレーションって消えないよ、多分。
お湯を注ぐのすら難しい。
安価なほうろうのそこそこコーヒー用の口が細いやかんを買ったんだが、
お湯を注ぐのにもコツが必要で
なれるまでコントロールできない。
ペーパーに直接当てないように、
なんて、簡単なことだと思ってたけど、
意外とやってしまう。
すーっと、コーヒー豆の触れずにフチをしたたり落ちてしまうので
2つ、持つところが熱くない(笑
笑ってしまうけど、ほうろうのやつは直鉄なので、ふきんに包んで持たないと熱い。
ふきん1枚と思いきや、これが微妙な操作を邪魔するんだと思う。
3つ、コーヒー用のいいやかんは、少し傾けただけでお湯が出てくる(と思うので)
今使ってる赤いほうろうのやかんだと、
結構急角度に傾けないとお湯が注げない、
意外とこれをコントロールするのが難しい。
出過ぎたり、出なかったりと均等にならない。
この前、人生で初めて推薦状というやつを書いてもらった。
下書きを自分で書くときに自分の長所やアピールできるところを探すのにとっても苦労した。上司が加筆修正した、封をする前の清書を見せてもらったら感動した。
まず内容が並からマシマシくらいになっていた、そして歯が浮くような褒め言葉がビッシリと詰められていた。そしてどこか褒めちぎっているのにウソっぽくなく品を感じさせる言葉使いに胸を打たれた。
もちろん、推薦状の内容を真に受けてはイケないことは心得ているが、自分の心はこの推薦状で良い意味で絶大なショックを受けた。人を貶め、詰り、批判する。そんな言葉は幾らでも自分の中から出てくる。なんなら、会社の悪口をここに1万字書いても良いくらいだ。それなのに、自分を褒めるたかだか600字の文章を書く語彙を欠いている自分のアタマに幻滅した。そして、これからは自分も他人も褒めようと心に誓った。褒められて嬉しかったから。
自分はこれまで褒められた経験が少ないから、褒める言葉も知らないんだろう。それでも誰かを褒めたい、そういう気持ちが自然と湧いてきた。褒める言葉を知りたい、もっとポジティブな部分を描写する言葉を知りたい。
H22民訴
全体として項目があってすごく読みやすかった。
・設問3
・代理要件については、顕名がないという点だけど、加藤解説では、顕名なき訴訟代理の可否という項目立てて論じてた。この論点の論理の流れは、顕名の趣旨は、当事者本人が誰であるかを相手方に示すもの→代理人が本人の名で訴訟行為やっているから趣旨が妥当する。また、法定代理の場合と異なり、訴訟代理人の氏名は訴状の必要的記載事項ではない(133条2項1号後段対照)から、民事訴訟法は、訴訟委任に基づく訴訟代理の要件として訴訟代理人の氏名の表示を要求してない。よって、民事訴訟における顕名なき訴訟代理も認められる。
こんな感じだった。④の書面の話は解説では触れてなかった。
・当事者の確定を論じるときになぜ、当事者の確定を論じるかを書けるとよかったかもしれない(俺もできてないけど)。具体的には、被告がGとされると、訴状の表示の訂正を要するだけで、Gのした訴訟行為の効力がEに及ぶ。対して、被告がEである場合は、Gがした訴訟行為は被告ではないGが被告として行ったものとなるから、原則として無効となる。そこで、EGいずれが被告かが問題となる、といった感じか。
設問4
(1)
・この問題の長所短所というのは、法律上の主張として裁判所に認められるかどうか、という意味での長所短所らしい(採点実感)。ただ、多くの答案がそのように書いてなかったらしいから、問題が悪いような気がする…
そうすると、法律構成①の長所の記述では点が入らないかも。加藤が書いていたのは、信義則という一般条項を用いることなく既判力を遮断できるから、法律上の主張として裁判所に認められやすい、ということだった。
法律構成①の短所は、既判力の正当化根拠と整合しないことと処分権主義に反する、といことらしい。ただちょっと解説聞いても意味がよくわからなかった・・・すまん・・・
この辺の所は、藪口連載で出題されてたような気がする(問題みて困難でねーだろと思って解説は読んでないが)
(2)
・条件付給付判決は将来給付判決なので135条必要とさらっと加藤は流してた。
・135条のあてはめでは、Fが第1訴訟の時点から被担保債権の金額を争っているため、これを先決問題とする抵当権設定登記抹消登記手続請求義務の存在も争っているといえるから、Aが同義務の履行を求める時期においてFが即時に同義務を履行することが期待できない、というあてはめをしてた。義務者の対応を問題として認めているってことかな?
・246条違反の話だけど、これって原則例外の話なのかがちょっと気になった。あんまり質的一部認容判決の話で原億例外っていう感じで論じているのを見たことがないので。違ってたらごめん!
・被告の防御権を侵害するかのところで、加藤は、残債務500万円のところに既判力が生じない、という点を論じていた。ただ解析とかでも訴訟で争えったから不意打ちではないって書いてあったから、ここまでかけた人がどれだけいたのか疑問ではある。
元増田の記事消えてしまったが、結局あれはそういう出来なのか。
pixivで元となる二次創作の序文だけ読めるので、それは読んだんだが文章を読ませる力はあるように思えたし、グロテスクな描写がある割に読みやすくも感じた。
元ネタの小説のオマージュ、借用のおかげの部分もあるのかもしれないが。
一方で、その二次創作題材となるアニメとキャラクター自体が矛盾の塊、魅力の無さの権化みたいなキャラクターばかりが出てくるアニメ作品だから、SFと絡めてあの作品の二次創作を行うとしたら、その設定の矛盾点やキャラの魅力のなさへの皮肉と絡めて書くことができたら唸る作品が生まれたかもしれないと思った。
オマージュ、というよりパクリを用いているといえばその二次創作題材となるアニメも盗作問題で炎上した。未だに誰も反省の弁を口にしていない近年でも最悪のシリーズ作品だった。
だからその点も含め、皮肉を込めた作品にできていたら、二次創作の名作になったかもしれない。
まあざっと読んでも、エログロSFをおもしろおかしく混ぜてみても結局は単純にその出来の悪いアニメ作品とキャラクターへの盲目マンセー系百合パロディみたいなノリで終始しそうな気配がぷんぷんしたからどうにかして読んで見たいなんて気は起きなかった。
元がファンアンソロジー本への寄稿小説だからそんなもの載せられるわけがないのだろう。
その序文だけ読んでも察する所はあったが作者のTwitterや読者の感想を眺めてみるとやはりアニメのラブライブの影響を受けての礼賛的なテーマが込められているものなのだろう。だから残念ながら面白そうとは思えない。
それと、それらを見ていたら、やはり「君の名は。」「紫色のクオリア」に似ている的な言及が見られた。
最後にして最初のアイドル読了。もともとはラブライブの2次創作。紫色のクオリアとかみずは無間とか好きな人には絶対におすすめできるやつだ!— せにょ (@senyoltw) 2016年11月21日
「最後にして最初のアイドル」は「君の名は。」のように時空を超えた恋愛が描かれます。本当です、信じて下さい。この目が嘘を言っているように見えるか?— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『君の名は。』の百合バージョンを求めている方は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
自分は「紫色のクオリア」は超絶名作だと思っているが、それを先に知っているだけに「君の名は。」がストーリーや設定的に陳腐に感じられ、かといってもちろん萌えアニメ・キャラアニメ的な軽薄な派手なキャラ付けも弱いし、TSネタも使い古された薄味のものばかり、恋愛的エンタメ性すら弱いため、なかなかにつまらなく感じた。
まあ駄作ではないのだろうが、名作とはどう頑張っても呼べない。欠点が多く長所がそこらへんの深夜アニメと比べても少ないレベルであるが、不快になる作品ではなかったから人の好みや気分によっては良作と呼べるのかもしれない、という程度の感想だ。
ラブライブ!が好きな連中には「君の名は。」も絶賛できる輩が多い印象がある。どちらも辻褄がスカスカで、かといって爆発力的なエンタメ性や萌えなどがあるともいえない。強いて言うとラブライブの場合はライブシーンや楽曲、君の名はの場合は美麗作画で誤魔化しにかかっているがまともに見ていたら満足感に到底結びつかない。変な薬か宗教に浸かるでもしない限りは。
実際自分は君の名は。を見た時に自分はラブライブのことを思い出した。この辻褄の矛盾が気になる構成、辻褄云々を吹っ飛ばしてくれるエンタメ的なシーンを用意できない構成、それで誤魔化した気になってるのかと突っ込みたくなるふざけてキチガイダンスしだしたような寒い演出。そんなことに目をつぶりながら見続けても結局陳腐な話でサービスもなく終わり何もカタルシスが残らない作品。まあ君の名はそこまでは酷くないが、方向性としてはそういう面で似ていたし、あれが世間で人気だという点も含めて、こういうものこそが広くいいものだと思われる認識が広まるのは日本や世界の文化にとって危機的状況だと感じた。
人間の科学技術や知能の発展というのは人間の歴史が続く限りは永遠に続いていくと思われがちだがある時をピークに衰退に転じるという予測もある。手塚治虫の「火の鳥」でもそんな話があったように記憶するが、もしかしたら映像芸術、文化芸術の表現力や認識力において人間は既に衰退に転じてきたのではないか…なんて思えてきている。
恐らく序盤のシーンを超えていくと、上記の作品に似たエッセンスを用いた流れがやってくるのだろう。そうなると二番三番煎じかつ、元ネタがアイドル、しかもあのクソアイドルアニメということで説得力には期待ができない。
結局あの作品の大半を占める百合なら何でも喜ぶタイプのオタク、ラなら何でも喜ぶタイプのオタクが読まないと賛美するという方向に思考が結びつかない、ラブライブの二次創作に相応しい作品なのだろう…。
アイドルになりたい人は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう。キラキラできます!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『最後にして最初のアイドル』読んだ。なかなか感想が難しい。初めはアイドルでSFってどういうこと?って思ったが、今なら分かる、完全にSF小説だった。"アイドル"の概念に迫るアイドル創世記。締め括りも良く、これは周りにお薦めしたいhttps://t.co/3SKBmNU1BK— うきくさ先輩 (@Sphingobiumm) 2016年11月22日
アイドルになれるとかアイドルの概念がどうとか言っているが…三次元アイドルとは違って、理想を実現させられるはずの二次元アイドルという概念を三次元的現実やその事情と絡め貶めた設定を用いた、アンチ二次元アイドルの権化であるラブライブ!、そしてアンチ二次元アイドルの権化であるアニメ版矢澤にこが元ネタになっている点で作者や読者のアイドルという概念の捉え方や理想(のアイドル)の捉え方にも期待が出来ないどころか絶望的な不安しか感じられない。
百合は素晴らしいということを否定はしないが、結局のところ百合マンセーラブライブマンセーナントカSFマンセーを行う道具として片手間で作られたラブライブらしくラブライバーらしい小説が元なんだろうなあ…と想像を働かせてしまうのだった。
これに限らず、なんかの受賞作品といってもその賞自体の価値、審査自体の価値が危ういなんてのは珍しい話でない。
必ずまともな審査員しかいないコンテストなんて殆どどこにもない。ノーベル賞やアカデミー賞ですら賛否両論は珍しくない。
だからまともじゃなくていいなんてことではないが、どうしようもない人がどうしようもない作品を作っても何かが間違うと高く評価されるなんてこともあるかもしれないのだ。
今はピコ太郎の「PPAP」が流行している。しょうもないとまでは言わないが、素晴らしい含蓄がある歌詞と画期的で流麗な音楽に感動した…なんて到底言えないものだ。
しかし、どんな歌詞を込めてどんな演奏力ある楽器隊や歌唱力あるボーカルを擁して作られた他の殆どの日本の音楽よりも今は世界的に流行し評価されてしまっているのが現状だ。
だから、その最後で最初のなんとかみたいな駄作小説が賞をとれてしまうこと、ラブライブとかいう駄作アニメが売れたり賞をとれてしまうことなども含め、そういうのを見てると、ワンチャンどころでないチャンスが実は世の中誰の目の前にも転がってるのではないかと思う。
下手に自己分析とかし始めると
と無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしまう可能性もあるよ。
まあ自分のことだけどね。
ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代、全然顔は似てないよ)で、
大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。
教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。
親から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。
進研ゼミを暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル。
学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?
本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。
だから2年生の2学期からはテスト対策だけはそれなりにするようになった。
それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的な指標だった。
提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。
三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。
自分の決めたあの偏差値のラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。
それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。
その時はそうとしか思えなかった。
なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ。
そんな人間が努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。
そんな風に考えていた。
俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。
勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校に合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。
高校受験で自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快な体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力で情緒不安定な鬱屈した高校生活を過ごした。
高校は地元町からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。
彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。
幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。
ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。
今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。
そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。
俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分を分析なんかするなと言いたい。
自分が思っている以上に社会には様々な価値観や世界があって、君たちが見て来たものだけで自分を規定してしまうのは勿体無いと。
君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。
分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。
自分のことは自分しかわからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?
分析なんかしなくていい、ただ自分の気持ちを自分で否定することがないよう努めればいい。
中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分の気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。
そして大人は10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。
11月ももう中頃になってしまったが、なにかと不安定。芸術系の進学を希望してきて頑張ってきたけど、なかなか自信が持てない。し、ここ1ヶ月作品の案が全くもって思いつかなくなった。なんで美術なんか始めたのだろうかと考えてる。わたしが、勉強も運動も得意じゃなくて、唯一残されたのが美術だっただけなんだけど。美術は好きで、人間しかできないことだ(と思ってる)から美術をやっていることに誇りを持っている。まあ、それにしてもやりたい理由、やる理由、わたしがやる理由は分からなくなった。英語系の高校なので、周りがみんな就職を見据えて進学する中浮いているからかもしれないけど、最近はお金のことも考えるようになった。食べていけるのか、というよりは生きれるのかな、って感じで。
制作が進まなくなったのは何でだろう。
心当たりにあるのは、遊ばなくなったからかな。と思った。
ずっと、フットワークが軽いのは長所だと思ってて、休みの日は電車で出かけた。夏休みまでは美大予備校の夏期講習に通いながら廃墟に行ったり、駅名で気になる駅に降りて、適当に歩いたりした。その出かける趣味の中でも、廃墟の散策は17年間生きてきて中で最も自分らしい趣味だった。そのワクワクというものは、写真、絵、映画を作っているかなり近い感覚。遊び、楽しい事が自分の制作に繋がっていたんだなーと、何も出来なくなった今感じられた。
今は英語に力を注いでいる。きっかけは、写真の仕事で、日本に住んでる外国人と会うことが多くなったから。実際に英語が伝わるのは嬉しい!いずれは自分の作品を世界的に見てもらい、日本だけでない人に意見をもらいたいと思ってる。でも、見せるものがなれけばどうしょうもない。本当に自分は美術がやりたいのかもわからない。でも美術をやめたらなにやるの?という気持ち。写真の仕事を続ければいいのか。ああ、それもやだなあ。どうしようなー
気持ちは分かる。確かに社会は悪い。けどやれ社会が悪いだのADHDだの嘆いている暇があれば、今後どう生き抜くか考えた方がはるかに建設的だ。
あと大学に進学すべきという周りのアドバイスは何も間違っていない。高卒よりも大学を卒業した方が将来の選択肢がはるかに拡がるからだ。
仮に社会不適合者でも大学を出れば、それに見合った就職先が見つかる可能性は高くなる。ましてや偏差値65の大学の理系卒なら、多少人間性に難があっても専門性を活かして活躍できる場所は意外と多い。
ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
←これは卑怯ではない。不公平に感じる気持ちも分かるが、できるだけ少ない労力で効率よく目的を達成する方が良いに決まってる。苦労そのものに価値はないし、苦行主義や他人も苦労すべきという考えほどバカバカしいものはない。それこそ弟さんを苦しめているブラック企業の温床だ。
人間関係が下手だからレポートやテストのコピーが手に入らないという状況は分かる。私も対人能力が皆無で(高校時代に興味を持ってくれる友人がいた時点で少なくとも私よりは人間的に魅力があるはずだ笑)行く先々で嫌われるので、同じような状況は幾度もなく経験してきた。
けど(成績評価は別として)単位を取って卒業すること自体はそう難しくはないはずだ。東工大に後1問で合格できる実力があればなおのこと。
それでも卒業できなかったのは自分の責任だ。社会のせいではない。
とはいえ、今になって過去のことをとやかく言っても仕方がないので、これからできることを提案したい。
①: 自分の置かれた状況を認識する。まずはプライドを完全に捨てる。
今のあなたは、社会不適合者であり引きこもりニートであり、4年も年を食ってしまった高卒である。厳しい言い方だが、その現実を直視してプライドを捨て去ることで、自分に合った道を模索する必要がある。
知り合いでも同じように大学を3留中退→1年の浪人生活の後某有名私大に行った人がいるが、意外と就職も何とかなっているようだ。時間はあるのだから難関資格の一つでも取れれば大きくチャンスは拡がるはず。やり直しはいくらでもできるはずだ。
とは言っても本当に社会生活が向いてないのかもしれないし、仮に②ができてもそれが自分に合わなければ今回の二の轍を踏みかねない。
①で述べたように、まずはプライドや世間体を一切考えずに、自分の好きなことや熱中できることを探してみてはどうだろうか。ものによってはフリーランスででも食べていけるかもしれないし、会社勤めしたとしても好きなことなら続きやすいだろう。
④: ①、②、③もダメで、親でもナマポでも奨学金でも利用できるものは利用し尽くして、それでもダメならその時死ぬことを考える
当方東大生で来年就職を控える身なのだが、プライドや親からのプレッシャーもあって、好きなことよりもステータスや就職偏差値から就職先を選んでしまった。
早起きが苦手で対人関係が致命的にダメなのに、朝が早くコミュ力が必要な職場(そういう会社に限って世間体が良かったりする)を選んでしまったため、刻一刻と迫る入社日が恐怖でしかない。
自分に見合った就職先も分かっていたのに、プライドが邪魔をしてしまった。
いっそプライドを完全に捨て去り、一からやり直すためあえて留年することも真剣に考えたけど、結局踏み切れずズルズルとここまで来た。
確かに世間から見れば上手くやっているのかもしれない。けど来年から地獄を見ることは明らかだし、貴方と同じように死ねない呪いと向き合う毎日である。
(他人からの評価≠自身の幸せ、なことは電通のニュースを見ても明らかだ)
私の場合親がどうこうより痛いのが怖くて死ねないので、来年の3月31日に天災や事故でも起きて、嫌でも死ねることを祈るばかりだ。
そのような現状もあって(そしてアルコールが入っているのもあって)、つい熱く語ってしまったのを許してほしい。
残された奨学金だけは懸念材料だけれど、自分の置かれた状況を認識し、プライドを捨てて行動すればやり直しは不可能ではないと思う。ぜひ好きなことをして幸せになれるよう祈っています。
http://anond.hatelabo.jp/20161108134523
Facebookのいいね!が異常に多い割にそのコメントを見れないのが大変残念ですが。
まず印象に残ったのは、"R"や"L"の発音の説明だったり、いややっぱりラリルレロは"L"だ、だったり、そもそもの基本的な部分で多くのご指摘を頂いていた点です。
これに関しては全面的に私の説明ミスor勘違いによるものです。すみませんでした。
上記の情報が全て正しい訳ではございません。
各自トラバやコメント、Google、Wikipedia等で正しい情報を得てください。
そもそも、発音、特に舌の動きが重要な発音を、説明に慣れていない者が動画も図解も無く説明できるはずがないんですよね。
次に、「ローマ字はそもそも何のためにあるのか、誰のためにあるのか?」という点についても知識不足でした。
自分の知識不足で色んな誤解を生んだのは間違いないのですが、その結果色んな方々からご指摘を得て、この場で自分以外にも多くの方がローマ字やその長所・短所について考える機会を与えられたのであれば、この記事は何かしらの役割を果たせたのかな、と思っています。
また、「英語の話者のことしか考えていない」という指摘もありました。
この記事では主に英語のネイティブスピーカーのみを対象にしていたつもりでしたが、ローマ字表記をどこの国の人に見せるかで、議論は全然違ってきますね。
あとは、「どうでもいいじゃん」というコメントも多かったんですが、これは実際に外国人に正しく読まれづらい名前を持った人と、そうでない人で大きく意見が別れているように感じました。
結局個人の価値観にも依るのでしょうが、私としては自分の名前ってやっぱり正確に読んでほしいんですよね。
一方で、正式な文書で記載されている名前は発音されづらい、というジレンマは経験してみないと伝わらないものなんだろうな、とも思います。
実際に、特にTwitterでは「自分もそうだったわー」「自分はこうしてたわー」というコメントが多く、『ですよね!!』と膝を叩きたくなるような気持ちでいっぱいでした。
今後としては、ローマ字表記を変えよう!という意識は無く、パスポートに記載されているローマ字表記と英語のネイティブスピーカー向けの発音しやすいスペルを上手いこと共存させていく予定です。
例えば、自分の名前がタナカリュウイチだったら"Ryuichi (Liu-ichi) Tanaka"というように、ローマ字と読みやすい表記を併記する方法を考えています。
実際にこういう書き方をしている方を仕事でも見たことがあります。その方は中国人でしたが。
この記事によって、こういう表記・併記方法がより一般的になれば幸いです。
ただし、これも地域によって要・不要を判断する必要があると思います。
コメントによると、例えばフランス語圏やロシア語圏に行くときは(Liu-ichi)の表記はいらないと思います。
何にせよ、ここ数年ずっと自分の中でくすぶっていた"Rya,Ryu,Ryo"問題がここまで話題になって多くの方の頭の片隅に残ってくれたこと、そして自分自身も色んな気付きを得られたことが何よりの収穫ですね。
唯一の心残りは、2016年にもなって「ワープロ」という言葉が思わず口をついて出てしまったことですね。
おっさんですね。
便宜的に「性の悦びおじさん」という俗称で呼ばせてもらうが、最初に断っておくと、彼がパフォーマーとして優れている、というのはエントリの本筋ではない。まず前提として知ってほしいのは、現状、彼が不憫すぎる状況に置かれているという問題だ。
「性の喜びを知りやがって」発言の一般人男性が盗撮されネット上で玩具にされている事について - Togetterまとめ
その解決方法の1つがタイトルの通りなのだけど、これは囃し立てるような冗談で言っているわけではなく、わりと真剣にベストな方法ではないかと思っている。
以下、やや長文になるが整理しながら論を進めたい。
ニコ動に投稿された盗撮動画に端を発して、その後はまとめサイトやSNSでも拡散され、「性の悦びおじさん」は今や一番ホットなコンテンツ(玩具)になってしまっている。さらにはその人気にフリーライドしようと、ネット民がこぞって盗撮行為を行っているからタチが悪い。
まだ本人が騒動に無自覚であれば救いもあるが、以下のツイートにあるように「盗撮してくる人が多くて腹立つ」と本人も憤慨している様子。
@SAKU_wss さっきの写真はお願いして撮ってもらった写真です!お願いしたら快くOKしてもらえました「盗撮してくる人が多くて腹立つけどお前達はいいな!」って言ってくれてそこから1時間以上話し込んで、すっかり仲良くなっちゃいました☺️誤解生むようなツイート内容でごめんなさい!— SAKU@WSS? (@SAKU_wss) 2016年10月23日
誰かも知らない連中から隙きあらばカメラを向けられ、目撃情報はSNSで広くシェアされる。東京はマッドシティかよ。こんな世の中、確実に狂ってる。彼はポケGOのラプラスじゃない。肖像権だってある一般人だ。
昨年、チャゲアスのASKAがシャブ容疑で逮捕されたが、彼がブログにアップしていた文章が統失患者(あるいは覚せい剤の副作用)のそれを思わせる内容で、はてブ界隈でも話題になったことは記憶に新しい。
ASKAのブログ(2016.01.09~13公開分/キャッシュ) - Togetterまとめ
その狂気的な筆鋒から、彼がどれほど異常な世界に生きていたのかは察するに余りあるが、数あるエントリの中でも、特に以下の記述は当時の彼の心情をよく表している。
これが彼のリアルな心象世界だったのだから正に生き地獄だが、ここで思い起こされるのは、そう、これは今の性おじさんの置かれた状況に酷似している。似てはいるが大きく異なるのは、彼が生きている世界は無情にも現実という点だ。幻覚幻聴ではないので有効な対処法はなく、もはやそこに救いはない。
【動画あり】統合失調症体験ができるVRがとてもしんどいと話題に - Togetterまとめ
ひとたび外に出れば統合失調症のVRを強制体験させられると考えてみてほしい。こんな世界に生きていれば、壊れていない大脳だって加速度的に欠損してしまうだろう。
過去には『ぼっさん』もフリー素材として利用されていたが、彼の場合は自身が素材になることを容認していたし、そもそもは自業自得なところもあった。盛り上がっていたのもコアな界隈だけであったし、実生活までストーキングされるようなことも当然なかった。
直近の似た例として『たれぞう』もいるが、彼は自らYoutuberとして動画をアップしていたし、オッサンの身で小学生のOFF会に参加する等、ネット民に目を付けられても仕方のない理由が少なからずあった。
その点、性の悦びおじさんの場合は、ただ電車内で独り言をいっていたにすぎない。マナーとして不適切ではあるものの罪を犯したわけでもなく、咎められこそされ、ここまで晒し行為を受ける謂れはない。
唯一『左足壊死ニキ』に関しては近いものを感じるが、彼の場合は重篤な負傷者であるため、ネタにできない(嘲笑できない)禁忌感を放っており、ネットで行われる行為は晒しというよりも生存報告の意味合いが強い。そのため写真を撮られることはあっても、動画を撮られ晒されることはほとんどない。また元より壊死ニキはホームレスであり、悪臭を撒き散らして街の地べたを根城にし、常に痴態を晒していることからも、写真を撮られることはあまり気にしていないように思う。憂慮すべきはもっと別にあるのだから。壊死ニキの胸の内は分からないが、性の悦びおじさんと同じ文脈では語れないだろう。
有り体に言って、性の悦びおじさんは面白い。つらつら書いた後に矛盾するようで申し訳ないが、私はネットにアップされた彼の動画をあらかた視聴している。要するに彼の大ファンだ。
彼の動画は「性の悦びを知りやがって」と情緒たっぷりに憤るものが有名だが、実はその後も継続して見事な口上を披露している。勘違いしている人も多そうだが、彼は世間にその異常性を笑われているわけではなく、彼自身の言葉で人を魅了しているのだ。
彼には人を惹きつける類まれな才がある。
堂に入った佇まい、舞台演者を思わせる通る声、研ぎ澄まされた言語感覚、魂を揺さぶるシャウト、横溢するルサンチマン…etc. 長所を挙げるとキリがないが、私が彼にここまで強く惹かれる理由は、古き良きテキサイ時代を彷彿とさせる、その突き抜けた非モテ芸にある。
以下、彼の口上から言葉の一部を引きたい。
Making love. I make love.
I'm alone ago. 20 years ago. no make love.
I want to make love.
I want to feel... ecstasy!! will... ecstasy!!
それを諦めん、それまで諦めん Making love.
I go. making love.
する!すると言ったらする!
諦めん! Never give up.
I want to make love. I want will ecstasy, ecstasy.
する! 諦めん!
なんで諦める必要があるか 20年以上しとらん!
これを即興でやる。予定調和のスタンダップコメディ等とは違い、脳直で吐き出される言葉の数々には五感を揺さぶるパワーがある。さながら本格ジャズの即興演奏だ。
圧巻と言う他ない。長らく暗渠で醸成されたであろう負の感情が、これでもかと言わんばかりに炸裂している。有象無象の非モテ民が束になっても敵わないだろう。彼の言葉には彼だけが語れる真実がある。
この流れで勝手を言わせてもらうと、ネットに跋扈している非モテ気取りどもは、大抵世間ウケを狙っただけのファッション非モテ()だ。テキサイの畑で育ったヨッピーだって、非モテのスタンスを取りながらも、結局イケメンで若い頃からモテまくってただろうし(結婚おめでとう)、オモコロのライター陣とかも似たようなモンだろう。非モテ(童貞)の気持ちを代弁している伊集院も、冷静に考えれば美人タレントと結婚してるモテ豚なわけで、あくまでビジネス非モテに過ぎない。
性の悦びおじさんは、積み重ねてきた負のバックグラウンドが違うのだ。だから彼から放たれる言葉は最高にエモーショナルで心に深く刺さるのである。
彼は数字が取れる。動画の再生数だけでなく、彼に関するツイートのRT/Favの数を見れば明らかだ。また彼は個のキャラクターが立っているだけでなく、その噺・口上によって人を惹きつけるため、自らコンテンツを生み出し続けることができる。Youtuberとして成功するにはこのポイントは欠かせない。
例えば件のYoutuber『たれぞう』は同じくニコ動で人気を博したが、彼の場合はあくまで第三者(職人)の手により「神(ZEUS)たれぞう」という虚像が作り上げられ、さらにヒカキンとの対立煽りを演出することで再生数を伸ばしていった。いわばユーザーの連携プレーにより動画を創っていたのが実情なため、肝心のたれぞう自体には創造性はなく、自らアップしている動画はあまり再生数が伸びていない。
その点、性の悦びおじさんは違う。ありのまま(Rawデータ)でいい。ベルジャネーゾ氏のように、特定発言だけがフィーチャーされた一発屋でもなく、安定してコンテンツを供給できる実力もある。そして彼は唯一無二の存在であるため、ブルーオーシャンで勝負できる。
Youtubeを見渡して欲しい。人気Youtuberと呼ばれる者たちは「性の悦び」を知ったような顔をして、どこかで観たようなネタを焼き直しているだけだ。キレ芸を得意とするシバターもいるが、彼は道楽でやっていることを公言している(豪邸も披露している)し、女に困ってそうな様子もまったくない。過激な発言をしてみたところで、所詮アッパークラスの戯言に過ぎないのだ。
ヒカキンを筆頭格として、人気Youtuberはネット民に蛇蝎のごとく嫌われる。それはネットには常に妬み、嫉み、僻みといった、人間の負の感情が渦巻いているからだ。人格者であっても無条件に叩かれる。そんなネットの特性故に、かつて「非モテ」文化が隆盛を極めたが、今の時代には真の「非モテ」ヒーローが不在であるため、ネット民の淀んだ感情は行き場をなくしている。
非モテヒーロー不在のこんな時代だから、性おじさんへの期待も自然とデカクなる。ネット民から愛される素養がある以上、彼が人気Youtuberになれる公算は極めて高いだろう。
一番の理由は冒頭でも書いた通り、彼の不憫な状況を解消するための手段に成り得るからだ。彼が公式にYoutuberとしてコンテンツを発信すれば、盗撮動画をアップする必要も薄れる(希少性が下がる)ため、次第に晒し行為も淘汰されていくことが考えられる。またコンテンツ保護の側面もあり、動画が再生されればその利益はすべて彼に還元される。ユーザー観点で見ても、動画を視聴する後ろめたさがなくなるため、純粋な気持ちで彼を応援することができ、まさしく良いこと尽くめである。
と、尤もらしいことを書いてみたが、以上の理由がすべて見せ玉となる本命ストレートな理由がある。それは、
性の悦びおじさんが抱える、性(セックス)に対する渇望は本物だ。とある動画で雄弁に語っていたが、彼はデリヘルこそ利用するものの、風営法を遵守し、己の哲学に従いソープには頑として行かず、20年以上ガチでセックスはしていないという。
彼は安いセックスは拾わないのだ。彼が求めるものは一点の曇りもないピュアな愛――。
これだけオサセが幅を利かせる世の中で、女どもがガラケーよりも簡単にパカパカ股を開く淫れた世にあって、なぜ彼に光が当たらないのか。小学生ですらスプラトゥーンで8人プレイに興じているというのに、なぜ彼のペニスはいつまで経っても1人プレイ限定仕様なのか。なにも彼はセカンド童貞の操を守っているわけでも、純愛セックスを諦めているわけでもない。「する!すると言ったらする!」という固い決意にあらわれているように、彼はただひたすらにセックスを求めているだけだ。
ブロガー、歌い手、実況者、生主、Youtuber。特定の界隈で人気を得た者は間違いなくモテる。合法的にセックスできる。例を上げればキリがないので、ここであえて詳細に語る必要もないだろう。不細工だろうがクズだろうが関係ない、人を惹きつける才能があればセックスの道が拓ける、それがインターネッツだ。
セックスの舞台として、Youtubeを利用することは下賤だと思う人もいるかもしれない。だが、ヒカキンが歌うYoutubeのテーマソングを思い出してもらいたい。
今ならかなうさ夢あきらめるな Let's Try Again
少し真面目な話になるが、性の悦びおじさんが独力でYoutuberデビューすること難しいと考えている。高度な知識はいらないが、多少のスキルとリテラシーが求められるし、それなりの撮影機材や動画編集ソフトがある方が望ましい。彼がそれらを持ち合わせている可能性は極めて低いだろう。
マルチチャンネルネットワーク(MCN)への加入が最適に思われるが、マージンとして利益の20%~50%を持っていかれるので、タイアップ広告が期待できない彼にとっては、都合がいいように搾取されるのが目に見えている。
理想形はユーザー(ファン)が無償で手助けしてあげることだ。できることなら企画立案も含め全てのサポートを私がしたいが、彼とコンタクトを取る手段がないため難しい。連絡先を知っている(聞いた)人がいれば教えて欲しいと切に思っているぐらいだが、この方法は現実的ではないだろう。
期待したいのは、オモコロの企画としてヨッピーあたりがデビューの手助けをすること。取材という形で彼の真意を確認するだけでも意義はあるし、彼がYoutuberになることに前向きであるなら一先ずは動画投稿までをサポートするだけでもいい。趣旨を正しく説明すれば炎上することもないだろうし、記事により初動で勢いがつけば性おじさんにとっても大きな手助けとなるだろう。バーグハンバーグバーグがMCNと交渉して、特別待遇の橋渡しをするものいいだろうし、可能ならバーグ自身が継続してケアをするのも悪くないと思う。
ちなみに動画の一面だけを見て彼を異常者・コミュ不全と思ってる人もいるようだが、若者と柔和な表情で話している様子も確認されていて、その点は心配しないでいいだろう。
性の悦びおじさんのデビューが成功した場合、彼の生活は一変するだろう。街で騒がれることがあっても、それは「人気Youtuber」として親しまれるという意味に変わる。
人気が出ればYoutube以外の展開も期待できる。ノンフィクションの自伝を執筆するのもいいだろう。彼の生い立ちは興味深いものがあるし、「ある日突然、異世界――皆に一方的に監視されている――にワープした」という流行りのラノベのような設定も地で使えるので、出版社からも引っ張りだこだろう。
ただ、これは身勝手な願望も含まれるが、彼がセカンド童貞を喪失した場合、その時はスパっと引退してもいいのかもしれない。
一昔前、『アジア系』という非モテ界のカリスマと讃えられたテキサイがあった。運営者である『蝦』氏はネットで彼女を作ることを目的にサイトを始め、彼女できた瞬間にスパっと更新を止めたのである。最後の日記は彼女の手によって書かれ、掲示板には「閉鎖おめでとう」という切ない言葉が並んだ。人気絶頂の中でサイトは閉鎖され、彼は伝説になった。
Youtubeのチャンネル名は「はてなポイントを使い切るまで死なないブログ」というモテ男のブログ名にあやかって「セカンド童貞を喪失するまで辞めないYoutuber」としてもいいかもしれない。
これはもうたった一つのシンプルな答えがある。「アピールしないから」。
どんなに不細工な人でも、好意を持った人には素直にアプローチをして、
自分を開示する、さらけ出せる人ならば、必ず好感を持たれるようになる。
自分から話をする、自分語りをする、そういう姿勢をバカにしない。
「私そういうタイプじゃない」とかクールを気取ってはいけない。
容姿で興味を持たれたとしても、何の情報も入ってこない、つながりも作りづらい、
そんな人をどうして好きになれようか。
まず自分を受け入れ許容して愛せるようにならないと、他人など到底愛せるものではない。
愛するってことは長所も短所もまとめて受け入れ、慈しむ姿勢のことだからね。
そうして自分と他人を愛せるようになれて初めて、他人からも好かれるようになる。
ごく一部のカリスマはそういう器が無くても好かれるけれども、例外。
普通は自己開示を重ねる段階を経て、好意を獲得していくもの。恋愛に限らずね。
具体的にどうすればって戦術を言うなら、なにか弱みを見せること。
失態をみせて、いじってもらう。で可愛く反応する。これが一番効果的。
あとは、他にもいじりやすいように、キャラを作って覚えてもらうこと。
たとえば「青大好きな人」みたいな。持ち物やネイルを青くしたり。
「氷属性なんです(笑)」みたいにお茶目を言えたらもっと良い。
そうしたら飲み中に青い綺麗なグラスの写真を撮ってLINEしてくれるかもしれないし、
「暑いですねー、氷のアトラクションがある××に行きませんか」なんてふざけながら言える。
まあちょっと妄想がすぎるけども、距離を縮めるには何かしらの「とっかかり」を用意する必要がある。
その上で、ちゃんと自分からもアピールすること。本当にそれだけでいい。
それは家の中にいる人ですか?
家の外にいる人ですか?
私の家の中には、ひとりいました。
うちは三人兄弟で、真ん中の兄がそうでした。
学校から知能検査の結果がわざわざ知らせられる程IQは高かったらしい。
ふつう、結果知らないですよね。
ただ、幼い頃から神経質なところがあったらしく、いろいろと手が掛かったらしい。
まだ家の外のことをよく知らなかった頃は、次兄のことをそんなに変わってるとは思わなかった。
なんとなく他の人と比べて細かいことに気を遣わねばならぬ相手だなという感覚はあったが、
「気難しい」という言葉が当てはまる人が次兄だということまでは、わかっていなかった。
長じるにつれて、これは結構普通の人と違うのではないか―――と思うようになった。
一日同じ服を着続けられないとか、次兄のお気に入りの本は一切見せてもらえないとか、
待ち合わせの約束があるにもかかわらず、なぜだか家を出られないとか。
外ではひどく内気になってしまうらしく、友人は少なかったようだ。
しかし頭がいいのは確かだったようで、高校は卒業できなかったが独学で大検に受かり、一時は大学にも通っていた。
私は家ではまるきり勉強できない性質だったので、このことは素直にすごいと思う。
目の前のことに夢中になると他のことに気が回らなくなってしまうようで、
これはかなり頻繁に家庭の和を乱した。
うちには独裁的な父がおり、日常的にキレて怒鳴り散らしていた。
もちろん家族は父がキレることのないよう、神経をとがらせて暮らしていたが、どれだけ気を遣ってもキレるものはキレる。
よくあったのが、これから家族で外食しようというときに、出かける仕度をせず全然関係ないことに次兄が夢中になっている。
当然、父の怒号が響きわたる。
にわかに外食に浮かれていた気持ちはしおしおとしぼみ、車内での重苦しい空気に耐える。
よくよく考えれば、なんでもかんでもすぐに怒鳴り散らす父が諸悪の根源のはずなのだが、家族の間には「またお前か……」という空気が流れる。
どのくらい次兄がこの空気を自覚していたかはわからないけれど。
いつからか、次兄はうちの中で「手のかかる面倒くさい子」という扱いになっていた。
次兄のいない席では、家族で次兄の悪口を言うのが、いつの間にか普通になっていた。
「敵がいると一致団結できる」なんていうけど、まさにそれだったと思う。
多分、家族の中で一番次兄と気が合ってたのは私だった。
他の家族が誰もわからない、次兄が不機嫌になる理由を私は理解できていたと思う。
だからだろうか。
家族は盛り上がっていて「楽しそう」なのに。
気づいて愕然とした。
父が不在でも、こんな風には言われない。
いつの間にか家族の中で「次兄はいくら悪しざまに言ってもいい」というような共通認識ができていたのだ。
父に対しては晴らすことのできないうっぷんを、次兄にぶつけていたのかもしれない。
当時はそこまで思いいたらなかったけれど。
家族間でメンバーの一人だけをそんな風に扱うのは、なにかおかしいと思った。
悪口って、複数で言い合ってると変に勢いがついてますます嫌いになったり、その相手を粗雑に扱ってもいい、みたいになるし。
だから一度だけ言ったことがある。
「うちは全部『次兄が悪い』ってことにして、次兄を悪者にしてなんでもかんでもすませすぎじゃない?」
お前何言ってんの?ってノリだった。
一語もわかってもらえなかった。
恐ろしかった。
「次兄のいない悪口大会」に違和感をもっていたのは私だけだったと気づいたことが。
私だって次兄のことで悪口を言ってたし、次兄に八つ当たりされるのは日常だったから、不満はもちろんいろいろあった。
でも他の家族にはわかってもらいにくい、踏み込んだ洞察の話をよく理解してくれるのは次兄だった。
へそ曲げるとどうしようもないけれど、長兄より公平性があった。
こうやって、ちゃんと長所もあげることが私にはできたのに。
一度でくじけずに「悪口言うのやめよう」って、言い続けられればよかったんだろうか。
残念ながらわたしは意気地なしだった。
結局のところ、できるだけフェアでありたいと思ってしまう。なぜなら最初から負けてるから。自分のなかに大切にするべき美点なんか見つけられないし、人様に向かって積極的にアピールできる長所なんか、本当にないとしか思えないから。だからせめてすべてにたいしてフェアではありたい。いいものはいいと認めたいし、悪いものは自分であろうがなんだろうが悪いと断じたい。無理だろうけど、それをしたい。それをしないと最低の自分が本当の本当に最低になってしまうから。自分を大切にするより、フェアであることを優先したいから、自分の短所をさらけ出してそれを笑う、いわゆる自虐が頻繁に起こるし、付き合いづらい人間だとは思うけれど、自分の好悪の感覚にたいしてさえ、懐疑的にならざるをえない。
「お前ができること全部やれ」
だから。
自分のスペックを上げる能力を上げることにいちいち専門分野作ってそれに固執するという
(しかもこれは「教育方針」ではなく「精神論」なので専門性を持ちたくてもドイツほどの専門教育を受ける機会が圧倒的に少ない)
口では「長所を伸ばせ」といいながら結局数学が得意で国語が苦手な奴に漢文の勉強をさせるのがジャパンの教育。
言ってることとやってることがズレッズレ。
運動がいくらできても勉強できないなら、運動も勉強もできるやつに馬鹿にされる社会。逆もしかり。
なので運動できるから勉強しなくていいという免罪符が成り立たない。
全ての頂点を目指すから自分を固定観念で型にはめることをしない。
自分の才能に気付くチャンスが島国より圧倒的に多いし、能力者のためにそれ相応の予算と場所を提供してくれる、
日本だと何もできないのではなく「運動ができない」とか「勉強ができない」というように1つの欠点を極大させて個性にして
専門学校に入学して、入学式の前のオリエンテーションで同じ部屋になった4人組でずっと一緒にいました。
専門学校に行くぐらいだから趣味も一緒だし、何かと気が合ったので。
全員コミュ障だったけど、はじめまして!と話しかけてどうにかこうにか友だちになれました。
私はこの歳まで引っ込み思案で、小中高と同じクラスの幼馴染がいたこともあって友達が本当に少なくて専門学校に入ったら自分で話しかけて友達作るぞ!と息巻いていたので
だからこそ、偶然同室になり学生時代をずっと共に過ごして卒業してからも遊びに誘ってくれる友達が大好きです。
話は戻り学生時代、そろそろみんなでご飯を食べに行こうかというぐらいの仲になった頃、
突然Aちゃんが私に「あっちのグループで孤立してしまったから、こっちに入れて」と言ってきました
まあ、端から見れば女の子が集まっているからグループなんだけれど、私含め全員が何となくグループという言葉に違和感を感じましたが
もちろん拒否する理由もないので、ちょうどお昼の時間だし一緒に食べようよーと答えました。
Aちゃんは素直で天真爛漫で可愛らしく。そこは長所ではあるのだけど、とにかく自分勝手でお子ちゃまでした。
まだ19歳、私も人のことは言えなかったが自分の思い通りにならねばすぐに拗ねる。
エレベーターが重量オーバーで乗れず、全員一緒に行動できなかっただけで拗ねる。
「何で私を一人で残したの?一緒に降りて、全員一緒に行きたかった」とずっと頬を膨らませるという具合。
物を貸したら返さないし、人が持っているものをすぐ「ちょうだい!」
インフルエンザで寝込んでいて「大丈夫?」とメールをもらったのですが(当時はLINEがまだ主流でなく、メールでした)
熱で朦朧としていた頭では返信もできず。
数分後「どうして返事返してくれないの!!私の事、嫌いなの!?」とお怒りのメールが来たときは、
正直、私は疲れ果てていてあの時、一緒にお昼食べようと返事しなければよかったとさえ思ってしまいました。
Aちゃんはとにかくグループ行動を好み、遊びに行く際自分がドタキャンしても「私がムリだから、今日の予定はなしね」と言います。
Aちゃん抜きで遊びに行ったことがバレると、次の日学校で号泣し私達が宥めるはめになるのが心底面倒で
どこでばったり会うかわからないので、その子の都合で私たちは遊ばねばならなかったのです。
いま就職して思うことは、毎日学校に行くだけで友達に会えるのって奇跡だということ。
もっと学校帰りの買い食いや、友達とのおしゃべりをしたいときに、自由に楽しみたかったなぁということ。
多分一生後悔すると思います。
就職してからも友達には会えますがやはり機会は減りますし、どうしても仕事の話になりがち。
箸が落ちただけで笑えるような年頃に、周りの人が聞いたら首を傾げるようなくだらない話で盛り上がることができるというのはとても尊いことだと思います。
その子は正義感が強く、クラスで孤立している(ように見えるだけで、一人のほうが気楽だと言っていたけど)女の子Bさんを連れてきて
今日からこの子、うちらのグループに入るから!!と鼻息を荒くしました。
正直、何でも打ち明けられる友達の輪に全く話したことの無い子が入ってきて、とても戸惑った。
連れてこられたBさんは「いや別に、グループとか入りたくねえし」という感じで戸惑っているし、
別に友達なんていらないという考えだったのかただたんに私達が嫌いだったのか私達が話しかけてもつん、と無視をしていました。
挨拶をしても返ってきません。
ただ、BさんはAちゃんには気を許しているのかAちゃんとだけは喋っていました。
挨拶をしても無視するような、そんな相手と仲良くなろうと思えるでしょうか?少なくとも、私は全く思えませんでした。
無視をする子なんて私は死ぬほど嫌いです。悲しいことに私は今でもBさんのことが嫌いです。
前述のように、Aちゃんは遊ぶときに自分がいなければ発狂するのですがそこにBさんが加わりました。
6人もいると、さすがになかなか予定が合いません。
もう、予定合わない人がいれば、とりあえず予定が合うメンバーで遊べばよくないか?と話し合いをもちかけましたが
私は全員一緒がいいのっ!!と机を拳で叩いていたので、話し合うことも諦めました。
そのおかげで、学生時代最後の1年間はほとんど友達と遊びに行けませんでした。
ひっそり合流して遊ぼうにも、私は県外から通っていましたし、
皆バラバラのところから通学しているのでなかなか隠れて会うこともかないませんでした。
どうしてそんな子と卒業まで一緒にいたのか?と疑問におもう方もたくさんいらっしゃるかと思います。
グループを抜けるだとか、何人で行動するのか?ということが一番大事だという空気が流れていたのです。
どうして、よそのグループの子と話すの?とか、そっちのグループに行くの?だとか、そんなことで騒ぎになるような雰囲気だったのです。
私たちは皆気が弱かったのか、誰もAちゃんの行動を咎められなかった。
いや、咎めたのですがAちゃんはどこ吹く風、何も改善されなかったのです。
話し合いの途中で泣いてしまえば、私達が折れて宥めるのがわかっているから。
結局、卒業してから皆四国や、関西、関東へと散り散りになりましたが
卒業して2年ほどで全員がAちゃんと大喧嘩し絶縁してしまったとのこと。
ある人は仕事中にLINEが来て、返せなかった所「どうして返事くれないの」と電話がかかってきて怒っただとか
ある人は会いたいから今すぐ私のいるところまで来てと言われ、
県外なので「二人の中間地点で会わない?」と提案すると「いや、私の定期券そこまでないから」と言われキレただとか。
学生時代、誰かが今のようにキレてAちゃんといい加減にしなさいよ!!と大喧嘩でもすれば状況は変わったのかもしれない。
だけど、誰もそれができなかったし、多分今の精神状態であの頃に戻ったとしてもAちゃんにはかなわないと思います。
そんなくだらないことだけれど、私はAちゃんを許せない。
1つ注意しておくと私は内定者ではない。
数社金融関係の会社から内定をもらっていたが全て内定を辞退した。
就活時代の自分と言うよりかは,今から3年ないし2年夢に向かって頑張り続ける自分への決意表明である.
就職活動は始めると実感するのだが予想以上に大変だ。
毎日朝から晩まで企業の説明会に行き、面接を3月から始める企業・4月・5月・6月に始める企業が
均等に分布しており、就職活動をやめない限りその忙しさが続く。
2〜3回の面接で内定を出す会社もあれば10回以上面接をする会社もあり、
1日インターンなども行かなければならない。今でも3・4月のスケジュール帳を見ると感動する。
大体の就活生は20社±10社ぐらいの選考に進んでいるだろうが、
その高々30社は本当にお前の受けれる会社の中のTOP30か
常に考えて欲しい。
TOP30を決める中で本当に何がやりたいのかを決めるのは重要だ。
就職活動中にどれだけ頑張っても目先の内定に気を取られてしまう。
私の周辺でも普通に説明会解禁が3月にもかかわらず、3月中に国内大手金融機関から内々定をもらった人がいた。
しかし、踊らされてはいけない。お前が本当にやりたいのは何かを考えろ。
毎日面接で似たような志望動機を言い、同じようなエントリーシートを書いていると、
例えそれが嘘であっても本当かの様に思えてしまう。
ひたすら軸をぶらさずに自分の本当にやりたいのは何かを考え続けろ。
就職活動を始めるにあたって、大概の人間は自分の興味のある分野を決める。
そのときの決めてとなるものが、自分の今いる場所であったり、今の専門であろう。
理系となれば自分の研究分野から延長線上で就職する人間が多いし、
文系でも法学部や経済学部は大学時代に学んだことの活かせる職業を志望する。
自分の今できることは限られているが、将来できることは無限大にある。
自分の本当にやりたいことを1歩どころか2万kmでも歩いて探せ。
は無意識に楽な方向に流れようとする。
お前は就職して何がしたい。
そりゃ、マイホームを構えるとか幸せな家庭を築くとか出世するとか
色々な目標はあるかもしれない。しかし、それが本当にお前のやりたいことか。
人のために生きることは褒められることだが、まずは自分のなれる最高地点の目指せ。
楽をするな。
殆どの人間は「ある分野において世界の頂点に立つ。」というような夢の体験をしたことはない。
せいぜい上位1%ぐらいにいればいいぐらいだろう。
しかし、自分が得意と思えること、人より勝っていると思えること、せめてこの新卒内では上位10%に入れると思えることは
1つだけでなく2つか3つはあるはずだ。その一つだけを目指さずに10%の3乗を使えるような職業を探せ。
就職活動中、自己PRであったり自分の長所なんかを述べていると、
しかし、それらのことは面接官からすればどれも似たり寄ったりのエピソードである。
それをさもすごいかのように話すのは恥ずかしい。謙虚に生きろ。
そのような聞き飽きたようなことを聞いてもちゃんと褒めてくれる。
今の自分に満足せずに、自分の持ちうる全ての能力を最大限に発揮するために楽をするな。
自分のやりたいこと・できること・やらなければならないこと。全ての高みを目指せ。