それは家の中にいる人ですか?
家の外にいる人ですか?
私の家の中には、ひとりいました。
うちは三人兄弟で、真ん中の兄がそうでした。
学校から知能検査の結果がわざわざ知らせられる程IQは高かったらしい。
ふつう、結果知らないですよね。
ただ、幼い頃から神経質なところがあったらしく、いろいろと手が掛かったらしい。
まだ家の外のことをよく知らなかった頃は、次兄のことをそんなに変わってるとは思わなかった。
なんとなく他の人と比べて細かいことに気を遣わねばならぬ相手だなという感覚はあったが、
「気難しい」という言葉が当てはまる人が次兄だということまでは、わかっていなかった。
長じるにつれて、これは結構普通の人と違うのではないか―――と思うようになった。
一日同じ服を着続けられないとか、次兄のお気に入りの本は一切見せてもらえないとか、
待ち合わせの約束があるにもかかわらず、なぜだか家を出られないとか。
外ではひどく内気になってしまうらしく、友人は少なかったようだ。
しかし頭がいいのは確かだったようで、高校は卒業できなかったが独学で大検に受かり、一時は大学にも通っていた。
私は家ではまるきり勉強できない性質だったので、このことは素直にすごいと思う。
目の前のことに夢中になると他のことに気が回らなくなってしまうようで、
これはかなり頻繁に家庭の和を乱した。
うちには独裁的な父がおり、日常的にキレて怒鳴り散らしていた。
もちろん家族は父がキレることのないよう、神経をとがらせて暮らしていたが、どれだけ気を遣ってもキレるものはキレる。
よくあったのが、これから家族で外食しようというときに、出かける仕度をせず全然関係ないことに次兄が夢中になっている。
当然、父の怒号が響きわたる。
にわかに外食に浮かれていた気持ちはしおしおとしぼみ、車内での重苦しい空気に耐える。
よくよく考えれば、なんでもかんでもすぐに怒鳴り散らす父が諸悪の根源のはずなのだが、家族の間には「またお前か……」という空気が流れる。
どのくらい次兄がこの空気を自覚していたかはわからないけれど。
いつからか、次兄はうちの中で「手のかかる面倒くさい子」という扱いになっていた。
次兄のいない席では、家族で次兄の悪口を言うのが、いつの間にか普通になっていた。
「敵がいると一致団結できる」なんていうけど、まさにそれだったと思う。
多分、家族の中で一番次兄と気が合ってたのは私だった。
他の家族が誰もわからない、次兄が不機嫌になる理由を私は理解できていたと思う。
だからだろうか。
家族は盛り上がっていて「楽しそう」なのに。
気づいて愕然とした。
父が不在でも、こんな風には言われない。
いつの間にか家族の中で「次兄はいくら悪しざまに言ってもいい」というような共通認識ができていたのだ。
父に対しては晴らすことのできないうっぷんを、次兄にぶつけていたのかもしれない。
当時はそこまで思いいたらなかったけれど。
家族間でメンバーの一人だけをそんな風に扱うのは、なにかおかしいと思った。
悪口って、複数で言い合ってると変に勢いがついてますます嫌いになったり、その相手を粗雑に扱ってもいい、みたいになるし。
だから一度だけ言ったことがある。
「うちは全部『次兄が悪い』ってことにして、次兄を悪者にしてなんでもかんでもすませすぎじゃない?」
お前何言ってんの?ってノリだった。
一語もわかってもらえなかった。
恐ろしかった。
「次兄のいない悪口大会」に違和感をもっていたのは私だけだったと気づいたことが。
私だって次兄のことで悪口を言ってたし、次兄に八つ当たりされるのは日常だったから、不満はもちろんいろいろあった。
でも他の家族にはわかってもらいにくい、踏み込んだ洞察の話をよく理解してくれるのは次兄だった。
へそ曲げるとどうしようもないけれど、長兄より公平性があった。
こうやって、ちゃんと長所もあげることが私にはできたのに。
一度でくじけずに「悪口言うのやめよう」って、言い続けられればよかったんだろうか。
残念ながらわたしは意気地なしだった。
どう考えても釣りだけどあとあと痛い目見るのは長男だろうな