はてなキーワード: 身分とは
支えてくれる家族も、理解のある恋人も居ない。そういう一人暮らしの精神障害者ってどうやって生きてんの?
自分は双極性障害と発達障害があり、就労困難と認められ障害年金受給。年金と生活保護で暮らしている。
精神障害の他にも毎日服薬してる持病とか、生活に支障を来たす身体的な持病もいくつかある。
ついでに言えばいわゆるLGBTの人だし、かなりマイノリティ側の人間。
小中高全てまともに登校できていなかったし、全く登校しない不登校の時期だって何年もあった。
学校卒業後もろくに働いたことが無い。働いたことが無い経験を具体的に語ると、学生という身分を失ってから7年間で働いて稼いだ金額は合計40万円くらい。
躁状態で仕事を始めて、鬱状態で何もできなくなって退職する。ずっとこのパターン。
自分みたいな社会不適合者ってネットを見るといくらでも居るように思えるんだけど、みんなどうやって生きてんの?
恋人・伴侶に支えられて暮らしている人。実家暮らしで家族に援助されている人。一人暮らしだけど親から資金援助をしてもらってる人。そういう人たちは目にするけれど、一人暮らしの無職精神障害者ってのはなかなか見かけない。一人暮らしができている精神障害者は大抵就労も出来ている。
それともみんな死んでんの?
外に出られないから食事は全部ウーバーイーツ。日用品はAmazonで買う。
障害年金と生活保護では最低限のお金しか貰えず、そんな生活してるともちろんお金が足りなくなるので、カードのリボ払いにして支払いを先延ばしにしてる。
現金を借りると「収入」として保護費から引かれるので、カードのショッピング枠を使ったリボ払いでの借金。
リボの限度額に達したときが、この生活の限度。そのときは食べ物が買えなくなって死ぬのかな、とぼんやり思ってる。
通院とか障害年金とか生活保護とかに至るまではめちゃくちゃ親切な複数の他人の助けによってなんとか幸運にも辿り着けただけで、一人では生活することができない。今は通院も出来ていない。
部屋はゴミだらけで、風呂も週一しか入れてない。散髪にももちろん行けないから、ずっと伸ばしっぱなし。ベッドのシーツや枕カバーは肌にベタベタと張り付くようになったし、夏になってからはコバエがそこらへんを飛んでいる。ゴミ出しに行けなくて、山のようになったゴミ袋からは異臭がする。
何とかしなきゃと思っても、毎日毎時毎秒が憂鬱で死にたくて、ご飯を食べるのもトイレに行くのもだるい。
そんな自分がどうやったら生きていけるのか、ネットで調べてみても「お金に困ったなら生活保護」とか「医療機関を受診しましょう」とか、そういうとこで止まってて、その先が分からない。
一人で生きていけない人間って、どうやったら生きていけんの?
医療従事者の責任感と介護職みたいなウンコまみれの環境と飲食店の「お客様は神様です!」感を全て求められてるけど、計算したら近所のコンビニの夜勤の方が時給高かった
まともな獣医療を求められてるのはわかるけど大学卒業して数ヶ月の人間に何ができるってんだよ、こちとら大学卒業するまで何かに注射打ったのなんて実習くらい、両手で回数数えられるんだよ?普通に考えてまともにできるの元医療従事者かヤク中くらいじゃないの。常に?マーク頭に浮かべながらニコニコしてんのありえないくらい辛い。大学でやった勉強覚えてる?高校の数学でもいいけど初手からノータイムで答えられるわけないよね、そもそもその内容ってどう記憶を探っても大学でも国試でもやってないのばっかだし自分でググって探してくれって思う。多分同じページ見てるけど。
4月1日に就職した時は信頼される獣医になるぞ!勉強も頑張ろう!と思って意気込んで本まで買ったけど毎日帰ってくるのが9時過ぎて、積み上がるのがストゼロの空き缶とタバコの空き箱だけな自分も嫌だしコロナでも狂犬病でもいいから早く殺してくれって常に思ってる。大学の研究室時代も死ぬほど辛かったけどその時より生活が終わってる。まさかゴミすら捨てられなくなると思わなかった。連休で浮かれてる社会が憎い、三連休以上の連休は怖い。こちらには盆も正月もありません。週休1〜1.5日、年間休日二桁中盤だよー!令和4年!働き方改革!残業代が出る職場はまだホワイト!
手取り25万に求める仕事がこれ?だとしたら社会が憎いし転職するしかないな。でも最早鬱病まで秒読みだからどんな職種でも働ける気がしないし転職ってどうやるの?大学時代にバイト先で12連勤した時より毎日明日が来るのが怖いしキツい。昼休憩でコンビニ行ってトイレ入ったら涙出てくる事多い。
死にかけの動物が退院するのは嬉しい。ぐったりして来た子がご飯モリモリ食べるようになった!って伝えてもらえるのも嬉しい。別に猫に噛まれても犬に頭突きされても何にも思わないけど院長の機嫌に振り回されるのと動物看護師の仕事の早さについていけない事はほんとに鬱病になる。てかもう資格差し上げるのでベテラン看護師の皆さんが診療してください、絶対その方がみんな幸せだから。
研修医みたいな身分もないし、看護学生の実習みたいに学校のカリキュラム上でみっちり勉強させてもらえるわけでもない。というか新入社員用のマナー研修すらない。やって覚えろって言うけど学生のアルバイトですら客対応については研修あったんですが…そもそも大学のおぼろげな記憶と国試で詰め込んだ典型的な症例の知識(しかもそんなのこない)しか武器がないこんな状態で、何も知らない飼い主に獣医ですって言わなきゃいけないこの環境が嫌すぎる。先生って呼ばれる事にビクビクするようになった。
大学6年通って得た国家資格がこれ?転職しようにも臨床弾くと公務員フリーパス以外の価値を実質的に見出せない。同じ資格でも工業高校の生徒が受けるような危険物取扱者の方がよっぽどまともな仕事ある気がする。私立で学費1000万以上かかってるから親に申し訳ないしちゃんと死ぬから生命保険かなんかでチャラにしてくれない?マジで。
やっぱり無理してでも医学部行くか、滑り止めで受かった薬学部いけばよかった。もう二度と臨床はしません。というか別の資格取って転職します。獣医なんかなるもんじゃない。みんな死ね
大体ち◯ぽ脳のオスって、後先考えるより「セッ○ス!ヤ○たい!」が脳を支配するから、片っ端から連絡先知ってる、もしくは知らないメスにも送っちゃうんだよな。
で、ここがまた良くないんだが、たまーーーーーーーーーに成功するんだよ、これが。
まだ自分がそのコミュニティでやべーやつ認定される前とかだと、容姿なり性格なり、何がヒットしたか知らんが、たまーーーーーーーに美味しい展開になることもあるんだよ。
因みに俺は、職場の同僚と3○した。イけなかったが。
でだ。そうやってたまに舞い降りる成功体験のせいで、「このやり方だったらまた美味しい展開あるかもしれない!」って脳が爆裂勘違いするのよ。
そうなるとおしまい。
自分の性欲周期に合わせて変態DM送り続けるbotの出来上がり。
これな〜、コミュニティに入った当初、とかはまだ良いんだよね。
メス同士の繋がりも大してないから、「〇〇からこんなキモいメールきたんだけど!」とかメス同士で話したりもしないし、何よりそれをもし話したとして、話した相手のメスが裏切って陰口言ってたことばらされたらどうしよう....みたいに、自分のポジションのことも考えるとうかつに身動きできなかったりするんだよ。
ただ時間が経つと別。
メス同士に信頼関係ができると、当然同コミュニティ内のオスの話にもなる。カッコいいオスの話もあるが、盛り上がるのは断然キモい男オスの話。誰かが自分の名前を出した瞬間、コミュニティからの退場は確定したと思って良い。
因みに○pした奴らも一緒になって俺のことぶっ叩いてました。カスが。乳首真っ黒だったことと、剛毛爆マン臭だったことお前らのチームと飲んだ時全部話してやったからな。
やつら、別に本当に気持ち悪くて相談してるとかじゃないんだよ。自分たちが優位になって、誰かを吊し上げて追放する、みたいな錯覚的に強い身分を得てる事実が気持ち良いだけ。
ちょい違うかもだが、スタンフォード監獄実験ってマジなんだなと超思った。ぼくは囚人側だったけどね☆
で、一回誰かが暴露するともう止まらんのよ。あっちこっちに尾ヒレつきまくって伝染。会社中からあいつはやべーやつ認定されるわけ。
何が一番きつかったって、メスはまあ良いのよ。しゃーない。でも今まで仲良かったオスにもちょっと距離取られるんだよ。それがガチできつかった。
んでこっちも被害妄想するしね。「こいつらはあのこと知ってんのかな....知ってるよな....。」みたいに。
そうなるとそのコミュニティで信頼して話せる友達なんかだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーれもいなくなる。
きついぞ〜、仮にそのコミュニティ出て違うコミュニティに行ったとしても、「え、そことそこ知り合いだったの!?てことは俺がやったことも筒抜けなんかな....」みたいにマジで気が休まらないし、何も信頼して話せないからな。
筆者はお陰様で友達ガチゼロ、t○nderと○カレデートで偽名を使ってち○ぽし続ける日々です。
俺を追放したコミュニティのやつらが男女仲良くグランピングとかしてる様子がInstagramで流れてきます。俺はそこで水着姿になってる元同僚のメスを見てシコるだけです。それだけです。
非モテ諸兄、これから新しいコミュニティにもし入ることがあったら、どれだけち○ぽが暴れ狂おうとも変態DMbotにはなるな。
人を信じるな。隙を見せるな。やつらに攻撃をして良い大義名分を与えるな。
お前は看守側になれよ。
グッバイ!
実在する他人の身分・戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す警察用語らしい。
錦糸町にある山内牧場という居酒屋のあるビルの5階でその名前と保険証をもらった。
「免許証やマイナンバーカードは偽物しか作れないが、保険証とマイナンバー自体は本物を渡せますから」
事務所のソファーで母親から差し出された25万円を数えながら、ツーブロックの筋骨隆々のさわやかな男は私と母親に向かって言うと、
「このマイナンバーは免許証をもう取得済みだから、免許証が欲しいなら別の名義で作らないとだめです。なのでその際はまた相談してください」
そう言って保険証を金庫から取り出して私に差し出した。保険証の裏には付箋が1枚張られていてそこには12桁の番号が書かれていた。
保険証を見ると1990年生まれの生年月日と今まで名乗っていた名前と全く違う名前が書かれていた。
私が生まれたのは1991年の春のことだったらしい。ずっと母親と二人っきりで暮らしてきた。
母親は貯金があるからだとかそういう理由で働きに出ている姿を見たことがない。
友人もいなく、たまに趣味の山登りに一人で行く以外はずっと家にいる母に読み書きからなんやらは教えてもらった。
母は私に因数分解を教えながら
「これでも故郷では町一番の才女だと言われたのよ」
とよく言っていた。
母は頻繁に引っ越しをした。決まって7月だとか12月だとか学校に通っている子供たちが長期の休みになる時期に。
引っ越した街には夏休みや冬休みが終わるまで住むことができた。
私は新学期になったら君たちと同じ学校に通うのだと、学校に通っている子供たちに自己紹介して、
そして新学期が始まるころ引っ越して新しい街に向かった。毎回私はそのたびに大泣きした。
女子部と婦人部は女性部になったから、壮年部や女性部で幹部になったらそうなるかな。
自分は高等部で幹部になってから、学生部や男子部に移行した直後以外はずっと幹部。
降格はないけど、正役職と副役職の使い分けで組織の新陳代謝を図ってるよね。
不祥事とかやらかした場合は解任もあるのかも知れないけど、副役職にして事実上の降格に留める方が少なくないかも。
新聞配達もそう。
こないだ読売新聞と交代するまでは、壮年部に上がって4年半くらい新聞配達してた。代配で週2だったけど。
正の配達員の女性部は仕事をしてる方だったので、自分が週2で地区部長も週1やってたかな。
他の地区では地区部長が正の配達員で、支部長が週1代配してるところもあった。
週2でも1年やったら1万円は超えるので、財務の原資にできるという点では良かった。
つか学会の場合田舎なら特にガチで結婚したかったらいくらでも結婚できるよ。学会員ネットワークでいくらでもそれなりな人は探してくる
自分も若い頃むっちゃお見合いした。非正規でも、本気で探せば学会ネットワークでどっかの正社員させてもらえたりするよ。互助システムははんぱないです。あと家とかなんかで崩壊しても、互助ネットワークでどこかの家借りれたりね
自分も自営でバイトもしてるって身分だけど、見合いを繰り返して10人目くらいで結婚できたよ。子どももいる。
本気で結婚したければ、祈って動けば叶うのは間違いない。
あれだけ会館建てて維持するとなるとそれなりに金がかかるわな。
うちの地域では会館を建て直したから、「今年の財務はできるだけ頑張りましょう!」って話くらいはあった。
自分は新聞配達で貯めたいつもの分と、その年は自営が好調だったので気持ち上乗せくらいはした。
職員もそれなりに飼ってるし。県の中心会館なら、平日日中は警備会社も頼んでる。
会館の数は増えてはいるけど、うちの地域ではまだまだ足りないって感じ。
大雑把にいえば3か月。
学会二世で特に活動してないけど中にいる身分からいうとほんとそれ
企業と違って、真面目に活動して幹部になると、死ぬまで幹部なんだよね降格ないから
で、上の方のじいさんばあさんたちが死ぬまで引退しない。まあ当たり前だよね宗教だもん。定年ないし
そうなると上の方の昭和脳で凝り固まったまま組織が続くので、若者は嫌がる
これ、男子は一定の年齢になると「男子部」から「壮年部」にあがるんだが、女性はずっと独身は「女子部」結婚すると「婦人部」だった
理由は、女性は結婚すると生活サイクルが変わるから、だそうだ。
そりゃ専業主婦当たり前だった昭和はそれでいいけどさ、共稼ぎが当たり前になってきて、結婚したからって昼の会合に出られるわけないんだよ
独身高齢女性も増えてきて、この人達は「結婚してない」という一点で自分の娘と同年代の人達と同じ「女子部の会合」に行く羽目になる
なのである程度年取ったら「婦人部にはいりませんか」ということもあり、これで素直に移動する人もいれば、結婚したいけどできなかった人からするとカチンとくるよね
婦人部に入ったところで、平成女子に居場所はない。専業主婦のおばあさまがたと会話があうわけもない
そんなこんなで、二世とかの女性達は年を取るとどんどん脱落し、残ってるのは昭和のおばさまおばあさまだけになる
男性も昔は肉体労働たくさんで、会館の警備だ何だと働かされていたが、昭和と違って今の奴らは時間がない
新聞配達もそう。
安いバイト代で朝から新聞を配るのは、今の若者にそんな余裕があるわけなかろう。全国の新聞配達してるのはおばちゃんばっかだ
そりゃ専業のおばちゃんならできるよな
なお田舎は高齢化が進みすぎ、配る人がいないので新聞啓蒙は実質できてない
だからプライド捨てて朝日とか読売配ってる人に配って貰えばいいんだが、やれ功徳がどうたらとかいってやりゃーしねえ
そんなこんなで「もはや昭和ではない」のに昭和スタイルを貫き続けて若者がいなくなって老人ホームとなっている
最近やべえと思ったのか、HPに若者向け動画配信したりとか、女子部と婦人部をしれっと女性部にしたりとか、まあまあ若者向けにあれこれやってるけど
時既にお寿司
やるなら十年か、二十年前にやるべきだったね
今の上層部の老害昭和おじさんあばさんを総入れ替えしないと復活は無理だと思うよ
起きたらぶくまされててワロタ
誤解もあるので見かけた質問答えていい?
あと、面白いとか興味深いっていってくれたひとありがとな! 学会員って増田で言うとだいたいカルト死ねクソ、とか言われちゃうからな~
●朝日新聞の販売店で新聞配ってたんだけど聖教新聞も普通に扱ってた
うん、そう。やってるところもあるんだよね。でもごにょごにょ言ってできないところもある。だってほら、読売さんとかにお任せすると聖教新聞の販売店(学会員)が死ぬじゃん…?
● うるせえ幹部が死んだり耄碌したりした
そうそう、流石に昭和初期の大拡大組もお墓の下に入ったって言うのはあるね。上の方の感じ変わってきたなーと思うよ。LGBTとかにも理解しめしてきたの柔軟なまあまあ若手が増えてきたんだろ多分
●大作先生の後釜はどうするか決まってるんだろうか
しらんけど誰かやるやろ。創価のいいとこの一つが世襲じゃないことだと思うから息子はやらんのじゃないかね。大作せんせは今はほとんど表に出てないよ。あんまりずっと出過ぎてるのもどうよ、ってんで本人も
●私も二世で全くやってないやつ。しかし地元の親は高齢になってきてるもんで、しっかりしたコミュニティがあるのはめちゃくちゃ安心でありがたいのよね。基本的に善良な方が多いし
そーなんだよ、仲間だ嬉しい。両親衰えてきてるけど、学会の人達があれこれ世話してくれるのほんと安心です。学会で普通に活動してるとぼっちにはならないんだよね。基本真面目な人が入ったりするから善良なのが多いのはわかる
● 学会の人は割と中低所得の人が多いのに自民とくっついて何かいい事あったのか
政策が通るようになった。これにつきる。自民とくっついた理由は「野党と頑張ってたけどやっぱ与党の中から動かないとやりたいことが政策通らないよ!」ってことだったので
● これだけ読むと衰退してるように見えるが、公明党がどんどん増長してる
いや、残ってる人達が頑張ってるだけだよ。20年もしたら変わると思うよ。若者の学会員は熱心層少ないから。とくに若い時期コロナで集会もできてないし
これやるなって言われてんだよね。選挙前だけって思われるのはいけない、普段から仲良くしようね、って。なんで選挙前だけ電話かけてくるのは組織としては推奨してないのでそういうことするやつがダメなだけです
●非正規雇用率増加と可処分所得の減少、婚姻率の低下による自滅
つか学会の場合田舎なら特にガチで結婚したかったらいくらでも結婚できるよ。学会員ネットワークでいくらでもそれなりな人は探してくる
自分も若い頃むっちゃお見合いした。非正規でも、本気で探せば学会ネットワークでどっかの正社員させてもらえたりするよ。互助システムははんぱないです。あと家とかなんかで崩壊しても、互助ネットワークでどこかの家借りれたりね
●金がかかるイメージ
これ、金かけてるの勝手にスパチャしてるやつみたいなもんだから。学会は母子家庭、貧困層などは財務(寄付)するなっていってるし許可されない。財務もやる?やるなら振込用紙渡すねってかんじ
そんなことないうちの親はすごかったとか上からあれこれいわれた、っていうならそれは暴走してる頭アホな幹部がやってるだけなので、学会本部にでもメールして文句言ってみて。組織としては無理に金を取ることは絶許です
ぶっちゃけ、「金がある宗教団体だから、金はそんなにゴリ押しして回収せんでも勝手に入ってくる」
つかこれも許してないからね。やってるところがあるっていうならそれは大問題だから本部に文句言って
真面目が高じてこういう頭ぽかーんが時々現れるんだよ。
学会という組織はでかくなりすぎて細部にまで手が届かず暴走とかも繰り返し手に負えなくなった感がでかいね~
滅びて、っていってる声もあるけどマジでこのままだと滅びるし、だからって自分も熱心じゃないから、滅びてもなんとも思わないですね
それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。
今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。
ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。
最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。
虫取り網を叩き折られたり、廊下を歩いていると後ろから蹴られたり、みんなで遊んでいる時も置いてけぼりにされたり、自分の家で遊んでいる時は貯金箱からお金を盗まれたりした。
イジメから助けてくれる先生はいたが、見て見ぬ振りをする先生も多かった。中学に上がってからは、暴力がますます激しくなって、週に1,2回くらいしか学校に行かなくなった。保健室通いというやつだ。
学校だけじゃない。家族もそうだった。自営業(工場主兼農場主)をしている父はただ黙々と働いているだけだったが、母(介護福祉士)がとにかく理不尽だった。小四くらいで整体マッサージを覚えさせられ、母が夜ドラマを観ている最中、足や背中をひたすら揉まされた。
数学のテストで20点を取ったり、ワイシャツを洗濯に出さなくて洗濯機で汚れが落ちなかったりすると、決まって布団叩きで頭をぶん殴る。その後は決まって反省文の提出と朗読がセットで付いてくる。
一番ムカついたのは妹(現在イラストレーター。女性誌の挿絵とかリクルートの雑誌の4コマ作ってる)だ。3つ下だったが、自分が中学一年生の秋に不登校になり始めてからは、ひたすらバカにしてきた。
母と一緒になって、「役立たず」「頭が悪い」「人間性に問題がある」「兄ちゃんのせいで学校で嫌な思いをする」「早く家から出て行って」など言いたい放題だった。
中学を卒業して偏差値52の公立高校に通った。イジメに遭いそうにない環境や生き方を必死で探したおかげか、陰キャラとして3年間を過ごすことで平穏無事に高卒の肩書を得た。
人間としては全然ダメだった。今でもそうだ。青春期に、部活とかボランティアとか、人と関わる活動をしてこなかったせいか社会性に問題がある。クリエイターを目指す専門学校に入っても変わらなかった。マックでアルバイトを始めたけど、根本的なところはいっしょだった。
自信がなかったのだと思う。自分自身の生き方に対する信仰、というか。それが社会性のなさに繋がって、いつまで経っても結果が出せなくて、それで自信を失っての悪循環だった。
普通の20代前半くらいの人間だったら、「お前はすごい」と言われたことがあるはずだ。自分にはそれがない。もどかしい気分になったけど、当時は鬱蒼鬱屈(教えてくれた人サンキューです笑)とした気分で街を歩くしか手段がなかった。
ちょっと前に、マクドナルドに面接に出かけて、遅刻して店長に怒られて逆切れをした人のはてなブログがバズったことがあったはずだ。まさにそんな気分だった。あれは自分だった。もう一人の自分。今思えば愛おしい。
専門学校に入学してすぐだったか。あるまとめサイトを見たのは。
絵師の上達みたいなタイトルの2ちゃんねるのスレッドだった。いろんな神絵師の上達していく過程が何枚かの絵を抜き出すことで説明されていた。ところで、自分はシナリオ学科だった。イラストとは縁がない。けど感動したのは覚えている。
ある神絵師の最初のイラストは、東方のチルノだった。最初は小学生が描いたみたいなシンプルな鉛筆書きみたいなノリだったのだが、年を経る毎にどんどんうまくなっていって、最後のイラスト、神輿と一緒に映っているチルノはまさに圧巻だった。
この時になって思い出した。小学生の頃は、授業中のノートに絵を描くのが好きだった。当然、大したことはない。まさに子どもの落書きだ。中学生になる頃には一切書かなくなっていた。
自分もイラストをやってみたいと思った。確かな感情だった。自分が好きなアニメのイラストを描いてみたい。あの時、確かにそう感じた。
まずは自由に描いてみた。
一番最初に描いたのは実家で飼っていた猫だった。灰色のやつで、自分と妹が小学生の時に拾ってきた。自分達が近付くと、「ヌアァン」と鳴いて田んぼの稲穂の中に入って行った。
出てくるまでに20分はかかったろうか。「いつまでも一緒に待つんだぞ」と妹に提案して、出てきた猫を妹が抱えて家に持って帰ったんだっけ。父には反対されたけど、母を味方に付けることに成功した。
そんなこんなで初めて描いた猫は、猫ではなかった。よくわからない物体だった。耳がへなっと折れていて、ほわほわとした毛並みを表したはずの鉛筆でのなぞり書きは、角が折れたトーストの上に浮かんだような暗黒物質を生み出していた。小倉トーストだった。
二番目に描いたのは、好きなアニメのキャラだった。アイカツ!の星宮いちごを描いてみた。二次元だったら何とかなるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。一応人間にはなっていたが、こっちの方がまだ猫に似ていた。
三番目は、風景に挑戦した。上で田んぼと書いたが、当時は関東圏でもそれなりの田舎に住んでいた。実家の近くに小高い山があるのだが、そこに昇って、自分が住んでいる町を見下ろしてスケッチをしてみた――結果は燦々ではなく、散々とした出来だった。透き通った空気の中に浮かぶ田畑が並んだ一帯を描くはずが、自室の襖に飛び散ったとある黄ばんだ一角のような、痴態のようなものしか描くことができなかった。
独学で学んでいるからダメなんだと思い、ネットで上達方法を学んでみた。といってもツイッター検索だが。「とにかく量をこなせ」というメッセージが心を掴んだ。
次は書店で本を買い、何周も読み返して基礎的な人体の描き方を頭に叩き込んだ。新しい何かが開けた気がした。
そんなこんなで、何を描いたのか判然としないようなモノを1週間につき1枚のペースで仕上げていった。努力しただけあって「ヘタクソ」の領域に到達することができた。
これでいい。あとはpixivに投稿しさえすれば、絵描きへの第一歩を踏み出せる。ここまでに約二ヶ月かかっている。今までのpixivの使い方はといえば、好きな漫画やアニメのイラストを見たり、さあ寝るかと思った時に、より深く就寝に至るための聖なる行為(SeaCallと呼んでいた)をするためだった。
それが今、人生で初めて本気で描いたアイカツ!のキャラ絵を投稿しようとしている。色々と入力していって、最後に「投稿する」ボタンを押すと、ブラウザ画面がぐるぐると回って投稿が終わった。
最初のブクマ数は、3時間で「5」だった。閲覧数は70くらい。コメントも付いた。テンプレだったけど。
嬉しかった。自分のイラストを気に入ってくれる人がいたのが嬉しかった。この時が絵描きとして人生で一番最高の瞬間だった。この時以上に嬉しかったことはない。
ところで、検索で一番上に出てくる上位勢とは月とすっぽんだった。それくらい画力に差があった。子どもの頃に観ていた夜ドラマで喩えると、彼らがお空に浮かぶお月様だとしたら、自分は味噌汁の出汁に使われる煮干し様だった。彼ら彼女らを引き立てるための数多のヘタクソの1人。それが当時の自分だった。
今の自分は、漫画的な儲けであれば、彼ら上位勢のほとんど全員に勝っているだろう。もしかすると、pixiv出身の若手作家という括りでは自分が歴代一位かもしれない。いや、多分そうだ。
しかしbut。あいつらの画力には到底及ばない。あれは常人が至れる領域じゃない。努力できる天才だけがあそこまでいける。
当時は、気が狂ったようにイラストを描いた。専門学校の授業が終わると、真っ先に家に帰ってイラストを描いた。アルバイトは当初週4でシフトに入っていたけど、週2に減らした。
ここでいったん筆を止めて、pixivのマイアカウントを眺めてみる。過去に描いた作品を時系列に巡ってみたのだ。すると、端的なある特徴が出てきた。割とすぐに一般絵からエロ絵主体に移行しているのだ。もっと遅いと思っていた。
今の自分は、一応プロだ。エロ絵で生きている。絵の初心者だった当時は、そんな未来は全く想定していなかった。自分が描いていて楽しいものを作っていただけだ。自分はおそらく、エロに興味がある人間だったのだろう。
とにかく、たくさん投稿していた。週に2~3つ上げていたこともある。今だと月に1枚が限度だ。暇な時間がなくなってしまって、好きなキャラ絵を描く時間も体力も気力もない。専門学校を卒業する頃には、200本以上のイラストや漫画をアップしていた。子ども向け~若者向けのアニメが多い。アイカツ!とか、プリパラとか、ポケモンとか、ラノベ作品とかそんな感じだ。
すっかり絵描きになっていた。マックのアルバイトで貯めたお金でペンタブを買ったりした。今でも使っているお気に入りのやつだ。
絵を好きになれたのはよかったが、専門学校を卒業しても就職しなかった。シナリオの勉強は存分にさせてもらったけど、別に脚本家になりたいわけでもなし、ゲーム制作の実績があるわけでもなし、就職活動やコネ作りなど当然しているはずもなく。文章を書くのは好きだったが、小説書きには興味がない。そんなことより絵が描きたかった。
いや、違う。専門学校に居た時、違う学科同士でグループを作ってゲーム制作をしたことがある。途中で抜けることになったが。コテコテのRPGだった。
ツクールで制作を進めていて、魔法の名前を考えている時、自分が水属性の魔法として「シーコール」を提案したのだ。それで、3人居た仲間の1人が噴き出した。また別の子が、「海をイメージしてるんだね。きれいな名前だね」と言ってくれた。それで、「発展形はどういう名前になるの?」と聞いてきた。
「ゼンイン・シーコールというのはどう?」と自分がいうと、さっき噴き出した奴が机に突っ伏していた。「それは、どういう描写をイメージしてるん?」とさっきの女の子が聞いてきた。
「みんなで力を放出して集めたやつを、その聖なるやつをさ、敵に流し込んでやるんだ。思い浮かべてみて」と言ったところで、また別の人が「お前はふざけているのか。帰ってくれ!!」と憤った。
以後は、それなりのペースで開発は進んだ。順調だったように思う。上の女の子が、みんなをうまくリードしてくれた。自分にキレた人も、開発の途中からは冗談を言うようになっていた。
「増田君、いいシナリオが思い浮かばない? じゃあ、この主人公がトツゼン・シーコールをするのはどう?」
と冗談を言ってくれるようになった。
懐かしい記憶だ。ちなみに、シーコールをきれいな名前だと言ってくれた子は、卒業後にガンホーに入社した。当専門学校では一番の出世株だ。同窓会ではスマホゲームを開発してると言っていた。参考までに、マジメに考えた技や魔法も一応提出した。
・無窮動(ペルペトゥーム・モビーレと読む。それ以外は亡失)
・規律ある発狂状態(ディシプリナ・インサイアと読む。それ以外は亡失)
・夜明けの羽ばたき(〃。たぶんミネルヴァの梟から取ったのだろう)
こうして自分は、絵を描いていたいがあまり、フリーターとしての道を選んだ。父や母からは馬鹿にされ、軽んじられた。当然、妹からも。
当時の妹は、実家の台所で自分の存在を認める度に、ごみを眺めるような感じで素通りした。なんというか、存在を認識していないのだ。あいつも高校を出てすぐに入った会社で嫌なことがあって、1年ちょっとで辞めてしまって辛かったのかもしれないが、とにかく目線が冷たかった。
自分もフリーターの身分なので、家族内で大したことは言えなかった。母にはよく「役立たず」「プーの分際で」「一生トイレ掃除でもしてなさい」など冷たい言葉を吐かれた。
フリーターだった頃の自分は、何を思っていたのだろう。「見返してやる。世の中で絶対成功してやる」などと思っていたのだろうか……いや、そんなことは思っていない。自分がやりたいように、やりたいことをして生きていきたい。そう思っていた。それだけだった。
マックで週2~3回のアルバイトをして、家に帰ったら小学校に上がる時に買ってもらった児童机に座り、ペンタブを握って作業に没頭した。傍らの床には、スケッチ帳を破って放り投げた下書きが何十枚も落っこちている。そんな毎日だった。
できた、できた、できた!! 作品を完成させた時のあの感覚、自分がまるで神にでもなったかのような、いま過去最高を更新し続けている、今この瞬間の自分は過去のどの自分よりも優れている――という、あの頃の高揚感にはもう戻れない。あの日々、俺は俺で満たされていた。我を忘れるほど。自分が決めて進んでいた道のなかで。
成長しすぎてしまった。10ヵ月以上かけて長編作品を完成させたとしても、喜びはあまりない。それよりも、ホッとした、安心したという感情の方が強くて。ある時期を境に、自分は作者として堕ちているのか、このままで大丈夫なのかという疑問が湧いてきた。一方で、FANZAやDLsiteで多くの人達が楽しんでくれているのを観ると、やはり絵描きをしていてよかったと感じる。
DLsiteに長編作品を投稿しようと思ったのは、ある夏の日のことだ。アルバイトが終わり、家に帰って夕食を食べていた。すると、台所の四角い卓の斜めに座っていた妹が、「ん」と親指を床に向かって指した。そこには、おそらく何日か前のご飯の残りカスみたいなものが落ちていた。妹は、ウザそうな顔で「拾え」というジェスチャーを繰り返した。
しぶしぶ右手を屈めて拾ったのだけど、それから何時間か経って、自分が相当馬鹿にされていることに気が付いた。あれはそもそも、自分が落とした残りカスだったのだろうか? 違うんじゃないのか。とにかく馬鹿にされていたのは間違いない。怒りが込み上げてきた。許せないという気持ちが何日も続いた。
ある日、ようやく思い立った。自分の思いに決着をつける方法を。解決になるかはわからなかったが、とにかくやってみようと思った。
R18作品を扱っている販売サイトを見て廻った。それで、処女作はDLsiteに捧げようと思った。これまで同人作品や同人ゲームを購入したことがあるというシンプルな理由だ。「此処で作品を売ろう」と思ったら判断は早かった。すぐにpixivのマイページを開いて、これまでに投稿した約250作品をひとつひとつクリックしていった。読者の反応を観るためだ。
長編作品と向き合うにあたっては、自分の強みでとにかく突き抜けようと思った。専門学生の頃に、ヒルティという人の『眠られぬ夜のために』を読んだことがある。あまりに感動してしまって、つい何篇かの言葉をメモ帳に書きつけていた。
突き抜けよ。この短い言葉は、内的生活の多くの危機に、ほとんど魔術的な効果をもつものである。
195ページ
あなたの義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。
211ページ
まことの人生の楽しみを得ようと思うならば、なによりもまず、その楽しみがいったい何にあるかをはっきりさせ、それを妨げるすべてのものを、断然さけなければならない。
237ページ
今でも好きな本のひとつだ。
とにかく、突き抜けてみようと思った。頭に閃いた何かを形にするために、これまで作品をお気に入り登録してくれた人達の意見を集め、この試練に立ち向かうのだ!
スケッチ帳への下書き(追記 専門用語でいうネーム)から始めて、セリフを付けて、大まかに色を塗って(追記 色鉛筆でザザッと塗るだけ。難しい場合は✓で表す。自分の場合は一度紙で表現しないとデジタル作業に移ることが難しい)、効果音のイメージを書いて……いや、大事なことを忘れていた。基礎設定はできていたのだが、キャラクター同士の人間関係をまるで作っていなかった。これでは駄目だ。というわけで、もう一度スケッチ帳への下書きからやり直した。「うん、これでいい。やっぱりやり直してよかった」と、当時の日記に書いてあった。
今でもそう思う。キャラクター間の繋がりが何よりも大事だ。特にR18コンテンツにおいては。「男性はカタログとシチュエーションに萌え、女性は物語と関係性に萌える」のだから。
粉骨砕身の末、三ヶ月以上かけて初めての長編作品ができた。50ページ近くはある。誰に対しても胸を張ることができる妹凌辱ものだった。
精一杯、想いを込めて突き抜けた作品だった。2022年6月現在のインターネット掲示板での自分は、近親相姦ジャンルの大家として知られている。恋人たちの予感がするほど、そんなラブラブな作品は作らない。ガチ凌辱とかではなくて、『ライト強姦』とか『ソフト凌辱』とか言われるコンテンツになる。
以下に続きます。
https://yururito-sengoku.com/sengoku9/bushinikushokuji.html
『腹は減っては戦はできぬ』という言葉があるほど、戦国時代の武士にとって食事は大切なもの!
食事をとらなければ力がでない!
力がでないという事は動けない!
動けないという事は戦に勝てない!
そう、食事は戦に勝つ為のパワー!
食事を怠れば死、あるのみ!
それなのに、なぜか戦国時代の武士達は肉を食べるという事をあまりしていなかった?!
なぜなのか??
戦国時代、肉を食べるという事はどういう事だったのでしょう??
そもそもの話…、
戦国時代より昔から、日本人は仏教の影響で肉食文化にあまり馴染みがなかったようです。
とはいってもまったく肉食文化があったわけではなく、これにいたっては身分の高い人がその傾向にあったようです。
歴代の天皇は『肉食禁止令』なるものを出していたそうで、公家などの貴族なんかはこのお触れを守り肉を食べる事をしなかったそうです。
『肉食禁止令』なんかがあるくらいだから、肉食は普通に行われていたと考えられるわけですが、
ってな感じで魚が副食の定番となっていったそうです。
ちなみに鯉や鯛なんかが高級食材だったらしい。
そんな武士達の食事の常識を変えたのが、キリスト教文化を日本に広めに来た宣教師だといいます。
日本人ってなんで肉食べないの?
肉、美味しいんだよ?
首回りのピラピラした衣装やマント、動物の毛皮なんかの南蛮アイテムは流行に敏感な武士達に多大なる影響を及ぼしました。
食うしかねぇだろ。肉!
戦国時代になると南蛮文化の影響を受け、肉はなんか食べちゃダメという感覚が薄れていったといいます。
動物であれば猪、豚、ウサギ、狸なんかが食べられていたそうで、鳥であれば雉や鶴、小鳥なんかが食べられていたそうです。
基本的に、食べられるものは何でも食べちゃうというスタンスであったそうな。
しかし、意外にも現代では超メジャーな牛肉は食べなかったそうです。
牛は農耕に使う生き物。
食べるもんじゃない。
という常識があったんですって。
ちなみに馬も食べなかったそうです。
牛同様に、
という感じだったそうな。
ちなみに猫や犬、猿なんかのペット系は現代と同じで「食べるもんじゃない!」という感覚がちゃんとあったんだって。良かった…。
豊臣秀吉、虎の肉食べてたらしいよ。
豊臣秀吉は虎の肉を好んで食べていたそうです。
戦国時代で虎といえば『加藤清正の虎退治』が有名ですが、朝鮮出兵では秀吉のご機嫌を取る為、他の武将達もこぞって虎を討ち取ったと言われております。
武将達は討ち取った虎の肉を塩漬けにして日本にいる秀吉の元へ送ったそうですが、あまりの量に秀吉は
もういらない…。
とウンザリしていたそうな。
ちなみに虎の肉は滋養強壮に良いとされていたそうです。
その味やいかに・・・。
雉や鶴、小鳥なんかは食べられていたと言われていますが、実はこれまた意外にも鶏肉を食べていた記録はないらしいです。
鶏は昔から日本に存在する鳥、手軽かつ美味しいのになぜ昔の人は鶏肉を食べなかったのか…??
白く美しい体に映える真っ赤なトサカは『日の出』を連想させ、日本の『旭日信仰』に通じるものがあるからというのと、
毎朝正確な時間に鳴いて日の出を告げるのが、当時の人々には凄く不思議で神秘的に感じていたそうです。
鶏様は神の使いに違いねぇ!
鶏様を食べたら天罰がくだる!
という事ですね。
こんな感じなので、鶏の卵を食べていた記録なんかも見当たらないそうです。
肉が普及しだしたとはいえ、戦国時代の武士の普段の食事はと比べると極めて質素でありました。
しかし、それには…
長期戦になればなるほど兵糧の確保も大変なわけだし…
数日間食事がとれない状況になったとしても大丈夫なように、1日2食で体を慣らしておくのだよ。
このような理由があったと言われているようです。
とは言ってもその1日2食の食事量は凄まじく、1回の食事で2合半のお米を食べていたそうな…。
ちなみに米は米でもそこらの武士は玄米を食べていたんですよぉ。
ちなみにおかずは、魚や大根や芋の煮物、菜物入りの味噌汁なんかがあったそう。
玄米と漬物だけという質素なメニューの時も多かったらしいので、その時の経済状況や食料事情、それぞれの地域で結構格差がありそうですね。
世界各国から様々な食料を輸入してる現代とは事情が違うもんね。
日本国内だけじゃなかなか賄えないし、食糧難とかもあるよねぇ~。
ちなみに、いざ戦が始まると白米のほうが玄米より早く炊けて消化も良いとの理由で足軽たちも白米を食べていたんだとか。
白米に味噌やネギや野菜を混ぜ、雑炊にして食べる事が多かったよ~!
兵糧がん
そば粉に酒やはちみつ、すり胡麻を混ぜて蒸し、それにきな粉をまぶしたもの。
みそ玉
煮干し
干し飯
妊婦は自分の権利について考える必要がないって言うのは差別的では?どういうこと?妊婦も国民ですよね?
そもそも自分の権利について議論できるっていうのが特別な事であって、それから排除されて来た身分の人たちが
みなさんこんばんは今日も元気に不元気な24歳限界労働者女子です!!!
土日は毎週泥のように眠って起きたらあれ19時?あと5時間で一日終わる?みたいな自堕落の範疇を超えた限界生活を送っているわたしですが先週末は待ちに待った某ミュージカルの大千秋楽で。
参加してきました。ライブビューイングで。
や、ね、もちろん現地参戦であれば彼らと同じ空気を汗を涙を共有し、そこにいたという単純明快な事実が何に例えようもない素晴らしい遺産になる。そんなことは確実にわかってるんですよ。
でも、でもね。
JR札幌駅から東へ向かう特急列車に揺られること4時間半、最果ての地に降り立って3年。野を耕し羊を飼い漁船に乗りパソコンを叩き鹿を撃ち殺す日々を過ごしている社畜系北の大地女子にとってイベント現地参加は夢のまた夢。地獄のチケット争奪戦に完全勝利Sをぶちかましたとて脱北こそが最難関。
この神のひと言でどれだけのファンが救われたことか。脱北せずともお近くの映画館に行くだけでいいだなんて。推しの活躍を大画面高音質で見届けることが出来るなんて、前世で徳積みすぎたんちゃうかくらいの幸福度に包まれながら、いざ映画館へレツゴー!
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
上映開始から終了まで、ずっと泣いていました。
某日本刀ゲームを原作にした某ミュージカルの公演で、お芝居ほぼなしひたすらキャストさんたちが歌って踊る読んで字の如く乱舞祭だったわけですが。わかりやすく言うとジャニーズのコンサートを2.5次元のキャラクターがやってるみたいなそういう感じです。
初めてのライビュで、ペンライトとかうちわとかそういう装備も何もなくめちゃ手ぶらで参戦してみたのですが、とめどなく流れてくる涙をハンカチで拭くのと応援のための拍手をするのでグッズなど何もなくとも両手がとても忙しかったです。
セトリの良さとか、活躍ぶりとか、彼らの健康な身体や未来にあふれた眼差しを見ていると、もう、なんていうんですかね親心?いや親にやったことない身分で何を言っても説得力など御座いませんがつまりその!
この瞬間を冷凍保存したい。
強靭なゴムでもってゆっくり丁寧に時間を引き伸ばしたい。そしてもう二度と忘れることのない日々としてわたしのもとに存在していてはくれまいかと。
目に映る全ての煌めきが奇跡のようで、しかしその奇跡の裏側にはたった1人の人間の地味で冴えない仕事がごまんとあってそれらが集まることによって、圧倒的なパワーへと変換されてゆくその、まさしく奇跡。某ミュージカル大千穐楽は本当に、奇跡の様な3時間でした。
それでね、カーテンコールでキャストさんによる挨拶があるわけですよ。日替わりで。
大千穐楽の挨拶は2名。カンパニーを率いてくれた座長、そしてカンパニーの創世期から演者として前に出てくれていたキャストさん。
座長の挨拶は「つらくなったら、前を向かなくてもいい。そのときは横を向いてほしい。俺たちがいつでもそばにいることを思い出してほしい」
もう1人のキャストさんは「僕たちの見えないところ、僕たちの知らないところでみなさんが頑張ってるの、よーーーーーく知ってます。初めは僕たちがみなさんを癒さなきゃなって思ってたけど、気がついたら僕たちが元気をもらってました。頑張れないときは頑張らなくていいんです。ただ、一緒に、精一杯生きていきましょう」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
今回のライビュでは、大体のお声がけには両手が痛くなるほど打ち鳴らして拍手で精一杯応えてきたのですが。
最後の
「生きていきましょう」
この部分。
ごめんなさいわたし、約束を果たせる自信がなくて、素直にうんって頷けなくて、それでもう座席にうずくまって泣くことしかできなくなってしまいました。
彼らはこんなにも、そう2.5次元の演じているキャラクターとしても、あるいは生身の、俳優というご職業に就かれているひとりの人間として、こんなにも観客に対して「生きていてほしい」という祈りを込めて、歌い、踊り、舞い、笑顔を見せ、パフォーマンスをし、そして最後に語りかけてくれたわけです。
「生きていてください、生きていきましょうよ」と。
ただそれはわたしが唯一果たせない願い事でもあって、こんな自堕落で自罰的で見通しもない、生きるしかないゆえ生きてきたけれども生きてゆきたいと思ったことがない、なんて、そんなこと。
某ミュージカルはただの2.5次元ミュージカルではなかった。それはきっと映画館で見ようと現地で見ようと家の10分おきに通信が切れるゴミなWi-Fiで観ようとも同じことで。某ミュージカルは、確実に人の命を救わんとする、そういう作品だったのです。
感動の涙ではなく、不甲斐なさの涙。
こんなわたしに語りかけてくれる作品がこの世にあるということへの申し訳なさの涙。
いつか、いつか前向きな気持ちでこの素晴らしい作品を鑑賞できたら、わたしの目に映る世界は少しでも良いものに変化しているでしょうか。生きていきたいと思ってもいいと、自分を赦せるのでしょうか。
追記3
高収入だけどビジネスマナーがつきにくい点などはナイトワークとも通じるところがありそう。性愛関係はどんな感じなんだろう。そして「危険作業は外国人クルーがやる」というのがサラッと書かれてるのが気になった。
ここが気になる人がいるのは少しだけ意外だったかも。
外国人っていうのが多分ひっかかるんだろうなと思ってる。間違ってたらごめんなさい。
実は船員っていうのは基本的に職員(オフィサー)と部員(クルー)にわけられるの。で、職員は日本なら海技士免状みたいな免許を持ってる。
職員は現場作業だけでなくて、事務作業や当直作業を行うことができる身分ね。
だから、日本人クルーがいれば、日本人クルーに危険仕事をまかせて職員は安全管理とかするんだ。
危険仕事に関しては溶接みたいな火気作業、酸欠防止策をとらないといけない閉鎖空間作業、フルハーネス着用とかする高所作業がある。
もちろん人によっては職員が全部ひとりでやったりもするけど、クルーにまかせて職員は安全管理するのが普通だと思ってる。
ちなみに俺は怪我されるのが一番面倒だから、高所作業に関しては自分でやってる。溶接苦手だし、閉鎖空間は外に看視員おかないといけないからクルー任せ。
感覚的には職人の仕事もちょっとはできる現場監督とかが近いのかもしれない。
2月末にオデッサ寄港で黒海艦隊に撃沈されるところだった、みたいなリスクもあるからな...
こういったリスクは言いたくないけど確実にある。
去年もホルムズ海峡だかで日本のどっかの船に爆弾しかけられて、穴空いてたし、それ以外にも商船三井の自動車船は燃えてた。
あくまでも自分の感覚だから一切参考にしないでほしいけど、そういった事故に巻き込まれる確率が陸にいて交通事故とか天災にあう可能性を考えたら
そんな変わんないだろうと思ってる。
その仕事、リモートワークある?
ないです。でも、満員電車乗らなくていいよ。。。どう?
魅力的な仕事だ……と思う一方、商船大の機関士コース卒でも半分しか外航機関船員にならないのが気になる。書いてあるデメリットが想像以上に重いんだろうか
機関士コースの方が就職がいい(らしい)ってのが実はある。コース分けした後の乗船実習に参加した分、船の理解あるってことなのかな。わからない。
他に学生のうちに船員になりたくないって心変わりする人は、練習船実習の共同生活に耐えられなかったり、海技士の筆記試験で2級1級とるのに心折れたりと様々。
あと大学と機関科又は航海科で変わるんだけど、単位がとれなくてあきらめたりするやつもいる。
俺が挙げたデメリットを明確にイメージして辞めたというよりかはもっと別の理由が多いかな。
そもそもそういう仕事をあまり知らない上に、マンガとかでは「マグロ漁船に乗せる」みたいにネガティブに表現されがちで、船の仕事にいい印象を持ちづらいかもしれない
今、マグロ漁船も大学生で就職する人がじわじわ増えてるらしいから、少しずつ変わってると思いたい。
といった手前申し訳ないけど、俺はマグロ漁船乗ってやっていける気はいない。。。
船小さいから揺れるだろうし、個室じゃないだろうからほとんどプライベートなさそうだし、いい意味でも悪い意味でも日本人ばっかりだし。。。
俺らみたいな商船乗りとは違って、漁船乗りややっぱりザ・船乗りって感じがする。
ネット依存症が多そうなはてブでネット環境貧弱なのは論外では
正直俺も、電波があるときはYoutubeとかはてぶ見漁ってるし、そんな変わらんかも。
石油運ぶ商船会社の陸オペ勤務してた女性を知ってる。語学が堪能で事務仕事をしてたけど研修で泳がされてたなあ…。かなり職場環境はいいといってた。体育会系の現場にキツイ上司がいるのは仕方ないよね。
船員は確かに体育会系の方だけど、中でもオイル系は完全に体育会系だよ。
上陸できない、暑い、航路危険だからストレスも溜まるのかもしれない。
俺もオイル系の商船会社行けって言われたら全力で断ると思うくらいには、いいイメージは持ってない。
その分、給料は機関士でも危険手当とか荷役中の時間外手当とかいっぱいつくから初任給でも60とか平気で超えるんじゃないかな。
イーロンマスクと交渉してどこでもネット使えるようにしよう
今は大手を中心に陸からのオペレートに力を入れているところばかりで、将来的には自動運行船とか、陸からの機関監視システムを
推し進めていこうっていう声も多いから、ネット環境に関してはどんどんよくなっていくと思うよ。
5年前とかそんくらいは中小はどこも、ほとんどWi-fiなかったし。
DVD何枚位持っていくんだろう。ほぼネット無しの8ヶ月分の暇つぶしを用意するのかなり大変そう。昔は本を何十冊と持って行ったのかな。
ほとんどNetflixとかYoutubeのオフライン視聴機能使って満喫してる。あとKindleにも一杯入れてる。
ネットなしって言っても、長くても3週間くらいで港近くにつくから、そしたら電波頑張って拾ってやや不便ながらもネットしてるよ。
昔はそういう娯楽のシステムがきちんとしてて、陸についたときに大量に雑誌とかDVDを取り寄せることができてたんだ。
だから、今も昔も個人で大量に持ってくる人はまずいないかな。データは大量かもだけど。
航海中の病気や怪我が怖いよなあ
怖いよ。陸が近ければヘリコプターで洋上輸送とか、そうでなければ乗組員が簡単な応急処置をする可能性もある。
俺も船舶衛生管理者の資格あるから、一応船内で大洋航海中であれば外科処置できることになってるんだけど、
できる気はしないなー。
俺が過去に聞いた噂で一番やべーって思ったのは、盲腸の手術を無線で医者に聞きながらしたとか聞いたことある。
流石にウォシュレットトイレはないですか?あと病気になった時が不安だ…
ウォシュレットはありません。清水は大事なんで。トイレの流しも清水が少なくて済むバキューム方式か、海水方式がよく使われてます。
バキュームとか整備するのが面倒で嫌いでした。
海水洗浄は長い目で見ると腐食とか面倒なんで嫌いです。つまりトイレは嫌いです。
コロナ禍で船賃暴騰したけどお賃金に反映された?(´・ω・`)
船上で釣りとかできるのだろうか?
釣りが趣味の人は多いよ。ただ錨泊とかドリフティング(流れてるだけ)とかのときしかやっちゃダメかな。
船員にアニオタは居ますか?
アニオタ普通にいるよ。なんなら外国人クルーとか日本の漫画とかアニメとか好き。
フィリピンクルーの中で、今年はスパイxファミリーが流行ってたし、去年は鬼滅の刃が流行ってた。
タンカー乗りのアニオタは少し苦労するかも。寄港先で部屋チェックあることがゼロではないらしいんだけど、宗教上の理由で日本の女の子の絵とか際どいときがある。
4か月まとまって休暇あるから、日本一周したり、海外適当に旅行する余裕がある。
面白いなー。長期間船乗ってると運動不足になりそうだけどその辺どうしてるんだろう?8ヶ月も上陸できないとなると散髪とかも気になる
ジムがついてて、設備は船によるけどトレッドミルとかベンチプレスとかついてるよ。
甲板上を走る人もいないわけじゃないけど、鉄板だからまずおすすめしない。
機関士は航海士とかと違って暑いところで行ったり来たりすることも多いから、あんまり運動不足にはならないかな。
散髪はお互いに切ったり、自分で切ったり。基本的に下船したら髪整えに行くよ。
冠婚葬祭に参加できないとか、友人関係がひどく限定されるとかありそうだなあ。20代でFIREの足がかりとしてはいいかも?
よく言われるのは親の死に目には会えないっていうのは決まり文句だね。
ただ、実際には交代要員が用意できたりすれば港で降りれるから、もし家族が危なそうなら会社に報告すると吉。
友人関係は意外に変わらないかもしれない。休みが長い分、相手と遊べる時間も多い。
投資的な意味で言えば、やってる人はいっぱいいる。今一緒に乗ってる日本人は全員やってるね。
俺は配当でサラリーマンのお小遣い1年分くるくらい。益はプラスだけど、利確するつもりはないから配当だけ。
試験官が受験生を罵倒してくる海技士口述試験の悪しき伝統はまだ残っているのかな
残ってるよ。
こんなこともわからないの?とか向いてないんじゃないの?とか言われる。
でも、そんなこと言いながら合格させてくれるから、ツンデレなんだと思ってる。
そんな人が全てじゃないけど。
「タンカーマンはかっこいいけど」何がどうカッコいいのか全くわからんくて草。独特の価値観があるのかな。
タンカーってめちゃくちゃでかいうえに、機関士も荷役に参加する仕事なんだ。
しかも、危険物を、危険な航路で運んでるからカッコいいと思う。
昔は機関士で、タンカー乗れば船は何でもできるって言われてた。
珍しく船員の話やな。0-4当直きついし、年取って病気なる確率高いの言わないとフェアじゃないぞ/カナヅチだと大学の水泳の実習の単位取れないのでは?/もう東京商船、神戸商船の認知度なんか年寄り以外無いよなあ
5年10年前に乗ってたのかな。0-4直はもう電子海図になって、紙海図はなくなったから時間帯除けば楽になってるよ。
一等航海士は依然として荷役中死ぬほど大変そうだけど、時間外が桁外れについたりして給料めちゃくちゃいいらしい。
年取って病気になる確率高いのは、昔のステレオタイプの船長機関長が残ってた時の話かも。
あの人たちはめちゃくちゃビール飲んでとめちゃくちゃタバコ吸ってたから、病気になってた。
東京海洋大学はさかなクンで有名だから。。。神戸商船は神戸大になったし。
遠泳って神戸大に今もあったっけ。忘れた。
それはそうと青函連絡船の事故とかあれどうなんです?
あまり詳しくないけど、昔の事故は気象情報とか少ないししゃーないところもあると思います。
事故が頻発していた昔(それこそタイタニック号など)と違うことは、船級検査や安全条約、PSC(港で検査に来る人)といった
安全に対する取り組みがとてつもなく厳しくなっているというところです。
例えば、ドアがしっかりとしまっていない、エンジンルームが若干汚い、ということだけでも指摘されて、船としての安全性評価を下げられることがあります。
そういった安全への取り組みは日本海運会社はしっかりやっていると思うので、外航船に限って言えば海難リスクはそこまで高くないのかもしれません。
日本人が乗り込まないような、船価が安い船は整備がきちんとされていないこともあります。
ある程度、みんなが気になってることが答えられたかなと思う。