はてなキーワード: 身分とは
程ほど田舎だとちょっとした専門店に行きたい=郊外型モール行くという選択になるから、単に立地的に行ってなかったんでしょ。
大して手間もなく公共交通機関で好きな店をウロウロできる身分なら一々イオンモールなんて行かないよ。
私は妊婦仲間から妊娠中のウォーキングにイオン良いよっておススメされて行くようになった。
地方はUターンやIターンで帰ってきたエンジニアが中堅どころ。
この中堅は家庭の維持だけが大事なので上に上がる気もないし下を育てる気もない(自分のポジションが危ぶまれるから)
中堅はジュニアクラスのエンジニアに対しては「能力がないからジュニアクラス、一生それやってたら?」というスタンスであり、ジュニアクラスとかシニアクラスは流動性のあるポジションではなく身分固定制
上司にもそれを報告する。仕事ができてイケてる若者でも関係ない。
ちなみに上司も「若い人間に安く働いてもらえてラッキー、40ぐらいまでこの値段で働いてくれないかな(その後はクビ)。」ぐらいしか思ってない。
優秀な人間がいたらとりあえず上に上がってもらった方が仕事も多く受けられるし儲かるわけだが
地方の中堅エンジニアは現状維持だけが大事でそんなこと一切考えてないので
俺も博士課程(工学)に籍を置いてる28歳男、博士は今年4年目で現在休学中、主著論文なし、奨学金返済免除解除、ほぼ卒業諦めてるから増田の気持ちがなんとなく分かる。
俺の場合は研究したい!指導教員のような良い先生になってこの分野の面白さを広めたい!なんて思って博士課程に飛び込んだけど、博士課程2年目で、あ、俺はこの世界でやっていけない、成果残せない、論文が書けない、周りの人がスーパーマンすぎるわってなって勝手に病んで徐々にフェードアウトしていった。
その点いままで研究してきた増田はめちゃくちゃえらいし、俺から見ればスーパーマンだ。ほんとすげーよ。
俺はその後、知り合いがやってる研究開発のベンチャー会社に拾ってもらって、そこでぼちぼち仕事して今はそれで細々と飯食ってる。
もしかしたらまた頑張ろうとなるかもしれないから大学は休学しているけど、これから行くかはわからん。
もし増田が国立大学所属なら休学を視野に入れてみるといいと思う。休学中は授業料がかからないはず?。
また満期退学をして卒業後何年間かは審査に挑めるかと思うからその間に実績を積んで挑むというのも手かもしれない。
どちらにせよその間の身分はどうするんだとなるが、そこは指導教員に一度相談してみるといいと思う。もしかしたら助手(有給・無給は分からんが)として置いてくれて研究室に出入りできるようにしてくれるかもしれないし、どこかの企業にねじ込んでくれるかもしれない。
企業で研究開発の部署に行ければ論文を書く機会もあるかもしれない。もしかしたら共同研究ということになって研究テーマ変更して、共研のテーマで論文書けるかもしれない。
この辺は先生次第になってしまうから分からんし、増田の分野次第だが。
結構適当に社会は回ってるし、博士で得た知識、考え方、応用力自体は無駄にはならないと思う。もしアカポス以外に行ってもこの4年は決して無駄ではないよ。きっと人生を豊かにしてくれるよ、俺はそう信じてる。
それにこれまでアカデミックだけ見てきたから正規ルートから外れると人生終わったように感じてしまうけど、案外なんとでもなるよ。
アカポスもストレートで行くのは確かにかっこいいしスマートだけど、何もストレートで行ってる人だけがアカポスにいるわけじゃないんだし、多少遠回りしてもいいんじゃないかと思ったよ。
色んな事に挑戦してみようぜ。
ほどほどに頑張って
「企業内システム担当者(SEでもプログラマでもない人)が、何かあったら外注のせいにして責任を逃れられる」
って書かれてて、なるほどなあと思った。
で、これを考察すると、これって江戸時代の武士の支配をしていたメンタルそのものなんだよな。
例えば徳川家の旗を間違えて燃やしちゃったり、雑巾にしちゃったりする。
そしたら領地減らされるとか、最悪は改易(飛ばされる)とか、遠島流刑。
こういう「1%のミスを許さない」っていう精神って、徳川家康が設計したものなんだよね。
家康は将軍を引退してからも実権を握ってたのが13年くらいあって、
息子の秀忠が馬鹿真面目だったってこともあって、「ならぬものはならぬ」みたいな上意下達な文化を作ったんだと思う。
大奥とかの文化も非常にクローズドでがんじがらめで、今の日本に近い文化だよね。
それが260年以上続いた。
江戸以前の戦国時代はその逆で、「勇敢な行動の末のミスであれば武士としてあっぱれである」
みたいな文化だったんだよね。もちろん「勝手な行動は死罪」というのは軍においてはそうであったけど、
基本的にスピードと結果が全ての世界だったから、許されることも多かった。
何より信長や秀吉が好んだのは「臨機応変さ」「勇敢さ」であって、企業でいうベンチャーマインドに通じると思う。
秀吉は朝鮮出兵などで自爆してしまったけど、信長がもし織田政権を長期化させていたら、
楽市楽座とか、重商主義なところも、石高社会の当時の日本としては画期的だったからね。
まあ、家康は偉大ではあるけれども、日本人を停滞させた側面はあっただろうね。
何パーセントかは信長・秀吉のベンチャーマインドが許容される国であっても良かったと思う。
日本人の責任を取りたくない、悪い意味での臆病さが、外注という甘えを生みだして、
で、その臆病さの源泉は何かっていうと、終身雇用にあるんだよね。
アメリカみたいにスキルアップして飽和したら、数年おきにステップアップ転職する、っていう文化がないからね。
一生面倒を見てもらうわけで、ちょっとミスしたら一生居心地が悪くなってしまう。
そんな気持ちが見て取れるよね。
村八分されたくないから、村の外から工事人工を雇うってことなんだろうね。
で、話は戻るけど、多重下請けスキームにおけるエンドユーザー企業にいる、
エンジニアでもない「システム担当者」って結局なんなの?とも思う。
イメージ的には、江戸時代の城の中の座敷で座ってる人って感じ。
めっちゃ座り方が型にはまってる感じの。
「殿中まかりこしまし早漏」とか言ってそうな人(知らんけど)。
何ができるかっつーと何もできないけど、殿中まかりこしまし早漏の言い方はうまい(笑)。
座敷おっさん「うむ!節々のこといっさい任せたぞ!」みたいな。
あとは500人で済む工事を1000人で見積もらせる、金への執着、欲望の深さも大事な素養である。
ちなみに信長は二条城の改修を驚くべき短期間と完成度で仕上げたそうだが、
その時には自分も粗末な服を着て、身分の低い人工たちと身分の差なく語り合い、
トップダウンで進めたという記録が、フロイスによって残されている。
よく考えれば城が立派に早く完成すればいいわけで、
「工事の計画文書、第100版を作りまかりこしもうした」って毎日やるのが目的じゃないものな。
まかりこしもうしたやってる間に城郭を強化したり街道を整備してる。
これは現代でも同じ。最終目的がわかってるのがアメリカの強さ(=信長の強さ)なんだろうな。
だから日本がExcelポチポチやってる間に、AWSやAzureを作ってしまった。
とはいえ公正取引委員会とかIPAやデジタル庁が、問題を認識して動いているから、風向きは変わっていくかと。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/mag/nc/18/020800017/072600752/
自分は上段に座しているつもりで偉そうな上から目線の半分的外れな説教だの、はたまたその体すら為していない放言だのを安全な位置から投げつけたいだけのカスしかここにはいない。
このタイトルを見て、意識高い系文系イキリ勘違い野郎に何事か物申してやろうと考えたそこの画面の前でニチャニチャしているパソカタオタク(パソコンカタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)のことである。
あるいは増田のことかもしれない。増田は日頃増田に生息している訳ではないが。
お分かりの通り、これは釣り記事である。そもそも意識高い系文系イキリ勘違い野郎が増田に記事を書くわけがない。が、一応タイトルに嘘はない。
ので意識高い系文系イキリ勘違い野郎を志す意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍のことを思って以下を書く。
ちなみに、この記事のタイトルは増田が一番嫌いなタイプのそれである。自分で設定したのに今、額に青筋が浮かんでいる。
本項ではWebエンジニアになるにあたって増田がやったことを列挙する。
1. プログラミングを独学する
2. スクールに入る
3. アルバイトをする
なるほど、至極単純である。では順に詳細を見ていく。
ここに関しては特に言うこともない。
ネットの記事を見ながらCだのDだのC++だのを実際に吐くまで勉強した。
その経験を踏まえて意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍にアドバイスするならば、独学の上で最も身になるのは"C++を用いて簡単なスクリプト言語のインタプリタを実装する"ことである。
インタプリタの実装という作業はプログラミング言語そのものに対する解像度を飛躍的に向上させる。
不可思議なお約束の塊であった文法や意味論が因数分解されるように頭の中で整理され、ブラックボックスであった標準ライブラリの内部について想像が及ぶようになる。
道具たるプログラミング言語に対する理解は、当然その使途であるプログラミングそのものを助ける。
ところでパソカタオタク諸兄姉は「なぜ今C++などという時代遅れのクソ言語を」と思ったかもしれない。
確かにC++はもはや洗練から程遠い聳えるバベルの塔である。しかし、こと言語実装の習得においてはこれほど適している言語もない。
C++はGC付きの他言語と比較して抽象度が低く、全てを自身で管理しなければならないが故に"便利な魔法"にあまり頼れないのである。
また、C++で導入された様々な思想、イディオムは他の言語にも大きく引き継がれている。
例えば洗練という意味でC++の対極に位置するRustという言語は、もはや本質的にはC++そのものである。
Rustの代名詞である所有権、ライフタイムはそれぞれC++の反省から生まれた言語要素であるし、move semanticsはC++11におけるmove semanticsと同様のものである。
GC付き言語の利用者にとってしばしば混乱の原因となりそうな`str`と`String`も`std::string_view`と`std::string`を知ってさえいれば迷いの発生する余地はない。
他のより抽象化された言語についても、C++との対応を考えることでその言語や標準ライブラリそのものの実装について十分に理解を深めることができる。
なぜならば過去の多くのスクリプト言語やコンパイラはC/C++によって実装されていることが多いからである。
そんなわけで、増田は"C++を用いて簡単なスクリプト言語のインタプリタを実装する"ことを勧めている。
増田が入ったスクールは、多くのそれが半年あたり70万程度の授業料を取る(らしい)のに対して同期間で28万程度と非常にリーズナブルであった。
ただし、卒業までは最低4年と長期間を要するし、増田は卒業後も2年さらに通った。
おいそこの意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍、カスみたいなプログラミングスクールに入るな。
ところでそろそろ察せられるだろうが、増田の前職とは学生を指している。
大学は情報工学を教えてくれるが、別段それを学んだからといってプログラミングができるようになるわけではない。あくまでそれらは相補的なものである。
一方で、独学では分野に偏りが出がちだし、なにより独学にも金が要るので学生の身分にとってプログラマのバイトは良い選択肢である。
アルバイトはITエンジニアの経験に含めなくて良いのか怪しいが、増田のバイトの業務内容はWebエンジニアと言いきってよいか悩ましい類だったので嘘は吐いていない。
ちなみに増田は増田に書き込むような人間であるからして社会性というものが欠落している。
ちなみに月収は大学院2回生の収入0時代からの差分で算出して+50万なのでつまるところそれが現在の月収である。
増田にとって低くはないが、決してITエンジニアとして高い方であると主張することはできない程度の額である。
釣りのためにタイトルに含めた以上最低限の説明のはしたが、増田は金の話をすると脳の血管がブチギレそうになるのでこれ以上その話はしない。
ここまで読んだならわかると思うが、増田は意識高い系文系イキリ勘違い野郎(タイプ音がでかい)ではなく、パソカタオタク(パソコンカタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)である。
そして、意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍に言うべきことがあるとすれば、そもそもこの記事をここまで読んでいる時点でITエンジニアには向いていないので止めといたほうがよい。
また、ひょっとすると思い違いをしているかもしれないが、ITエンジニアというのは大抵 (増田は社会経験がほぼないので一般論を言うことは出来ないが) 意識高い系イキリキラキラ野郎サイドではなくパソカタオタクばかりである。
というよりTwitterにいる意識高い系イキリキラキラ野郎は多くの場合意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍を養分にする人でなしである。騙されてはならない。
また、一つ理解しなければならないのは意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍諸兄姉が張り合わなければならないのは、プログラミングスクールの同期でも、「#駆け出しエンジニアと繋がりたい」している有象無象でもなく、幼少から寝食や友人や遊びを自ら捨ててパソカタにのめり込んでいた、そして現在進行系でのめり込んでいる歴10年や20年をゆうに超えるSSRパソカタオタクであるということである (そしてそれはNRパソカタ増田も同様である)。
彼らが「スクールで半年学びました」で並び立てるような人間でないのは単純な算数でわかるほど明らかである。悪いこと言わんからキラキラWebエンジニアを目指すのはやめとけ。
あるいはそれでも目指すのであれば自分が何を捧げられるのかを考えた方がいい。
Twitterは本来はバックグラウンドを無視した瞬間的な気分をつぶやくツールのはずなのに
そこで主義主張をする連中はアカデミアに席を置いてはいけない人間だと思う
端的に身分不相応
正直、ペロシ議員の訪台をなぜそこまで中国共産党が反対したのか、
今もよくわからないのだが、とにかくアメリカは「これは効くようだ」と判断したのではないだろうか。
今回の訪台で日米は以下の進展があった。
春秋の五覇は、格下の相手からの使者が身分が低かったりすると取り合わなかったりする。
相手の身分=忠誠度、というような意識だと思う。その逆もしかり。
秀吉が明と交渉したときに「日本国王として認める」みたいな返答をしたのもそれである。
つまり序列3位、というのは、我々が思っている以上に中国には重要事なのであった。
結果として中国は日米関係を悪化させ、一人で踊る形になってしまった。
とはいえ覇者意識を捨てたら中国・中華思想もなくなるので、悩ましいところであろう。
根本的な話なんだけどさ
やつは「女性を不幸にする男性全員にむかって言論で戦う」みたいな事をしていたわけじゃん?
まずその行動原理が 女性のためでもなく 自分のためにもならないどころか現実の自分を追い詰める結果になるのと 実際の女性に迷惑をかけて活動してたわけじゃん?
フェミニズムとかネットの言論とかいう前に この一見して異常な行動を考えてみる必要があるんじゃない?
主義とか思想とか行動とかが 根本的に論理だってないじゃん?もうランダムに発生する凶悪事件で関連性がないけど被害が一律系統建てられる難事件みたいなものに見えるよ
とりあえず自分自身がどうであれ主義や主張になんの行動原理の目的性がなかったとしても 先鋭化されていくアイデアとしてどこか奥深いところに刺さって成長していくんでしょ?
その異常な人の行動が 主義は間違ってないとか行動は間違ってないとか 方向性は間違ってないとか 基礎が腐ってるのに高層ビルを建て増ししても問題ないみたいなこと ないよね?
カビからペニシリンができるしペニシリンは有用だよ だからカビを食べようってはならんよね どこかよい点があったならそこだけ抽出して安全で健全に運用できるようにすべきだよね
ペニシリンはカビだ ってイコールで言ってる人いる? カビからできているのだからカビは大事だってなんか意味ないメタな発言はありとしても 家にはえてるカビが有用だなんて人は誰一人いないよね
異常者が言った名言だけど 名言だから ってそれイコールで結ぶ必要はないよね 名言なのだったら あらためて出たところはそれだったとしても それを浄化する何かをはさむべきだろう
せっかくの名言を有効活用させる方法はほかにもいくつかあると思うよ
とりあえずそういうところにも属人性をもってくるものではないと思うんだ
まず最初になにが異常かって根本の「守る気もない女性を守る」という行動を選択したのはなぜか
現に一番手の届きやすい 手をかけても犯罪にならない(であろうと思っていた)女性を使って人権侵害を行っていたわけじゃん?
もはやこの時点で本末転倒なんだけど それをしてまでその主題を持ちたかったのはなぜなのだろうか
これは攻撃対処である「男性」をなにかしらの方法でギャフンと言わせたいからなのではないか
人の行動原理や思考の形成はひとつだけから生まれるものではないと思うのでこれだと私がおもったのは 私が知りたい「あったとしたら」の根拠の話だ
彼はなんらかの方法で男性に攻撃がしたかったのではないだろうか
自分が勝ち誇ってエリートで幸福な生活を手に入れて見下す という方法では勝者の優雅さをもってひけらかすことでそれをできるとしても リソースが足りないだろう
山積みの現金や宝飾品 家族や広い家にペットなど 準備するのも感想を述べるのも リソースとその品位は準備できないだろうというのはチャレンジする前からわかる
ならば煽って口喧嘩ではい論破すればいいだろうけれども 不特定多数の揚げ足をとるのはまず足をあげる隙間に入り込む必要 論客が必要だろうけれどもコミュ障にはそこもむつかしそうだ
そうなると闇雲に被害者面をしてなんかそれなりっぽい素材を投下すれば 高性能の同胞がそれをソースとして奮闘してくれるだろうと給弾係になるという手段をみつけたのではないだろうか
あの選手を育てたのは私だ といわんばかりに あのホームランは私の給弾だ と満足げに あの給弾がなければホームランになったボールは存在しなかっただろうといわんばかりに自身を評価していたのではないだろうか
実際に攻撃していたのは傍にいた女性二人であって事実上の被害を与えている 実際に攻撃はしているのだ
それとは別に その女性への攻撃を用いてネット上の攻撃の原動力にして 男性をターゲットにした これはどういうことか
彼シュナムルは 自分の近くにいた女性を使って被害を起こさせ その被害を用いて自分が被害についてだれにでも使いやすい素材としてだれかに行動を起こさせるため 行動を起こしたヒーローの親ポジションを得るために 被害者を演じたのではないだろうか
逆ミュンヒハウゼン症候群そのものっぽいが 自分の救済のために必要としているものが 自分の問題提起からヒットを生み出した親であるポジションではなく どこかの男性がなにかしらの社会的制裁が加えられるであろう期待だった所が謎ではないだろうか
簡単にまとめてしまうと 彼のターゲットは自分が大好きな「(性別としての)女性」というマクロな存在に対して「それを楽しみとして(それはごく一般的な)消費している男性」に攻撃がしたかったのではないだろうか
それって結局自分の首しめてない?って事になるわけだけど つまりは自己嫌悪から自分を罰したり自分を攻撃するために自分を対象にして攻撃をしたその相手がたまたま自分以外の男性だった とは考えられないだろうか
いわゆる「死刑になりたいから人を殺した」の亜種である これは反社会的な心理状況においてとても厄介なものだと思われるのだがいかがだろうか
攻撃的な衝動の起因となる欲求は大きくわけて3つあるのではないか
ひとつは選択肢の不足 回避や改善について手段を考え付く事ができない為 とりあえず攻撃をして行動を不能にし 回避改善の代替としようというもの
ふたつめは攻撃そのものの嗜好 攻撃をする理由づけになんらかの平等性の欠如を持ち出すが実際は攻撃そのもをしたいだけ
みっつめは攻撃による被害をうけた状態を求める心 相手がなんらかの攻撃でダメージをうけた状態に持っていきたいという気持ち
どれかである場合やどれも全部あわせたものであることも可能性としてはありそうな気がする
シュナムル氏はまずどんな気持ちで身近な女性を 顔見知りの女性を被害者にしたのだろうか プライバシー情報を利用して本人の知らないところで被害を発生させる加害者となったのだろうか
女性の被害を代弁することで社会的に問いかけをするという崇高な使命の為ならば多少の犠牲は厭わないとしてあえて苦肉の策として 最悪謝罪ができる範囲の人物として選んだ女性に危害を加えて被害者となってもらったのだろうか
これは考えにくい
彼自身が女性が好きで 女性に対してなにか自分より優位なアプローチができる立場にいる同性を嫌い それらとは違う手段で女性に対して優位なアプローチないしは女性からのアプローチを受けられる立場になりたかったのではないだろうか
最終的にはシュナムル氏自身が語っていた身分に相当するものになりたい目標があったのではないだろうか
そうすると犠牲となった親族の女性二人は「だれでもよかった」のではないか
手あたり次第に 自分の都合のよい相手を探して だれかの救済行動のための被害者にすべく 攻撃を仕掛ける
自分の欲求は その救済行動をとった人間を 自分が評価することで 自分自身の価値と思い込む
その手段に選んだものが 数少ない選択肢の中からの フェミニズムだった
こういうことなんじゃないのか
普通に治療が必要なものだとおもうし 治療が必要な人間が残したものは だれかまともな人間がそれをしたとき価値がでるかもしれない可能性だけなのではないか
なにかしら価値のある行動や言説が一つでもあったのだったら もうシュナムル氏の名前はまったく関係ないところからそれを成り立たせるべきだと思うね
大学を卒業してから仕事が楽しくて、気づけば休日にデートする女性もいなかった。非モテになっていた。
そんな折、社内異動で1年間閑職に飛ばされることになった。
初めは趣味や友人付き合いに勤しんだが、少しすると、アラサー特有の旺盛な性欲に悩まされる時間が増えた。
適当に自慰で済ませるのもアレだし、せっかくだからモテてみたいと思った。
いろいろ(アプリとか、相席とか、合コンとか)チャレンジした。
どれもそれなりに出会えたけど、どうしても課金ゲーの要素が強く、「モテる」を実感するには程遠かった。
そこでナンパに興味を持った。見知らぬ女性に声をかけるのは難易度が高そうで、やりがいもありそうだと予想した。
約束の1年が過ぎて、無事に元の部署に戻ることが決まった。引退する。
ナンパをしてきたこと、周囲の誰にも話さなかった。記録代わりに増田に書く。
アラサーのリーマン。理系。ナンパ始める前の経験人数は一桁後半くらい。
元の自己評価は中の下だったが、スキンケアや身だしなみに気を使ってから褒められる機会が増えた。嬉しい。
週3〜4回、仕事終わりに街(新宿、池袋とか)に出て、多い日だと100人/日くらい声をかけた。
連絡先を交換して、後日デート。気が合えばイチャイチャする感じ。
経験人数は50〜60人増えた。お付き合いしたのは1人。
零時レイさんとかゴッホさんの本、あとは藤沢数希さんのメルマガも。
ただ、一番役に立ったのは古い本。リーマンナンパマスターさんの『もう合コンに行くな』。シンプルに読み物としても面白かった。
ナンパの難関の9割は「どうやって声をかける勇気を振り絞るか」に帰着するので、
その勇気をくれるツールであれば何でも良いんじゃないかと思っている。
ナンパ講習とか有料noteは全く使ってない。調べた限り、8割くらい情報商材か詐欺。
今もTwitterで騙される人々を見かける。弱者男性ってナンパでも搾取されるんだなと思うと、悲しくなる。
ほかに、Twitterのオフ会(合流)は数回行ったけど、すぐ止めた。
「どうやって口説くか」とか意見交換したいのに、「女はクソ」みたいな話ばっかり出るのでつまらなかった。
ナンパは周りとつるまず、こそこそ隠れてやるのが一番だと思う。
知らない人と話すのはシンプルに楽しい。口説き落としたときももちろん楽しい。
自分は今でもナンパの成功率は低くて、声をかけた女性の7〜8割には無視される。
でも、反応をくれたとき、自分の冗談で笑ってもらえたとき、素直に嬉しいなと思える。
あとシンプルに女性のことが好きになった。共感できるようになった。
昔は非モテだったのでネットのミソジニー投稿に共感してたけど、
たくさんの女の子と話すうち、彼女たちにはそれぞれ個性的な魅力があって、男性には分からない苦しみを抱いているんだなって思った。
ナンパは基本的に迷惑行為なので、その中で続けるのは正直きつかった。
自分の場合、明確な合意を取るまで絶対に関係を持たないなど、かなり気をつけていたけど、
連れ出した女性に対して強引に関係を迫ったり、どう見ても未成年の女の子に声をかけまくったり。
「貢がせ」として、口説いた女性たちに金銭をせびることを奨励する文化もある。最悪だ。
万能感に包まれて無茶なナンパをして、逮捕されてしまった人も居た。
10年続けてる人も居たが、少し喋っただけでヤバさが伝わる感じだった。
ナンパは独特の高揚感と、普通に生きている限り到底得られないほどの経験人数を与えてくれた。
ただ、それが今後の人生に役立つわけではないと思う。むしろマイナスだ。
引退後は元の部署で普段どおり仕事をしているし、プライベートが特段充実したわけでもない。
多くの女性と関係を持つことで身についてしまったものもある。中途半端な万能感と、身分不相応な勇気だ。
仕事して、趣味に打ち込んで、友達付き合いをする中で出会った女性を「口説ける」ことなんて、
日常のコミュニケーションにおいては害悪でしかない。できるかぎり、周りを色眼鏡で見ないよう努める毎日だ。
新しいことに挑戦するのは楽しかった。
騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかった。その点において単純に騎士を貴族とみなすことはできない。貧しい兵士が騎士身分に取り立てられることもあり、いったん騎士身分を得るとその長子も騎士となることが多かった[15]。フリードリヒ1世(1122年-1190年)は農民が騎士になることを禁じたが、12世紀に作られた武勲詩『ジラール・ド・ルシヨン』には、実際には農奴が騎士身分を得ることもあったことを伺わせるくだりがある[15]。とはいえ騎士は、その装備や馬を維持できるだけの財力のある領主階級と事実上重なる部分が大きかった[16]。12世紀に騎士修道会が創設されて宗教的騎士道が確立するとともに、騎士は社会的に認められた上流階級となり、13世紀にかけて一種の排他的・閉鎖的身分集団と化した[15]。なお騎士修道会の構成員は公的には修道士であるためウォリアーモンク(戦う修道士)と呼ばれ区別された。ドイツでは、騎士の黄金時代を迎えたホーエンシュタウフェン朝の後、次第に騎士の身分は一種の貴族としての性格を強めた[17]。他方、商売などで富裕になった者が金で騎士の身分を得ることも珍しいことではなくなった[15]。
2022-07-23
■創価学会3世で未活動、関係も断っているが、公明党に票を入れてる
物心つく前から「勤行しないとバチがあたるよ!!」と、幹部だった祖母に仏罰の恐ろしさ刷り込まれ、学生部や男子部に上がるにつれそれが学会組織、公明党になり、学会と疎遠になっても私は票田として機能している。
一定の年代以上の福子は、絶縁されたり破門(って今は言わないのか?)される=仏罰が下る、という畏怖があって活動続けている人も多いと思う。
だから「創価学会はカルト」って誰かに言われると、反射的に「いやそれは違うよ」と言ってしまうのは、否定しないと自分にバチがあたるという恐怖が少なくともあるから。
興味深い。
波羅夷罪(はらいざい)[1]、あるいは単に波羅夷(はらい、巴:梵:pārājika, パーラージカ、波羅市迦)[2]とは、仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、僧団(僧伽)永久追放に値する最重罪の総称。
上座部仏教のパーリ律の場合、比丘(男性出家者)は淫・盗・殺・妄の4つ(四波羅夷)、比丘尼(女性出家者)には更に触・八事・覆・随の4つを加えた8つ(八波羅夷)がある[2]。
もし、出家者にして戒律や身分を捨てて還俗をしないで、この戒を破った際には、全ての資格ととを剥奪され、仏教教団から追放されて仏教徒では無くなり、二年間、一切の宗教活動を禁止しなければならない重い罪となる。
また、後に罪を悔い改めたとしても、仏教徒に戻ることは許されるが、再び出家者である僧侶となることはできない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E5%A4%B7%E7%BD%AA
5年前、ある人を好きになりました。
それで告白したけど、振られました。
それから5年間、ずっとその人のことを好きなままです。
これは病気ですか?
ここ5年間、ずっと会ってないし連絡も取れていません。
会ってもないし好かれてもいない人をずっと思い続けるのは病気でしょうか?
このままその人のことを一生好きなままでいる気がします。
私がこの世を去るまで、その人のことを思い続ける気がします。
でもやめられません。
特に異常はないと言われました。
この5年間どんな人と会っても心が惹かれません。
半分諦めています。
でもいつか必ず振り向いてくれる、そんな気持ちになってしまいます。
ずっと会っていないのに。
でもやっぱり好きなんです。
いつか会える日が来るばず、だからその日までがんばれるって思ってしまうんです。
やっぱりこれって病気でしょうか?