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はてなキーワード: 反抗期とは

2022-02-02

anond:20220202123852

増田がわりかしいい感じに対応してる気がする。配偶者出てこないから家庭環境全部かはわかんないけど。

お子さんは状況を感じ取る力と「ちゃんとしたい」気持ちが強そう。それでマック食べたい自己主張ちゃんとしたい欲求とで葛藤して長引いてるのかな?

スマホ忘れの時のお子さん、我が家夫婦喧嘩の時の子供(当時2歳)とそっくりで胸が痛い。

お利口にして、おどけて、後々まで気にかけて。←これは我が家の話ね、スマホ忘れとはちがうので念の為

いわゆる反抗期が強くないのは教科書通りじゃないか心配になるよね。

反抗期に注目するんじゃなくて、「あれ今我慢してないかな?」「親のケアさせちゃってないかな」って都度都度観察して気にかけてあげてほしい。やってると思うけど。

あと色々思ったけどうちの子と重ねて見ちゃってるから多分余計なことだな。人さまのお子さん、人さまの子育てになにか言えるような者ではないのに書いてしまってごめんなさい。

じゃあ書くなとは思うけど誰かの役に立つ可能性が微レ存かな、と。

息子のイヤイヤ期が来ない(3歳8ヶ月)

子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は自己確立必要な時期だのなんだの書いてある。

子育てに正解は無い、みな試行錯誤言い訳するが、先人の知恵は素直にリスペクトすべきだろう。

息子にも正規プロセスでイヤイヤ期を経て欲しい。

だが4歳が近づいているにも関わらず反抗もイヤイヤもしない、兆候すらない、どうなってる。

おとうちゃん心配です。

イヤイヤするように指導しているがちっとも聞いてくれない。

イヤイヤ期イヤイヤ症か

 

イヤイヤを抑えつけて育てているつもりはない。

息子に暴力指導は一度もない。

マニュアルダメだと書いてあったのでデコピンすら無い。

勿論しつこくグズることもあるがタイムアウト(一旦場所を移し一人で黙って反省させる)を数回しただけ。

三歳までは公園とか納得するまで遊ばせていた。

真っ暗の砂場小一時間遊んでたこともある。

面倒くさいのでグズらせない戦法であったがこれが間違いだったのか。

そういうやり方はダメとはマニュアル記載がなかったと記憶している。

三歳半頃にはグズらず帰宅承諾するようになってしまった。

まれに泣いてグズることもあるがママと違っておとうちゃんは折れる率が高いとナメてネゴってるだけで嘘泣きバレバレ

キトーに泣かしているとすぐに諦める。

 

すんごいイヤイヤ期を楽しみにしていたのに肩透かし。魔の三才児、どこにおるねん。

コンビニアンパンマンキャンディーを買ってくれと床に寝転がって手足バタバタしたことがあった。

絵に書いたような見事なフォルム

俺はとうとう来たかと喜び記念撮影スマホ取り出したら察して辞めやがった。

もう一回やってくれと頼んでもイヤイヤだと。

その程度のイヤイヤしか無い。

夫婦に息子がおり2歳年上、子育て先輩で話を聞くが、三歳で手がつけられなくなり鬱ったと聞いていた。

半分は同じ遺伝子から期待していたのに。

 

一度マクドナルドに行きたいとしつこくグズったときタイムアウトを課した。

三歳だから三分、俺が我慢できずに2分で終了。

しかし相当応えたのか数日後とつぜん真面目な顔して

「パパお話があります、昨日は電車の中でマクドナルドに行きたいと泣いて困らせてごめんなさい」(原文ママ)と曰う。

まだ時制が未分化過去はすべて昨日と表現してしまうのだが。

それから毎日。寝しなに突然真顔になって同じセリフ。その他なにかの拍子に言い出すようになった。

俺に罪悪感持たせようという企みか。騙されんぞ。

「怒ってるわけじゃないよ、反省したのならもう終わり、今度同じことやらなきゃそれでいいんだよ。

おとうちゃんはキミの望みは可能な限りは叶えてあげる。愛してるから。だけど金銭的、物理的、教育的配慮、その他諸条件で

不可能もの不可能からダメダメというからその時は察して我慢してくれ。それだけわかってくれればいいんだよ」と返す。

マクドナルドは面倒くさくて拒否っただけだがそれは内緒だ。

ともかくそんな調子で、また翌日同じように「パパ、お話があります」と来る。

なんなんだ。もう三週間続いてる。

 

自己主張が苦手なわけでもなく、行動を自己抑制している様子も無い。

ガリガリ自己主張してくる、我も強い。

やりたい放題やってる。

適度に言うことを聞かないが、道路に近いトコロでは手を離しちゃダメ、ひとりで出ちゃダメ

こういう言いつけはきちんと守ってくれる。

ところが公園内だと止まれというてもケラケラ笑いながら走って逃げる。

分別があるというか、空気を読んでる。

 

息子と2人の時にスマホを無くした事があった。

バスを降りた瞬間に気がつき焦る俺、座席に置き忘れ。

京都市内でバス会社が入り乱れている。

キトーに飛び乗ったバスなので路線会社不明、かなり難易度の高い状況。

各所に連絡しバタバタしていると息子が最高ランクのお利口モードになった。

位置情報を調べようとネカフェに入ってゴニョゴニョしてても大人しくしてる。

バスセンターに問い合わせやら、取りに向かう移動やら、黙ってついてくる。

ってか、なんか励ましてくれてるし。

ニコニコ明るく振る舞い、危機的状況であることは理解しております

こんな悲惨な状況でもボクは楽しんでいるので問題ありません的なオーラを出してる。

ところがバスセンターでスマホが戻った途端おバカモード豹変

腹減った、抱っこしろマクドに連れていけ。ポテトを食わせろと。

わかるの?状況理解しててやってんの?すげぇんだけど。

それから二ヶ月経ってもバスに乗るたび「スマホ忘れちゃダメだよ」と注意喚起しやがる。

挙げ句に「なぜあのとき忘れたのか」と詰問。嫌味な奴だ。

 

ともかく、現在3歳8ヶ月

どうすればイヤイヤ期してくれるのか、もう時間が無い。

ぶっちゃけダイレクト相談してみた。

ねぇねぇJクン、子供はイヤイヤ期をしなきゃならないと決まってる。

なにをいうてもイヤー、靴下履くのもイヤー、歯磨きもイヤー、お風呂もイヤー、保育園もイヤー

そういうのをやってほしいのだけど。できる?

はーい、と快諾、いや、そこで「イヤッ!」でしょ、筋が悪い。

時間後、「歯磨きするよ、プラレールを片付けなさい」と指示すると颯爽と片付け始めた。

全然覚えてない。アホなんだろうか。

最近コロコロもってきて掃除までしやがる、いい子か。

 

マンション隣家女の子が壮絶イヤイヤ、近所付き合いがないので年齢は知らないが

4歳か5歳くらい。

15時幼稚園から戻り毎日小一時間、長い時は二時間ほど絶叫ルーティン

羨ましい。

きっと聡明健全お嬢さんに育つだろう。

日々泣き叫ぶ内容もクリアに聞こえるが、ママ約束お話を聞いてくれないとかなんとか、リボンがどーとか

5歳くらいなので理屈の通る自己主張の伴った反抗期

超絶面倒くさそう。コロナ在宅始まって一年、聞こえなかった日はほぼ無い。いいなぁ

 

恥を忍んで隣家にコツを伝授してもらおうか、あるいは娘さんに直接指導して貰えるなら有り難い。

このままでは息子はアイデンティティ喪失したフニャフニャ人間になってしまう。ヤバい

 

育てやす子供を自慢しているように読めるかもしれないが、正直そのとおりなのだが、

俺のたった一人の息子であり、年齢的に次はありえないので子育てメニューを堪能したいというのもマジな気持ち

壮絶なイヤイヤ、夫婦ともに戦い、悩み、疲弊挫折夫婦喧嘩、それが全て寛解したときのハレの喜び、

いずれ成人する息子に、子供の頃は手を焼いて苦労したよと、目を細めて回顧したいではないか

このままでは子育てチョロすぎる

「なんかテキトーに飯食わしてたら大きくなったわ、キミ偏食も無かったし、ははは」てか。

 

先日、息子と海岸遊んだ

冬の海岸を走りまわり、嬉々と貝殻と松ぼっくりを拾ってる。

子供はこういうの集めたがるよね、うふふと眺める、人の幸せってこういうのでいいんだよね。莞爾。

息子は集めた貝殻と松ぼっくりを厳選

かばんに入れて必ず持ち帰るようドヤ顔で指示された。へへぇ

 

帰宅すると早速「ボクの貝殻と松ぼっくりはどこだ」

貝殻を洗浄し渡してやった、新しい宝物なんだろう。

かわいいなぁ、うふふ、タダだし

 

翌日、俺の誕生日プレゼントされた。

もしかしておとうちゃんプレゼントのために取ってきてくれたの?」

「そうだよ、パパ大好き」

 

こんなんどうやったらグレてくれるのか。先が思いやられる。

おとうちゃん指導力不足で申し訳ない。

 

ともかく貝殻はレジンで固めて保管してやる。

海岸シーンは証拠動画が残ってる。

16歳くらいでイヤイヤ期が来たら見せてやろう。いひひひひ

2022-01-27

anond:20220127235149

10歳なんてそんなもんじゃなかったっけ

反抗期来ないとあとあと大変じゃん

2022-01-24

親がとある政党の支持者だ。

さいころからよく事務所に連れていかれた。

週末になるとみんなでビラを折るんだ。そこでビラをただ折りを手伝っていた。

小さかったので、折り紙の容量でどんどん折っていった。

他の友達子ども会とか習い事をしている中で、自分は親に連れられて政治関連の大会に出ることもあった。

ちょっとした境界線があるんだよ。

小さかったので、何かぼーっとお茶お菓子を食べる場所として過ごしていた。

高学年くらいになると、段々自分の家と周りの家の違いが分かるようになってきた。

選挙時期になると親は土日は会議、平日も仕事終わりに会議に出かけていくし、電話かけとか選挙カーとかにのって、街頭ではチラシを配る。

そんな親たちと鉢合わせしたくなくて、逃げるようにその場を去ったこともある。

選挙ポスターも貼ってあるし、友人らにその意味理解されたくなくて家に呼びたくなくなった。

高校生の時は、そうした親の姿に反抗期を迎えていた。

大量の政治関連の新聞記事スクラップ政党支持のチラシを広げて、テレビ番組ゴールデンタイムはBSのニュース番組がずっと流れてる。

社会問題に対する認識をずっと植え続けられることに拒否反応を起こしていた。何で自分は家に帰ってきてもずっと、社会に目を向けなきゃいけないのと感じていた。

それで親は家事は任せ、夜は再び会議に行く。政治家じゃないよ、一般政党支持者の話だよ。家庭の事を省みない態度に思春期辟易したが、もう諦めた。

大学卒業し、社会人になって結婚とか色々考える時に、ますます親の事が気にかかった。

相手の家にどう思われるんだろう。家には絶対呼べないと思った。自分と親は違うけど、明確にある政党を支持してるって思想をもった家は繋がりをもてるのか?

から政治のことを半端に分かってる人じゃなくて、なんかよく分からいくらいの人が相手にいいなと思ったし、気にしない人がいいという願いもある。

何だろうな。政治大事だと思うし、親の事は否定できない。けど明確に、指示政党立場示す行為を続けることって何かタブーなんだよ。自分的にだけど。

すげー卑屈になってくんだ。親が必死になってる様を見てかっこいいなと思うより前に、狂信的な態度におびえちまったというか。それが与党だったらまだ許せたのかな?

とにかくすごい閉塞的な気分になってくんだ。親が政治活動やってるってことが。周りからどう思われてるのかすげー怖い。早く家を出ろって話なのかもしれないけど。

自分もその親の子どもだから、若手として期待されるような声をかけられることがある。ジェンダーSDGs貧困・・・社会問題を一緒に解決しようという眼差し自分にはすごく、辛い。

疲れた。もう何でもいいそんなの。

政治に関心を持った親からまれてきたけど、政治なんてクソくらえと思ってしまうようになった。

2022-01-21

子どもが産まれました

先日、子どもが産まれました

この世に自分より大切な存在を産み出してしまった、と子どもに初めて会ったときに思いました

繊細な生き物で、新生児はとてもか弱く、とても愛おしい

子どものことを考えると愛しくて胸がざわつきます

これは恋人にも感じたことがない感情

ただただ健康に成長してくれればそれでいい

反抗期ときは言われたことを覚えておいて、歳を重ねたらそれをネタに一緒にお酒を飲もうね

生きていると悲しいこともたくさんあるけれど、それも時間が経てばいい思い出になるよ

恋人が出来たら紹介してくれると嬉しいな

一つ一つの成長も全部ぜんぶ見逃さないようにしたい

どうしようもっと伝えたいこと、書きたいことはたくさんあるはずなんだけど浮かばないなあ

守るべきものが増えて、自分はより強くなければならないと思っています

まれてきてくれてありがとう

2022-01-06

anond:20220106135924

そういう反抗期みないなのの相手をさせるのはパッパとマッマだけにしとこうぜ

後はせいぜい学校先生とか

2022-01-05

口を利かない両親の呪いから解放されたと思ったがそんなことはなかった

自分の両親は仲が悪い。

仲が悪いと言っても口喧嘩をしたり暴力があったりというわけではないが、ただひたすら喋らない。

流石に全く一言も喋らないというわけではないが、予定の連絡や「ごはん!!」のような単語くらいしか相手に向けて発せられる言葉がない家庭だった。

それも会話と呼べるレベルではなく、一方的に言い放つだけだ。

何が原因でそうなったのかも自分には定かではない。

バカみたいに短気で気に入らないことがあるとすぐ殴る・蹴る・肘鉄を食らわせてくる、挙げ句壁に穴をあける反抗期の兄や、中学卒業して遠方の私立高校に通うために家を出た姉など単体ではきっかけと思えそうな出来事もあるが記憶曖昧なので、夫婦仲が最悪になったか反抗期苛烈になったり姉が家を出たのか、姉が家を出た結果家計面が苦しくなって夫婦仲が悪化したのか、色々考えられるが結局の所因果関係は未だによくわからない。

いつからそうだったのかは正確にはもう覚えていないが、最後に親戚宅等以外で家族イベントとして出かけたのが小学校4~5年くらいだったと思うので、おおよそ自分中学に上がる前にはすでにそうなっていたのだと思う。

そこから今日まで15年以上ずっとそのままだ。

 

自分大学進学と同時に家を出たのだが、実家にいた頃は母が家のことは家計管理から家事まで全てやっていた。

そのため、子供心にこれは良くない流れだと思いつつも、食事金銭面など生命線を握られていたのもあり母とだけ会話をする生活を送った(父と会話をすると、というより父が喋っているのを聞くと母が露骨に機嫌悪くなるので、結果的に父と喋る機会が無くなった)。

大学に入って周囲の家庭環境を耳にしたり実感の環境をある程度客観視できるようになってからは、父が家庭内孤立していることもあり実家帰省したときにはタイミングを見て少しは喋るようにしていた。

この頃は生命線を握られていた実家環境から脱出できて自分で会話すべきかどうかを決められるようになり、両親の呪いから解放されたように思えた。

 

しかし、ここ最近になって再びこの呪いを感じるようになった。

大学生だった頃はどんな理由かは知らないが現状は子供目線ではどっちもどっちだよなぁ、と感じていた。

就職して数年経った今でもどっちもどっちとは思っているが、一方で母が父に対して不満を持つのも当然だと思うようにもなった。

母はパートとは言え肉体労働系の内容で週5日9時~16±1時間勤務(繁忙期は土日勤務ありで9~19時過ぎまで仕事をしていることもあった)をしながら家事休日自分含めた子供部活動の送迎・手伝いなんかも全て一人でこなしていた。

就職して家事を全て一人でやるようになって改めて分かるが、当時の母には全くと言っていいほど自分時間など無かっただろうし休日も十分に休めていなかっただろう。

今思えば端的に言って母に負担が集中しすぎていたように思う。

それに対して父は正社員出張が多いようだったが、それ以外では残業もほぼ無く18時くらいには帰宅する生活にも関わらず家事は一切せず、家ではひたすらテレビを見ながらガバガバ酒を飲む人だった。

休日も繁忙期などは父方の祖父母宅(農家)の手伝いをしに行くこともあったが、大抵は趣味スポーツに出かけていることが多かった。

地域行事子供会などに積極的に関わっていた一方で、家庭内蔑ろにしていたのではないかと思うようになった。

加えて父は率直に言って会話がズレていることが多く、食事もいわゆるクチャラーというやつだ。しか最近はまだ軽度だが反ワクチン的な話題に傾倒しつつある。

こういった心境の変化があって改めて考えてみると、特に尊敬できる要素もなく「自分父親である」という点を除くとお世辞にも積極的に関わりたい相手ではなかった。

 

こうしてみると、大学の時に父と会話する頻度を上げようと思った事自体実家で母に強制されていた環境に対するただの反発や揺り戻しだったのではないか、という気もする一方で、今自分が父に感じているこの不快感もまた大学進学するまでの実家環境で刷り込まれ思想価値観が多分に影響しているのではないかと思ってしまうのだ。

金銭的にも精神的にも自立してなお自分価値観自分のものだと思う反面、解放されたと思っていた呪いが実は解呪不可能なほど自身に染み込んでいるのではないかという自己アイデンティティに対する不安を感じている。

 

ついでにいうと、あと5,6年もすれば両親ともに60歳を超えるのだが、今の関係性のまま老後やっていけるのかも非常に不安だ。

現状では、両親が祖父母のようにお互いにある程度助け合って一つの家で生活を共にするというのが、どうしても不可能ではないかと思えてならない。

一応兄は実家暮らしだが父同様で一切家事をしていないし、昔に比べてマシになったとは言え相変わらず短気で不機嫌になりやすく、とても介護必要状態になって実家生活がまともに回るとは思えない。

そもそも母方の祖父母夫婦2人暮らし生活しているし、自分には自分の、兄には兄の、両親には両親の人生がある以上、多少金銭面の援助はするかもしれないが少なくとも自分は直接介護をする気は全くないのだが、そういった将来の話も現状では全く聞くことが出来ていない。

子育て難易度って生まれてきた子の特性でほぼ決まるんだなぁと。



 子どもを2人育てていて、同じ親からまれて、同じ家で育って、似たような顔をしてても、兄弟って全然違うんだなって当たり前のことを実感してる。


比較対象が2人しかいないので上の子と下の子でどうしても比較してしまうんだけど、親の育て方とか働きかけがどうこうの前に全く別の人間だし、同じように育ててるつもりでも異なる経過を辿るもんなんだね。子育てって面白いな。


以下、上の子場合と、下の子場合



悪阻

 思えば妊娠から生活全然違った。

 上の子の時は基本食べ悪阻吐き気はあるけど取り敢えず何か口に入れておけば耐えられたし、頑張って乗り切れる程度のしんどさだったから法定通りの産休まで普通に出社して働いていた。

 下の子の時はザ・吐き悪阻兎に角毎日吐いて歩くたびにえづいていたし、結局出産まで悪阻が続いて毎日必死だった。貧血も酷くて鉄剤飲んでたし、ベッドから全然起き上がれなくて有給フル消化して何とか産休まで持たせて、とにかく仕事だけは落とさないように頑張ったけど勤怠ガッタガタで申し訳なさの極みだった。


出産

 これは2人とも安産。2人とも出産日過ぎても産まれてくる気配が全然なくて、入院して促進剤打って産んだ。

の子6時間、下の子の2時間とかだったかな。もしも3人目産んだ場合、30分とかで産まれそうで怖い。まぁ予定ないけど。


夜泣き

 当時からうちの子まり泣かないな?と思っていたけど、上の子は結局夜泣きらしい夜泣きがなかった。新生児の頃は夜中の授乳で起こされはするけど3時間ごとの授乳タイマーって感じで無駄な泣きが全然なかったし、生後3ヶ月くらいからは普通に朝まで寝てた。

 下の子最後5ヶ月くらいからは朝まで寝てたけど、何で泣いてるのか分からない泣きが結構あった。3歳になった今でも夜中に不意にわぁーーん!みたいな泣き声を上げことがある。夢でも見てるのか?


◆肌トラブル

 上の子は肌トラブル切なかった。お風呂上がりに保湿して終わり。

 下の子は早々におむつ被れが悪化して、おむつ替えの度にお尻洗ったり薬塗ったりが面倒だった。2人目で慢心してオムツ替えの頻度が悪かったのかなと反省したけど、多分普通に肌が敏感だったんだなと成長した今も保湿剤塗りながら思う。


◆発育

 上の子は首の座りも、腰の座りも、ハイハイも、つかまり立ちも、全てが早目で、ハイハイした翌週に掴まり立ちした時は、母子手帳大分違うな?!ってなった。

 下の子は、全てゆっくりで、離乳食始まった時点で腰が据わってなかったかベビーチェアじゃなくて膝の上に抱っこしてあげてたな。ハイハイは結局一度もせず、長いずり這い期間を経て立って歩いてしまった。ハイハイ機能搭載されてなかった。


食事

 真面目に離乳食作って長らく大人とは別メニューで育ててたら薄味好みに育ってしまい、外食に行くと辛い(味が濃い)とよく言っていた。肉魚が苦手で野菜煮物とか汁物とかが好きな子だったから、お子様メニューに食べれるものがなくて、お子様とは??となってた。

 下の子は上の子反省を踏まえて多少雑にメニューを考えていたというのもあるけど、割と何でも食べる。肉魚の方が好きかな。焼き魚をむしゃーっと鷲掴みして食べた時は驚いたし、ポテトとかナゲットとかオムライスとか上の子全然興味なかったもの普通にむっしゃむしゃ食べるので、想像の子もの食の好みだ!となっている。


言葉

 上の子言葉説明すると理解してくれる子で、発語する前からこれは危ないから触らないでと一度言うとその後一切触らない子だったので物を壊したりとかのトラブルが全くなかった。1才10ヶ月くらいで2語文を話し出したなぁと思ったらあっという間に文章になり、2才過ぎには助詞がついた普通の会話になっていた。

 下の子は2才前後で2語文になって、2才半くらいまでは、とーちゃ、ぷんぷん、やなのぉー(=お父さんが怒るのが嫌だ)みたいな赤ちゃんしゃべりを長らくしてたな。未だに滑舌ちょっと辿々しいかもしれない。言われたことは理解するけどそれより自分好奇心が勝るタイプで、3秒前に怒られた内容を繰り返して話聞いてた?!ってなる事が多々ある。


◆人見知り

 上の子はとにかく人見知りで知らない人がいる場所では絶対母親から離れない、知らない人とは一言も話さない、で人混みでの迷子とは一生無縁な感じだった。6歳の今ではまぁとりあえず挨拶くらいは普通にできるけど、知らない人は割と警戒してるかな。

 下の子場所見知りも、人見知りも全然しないで、知らない人の前に行ってやぁ!って勝手挨拶するタイプお菓子くれる人がいたらそのまま着いて行って誘拐されそうな気がする。言い聞かせてはいるけれど。


◆イヤイヤ期

 イヤイヤ期っていつからなんだろうなって思ってる間に大きくなって、結局上の子はイヤイヤ期がなかった。子どもらしくぐずったり泣いたりはあったけど、話して説明すれば納得してくれる感じ。後、断固母親派だったので、父親だと拒否することも母親提案すると受け入れてくれたりしてたので大変ありがたかった。

 下の子最近終焉を感じるけれど、よくイヤイヤしては世界の全てが嫌になっていた。エレベーターボタンが押したかった、ドアを自分で閉めたかった、とかで良くそんなに泣けますね?ってくらい号泣してはその後の一切を拒否して、あぁこれが例のイヤイヤ期というやつですね…とこちらは遠い目をしてた。


◆識字

 上の子絵本より身体を使って遊ぶ方が好きで文字に興味を持つのが割と遅く、ひらがなの読み書きが出来るようになったのは年中。今でも文章より数字・図形の方が得意な印象。読むより耳で覚えるタイプっぽいなとも思ってる。

 下の子は2才くらいから上の子あいうえお表で遊び出して、とにかく上の子の真似がしたくてくっ付いているうちに勝手ひらがな読めるようになってた。勝手絵本やら図鑑やら広げて読んでるから楽。


◆成長

 上の子は標準サイズで産まれちょっと細身かなと思ったまま成長してずっと平均より背が低い感じ。背の順はずっと前の方。去年大きめで着た服が今年ピッタリという感じで服が2シーズン着れる。

 下の子は少し大きめで産まれてそのまま成長を続けて、平均より背が高い感じ。背の順は後ろの方。夏の初めに大きめで買った服が夏の終わりにギリギリになるから服はあっという間にサイズアウトしていく。

 小さめの上の子と大きめの下の子身長差がどんどん縮まってきており、歳の差の割にあっという間に下の子身長抜かしそう。



親の育て方の影響も全くないとは言えないけれど、子ども特性って結局本人が生まれ持ったものなんだなと痛感してる。

もしかしてうちの子って育てるの楽な子なのでは?と上の子の時に薄々思ってたけど下の子が生まれて疑問が確信に変わったし、別に親の育て方が上手かったとかそういうの全然関係なくただそういう子ってだけだった。


 でも人間難しいもので、上の子を育ててる時の方が圧倒的に神経が張り詰めてて、初めての子育てで緊張していたというか、ちょっと目を離したら死んでしまいそうで乳児期はずっと怖かった気がする。育児ノイローゼとまではいかないけれど、何をそんなに頑張ってたんだろうなと振り返って思う。


 多分この先も2人は全然違った成長をしていくのだろうし、大変だなと思うところと楽だなと思うところもそれぞれなんだろうけれど、当人同士は今の仲が良い関係を維持していってくれたら嬉しい。

いやー、でも性格全然違うと思春期入ったら結構しかったりするかな。この先反抗期とかもあるだろうし、どうなっていくんだろうな。

(何となくだけど厨二病面白いことになるんじゃないかと思ってる笑)



自分一人っ子だったのでそもそも家の中に子ども複数人いることが新鮮だし、子どもそれぞれの個性を間近で見比べるのはとても興味深い。

同じ赤ちゃんでも、同じ年の子でも、全然違うものなんだね。まぁほんと、当たり前のことなんだけれど。


2022-01-04

誰かの1番になりたいという傲慢気持ち

 

 

注意:なんか長くなったし途中で話逸れてくよ!

 

 

あ〜〜友達でも何でもいいんだけど誰かの1番というポジションにつきたいな。でもそこにたどり着くまでにはそれに見合うだけの相互コミュニケーションの積み重ねが必要なんだよなあ。

大体は1人で事足りるおかげで誰かとコミュニケーションをとる労力を割く必要ないと思って行動してしまうから、いざというときに積み重ねが何もなくて詰むんですよ。

こういう損得を持ち出すような考えしてるからダメという説もある。

だけど人との輪に入ってるうちはそんなこと考えないんだよ。学校とか仕事とかで関わってる分には損得考えずにコミュニケーションとってるし、見返りも求めずに人に親切にしちゃう方だ(と思う)し。それなのにプライベートの付き合いを自分から進めるの一切しないんだよね〜〜そういう流れできてれば別だけど。

一度糸が切れると繋ぎ直そうとしないというか、切れそうになってる段階でぷっつり切っちゃうというか。それでふとした時に、周り見て「あれ?」って思うんだよね。普段別にいいしむしろ楽なんだけど、今見たいに精神的に落ちてる時ダメってわけです。

ネット観測してるとこういうタイプの人けっこういる印象だけどどう?自分場合SNSでのコミュニケーション継続するのも無理なタイプです。

 

 

健全な考えをするとそういう関係構築する上で難易度1番低いのは家族なんだけど、意外とそう上手くはいかないよね。

向こうは自分のこと1番に思ってる雰囲気あるけど、自分視点だと1番にしてあげてるんだからそのぶんこちらの思い通りになりなさいって思ってるんだろうなという受け取り方しかできない。

こう書くと反抗期の延長でしかない感じするけど、うーんなんていうか毒親までいかないけども機能不全家族ではあったなあと思うから大目に見てください。今まで生活してきた中で信用できないなというか心開くのは無理だなと思ったポイントいくつかあるんで。

まれた家庭ではあるんだけど、こういうのって下を見ればキリが無いし、今この立場にいるのは自分1人しかいないんだし誰とも比較なんてできないよ。多分ね。

 

 

というかそもそも問題自己肯定感の低さだという自覚があるんだよ。度重なるセルフカウンセリングの結果ですが。

一度ちゃんとしたカウンセリングを受けるべきだと思うけど、諸々の事情により難しいというか一定以上の効果認められないだろうなというか。

うつ診断基準満たしてる気がするし現在の状況と幼少期振り返って考えてADHD素養ありまくりだし、何かしら処方してもらった方が早いのかも。医者じゃないんで自分で診断できないけどさ。

うそう、その発達障害的な部分で言えばずっと自分のことASD寄りだと思ってたんだけど、ひとつひとつ整理して考えるとどっちかっていうとADHDだったんですよ。おもしろいねえ。こうやって話題移り変わってるのもそれっぽくない?

まあくっきり線引きできないのが発達障害の難しさなので話半分でお願いします。自分の今の現状で全然ADHDじゃなかったら絶望ちゃうからね。それも病院避けてる理由かも。でも本当にADHDだったらコンサータとかストラテラとか飲めばなんか変わるんですかねえ。

 

 

めちゃ話が変わってしまったのでこのくらいにしておきます。試しに考えを出力してみただけでした。

一応タイトルに戻っておくと、誰かの1番的なポジションにつきたい(というか誰かに肯定されたいという方に近いかも)けど、それを求めるにはコミュニケーションの積み重ねが大事。それ抜きに誰かにリターン求めるのって傲慢だよなあという話。

 

 

おしまい

2021-12-30

最近の曲が楽しめなかった

なんか呪術なんとかのKing GNUかいストールマン先生関係あるんだかないんだか、

イントロがスゴいとかレビューがあったので聴いてみた

宮崎アニメトトロ?みたいに思ってしまった

うっせぇわも聴いてみた

遅れてきた反抗期みたいな歌詞が耐えられなかった

速攻で停止押してしま

結局、いつも聴いてるような曲が安心できた

とりあえずメタリカ聴いて、

それからアナイアレイター聴いて、

80年代90年代マイナーバンド漁ったりしてた

アナイアレイターのライブアコースティックはいいね

CDでも買っておきたいぐらい

そういえばアナイアレイターの耳コピも途中だった

何かを継続する気力が最近ない

というか、なんか自分寿命が短そうという直感がある

やり残したことって何だろう

究極の画像処理プラットフォームみたいなのを構想していたが、

なんか最近C++書くのもつらいし、GoとかRustとか手を出しても中途半端になってる

なんか最近流行とか技術もつてけない

というか、やればできることも、やったらやったで虚しさが残る

チュートリアルやって、慣れるためにちょっとなんか作ってみたりしても、

急に虚しさが襲ってきて、

こんなくだらないことで人生を棒に振ってしまったんだなぁ、

とか思ってしまうけど、

それ以外の選択肢があったようにも思えないし、

病気と老化で身体ボロボロの上に、コロナだったからだろうか、

体調は人生で最高潮に芳しくないのである

それはともかく、メタルはいいね

メタルは心を潤してくれる

リリンの生み出した文化の極みだよ

そう感じないか

碇シンジ

兄が憎い、その他もろもろ

俺には1つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から仲が悪かったし、もう15年くらい顔を合わせていない

兄は陽キャだが自分陰キャだったためか、まるで好みや性格が合わなかった

喧嘩も絶えなかった、といっても以下のように一方的ものだけど…

小学生とき父親から買い与えられてた月間漫画2種のうち面白い方を、兄が突然俺のだと主張し、読むなと言い張ってきた

それでもこっそり読んでいたのだが、うっかり見つかるとブチギレられて、俺は一目散に鍵のかかる部屋に逃げ込む

すんでのところで間に合ってドアに鍵をかけると、兄は罵詈雑言を浴びせながらドアを壊す勢いでこじ開けようとする、すると祖母がやってきて30分くらいかけてなだめる

というのを100回くらいやった気がする

また中高生の頃、兄の買った漫画をこっそり読んだり、(兄にゲーム機本体占有されていたので)自分ゲームソフトで遊ぶために兄の部屋に忍び込んでたところを見つかってキレられ、逃げ出す、というパターンもあった

(俺には自分の部屋を与えられなかったし、漫画を持ってなかった、だが欲しいとも思わなかった)

兄は大学卒業正社員になって、結婚して子供もいて東京暮らしてる

俺は兄より断然偏差値の高い大学に進んだけれど、その頃から人間関係がうまくいかなかったり、勉強のやる気がなくなったり将来への不安から、引きこもったのち実家暮らし派遣工場作業員として働いてるわ

当然彼女もできたことはない、友達もいない

親の庇護下にあったときは、勝手に人の部屋に入るコソ泥みたいなやつなのに何のお咎めもないため、俺は兄からまれていたし疎まれていた

俺は反抗期がなく良い子だったが、兄は中高生の頃は反抗期真っ盛りで母親とよく口論する悪い子だったと言える

だが大人になったら俺は駄目人間で兄は立派な一人前の社会人になったんだ

死にたくなるし、兄に対して(社会に対してさえ)憎しみが沸く

兄はきっと、昔と今を比べて、胸の内でガッツポーズを取っているだろう、いや、あまりに格下の存在に対し比較することさえないかもしれない

トラウマなのか都合の悪い事実もあってか、兄についての記憶は今まで思い出すことがほとんどなかった

だが暇さえあればネットに齧りついてる俺にとってこの冬休みはあまりに暇で、ふと書き出したくなったのだ

にしても、祖母や両親はいつも兄を宥めたりするだけで、俺や兄を叱ったり、何かしら対処したりということをしなかった、事なかれ主義なんだな

兄は癇癪持ちだったし(今は真人間らしいのが不思議で悔しくてならない)俺は偏屈だし、教師である父親アスペ毒親だし、同じく教師だった祖母毒親だった…母親はいくらかまともだが、父親愚痴を俺に吐き出してくるので困る

家族全員歪んでる気がするよ

ちなみに、祖父のことは好きだったが祖母のことは嫌いだった

祖母の善人のような振る舞いが子供ながらに信用できず、小学校から帰ってきたとき出迎えてくる祖母が、もしかしたらルパンのように巧妙に変装した強盗かもしれないと妄想し、怖かった

後々になって聞かされたが、嫁である母には当たりがきつかったようだから、警戒しておいて間違ってなかったと思う

小1の頃の祖父葬式ではワンワン泣いたのだが、高1の頃の祖母葬式では一滴も涙が出なかったし、出す気もしなかった、それを陰で親族の人に指摘されたのが耳に入ったっけ

過去トラウマに向き合わなければ救われることはないだろうが、普通家族関係がわからいから、今振り返ってみても何がおかしいのか自分でわからない

こうして言葉に表すのも、子供の頃の記憶というのは妙に客観的に捉えづらくて難しい

向き合うにしたって、心が苦しくって中々できるもんじゃいね、頭を巡らせているうちに何を考えていたか忘れてしまうのも厄介だ

生きていたって何も良いことがない、そればっかり心の中で繰り返している

anond:20211230100216

の子のお母さんっぽく見えたんじゃねえすか

反抗期だろうし

2021-12-29

anond:20211229150159

私は思春期に入ってもそういうのなかった(反抗期自体がなかったのでそういう人間なのかもしれないが)

干渉しすぎないっていうのが大事だと思う

2021-12-18

子ども英語教育

自分英語で苦労したのでリベンジ的に子どもやらせようと思っている自覚はある。

8歳までにバイリンガル環境におかれた子と、それ以降に置かれた子では、2語を母語レベルで使えるかどうかに有意な差があったという研究がある。

それを信じることにして、8歳までが勝負勝手に決めてやってる。

今もう6歳。英語もやってくれる幼稚園にぶち込んで、語彙や聞き取りは年相応に良い感じだと思うけど、英語絵本とか読むと「えいごきらい…にほんごではなして…」とか言うんだよね…。

多分、理由としてはシンプルで、英語より日本語のが得意だから。得意な言語で脳に負荷なく絵本を楽しみたいから。ってことだと思う。日本暮らしてて親も親戚も友達も全員日本人で日本語に触れる時間の方が圧倒的に長いのだからそりゃ当たり前だ。

なにせ6歳の子どもだから、でもそこをちょっと我慢して英語がんばれば、将来いいことあるよ!!という大人感覚メリットはピンとこないだろう。

から、本当は6歳の子でも直感にわかる、英語を学ぶことのメリットを用意してあげたら良いんだろうけど…。

①大好きなパパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんでも、いとこでも友だちでもいいけど、そういう大事な人が英語しか話せない、とかだと「好きな人とコミニケーションを取れる」という1番わかりやすモチベーションになるだろう。これは我が家にはない。ないものは仕方ない。

次点として、大好きな友だちの中で、英語が出来ることが「良い」「すごい」と評価される、とかの環境であることもいいかも。お友だちに認められるというのは子どもにとって嬉しいことだから。これは英語幼稚園に入れたことで少し効果を感じている。英語はできると良いものなのだ、すごいものなのだという感覚は持っている様子。

英語しか触れられない大好きな娯楽(本、映画ゲーム音楽)がある。

というのもとても良いけど、まだ6歳では対人コミュニケーションの方が力を持つ。もう少し大きくなって自分世界を深めるようになれば、そちらが有力になるかもしれない。これは今は種まきをしておく。洋画洋楽洋書に触れる親を見せ、受動喫煙させておく。

この辺を組み合わせてモチベーションを高めつつ、裏技を使う。

これは子ども特性を利用した卑怯なやり方ではあるが…

④大好きなパパとママが、自分英語が出来ると喜ぶ。

気がひけるのは、小さな子どもにかかっている『親が好き』という無条件の魔法を利用するという卑怯さもさることながら、

解けた時、「あれは自分のやりたいことではなかった」と思ってしまったら、英語も一気に嫌いになってしまうという反動がくるかもしれないから。結構高めの確率で。

その魔法が切れる、10歳とか、反抗期とか、その辺までに、「まあ親の意思でやらされてはいたけど、自分にもまあまあメリットあるし、親も悪気はないし、許すか…」ぐらいの気持ちになってくれればいいんだけど。

そういう関係を築く努力を並行して続けていくという感じかな…。

ここまでして英語をさせたい理由最初リベンジとも言ったけど。

単純に、「私も子どもの頃外国かに住んでれば、もしかして英語楽勝だったんじゃん?」ていうよくある妄想が発端なんだよな。

要するにそれを自分の子どもで試してるんだが、はてさてうまく行きますことやら…。

2021-12-06

anond:20211206182125

果物我が家に送られたのは、車が放置される1週間ほど前だろうか。

から聞いたところによると、父はその代金を直接農園へ支払に行くというような話をしていたらしい。

警察農園の人に話を聞いたところ、父は実際にやってきていて、

もう一度果物を発送してくれと無理に代金を置いて行ったそうだ。

毎年来る時はしっかりした服装ジャケット着てたんだと思う)をしていたが、今回は普段着だった。

現地の過去1ヶ月ほどの天気を遡って調べてみたところ、最低気温は0℃あるいは氷点下になろうかという寒さだった。

色々なことが思い出される。

毎週、漫画喫茶(今の漫画喫茶とは違ってたくさん漫画が置いてあるただの喫茶店だった)にモーニングを食べに連れて行ってもらったこと。

パチンコで勝ったと言って、何の日でもない普通日曜日ゲーム機を持って帰ってきたこと。

退職勧奨を受けても、私や兄弟のために踏みとどまり、本意ではない職種転換を受け入れ単身赴任したこと

反抗期に施錠して家族を締め出し家に閉じこもった日、単身赴任から片道3時間かけて戻ってきたこと。

私が名の知れた大学入学したことを、親戚に嬉しそうに話していたらしいこと。

そして、自分からは触れようとしないくせに、孫の写真をたくさん撮っていたこと。

写真を見返すと、父は小さな孫を上手に抱いていた。嬉しそうに抱いていた。

2021-12-03

もっと我慢強い性格に生まれたかった

なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。

 思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。

 本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。

 学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日宿題になる。ずっと負の連鎖

 提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前ひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。

 もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。

 でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。

 そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリータイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。

 

 小3、そして小4。なぜか、プリント問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。

 このころの記憶あんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラス女の子が頭おかしいくらメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。

 記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。

 反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂自分母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。

 この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。

 最大の問題が起きたのは、小5の夏休み宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事夏休み宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。

 さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉ポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲームそれからぼーっとすること。

ゲームが大好きというわけでもないが、簡単宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。

 それで、最終的にどう決断たかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。

まあ、その日は何とか休めた。

 次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。

 しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。

 それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。

 たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。

 それ以来長期休み宿題が終わったためしがない。

 思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。

 公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。

 あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技クラスカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にの子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。

 

 そして中学1年生。

 つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライド邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。

 メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。

 宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。

 困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。

 テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。

 中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。

 メンヘラ化によるストレス限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分イライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。

 内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。

 毎日自分失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。

 周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。

 毎日死にたいと思いながら生きた。

 でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスマイナスかと言えば完全にマイナスだが...

 中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。

 内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。

 あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分希望にぴったり合った高校

 将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。

 中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。

 でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。

 みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校自分だけなわけではないが)

 メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。

 中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。

 2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。

 志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。

 でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれ毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。

 周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校あきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。

 ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分から自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。

それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。



言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験ストレスです。

こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日勉強します。

もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

2021-11-29

先日、母が亡くなった。

70代だったので少々早かったとは思うが、老衰とのことだった。

 

母が死んで悲しいかというとそういうことは無く、思い出すのは母から被った嫌な記憶ばかりだ。

母は「子供の心に恐怖を刻み込んで支配すれば、子供反抗期は起こらない」という教育方針を広言しており、事実そのような人だった。

そんな母が普通とは違うということは子供ながら朧気と認識していたが、明確におかしいと感じたのは20代後半という遅さだった。

 

言い訳させて貰うと国民的なアニメであるドラえもん」でものび太のママジャイアンかあちゃんのような母親が出てくるので、

二人を悪魔合体進化させたような私の母も普通だと思ってしまっていたのだ。

のび太のような0点ではなく、100点を取っても優しくしてくれないことに理不尽さを感じてはいたが、

まさかしずかちゃんママのような優しい母親の方が普通だったとは思いもよらなかったのである

 

母なりに子供のことを愛してくれていたとは思うのだが、恐怖と支配という手段で愛してくれていたので幸せ記憶というのが脳に残っていない。

女友達電話で話していたら盗み聞きして、後から小一時間その会話の中身を説教されたことや、

大学受験は父の後押しもあって許してくれたが国立のみ滑り止め受験禁止浪人NGだったためチャレンジが許されず一つグレードを落とさざるを得なかったことや、

数年に一度連れて行ってくれた行楽先が雨だった時に、傘も合羽も買う金が勿体無いからとゴミ袋を私に着させて(母本人は傘)衆人環視の中を行脚させたことや、

腸炎ゲロを吐きまくってた子供を放っといて母はデパートで美味しいご飯を食べてたことばかりを思い出してしまう。

 

ちなみにジャイアンかあちゃんのように直接暴力を振るってこそこなかったが、父の暴力パチスロに負けた腹いせ)は効果的に使っていたように思う。

そのため、暴力コミュニケーション手段として当たり前のようにインストールされてしまっていたため、

近所の友達にイタズラされたらすぐ殴ったし、友達の弟が勉強邪魔をしたらすぐ殴ってしまった。

今考えるととても申し訳なかったが、DV家庭で育った友人も似たようなものだったので、DV家庭あるあるなのかもしれない。

 

そんな母でも亡くなったということもありコロナとはいえ葬儀もしたのだが、母の悪行三昧のツケというのはあるもので、

葬儀では母が過去に親戚相手にしでかした嫌がらせという名の犯罪の数々の愚痴を何時間も聞かされるハメになり、ほとほと困り果てている。

ただただ頭を下げ、許しを請うしかないのだが苦情を陳情すべき本人は既に墓の下なので増田で書く次第である

祖母宗教

うちの家族とある宗教に入信していた。全国的に展開している宗教だが、名前を聞いてもパッとイメージできる人も少ないと思う。カルト寄りな宗教というわけではなく、教祖の教えは割と真っ当なものだったように思う。祖母が熱心な信者だったが、祖父と両親も毎日のお祈りなどは欠かさなかった。そして僕も物心ついた頃からお守りのようなもの24時間365日肌身離さず着けているよう言われ、毎日夕飯の前にお経?のようなものを唱え、両親や祖父母の言いつけを守り教祖のありがたい教えを聞いていた。子供の頃はそれが当たり前だったし、どの家でもそうしているものだと思っていた。

両親には「うちは貧乏から」と言われて育った。誕生日クリスマスプレゼントがまとめられ、お小遣いや毎年のお年玉の額には常に不満を持っていたような気がする。もちろんうちより貧乏な家庭は他にごまんとあっただろうし、今思い返せばそこまで生活不自由を感じたことはなかったと思う。しか子供ながらに不満に思っていたのは年に一度もらえるお年玉よりも毎月両親や祖父母が宗教団体にしていたお布施の額の方がはるかに多かったことだった。そしてその少ないと感じていたお年玉すら祖母にはお布施するように言われたことがある。祖母いわくお布施をするとそれが何倍にもなって返ってくるよということだった。

祖母家族よりも自分自分よりも宗教を優先する人だった。毎月もらっている年金はほぼ全て宗教につぎ込み、毎月県外の総本山に足を運んでいた。家のローンで家計が苦しいのもわかっていながら家にお金を入れることは一切なかった。幼い頃は祖母のことが好きだった。宗教では色んなイベントをしていて、そこによく連れて行ってもらっていた。うちでは旅行なんてほとんど行くことはなかったが、総本山に連れて行ってもらった時は旅行気分で本当に楽しかった。何千人という人が祈りを捧げていて、子供ながらにスケールの大きさに感動したこともあった。しかしいつからか、何もかも宗教を優先して家族のことを顧みない祖母のことが嫌いになっていった。

僕は中学になる頃、思春期真っ只中だった。例に漏れ反抗期を迎え、その頃は前述のお布施のことに気付いた時期でもあった。夕食の前にわざわざ見ているテレビを消してお経を唱えるのが嫌だった。学校で着替える時に同級生にお守りのことを聞かれるのが嫌だった。年末はいつも唱えるお経が長くなるのが嫌だった。祖母教祖の話を絡めて説教されるのが嫌だった。祖母や両親は宗教の教えに従っていれば必ず幸せになれるよと言った。お守りを持っていれば守ってもらえる、病気も治ると言った。僕は思った。うちは貧乏お金がないのに本当に幸せなのだろうか?貧乏だというなら、宗教をやめてお布施しているお金生活費に回したほうがよっぽどいい生活ができて幸せなのでは?お金が全てではないと思うが、お金持ちの家の方が確実に幸せだ。

高校生になる頃、僕はお守りを押し入れの引き出しの中にしまい、身につけるのをやめた。学校帰りに友達と遊ぶようになり、夜中まで帰らないことも多くなった。夕飯前のお経も参加するのをやめた。お布施の入っている箱から数万円抜いたりすることもたびたびした。祖母はそんな僕とほとんど口を聞かなくなり、顔を合わせるたび嫌みを言うようになった。僕はますます宗教が大嫌いになった。

そんな僕も祖父のことは大好きだった。昔から本当に優しくしてくれたし、毎年年末には二人で2000ピースほどの風景写真ジグソーパズルを作り、祖父の部屋に飾っていた。中学になる頃までは毎年欠かさずやっていて、今年は祖父がどんなパズルを買ってくるのかと毎年ワクワクした。高校生の頃、思春期ほとんど話さなくなってしまった時に亡くなってしまったのであの時はもっと話をしておけばと本当に後悔した。祖父が亡くなった後、祖母邪魔からと言って飾ってあったジグソーパズル祖父私物もすぐに全部処分してしまった。その頃から僕は早くこの家を出たいと思うようになった。

その後は高校卒業し県外の大学に通うため実家を出た。自由になって実家のありがたみを感じたが宗教についての価値観は今でもあの頃と変わっていない。信者たちはそれぞれ宗教を拠り所にする理由があるのだろうが、僕にはやはり必要ないと思った。大学卒業して地元に戻ったが、家族で僕だけは宗教に参加しなかった。

20代半ばで結婚してすぐの頃、祖母が亡くなった。その頃はもう実家を出ていて祖母にもたまにしか会うことはなかったが、祖母最後まで教祖の教えを口にしていて、死ぬことは怖くないよと言っていて本当に幸せそうだった。教祖の教えに「肉を食べると凶暴になる」みたいなのがあった気がするのだが、祖母はそれをみて肉は一切口にしなかった。しかし結局それが根本的な原因の病気で亡くなったんだと聞き、なんとも言えない気持ちになった。遺産はなかった。祖母の通帳の中身もほとんど0に近かった。

しかし、祖母葬式には本当にたくさんの人が来た。ほとんどが宗教関係者で、みんな口を揃えて「祖母には本当にお世話になった」と言った。それを聞いて僕は改めて祖母はたくさんの人に愛されて幸せだったんだなと実感することができた。

僕は現在30代になり子供もできて思うのが、たとえ子供だろうと選択する自由はあって然るべきだということ。宗教を信じるも信じないも個人自由だが、押し付けたりすることは絶対にいけないことだと思う。たとえそれが自分の子供であっても、子供意見尊重しないといけないと改めて感じた。子供の頃の体験は僕に、自分にとって何がベストなのかを常に考え行動することの大事さを教えてくれたように思う。

2021-11-23

anond:20211122190639

ネガティブな事で感情的になるな」ってのは難しい注文だな…

仮に普段穏やかな人でも、大病したり慢性病患ったり災害に遭ったりと様々な理由精神やられて性格変わったりする

(今33なら不妊治療可能性もあるだろうが、あれもかなりの全方向ストレッサー

更年期メンタルぐちゃぐちゃになる人もいるし

いつまでも相手が変わらないでいてくれるって感覚ときついと思う

 

子供欲しいみたいだけど、我が子が思春期ホルモン暴走で本人にはどうしようもなくめっちゃ感情的外罰的になるのはクリアできる?

増田毒母反抗期封じられていたように読んだので、こういうの実感ないかもしれないけど…

2021-11-21

仕事しててめちゃくちゃ毒親っぽいなぁ…と思ってた人が

今日「うちの娘は本当に偏屈な子でねぇ。連絡しても返事もよこさないし既読すらつかないし。旦那電話しないと出ないの。酷いと思わない?いい歳していつまで反抗期やってんのかしら」と言ってて

こっちは他人から「え、そうなんですか」で終わらせたけど

内心、でしょうな…って思った

両方疎遠ならまだしも父親とは連絡付く時点で反抗期とか偏屈じゃないだろと

私も仕事じゃなかったら話すのだるい

ダディクール関連の面白いコピペをまとめておきたい

個人的面白いと思ったヤーツがオールでまとまってるまとめがなかった故、自力でまとめた増田つくってみるお


まあ、アメリカ人バーベキューへの思い入れは凄まじいものがあるからな。

海外赴任中に取引先のデブに、ディナー奢ったお礼に誘われて、嫌々行ってみたんだが、

まず肉が凄い。キロ単位で塊で買ってくる。手土産に持ってった肉をみて「それじゃ足りないよ、

貧乏人」という顔をする。エコノミックアニマルはいつまでも肉食には慣れないらしい、みたいな。

絶対、その肉4キロより、俺が買ってきた肉500gの方が高い。っつうか、それほぼ脂身じゃねえか。

で、デブが肉を切る。やたら切る。不良風のデブ娘とデブ息子もこのときばかりは親父を尊敬

普段、目もあわせないらしいガキがダディクールとか言ってる。郷ひろみか? 畜生氏ね

鉄板も凄い、まず汚ねぇ。こげとかこびりついてる。 洗え。洗剤で洗え。つうか買い換えろ。

で、やたら焼く。焼いてデブ一家で食う。良い肉から食う。ゲストとかそんな概念一切ナシ。

ただただ、食う。デブが焼いて、デブデブ家族に取り分ける。俺には回ってこない。畜生

あらかた片付けた後、「どうした食ってないじゃないか?」などと、残った脂身を寄越す。畜生

で、デブ一家、5キロくらい肉を食った後に、みんなでダイエットコークとカロリーカットのビールを飲む。

今日は僕も飲んじゃう」とかデブ息子が言う。おまえ、酒どころか絶対薬やってるだろ?

デブ娘も「ああ、酔っちゃった、あなた素敵ね」とか言う。こっち見んな、殺すぞ。

デブ妻が「太っちゃったわね」とか言って、デブ夫が「カロリーゼロだから大丈夫さ」とか言う。

アメリカンジョークの意味がわかんねえ。畜生、何がおかしいんだ、氏ね

まあ、おまえらアメリカ人バーベキュー誘われたら、要注意ってこった。


でね、そのデブ日本に来た時に飯奢る羽目になったんですよ。当然、焼肉。ごく自然焼肉

焼肉屋連れていくとデブの娘から、デブ画像の添えられた素敵メール届きそうなので少し高い焼肉屋。

っつかね、会社のアドにメール寄越すなデブ娘。デブもメアド教えるんじゃねえ。裁判起こすぞ、糞。

デブと二人で焼肉氏ね死にたい入店したら、驚くほど綺麗な発音で注文始めるんですよデブ。

カルビ・ロース・タンサキ..何だ?タンサキって? 初耳。へぇ、そんなのあるんだ? 物知りぃ! 糞、氏ね

よせばいいのに店員が聞き返すんです。特選にしますか?上?並?って。デブちょっと困った顔で、

答えてんの、「特盛りだ」って。それはわからないんだ、デブ。可愛いボブ、可愛くねえよ、氏ね

当然、俺が全て並だ、と答えようとしたら、若い女店員が要らない機転を利かせるわけです。

「ローグレードorハイグレードorプレミアム?」なんだ?その三択。おまえ首。マジ首。っつうか、自分の店の

商品をローグレード言うな。嘘でもポピュラーとか言っとけ。寿司屋の頑固親父か、糞、畜生。ファック。

で、デブはニタリと笑って、「プレミアム」って、答えるんです。で、グルメっぷりを語るんです。嘘つけ。

特盛りを中国から来た俄成金みたいに「こんな美味い物初めてだ」ってガツガツ食ってたじゃねぇかデブ。

で、なんか店員にお世辞言ってるんです。「君の英語接客は、世界通用する」みたいな。

店員も照れてやがんの。馬鹿バーカ。好きだ。で、英語を学びグローバルな人間になりたいと望んでる

みたいなこと言ってんの。あぁ....オジさん、英語の前に察しと思いやりの文化学んで欲しかった。

でね、ガッツンガッツンガッツ食ったわけですよ、デブ、店員と仲良くなりながら、牛だけで二万くらい。

店員が皿を下げに来るたびにmore?って聞きやがって、デブがmoreと答えるの。最悪のコミュニケーション。

で、最後にダイエットコークを頼んだんだけど、「ない」と言われ「俺を殺す気か!」と切れてやがんの。

お前ら、仲良かったじゃん?アメリカに来た時は、バーベキューをご馳走するとか、息子を紹介するとか

言ってたじゃん? でも結局、マスクメロン頼んで機嫌直してデブ笑顔。 氏ね、本当にお願いします。

ま、アメリカ人と肉食う時は要注意ってことと、ロバートをボブと略す理由を誰か教えてくださいってこった


※235

ロバートをボブと略す理由を誰か教えてくださいってこった。

Robertが、Robになり、Bobになった


※243

レスありがとうございます

長年の疑問が氷解したような気がいたしま


※243

※245

ちょっちまて、

そんな説明で納得できるのか!?


※248

俺の知っているアメリカ人はRとBくらい平気で間違える。あの説明問題ないです


牛肉といえばこんな思い出があるな。

俺がとある事でアメリカの家庭に数日間ホームステイに行った。

そしたらそこのハゲ親父が俺をステーキショップに行こうと誘って来た。

特段腹も減ってなかったが、ここで断るのも失礼に当たるので

そのハゲ親父の好意に甘えさせて貰う事とした。

取りあえず店内に入り、その親父のお薦めメニューを頼んだんだが

いきなり、特大のサラダボールにきたねートッピング野菜

きたねー無愛想な女に運ばれて2つゴロリ無造作に置かれた。

そのハゲ親父曰く、「前菜が来たよ。まあ取りあえず食いながら話そうじゃないか」だと。

おいおい。これがメリケン流の前菜かよ。ゆうに2㎏はあるぞ。

というかこのベジダヴォーで十分俺の家族の1食分賄えるぞ。

おいハゲ親父。俺は馬か?ん?馬だったのか?これくらいなら食えるだろ?みたいなツラしやがって。

食えるかハゲ。と思ってたら、俺が半分も食わないうちにこのハゲペロリと平らげやがった。

そしたら「ユーは随分ゆっくり食べるんだな」だと。死ね。この胃拡張

野菜も飽きてきたので肉が来ないかと思っていたらなかなか来ない。待てど暮らせど来ない。

注文から45分たってようやく野菜を食い終わった後肉が来た。が、おい、これは何だ。

どこの部位だ?と問いつめたくなるくらいの肉塊だった。

すでに俺の胃袋はさっきの野菜満タン。差詰めメルトダウン寸前のゴジラだ。

こんなの食えるかアホ。と叫びたかったが、我慢して食う。ひたすら食う。

しかし食が進まねえ。食物が明らかに胃を圧迫してるのが解る。吐きそうだ。

そうこうしているうちに、ハゲ完食。

ハゲ親父曰く、「HAHAHA!!どうした?いっぱい食べないと大きくなれないぞ。」だと。殺すぞ。

俺が食い終わるとハゲドリンクを注文。まだ何か胃に入れたいのか?

取りあえず俺はジュースにしたが、そこで出る量が半端じゃない。遠足に持っていくんじゃないんだぞ。

胃の洗浄でもするつもりかボケしかもこれ恐ろしく不味い。子供用の液体風邪薬じゃねーかコレ?

そして店を出た。帰り道に妙に臭いんで路地裏を見ると黒人たちがマリファナ吸ってやがる。廃人になって死ね

家に帰ると冷蔵庫からターキーを取り出して来た。このハゲまだ食うのかよ。

結論:もうアメリカには行きたくない


初めてこのスレきた。もーびっくり。私も昔※30と同じような経験しますたよ。

BBQ仕切れる男こそ真の男みたいなの、アメリカ

で、5~6人でBBQすんのにトラック出動しちゃってるし肉なんかマジ牛頭分くらい。

最初ソーセージやいてホットドック作ったらそれが前菜。菜だけど野菜無し。

日本人なら普通それで満足。あとは飲みたい雰囲気ビール3ケーススタンバイコーラもある。

なのにドッグ2本ノルマで肉登場。切る、焼く、切る、焼く、食う食う食う食う、飲む飲む飲む。

しか日本焼肉のタレみたいなおいしいソースじゃないから物凄く飽きる。

「あら食べないの?あ~あなたいつも少食だものね。デザートにする?」とリサ(推定85kg)

リサはすごい。バストが素で100cm超え。すいかみたい。肉のなせる技!それは羨ましい。

で、気を利かせたジョシュが枕みたいな袋に入ったマシュマロ焼く、全部で2袋。

人の食ってた肉にマシュマロとろリと掛けて「やめろよ~」「あはははは」みたいなノリ。やや引く。

オレオで挟んでそれに添えるアイスキロ単位で登場。「お好きなだけどうぞ♪」

まだみんな肉食ってる。「もうデザート?お子様みたいよ」「あはははは」全然楽しくねぇ。

地獄の肉がやっと半分くらいになった頃、散歩中のカポーさんを誘い消費させる。

お開きにする時BBQセットはそのままトラックの荷台へ投げる。砂も土もついてる。

「ねーそれ洗わないの?」「ああ、また来週使うからアメリカ人すごい元気。もうこりごり。


まあ、確かに我々アメリカ人バーベキューへの思い入れは凄まじいものがある。

海外赴任中の取引先の青瓢箪を、ディナー奢ってもらったお礼に誘ったんだ。モチロン彼も快諾してくれたよ。

まずなんといっても自慢は肉だな。キロ単位で塊で買ってくるのさ。これぐらいなくてはバーベキューとは言えない。

日本人も手土産に肉を持ってきたようだがそれじゃ足りないよ?日本と言うのは豊かな国だと聞いていたのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。

エコノミックアニマルはいつまでも肉食には慣れないらしい。

絶対、その肉500 gより、私が買ってきた肉4キロの方が満足感が高い。しかも、それほぼ赤身ではないか

で、私が肉を切る。ひたすら切る。最近反抗期キャシーマイクもこのときばかりは私を尊敬してくれる。

普段、目もあわせてくれない二人がダディクールと言ってくれた。日本人が「ゴーヒロミカ?」とか呟いたような気がしたが、気のせいだろう。

鉄板も凄いぞ。まず年季が入っている。こげとかこびりついてる。 洗わん。絶対に洗わんぞ。買い換えるなどもってのほかだ。

で、ひたすら焼く。焼いてマイファミリーで食べる。ゲストが持ってきてくれた肉から食べる。それが礼儀と言うものだ。

ただただ、食べる。私が焼いて、ワイフがキッズ達に取り分ける。ふむ?客人はあまり手を出していないようだ。遠慮しているのかね?

あらかた片付けた後、あまり食べていなかった客人に、残った肉を分けてやった。

で、5キロくらい肉を食べた後に、みんなでダイエットコークとカロリーカットのビールを飲む。

今日は僕も飲んじゃう」などとマイクが言う。今日ぐらいは許してやろう。だが、ドラッグには絶対手を出すんじゃないぞ?

キャシーも「ああ、酔っちゃった、あなた素敵ね」とか言う。いかん。いかんぞキャサリンそいつはきっとインキン持ちだ。

ハニーが「太っちゃったわね」と言い出したので、すかさず私が「カロリーゼロだから大丈夫さ」と言ってやった。

うむ、今日も私のアメリカンジョークは冴えているな。HAHAHA!

まあ、君たち、アメリカ人としてバーベキュー誘うときには、気合を入れてくれたまえ。

ところで諸君あの日本人がしきりに「チクショー」だの「シネ」だのと呟いていたのだが、どういう意味か分かるかね?


アメリカ人カロリーを摂りすぎだ、という話を聞きますが、

それを実感できるエピソードを友人から聞きました。

彼の会社に、3ヶ月間アメリカ人が来たときの話。

最初の1週間、友人はいろんなところにランチに連れて行ってあげたそうです。

定職やすし屋、ラーメンどんぶりそばうどんイタリアンetc……

結果、アメリカ人が大いに気に入ったのは、トンカツ屋。しかも一番でかいロースカツ300gみたいなのがベスト

結局残りの2ヶ月半は、ほぼ毎日そこに通っていたそうです。

友人は呆れてこう思いました。「さすがアメリカ人。高カロリーもはなはだしいぜ」

ところが……3ヶ月経って帰国するころには、彼は5kgも痩せていたそうです。

そして彼は、お別れの挨拶ときに、こう言ったんだとか。「ジャパニーズフード・イズ・ベリーヘルシー」

おまえ普段アメリカで何食ってんだよ!


いや、でもさ。

俺が大学時代に、とんでもねえデブアメリカンが留学してきたんだよ。

身長170センチウェスト170センチ体重は「恥ずかしいから秘

密(実は190kg)」っていうくらいのデブ

日本に来ても食べまくり。「日本食はヘルシーって聞いてるよ」とか言っ

て、豚カツだの、天ぷらだの食いまくり。メシなんて、一回で5合くらい食ってたと思う。

そんな状態なのに、半年そいつ、40kg痩せたんだよ。さらに1年が過ぎたら、120kgくらいに。

奴曰く「日本食はヘルシーだよ。やっぱり」って感激してたが、アメリカがやっぱりおかしい。


おかんの知り合いの男性ALT来日した頃は超ピザ体型でな

日本に来て3年くらい経ったら20キロくらい痩せちゃって当初とほぼ別人

この間も


ALT(*゚∀゚)「ユ●クロノ3L着レルヨウニリマシタ!!!」


おかん(;゚д゚)「よ、良かったね・・・(昔は何サイズだったんだろgkbr)」


なんて風に超喜んでたとか・・・

野菜嫌いで肉魚米ばっか食べてのに痩せるなんて、実家では一体どんな食生活してたんだgkbr(((((;゚Д゚)))))

ちなみにそのALT・・・仮に【マック】と呼んでおこう

マック故郷彼女がいたんだけど

ALTとして数年ほど日本に行ってくると告げた途端に

(゚∀゚)ノシ「ByeBye!」と別れを告げられ

それでも日本に来ることを選んだシビアな経歴の持ち主w

・・・まあ、今のマック日本食ダイエットで痩せてかなり格好良いし

故郷に帰っても恐らく以前より断然女の子モテるようになってるだろうから

前の彼女なんかよりもっと素敵な女の子を射止めることだろう


まあ、むこうの国の治安常識は凄まじいものがあるからな。

海外赴任中に取引先のデブに、命救ったお礼に誘われて、嫌々行ってみたんだが、

まずスラムが凄い。秒単位で新しい犯罪出てくる。護衛用に持ってった38口径をみて「それじゃ死なないよ、

貧乏人」という顔をする。エコノミックアニマルはいつまでも重い銃は慣れないらしい、みたいな。

かに、そのデカい銃より、俺が買ってきたやつの方がショボい。っつうか、それほぼショットガンじゃねえか。

で、デブが銃を撃つ。やたら撃つ。不良風のズベ売春婦と草でラリってるニガーどももこときばかりはホールドアップ。

普段、道端でブルってるリーマンがお前には黙秘権があるとか言ってる。裁判受けさす気なんてあるのか? 畜生氏ね

ホワイトハウスも凄い、まず汚ねぇ。汚職体質とか染み付いてる。 変われ。俺に代われ。つうか仕事しろ

で、やたら焼く。焼いてブッシュ一家占領。良い利権から食う。国連とかそんな概念一切ナシ。

ただただ、貪り食う。爆撃機が焼いて、ブッシュラムズなんたらに取り分ける。日本には回ってこない。畜生

あらかた片付けた後、「どうした食ってないじゃないか?」などと、BSE牛肉を寄越す。畜生

で、ブッシュ一家、5回くらい無差別テロ食らった後に、自衛隊イラク治安維持と後始末をたのむ。

今日は僕も(懐に)飲んじゃう」とかノムヒョンが言う。おまえ、横領どころか弾劾裁判寸前だろ?

金正日も「ああ、拉致っちゃった、あなた工作員ね」とか言う。こっち見んな、殺すぞ。

グリーンピースが「スペインテロられたわね」とか言って、アムネスティが「ETAから大丈夫さ」とか言う。

アメリカンジョークの意味がわかんねえ。畜生、何がおかしいんだ、氏ね

まあ、おまえらアメリカ人に共同戦線誘われたら、要注意ってこった。


まあ、アメリカ人クレジットカードへの思い入れは凄まじいものがあるからな。

海外赴任中に取引先の月収20万円しかないデブに誘われて、嫌々遊びに行ってみたんだが、 まず家が凄い。

プール付きの100坪以上で4千万。俺ん家の写真をみせると「それはガレージだ、 貧乏人」という顔をする。

エコノミックアニマルはいつまでもウサギ小屋だな、みたいな。 絶対、その家のローン完済できない。

っつうか、それいわゆるサプライムローンじゃねえか。 で、デブがでかいピックアップトラックを見せる。

これはカードで買ったという、不良娘とデブ息子も このときばかりは親父を尊敬

普段、目もあわせないらしいガキがダディクールとか言ってる。 郷ひろみか? 畜生氏ね

カード金利も凄い、18%どころじゃねえ。23%、26%とか冗談かよと思う。使うなつうか返済しろ

で、やたらカードを持ってる。片っ端からカードを作ってデブ一家で使う。

節約とかそんな概念一切ナシ。ただただ、浪費。

給料の倍以上を通販で片っ端から購入。返済には回さない。アホか。

あらかたカードの枠を上限まで使って、「これはもう使えない」などと、カードの束を寄越す。バカめ。

で、デブ一家海外旅行で豪遊までした後に、みんなでバーベキューを庭でやる。

明日は職案いかなくちゃね」とかデブ息子が言う。おまえ、絶対働く気ないだろ?

デブ娘も「日本人は働くだけで楽しまいから可哀相」とか言う。こっち見んな、殺すぞ。

デブ妻が明細を見て「今月は使いすぎだわね」とか言って、デブ夫が「ミニマムペイだから大丈夫さ」とか言う。

アメリカンジョークの意味がわかんねえ。畜生、何がおかしいんだ、氏ね

2021-11-19

学生自治ごっこ遊び

国政よりも空気なのは

正直私は学生自治など成績優良者の中でも教職員従属することを決めた奴らのごっこ遊びか、アカの手先になることを決めた性格に難しかないエリート工作活動だと思う。

実際学生自治学生運動へ発展し左翼労組と共に世の中を混迷のどん底に突き落としたのは明白。

1割の人の都合は無視する必要があればせざるを得ないが、4割の人の都合を無視するような「自治」は果たして自治か?私は全くそうは思わない。

例え自治会長の決め方を学生の直接投票にしてカンバンを被せたところで、結局やるのはカリキュラム達成のための手助けでしかない。自分のやりたいことなど何一つない。ただ内申を上げたいだけ。

だとしたら学生の直接投票自治への参画からただの無駄な手間へ変貌するだろう。ペラペラ政策を見せられ、仕方なく投票する。こんなはっきり言ってゴミのような制度はいっそない方が良い。やるのであればスケジュールに対して強い権力を持って日程変更なども自治会が発すればやらせられるレベル権力を持たせるべき。「ここまでやらせては学校の秩序が崩壊する」と言っている教職員どもは今すぐ人生やり直せ。もっと大きい集団学生自治よりさら自治性の高い3集団がまとめている国に何年いる。

政治家の質や新規性の低下もあるんだろうが、まずこんな地獄を超えてもはや空気と化している学生自治見直しこそが投票率の上昇にもつながり民主主義を回転させると思うのだが、残念なことにいまだに特に公立高校ではそのような動きを聞かない。

最後自称自治会ども。教職員ファンクラブは別枠でやって自治会では自治会の意思を発揮しろ。じゃなきゃ学生自治邪魔から自治会を辞めるなり最悪学校を辞めるなりしろ

憲共という害

なんだねあいつらは。野党の面汚しだと思う。あのような非建設的な週刊誌主義野党第1党上り詰めたのは多分運動家のジジババとイメージだけで物事を考えその先や物事の中身も考えないウェイどものおかげだと思う。「なんか政権キモい反抗期してれば票がもらえるね」と誤解した集まり。是非とも建設野党には日本を正しい方向に成長させてほしいし、侵略国家に対して態度装備ともに毅然とした防護を見せつけてほしい。

形骸化する「公共の福祉」?

最近またミソジニストが暴れだしているようだが、表現の自由保証されている法律に書いてある5字の言葉すら知らないのかも知れない。

日本憲法12条。

《この憲法国民保障する自由及び権利は、国民不断努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。》

営業妨害嫌がらせに及んでいるのなら公共の福祉のために利用していないのではないか?此処最近思うのだが、公共の福祉というもの理解せずに様々な行動に走る人間が多すぎる。警察消極的すぎるからこそあいつらは自称正義を加速させていく。警察含め治安維持機関過激左翼への監視もいいが、もっとこういう社会全体にリスクを及ぼすような存在監視することもまた業務にあるべきではないか

国家がやるべきことを国家やらないからこそ、ヤクザ自警団ができるのだ。国家責任を持ってやればそのような無秩序な集まりは出てこない。そして、それを理由根拠理論もなしに妨害するような人間は捕まえてもらって構わない。治安維持とはそういうもの

2021-11-18

anond:20211118170253

国としての歴史ある中国は好きよ

人も、韓国よりは遥かに義?がある感じするし

ただまあ政治的問題と、それに扇動されちゃう人(中国内の)ってのはどうしようもないね


エンジニアとして中国の優秀な人(みんなITエンジニアなのに日本語喋れる、あっちの一流大卒)と仕事してたけど

10人いて9人はいい人だった。

一人だけ、若いせいもあるんだろうけどあからさまに半日むき出しで、反抗期の子供みたいで困った記憶はあるw

2021-11-06

入籍したんだけど家族顔合わせがとてもいやだ

今年の1月入籍をした。が、旦那の両親が高齢で両家遠方に住んでるからコロナからとかなんとか言い訳をして、まだ両家顔合わせをしてない。

とうとうしびれを切らした母が「両家挨拶しないのか?」と電話をかけてきた。当たり前だと思う。だけど顔合わせが憂鬱で仕方なく、重い腰が上がらない。嫌だという気持ちが勝って憂鬱だ。

いろいろ理由はあって、自分の両親を両親だと紹介するのがいやで仕方がない。私と両親、ひいては弟や妹と関係がよくない。半分くらいは私がぶち壊した。

うちはいわゆる機能不全家族に該当するんじゃないかなと思ってる。両親は私が幼い頃、ある日を境に事務的なやりとりしかしなくなった。両親のことは両親にしかからないけど、たぶん口論になって父が母に馬乗りになって首を締めたあの日から、あの人たちは夫婦じゃなくなったんだろうなと推察している。

この喧嘩からすぐに、父は逃げるように単身赴任に行った。私をはじめとして3人の年子を抱えた母は、ワンオペ育児ストレスマッハだったため、その解消として父の悪口を言いまくった。私は幼稚園とかそこらだったので、善悪区別がつかずに母と一緒になって父の悪口を言った。そして父の居場所家庭内になくなった。もともと口数が少ない父だったが余計に話さなくなった。コミュニケーションがなくなり、母はますます父の悪口を言うようになった。

当時は本気で父が悪だと思いこんでたのだけど、今では本当かどうか定かではない。大人になった今でも、理由のない生理的嫌悪感が勝って私は父の顔を直視することができない。

心のどこかで母に嫌われたらひとりになってしまうと怯えていた私は、徹底的に母の味方になろうと努力した。父を徹底的に嫌った。誕生日や週末など各種家族イベント父親がいなくても、あんなのいなくてもいいよとか平気で言ってた。本当は寂しかったけど我慢した。

父にも母にも素直に甘えられなかった結果、順当に反抗期を迎えた。詳しくは忘れてしまったけど何気ない母の一言でプチンとキレてしまい、一切口をきかなくなった。イライラ暴力という形で妹たちにぶつけたりした。家の中の空気は最悪になった。反抗期の終わりは妹に馬乗りになって首を締めたとき。さすがに、これは自分やばいと思って、妹たちとの接触も避けるようになった。

そんなことをしているものから、私も家の中で居場所がなくなった。いろいろあって大学受験も失敗して、1年浪人したけど最終的に精神的に参って勉強机に向かえなくなったので働きに出た。2年くらい働いた後専門学校入学し、手に職をつけて、家出同然で遠方に逃げた。そこで今の夫と出会い入籍を機に両親と連絡を取るようになった。

たぶん父や母に素直に怒りや寂しさをぶつけてたら、こんなよくわからないことにならなかったと今は思ってる。

でも祖母に「お母さんは、お父さんがいなくても一人でがんばってたんだから」とか「一人で大変なんだから」と常々言われていて自分が長女だったことも手伝って、母ががんばってるんだから我慢してたら、母に向かって気持ちを話そうとすると声がでなくなってしまうようになってよくわからない方に拗れた。素直な気持ちを話そうとすると声が詰まるのは今も治らない。

母は当時、子どもを育てるために父と婚姻関係継続しているんだろうと今ならわかるけど、子供ときはそれが辛かったし、反抗期はそれが理解するとこを拒んだ。育ててもらって感謝はしている。なので贅沢な悩みかもしれないけれど、父や母の人生犠牲にしてまで不自由なく育ちたくなかった。

会話もしないで、ほんとにこの人達夫婦なんだろうか?そんなに嫌いなら、いっそ離婚してくれればいいのにと思ってた。自分がいなかったらこの人たちはもっと楽しい生活を送ってたんじゃないかと、子供の頃は自分を責めた。

どうしてほかの家の両親は仲良しなのに、うちの両親は仲がよくないんだろう?と、ほかの家が羨ましくて仕方がなかった。小さい頃は、二人の間を取り持ったり変な気を回して空回りしたりと余計な努力をしていた。

大人になったら多少なりとも分別はつく。私は「いい夫婦、よき両親」の理想押し付けているだけだった。うちはうちで、よそはよそ、ないものねだり、どこの家でも多少なりとも問題はあって、DVとか殺人とか世の中のニュースを見ていると「うちってまあ酷い事件に比べたら平和だったよね」って思う。会話がなくても金銭的に困ったことはなかった。

理屈ではわかっているけど、心が追いつかない。当時のことを思い出すと、さみしいとか悲しいとかい感情が湧いてくる。

今度両親を「両親」として二人並べて紹介するんだと思うと、気持ちがぐちゃぐちゃして胸が苦しくなる。夫の両親はとても仲良しなので余計に惨めになる。羨ましさも入ってるので、そこでさら自己嫌悪を覚える。

5ちゃんとかの壮絶修羅場スレと比べれば人生超絶イージーモードだと思います。贅沢な悩みだよって。だけど両親に連絡取れるようになるまでにはかなりの時間を要したし、母に「お前が家出をされてとても苦しんだ」と言われた時は軽く憎悪を覚えた。黙って家を出て連絡を絶ったのは事実なので何も言わないし、これからも言うつもりもないけど。

まあ夫もやろうかと言ってくれてるので、ちゃんと顔合わせはやると思います

両親を繋ぐことが出来ず、家族関係を拗らせてしまった私の罪は重いよなと、本当に無能子供でごめんなさいと、ずっとずっと思っています

できるだけ迷惑かけないように、静かにフェードアウトします。

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