はてなキーワード: 夜行列車とは
理由:独りが寂しいため
結果:1.5年で結婚
1.合コンに参加した
05年ごろから2chにどっぷり→タチの悪いニコ厨→普通のオタクという経歴。男子校から理系大に進んだので女性への免疫がゼロに近く、所属していた音楽サークルでも男ばかりで固まっていた。男ばかりだったのも原因か。2015年に社会に出て、同期と遊ぶ日々を送っていた。そろそろ彼女が欲しかったので、人数合わせで呼ばれた合コンに参加する。場所は新橋(何故?)のどこかの小洒落た店でご飯が美味しかった。自己紹介の時点でこの空間には向いていないと理解し、程々にやり過ごす。数人と連絡交換するも進展なし。会話に慣れていない人が合コンに行ったら終わってしまうことを理解した。
●学び
オタクは共通の趣味のない相手とのコミュニケーション能力が極めて低い
短期決戦を目標にとりあえず3ヶ月登録した。プロフィールで音楽やサブカルに興味があることを匂わせていれば、多少なりとも共通の話題のある人と出会えるはず。そう思いある程度趣味を前面に出したプロフィールを載せた。1週間で3人とマッチングしたため、最も気が合いそうな人と真剣にメッセージのやり取りをする。半月後に新宿で映画を見るデートをこなす。幸いメーカーの技術職である相手も音楽や映画に造詣が深く、上野やお茶の水(電気街が近いので)、吉祥寺あたりでデートを重ねた。
●学び
3.交際開始
2ヶ月ほど経ち、お試しで交際を始めることになった。時を同じくしてお互い敬語で話していたのをタメ口に変更するよう心がけた(これは結婚した今でも頑張ってる)。あまりにも居心地が良かったため、旅行を提案したところ快諾、ぴったり割り勘で出雲へ行った。夜行列車は思ったより楽しかった。その他いろいろな場所へ行き、昨年末に入籍した。
●学び
4.まとめ
所謂婚活に費やした金額はマッチングアプリの1万円と合コン代くらいか。見た目がそんなに良くないアラサーでも結婚できた。よかった。
新幹線でびゅわーんと言った訳なんだけど、
東京へ行き来する新幹線に乗ってる人の半分は東京ディズニーランドに行く人行ってきた人と言う私調べ。
スーツ着てる人は大半で多いけど、
あれはカムフラージュで
その気持ちの動揺を隠している人たちで、
なんかもう行きの帰りの列車内はもっと楽しい雰囲気みんな醸し出してもいいかもしれないんじゃない?って思うのよ。
そしてそして、
そのうちの半分が再入場に必要なスタンプを手の甲とかに押してもらってるはずだから、
東京ディズニーランドに行った人って一発で分かっちゃう仕組みが東海道新幹線だわ!って思うわ。
みんな楽しそうでいいわねと思ってる最中
私はパパッとチャッと仕事を終えて、
東京駅ぶらついていこうと思ったんだけど、
そりゃ駅外の行きつけのインド料理屋さんでスパイスの効いたインド飯をキメたかったところだけど、
食べたくもない塩ラーメンを塩対応で食べなくちゃいけなかったのよ。
なんかパッと冴えないそのラーメン屋さんは
すでに美味しいのか美味しくないのかも分からないくらいの東京砂漠で、
本当に全く味を味わう余裕なんて無かったのよ。
もう1人の人はスマホでその場で席取ろうとしてて、
これは東海道新幹線なのか山陽新幹線なのか上野発の夜行列車なのか、
発券コーナーが違うと発券してくれないと言うことを発券したわけで、
どちらでもいいって訳じゃないのね。
あーあ段取り悪いわねなんて思いながら、
じゃあ発券できたから落ち着いて、
何か食べましょ?ってなったんだけど
だから味なんて分かりゃしないわ。
でもう帰りの新幹線は
カバンに縦向きにして入れてもルーシーが垂れなくて平気なんだよ!ってあたかも崎陽軒慣れした涼しい顔で、
私はその私の一番の目的であった、
帰路についたところが一番の落ち着ける唯一の感じだったわね。
もう発券でダサいことはやめてちょうだいねと言いたいところだったわ。
でも本当に新幹線って速いのねって、
乗るたびに思うんだけど、
そりゃシベ超の人もいいそうよね。
映画っていいですね!って。
うふふ。
この1ヶ月は本当に気合い入れて絞り込むからね!と宣言系増田よ。
ちゃんと寝具も冬用に用意しなくちゃと言う感じ、
レモンやらなにやらを使って入れるのもまた風味豊堂でいいかもね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
泣きながら~やぶった~写真に~
JUJUさんがよくライブで歌ってくれる曲というかもうすでにJUJUさんってだけで、
なんで出囃子がJUJUなんだよ!でケンカする鬼越トマホークさんを思い出します。
お友だちが夜暇だからって急に誘われたんだけど、
しかも夜に夜によ。
私もうねる瞬間だったのに。
そしてしかも
私を足がわりに使おうという作戦だったらしいけど
というか色々確認してからチケット買いなさいよと思っちゃうわ。
まあよしとしましょう。
みかんの花咲く丘公園前駅のスポーツパブがニッポンチャチャチャ、ウォー!と賑やかだったので
何?何?何かなと思ったらラグビーやってたのね。
その勝つ瞬間だったのかしら?
めちゃくちゃ盛り上がってたわよ。
こんなに盛り上がってるなんて知らなかったわよ。
というか
いつもと全然違う夜乗る時間帯の車内の雰囲気や車窓の風景がなにか深夜特急か夜行列車を思い出すようで、
夜な夜な電車で街に出るのも趣があるわねって思ったし、
街は街で眠らない夜なのねと。
といってもこの街の店は夜も24時になってしまうとほとんどが閉まってしまうので、
なんかカルチャーショックというか朝4時から飲めるのかよ!って思っちゃうわ。
パンツは見えませんでしたが、
なんでママが急に5年の間で強くなったのとか、
はしょってるところが多くて細かいところ伏線が多くてしかも全然回収してないから、
次のストーリーが色々と浮かんで次ぎあったらまた観たいわねって。
でさ、
ぜんぜん都合の良いカットをつなぎ合わせて予告だけの勝手なストーリーで見せちゃう編作ってるから、
いろいろと爆破シーンがある映画は予告大爆発みたいな感じよ。
それはそれで
予告編の楽しみでもあるわね。
とりあえず
残りの休日を楽しみましょう。
うふふ。
久しぶりに行った喫茶店のモーニングBセットピッザトーストです。
もちろんピッザトーストも美味しいわよ。
味がしっかりしてて豆からしっかり抽出したずっしりとした感じの、
ぜんぜん美味しそうな書き方じゃ無いけど、
それを幾つか輪切りにして
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○結論:事前予約を利用してムーンライトながらの小田原駅発の指定席券を取ることは事実上不可能
○前提
・乗車1ヶ月前の10時に発売開始
・乗車する日の日付で指定を取る。夜行列車でも同様。例えば、8月1日に東京を23:00、小田原を0:30に発車する列車があるとすれば、東京駅からの指定席券は8月1日、小田原駅からの指定席券は8月2日で取ることになる。
以上、2つのルールでは同じ列車の指定席券になるにもかかわらず、東京駅からの指定席券は7月1日発売開始、小田原駅からの指定席券は7月2日発売開始になってしまって、小田原駅から乗車の客は不利である。そこで、「乗車1ヶ月前の10時に発売開始」は始発駅の時刻ベースで発売開始となる。つまり、小田原駅からの指定席券も7月1日発売開始となる。
○事案
えきねっとというJR東日本のウェブサービスの中で、指定席券の事前予約サービスがある。これは乗車1ヶ月前の10時に駅やウェブサービスで予約開始を待たずとも、10時になったら自動的に予約を入れてくれる、勤め人や授業のある学生にはありがたいサービスだ。かつては旅行代理店でも事前予約サービスを受けてもらえていたが、今はチケットが取れなかったときの客とのトラブルを防止するが故か、事前予約をしてもらえないところがほとんどとなってしまっている。
今回、ムーンライトながらで関西に行くことにして、小田原から乗車する予定を立てた。小田原の発車は0:31なので、指定席券は始発駅翌日の日付で入れることになる。
一方で、指定席券の発売日は始発駅の発車日になるから、言い換えれば乗車日の前日でなる。
A.えきねっとの事前受付後の座席の手配は、駅の窓口と同様、1ヶ月前発売日の10:00から開始となります。
Q.夜行列車などの指定席の乗車日は、いつにして申込すればいいですか。
A.夜行列車などの日をまたがって運転する列車の指定席券は、始発駅の出発日ではなく、実際にご乗車になる日付の指定席券が必要となります。途中駅からご乗車になる場合は、購入される指定席券の日付にご注意ください。
<例えば>
4月1日東京始発の「ムーンライトながら(下り)」に小田原駅より先の駅からご乗車となる場合は、乗車日は4月2日となります。指定席券は4月2日のものを、お申込みください。
【指定席券の発売日についてのご注意】
指定席の発売は、始発駅を発車する日の1ヶ月前(前月の同じ日)の10:00となります。上記例の「ムーンライトながら(下り)」の場合、発売開始日は始発駅(東京駅)・途中駅(小田原以遠)乗車にかかわらず、1ヶ月前の3月1日の10:00となります。
但し、えきねっとの事前受付からのお申込みでは、乗車日の一ヶ月前からの手配開始となるため、上記例の「ムーンライトながら(下り)」の場合、4月2日乗車の指定席券は、3月2日の10:00より手配開始となりますので、ご注意ください。
したがって、えきねっとでムーンライトながら小田原駅発の事前予約を入れたとしても、実際に予約が入るのは発売日の翌日となってしまう。発売当日に席が埋まるような列車では、そしてムーンライトながらはまさにそうであるが、指定を取るのは絶望的である。
ゆえに小田原駅発のムーンライトながらのチケットを取ろうと思うならば、えきねっとの事前予約は使えないということである。
現実的にはこれに類する現象はムーンライトながら小田原発のほか、サンライズ出雲・瀬戸の大阪発の指定席券を取りたい場合ぐらいしか発生しないと思われるし、全体としてはマイノリティなので、サービスの簡略化として無視するのはわかる。わかるので、同じことを考えている方々に注意事項として記す次第である。両方とも夜行で東京〜大阪間を移動する手段として少なからず狙っている人はいるだろうし。
でも、それならばFAQにも「上記例の「ムーンライトながら(下り)」の場合、4月2日乗車の指定席券は、3月2日の10:00より手配開始となり、<駅での発売開始日より1日遅れ>ますので、ご注意ください。」ぐらい注意書きしてほしい
それ以上に、予約開始日は揃えるとか、それぐらい予約システムとして何とかならなかったのだろうか。そもそも論としては「乗車する日の日付で指定を取る。」というルールのせいだと思うけど、実際、高速バスでは24:30などの表現を使って乗車日を間違えないようにもしているわけだし。
方言にはいくつかの要素が挙げられるが、重要な要素の一つが発音だと思う
「ズーズー弁」などはその代表例だ。鼻にかかった発音でフランス語のように聞こえなくもない。
「ダ、ディ、ドゥ、デ、ド」としかいえないというのを見たが、
上野発の夜行列車内で車掌が「つぎはメト、メトに停まります」と放送したのを聞いたとき、
軽い衝撃を受けたが、行った先ではもっとひどかった
東北の人の会話がまったく聞き取れないし、語彙も未知なものばかりだった
1980年代でこうなのだから、テレビやラジオ以前の活字メディアの時代はなおさらだろう
幕末維新期の志士たちが「ばい」とか「ぜよ」とか語尾につけるだけで、
「方言いっちょ上がり」みたいな感覚なのだろうが、安直な発想だ
実際には、おそらく互いに「は~、こいつ何しゃべってんだ、全然わかんねぇ」とか思っていたのではないかな?
松本清張「砂の器」により、東北弁に似た発音が出雲地方の一部でも見られることが知られるようになったと思うが、
21世紀の、発音が平準化した現代ではむしろその意味するところはわかりにくいだろう。
まだ私がうんと若かった頃、上野駅の14番線ホームが恋しくて仕方がなかったのです。年末年始の間に帰省していた彼が帰ってくるのを待ち遠しく思って、ずっとホームの前で掌に白い息を吹きかけながら待っていたくらいに。当時は夜行列車がよく走っていたもので、東北から彼を乗せてやってくる夜行列車をいつもより早起きして待っていました。夜行列車が出発していく夜はとても寂しいのに、やってくる朝はどうしてこんなにも眩しいのでしょうか。もう目はあまり冴えてはいませんが、その時の朝日のことは未だに鮮明に覚えています。
毎年1月4日に彼は上野駅の14番線ホームに降りてくる。それを今か今かと待つ私。そんなことを数回繰り返したのち、いつしか私は彼と夜行列車に乗るようになりました。がたんごとん、と列車が大きな音をたてる度に「あぁ、彼はこの音を聞きながら一人で夜行列車にのっていたのかしら」と思って、寝そべった彼の横顔を眺めていました。それも数回繰り返したのちに、今度は三人で夜行列車に乗るようになりました。彼とよく似た瞳をしたやんちゃ坊主が静かに寝てくれないものですから、何度も周りのお客さんに謝ったのも今ではいい思い出かもしれません。
それから長い長い時間が経った後、彼も、夜行列車もいなくなってしまいました。そして今では当時のやんちゃ坊主が私を飛行機に乗せてそこへ連れていってくれます。がたんごとん、はもう聞けないのだけれど彼が眠っている場所に近づけば私の胸もがたんごとん、と少し変な音で高鳴ってゆく。もう私もこの胸の鼓動がいつまで続くのか分からない歳になってしまいましたが、どうか彼のもとへは夜行列車で行きたいと夢見ています。
日本国内の交通網がすべて東京中心に移行してしまったから地方の拠点間の移動は不便だよね。
夜行バスがあれば、早朝着で有効に時間を使えるけど、夜行バスで行けない北陸の都市は多いです。仮に昼の便はあったとしても。
民営分割
ご期待ください。
○明るく、親切な窓口に変身します。
民営分割
ご安心ください。
というのがあったんだけど、夜行列車はなくなってしまったし、分割したてのころにバスに対抗して夜行快速とかがんばっていたけど、いつの間になくなってしまった。新幹線屋とか不動産屋もどきになってしまった。日本国中をあまねく結ぶという公共交通機関として固持はなくなってしまったのでしょう。
もう、旅行するときに公共の交通機関はあまりあてにしなくなった。というのが最近の感覚です。
新潟-大阪間の急行きたぐにでも走っていれば、富山・金沢に深夜着とかできたのですが、新幹線の乗り継ぎで行くと東京からの始発で8時半です。東京からの始発というのがミソで、東京からの始発に地方民が乗るにはどうすればいいのかということで、旅行好きには不利な状況です。
車で行くかなというのが、正直なところ。
車がないから、ツアーで行きたいという気持ちもわからないではないですが、東京発着のツアーしかないだろうから、あまりうまみがない。
飛行機+ホテルで半額とか、新幹線+ホテルでほぼホテル無料とかはありそうですが(2人以上しばりかも)、JRの会社またぎの企画商品は少ないので、いまひとつ。
自動車+スマホでセルフツアーを組んで旅に出るというのが、地方民としての最適解なのではないでしょうか。スマホのGPSとナビアプリでいろいろな場所に行くのは問題ないですし、時間の制約からも解放されます。
2008刊 時雨沢恵一
主人公セロン ロクシェ首都にある第4上級学校の3年生 寮生 マクスウェル冷凍食品会社社長(母40)の子。母子家庭 妹がいる
7/4 終業式 夜行列車
5 実家 家族と会う ラリーから演劇部合宿の手伝いに誘われる
ニコラス 遅れてやって来た助っ人 長髪男
ラリーとナタリアが幼馴染だったという事が発覚し一緒にランチ。
校庭の隅にある古い倉庫 地下の採光窓 の奥に 人影が
隠し事があるかの様な怪しさを感じ
奥へ行く道と
人が住んでいる気配のある小部屋に
老人(男)を見つけた スーベーイルの言葉も話す
道の奥から 誰かの ソイツらを殺せ という命令口調の声が飛んできた
老人は声に従って 殴りかかってくるのが 留める
取り押さえられたと知り逃げる 足音
タレコミでスーベーイル人がこの学校倉庫の地下に隔離されていると聞かされて、調査に偽装身分で学校へ潜入していたそうだ。
終戦後に帰るに帰れずスーベーイルに住み続けていたところ、
兄であるマードックに見付けられ地下室に隔離されて過ごしていたという。
長距離夜行列車にて。高校卒業記念に旅に出た3人の若者は、4人がけの席に座った。男ばかりの気安さで盛り上がっていると、
見上げれば、かわいい女の子が一人で立っている。喜んで座ってもらったのは言うまでもない。
今度は4人で楽しく盛り上がった。
若さをもてあましている男と女。夜がふけ、周りの席が静かになってくると、話は少しずつエッチな方へと移っていった。
「ねえ。一人100円ずつくれたら、ふとももの蚊に刺された所、見せてあげる」
女の子が笑いながらこんなことを言うと、3人は即座に100円を取り出した。女の子はスカートをめくり、ふとももをあらわに。
「うおー、すげぇ」と、うれしげな男3人。
「ねえ。一人1000円ずつくれたら、胸の谷間のほくろ、見せてあげる」
今度も3人はすぐに1000円を払った。女の子はシャツの胸元を大胆に開けてみせた。
「うおー、すげぇ」
「ねえ。一人10000円ずつくれたら、盲腸の手術した所、見せてあげる」
3人は、待ちきれないように10000円を払った。30000円を手にすると女の子は立ち上がり、窓の外を指差した。
「ほら見て。あの病院よ」
http://anond.hatelabo.jp/20100324034034
の元増田です。
追記の形にしましたが、流れてしまったので改めて投稿します。
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
試験的な試みとしてやってみます。
今夜22時までに寄せられたトラバに答えられるものだけ回答します。
追記
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
*ちょこっと加筆・修正
バンクーバーオリンピックで盛り上がってるが、98年には長野で冬季五輪があった。自国開催というのはやはり盛り上がる。ワールドカップも然り。
で、自分も長野五輪には1日だけ観戦に行った。アイスホッケー。アメリカvsカナダの試合を見たかったが、さすがに人気カードなのでチケットは売り切れていた。そこでカナダvsスウェーデンの試合を見る事に。ちょうど土曜日で休暇をとる必要もなかったし。チケットはゴール裏で15000円くらいだったと思う。まだ社会人掛けだしの自分には交通費含めいい値段だったが、オリンピックだし仕方ないと思った。
開幕する前の長野五輪はいまいち盛り上がりに欠けていたような気がする。でも開幕すると一変。スキージャンプやらスピードスケートやら、それはそれは盛り上がった。直前になって他のゲームのチケットも欲しいと思ったがその頃には既に売り切れており、あとは現地のダフ屋頼み。
当日、開通間もない長野新幹線でひとりではじめての長野に行った。試合は夜だったので、まずは街をぶらぶらした。チケット買えれば午後の試合を観ようと思ったが、意外とダフ屋はいなくて、いてもやはり値段が高くて手が出なかった。駅前でスポンサーのテントを覗いたり、善光寺にいったり、「おやき」を食べたりした。寒いながらも街は日本人、外国人入り混じってカラフルで 華やかな様相だった。
会場はビッグハット。駅前からシャトルバスが出ていた。駅まで戻ってさらにぶらぶらしていたところ、郵便局の露天が出ていて記念切手などを売っていた。外国人もいたがどうやら局員さんが言葉がわかってなかったらしい。片言の英語で通訳をしてあげたところ、無事買えた様子。お礼にピンバッチをもらった。SUOMIと書いてある。要するにフィンランドのこと。嬉しかった。
ビッグハットには少し早めに着いたので、ビッグハットの前にあるNHK長野放送センターで展示品など見て時間をつぶした。現地の人とも触れ合いがあった。ボランティアをやられているとかで、本番は見れないが練習とかリハーサルを見たとかお話を聞いた。ビックハットもNHKも新しい施設。オリンピックに向けて街や道路も整備されたという。そして別れ際、折り紙で折ったマスコットをもらった。今でも家にあるはず。
時間になったので、ビッグハットへ。ほとんどの観客は日本人だが、地元チームを応援するカナダ人やスウェーデン人もいたし、演出はNHL風で、まるで外国のようだった。席の近くに座っていたカップルとお話した。既に何試合か見ているそうだ。普段、知らない人とはあまりしゃべらない人見知りな自分だが、そうさせる高揚感がオリンピックにはあった。
ハーフタイムか試合前か忘れたが、周囲が騒がしかったので何かと思ったらフィンランド代表のスター選手、ティム・セラニら選手がゴール裏で観戦してた。セラニしか知らなかったもので選手が何人いたかは不明だけど。サインや写真を求めている人がいたので自分もサインをもらいにいった。そういうことは普段しないんだけど、やはり高揚していたんだろう。セラニは快く応じてくれた。ちなみにセラニはバンクーバーにも出場している。
残念ながら試合の内容は覚えていない。観に行く事が目的だったので何となくそれで満足しちゃったのかも。
試合が終わると既に22時近くで、シャトルバスで長野駅に戻る。そこからは夜行列車で東京に戻ってきた。夜行列車というのも初めてで、なんか楽しかった。
オリンピックは競技だけではなく、人との交流や街の至る所でのイベントも含め楽しかった。その後、日韓W杯やドイツW杯も現地で体験する事になるが、世界的スポーツイベントに参加することは本当に楽しい。若い頃にそういう体験が出来てよかったと思う。将来、日本でこのような機会があれば、是非皆さんも参加してイベントを楽しんでもらいたい。もちろん、外国に観に行ってもいいと思う。
以上、12年前の思い出。