はてなキーワード: クラスメイトとは
平日の午後4時。小学生はお家に帰り、中高生は部活やバイトに勤しんだり、社会人は会社でお仕事したりなんだりかんだりしているんだろう。
ただそれは一般的で平均的な人たちだけの話で、一般的で平均的な人生を歩めるレールから零れ落ちた人間はその限りではない。
現に私は高校生だ。花の17歳、ただしクラスメイトもお友達も恋人もいない。なんなら同年代の知り合いもいない。おまけに平日の午後4時に布団の上でこれを書いているJKだ。自堕落の極みか。
いや、別に学校をサボって増田なんぞに長文を投稿している訳ではない。皆さんご存知の一般的で平均的な高校生活、「ではない」高校生活を送りながら、今この増田を書いている。
高校というものには、実は様々な形がある。「全日制」、「定時制」、この二つは聞いたことがあるという人もいるかもしれない。
全日制は、平日昼間に学校に通い、毎日授業を受けて単位を得るシステム。定時制は、昼間ではなく夜間に毎日学校に通い、授業を受けるシステム。
通信制とは、毎日ではなく週に何回か、月に何回か、といったペースで学校に通って授業を受け、その他の基本的な学習は自宅に送られてくるレポート(教科書を基に作られた問題)で進めていくシステムのことを言う。
このシステム自体の是非はとりあえず置いておいて、「学校に毎日通わないとか、友達できんの?」と思ったそこのあなた。正解です。先程述べたとおり知り合いとか友達とか一人もできない。それどころか担任の名前すら覚えられない。なぜなら必要以上に他人と関わらないから。
人間関係は絶望的に希薄であるものの、それが心地良いタイプの人間にはそれなりに居心地の良い場所になる。私もそのタイプだ。学校に行っても最低限の会話しかしない。下手したら週一しかない登校で一言も喋らなかった、なんてこともある。
学習やレポートも、基本的には自学自習、教科書や学習書から自分だけで進める必要がある。これはなかなか壁になる場面も多いが、「教師の言ったことをノートに丸写しして課題を進める」よりは学習内容が身に付いているのかもしれない。
圧倒的に暇。なぜなら登校日以外ずっと家に居るから。
というかそもそも暇じゃなきゃJKは増田なんて見ない。もっと身になることに時間を使うべきである。
「暇ならバイトとかすれば?時間は有り余ってるんでしょ?」ごもっともである。しかし絶望的に人間関係が希薄な通信制高校に入学した高校生がバイトなんてやったらどうなる?
同僚たちとの会話、接客業の場合は来店した客とのやり取り……想像するだけで地獄。ひょっとしたらそこにたどり着くまでの面接やらで燃え尽きるかもしれない。
失敗するのが分かり切っている挑戦は避けて、お家で増田やらTwitterやらソシャゲやらでスマホをポチポチしながら時間を無駄にしている方が私には向いている。多分。きっと。絶対に。
ちょうど体罰が全国的に問題になっていた中学生の頃、弁論大会に向けたクラス内発表で体罰を肯定した女子がいた。彼女の主張は「口で言ってもわからないこともあるから、体罰は仕方がない。むしろ私はそれで成長できた。」という内容。国語の先生は苦笑い、生徒の中にも目配せし合うものもいた。
彼女の所属していた女子運動部のコーチはその作文の1年前に、体罰が問題になって辞めさせられていた。
体罰の内容といえば、ボールが取れない女子生徒の顔に全力サーブ、不真面目な生徒(とコーチが判断した生徒)に体育館の端でずっと筋トレさせる、大会の結果が悪いとベリーショート強制、遅れてきた生徒にグラウンド12周、のようなもの。
保護者の間でかなり問題視されていて、不登校が出たことで取り沙汰されて、そのコーチは部活を去った。教師でもなんでもない、近所のスーパーの店長だった。
それなのに、元体罰部活動に所属しているクラスメイトがまさかの体罰肯定発言。驚いた。名もない弱小校の運動部で、朝練夜練を強制され、いわれもなく怒鳴られ、ボールをぶつけられることが彼女にとって成長の糧だったのかと。競技の上達のために、怒鳴られたり、体罰を受けたり、塾をやめて夜遅くまで部活動に専念したりする事、滅私奉公で部活動に生活を捧げる事、その結果競技が上達する事、それが成長なのか?
彼女の最後の中総体は例年より少しだけ良い成績を収めた。体育の先生になりたいと言っていた彼女は、いつかキーキーと下品に怒鳴る女体育教師みたいになるんだろう。
教育者といえば、ある程度の良識と品位を持ち生徒を一人間として敬意をもって接して欲しいものだが、怒鳴ったり体罰を行う後進的かつ野蛮な教育がまかり通っているのが残念でならない。
叩かなきゃどうにもならないクソガキは確かにいるのだろうけど、叩いてわからせる主義の人はその区別をつけずに、対話という手段をすっ飛ばして叩く。自分は苦しんで成長したからと、人を苦しめることに正義を見出す。正義の人を止めることはもうできない。大人になって信条が変わることなどほとんどない。そんな正義の人をもう生まないためにも、やはり体罰は良くないと思うのだけれど、体罰経験のまともにない苦労知らずの自分の話など彼女たちは聞いちゃくれないのだろう。
東大の文化祭に行ってきた。五月に行われるから五月祭という祭だ。
五月祭で出し物をするのは基本的には、この4月に東大に入学したばっかりの1年生のクラスと1,2年生が中心のサークル、あとは部活だ。
まあ部活も2年生が中心に出し物とかはするだろうから、出し物をするのは1,2年生が多いって感じだろうか。
東大の文化祭では、ブサイクな男と可愛い女子が一緒に歩いている率が異様にたかい。
もちろん自分の女子の可愛いラインは一般的な水準よりは高いかもしれないんだけど。
でもそれにしてもブサイクな男と可愛い女子が一緒に歩いている率が異様にたかい。
なんでだろうか?
いろんな組み合わせが考えられる。
(この女子は東大の物珍しさにきているのだろう。決して男子のことを狙っているわけでもなく、デートのつもりでもないのだろうが、一緒に歩いている男はなんか俺は可愛い子を連れてるぜ感を醸し出していてキモい)
(インカレサークルの子の気持ちになって考えたとしても、いくら東大生とはいえ、ブサイクなやつはいやだろうになんで一緒に歩いてるんだろう。東大の1年生は大抵ファックスをちょいつけすぎぐらいでいっちょまえに髪染めてるのにファッションを意識し始めているのはいいが、だいたい襟足が長いとか、耳の横の髪が長いとか、あとは肌が汚いとか、服がダボダボすぎるとかキモいの多い。理系で女の子は無縁ですみたいな感じの東大生がそういう格好をしているのはむしろ俺は好きなのだが、単純な嫉妬だが、可愛いインカレの女の子と歩いて調子に乗っているのに、顔がキモくてファッションもダサいやつはうざい)
東大女子も顔おわた。。。って感じの人も結構いるけど、可愛い人も多いと思う。昔はネットとかがなくて友達からしかファッションとかの情報を仕入れることができなかったせいで勉強をしているグループに属しがちな東大女子はダサい子が多かったのだと思う。あとは、昔はそんなに格差もなかったからお金持ちの親とかあんまり関係なく、頭がいい人が入っていたから、顔に特段恵まれている人は少なかったんだと思う。でも今は、ネットがあるので、簡単にメイクの仕方とか動画で観れるし、あとは東大に入るのに金がかなり重要になって、親が金持ちであることが重要になってきたから、金持ちの男と綺麗な女の子供として生まれてきた東大女子がまあまあの確率で可愛い感じなのは納得がいくかなという感じ。うちも完全に金持ちの男と綺麗な女の子供としてまあまあ顔の整った俺が生まれて、親の金の力で塾行って私立の中高一貫に通って東大入ったって感じだから。
(これはまあいいか、さらにいえばこれが母集団に占める割合は1,2に比べて低いと思う。一応結構いるって書いてみたけど本音をいうと可愛い東大女子なんてほとんどいないからねwwwwwwwwwwwwwwww、だいたい肌が汚くなて普通の顔か、肌がきれないブス。あとは肌が汚いブス。せめて化粧をしてほしい)
あと、これ書いてて思ったんだけど、1,2の女子ってだいたい顔可愛くて、スタイルもいいし、オシャレなんだけど、肌を露出しすぎというか、男を狙いにいっているのが見えてキモいなと思う。
ブサイクでも可愛い子と一緒にいれるのは楽しいだろうな。ブサイクだけど。
俺の悪いとことしていつも顔のことをいってしまう。例えば金持ちだよみたいなのが出てきても、でも顔キモいじゃんみたいな。
よくないよね。直したいなぁ。
小学二年生の頃には「○○ちゃんって腕毛濃いよね~」と言われるくらいだった
両親は毛深い人ではないと思う。
母に至ってはどこの毛もほぼ無い。
中学一年生になる頃には既に脇毛が生え始めていた
これが1番嫌でコンプレックスだった
毛深い人ならわかると思うけど、剃っても髭のように青く残るし
やり過ぎると脇が痛くなるので中断することもある。
半袖のシャツだって、手を挙げた時に脇が見えない物を慎重に選んで買っていたし
電車とバスのつり革は一度も握ったことがなかった。毎日足に力を込めていたのでバキバキになって痛かった。
春夏秋冬、体育では体操着に着替えなきゃいけないという関門があるのだ
体育の授業が始まって着替える時には、ワイシャツを脱げば完成になるようにしていった。中学時代これを3年間続けた。
終わった後の着替えは流石に汗をかいて暑いので、一目散に更衣室に行って皆が来る前に着替え終わるという早業を身につけた
そしてプールの授業
これに関しては3年間一度も入りませんでした。それしかありません。
家族はもちろん私が脇毛で悩んでいることを知っていましたが、そこまで深刻になってくれている様子はありませんでした。
私が「プールの授業は絶対にやらない」と言っても、そんな理由が通るかと怒られました。
もしも剃り残しがあるままプールに入って
友達やクラスメイトに見られたら確実にいじめに遭うことなんてわかっていること
しかも私が通っていた中学って結構陰湿で性格の悪い人達が集まっていたので、
プールを見学するのには絶対的な理由がないと駄目でした。まず「水着を忘れた」は理由になりませんでした、たしか他のクラスに借りてこいと言われていたはず…。
そんな中で限られた選択肢は
①生理
②風邪気味
③朝熱があった
これを毎回ローテーションするのにも限度があるので、学校を丸々1日休む時もあったり(仮病使って)プールの授業が終わったら登校をするという手段を選びました
見学者はこの理由を「親が」生徒手帳に書いて先生に渡すというのが規則でした。
自分で書いた人はめちゃくちゃ先生に怒られていたのでまじでやばかったです。
しかし私の母はさっきも書いたように私の脇毛に関してあまり深刻ではない!
一度や二度は嘘で熱があるので…と書いてくれていましたが、流石に3年間は限度があるし、「いい加減やれ!」と言われました。やるわけがない。私は絶対にプールは入らない。
そして私は途中から母の字を丁寧に慎重に真似て生徒手帳に見学理由を書きました
…結果、一度もバレずにやり過ごせました。偶然にも母と私の字って結構似ていたんですよね。
これをずっと続けていこうと思っていたのですが、最後は神様が味方をしてくれたのか3年生の時にバスケで全治3ヶ月の怪我をしたのです!!!
これは狙った訳じゃなくて本当に偶然、しかも6月でプールの授業が始まっていたんです!!奇跡!!
体育の授業の中で、プールが1番成績に響くって言われたけど、脇毛でいじめに遭う方が絶ッッッッッ対に嫌なのでやりません。やるもんか。脇毛が原因で不登校になんてなりたくないんだよ!成績1でもいじめの方が辛いからね。
そりゃ脇毛なかったらプール入ってたよ!全部脇毛のせいだ!
そんな感じで脇毛プールを回避出来ました。体育の成績は常に2でした。
もう死にたい、終わらせたいって思うよね
めちゃくちゃ勿体無いよね
ある程度年取った人たちはこう思うだろうけど
たぶん小中高生とかはそこまで考えらんないと思う、
私がそうだったから
そんなこと考える余裕無いもんね
ちょっと話逸れるけど
特に小中学校って、公立に通うとなると選べないし(地方の人間の経験でものを言ってるからあんまここ突っ込まないでほしい)
ほとんどに当てはまるのが"子供"だけで起きてる問題だと思うんだよね
今いじめられてる人で
偶然これを読んでる人
相手にせんでいい
まずは"近くの大人"を頼って
もう本当に辛くて身体が動かなくなったり
いつか後悔するかもしれないけど
「しんどくなったらいつでも死ねるんだ」って思うだけで気持ちが軽くなるならそう思えばいいから
ほんとに、自殺だけはしないでね
ネットで給食について調べると美味しかったという声が多くあって、正直羨ましい。
個人的には、不味かったと思う。
美味しいと思えるメニューはさほど多くなかった。
周囲は美味しいと言って食べてたから、私の味覚がずれていた可能性はある。
「お前らよくこんな不味い飯に何も言わずに食べてられるなあ」と言っていて
好きだったと思い出せるのは全部パン。
一番は黒糖パン。ふわふわ柔らかくてしっとり甘かった。(コッペパンはとにかくパサパサで硬くて水分が奪われた。)
その次はセサミトースト。大人になってからもレシピを調べて作ったほど。
それからキャロットパン。コッペパンがベースだったけど、にんじんの水分と甘みがものすごく仕事をしていた。
カレーとビーフシチューはほとんど一緒で区別がつかなかった。どっちも牛で具も一緒。スープ感の強いほうがビーフシチュー。
エビは背ワタの処理が甘いのかやってないのかジャリジャリ。
肉はかたくて灰のような味しかしなかった。
麺類は極限までのびてるし、謎のおかずも多かった。
こんな給食に黙っていられなかったのか、担任はすぐ校長に訴えた。
でも校長も不味いとは思っていなかったようで、いまいち反応はよくなかったらしい。
終業式の日、担任が一年を振り返って話していたときに給食の話題になった。
「何回も何回も言ったから、最初のよりは食べられるものになったけど、まだまだ不味い」と言っていた。
今思い出しても到底美味しいと言える給食じゃなかったと思う。
一方で、美味しいと食べてたクラスメイトも少なくなかった。
不思議だ。
好きな人の名前をGoogle検索するってムーブメント、昔からあるじゃないですか。
え? ない?
いやまあ有るんですよ私の中では。好きな人に限らずいろんな人の名前を暇にまかせて調べたりするんですよ。
そうするといろんなことがわかるわけですね。例えば私の場合は、バスケットボールの大会で活躍する同姓同名の知らないやつの存在がわかります。いやだからなんだよと言われてもそれだけですけど。私の同姓同名はすごい奴なんだなってわかるだけです。
多くの場合は調べても何も出てきやしないんですよ。姓名占いのサイトとか、この年に生まれた人の名前の一覧のページとかそういうページしか引っかからないとか。あるいは、佐藤太郎さんとかそういう同姓同名の多い人は逆に不特定多数の誰かが引っかかって本人かどうかとかそういうのはわからなくなるわけですね、はい。
逆に言うと、ちょっと珍しめの名字の人とかは、検索にひっかかった情報のすべてが本人のものである可能性が高いんですよ。出てくるか、前述のような名前一覧ページだけか。
好きな人ではないですけど、昔のクラスメイトの名前を入れたら、同じ名前のエロゲキャラが出て来て笑った事はあります。ちょっとそれはかわいそうだな、と。本人何にも関係ないのに、同じ名前の人が犯されているssとか出てくるのはあんまり気分良くないだろうなって。
んでまあ、好きな人をたまにググってたんですが、ずっと何も出と来ない方の人だったんですね、その人は。検索してもお名前一覧しか出てこないような。多すぎず少なすぎない程度の珍しさの苗字と、名前の組み合わせで。1年に1回くらいのペースで調べていても、特に何も出てこない人だったんです。
ほら、今の時代SNSとか発達してるじゃないですか。私もLINEとか顔本とかそういうアカウントは知っているので、もしそこにいろいろ載せているタイプの人だったら近況含めていろいろ推し量ることができるわけですよ。LINEのアイコンが顔写真だったら最近の顔の感じがそれこそわかるし、顔本なら仕事先から既婚かどうかとか家族とかまで下手するとわかるわけじゃないですか。急に子供の写真とか載せ始めてなんだよいつの間に結婚したんだよこいつみたいな。
でもまあその好きだった人って言うのは、特に自分の写真とかを載せるタイプの人ではなかったんですね。他の人のアカウントでも写真が出てこないタイプ。ついでに10年くらい前に引っ越しとかしているので、そもそも何しているのかとか良くわからないタイプ。でもたまにアカウントの写真とか変えてるし生存確認は出来ていたんですよね。
そういうタイプの人。
だからこの間酔っぱらった勢いでまたその人の事をググった時に、ガッツリ顔写真がヒットした時にはそれはもう驚いたわけですよ。
目を疑いましたよねさすがに。なにせ10年ぶりくらいに顔を見たわけですから。でもまあどこをどう見てもその人でしたし、名前も一致しているわけですよ。だからすごく驚きましたよね。
今まであらゆるSNS等に顔写真すら載せてなかった人の画像が急にネットの海の中に投下されているのを見つけたわけですから。
ああなんか全然見た目とかは変わってないなって思いましたね。どんな人になってるのかとかは知らないですけど、なんか普通に旧来の友人に久々に合った時のような感覚になりました。画像元をたどっていくと、どうも就職したらしい会社の紹介ページにインタビューが載ったようでした。大学時代の話も載っていました。
リアルではそんなに仲良くなかったですけど、だからこそですよね。人の人生を除き見てるようなそういう感覚。
まあやってることはストーカーのそれに近いんですが。
インターネッツな世の中ってすごいもんですね。これからも私は好きな人の名前をググり続けるでしょう。こういうこともあるわけですから。mixiのように足跡がつくサービスが流行りませんように。
好きな人が出来た。
いつもにこやかだけど、真意がつかめない(めちゃくちゃ空気読んでそう、気を遣ってそうなタイプ)。
連絡先も知ってるし、電話したこともあるし、毎月4回くらいは顔を合わせている。ただしプライベートではない。
自分は絶望的な出っ歯で、中学校まで矯正をしていた。ニキビがひどく、体はつるぺたでガリガリで、髪はへんなショートカット、根暗でいじめられっ子だった。多分、クラスにいたどんなに優しい女の子にも一度は「出っ歯」あるいはさんまと言われた。あの頃は、で、という音が聞こえるだけで全身に緊張が走ったものだ。この経験があるから、人の外見に言及しないことにしている。また、どんなに良い人でも、ハゲとかデブとか肌荒れすごいとか言っている人は、心の中で静かに締め出すことにしている。
話が逸れてしまった。
あの頃、入った部活で「今日は可愛い子誰もいないじゃん!やる気でねぇ〜」とか言われて、その場にいた新入部員全員で萎縮したことがあった。また、先輩に廊下で挨拶したら「キモ」と言われたこともあった。また、母と二人で街を歩いていたとき、ウェーイ系の人たちが後ろから来て、自分の顔を見て「うわブスだった!外れ外れ!」といって笑いながら走っていったこともあった。母は若い頃結構美人で、父も昔はどちらかというと整っている方だったので、なんでこんな糞ブスが産まれちゃったんだろうと申し訳なくて、でも泣きたくなくて辛かった。
高校でもニキビはあったけど、矯正が終わって生理も来て髪を伸ばしたらいきなりモテるようになった。最初は新手のいじめとか、あるいは罰ゲームかと思ったけど違った。一目惚れされたこともあった(自分にはどう見ても美人要素がないので、たぶん趣味が変わっている人だったのだと思う)。
大学は女子が少ない学部だったので、そうした環境のおかげでモテた。
しかし、中学校までの負の経験が大きすぎて、人間に期待できなくなっていた。いじめられる前までは、もっと素直に人を信じることができていたと思う。でも、クラスメイトからいじめられ、異性からキモいブスと言われてきたから、
心のどこかにある自分の基地みたいなところにいつも片足をつっこんで、人とは半分の自分で接して、傷ついても大丈夫なようにするという処世術をしっかりと身につけてしまった。自分のあやし方ばかり上手くなってしまった。
だから人とある一定以上の親密な関係を築くことができない。親友や恋人というのは自分自身をある意味さらけ出す仲だと聞いた。
彼氏とおぼしき人を、エスカレーターに乗りながら振り返って至近距離で見つめたり、電車の中でお互い向き合って顔を寄せ合ったりしている幸福そうな顔をした女の子は、こんなこと思ったりしないんだろうなと考えると苦しくなる。
好きな人はとても優しくて良い人だ。多分、老若男女に優しくすることに慣れているのだという気がする。
さっき書いたように読めないタイプだけど、会う前はすごく緊張するのに、いざ会うと空気みたいで安らいだ気分になって、よく分からないけど満たされたような感じがする。
自分は淋しさというものをずっと感じたことがなかったのだが、ここ最近淋しいということがどういうことか少しわかったような気がしている。うまく言語化はできないけど。
“私には、あなたのために、その淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。”
と言っていたけど、
その人は淋しさの原因でもあるのだけど、その淋しさを引き抜いてくれるのではないかと期待してしまうような雰囲気を持っているのだ。
今日は少しでもしゃべろう、雑談みたいなこともしてみよう、私も親しげにしてみよう、バスで乗り合わせたら隣は無理だけどすぐ後ろに座ってちょっとしゃべったりしよう、道を歩いてて遠くにもしその人が見えたら手は振れないけど気づいたよって合図したほうがいいって思うのに、
いざその時になると、いや、気持ち悪くない?馴れ馴れしいって思われたら?勘違いしてて本当は迷惑なんじゃないの?
と誰かが、多分昔の自分がささやいて、私はいつも通り無口になって、ときどきしか笑うことができなくて、用意してた雑談も話せなくて、バスに乗り合わせても遠くに見えても気づかないふりをしてしまう。
あんな過去がなかったらこんな風に萎縮しないで済んだのかもしれないな、と思う。キモい根暗なブスだった私が悪いんだけど。キモいとかブスは言われなくなっても、根暗なのは変わってないけど。出っ歯は直ったが、前歯がでかいのは変わってないけど。
そうやって私は何も行動をおこせずに終わってしまうんだと思う。このままでは。
どうやって萎縮する気持ちを持ち直せばいいと思いますか?それとも身の程知らずだからこのまま大人しくしてたほうがよいでしょうか。
フェイクは一切無し。知ってる人が見たら多分バレてしまうけど、それでも吐き出したかった。
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親にはそう説明した。
嘘ではない。実際に理科は好きだったし、数学も嫌いじゃなかった。
でも選んだ理由はそれだけじゃなかった。
高校の知名度は下から数えたほうが早いだろうけど、偏差値は中の下付近で極端に低いわけでもない。
頭が良ければもっと偏差値が上の高校を選ぶし、頭が悪ければもっと下に名前を書くだけで通るという有名な高校がある。
小学校・中学校と暗い学生時代を過ごした私にとって、“同級生と一緒になる確率が低い高校・学科”が高校選びの一番のポイントだった。
残念ながら中学の同級生0人とはいかなかったものの、クラスに3人だけ、全員私と同性だった。
彼女たちは数少ない同じ中学出身者というだけで、私を仲間に入れてくれた。
私がいじめられっ子だったことは、勝手に水に流していて何事も無かったかのような振る舞いだった。
そのことに傷ついた。
中学ではただ周囲に合わせていただけで、自分たちを守るために仕方がなかったのかもしれない。
私が何年もつらい毎日に耐えなければならなかった理由が、空っぽだったのだから。
私がつらい思いをしていた間、自分たちは守られていたのだから。
でもそんなことを今さら蒸し返すまいと、終わったことだと思うようにした。
過ぎた時間は取り返せない。これから楽しくやれれば、いつか忘れられる日がくるだろうと。
しかし、そうはならなかった。
そしてその子は不運にも何人ものいじめっ子と同じクラスになった。
見かねて声をかけようとすれば、周囲の子たちが私を止めた。
あれよあれよと勢いと人数が増え、その子は入学後半月もせずに孤立して保健室登校になった。
大きなガラス窓の保健室は昇降口の向かいで、むしろ晒し者という感じだった。
登校して一番最初に見えるので、クラスメイトの一言目がその陰口になるのはほぼ必然だったのかもしれない。
その子が教室にいないのに陰口は止まず、いつしかクラス内が常にギスギスするようになった。
クラスメイトの会話の内容は大部分が低俗な週刊誌のようになった。
駅で見かけたというだけで盛り上がれるほど狂っていた。聞いていられなかった。
日に日に不安が大きくなっていった。
このままあの子が保健室にいるとしても、教室にも標的が必要になるのではないか。
そしてそれは私になるのではないか、と。
忘れようとしていた過去が蘇って、毎日が苦しくてどうしようもなかった。
予想通りあの子のネタはすぐに尽き始めて、他の人にそれを求めるようになった。
クラス内は決まったグループでほぼ固定され、互いに監視し粗探しをするようになった。
あっちのクラスではこんな噂があるとか、着替えが遅いから更衣室を一緒に使うはめになって邪魔だとか、
会話ができる時間は誰もがそんなことばかり話していた。
私は、いつ小学校・中学校時代のことが掘り返されるか不安で不安でたまらなかった。
毎日が恐怖だった。
下手なことを言わないように、刺激をしないように、とにかく必死で顔色を窺った。
状況は何も良くならないまま、夏休みになった。
朝起きても学校に行かなくて済む。それだけで救われた。
でもそんな天国のような時間は永遠ではなく、夏休みは終わりを迎えた。
また戻るのか、大丈夫だろうか、休みの間誰からも連絡がなかったのは何かあるからなのではないか。
そんな不安がぐるぐると渦巻いた。
中学のころはそれでも登校できていたのに、もうできなかった。
うちのクラスは40人いるけど8人が同じように学校に来てなくて、先生も参っている。
女子も何人か休んでるけど、誘い合って一緒にがんばって登校してみないか。
そんなことを言っていた。
ぼんやりと話を聞きながら、40人中8人って多いなと考えていた。
そして休んでいるのは私だけじゃないということに、なぜか少しだけほっとしていた。
どうして登校しないのかと尋ねられた。
いろんな思いが膨れ上がって、言葉が出せなかった。
唯一絞り出せたのが、あのクラスにいることが辛いという一言だけ。
中学のころの出来事がフラッシュバックするのだと伝えるよりも先に、担任が口を開いた。
ほかの人がいじめられてるのが辛いなんてピュアな心はいいけど、それじゃあダメだ、と。
担任は、生徒のいじめを止めさせるのではなく、やられる側が諦めることを求めていた。
それに見当違いだ。
たしかに誰かがいじめられていたら心が痛むけど、私が一番苦しいのはそこじゃない。
きっとすでにクラスでは私のことが知られているだろう。そこにさらに自分で油を注ぐような真似はしたくない。
一度は伝えようとしたことを話すのをやめた。
いっときだけ仲間に入れてくれた同じ中学の子たちからは、そのあとも一度も連絡はなかった。
担任以外、誰も私を訪ねる人はいない。あのクラスに私の居場所はきっともう無い。
ここで休学にしたところで、行ける気も、行く気もしない。
私は退学を選んだ。
( 2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )
クソザコナメクジ中学生のクラスメイト攻略シミュレーション。1話にしてタイトル詐欺、というわけでもない。友達100人できるかな。原作者は「三ツ星カラーズ」でお馴染みカツヲ。良い最終回だった。
制作はC2C。先のアニメ「はるかなレシーブ」の元請け。ちなみに監督ははるかなレシーブ10話の絵コンテを担当した安齋剛文。はるかなはスポ根系だったのでかなり動きのある作品だけど、本作は主人公の表情がよく動く。怒涛の感情変化で魅せるため、敢えて話のテンポがゆっくりしているみたい。かわいい。演出的には三ツ星よりコミカルな表現が多く、この辺もはるかなレシーブっぽいかも。キャラデザは違う人だけど、両作ともキャラの雰囲気も似てる。
脚本はモノローグに定評のある花田十輝。1話の半分以上主人公のモノローグじゃね。てかOPの曲名になってて草。主人公の中の人(森下千咲)は新人さんで、1話の台本を読んでセリフ量の多さにびびった話すき。
劇伴はMONACA。高田龍一…ハナヤマタ 田中秀和…WUG、灼熱の卓球娘。つくづく田中美海と縁のあるMONACAである。劇伴がかわいい。テイストはわりと三ツ星カラーズのそれに近いかも(カラーズの劇伴:美知留)。
主人公がクソザコナメクジっていうアニメは去年も結構あったのでそれらと比べると、「スロウスタート」は周囲と比べて主人公の影が薄く、あわあわしてる主人公の手を周りの優しい人達が引いてくれて、徐々に友達の輪が広がっていく話。「ちおちゃんの通学路」はもはやすべて諦めたので教室にたどり着くことすらない。全部まななのせい。登場人物がほぼ全員やべーやつ。「こみっくがーるず」は学校に居場所を見いだせない主人公が漫画家寮の中で居場所を見つける話。に対して本作はクソザコナメクジながらも能動的にクラスの子達を一人ずつ頭脳プレイで攻略していくお話。ただし頭のネジが飛んでいるので、必ず視聴者の予想の斜め上を攻めてくる。必ず。
三ツ星カラーズにもいたけど、頭のネジが飛んでるかわいい子が多い。特に2話から主人公の情緒不安定さ、不器用さ、行動原理の不明さがマッハで、わりと理詰めで考えがちな私からするともはやミステリー作品である。マジで、なんで縦笛持ってたの?あとなんで体操服に着替えたの・・・?何らかの意味があるはずなんだけど、丸一日考えてもわからなかった。今期最大の謎である。
あとカラーズは毎話、三人組の服装が違うっていうやばいアニメだった(キャラデザ大変だったらしい)のに対し本作はほぼ制服。でもかわいい。中学1年生によくある「成長を見越して大きめのサイズになってるせいで全体的にダボッとした制服」をちゃんと絵にしてて好き。特に主人公が小さい。そういう描き方をしてる作品って、最近だと「ヒナまつり」くらいかもしれない。あれいいよね。
原作者の要望によりスタッフ一新、原作準拠で最後まで製作予定。制作もスタジオディーン→トムス・エンタテインメントに。(本作に限らず)仮にこのアニメが面白かったとして、それは”旧作が面白くなかった、あるいは本作が旧作より優れていることを証明した”ことにはならない、という前提で観てる。1話冒頭の「行ってきます!」だけでもう泣きそう。2話で泣いた。
1話冒頭の「行ってきまーす!」だけでもう泣きそう。2話で泣いた。1話からノルマ達成。1話のシナリオは旧1話とだいたい一緒なので見比べやすい。主人公を中心に徐々に打ち解けていって、あの家がみんなの居場所になっていくお話。
大地丙太郎監督下のアニメ(めいこい面白かった)はコミカルな表現を多用し、優れたテンポ感のあるアニメだったのに対して本作はかなりリアリティ寄りに仕上がってて、コミカル表現は少なめ。朝のシーンも夕方のシーンも太陽光が射す角度までちゃんと計算しててエモい仕上がりに。特に目を引くキャラデザの違いは原作者の意向で今風にリブートされているため。透のキャラデザでいうと、リボンの色が青→黄色に。特に髪型に相当気合が入っている。短めの前髪ぱっつんがめっちゃ好き。寝てるときの髪の毛も、三つ編みの書き込みもすごく丁寧で可愛い。あと2話の夾くん初登校シーンで咲ちゃんが透の髪をコテで縦ロールにしてるシーンすき。
そんな透を演じるのは石見舞菜香。彼女は去年の劇場版アニメ「さよならの朝に約束の花をかざろう」で初主演の新人さん。さよ朝の演技でいうと「一日中仕事を探して周りへとへとになって帰ってきたら、息子が仕事道具を勝手に広げて遊んでたのでついキレちゃったシーン」がめっちゃ好き。本作は日常パート(ギャグ)~シリアスパート(凄くしんどい)までかなり幅広い展開の話なので、もう楽しみ。あと由希くんが変声期を迎えました(CV.島崎信長)。
学校のシーンで言えばモブ学生がみんな手書きな上に学校の風景を作るための装置として機能してて、旧作との如実な違いに感じた。また遠くのモブも作画が崩れてない気合の入りよう。おまけに背景はPAWORKS作品でお馴染みスタジオ・イースター。PA作品以外で見るのは結構珍しい。2話はイースター&Bamboo。2話は背景が遠くまで見えるような画角が多い(あんまり背景を省略してない)。家の前の階段と、両脇の木々と、遠くに広がる町並みとか。環境音も丁寧に付けられてて、この世界の空気を感じる(音響効果:古谷友二)。ココらへんに高い熱量を注いでいる作品みたい。要約すると「大人っぽいフルーツバスケット」。
OPは旧OPと同様リリカルな感じ。やさしいせかい。劇伴も非常にエモい(音楽:横山克)。同氏の劇伴でいうと「亜人ちゃんは語りたい」に近い感じ。作品としては「フルーツバスケットの諸問題がある程度解決した後の世界」=「亜人ちゃん」みたいな感じ?あの音楽がすっげー好きだったので嬉しい。
1話あらすじ:ひょんなことから「五等分の花嫁」1話みたいなことが起きました。学校でも屈指の変わり者である女子たちと華の学業生活をするラブコメ。
制作はstシルバー。元々エロゲを作っていた会社がアニメ制作へと華麗に転身したみたい。話題のOPは絵コンテ:松竹徳幸で、同氏の経歴を遡ってみたら、「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」っていうアダルトゲームのアニメーション演出でstシルバーと繋がってたりする(Wikipedia調べ)。
そのOPだけど、3人のヒロインが持つ個性を指の先まで丁寧に描き分けていてめちゃくちゃすごい。「ああ、この子は繊細な子なんだな」「ああ、この子は快活な子なんだな」っていうのが冒頭の、寝起きの背中を見ただけでわかる感じ。この書き分けは勉強してるとき一瞬映るノートの内容まで踏み込んでいて、文字の癖からノートのとり方まで違うし。一番好きなのが、うるかがプールから顔を出してちょっと笑いながら前髪をぎゅってするカット。私が水泳部だった頃の記憶では、たいていの人は帽子とったら髪を前から後ろにかきあげてたんだけど(だって邪魔だし)、うるかが!前髪を!ちょっと気にして!!ぎゅって!!可愛すぎかよ!!!
制作会社の遍歴的に「エロアニメかな?」って思ってたんだけど案外そうでもなくて、例えば同じ週刊少年ジャンプ連載作品「ゆらぎ荘の幽奈さん」と比べてかなり控えめ(もちろんゼロではない)。今期の高校生ラブコメでいうと、なんここ>>淫青ちゃん>ぼく勉。青ちゃんと比較すると、青ちゃんが作中マジで勉強出来ないのに対して本作はかなり勉強してる。ドラゴン桜ほどじゃないにしても、2話クレジットに”参考文献:「行きたい大学に行くための勉強法がわかる高校一冊目の参考書」”ってなってるくらいには気合が入ってるみたい。4人がお互いに足を引っ張り合うわけでもなく、好きな彼を陥れようとするわけでもなく、極度に性的ないたずらをするわけでもなく、仲良く勉強してる感じが凄くすき。それに対する主人公のリアクションが割とリアルで好き。心の中では阿鼻叫喚だけど顔には出さない感じとか。流石に白銀会長ほどウブじゃないけど。
監督はみんな大好き岩崎良明。シリーズ構成も雑破業が担当してたり、かなり気合を感じる。去年の岩崎良明監督作品だと「ラストピリオド」がブラックコメディ作品だったけど、あれに恋愛要素を足した感じで結構コメディ寄り。コミカルなギャグ演出が可愛い面白い。特に停電のくだりが好き。でも恋愛要素はあくまで「青春の1ページ」で、多角的に描かれている思春期の一部っていう感じがある。「亜人ちゃんは語りたい」の町京子みたいな。ちなみに本作のヒロインはあんまり悩まずカラッとしてる。そこらへん五等分の花嫁と比べてテンポ感重視な仕上がりみたい(あっちは「最終的に全員と和解できるのか…?」っていう縦軸になっていた。11話めっちゃエモかってん)。そのため物語の導入部分もざっくり。振り幅のあるギャグパートと青春パートで劇伴の雰囲気がガラッと変わる感じがすごく良かった。
アイキャッチがかわいい。ハナヤマタとかこみっくがーるずもそうだけど、漫画の一コマみたいなやつ良いよね。2話のアイキャッチうるかやばかった。本編と関係ないけど、d’アニメストアで配信されている2話のサムネうるかがめっちゃ可愛かった。
ヒロイズムと群像劇。ワンパンマン1期の13話~。ガロウ編。せっかくなので前回の最終回を観てね。見比べる理由として、1期と2期で監督(夏目慎吾→櫻井親良)、制作スタジオ(マッドハウス→J.C.STAFF)が違う点がある。夏目慎吾率いるマッドハウスは、先のクールで「ブギーポップは笑わない」を制作していたので多分その関係かと思われ。2期としておきながら配信等で13話…と表記ゆれがあるのは多分このせい。ブギーポップ面白いからね、仕方ないね。
ほんとモブが活き活きしている。作画もそうだし演技もそう。本作における魅力の一つ。そして1話(13話)はみんなのアイドル、キングの話。原作(ONE)→ジャンプ版(村田雄介)→アニメと見比べると、特にキングのキャラクターがどんどん魅力的になっていく。彼は普段表情やセリフの感情が乏しいので、アニメ化によって情報量が増えたことで魅力が倍増した感じがある。実質主人公。そんな1話が最高だった。サイタマとキングの、最強と最弱の対比マジで好き。あの二人がゲームしてるシーンが原作の頃からずっと好きなので、アレ見れるの嬉しい。対比で言えば、作中パワーアップするヒーローはジェノスとキングくらいしかいない(特にキングのインフレがやばい)。ガロウもまたハゲマントとの対比として印象的だよね。そういう意味では一貫して群像劇としての面白さを失わない作品。余談だけど、ONE氏による原作が更新再開した模様。
ONE氏原作のアニメ「モブサイコ」も大概やばかったけど、アレや1期と比べると作画力でぶん殴ってくる感じは控えめになっている。というか1期の作画どうなってんだあれ。1話の鬼サイボーグが戦ってる感じ、エフェクトもりもりでめっちゃかっこよかった。爆風や粉塵の作画好き。1期と比べると群像劇としての側面が丁寧に描かれている印象で、特に2話のフブキすき。主人公のやる気ねえ感じとフブキの勝手に鬼気迫ってる感じのギャップでどうしても笑っちゃう。
中野の日常。悪魔の囁き、幸福の形、見る堕落。制作は動画工房。
あらすじ:小林さんちのメイドラゴンみたいなことが起こりました。押しかけ同居人との共同生活を描く日常アニメ。
公式ラジオで千孤さんの中の人(和氣あず未)が「おばあちゃん感を意識して演技してというディレクションだった」て言っていたけれど、メイドラゴンは小林さんが押しかけ彼女(妹?妻?)に「洗濯っていうのはこうやるんだ、わかった?」と手取り足取り教えてたのに対しこっちの仙子さんは「おかえり、ご飯温めるから着替えちゃいなさい」「忙しいのはわかるけど、ちゃんと朝ごはん食べなさい!」みたいな感じで完全に立場が逆。あとメイドラゴンがギャグ全振りで本作は癒やし全振り。脚本は中村能子だけどラブコメではなさそう。いや、ラブコメかもしれない。
動画工房は最近も割と幼女を扱った作品が多かったけど、その中でもダントツに背徳感がある。なぜに狐=のじゃロリなのか。監督は越田知明。監督を務めるのは続とうらぶに続き2作目。同氏が絵コンテを担当した「アニマエール!」7話がめっちゃ好きなので嬉しい。スーパー1000個さんタイム(以下SSST)を思いついたのは監督だろうか。SSSTは特に「視聴者を癒やし切るまで絶対に返さない」という強い意志を感じる。これ応援上映やってくれねえかなー。キンプリのような破壊力がある。
夜の駅前がめっちゃリアル。クレジットを読む限り背景は自前っぽい?「自宅などの狭い個室で話の90%を展開するコメディ作品ばっかり作ってる」でおなじみ動画工房がついに背景も描けるようになっちゃったのだろうか。
背景に限らず、全体的にリアリティが強め。職場のやり取りとか、終電の駅のホームとか、主人公によるセリフの多くが「ハァ…(疲労困憊)」みたいな感じとか。諏訪部順一の「くたびれたおっさんの演技」めっちゃ良いよね。自室も小林さん家と比べてリアル。そんな「一般的な社会人」として感情移入しやすく描かれた主人公の前に仙子さんが現れたもんだから、とてつもない幸福感に襲われる。多分、仙子さんは現代風にリブートされた幸福の化身なのだろう。家に帰ると「おかえり」と言われる/何も言わずともご飯を用意してもらえる/しかもおいしい/おかわりもある/「お風呂入りなさーい」「朝ごはん食べなさい!」と諭してくれる(ときに叱ってくれる)/見返りを一切求めない(メイドラゴンは「一緒にいたい」という見返りを得ている)etc。要は、かーちゃん或いはおばあちゃん。リアリティライン高めだからこそ強烈に刺さる。母親が一緒に居てくれた時間より隠れちゃってから経過した時間の方が長くなった身としては特に2話の耳かきがヤバい。つい母親を思い出して「それ以上パーソナルスペースに踏み込むな!人間に戻れなk・・・あんぎゃあああああああ!」ってなった。
京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。
僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都へ観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。
そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。
立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学の学生が持ちうる矜持のようなものを自然と感じ取っていた。
そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。
交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。
さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身の学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。
元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。
朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。
そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分に大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。
葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育は財産」と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身の生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。
しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。
親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。
そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大の学生用サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。
丸々一年大学に行っていない自分に学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。
この2年間、僕という存在そのものを批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生を否定してしまった。
ジャンプ掲載、って言うからぎょっとして「ワンピースが好きなちびっ子が間違って本屋さんで手に取ったらどうするの!」と思うかもしれないけどあれはジャンププラスというウェブ漫画サイトだから安心してほしい
近いのはヤングジャンプか?サブカル色だったらヤンジャンより強いんじゃないだろうか
「剥き出しの白鳥」「青のフラッグ」「ヘタリア」なんかも連載してたわけで
漫画の内容についてだけど
高橋留美子の「境界のりんね」という漫画で、ヒロインの通う学校の生徒が悪い死神にさらわれて数十人が行方不明になる、という話があった
しかしそれで警察が学校に来るとかSNSで騒ぎになるとかニュースとして取り上げられるとかいうこともなく
「なんだか行方不明の生徒がいるらしいよ」と、まるで「最近校内で風邪が流行ってるみたいだね」程度で済まされて
主人公が異空間にさらわれていた生徒たちを解放することに成功しても生徒たちはのほほんと「なんだかよく分かんないけど助かったー」程度で各々が解散して学校に戻っていく
舞台は現代の日本だがこれは漫画でありノンフィクション作品でないのであくまで漫画的世界、ファンタジー世界に過ぎないので現実の価値観をあてはめてはいけないのである
読者は「ノリ軽っ!」「ありえねーw」「それでいいのかよ!」とツッコミを入れるが
この世界の、留美子ワールドの住人は人が行方不明になっても別に大ごとにしない
この漫画は「そんなもの」「そういうもの」だと受け入れて読者はそれ以上何も感じないのだ
誰も「警察が来ないのはおかしい、警察を無能に描いている、作者は公務員に差別的な感情があるに違いない、警察が来る描写を入れるべきだった」「どうして誰もSNSで情報募集しようとしないのか?ヒロインもあまりにも危機感がない。作者が女性だからか?男任せにして思考停止する最近の若い女性を連想してイライラする」「クラスメイトが行方不明になっているのに冷たすぎる、作者の倫理観の欠如の表れだ」などと憤ることはない
「妹の姉」だって同じはずだ
ヌードデッサンが頻繁に行われる美大でもないのに女子高生の裸の巨大な絵が生徒玄関に堂々と飾られるのがまずありえない(美大でも女子高生の裸はアウトだろう)
そのモデルが現役でその学校に通う女子生徒なのに堂々と飾られているのもありえない
モデルになった本人に許可を取っていない、本人が嫌がっているというのに飾り続けているのもありえない
嫌がる女子高生の気持ちを父親や教師といった中年のおじさんたちがノンビリした感じで無視しているのもありえない
姉への憧憬が行き過ぎて想像で姉の裸を描きコンクールに応募する妹もありえない
学校や妹や親に働きかけて絵を取り下げることをやめて自分の裸の絵が飾られている学校に通い続けながら意趣返しに専念して結局自分の裸の絵をもう一枚この世に生み出すことを選ぶ姉もありえない
全部ありえない尽くしで作者は「これはありえないこと」「現実では倫理的によくないこと」とすべて分かった上で「漫画的ファンタジー世界」を描いているのだ
いやもしかしたら自分の裸の絵が飾られるなんて嫌ですという女子高生を「伝統だから」で一蹴する教師は昔はいたのかもしれないが今はいない、いるわけがない
はてなーもねらーも今はどこも高齢化が激しいと言うからとうの昔に学校から離れた人たちはピンと来ないかもしれないが
今の学校現場は昔のような絶対的な権力を持っていないし逆に生徒(とその保護者)の発言力、情報発信能力はかなり大きくなったので
挿入5秒前な姿の女子高生の裸の絵が飾られているなんて異常な状況が何日も野放しにされるわけがない
現実に起こったことのように憤っている読者、あれはフィクションでありえないことなので心配しないで欲しい
作者はありえない世界を描いている
現実ではありえないけど僕の漫画はこうです、という世界観を構築できている
作者はリアリティのレベルを低く設定しているのに「現代の日本の学校が舞台になっている」「女性が嫌がっている描写がある」というだけで日頃から被差別意識の強い高齢女性が勝手にリアリティレベルを高いものと勘違いして噴き上がってファンタジー漫画にマジレスしてるだけ
あれを読んで百合をまったく感じることなく読み終わってまずすることがドキュメンタリー漫画だと錯覚しているかのような振る舞いで倫理や法律を持ち出して女子高生をよしよしして男性を犯罪者と糾弾するって
こういう人らって漫画読んでて楽しいんだろうか?他の漫画にもそうやって「現実では~」「法律では~」と持ち出してファンタジーを楽しんでいる人に水を差しているのだろうか
人生損してるよなあ
自分のみならず人の人生にも損をさせようとしているのでああいう手合いは漫画を読まないで欲しいしドラマや映画も見ないで欲しい、これに尽きる
ブコメやトゥギャのコメに「君たち、ワンピースの仲間の印を突き出してるコマが好きだと言いたがる人たちを馬鹿にしてるけど、君たちもそうやって陰口叩き合える仲間作ってるじゃん、一緒じゃん」みたいに言ってる人が沢山いるけど、納得できないんだよね。
そりゃワンピース好きでマイルドヤンキー的な人らも、ネットオタクも群れることがあるって点だけは一緒よ。
ワンピ好きの、前向きで、素直で、アウトドア好きそうで、文化祭とか体育祭とか楽しそう(もしくは完全にフケてどっかで遊んでそう)で、社会に適応できそうなやつらの仲間感。
オタクの、後ろ向きで、皮肉っぽくて、陰気で、動作性IQより言語性IQ高そうで、学校行事を嫌々ながらサボらず参加してあとで散々教師やクラスメイトの陰口いいあいそうで、社会に適応できない(と自分では思ってるしむしろ適応できないことに誇りのようなものもあるが、一部は割と適応できてたりもする)やつらの仲間感。
この二つは違うだろ。
オタクの、斜に構えて、重箱の隅をつつくような冗談や陰口でヌフヌフ笑いあう、真面目系クズが傷をなめ合ってて、困った時にはあんま助けてもらえず距離をとられそうな仲間感が好きなの。
ワンピ好きの人たちの、世の中に立ちそうだし困った身内のためにカンパとかしそうな仲間感が嫌なの。
そこんとこわからん?
あと、陰気オタクもそこそこの率でワンピを好き or 過去好きだったりするから、そこんとこごっちゃにしないように。既にかなり指摘されてるけど。
このエントリのタイトルとか本文中では省略したが、たぶん以下みたいな感じだから。
× ワンピが嫌い
あれは冤罪だった。ある日突然、学年主任に呼ばれて「お前がいじめをしているという報告が複数の女子からあった」と言われた。全く身に覚えのないことで否定したが認められなかった。
しばらくして、クラスメイトでいじめっ子だったSも呼ばれて一緒に事情聴取をされた。Sとは昼休みに少し話をする程度の仲だったが、学年主任曰く俺とSは仲が良く共謀していじめたという話になってた。
いじめられたのはクラスメイトのGで、知的障害者っぽいやつだった。SがGをいじめていたのは知ってはいたが面倒なので知らないふりをしてた。そもそもGはいじめられてるという自覚がないようで、遊んでいると思っていたらしい。
事情聴取でも、やってないと主張したが逆効果で生徒指導や教頭まで呼ばれて最終的に認めざるを得なかった。Gが単独でやったことも共謀したと認めさせられた。俺とSはGに謝ったが、Gはポカーンとして状況が理解できてなかったようだった。
その後は両親に連絡がいって、両親がGの親に謝っていた。俺は両親にいじめはしていないと言ったが信用してもらえなかった。親に信用されないのは本当に辛かった。
どう考えても女が嘘の報告をして俺に罪を被せようとしたとしか考えられない。誰がそんなことをしたのか分からなかったが、強引に認めさせた学年主任や教員には相応の仕返しをした。
椅子に画鋲を置いたり椅子を液体糊でベチャベチャにしたり数えきれないくらいやった。その度に生徒指導で怒られたが全く反省しなかった。「悪いのはお前らだ」。今でもそう思っている。
前期の感想はこっち
https://anond.hatelabo.jp/20190414134246
★★★
三ツ星カラーズの作者カツヲ原作の、三ツ星カラーズの前に描いた漫画
1話それほど好評じゃないっぽいが(卑屈キャラは大体似た反応)、たぶんクラスメイトがいっぱい出てきてからが本番じゃないか?
三ツ星カラーズとみゃー姉が好きな俺はもちろん良かった
声の演技いいね、誰か知らんけど
小首を傾げるところがやばい
ちなみにハッシュタグは#ぼっち生活。◯◯がハッシュ化できないため
★
なんか設定が面白かった
モーションにこだわりを感じる
★
ダイレクトに癒そうとしてくる系、実は苦手なんだけど
「こういうのが良いんだろ?」みたいな
しっぽ作画がすごかった
★★
普通におもしろそうだし、だいぶ端折ってるらしいけどコンパクトにまとめてると思う
この時代のエロゲ主人公は良いね(だがアニメにすると扱いが難しそう。文字媒体だと通る行動とか、画にするとキツイことあるよな)
千代丸は関わってるの?
ジジババがかわいかった
斉木楠雄思い出すわ
化けることに期待
今の所まぁまぁ
主人公が冷静すぎる
ちょっとテンプレすぎる感があるが、コメントによると本番はもう少し先らしいので待つ
妹は可愛い、襲われたい
★★
うひょおおおおおおおおおおおおおお
あ、アニメは作画安定してそうで一安心、一期ほどは期待していないが
なんだこれは
脚本次第かな?
これ1話見た後で、思い切って幼女戦記ちゃんと見直したらとても面白かった
★★
でもこれ原作6巻まで出てるらしいよ
★★★
・八十亀ちゃんかんさつにっき
・淫らな青ちゃんは勉強ができない (勉強できない枠2つめwww)
・マグメル
・すとぱん(え、すとぱん?!)
・われしょ
高速で見た、落選・保留↓
・川柳少女 悪くないんだけど見るモチベが低い。部長が面白いらしいので4話くらい溜まったらまた少しみる
・キャロル&チューズデイ キャラデザが「お前向けではない」とアピールしている、4話まで評判待ち。SFっぽいふんいきはすき
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八月のシンデレラナイン人気なの?か
見てみるか
※★は期待度、最高5
※アニメ1話全作レビュー増田ではありません、私はもっと斜に構えてる俗物です。でも褒める時は絶賛する
※雑感想と言ってるだろう?ガチの感想の時は個別に書く方針 ほぼメモ
※批評のために見る時間なんて存在しない、それよりなら癒し系アニメループする
※フルーツバスケットについて、名作に対して申し訳ないが旧作の時点で自分向けではなかった
ペース配分が怖いと言う噂もあり考慮対象外なんだけど(23巻24話? 封神演義よりきつい)、一応試聴しようかな、少し迷う
積み残しタスク
・どろろ見る(4話~)
・五等分の原作読む
・わたてんの原作読む
そろそろ卒業式ラッシュも終わり、新しい生活に右往左往してる頃だと思う。
入学式の最中も「うー、あー」とか「ぼぼぼぼぼ」とかひっきりなし。
校長の挨拶の最中もPTA会長の挨拶の最中も鳴りやまぬBGM。
そいつ自身は特殊学級だし、クラスメイトとはそんなに交流しないから、普段はあまり問題無いとは思うんだけど!
・同級生は今後3年間式の最中はやつの雑音を我慢し、奴に合わせる事を強要される。
・その学年だけクラスが一つ少ない。おかげで教室はギチギチ。人数が少ないだけかもしれないが、
もしかして奴に付き添うわなければいけない教師が出てきて担任の数が足りなかったか?
あと、あんなチンパンジーみたいなのが付き添いがいるとはいえ野放しで学校内にいる状態で問題は起きないのか?
35歳まで処女だったがギリシャ人とワンナイトラブでセックスをした。
ちんこをまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。
物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。
だから興味はあったがセックスには相手が必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。
ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性がオナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。
浪人生活中のお昼休み、地下のフードコートで高校時代のクラスメイトで同じ予備校に通っていた女子が自分は性欲がないからオナニーもほとんどしないんだと言っていた。
なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。
机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。
そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的に気持ち良い感覚を私は知らなかった。
性的なイラストや映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的な気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。
オナニー=ちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。
男性のオナニー描写は成人向けでない漫画や小説や映画に描かれているが女性の描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。
3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲であると意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。
多分自分はとろい。
男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。
なのでそもそも男性とセックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。
そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃんと自分は発情してセックスしようとしていた。
つまりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。
性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。
そのギリシャ人は陸上の選手で大会出場のために来日していた男性だった。
大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。
セックスする前のただのファンと選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。
痩せている色白の小柄な星野源や華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求が自分に沸き起こった事が嬉しかった。
今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通の人間になれたと思えたことだった。
世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性はお金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通の人間であり皆セックスの話をするのだ。
私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。
母は未婚だった。
母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。
主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費だけが、生活の頼りだった。
所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。
隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。
育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。
喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金も無いからとそのままにしている先輩がいた。
学級崩壊なんか当たり前だった。
どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。
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私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。
そして、転入した地元の公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。
非行に走る生徒もいなかった。
虐待や育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。
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幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。
日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。
そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。
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その高校は、港区の公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。
小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。
わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立の小学校を受験する人がいる、ということを初めてここで知った。
文化的なレベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。
人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界。
彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。
なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。
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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。
「高学歴の世界」の純度は高いままだった。
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私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。
父に買い与えられたタワマンで、幸福な暮らしを営むことは間違っていることだと。
私と「田舎者と貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。
「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。