ちょうど体罰が全国的に問題になっていた中学生の頃、弁論大会に向けたクラス内発表で体罰を肯定した女子がいた。彼女の主張は「口で言ってもわからないこともあるから、体罰は仕方がない。むしろ私はそれで成長できた。」という内容。国語の先生は苦笑い、生徒の中にも目配せし合うものもいた。
彼女の所属していた女子運動部のコーチはその作文の1年前に、体罰が問題になって辞めさせられていた。
体罰の内容といえば、ボールが取れない女子生徒の顔に全力サーブ、不真面目な生徒(とコーチが判断した生徒)に体育館の端でずっと筋トレさせる、大会の結果が悪いとベリーショート強制、遅れてきた生徒にグラウンド12周、のようなもの。
保護者の間でかなり問題視されていて、不登校が出たことで取り沙汰されて、そのコーチは部活を去った。教師でもなんでもない、近所のスーパーの店長だった。
それなのに、元体罰部活動に所属しているクラスメイトがまさかの体罰肯定発言。驚いた。名もない弱小校の運動部で、朝練夜練を強制され、いわれもなく怒鳴られ、ボールをぶつけられることが彼女にとって成長の糧だったのかと。競技の上達のために、怒鳴られたり、体罰を受けたり、塾をやめて夜遅くまで部活動に専念したりする事、滅私奉公で部活動に生活を捧げる事、その結果競技が上達する事、それが成長なのか?
彼女の最後の中総体は例年より少しだけ良い成績を収めた。体育の先生になりたいと言っていた彼女は、いつかキーキーと下品に怒鳴る女体育教師みたいになるんだろう。
教育者といえば、ある程度の良識と品位を持ち生徒を一人間として敬意をもって接して欲しいものだが、怒鳴ったり体罰を行う後進的かつ野蛮な教育がまかり通っているのが残念でならない。
叩かなきゃどうにもならないクソガキは確かにいるのだろうけど、叩いてわからせる主義の人はその区別をつけずに、対話という手段をすっ飛ばして叩く。自分は苦しんで成長したからと、人を苦しめることに正義を見出す。正義の人を止めることはもうできない。大人になって信条が変わることなどほとんどない。そんな正義の人をもう生まないためにも、やはり体罰は良くないと思うのだけれど、体罰経験のまともにない苦労知らずの自分の話など彼女たちは聞いちゃくれないのだろう。
体罰の内容といえば、ボールが取れない女子生徒の顔に全力サーブ、 不真面目な生徒(とコーチが判断した生徒)に体育館の端でずっと筋トレさせる、、 遅れてきた生徒にグラウンド12...