「特殊学級」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 特殊学級とは

2019-02-11

親戚の才色兼備のお姉さんが東大出の銀行マン結婚した

子供は物静かだったけど頭が良さそうな子だった

まさか特殊学級だとか特別支援校だかに入るなんて思いもしなかった

の子も成人して仕事も始めたらしいような話を聞いた

2018-06-27

そうかガイジってネット用語じゃなかったのか。

特殊学級特殊支援学級、あすなろ学級? そんな感じで。

https://anond.hatelabo.jp/20180627161625

anond:20180627161853

20年前の公立小学生だったけど

自分自身身体障害がある(片方使えないだけだから手帳は出ない)し特殊学級自体無かったから言ったことなかったよ。地域差なのかな

2018-06-17

何やるのかと思ったら動物タワーバトルって・・

から何まで特殊学級すぎでしょ

2017-09-15

anond:20170915061235

子供のうちに自立支援してあげなよ

学校に無理に行かせろっていうことじゃない

医者カウンセリング行ったり

特殊学級とか引きこもりワークショップに行けるようにしたりさ

親が立ち直る道筋作ってやらないと

子供自分でなんとかすることなんてできないのだし

中学で引きこもった30過ぎてニートが身内にいるけど

年齢がいくほどに何を始めるのも困難になる

本人にとっても家族にとっても負担が大きくなる

なるべく子供のうちにどこかの社会に関わる活動

参加できるようにフォローできたらと思う

休ませるな厳しくしろと言ってるのではなくて

立ち直るにもそのきっかけと道筋がないと

そのきっかけをなるべくいろいろ提供してやれたらと思う

自分メンタル病んで引きこもった時期がある

長く休んだ後、社会復帰するのはやっぱり負担大きいよ

でも数年なら、それも子供のうちなら、対応やすいと思う

2017-07-13

通勤途中に泣き喚く小学生に声をかけた

方向性ないちょっとした愚痴

今日も爽やかな夏晴れ、ジョギングも終わったし出勤準備もオッケー。

さて今日会社に行くかと家を出たすぐの道路で、見たことのないかなり太めの小学生男児が泣いていた。

(私は毎朝8時半というやや遅めの時間に家を出るためか、近所の小学生とあまりすれ違わない。)

最初はなんかまあ家で叱られたのかなと思ってスルーしようとしたけど、一度泣き止んではまたウッウッウッ、ウァーーーーと泣き出す。

とにかく尋常でない泣き方だったので「家庭内虐待か、それとも学校いじめか?」と思って、声をかけることにした。

大丈夫?」

大丈夫じゃない!(ヒステリック気味) 学校行きたくない!!」

「なんで?」

「ぃなんぐんれん!!!ウァーーーー!!!!」

なんのこっちゃ。

よくよく話を聞くと、今日学校避難訓練があるらしく、そのサイレンの音が嫌いで朝から学校行きたくないということだった。

正直拍子抜けした。

避難訓練行きたくない要因の一つに過ぎないのかもしれないけど、小6男児がウァウァ泣くほどのことなのかーとか、避難訓練必要性認識&周りと協調しないで自分の主張を通そうとするのかーとか悶々としてきた。おまえ、ハンターハンターゴンなんて12歳でハンターライセンス取ってるし、13歳に至ってはゴンさんになってんだぞ?おまえ来年ゴンさんになれるのか?

「いぎだぐないいぎだぐないいぎだくない!!!

しかし小6男児ヒス泣き声は続く。なんでこんな爽やかな朝から見知らぬ男児八つ当たりをされないといけないのだろうか。

仕方なく小学校電話しようと思ったけど会社遅刻しそうだったから、集会所にいる母のところに連れて行き、事情を話してバトンタッチした。

母や周囲のおばさんたちも多少驚いていたようだけど、「ああ了解しました。小学校に連絡しておきます。」、少年には「きみ、とりあえず集会所で休んで行きなさい」に続いて私には「もしかしたら特殊学級のお子さんかもね。」と小声で言ってくれた。

ここまでの流れで、正直モヤモヤとしていた。

母の小6の子への優遇に「私が小6時代に仮に"避難訓練サイレンがうるさいか学校行きたくない"とワァワァヒステリックに喚いていたら叱ってたのでは?」なんて思ったのである。(もちろん私の場合避難訓練の日は授業が潰れる嬉しさに泣かずに喜ぶだろうけど)

もちろん時代も違うし、母も私も年を重ねた。母に関してはよそのお子様という視点もあるけど、私の子時代・親を含めた周囲の大人たちの私に対する扱いと、今のお子様の扱いってこんなに違うんだなあなんて、羨ましいとか嫉妬とかそういう次元ではない別の感情で考えてしまった。

帰宅してことの成り行きを尋ねたところ、やはり軽度の特殊学級の子だったので、学校先生が迎えに来たとのことで安堵した。

ただそれでも、自分にとても厳しかった母が他人の子には丁寧に接する姿と、私や母の対応をさも当たり前かのように受け取る小6男児に対して、どうしようもないそこはかとない苛立ちを感じた。

特殊学級の子差別する気はないけど、事実として自分はいわゆる健常児・普通学級で育ち、そこの扱いに対して文句を言うのもお門違いだと思っている。ただ、自分に厳しかった人が他人に優しく接し、自分が気に入らないことに対して泣き喚いて感情を爆発させる小6男児を目の当たりにして、疲れたのかもしれない。

要するに余裕がないなあ、なんてしみじみ思い知らされたんだけど、こういう心持ちはどうすればいいんだろうか。

2017-03-30

ボーダーライン

12年間、ブランクはあるもの家庭教師をしている。

昔は自分学生だったので、気楽な気持ちでやっていたし、市街地から離れたところでの指導だったので、子供も親御さんもおっとりしている人ばかりだった。必ずおやつ飲み物が出され、成績が上がらなくても特に何も言われなかった。

生徒は本当に勉強のものが苦手で、集中力がない子も多かった。彼らの指導はしやすかった。

しかし今は、親の求めるものも高くなってきているし、おやつ飲み物も出されない。別にそれは全然構わない。

私が気になっているのは、「特別支援学級に入れることをすすめられているが、普通学級にいたい生徒」である小学校1年生でテストは0点、こちらが質問しても、全然違うことを答えたりするそうだ。

知人で、勉強が非常に苦手で、特殊学級(私たちの頃はそう呼ばれていた)をすすめられていた人がいた。その人は特別学級には入らず、偏差値の高くない高校では成績も良く、今では就職し、結婚して子供もいる。コミュニケーションはまったく問題のない人だった。

からすれば、普通学級に入れておきたいだろう。世間の目もある。しかし、低学年のうちはよくても、コミュニケーションなどに問題があれば、トラブルを起こしかねない。

私自身も、どこか問題がある生徒ではないかと言われていた。私は定規で直線が引けず、コンパスが使えず、いつも漢字の同じ部分を間違えた。お手伝いをしなさい、と言われても、ただ見ているだけではどこを手伝えばいいのかわからない。友達もおらず、植物図鑑を見て花の名前を覚えたり、とにかく本ばかり読んでいた。結局、保健室登校をするようになってしまった。

保健室登校をしている子はもう1人いて、その子友達がいなくて、怒ると暴力をふるう子だった。口でのコミュニケーションが苦手だったのだと思う。

結局彼女中学校にも行かなかった。私は不登校留年を繰り返しつつ、今もどうにか生きている。心療内科に通いながら働いている。診断名は躁鬱だ。ADHDADDには該当するような気がするが、はっきりとはわからない。

家庭教師をする前は接客業をやったり、ほんの少し飲食関係をしたことがあるが、恐ろしいほど仕事が出来なかった。精神状態が悪くなり、逃げるようにやめたこともある。幸いなのは、私がものすごく人に恵まれていて、仕事ミスが多くても周りの人がフォローしてくれたことだ。これには本当に感謝している。

しかし、算数がさっぱりわからない子って、どこがわからないんだろう? 会話が成り立たないって、どんな感じなんだろう? そのような子とうまく接する方法が、私にわかるだろうか?

算数がわからない子の気持ちはわかるような気がする。私も算数なんてさっぱりわからなかったからだ。ただ、算数がわからなかったことよりも、数学がわからなかったことのほうが印象的である。私は公式意味を知りたかったのに、先生説明ではわからなかったのだ。

算数がわからない子の中には、数の多い少ないがわからない子もいるらしい。それは新たな世界であるし、それは面白いことだ、と私は思う。

何をボーダーラインとするかは様々ぁなぁと思ったのだった。

2016-11-08

40歳大学准教授

40歳になったのを記念に、「不惑からはほど遠いが、自分語りする。

幼稚園前後から自分記憶ははじまっている。

自分のことがよく分かっていなかった。

自分のことをバカだと思っていた。

あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。

毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。

自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。

恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。

しょっちゅう小便をもらしていた。

身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。

自分のことをロボットだと思い込んでいた。

幼稚園から小学校の低学年まで、泣いて帰らない日はなかった。

特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。

いつも親は、泣いている自分明日はいいことがあると言い聞かせていた。

あくる日になったらなったで明日はいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。

やはり自分バカなのだと思った。

自分のことを指さして笑う同級生教師を見て、確信は深まるばかりだった。

人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。

そのような世界に耽溺するのは、いけないことらしかった。

親に力でねじふせられ、そう結論した。

小学校3年生の時、親友が一人できた。

転校生だった。

家族以外の誰かと、はじめて意志疎通できたような気がした。

性格が明るくなった。

中学生になり、強制的に体育系の部活に入部させられた。

同じ目標を共有できることが、さら性格を明るくした。

高校生になるともう一人の親友ができた。

また性格が明るくなった。

やはり転校生だった。

もし親友に恵まれなかったら、自分人生はまったく違っていたと断言できる。

いっちょまえに、幼稚園のころ、小学生のころと恋はしていた。

やさしい女の子が好きだった。

自分を受け入れてくれるかもしれない可能性を思うことが、すなわち恋だった。

高校3年生になった時に女の子がどうでもよくなった。

そのかわり勉強に恋した。

度を過ぎて打ち込めば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえると思った。

それならば勉強することが、あるがままの自分でいることにつながる道だと思いこんだ。

両親から勉強強制されたことはなかったが、止めろと言われたこともなかった。

寝ている時と食事している時、風呂に入っている時以外のすべての時間勉強にあてた。

母はついに気が狂ったと思ったらしかった。

成績が偏差値40台から70台まであがった。

それなりの大学合格して、田舎から上京した。

大学生になり、はじめて本気で女の人を好きになった。

奔放なひとで、男二人女一人のよくある三角関係にはまりこんだ。

そのひとは、友人のひとりと出会ってすぐに付きあっていた。

今でも理由が分からないのだが、なぜか二人から付きあっていることを隠されていた。

そうとは知らずに告白しつづけ、ふられつづけた。

大学3年生の時、男友達にふられたそのひとが自殺未遂を起こした。

血で染まった畳を清掃したあと、睡眠薬で眠りこんでいる女性の様子を見に隣室に入った。

枕元に置かれた手帳が目に入り、いけないと思いつつも、手帳を開いた。

手帳に友人の写真が収められていた。

ようやく、すでに失恋していたことを悟った。

その年の夏休み、どうしようもなくなって東京九州間を自転車縦走した。

当時大阪にいた親友のひとりに電話し、大阪で合流して3週間かけて九州実家に帰った。

もうひとりの親友は、大工として同じく上京していたが、たてつづけに失踪した母親と兄を追いかけるように行方知れずになっていた。

余談だが、この親友と再会するのは、約10年後のことである

間もなく大学留年した。

勉強することの意味が分からなくなっていた。

大学卒業後、そこそこの会社入社し、企画仕事にたずさわった。

特許をいくつか取るほどにはがんばった。

が、結局丸3年勤めたところで退職した。

仕事意味が分からなくなっていた。

隔日で会社に泊まりこみ、さまざまなサービスを手がけ、実現し、評価される。

評価されるのはいいが、一体何のためなのか?

働くことの意味も分からないのに5年、10年先が見通せる会社生活がうとましくなった。

大学院に入りなおして、修士課程博士過程と6年間を大学院生として過ごした。

結局また勉強に頼った。

大学院で恩師に出会い、人生が変わった。

いつ研究室をたずねても、先生は背筋を伸ばして机に向かっていた。

まるで世の中にあるすべての本を読みつくそうとしているように見えた。

残りの人生ひとつのことに捧げれば、こんな自分でも多分なんとかなるはずだと信じるようになっていた。

家財を売り払ったお金学費にあてていたが、実家が困窮してこちから仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。

それで大学時代からフリー仕事をした。

この間に、嫁さんになる人があらわれた。

自分人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。

嫁さんとの関係現在進行形であり、詳細は割愛する。

博士号を取得する前後からいくつかの大学非常勤講師を勤めた。

博士号取得後、1年をへだてて結婚した。

結婚した翌年に母が死んだ。

明日はいいことがあると言い続けてくれた母だった。

通夜の日に、大学採用面接があった。

なんと言われようが面接を受けようと思った。

面接から帰った夜、こっそり棺桶の隣で寝た。

母の前では子供になれるのだと自覚した。

翌年、専任講師として採用され、ようやく生活が安定した。

大学院に入学してから10年が経過していた。

それから3年で、准教授になった。

先日、父がはじめて母のことを「あの人」と言った。

2016-08-07

親戚の子特殊学級というのか養護学校というのか、とにかくそういう学校に行ってた子がいる

詳しくは知らないけど知的障害ではないと思う、むしろ賢い子だった印象(両親も優秀)

母親づてに聞いた又聞き情報だと

暴れ出したら手がつけられない、だとか、自分の家と他人の家の区別がつかなかったりするようで?他人の家に入ってごはんを食べていたりする、とか言っていた

パズル等を器用にこなす脳の機能と、社会生活をこなすための脳の機能は、別の部分なんだなあと

社会生活をこなすのも、先天的機能能力として違いがあるんだろうなあと

この増田を読みながらふと親戚の子を思った

今では親戚の子養護学校卒業し、普通に仕事をしているようだ

2016-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20160726142111

つうても植物人間やないんやから、友好関係自体は築けるやろ。

小学校の頃、特殊学級の子遊んだこと有るけど、偶に言葉が通じないことはあっても意思疎通くらいはできたで?

2016-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20160614182652

増田氏の息子ちゃんは知能テスト問題はないけど、なんかキモいという声が多かったので特殊学級に入れます

別に学校に通わせてないわけじゃないのでこれは差別ではありません

2016-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20160414143145

子供の成長は一日千秋というかドッグイヤーというか。僅かな期間でもブランクがあれば他の子供が追い抜いていってしまうモンなんだぜ。

なので、例え天才児であっても孤立している状態だといずれ発達障害レベルに陥ってしまうことはままある。

ってか増田経験上、幼稚園とかでぼっちっぽかった奴が最終的にどうなったか把握してるやろ? 小学校だと特殊学級行きやったぞそいつ

なので、マジヤバイと思ったら即お医者さんとかに行って対処するのがええとおもうで。

2016-03-11

これが特殊学級実態だ!

特殊学級と聞くと、障害を持った子が行く所だとイメージする人が多いが、

実際はそうではない。

学校にもよるが、僕の学校では「不登校」、「クラスに馴染めない」、「授業についていけない」、「いじめ」がメインだった。

僕が特殊学級に入れられた理由は「いじめ」。

小学生の時が「いじめ」、中学生の時が「授業についていけない」だった。

特殊学級は、普段クラスよりも授業のスピードが遅くて、基礎的なものしかやらない。

そして、大半はお菓子作りだったり、おもちゃ等で遊ぶ。

年に数回、他校の特殊学級養護学校交流遠足がある。

小学生時代は「勉強しなくて良いんだー♪」と思ってた。

特殊学級に入ってる人限定の校内キャンプに参加できるのが嬉しかった。

今思うと馬鹿馬鹿すぎてぶん殴りたい。

中学生になっても特殊学級だったんだけど、違和感を感じた。

授業は基礎的なのしかやらない

お菓子作りがメイン

「俺、●●(教科)出来ないから答え見ながらプリントやって」と先生が言った時は「はぁ?」と思った。

基礎的なのしかやらない・・・

このままで良いのか?と不安になって姉に相談したら「とっとと辞めろ!」と言われた。

そりゃそうだ、基礎的なのしかやらないし、ただお菓子作りや遊ぶだけ。

保育園ですよ、大きな子供の・・・。

もう辞めようと親のフリして連絡帳に「●組に戻りたいと息子が言っている。」等、長い文章を書いて出したら

4者面談する事になった。

特殊学級を辞めることができたが、一番ムカついたのは「●●君は++高校希望してるけど、養護学校はどうかな?」とパンフレットを渡されたこと。

親は「障害者じゃないのに何で養護学校なんだ!ふざけるな!」と大激怒


特殊学級を辞めてからは大変だった。

必死勉強して追い付いた。

特殊学級マジでヤバイ・・・

長々となってしまったが、特殊学級実態を知って欲しい。

マスコミとか記事にして欲しい。

僕はテレビに出るの恥ずかしいので断るけど・・・

一応、言うけど、僕は障害者ではありません。

2014-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20140311132849

多分、研究していけば何らかの方法論にまとまりそうけど、少なくとも日本語コミュニケーションにおいて、それを体系・知識立てて整理したもの存在しないと思う。

方法論としてまとまっていないものは、仰るとおり覚えるパターンが多すぎて、殆どの人には手に負えないだろう。

そうなると、もはや習熟度別授業みたいなスキームで「人を見て法を説く」しかない気がする。

そういう意味では行き着く先の一つのあり方かも知れない>特殊学級特殊学校


未来への投資」として納得できるコストで済むかは分からんけど。

2014-01-11

理系に行けば彼氏ができると思ってました

工学部入学してもうすぐ1年。

自分も垢抜けてないけど、周りの男はそれ以上に垢抜けておらず、OUT OF 眼中。

なんじゃこりゃ・・・

期待していたのと違う。

自分から男に話しかけてみるようにもしたが、

ろくに女と話したことがないのか、早口でキョドってフガフガいってた。

日常会話すらままならない。

どうやら、工学部という特殊学級にまぎれこんだようだ。

こんなところで6年間も過ごすのかと思うと気が重い。

2013-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20131010221805

結局周りにそういうのがいないからこそ無理解になってる点は否めないんだが、

自分の中では 発達障害!=知恵おくれ くらいに思ってて、

知恵おくれの人はおそらく社会生活がかなり困難で、まさに『学校』っていう映画で語られているような生活を送ってる(それでも社会に溶け込めている)んだと思うんだけど、

それよりは症状が軽いと思ってる「発達障害」って人は、まあ色々あるにしても克服するべきところを克服してたら最低でも知恵おくれの人と同等くらいには働けているんじゃないかなとか思ってたりする。

実体験が全くない(小学校の頃、ひまわり教室という特殊学級はあったけど)ので想像しかないよ。職場にも友達にもいないしな。

そこらへんの現実を、割と生生しく説明できるのなら、俺のような人にも理解されるようになると思うよ。

ただ、増田とかだと発達障害アスペ=なんか特殊能力持ち 的なあやまったパラダイムが広まってるせいであまり正しい主語で語れるとは思わないけど。

2013-10-03

"障がい者" か "障害者" か

障がい者の人は害じゃない!"害"なんて言い方、差別だ!」って言ってる人間わりといるけど、障害者は害だと思います。そもそもの"障害"の語源の話とか差別かどうかとかは別として。

僕が通っていた小学校では"特殊学級"(F組、ともいいますね)が無かったので、知的に障害のある男の子がひとりクラスにいました。で、いるだけならいいんだけど、女の子を追いかけ回すんだ。下半身裸で。1年生、2年生のころは笑って済まされてたけど、6年生にもなると女の子泣いてましたよ。当たり前だよね。これは確実に害だと思う。

中学校の時のキャンプでは、その子は盛大におねしょをしたそうです。テントからからシッコまみれで、そのテントにいたクラスメイトはしばらく(いじめに近いレベルで)からかわれてました。これも害でしょう。

まあ結論としては、こういうレベル障害者は無理に普通学級に入れるよりはきちんと専用の施設に入れてあげたほうが当人も幸せなんじゃねーの?ということです。

あ、身体障害者は害じゃないと思います。まあ知的でも身体でも人によるよね。

以上です。

2013-09-29

理系に行けば彼氏ができると思っていた

工学部入学して6ヶ月が経ちました。

自分も垢抜けてないけど、周りの男はそれ以上に垢抜けておらず、OUT OF 眼中。

なんじゃこりゃ・・・

期待していたのと違う。

自分から男に話しかけてみるようにもしたが、

ろくに女と話したことがないのか、早口でキョドってフガフガいってた。

日常会話すらままならない。

どうやら、工学部という特殊学級にまぎれこんだようだ。

こんなところで6年も過ごすのかと思うと気が重い。

2013-09-16

理系にいけば彼氏ができると思ってました

工学部入学して6ヶ月が経ちました。

自分も垢抜けてないけど、周りの男はそれ以上に垢抜けておらず、OUT OF 眼中。

なんじゃこりゃ・・・

期待していたのと違う。

自分から男に話しかけてみるようにもしたが、

ろくに女と話したことがないのか、早口でキョドってフガフガいってた。

日常会話すらままならない。

どうやら、工学部という特殊学級にまぎれこんだようだ。

こんなところで6年も過ごすのかと思うと気が重い。

2013-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20130812033015

先の増田の言う事は極端だとは思うけど、

言いたいことは、人間社会で生きてくための能力交流の仕方などは

ひと通り学校で習うもので、それが明らかにできない子は特殊学級で特別に指導されるだろう、ってことで。

実際増田ADHDと診断された、というけど、これらが

実際脳がどうおかしいのか、というのははっきりとしないわけで、

単に成長過程での学習が足りなかっただけの可能性も十分にある。

脳に問題があって科学的に治せるなら病気でいいが、そうでなければ単なる性格事実上変わらないわけだから

薬もお守り程度で何が治るでもないでしょう?

そもそもどういう効能があるか分かってる?

うっかり自分普通の人だと思い込んだ、脳がアレな人が世の中たくさんいるのよ。

脳があれ、ということで自分が悪いわけじゃない、として自信を持って薬飲んだしして前向きに行ける人は良いと思う。

ただ、一方で、殆の人間が、それを言い訳にして他人に迷惑を公然とかけてる事が問題。

そして今や、そういった迷惑をかける人は100%病院に行けばなんらかの病気と判定してもらえる。

まり性格が悪い=病気仕事ができない=病気、となるわけだ。

それでいいのだろうか?それでも薬で強制的に治せる、っていうならこちらとしては構わないが、

そうでないなら単なる言い訳以外の何物にもならないので。

http://anond.hatelabo.jp/20130812031305

やってみなきゃ、ってそういう発達障害の類は正に小学生位の時に発見されて矯正されるもんで、

そこで本当に矯正出来なかったら、その、特殊学級行きだろうて……

逆に、特に矯正されたかされずかそのまま普通義務教育を終えたというのなら、何ら問題ない「普通の人」として認められたってこったろ。

少なくとも、アスペADHD履歴書に書かなくちゃいけねーなんて話は聞いたことないしな。(度合いによってはあるかもしれんが)

ま、努力して治らないレベルなら、ちゃんと国が面倒見てくれるよ。そういう施設があるんだろ?

2013-07-12

子供の時に親(大人)に言われた酷い言葉

お前はウチの子じゃないかもしれない、性格とかも似てないし

http://h.hatena.ne.jp/cubick/243598798606179704

かわいくない子

http://h.hatena.ne.jp/pictures126/225883467220569445

子供は黙ってろ

http://h.hatena.ne.jp/takasima20/243616389597023840

イラナイ子だね

http://h.hatena.ne.jp/ho4ruri/299893792553104842

特殊学級普通学級?

http://h.hatena.ne.jp/o_ne_i/299858598501401244

オマエの名前初恋の人と名前が一緒なので思い出が汚される

http://h.hatena.ne.jp/campanella-g/243598787437492900

ペチャパイ

http://h.hatena.ne.jp/Mi-24/13018003911281360

歩き方も話し方も何もかも変わっている、宇宙人のようなものだ。だから、みんなががんばって、夏炉冬扇人間にしてあげなければいけない。

http://h.hatena.ne.jp/karotousen58/225883454850152457

ベイリー女の子だったらよかったのに

http://h.hatena.ne.jp/Beirii/299893781100509619

お前1日で1番楽しい帰宅するときだろ、ギャハハwww

http://h.hatena.ne.jp/ak3yta/225883454088028454

●●●●さんね。すてきなお名前ね(そしてわたしの顔をまじまじと見て)名前負けしてるね

http://h.hatena.ne.jp/hibihibi5656/299893780326689969

お前の髪は、真っ直ぐで真っ黒で硬くて、良いところがない

http://h.hatena.ne.jp/Horizon_Blue/299858595303321695

お前は大問題児じゃないか

http://h.hatena.ne.jp/pictures126/243616374899071765

守銭奴

http://h.hatena.ne.jp/cawawa/299893777590467788

あんたはぶさいくだけど…私に似たら二重だったのにねぇ

http://h.hatena.ne.jp/miosotide/243598782202785224

2013-06-15

明日父の日ですね

私は、大学教授の父と専業主婦の母のもとで生まれた。

当時、父は家政婦を雇っていたのだが、その家政婦がどうやら精神異常者だったらしく

生まれて間もない私の顔に熱湯をかけたり、左足の中薬子指3本を切断したりして

私の母が気付いた時には失踪していたらしい。


その後、小学校に進んだ私は3年のある日

特殊学級の子が突然暴れだし私の右目を鉛筆で突いた。

右目を失明した私は、その後転校した。


中学校のころは荒れていたこともあり

卒業までに同じ学年で数人死亡したり、身体障害を負う人もいた。

私も柔道の授業で、変に転んだせいで脊髄が歪み、首が傾くようになった。

これは一生治らないと医者に言われた。


このような生い立ちから高校に進学できずに中卒となった私が、今年父のいた大学受験することにした。

父はもう定年退職したが、私の大学受験挑戦を認めてくれた。

本当にありがとうと言いたい。









ちなみに我が家保険会社に嫌われているらしい。何でだろう。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん