はてなキーワード: かるたとは
LINEモバイルというMVNOに申し込みを行ったのだが、本人確認プロセスで問題が発生し、解決までにネットで7往復7日間+電話1回のやりとりを要した。
LINE社としては特に秘密にしたい意向もないようで、このやりとりの公開も快諾頂いたため、記録として残しておく。
このたびはLINEモバイルをお申し込みいただき、誠にありがとうございます。
お申し込み内容を確認させていただきましたが、ご提出いただいた本人確認書類に不備がございましたのでご連絡いたします。
お手数ですが下記のページより、本メール到着から24時間以内に本人確認書類を再度アップロードしてください。
お申し込みいただきました内容は、下記のマイページよりご確認いただけます。
■不備理由
申し込み時に本人確認書類が未アップロードだったと勘違いし、健康保険証を再度アップロードした(エラー文言を早とちりしていた。これは私のミスである)。
■不備理由
今度はエラー内容を把握、補助書類(東京電力の電気使用量のお知らせ)のみをアップロードした。
■不備理由
1/11にアップロードした補助書類はOKだが1/9にアップロードした本人確認書類はNGということのようだ。もしそうであれば1/9の時点でこのエラーはわかっていたはずであり、1/10の返答メールに不備理由として書いてくるべきではないだろうか。
健康保険証の住所ではマンション名が省略されているため厳密な同一性確認ができなかった可能性を考え、パスポートをアップロードした。
■不備理由
パスポートの何がダメなのか原因が全く想像できず途方に暮れるが、最初にアップロードした健康保険証を再度チェックされた可能性を疑い、パスポートのみを再度アップロードした。
■不備理由
エラー内容が前日と変わった。同じアップロード内容に対して1/12と1/13とで返答が変わっている理由は不明だが、本人確認書類としてパスポートはOKだったと解釈した。
一方で、今度は補助書類が問題だと言われてしまい途方に暮れてしまう。1/12返答時点で補助書類についてのエラーは解消した認識だったので、何が問題なのか判断がつかない。以前アップロードした補助書類が破棄されている可能性を疑い、パスポートと補助書類(東京電力の電気使用量のお知らせ)の両方を同時にアップロードしてみた。
エラー内容をエスパーするやりとりにゲンナリしてきたので、本人確認について定型以外の返答はできないのか?ユーザーがエラー内容を想像するようなやりとりはお互い無駄ではないか?と1/13にマイページのWebフォームから問い合わせた。
その返答メールが届いた。
本人確認書類の不備理由に関しましては、直接お電話でご案内させていただきたく存じますので
大変お手数ではございますが、下記、LINEモバイル カスタマーセンターへ
■不備理由
1/14の返答と同じエラー文言だったので、過去のアップロード内容が捨てられているという仮説は間違いだったと言えそうだ。となると、東電の使用量のお知らせが補助書類の要件を満たしていない可能性が考えられる。もしそうであれば1/12の返答時点でそう伝えてきてほしいところだが、LINE社には1返答について1エラーしか返さないという規則があるのかもしれない。
画像をアップロードして返答を待つやりとりは1往復に1日かかるため、1つの仮説を立ててそれを検証するのに1日かかってしまう。これはさすがに不毛すぎるというものだろう。ところで昨日受け取ったメールによれば、電話経由であれば即座に詳細のエラー内容がわかるようだ。さすがはインターネット時代である。というわけで電話をしてみた。
「申し込み中の者ですが、補助書類に不備があるということで本人確認が進められないため、詳細を教えてください。」
「お知らせだけでは補助書類として受け付けられません。領収印つきの公共料金領収書であれば受け付けられます。」
「私は電気料金をクレジットカード決済しているため、クレジットカード会社からしか領収書は発行されないように思います。つまり、電気・ガス・水道の全てをクレジットカード決済している場合は全て補助書類とはならないということでしょうか。」
「そうなります。他の補助書類としては住民票があります。もしくは、運転免許証など単体で受け付けられる本人確認書類を別途アップロードしてください。」
「私は運転免許証を所持していないのです。」
電気/ガス/水道の3つの公共料金をクレジットカード決済している場合、直近3ヶ月以内の住民票だけが唯一の補助書類になるというのはヘルプを良く読めば読み取れたのかもしれない。ただ、少なくとも補助書類という名前の印象からは私には想像が付かなかった。
そもそも補助書類についてはFAQのような口ぶりだったので、もしそうならメールでの返答文言をもう少し改善できそうなものだ。
住民票を取得するため役所に行く準備をしていたところ、紛失したと思っていた住基カードを発見した。これは補助書類不要の本人確認書類に該当するため申し込みマイページからアップロードしたところ、無事申し込みが受理された。
LINEモバイル申し込み時の本人確認のエラー状態解消が非常に困難だったことを紹介した。
LINEモバイルの本人確認における問題点は2つ、エラー時の定型返答の情報量が不足していること、また本人確認が無駄に厳格になっていることである。前者について言えば、複数のエラーが発生しているときでも1つのエラーしか返さないというのはUI設計として最悪である。今回も複数エラーを提供してもらえればトライ&エラーの回数を半分以下にできたように思う。
後者について言えば、私の場合は1/12の時点でパスポートと健康保険証と2種類の本人確認書類をアップロードしているわけで、十分に本人らしいと判断できるのではないだろうか。この状態において補助書類が無いという理由で蹴るのはお役所的であり、顧客満足度向上の視点が欠けていると感じる。
また、パスポートは写真付きの公的な身分証明書であり、別途補助書類を要求する合理的理由があるのか疑問である。証券会社の申し込みでさえパスポート一発でOKだったように記憶している。
もっとも、こうしたカスタマーサポートの一次受けは外部企業が請け負っていることが多いため、現場でもおかしいと思いつつ日々同じ対応を繰り返している可能性がある。LINE社の担当者はエスカレーションフローの整備および指示内容の見直しなどを進めて頂きたいものである。
実家で作られるおせち料理は、年々少なくなっている。少なくなるのが分かるたびに、この家で成長してきた年月と、経過した時間の長きこと、そしてそれらに反比例するかのように、この家族構成でいられる残り時間の少ないことを思い知ることとなり、いささか悲しいのも事実ではある。やんぬる哉。
もう戻らない時間や記憶に思いを馳せるよりも、これからやってくる時間に対して思案を巡らせばいい、という人もいるにはいるが…僕にとってこれは、簡単なことではない。なぜなら、私は、確実に、未来永劫これだけは信じることが出来るという存在を持っていないからだ。こんな人は、多くはないけども、少なくもないと思う。
3.11以降、僕は、直感以外の信仰を失った。人様は皆僕に良くしてくれるという、他人に対する信仰。これからやってくる明るい未来に対する信仰。原子力発電所は安全安価なエネルギーだという信仰。日本は発展していくという信仰、そして、自分自身の可能性への信仰。
世間知らずの高校生が、勉強もせずに怠けているばかりで生きていけるほど、進学校は甘くはない。それまで抱いていた自分に対する多能感は完膚なきまでに打ち砕かれ、悩み苦しむそのさなかに、かの巨大地震が起こった。
日本テレビの中継で、水素爆発を起こしたフクイチの建屋が映る。親父は呟く。「これは、やべえな」と。日本はここで一度、死ぬのかもしれない。ただし当時のトレンドは、「日本死ね」ではなく「枝野寝ろ」だったり、「ポポポポーン」だったりした。
室町時代の僧侶・一休宗純は、元旦にはドクロを先端に付けた錫杖を手に、「御用心、御用心」と言いながら京の町を歩いたという。祝賀ムードに水を差すような行いではあるが、生と死、破壊と再生は表裏一体と考えると、わずかに彼の行いの意味も理解できるレベルに落ちて来よう(枝野のくだりなどはこれの逆バージョンだったのだろうか)。
大学へ進学しても無気力は変わらなかった。テストやレポートを何とか切り抜け、仕送りのみで生きる生活。友人は少ない。
ひとつだけ、かねてからの夢があった。それはとにかく、海外へ行くこと。最終学年のこの年、一念発起して英語圏へ英語留学へ赴いた。今思い出せば、見るものすべてが面白かった。
留学へ行ったものの、日本人とも多く話していた。しかしながら、現地の日本人で、「日本は今後も変わらず発展していく」といった楽観的意見を表明した者は、誰一人としていなかった。来たるべく破壊を念頭に置いて、生存もしくは自己表現の為に英語を学ぶ者も少なくなかった。友人の何人かは現地のグローバル企業でインターンに参加していた。
不確実な今の世の中で信じられることは、「生き物は、いずれ死ぬ」といったことだ。このことでさえ、神隠しや行方不明、あるいは死後神になるといった思想や、高尚で極めて分かりにくい哲学的議論により、疑問符が付きうるのだ。世間がどれほど不確実なものか。
冒頭で、「これだけは確実だと信じられるものが何もない」と書いたが、「生きているうちに日本が死ぬ」ということは、怪しいがあながち信じられないものでもないと思う。3.11のような巨大災害などを契機とした日本社会全体の急速な崩壊が起こる確率は、社会階層が流動せず格差だけが拡大し、労働時間の増加が止まらず、社会保障費の増大によって巨大な負債が残ることで静かに日本社会が死んでいく確率よりも低いとは思うのだが、いずれにせよ、「これは、やべえな」という不安を感じざるを得ないような、今年はそんな一年だった。もちろん、フクイチのように顕在した不安を感じる現象はなく、漠然とはしているのだが。
おせち料理だって、今後もっと少なくなり、絶えてしまうか、別の料理に変わってしまうかもしれない。変わらないことは、最も安全だが、生きても死んでもいないともいえる。絶望的なまでに怠け者の自己に対して変化を望んでいる。いわんや、世の中の変化をや。
御用心、御用心。
アレフ、「真理かるた」で子ども教育 News i - TBS http://b.hatena.ne.jp/entry/news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2943504.html
アレフ発売のより面白いもの作りたい。 空いているところは皆で埋めてほしい。他いいのがあればどうぞ
※ ブコメを参照し、いくつか変えました
あ ああいえば上祐
い イニシエーション 修業するぞ 修業するぞ
う うまかろう安かろう亭
お オウム真理教に入ろう
き 救済するぞ 救済するぞ
し しょうこう しょうこう あさはらしょうこう
す 水中クンバカ「よーしアーナンダ、もうダイレクトにいくぞ!」(麻原がクンバカする弟子に言った言葉 ブコメより)
つ 次にポアするのは 池田大作
な 生ダラにも出た 麻原さん
ぬ 抜き打ち捜査も かわしてみせる
ね 熱湯に入れ キリストのイニシエーション(LSDを体から抜くために熱湯に入れられた)
の 残り湯の ミラクルポンドは2万円(麻原の風呂の残り湯を信者に売ってた トラバより)
ひ ひかりの輪は上祐派
ふ VXガスで襲撃
ほ ポアするぞ ポア
め メチルホスホン酸モノイソプロピル(サリンの副生成物。当時のニュースで連呼された)ブコメより
/メロンよりバナナの方が好き(週刊誌にメロンばかり食べていた、と報道されて、弁護士に言ったという)
ら (ダライ)ラマにも謁見 麻原尊師
り 陸上競技部もありました
る ルドラチャクリンのイニシエーション(覚醒剤とLSDを飲む修業)
わ 私はやってない 潔白だ(エンマの数え歌)
ん
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL22HIB_V21C16A1000000/
最近のメディアや政治の反応が単なる一喜一憂でしかないのは皆さんもおわかりだと思う。
この問題では、株式運用のリスクに関する視点からの賛成、反対の議論が中心となっている。
まずはじめに私の立場を述べると、株式運用比率を高める事は賛成である。
その中で、私が問題とするのは運用資産のうち株式に投資する比率の目安を50%に増加させた時期についてである。
まず、運用比率を引き上げた2014年の秋から半年間(株式比率を高めるのには一定期間かかるため)の日経平均株価を見てもらいたい。
http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/chart/?code=998407.O&ct=z&t=5y&q=c&l=off&z=m&p=m65,m130&a=
その期間は常に上昇傾向で約17000円~20000円という歴史的にも最高値圏にある事がわかる。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5075.html
当たり前だが株価というのは上がったり下がったりする物である。
つまり、最高値の時期に株を買うという事は、将来下がる(損をする)リスクが非常に高いという事である。
ちなみに、株式指標は長期的に見れば最高値は更新していく傾向にある。
例えば、アメリカの指標などを見てみるとその傾向は顕著である。
http://ecodb.net/stock/dow.html
しかし、日経平均の長期チャートを見ればわかるように、残念ながら日本の株式市場にそのような傾向は見あたらないのが現状である。
もちろん、2020年までは成長し続けるという楽観論もあり、それが実現されれば最高値が更新していく事もありえる(いずれにせよその後下がる事になるだろうが)。
ただ、近年のオリンピックでは、開催前の景気悪化が起こる事も顕著に見られる(いずれも途上国ではあるが)。
今は株価は安定しているが、年明けと共に株価は下落を始めるだろう。
アニメよりも一歩先にフルCGに行ってしまったゲーム業界の作品として
初見の人間は「え?2Dじゃないの?」と見間違うくらい2D表現を3DCGで行っている。
もちろんゲーム部分では見せる角度が固定されやすい2D形式の絵だが、
場合によっては360度回転させるような場面や視点の変わる見え方もゲーム部分で行う。
ギャラリーモードではキャラをどの角度からでも観賞できるがどの視点からでも視線に耐えられるだけのクオリティを保っている。
3Dモデルの挙動に2D的な表現を加えるという新しい試みだが見事に課題をクリアしているといっていい。
もちろん製作に時間がかかるため追加キャラという形で順繰りにキャラを追加していったが、どれも完成度が高い。
ここまで来ると逆に2Dで製作しようとしても製作不可能だと言い切れる。
あとは製作時間の短縮化と2D的表現の常時3D化という課題を克服すれば何も問題ない。
日本の2D文化はこの作品によって十分3Dに落とし込むことが可能だと証明されたので
「2Dじゃないとできない」とか「適さない」というのは単なる言い訳になってしまった。
駿が一部2Dでやらせたのもぶっちゃけた話、駿にそこを3D化するノウハウがないからだ。
それは老人には酷ってもんでしょうよ、だって75歳だよ何度も言うけど。
いつもお世話になっております。ITベンダーです。突然で恐縮ですが、このボケ老人は何を言っているんですか。
https://twitter.com/toukatsujin/status/786338202705506305
昨日の東京の停電で、UPS(無停電電源装置)がありながらサーバーがダウンしたITベンダーがある。なんでも、データセンターの認証を取る目的のためだけに、安物のUPSを導入。
UPSの蓄電量:機器の消費電源容量によるんですが、都内のきちんとしたDC事業者(アット東京やメーカー系列やIDCフロンティアを指しています)でも、
UPSで堪えうる時間は数分程度です。この場合UPSの蓄電容量が間違っていたとは言い切れません。
ツイートでも書かれている通りシャットダウンまでの時間稼ぎです。
その間PowerChute(まだ現役なの?)等の電源管理ソフトが安全なシャットダウンを実行します。
①の間にサーバのシャットダウンプロセスが完了しないことはありえます。
今回はそれでしょう。それを挙げて「サーバダウンしたITベンダーがいる」はおかしいだろ。正常にサーバダウンしてるんだよ。
UPSで持ち堪えている間、非常用発言機への切り替えを行います。
通常非常用発電機の起動・電源切り替えのトライには数分程度かかるため、その間をUPSが持ち堪えます。
あと何?データセンターの認証ってどれのこと?ISO27001?LEED?FISC?そもそも非発もないのにそんな認証取らなくないですか?
「サーバダウンは悪」という宗教はやめませんか?サーバは止まります。止まって再起動します。
止めてもいいシステムだったから電源冗長もないところに放り込んであったんでしょ。ならそれでいいんじゃないですか?
恐らくボケ老人はUPSの用途も知らずに①と②を混同したんだと思います。かわいそう。引退しろ。何も知らないくせに伝聞で物を書くな。
そもそもサーバダウンしたベンダーってどこなんだよ。ジャーナリストだろ?ジャーナリスト様なんだろ?バイネームで書いてくれよ。なんで書かないんだよ。
他のツイートにしても「聞いたところによると」「うわさでは」なんて記述が目立つが、
どこの誰がおもしろ毒舌芸人のお前にそんな噂を流すんだよ。誰なんだ教えてくれ。
ちなみに①はITインフラの業界では「なんちゃってデータセンター」と呼ばれており、要はおっきめのサーバルームなんだが、
実際問題都内首都圏に今だ多数存在するので、このタイミングで潰れていただければ幸いです。
そもそもこのオッサン。彼は日経ITなんかで連載するWebライターです。
スタンスは「多重下請け構造」「無能な情シス」「日系SIer」「レガシー」の批判。
そんですきなのが「アジャイル」「内製」「ビッグデータ」「IoT」。
あのな、お前の好きな外資の某巨大クラウドのビッグデータ分析基盤だって綺麗なウォーターホールの設計書で書かれてるわ。
設計書さえなくなれば手戻りとバグがなくなるなんて幻想もいいところ。偉そうなやつに反対すれば国がよくなると思ってEUから抜けちゃった天然かお前は。
批判が集まりバカが信じ込みページビューと信者を同時に手に入れられるバカげた仕組みは、
人類の脳みそを悪くする原因になるのでよろしくないと思います。
恐らく裏を取る気もなければ、自分の記事に論理的整合性を与えないことに対しても自覚的なのだと予想されます。
腹に据えかねて何度かリプライで反論したこともありますが、すべて無視して自分の意見に同調する声のみリツイートを続けていたので、
これからも自分の頭の中に囁きかけてくる「噂」にだけ耳を傾けてクソ記事の量産を止めないことと存じます。
考えを改めよ、と言っても聞かないと思うのでせめて皆様におかれましては毒蝮三太夫か彦麻呂と同じディレクトリに格納頂けます様お願い申し上げます。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9645CSJ96PLFA00C.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ9645CSJ96PLFA00C.html
もう業界関係者じゃないので時効だと思っていろいろ書いておこう。
物質自体は公知(だと思う、調べてない)で、ずいぶん前からCoca-colaがいろいろやろうとしていた。
フランジカルボン酸というものをテレフタル酸の代わりに用いることで、ガスバリア性が向上するという謳い文句。
詳しい機構は不明だが、イソフタル酸を共重合するとガスバリア性が上がったりするらしいので、直線構造を取らないほうが酸素などを通しにくくなるのかもしれない。
b:id:hmmm 実際には、他の材料と比較しても、ガスバリア性はそんなに悪くない。
ただやはり長期保管すると、どうしても酸素を通しがちなので酸化を嫌う製品はPETボトルにガスバリア層を挟んで成形する。
ガスバリア材としては、MXD6と呼ばれるナイロンやEVOHを挟むことが多い。
バリア材としてのEVOHは神のレベルで、汎用性の高い成形しやすい材料としては、他に代替材はないといって過言ではない。
他の手法として、PETボトルの内面に炭素を蒸着するという手法もあり、これも市場に流通している。
最近はやりのワインPETボトルなどはこれを採用しているものがあったと記憶している。
多層のPETボトルで有名なのはHOTのお茶で、ペコペコ押し続けると剥がれてくる。いちどお試しあれ。
うまく成形してあると剥がれないが、顕微鏡でみればすぐわかる。
b:id:naga_sawa PETボトルのリサイクルというのは、ボトル→ボトルになるだけではない。物性が求められにくい繊維へのリサイクルもある。
ボトル→ボトルはキリンやサントリーが一時期熱心に行っていたが、そんなに儲かるものではない。
今のPETのリサイクルは圧倒的にメカニカルリサイクルが多い。
メカニカルリサイクルというのは、ボトルを洗浄したあと、フレークにして再度高温・高真空状態にし、その後再溶融してリサイクルするもの。
対義語がケミカルリサイクル。低分子まで分解したあと、再度重合してリサイクルするもの。コスト高なのであまりこれは用いられない。
さっきからちょろちょろ出てきているように、PETとはいうものの、市中で回収するとEVOHやナイロン、あるいはシリカや炭素など、いろんなものが混ざっている。
なので、基本的には現行と変わらないリサイクルスキームになるのではないか。
余談だが、Coca-colaはいろはすでペコペコの容器を作ったのは画期的だったと思う。
もちろん、途上国ではもっと薄いPETボトルが散見されるが、日本というマーケットであの容器が当たったのはさすがという感じ。
大本の目的は、使用する樹脂を減らせることによるコストダウンだと思うが…。
更に薄くなることによる剛性を懸念する声があるようだが、そこはしっかりやるだろう。あの界隈の品保をナメてはいけない。
彼らは性能を満たす一番安いPET(基本的に、純粋なPETが使われることは少ない。ごく微量のイソフタル酸が共重合されている)を世界中から買い付けて回り、自分たちでボトルを打って充填している。
ぶっちゃけた話、この業界はサチっているので、市販のボトルに使われることはよっぽど特殊用途でもない限りないのではないか。
おそらくバッチプラントで作るため、価格も相当高くならざるを得ない。
今市場に流通しているボトル用のPETは基本的に連続重合プラントで合成されており、中国産品がかなりのシェアを占めている。
まーしかし、よくFDAとか食品衛生的な監督官庁の認可をとるまで東洋紡は頑張ったなという印象の方が強い。
苦しい発達障害の現状を伝えようと思う
彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手にADHDの気があると思っているからである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。
ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスのムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いとウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかわからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしかに自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気や行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害が高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通の生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。
私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思います。ADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知度レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事なもの(ライブのチケット、パリのお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和な日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドのパスポートを駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。
人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからかわずにいられない衝動に駆られる。何の呪いだ
話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。
先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。
自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳を普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。
しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業にストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系の会社にADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたものの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズに拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミスは無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。
私が言いたいのは発達障害だからって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。
発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。
クラスに一人はやばい奴認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。
ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害。
ねえ、そう思ったら多すぎませんか。
なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれからの人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害は遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分が障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物や遅刻はしないように気を使っている。
発達障害は往々にして鬱
高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。
これってすごいこと、私は母親の教育は失敗に終わっていないと思う。
発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的な性格もあってまわりからは規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。
ハメられやすい
私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストはクリアするものの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件、被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。
障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったから相手が不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝の可能性は否定できない。
また、高齢出産の影響も強い。卵子のタイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚を意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性が結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性の社会進出や医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間の寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子も劣化します。男性は生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子が劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれる可能性高いです。イケメンは隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。
ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカルに対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活をマネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。
まさか、増田さんの書いた喫煙所の記事が、ここまで盛り上がらないとは思わなかった。なんで携帯灰皿を持ち歩かないの?というブクマコメントが多かったので、その理由を書いておく。
ということで、喫煙者用に喫煙所や固定灰皿があると便利という話になる。また、灰皿は非常に軽いため、持ち運んでの盗難がしやすい。喫煙所は盗難対策用に地球ロックをしてある灰皿が置いてある。
分煙による地域振興というのは各地であって、その一環として喫煙所を設置してあるお店やコンビニの増加がある。喫煙所がある場所の地図があったりする。
ボクシングとか柔道みたいに勝敗を争っている感じが全くしない。
台本があるとか無いとか聞くが実際のところどうなのか知らない。
台本があるとしたら、誰がどんな技で勝つとかが決まってんのかな。
プロレスの技はお互いの合意がないと決まるはずがないと聞いたことがある。
ロープに投げられて、わざわざ技をかけられに戻ってきたり、
バックドロップをかけてもらいたくて、一緒に飛んだり、
ロープ上からのジャンプキックを受かるために、リング中央でわざわざ寝ていたりする。
あと、チャンピオンってなんなんだろう。
台本作る時点で入札みたいなのがあって、より安い値段をつけたレスラーが選ばれる?
いろんな技を出せたり、どんな技をかけられたりしてもダメージ喰らわなかったりすればなれるの?
それとも、こんなエキサイティングな台本作ったのすげーなー、こいつがチャンピオンになったってことは今度はあいつが怪我して、また別のアイツが引退するという流れかな・・・なんてところを見てるの?
連続ドラマを見ている感じ?
※ネタバレになる部分もあるのでご注意ください。念のため。
ネット含め各所で評判良いってみたし、なんなら増田やらはてブでも悪くなかったっての見たから見に行ったのにさー…まんまと騙されたよね
個人的に良いかも?と引っかかった部分はキャストそれぞれがどこか絶妙に合っている部分があったくらい
机くんは外見似てないけどなんかアニメの声に若干寄せてるような声出すなぁとか、かなちゃんのげっ歯類感…地味めな造形とかヒョロくんも見た目かなりそっくりで良かった
各役者個人的好みは別として(好みとしては全体的に嫌いな顔が多かった)イメージはそんなにズレてなかったと思う
演技については、別に誰かが飛び抜けて良いとかは感じなかったけど特別ひどくもなかった…
もしくは、そんな事気にしていられないくらい他の部分がひどすぎて気にならなかった
ストーリー構成について、多少の改変なり詰めるのは良いにしても全体的に唐突・ご都合なのが多かった
結果に至るまでの理由や過程・動機などが存在しなかったり弱かったり共感できない物ばかり
机くんが部に真面目に参加するようになった理由とかラストで机くんが戦意を取り戻す過程とかさー…
全員で肩ポンポン叩いて行ってなんか回復してるって意味わからんけど?
始終ちょろすぎにもほどがあるんじゃ…?
どっちがどれだけ距離と時間転移したのか分からんけど、別地方同士だよね?
距離移動したとか近いならその描写ないと不自然(眠すぎて見落としたか?
あとこれは好みもあるかも知れないけど、ここで千早を差し置いて再開とかありがたみ?下がるし白ける
それより前に家電で通じてるんだから必要性もなし(大会で太一と決戦とかの重要度高いイベントあったわけでもないし)
ラストの演出ももう下の句へのヒキが見えてるんだからダラダラ会話して通話相手変わって~とかやってないで、
一言「もうかるたやらん」ってのでヒキにすれば良いのにクドクドクドクド…無駄だし衝撃度下がるしで酷い演出
構成と演出・脚本については他にもキリがないくらいにヘボが多かったし
大事な所軽々とすっとばし、どうでもいいシーンや会話を長々やるおかげで中盤クソ眠くなったし…ホントひどいなと
ただひどいのは上の構成やら何やらだけじゃすまない
音もひどい ただただ爆音出せばいいってもんじゃないだろ!?って感じで何から何までバシンバシンうるさい
最初は映画館でみてるからか?とも思ったけどこれも中盤の合宿中の試合あたり具体的にはそのあと太一と肉まんが会話する当たりでやっぱおかしいなと確信
鎮まり帰ったロビーで神妙な?感じで会話してるのに足音やら椅子に座る音がドスンバスンドン! なに?巨人なの?
SE・BGのチョイスもひどかった、千早が試合後寝る所で「しんでるー!?」のギャグ(?)ここも音量が無駄にでかいし
台詞にかぶりすぎててギャグであろう「しんでるー!?」の台詞が埋もれてるしうるさいしうるさいしうるさい
何?撮影に玩具(ドローン)でも手に入れて遊びたくなったのかな?!
無意味に中途半端な俯瞰の図ばかり(特に学校)でキャラに寄れない(感情移入し辛い)し、迫力もない
かるたの床面からの絵以外で煽り図だったのって序盤のスカートみえるかみえないかー!?あたりくらいじゃなの?
で、肝心の競技かるた…これもひどい
横顔のアップ・手元アップ・札が跳んでる絵のワンパターン構図ばかり
加えてかるたに対する解説などもおざなり 競技かるたの題材が完全に死んでる
原作でかるただから~というだけで、別に野球だってサッカーだって、なんなら団体競技じゃなくたってなりたつような構成と絵作りだった
(原作では途中団体戦はチーム競技だ!みたいな描写があるがこの映画だとその辺も雑だった)
大体、設定的にもそうだけど画面に「お静かに」の札上げてる図写した直後に台詞叫んでるキャラとかなんなの?
あとスローの挟み所もよく分からん もっと他に挟む所あるだろと思った 尺伸ばしの手段じゃないんだぞ
ああ 更に前述の音響のせいもあって素振りのバシンバシンが本当にうるさい そういうものだとしたって限度があるでしょ…。
これ見て本気で面白いとか悪くなかったとか原作を再現とか言ってるの大丈夫か?と心配に…というかこっちが目眩する
それとも原作とアニメのお陰で映画では途中すっとばされてる文脈も脳内補完増幅されまくってるって事なの?
何より感動!泣きました!とか一番分からん
眠気こらえて滲む涙はあっても、事象の因果・過程がすっ飛ばされすぎて感動の涙の余地1ミリもない…
素晴らしい原作、ついでアニメにもなってるのになんでこんなひどいことになってるのかワケガワカラナイヨ
とにかく雑!色々なところの描写が雑!これできっと下の句では大なり小なり恋愛方面にも振るんでしょ!?
こんな雑な作りので恋愛やられても一ミリも共感できないんじゃないかなー―ーーー!?
下の句は見に行きません というか存在を早々に忘れるでしょう
ぶっ飛んだひどさなら逆に怖いものみたさで行くのもありかなーと思える分、昨日今日始まったテラフォが前後編だった方が良かったんじゃないかな!?
あっちもあっちで原作素晴らしいのに早々にクソミソ言われてましたね。
http://www.life-abstract.com/entry/2016/04/17/121000
抽象的なもので構成されている体系は、概要的になればなるほどわかりにくくなる。
なぜなら、その抽象的なものがどのような振る舞いを一般化したものなのかというのは、具体例との結びつきやその概念の運用方法の知識がないと、感覚的な理解を得られないからだよ。
概要的に書かれた書物は、それらを差っ引いてるから、実はそういったことをしっかり習得した人間じゃないと、そこに書かれている内容を感覚的にも本質的にも理解できない。
つまり、初学者の人や一見さんには、こういった短時間でOK、1冊でOKと謳った薄い本は実はとっつけないものが多いんだよ。
これは物理学とか数学とかもそうで、簡単に分かるよ!と謳いつつ、簡単に分かるための素地がないと読めない本ってのはほんとに多いんだ。
初学者にとって分かりやすい書物というのは、書かれた範囲の狭さのわりにビックリするほど長くかかれていて、代わりに誰でも根気があれば読めるように書かれているものだよ。
生物として死を嫌うのは極めて普通だし自分の死を認められないのも当たり前の反応だがどうあがいてもこの世に存在するものは全部終わるんだよ
死を意識しないといけないから満足のいく人生を送りたいと真剣に願う
企業には企業理念があり企業理念こそが金銭を稼ぐ以外の存在理由になる
ただし金銭の稼ぐ手段と企業理念の形骸化が起こると結果として死ぬ
効率を言うならなんで100%死ぬ人間にそんなコスト割いてるんだよって話
もっとスケールの大きな話をすると100%太陽が地球を飲み込むのになんで頑張ってるの?
いつ訪れるか分からない死に対して自分が今日一日どれだけのベストを尽くせるのか
途中で死んでも悔いはないプロジェクトに自分は今打ち込めているのか
そういったことに真剣に真正面からぶつかるためには自分の死を後ろ盾にしなければできないことなんだよ
自分が生まれてきた理由を自分で探して見つけるための動機としてどうやっても死という概念が必要なんだよ
死を意識しないってことは人生っていう最大スケールの中で締切を設定しようとしないってことなんだから
死の恐怖を家族や子供という他人との関係性で慰めてやり過ごそうとしているだけだ
お前は例えば会社で30~40年規模のプロジェクトを完遂させる自信があるのか?
そんな企画通ると思ってるのか?
たまたま運が良かっただけの成功者の結果の真似を従ってるだけなんじゃないのか?
実際に自分が老人ホームに入ったら確実に家族を恨むだろうし、忘れてしまうだろう
ならそうなるまえに命をかけて死んでしまいたいとはなぜ思わないのか?
というか老人ホームに実際に住む老人と会話したことさえないだろう?
普通の人の普通の最後は排便もろくにできなくなった痴呆か末期がんの2つに1つなんだよ
もしくは成人病で手足が腐る肝臓が駄目になって急死する動脈が破れる交通事故だなんだとそりゃ色々よ
今目の前で命使ってもやりたいことに取り組みたいと思う方が健全だろう
これはもう既に一般に広く認知された問題。 人口全体に占める子供の割合が低下し高齢者の割合が高まることで、様々な社会現象を引き起こしているのは周知の通り。 今や高齢者予備軍を含めた50歳以上の人口が5割を超え、社会保障費が国の歳出で大きな割合を占めている。 人口が多い分どうしても政策は高齢者優遇にならざるをえない。 数の理論(有権者の数からも)からすれば当然である。 新生児は数の点で弱者である。 昨今話題の保育園に始まる諸問題も、数の弱者でありかつ数年我慢すれば当事者が当事者でなくなることが大きな要因となって 今まで余り多くの声が政権に届くことはなかった。(届いていても優先されてこなかった) なので個人的には昨今の保育園問題が話題になっているのは歓迎している。 数の弱者が救われるためには、世の中の倫理感による救済しか無いからだ。 (もしくは正しく世代を超えた投資を新生児にしようという気運の高まりによる救済もある) ところで、数の問題という点で少子高齢化問題を最初に上げたが、本当に本質を理解している人がどれだけいるかは気になっている。 少子高齢化問題の解決方法を問うと皆口をそろえて「出生数をあげろ」という。 新生児が増えても生産労働人口が増え社会を支えるようになるまでは15年のタイムラグが有る。 もちろん、生産労働人口が増える以上に老人が減ればよいのだが、長寿化や国の手厚い保護によりなかなかそうはならないだろう。 少子高齢化問題は言い換えると「老人より子供が"相対的に"少なくなること」であり、つまるところバランスである。 つまりシーソーゲームであり、片方に新生児が、片方に高齢者が乗っている状態である。 そのバランスを整える際に「出生数を上げろ(要するに産めと強要される)」という考え方にあまりに偏重がある。 これが単純なシーソーゲームなら、多い方を減らせばいいという考え方が発生するのは自然のはずである。 もちろん、皮肉なことに、倫理観により増えた高齢者を減らす(殺処分する)ことができないから(法律的にも)、というのがまっとうな答えだが本当にそうなのだろうか? 社会のバランスを考えた時に、増えすぎた高齢者を養い続けることが果たして倫理観として正しいのだろうか。 無理やり生かされる高齢者のことを本当に思っているのだろうか。 増えすぎた高齢者という負債を負わされる何も知らない子どもたちのことを本当に思っているのだろうか。 未来にために子供を作ろうという貴重な夫婦のことを本当に思っているのだろうか。 甚だ疑問である。 事なかれ主義な国民性もあるので、そうなるのは仕方ない。 しかし、今本当に高齢者に生きろと言い続ける社会は倫理観からも正常なのか? これを今一度問う必要があるのではないだろうか。 日本には安楽死が認められていない。 子供や孫に、迷惑を掛けたくなくても自ら死を合法的にかつ経済的合理性を維持した状態で(誰にも迷惑をかけることのない方法を)選択することが、今の日本ではできない。 だから増え続けた高齢者は、子供や孫の世代に負債を残し続けることを強要される。 夫婦世代が子供を生むことを強要される以上に、高齢者は社会に対して負債を残し続けることを社会から強要されている。 今一度問う。 果たしてこれが、倫理的に、社会全体の幸福のためになっているのだろうか、と。 ここからは個人的な考えになるが、やはり増えすぎた高齢者を間引く事が可能な、間引かれることを自ら高齢者が選択できるような制度は必要だと思う。 具体的にはどうするか、だが、下記の2点を法で認めるだけで良いと考えている。 1. 医師による安楽死許可 (合法であることを国が確実に保証する) 2. 安楽死を選んだ老人の資産が相続される際、限度額無しの免税を実施 もちろんこれを悪用しようと考える人は少なからず出てくるだろう。 その抑止力として、医師による安楽死以外の安楽死には殺人罪を今までどおり適応すればよいだろう。 免税にした理由は、新たな生産労働人口世代に対し高齢者が多く所有する資産を移動させるためである。 新たな資本を得ることで、生産労働人口世代が子供を産みやすくするためである。 (もちろんこの免税自体に産めという強要が少なからず存在する) 一方で減らし、一方で増やす、これを推進することで社会の人口バランスを素早く調整できるのではないかという考えである。 バラマキには限界がある。個人の利益に訴求するこの方法が認められれば、より早くより短い期間で少子高齢化問題は解決し、 さらにその先も高齢者を減らしていくためのバイアスが個人レベルでかかるため、日本は再度経済復興できるだろう。 自ら死を選べない高齢者に救済を、無理やり生かされる以外の方法があっても良いのではないかと考える時期が目の前に来ている。 次の世代により多くを残せる方法を自分は選びたい。
高校の物理の先生で、定期試験で難しい試験を出すことで有名な先生がいた。
めちゃくちゃ難しいといっても、中堅~地方帝大の入試問題あたりを出してたんだと記憶しているが、うちの高校のレベルだと、教科書をなぞっただけの俺たちは平均点が10~20点だった。
0点すら何人もいた。
60点以下は追試。
当然、全員追試になる。
解き終えて提出するまで、何時になろうが返してくれない。
解き終わった順に、持っていき、その場で採点。翌日も地獄に付き合わされるかの審判を待つ。
成績は、試験の点数ではなくて、何回目の追試で受かったかで決まるような感じだった。
ノートを取る生徒に
「ノートなんか取るな!俺の話をきけー!」
という具合。
自転車の乗り方を覚えるように、カラダで受験レベルの問題を叩き込まれた。
こんな授業をすべての科目でやれば、生徒の成績は上がると思う。
ちゃんとわかるまで解説をするスキルまで揃っていたあの先生だからこそでだと思うし、ほかの教師では定期試験後1か月近くずっと夜22時まで付き合い続けるパワーもないだろう。
不思議と慕われていた。
そんなわけで、地方の中堅高校にも関わらず、我が校の物理選択者の成績は非常によかった。
彼こそ、予備校のカリスマ教師にも負けない、スーパー教師だったと思う。
ところで、俺の古くからの親友は、その定期試験で常に80点以上を叩き出していた。
成績一位は当然彼で初回試験の点数は80~90点、二位でさえ40点代、追試免除は彼一人という快挙を毎回成し遂げていた。
「才能」
にあふれていた。
風変りな生徒だったとは思う。
ノートを持ってない。
教科書に書いてあることをノートに書き写す必要はないじゃんというし、例題を解くときには計算が必要なときは要らないプリントの後ろを使って、解き終えたら捨てる。
「俺、手を動かしながら聞くっていう器用なこと出来ないもん」
と言ってノートはとらない。
一番に驚愕の偏差値を叩き出していたのは物理だったが、東大模試、東工大模試などを受けると、数学でも同じように驚愕の偏差値を出していた。
(といっても、全国一位ではなかったので、模試の全国一位というのはいったいどんな化け物なのかと思う)
どうしてそんな偏差値だせるんだ?
と聞くと
「迷わずに一気に反射神経だけで解き続けると、時間内に完答できるよ。"とことんぷよぷよ"みたいな感じで」
というこれまた微妙にズレた答えが返ってきたのが懐かしい。
進学先でもやはり博士課程後期まで勧められていたが、普通に就職した。
あれをみたら、誰でも
「お前は才能がある!その才能を学術分野で活かせ!」
と言いたくなるのだと思う。
でも、彼にとって、難しい問題の解決は、ぷよぷよやテトリスをするように、ただただ作業でしかないのだ。
今でも、どんな仕事をしているのかと聞くと、楽しい話を聞かせてくれる。
無理ゲーともいえる無茶な仕事だと思うんだが、専門外の俺にもわかるたとえ話で説明できるということは、その問題も彼にとっては、テトリスやぷよぷよくらいに簡単なことなんだろう。
保育所に落ちるのは政治が悪いんだから、保育園に受かるためには政治のシステムを変えりゃいいじゃんね
総務省の人口推計ってやつ計算したんだけど、今の日本人ってだいたい
30代…14%(1800万人)
50代…13%(1600万人)
60代…14%(1700万人)
70代…9%(1200万人)
80代以上…6%(790万人)
みたいな構成らしいのね
いま50代のセンセイが大半でしょ?たぶん
まあこれやると、50代の候補者が5万票で落選して、20代の候補者が5000票で当選てなケースも出てくるだろうけど、良いんじゃねーかな
そうじゃなきゃ日本しね
…とここまで書いてググったら2011年の記事出てきたから後はこっち読んで
世代別選挙区を採用したら議席配分はどうなる?:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110701/221222/?ST=smart