「錫杖」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 錫杖とは

2019-03-09

anond:20190309031405

地蔵は「地蔵菩薩」。道端によくいる、坊主頭仏像がお地蔵様だ。地獄を始めとした六道を行き来して迷える魂を救済してくれると言われる。それが転じて道祖神として道を守る仏様として道端によく置かれている訳だ。

釈迦言わずと知れた仏教開祖であり、悟った人=仏陀である信仰対象としては「釈迦如来」と呼ばれる。

釈迦が分類される「如来」は「悟りを開いた人」であり、像容としては、肉髻と螺髪、つまり頭頂部が盛り上がったパンチパーマみたいな大仏ヘアで表現される。

地蔵が分類される「菩薩」は「悟りを目指し修行中の身」で、髪を結って宝冠を被り持ち物を持つ姿をするものが多いが、地蔵場合はそうりょのように坊主頭錫杖を持つ姿で表現される。

簡素説明ですが、これでよろしいでしょうか。

2017-05-19

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

2016-12-31

それでも年は明ける

我が家のお正月が縮小している。

実家で作られるおせち料理は、年々少なくなっている。少なくなるのが分かるたびに、この家で成長してきた年月と、経過した時間の長きこと、そしてそれらに反比例するかのように、この家族構成でいられる残り時間の少ないことを思い知ることとなり、いささか悲しいのも事実ではある。やんぬる哉。

もう戻らない時間記憶に思いを馳せるよりも、これからやってくる時間に対して思案を巡らせばいい、という人もいるにはいるが…僕にとってこれは、簡単なことではない。なぜなら、私は、確実に、未来永劫これだけは信じることが出来るという存在を持っていないからだ。こんな人は、多くはないけども、少なくもないと思う。

3.11以降、僕は、直感以外の信仰を失った。人様は皆僕に良くしてくれるという、他人に対する信仰。これからやってくる明るい未来に対する信仰原子力発電所安全安価エネルギーだという信仰日本は発展していくという信仰、そして、自分自身可能性への信仰

世間知らずの高校生が、勉強もせずに怠けているばかりで生きていけるほど、進学校は甘くはない。それまで抱いていた自分に対する多能感は完膚なきまでに打ち砕かれ、悩み苦しむそのさなかに、かの巨大地震が起こった。

日本テレビの中継で、水素爆発を起こしたフクイチの建屋が映る。親父は呟く。「これは、やべえな」と。日本はここで一度、死ぬのかもしれない。ただし当時のトレンドは、「日本死ね」ではなく「枝野寝ろ」だったり、「ポポポポーン」だったりした。

室町時代僧侶一休宗純は、元旦にはドクロを先端に付けた錫杖を手に、「御用心、御用心」と言いながら京の町を歩いたという。祝賀ムードに水を差すような行いではあるが、生と死、破壊再生は表裏一体と考えると、わずかに彼の行いの意味理解できるレベルに落ちて来よう(枝野のくだりなどはこれの逆バージョンだったのだろうか)。

大学へ進学しても無気力は変わらなかった。テストレポートを何とか切り抜け、仕送りのみで生きる生活。友人は少ない。

ひとつだけ、かねてからの夢があった。それはとにかく、海外へ行くこと。最終学年のこの年、一念発起して英語圏英語留学へ赴いた。今思い出せば、見るものすべてが面白かった。

留学へ行ったものの、日本人とも多く話していた。しかしながら、現地の日本人で、「日本は今後も変わらず発展していく」といった楽観的意見を表明した者は、誰一人としていなかった。来たるべく破壊念頭に置いて、生存もしくは自己表現の為に英語を学ぶ者も少なくなかった。友人の何人かは現地のグローバル企業インターンに参加していた。

不確実な今の世の中で信じられることは、「生き物は、いずれ死ぬ」といったことだ。このことでさえ、神隠しや行方不明、あるいは死後神になるといった思想や、高尚で極めて分かりにくい哲学的議論により、疑問符が付きうるのだ。世間がどれほど不確実なものか。

冒頭で、「これだけは確実だと信じられるものが何もない」と書いたが、「生きているうちに日本死ぬ」ということは、怪しいがあながち信じられないものでもないと思う。3.11のような巨大災害などを契機とした日本社会全体の急速な崩壊が起こる確率は、社会階層が流動せず格差けが拡大し、労働時間の増加が止まらず、社会保障費の増大によって巨大な負債が残ることで静かに日本社会が死んでいく確率よりも低いとは思うのだが、いずれにせよ、「これは、やべえな」という不安を感じざるを得ないような、今年はそんな一年だった。もちろん、フクイチのように顕在した不安を感じる現象はなく、漠然とはしているのだが。

おせち料理だって、今後もっと少なくなり、絶えてしまうか、別の料理に変わってしまうかもしれない。変わらないことは、最も安全だが、生きても死んでもいないともいえる。絶望的なまでに怠け者の自己に対して変化を望んでいる。いわんや、世の中の変化をや。

御用心、御用心。

2016-04-29

魔法少女アニメに登場しても違和感のない仏具ランキング

1 金剛

2 数珠

3 持鈴

4 印金

5 錫杖

6 位牌

7 如意

8 マニ車

9 仏飯器

10 輪灯

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん