生物として死を嫌うのは極めて普通だし自分の死を認められないのも当たり前の反応だがどうあがいてもこの世に存在するものは全部終わるんだよ
死を意識しないといけないから満足のいく人生を送りたいと真剣に願う
企業には企業理念があり企業理念こそが金銭を稼ぐ以外の存在理由になる
ただし金銭の稼ぐ手段と企業理念の形骸化が起こると結果として死ぬ
効率を言うならなんで100%死ぬ人間にそんなコスト割いてるんだよって話
もっとスケールの大きな話をすると100%太陽が地球を飲み込むのになんで頑張ってるの?
いつ訪れるか分からない死に対して自分が今日一日どれだけのベストを尽くせるのか
途中で死んでも悔いはないプロジェクトに自分は今打ち込めているのか
そういったことに真剣に真正面からぶつかるためには自分の死を後ろ盾にしなければできないことなんだよ
自分が生まれてきた理由を自分で探して見つけるための動機としてどうやっても死という概念が必要なんだよ
死を意識しないってことは人生っていう最大スケールの中で締切を設定しようとしないってことなんだから
死の恐怖を家族や子供という他人との関係性で慰めてやり過ごそうとしているだけだ
お前は例えば会社で30~40年規模のプロジェクトを完遂させる自信があるのか?
そんな企画通ると思ってるのか?
たまたま運が良かっただけの成功者の結果の真似を従ってるだけなんじゃないのか?
実際に自分が老人ホームに入ったら確実に家族を恨むだろうし、忘れてしまうだろう
ならそうなるまえに命をかけて死んでしまいたいとはなぜ思わないのか?
というか老人ホームに実際に住む老人と会話したことさえないだろう?
普通の人の普通の最後は排便もろくにできなくなった痴呆か末期がんの2つに1つなんだよ
もしくは成人病で手足が腐る肝臓が駄目になって急死する動脈が破れる交通事故だなんだとそりゃ色々よ
今目の前で命使ってもやりたいことに取り組みたいと思う方が健全だろう
ようやく違和感がわかったわ。 お前、短期「のみ」しか考えてねぇんだよ。 人間明日をも知れないのは当然だが、今日明日の事しか考えられないのは貧乏人か紛争地帯の人間だけだ。 ...