はてなキーワード: 雑文とは
自らは特段、良い血筋というのもないし、現在そういうのを気にしたこともないから言えるのかもしれないけれど、そういう立場の人ってのは辛いんだろうか。
まぁ、別に安倍晋三のことを言ってるわけじゃないけど、まぁ、彼は政治に於けるサラブレッド中のサラブレッドだけど、そういう彼は自らの立場が辛いんだろうか。
辛いといえば本文に関係ないし、別にどーでもいいけど、下世話なこと言えば彼ら夫婦に子供はいないわけだけど、それはどっちに原因があるんだろうね。
まぁ、立場とか夫婦間の血筋とか、彼が罹患してる難病とか、いろいろ考えると、安倍晋三自身が無精子症とかなんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろうか。
つか、自分の側に全く問題がなくて、自分は子供が好きで、子供を産みたかったかなりいいとこのお嬢さんが居て、離婚とか現実的な選択肢が選べないなか、原始的な欲求と社会的なそれとのせめぎあいでどうしようもなくなった時に、今見られている様な奇行を繰り返してるとしたら、哀れとしか思えないんだけど、まぁ、それは上流ゆえの苦しみかもね。
正直前段が重すぎて、まぁどーでもよくなってきたけど、某所に有名な先生の息子の先生というのがいるんだけど、近年、大きな賞ももらった人なんだけど、いろいろな知識を持っていなかった昔は偏にきれいだとその人の射を思ってみていたんだけど、知識がついたからなのかその人が劣化したのかしらんけど、たいしたことない、というよりも、よくもまぁ取り繕った射をするものだと思うようになったんだわ。
まぁ、確かに離れる練習をさせてる人だし、それは如何なものかと思ってる自分にとって別にどうでもいいかとは思うんだけども、いろいろ知らない人が見れば確かにきれいに見える射ではあるんだけど、結局のところ、「さあ、離れるよ」といって離している射なんだよな。それ以上でもそれ以下でもなくて。
まぁ、若いしそのうちわかって修正するかもしれんけど、生まれがというか、親が有名な先生だからか今の射を捨てるようには思えないし、そういう人がそういう取り繕った射を多くの人に教えるかと思うとぞっとするな。
本人は教えるの好きそうだし。
そや、一般の人はそれの何が悪いかわからんだろうから、注釈すると、良い射の条件に「雨露離」とか「円成無發」とかが良いというんだよ。
端的に言うと射手が意識しないところで離れる(発射する)のが良いということなんだけど、まぁ、ぶっちゃけその人はそうじゃないってことで、それを門弟にも教えてる状態なのね。
正直怖いわ。
取り繕って射を進めても、なーんにも進歩しないのに。
しかもきっとこのまま偉くなるんだろうなー。
ttps://emr-belltree.hatenablog.com/entry/2020/08/29/151644
という記事を見て書きたくなったので増田に投下。雑文なのは許してくれ。
ポケサーの活動内容
・学祭ではイベントサークルと思うぐらい充実した日々が過ごせる(断言するが、社会人になって後悔する)
・ポケモンをやってれば、または見てれば改造してようが、違法サイトで見てようがウェルカムの無法地帯
・特に関東の大学ではそういったトラブルがよく起こってたと記憶している
・ちょっと優しくされただけで好きになってストーカーする男がいるのはオタサーならではの面白さだった
ポケサーにいる男
・今までの人生、女と無縁だったから喋り掛けてくれただけで好きになっちゃう男が多すぎ。
・話が拗れるとすーぐサークル全体に影響がでる。
・女に送ったLINEを回し読みされても文句言えないでしょ。裏垢で晒されてる人もおったぞ。
ポケサーにいる女
・オタサーの姫が多すぎる。姫同士で争うな
・陽キャの疑似体験で満足してる男が優秀な精子を持ってるわけないのにどうしてチヤホヤされて喜んでしまうのか。
・陰キャ男にちょっかい出して悲劇のヒロイン気取る女も少なくない。
・ポケサーにごく稀にいるイケメン目的でサークル入る奴が居てそいつがまあオタクに優しいからモテるんだわ。
・APP3のオタクを厳選するのはやめろ。
ポケサーに恋愛は持ち込むな。
主に男性のスペックや自己紹介文、ニックネームからイタい感じが出ており、もらって嬉しいはずの「いいね」にキツさを感じるケースがあります。
なお、参考までに当方のスペックですが、【31歳・女性・一人暮らし・正社員・身長は女性平均より高め】です。
→詳しい生い立ちや過去一人暮らししていたことがあるかは知らんが、スペックだけ見ると「2回り上のおっさんにハイレベルな家事を求められて仕事も辞めさせられる」って未来が見える
→自らのスペックに「ラブ」をつけちゃうそのセンスに共感できない
→結婚相手の前に仕事を探してくれって思うし、課金すべきはアプリじゃなく生活費だとも思う
→「毎晩レセプションパーティー出てます」「運転手付きの車で迎えに行きます」などの言葉が連なるたびに嘘っぽさと軽薄さを感じる
→身長と収入はともかく、「こういうアプリ使ったことない><」「デジタル機器苦手><」みたいなこと書かれると現代における生存戦略引けてねえなって思う
▼筋トレ後のくたびれた顔で筋肉自慢する写真をトップにする男性
→残念ながら出会う前から自慢することしか考えてないくたびれたおっさんには興味ねえ
生きる気力がない.
いや,生きたいとは思うけれど,それは今とはかけ離れた状態になっていて,そこではじめてそう思うものであって,いま生きていたいとは思えない.今この瞬間を生きて,次に続けていかないと理想の状態にはたどり着けないのだけれど.
思えば救いを求め続けてきた.いつか自分を絶望から救ってくれる環境が,存在が,出来事が,自分の身に突如として与えられるべきだと思いこんできた.いまでもそう思っている.突然論文が読めるようになってほしいし,突然交際が始まってドキドキしたいし,気づくと2年経って名誉ある職に付く社会人になっていてほしい.ここまで書くと苦悩する大学院生っぽいことがわかってしまうな,苦悩というほど苦悩していないのだろうけれど.
けど,けど,けど.
理想がたしかにきっとあるはずなのに,それがあまりにも高すぎて言語化できていない上に,現実とは直感的にかけ離れたものであるとわかってしまうからギャップに苦しむ.理想がなければ現実を持っているべきなのだが,何故か持つことができていない.なにもないと思い込み,ただギャップだけが残る.打ちひしがれもするだろうなと思う.
今この文は何も考えず,推敲さえもせず,テキトーに文字を打ち込んだ思考の濁流である.前後30文字程度見て,それが誤字脱字していないかどうか見ているだけだ.全体の話の流れなど気にしていられない.思考を追い込まれている?ある一瞬ごとに浮かんだ言葉を掴んで連想している.
世間は新型コロナウイルスの脅威に恐れ慄き誰しもが引き篭もっている.そしてそれは私も同じだ.人と話すことがこんなにも大切だとは思いもしなかった.特に先週,ずっと丁寧に親身に接してきた恩師から唐突に言葉遣いを注意されたことも一つ要因として挙げられるだろう.オンラインで面と向かって話す機会さえも奪われて,残すはSlackなどのテキストコミュニケーション.そこで心理的安全性が侵されているのだから引きこもるのも当然だ.というようにまた思い込みやら決めつけで動いている,よくない.
分人主義を読もうか,といってもう2週間が経つ.個人ではなく,個々人の集合としての個,分人.イメージとしてはこんな感じだろうか.常に一人の自分だから孤獨に感じるし責任は重くのしかかるし,意識を保つのにもコストがかかる.これを自分の中で役割ごとに人格を構築し,メール担当,勉強担当,研究担当,バイト担当,色々作り出せばいいのだろうか.言われなくても自らペルソナを作り出して運用しているものもいる気がする.
雑文を書いた.このくらいどうでもいいことを書いて出力することが必要なのだ.これまでは個人に紐付いていてもいいと思っていたが,それは第三者視点から見ると滑稽で奇妙なものとして映るらしい.文字が人を表すのか.そりゃあそうか.
もっと粗雑に,短く,混沌としてやっていくべきと思う.何も考えずに書いた割にはなんか考えてるのではないか?まぁどうせこのことは綺麗サッパリ忘れて明日を迎えるのだけれど.
ちがう,そういうことではない.思考をまとめるのに短文の連続が適していて,それが簡単にできるのがTwitterであるというだけで,それを見てほしいというわけではない.
という反論するタイミングも合ったかと思えば,時流に沿ったなんらかにコメントしたいときもある.
トレンドだったり,事件事故だったり,天気だったり体調だったり,空リプだったり直リプだったり.
そもそも,キーボードでの入力とフリックでの入力にはその出力過程で思考がまるで変わってしまう.
人を傷つけたいわけではないが,自分の思いを正直に言葉にして昇華するとなぜか人が傷ついてしまう.
ネガティブな自分を戒める思いを綴った文は否定文以外の部分だけみて敬遠される.
こうやって匿名で文字を書いてみても,ほんとうにいいたいことはもうすでに蒸発している.
(元がまとめサイト用にライトな文体で書いてたのもあるが、そうでなくとも適当に書きすぎたので雑文になってしまった。その内に推敲して書き直したい)
相変わらず紛糾してるようだが、しかしあんな無駄な脂肪の塊に何を言ってるのだろうかね……あんなもん相撲取りと変わらんと言うのに。
そういう風に誰もが思うよう、身体的な要素を大衆化し、氾濫させる事で性的な要素を減ずるのが本来的なフェミニズムの在り方ではなかったのだろうか。
別に人間、自分の意思で太ったり背が伸びる訳でもなし、身体的要素の表現自体は規制できないだろう。
聖書でアダムとイブは知恵の実を食べたが故に、体を隠すようになった……エロティシズムの本質とは隠匿や恥じらいといった禁断的表現である。
それを自ら恥じず隠さず表現するのは性的表現の反極地であると言えないだろうか?
そもそもbloomerもミニスカートも女性/自己解放運動の一種で発生した、言わばフェミニストの自主表現である。
それを自己規制しても自己解放しても文句を言うようでは本末転倒であろう。男性が描くのはアウトで女性が描くのはセーフなのか?女性が芸術作品で性的表現をしてるのには何も言わないのだろうか?
男女の有無が問題なら、作者の性別表記を義務化するのだろうか。そうなるとLGBTはどうなるのか?
……とまあ、公開も隠匿も自由じゃないと意味が無いという結論になるだろう。
そうなる故に、何を主張したいのか意味不明だ。男性だって別に全員が性的表現が好きなわけじゃない。我々にも見ない自由、書かない自由が有る。
要するに、表現だけじゃ意図も文脈も分からない以上、それを単純禁止とかしても意味が無いという訳だ。
問題とされた例の作品も、主人公というかヒロインが自分の身体に自信が無いのに強調してる服になってるとかだったら批判するのも分かる、
しかし、そうではない。自分の意思で着た服を否定するようでは、それは女性自身による女性抑圧運動でしかない。
世の女性を抑圧し支配してるのが女性自身になっちゃ本末転倒だろう。何を考えて批判してるのか考えた方が良い。
ただ単に性的表現それ自体を抑圧したいなら、それは本来的なフェミの文脈じゃない。それが目的なら性別を問わずに性的表現全体を規制するべきだ。
子供の目に触れる所に性的な表現を持ち込ませたくないなら、それは今回のポスターには関係ない。献血で性的な事を考える輩は極少数派だし、文句を言うのは献血ポスターでなくて少年誌向けで良いとゾーンニングした小学館に言うべき問題だ。
多様化する価値観の中で何を主張したいか決めずに騒いでるなら、外から杜撰な理解をされても仕方ないと思うべきだ。
こう書くと下手すれば炎上するだろうが、この騒動を悪意的な見方をすれば「アレで騒ぐような人間はフェミじゃなくて、若い子に嫉妬する性欲魔人にしか見えない」……こういう誤解を受けても仕方ないと私は思う。そして、そういう軽率な人間は文脈も見ずに「」内を批判する。
Twitterみたいな短文ツールでは意図が伝わらないのは有ると思うが、少なくとも真に女性蔑視を避けるなら、女性自身が同胞の軽率な言動を諭さなければ何も始まらないだろう。
支配に対して支配で対抗するような女性は、名誉男性である。そういう合言葉を使っていくのが、今後のフェミニストのあるべき形ではないだろうか?
まあ……既に正当な女性を抑圧するのに、その言葉は使われてるかもしれないがね。それでも、最後まで諦めず言論を尽くして理解を求めるべきだと私は思う。
こういうのはブログでやるべきなのかもしれない。でもどちらかと言うと日記っぽいと思うので、あと誰が書いたかバレないのがいいなと思ったのでここで。
少しお酒が入っているので文が乱雑かも。
彼を知ったのは彼が亡くなった時だった。ネットで人気のあるボカロPが若くして亡くなった、ここら辺で誰を指すかは分かると思うがあえて伏せておきたい。
これは、彼への餞のようなものであって、多分自己満足でしかない。私が言いたいことを言いたいだけ言うのでそういうのが嫌ならここで帰るのをおすすめする。
彼がCDデビューしたのはなんと16際の頃で、それについて答えているインタビューを最近読んだ。私の情報の遅いこと遅いこと。彼のことは勿論好きだし、(会ったことは無いが)彼の音楽は最高に好きだ。
けれどどこか亡くなった人だということが尾を引くというのだろうか、まあただの言い訳に過ぎないけれどそういう理由で彼のことをあまり調べようとしなかった。
調べたのは彼が亡くなってすぐの頃だけ。
自殺の噂とか、情緒不安定だったからとか、まあなにやら性の方が奔放であったとか。全部ただの噂。彼に関する本当の情報なんかどこにもなかった。いや、どこにもなかったと言うとさすがに誇張しすぎかもしれないので、ある程度の情報はあっていたんだろうと思う。
まあなんやかんやを経て、しばらくしてから、私は彼の曲を聴き始めた。
動画サイトに上げられている曲を何度も何度もリピートし、アルバムも借りてきて聴いて。
気づけば完全に彼のファンになっていた。故人のファンって、しかも亡くなった後に!?と思う人、いるだろう。私もそうだ。でもなってしまった。彼のライブだとか、イベントだとか、行ってみたくなってしまった。
でももう居ない。ああ、なんで死んじゃったんだろう。別に、自殺とか、死因はどうでもいいんだけど、若くして死んだら神格化されちゃったりするでしょうが。
神格化の話は別に彼がそれを狙って死んだとか思ってないけどよくある話ではある。それに彼の最後のツイートは何回も何回も言われる。
大人になったから魅力がなくなった、と。大人になってはいけないらしいですね
これだ。
話が脱線した。そう、私はこのツイートにクソみてぇな考察とか解釈とか本人しかわかんねぇようなことをつけてるやつが嫌いだ。また話が脱線した。ただの愚痴じゃねえか。
それはそれとして、2日前が彼が亡くなってから3年の日だった。その次の日、予約していたCDが届いた。
このアルバムが彼への想いを綴ろうと思った引き金だった。
まず、馬鹿みたいに彼らしくて笑ってしまったアルバムだった。彼の、生きたくて死にたいとか、伝えたいことが上手く伝えられないとか、なんか、そういう不器用って言うか、上手く言えないけど。そういうのばっかり詰め込まれていた。
まあそういうのばっかりが詰め込まれすぎていたせいで、私はうるせえよ、と思った。
うるせえよ、何生きてるみたいな顔してるんだよって。
もう死んでるのにこれ以上もっと彼の曲を聴きたいと思ってしまうポット出のファンの自分はリプライで素晴らしい解釈を垂れ流している人間よりもっと害悪だけど、でも仕方ないよな。だってあんなすげー作品作れる才能、惹かれて嫉妬して然るべきものだから。
彼の返事なんか要らん。というか帰ってこないでしょうから別にそれはいい。
あー彼が今生きてたら今のあれそれにビックリすんだろな、とか妄想したりもする。でもそれってキモイしそれをTwitterで言うやつはもっとキモイ。でもここでしか言えん私はもっとキモイ。
輪廻転生があるならまあ2000年後とかだろうけど元気で笑っててください。
天国地獄があるタイプの考え方なら天国で元気でやってください。
死んで何も無くなってるなら~これが一番現実的なんだけど、でもまあなんにもなくても音楽、やるでしょ。知らんけど。何となくやってる気がする。どうやってやってるとかは別としてさぁ。
結局天国とか地獄とか輪廻転生とか今生きてる人間が希望を持つための話だから、そんなん押し付けられても困るだろうなとは思います。
ま、だから何が言いたいかと言うと、何が言いたいんだっけわからんくなったわ。アホか。
いいや、まとまんないけどまとめます。在り来りなファンレター的なのでまとめましょう。あなたの曲が大嫌いで大好きです。大嫌いって言うのはあんたのその強い才能が嫌いという意味です。大好きはそんまま。
ぶっ生き返しゃいいのにね。くっさいこと言うとあなたはまだ曲の中で生きてるように感じます。死んでるけど。
それから、あなたの好きなさよーならは言わないよ、さよーならさよーならってうるせえよ。馬鹿の一つ覚えか。そこはまたねでいいだろうが。
寒い文章になったなって今思ったけどもうぶちまけることはぶちまけたからなんも怖くないな。
じゃあまたどこかで、歌ってんの見れる日を待ってます。
ここまで読んでくれた人ありがとう。いるか知らんけど、くそ乱雑文で申し訳ない。
結局何が伝えたかったの?って聞かれたら答えられないわ。マジで思ってることだけ書いたので。まあいいや、終わりです。ありがとうございました。
京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。
僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都へ観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。
そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。
立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学の学生が持ちうる矜持のようなものを自然と感じ取っていた。
そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。
交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。
さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身の学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。
元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。
朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。
そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分に大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。
葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育は財産」と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身の生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。
しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。
親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。
そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大の学生用サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。
丸々一年大学に行っていない自分に学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。
この2年間、僕という存在そのものを批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生を否定してしまった。
雑文になるけど、思いつく限り書く。
これが一番きつい。
「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」ではあるけども、流石に程度がある。
なんでそう感じたのか。
1で「すっごーい!」とサーバルが言っていたのは自分が記憶する限りでは、セルリアンを打ち破っただとか、カバンがフレンズの間を人間的マネジメントで取り持った時だと思う。サーバルが「はえ~さすが人間さんすげーわ。」ってなった時にいってたように感じる。
2のサーバルはなんというか、自分が考えつかなかった事全部に「すっごーい!」を言ってる気がする。遊具を直すだとか、扉が開くだとか。1で言う所の「パークの地図を見つけた」部分にも、2のサーバルはすっごーいと言ってそう。
もうそれが「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」という記号化に思えて仕方がない。
ちょっと気持ち悪い言い方をすると、1のサーバルは聖母だったのが、2のサーバルはキャバ嬢だという感覚が鼻につく。
絵は2の方が可愛いと思います。ぶっちゃけ1のサーバルはチープすぎた。
化粧を覚えて、世渡り上手になった幼馴染サーバルを陰キャの俺は目をそらすことしか出来なかった。
レッサーパンダですね。
いや、レッサーパンダが見栄っ張りで後先考えない子っていう風にするのは良いと思う。
でも、なぜそういうキャラにしたかっていう説明ぐらいはほしい。そういうのを旧しんざきおにいさんのコーナーや現ナショジオのコーナー(以降、CM前解説)でやるべきなんじゃないのか。てか、その話のそのコーナーで関わりが深かった方を出すべきで、「パンダとパンダ」だからCM前解説はパンダではなく、レッサーパンダが強烈に主人公陣に関わってきたんだからレッサーパンダをやれよ!と言いたくなった。
なんでレッサーパンダが自分を地味だと思っているのか、見栄を張るのか、後先考えないのか。そういう性格の補完を現実の動物からできるのがCM前解説の役割なんじゃないかと、思うわけ。
レッサーパンダ自体のモデルはかわいいとおもいます。特に首のもこもこがかわいい。
あー、描いてくれたらなー、描いてくれたら、コミックマーケットみたいなところで買うんだけどなー、あー、誰か描かないかな。
セルリアンが居たので困った、フレンズの特性発揮!問題解決!みたいなのが見ていて気持ちがよかったのに。
カルガモが引きつけて、なんで無事だったのかみたいな描写もほしかった。
カバと比べてしまうと、「カバは顎の力がすごい」と「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」は絵だけでわかりやすいのはカバだから仕方がないだけに、カルガモの特性にまで話を割いて上げてよかったんじゃないか。
CM前解説で「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」って言ってれば、カルガモの行動を見た視聴者は「あ、これナショジオで見たやつだ!」ってなったのにもったいないなと思う。まぁ、1話だから仕方がないけど。
なんかこれ、さっきの項目で書くべきだな。
いる。(強い肯定)
としか言えない。自分はツンデレが好みだからいるとしか言えない。
これならいっそ、サーバルじゃなくてカラカルとキュルルにふたり旅をさせて「けものフレンズ1はサーバルとカバン、けものフレンズ2はカラカルとキュルル」っていう風にしたほうがカラカルがもっと輝けた気がする。
いる。(強い肯定)
なんというか、アライさんとフェネックは「カバンは一体なにものなのでパークではどういう風にカバンが見られているのか」を補完してくれる存在だったように思うけど、なんというかアライさんとフェネックが人気出たから後追いをさせてる感が強い。
最後までは見る。
最後までは見るが、最後まで見てけものフレンズ1と比べず評価しろと言われたら、それは無理。
なぜなら全く新しいけものフレンズを提供してくれればそれも出来たのに、1に沿わして作らている以上、そんなに比較してほしいのか、となってしまう。
もっと簡潔に「ワクワク感がない」といってしまえばそれまでなんだけど、自分もなんでそう思っているのかを一度吐き出したかった。
◆ ◆ ◆
思っていた以上に見て頂けたのでさらにその後を追った雑文を書いてみました。コメント等感謝。
https://anond.hatelabo.jp/20190130222747
◆ ◆ ◆
2010年ごろ、ハム太郎スレ上に颯爽と現れ、「【人気アニメだったのに落魄れた原因】」という触れ込みから怒涛の箇条書きによる批判を行っていた人物である。
10 : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] : 2010/08/26(木) 08:26:06 ID:cKtzrxLE
【人気アニメだったのに落魄れた原因】
・他の人気キャラを差し置いてこうしくん、ちび丸ちゃんなどの不人気キャラを誰得プッシュ。
・原因不明のトラハム兄妹の『運動が得意』な設定の消滅と、かぶるくんのかくれんぼが得意な設定の消滅。
・141話でくるりんちゃんがハム太郎に恋してすぐに失恋したのに、他のライター個人がまた勝手に恋させた。
・136話、189話、226話で張り巡らせたトラハムくんとナースちゃんの恋の行方を完全放置。
・190話、235話で張り巡らせたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の行方を完全放置。
・197話でラピスちゃんのハム太郎好きが勘違いであることが発覚したにも関わらず、
その後もラピスちゃんをリボンちゃんのライバル関係として立ち回らせたままにした。
・270話でリボンちゃんがハム太郎に振り向いてもらおうと努力する話をまるまる1話使って入れたのに結局無意味のまま。
そればかりかリボンちゃんの恋は最後まで進展せずは最後まで完全に噛ませ犬。
・289話で糞脚本家菅良幸によって唐突に加えられたおしゃれちゃんがハム太郎が好きな設定。
・人間パートの恋愛描写においてキムラくんが「優等生でスポーツ万能」と言うビッチしか好まない設定に
してしまったことで明らかに人気獲得に失敗しているのに、最後までなぜかキムラくんを必死にプッシュ。
・何度となくロベルト補正を入れたが、結局無意味。これによりロベルトは単なる視聴者を釣るためだけのテコ入れだったことが発覚。
・究極の糞ED「最近ハヤリのメイク歌」を1年間垂れ流し、さらにその後のED曲も
キャラソンの二番煎じであるやっつけED曲「ハムハムトレイン」。
・OVAと劇場版の4作目が揃いも揃って駄作であり、はむはむぱらだいちゅ黒歴史化にますます拍車。
・はむぱら編の失敗により239話で命乞いしたばかりのすいーちゅぱらだいすを244話で破壊。
ややこしい伏線を作ったことにより30分枠での再アニメ化が完全不可能になる。
・商業の迷惑戦犯とも呼べる末期のエポック社の玩具「ハムハムぴたりんちゅ!」。
・島田満脚本家が自身のファンサイトの掲示板にて、放送終了2ヶ月前と言うありえない時期に打ち切り告知。
ハムハーの木のあまりの大失敗による突然の打ち切りだった模様。
このように相当のアンチであるにも関わらず、批判内容は話数・具体的な問題点を詳細にまとめたものであり、狂気じみた書き込みとしてまとめサイト、ツイッター等では未だに目にすることも少なくない。
そんな彼があるスレに自ら「ハム太郎アンチ」であることを名乗りつつ、今もなおアンチ活動を続けていた内容のレスを発見した。
リルリルフェアリル ~魔法のペンデュラム~ 12(https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/anime/1530634569)
853風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 20:26:51.27ID:tWSdSvAb0
>>854
>>852
フェアリルの失敗を他に責任転嫁して、間違ったことを書いているバカがいたから書いただけ。
俺は全部正しいことを広めないと気が済まない。
例えば、俺が広めた「ハム太郎が落魄れた理由」は、「ハム太郎アンチ」で検索すれば
女児アニメのアンチがまた新たな女児アニメ(今回は親会社のサンリオに対する批判が主な様子)のアンチを行っていることにはもはや畏敬の念すら覚える。
その上、「俺は正しいことを広めないと気が済まない。」と動機まで語っている。やはり狂気じみている。
具体的な批判がハム太郎アンチ時代に比べて少なく、感情論・推論・主観に基づいた批判が非常に多い点。
831風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 11:23:08.76ID:tWSdSvAb0
【サンリオアニメがヒットしてから落魄れる一部始終を知っている俺の見解】
・マイメロは1期の34話で、菊池先輩の扱いは完全にやらかしてた。(中の人の事情だが)
あのミスは致命傷なので、ああ言うミスをしてるようじゃあまり長続きしないだろうとは思った。
・マイメロ3~4期も低予算でクオリティは酷いが、頑張ってキレイに終わってジュエルペットのバトンタッチに成功。
・ジュエルペットは1期は放送枠ドラゴンボールーワンピースの裏じゃなければ、その地点でヒットしてた。
ヒットしたのが2~3期だったのは、内容もあるけど、何より「放送枠」を変更した効能が8割以上。
・ジュエルペットサンシャイン(3期)が受けた本当の理由は、梅組ペットが夢を目指して奔走する進路編。
特にガーネット編のクオリティが高かった。(ネット上ではおっさんが喜んでいるカオス要素は売上には関係ない。)
・キラデコは箸休めシリーズとしては機能していた。次のシリーズで盛り上がれば問題なかった。
・ハッピネスの時は、グッズが一番売れていた時代(たまごっち以上)なので、恵まれた予算的に
・ハッピネスはジュエペシリーズの最大戦犯となり、キャラの長所を壊しまくり、
後半ポプピピみたいな意味不明なギャグに走り作風も崩壊。サンシャインの栄光をすべて台無しにした。
・レディとマジカルチェンジは悪環境にしては相当頑張った方。ハッピネスの皺寄せのせいで
予算も時間もなくなったせいで、切羽詰っていた状況で上手く次に繋いでた。
・ところが、「小康状態で持ち直し中」のジュエルペットをなぜか7期の中途半端な時期に切ると言う暴挙を決行。
・ろくに準備もできていないまま始めたフェアリルはマイメロやジュエペに遥かに劣るクオリティで、
多くのサンリオファンが離れて商業面失敗した。アニメ復活はもう無理。
827風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/20(日) 10:56:03.83ID:tWSdSvAb0
もっと言ってしまえば、ジュエルペットはハッピネスが失敗したタイミングで右肩下がりが始まっていたのを、
あのまま順調に8期~9期続けていればジュエルペットのままで売上が回復していたんだよ。
あの放送枠はジュエルペットだったら上手く行ってたと言うifが強い。
871風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/22(火) 21:08:02.01ID:qGl9u0IP0
878風の谷の名無しさん@実況は実況板で (ワッチョイ 91d7-DSt3)2019/01/23(水) 18:21:14.24ID:VM04xEMQ0
>>872
アニメスタジオの暴走が一切入っていない、純粋にサンリオの色が出てる中で
一番近いのはシュガーバニーズのアニメ。だが、12年前の作品だぞ。
フェアリルは無理矢理良い所をピックアップした所で、「今までのサンリオアニメのどれかの下位互換」をやってるだけなんだよ。
しかも、今までのサンリオキャラと違ってキャラデザの魅力がないので、同じステップで評価できない。
まあ、俺がサンリオに興味が無かったら、他のサンリオアニメも同じぐらいつまらなく見えてたと思うよ。
フェアリルは純良なサンリオファンすら受けが悪い。むしろ大量のサンリオ離れを起こしたきっかけにもなった。
>>877
おなじみ箇条書きによる批判点の羅列が見られるが、あくまで「見解」として逃げ道を作っていたり具体性にかけるアプローチでの批判・ただの暴言が多く、また「リルリルフェアリル」に対する具体的な批判点が述べられていないことから、アンチ活動を行うにあたって批判できるほど作品を観ていない傾向が高い。
その一方で、批判先をアニメに続きサンリオや、なぜか韓国にまで手を伸ばしているその勢いは凄まじいが、批判に中身が伴っていないこともあり空回りしている印象。
「愛を感じる」「本物のアンチ」などと一部では称賛(?)されていただけにこの現状を見ると正直残念。
現在このスレには賛同者?とみられる書き込み者が他に2名おり、絶えず会話とともにサンリオに対する批判を繰り返しレス数を増やし続けている。(同一人物である可能性は高いが、憶測にしかならないためあくまで不明)
またアニメ「リルリルフェアリル」スレ上のアンチとして同じような書き込みがシリーズ開始時(1期:2016年2月~)から存在していたようで、もしこれらも同一人物であるとすればおよそ3年もの間サンリオに対するアンチ活動を続けていたことになり、改めて根の深さを実感する。
ただ、スレ名にもある「リルリルフェアリル~魔法のペンデュラム~」は今年1月半ばをもって最終回を迎えており、次シリーズ及び新規アニメ等の情報は不明となっている。
「ハム太郎アンチ」の名前を掲げるも方向性の見えないふわふわとした批判が目につく不思議なアンチ活動ではあるが、今後どうなるのか(個人的には)要観察。
"低"収入すら直してないんだぞ?
リスクリターンに合わないんだよ。書く為に浪費した時間や病気になるほど推敲した時間、読んだ本や吸収した知識や経験、そういうのを全部含めてたまたま面白い形に力が抜けて出てきて、運よく拾い上げられたって話だろ? 実際に選考過程はブラックボックスだし、下読みから校閲まで出版側だってもう限界なんだろうよ。ついこの間の芥川の盗用だって競争率高過ぎてチェックしきれてない証拠じゃないか。
「宝くじ当たるかなぁ」って指くわえてる奴に「私は当たりましたよ?」って言って励ましになると思うのか?
アンタのやってるのは「利用者からはこんな感謝の声が!」って喧伝してる情報商材と変わらないんだよ。腰掛けで楽しかったって話を追い詰められてる奴にするなよ。
オッサンだってこんな場所に書く暇あるならそれこそ投稿サイトに出せばいいじゃないか。
それを何度も何度も繰り返して年功序列と薄汚い欲得と話題作りと政治の結果で自分の努力や時間は左右されるんだって気付いた時に、もうオッサンどころかジジィになってたらどう責任取るんだよ?
オッサンは体も売れなきゃ終身売春婦にもなれないし、下手に褒められて夢見続けたって当たらない確率の方がずっと高いんだよ。
他人に書けとか書くなとか言われてそれで左右されるならその程度なんだろうが、その程度すら自分で決められないで「なろうか"な"ぁ」って、何言ってんだって話だろ。
書く暇と体力あったら小銭貯めてnisaにでも少しづつ投資した方が確実にリターンあるって言ってんだよ。実際に貯金より利率高いんだから。
どうせそれもしてないんだろ? 書く為に投資が要らないとでも思ってるのかよ?
出版はもう焼き畑農業なんだよ。使い捨ての雑文要員を買い叩いてるなんて記事は検索だけで幾らでも出てくる。
訴えたい事もない奴に指先でキーだけ叩いて金が儲かるなんて唆すのは止めろ。
ああ、なろうかなぁ、じゃなくてhttp://syosetu.com/の事か?w
俺も書いてみようかなぁ(笑
15:32 追記
嫁に思い出話をしたら、そう言われた。
高校時代の部活で顧問による体罰事件があり、顧問の先生が罰されても、なお先生に泣きながら復帰してくださいと懇願する生徒たちの姿を洗脳と言っていた。僕も当時は一種の洗脳だと思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
さて、いきなり嫁との会話を書いてしまったが順を追って書こうと思う。
そもそもこの話を書こうと思ったは、今マスコミを賑わしている日大アメフト部のコーチによる暴力が原因だ。顧問による暴力と聞くと、僕も高校時代に顧問による暴力に多少縁があったからだ。また、このニュース記事の見出しの「盲目」という単語が目についた。僕の顧問の先生も、人を盲目的にさせる天才だったなと。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3380718.html
あれから10年、そろそろ言葉にして残しておきたいと考えたので筆を取ることにした。僕は高校時代に吹奏楽部に所属していた。その吹奏楽部は全国常連の高校で非常に規律が厳しかった。具体的に言うとSNS禁止、買い食い禁止、部内恋愛禁止、登校中の音楽禁止である。僕はほとんど守れてなかったが。そして顧問の先生が猛烈に厳しい人だった。まぁ昭和の熱血先生という感じだ。「お前らに一生の思い出を残してやるから、ついてこい。この部活でやれば人間力が鍛えられる」が口癖だ。僕と全然合わなかった。
部活内のイベントとして月に一回、全校舎大掃除と言うイベントがあった。普段使わせてもらっている校舎に対して感謝の念を込めて学校全体を部員全員で清掃すると言うものだ。僕が3年生の時に、掃除がいい加減だったので、いきなり顧問が女子部長を何回も顔面を平手打ちし始めた。最初は混乱して理解できなかった。人の突然の暴力ほど混乱するものはないと感じている。さすがにやりすぎだと思ったのか、矢継ぎ早に他の部員が止めに入ったが次々顔面を平手打ちされていた。僕は臆病者なので、とても止めに入ることができなかった。もう音楽室の端にすぐ逃げてしまった。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。無抵抗の人に暴力を振るうことが無意識に怖かった。言葉では説明できないが本能的に逃げしまった。顧問が怒って音楽室から出た後、部員達から出たセリフは「自分たちがいけないから平手打ちされたんだ」と言うセリフだ。この時点でちょっと違和感を感じていた。なんで暴力を受けてるのに慕うのか理解できなかった。愛のある暴力をなんて存在しないと思っていたからだ。後日、この1件のことをOBが聞いていて、「男子だったら積極的に女子をかばうように動けよ」と責められた。このお叱りは今でも意味が分からない。生まれつき暴力に耐性のない人だっているのだ。
数日後、先生と3年生部員達と話し合いの場が設けられた。そこでは、主に2つの意見が出た。「頑張って全国大会に出たいのでご指導お願いします。」「暴力を振るう先生なんてついていけません。退部します。」の2つだ。25:5ぐらいの割れ具合だったが。ここまで読んでいる読者はお判りだと思うが、僕はもちろん「退部します」の側だ。退部派の人たちは、合計2~3時間かけて退部を止めるために説得される。推測だが、吹奏楽コンクールの前に部員の退部を防ぎたかったのだろう。必死に止められた。説得のされ方は、顧問が「君は部活に必要な人材だ、Aくんそう思うよな?Bくんはどう思う?」と周りの同調意識を利用した方法だ。一応暴力のことに関しては謝罪はあったが、僕を含めた5人は同調意識に負けて続けざる得なかった。このことは今でも後悔している。当時にやりたいことがあり、その時退部していればできたのではないかと思った。内心、クソみたいな説得方法だと思ったが、退部を撤回するまで部屋から出してくれなさそうな雰囲気だった。僕は顧問に屈してしまったのだった。
それから一週間後、大変なことが起こった。読売新聞の地方面に、顧問の暴力の件が詳細に載っていた。誰かの親が新聞社に告発したのだ。内容も明らかに、その場にいた人しか分からないことが書いてあった。僕は内心、顧問の先生に正当な罰が下されると思った。その次の日に、部活内の保護者を集めた説明会が行われた。顧問は確か2週間ぐらいの停職処分が校長先生から説明された。顧問も謝罪していた。そこで生徒の何人かがいきなり泣き始めた。「顧問の先生は、僕たちを思って平手打ちしたのです。顧問は悪くない。僕たちのことを指導してください。」のようなことを言い始めた。やがてほとんどの部員は賛同し泣き崩れた。泣いていなかったのは、退部派の人たちだけだ。当時は言わなかったが、内心「この人たち大丈夫かな?」と思っていたと思う。少なくとも僕ともう一人は、そう思っていた。ここで冒頭の嫁との会話に戻る。このことを顧問による洗脳だと言ったのだ。全国大会に行かせてやるから俺を信じろと言って部員たちを盲目にして、顧問の意見は絶対に聞かなければならない。ちなみに、保護者の中で誰が新聞社にタレ込んだかプチ犯人探しが始まったのは、想像に難しくない。
そのあと停職になった顧問と、その家族は非常に心を病んでしまったようだ。何せ地方欄とはいえ新聞で報道されたのだ。そこで顧問と家族に向けて手紙を書くことになった。いや、確か部長により半強制的に書かされることになったのだ。ほとんどの人は「先生は悪くありません。私たちはいつまでも待っています。私たちを全国へ導いてください。」と言った旨を真面目に書いていたようだ。僕の中では顧問は信頼できない人となってしまったので、「元気出してください。待ってます。」などと適当に書いたのは覚えている。多分全部員の中で一番短い自信がある。今考えれば顧問に手紙なんておかしいよなと思う。
顧問は、2週間停職のあとは、普通に顧問にとして復帰した。それからもたまに怒ることがあり、その時に「俺をまた新聞に載せたいのか」と怒鳴られたこともあった。全然反省してねーなと思った。時たま「俺の葬式には、歴代の教え子たちがとんでもない数くるから楽しみにしておけ」とも言われた。ここも嫁に話したら、ドン引きしていた。そんなゴタゴタがあったその年のコンクールは、都大会銀賞で残念ながら全国に進めなかった。ほとんどの人が全国に行けなかったと号泣していたが、僕は涙が一滴も出なかった。むしろ終わってくれて嬉しかった。(その後次の年は、全国大会金賞を受賞していた。)気がつけば結局引退までズルズル続けててしまった。
僕は社会に出て何年か経過したが、この部活で学んだ人間力とやらは全く役に立たなかった。会社では、高校の部活より厳しく感じる規律も感じたことがない。こんな部活やめておけばよかったと後悔はある。この後悔があるからこそ、会社で働く原動力になっているところはあるので、そういう意味ではよかったのかもしれない。
ここだけは他人に向けてへの言葉なので、文調を変えます。顧問による暴力というのは、部員の心身を傷つけるものだと思います。ご自身の思い通りにならない行動をされても、そもそも一人の人間である他人に対して、暴力による組織統治を行うのはどうかと思います。勝負の主役は部員であり、顧問ではありません。勝たせてあげたいのば分かりますが、暴力を使わずに言葉で指導して欲しいです。また、きちんと部員達に個人の意思を尊重してあげてください。気持ちが一丸とならないと勝てないとか言う人もいますが、所詮赤の他人の集まりが気持ちを統一することなど不可能です。思考を強要せず、多用的な考えを受け入れてください。会社と同じで、そうしなければ生き残れないと思います。
長文雑文を申し訳ありません。ここまで読んでいただきありがとうございます。ただの高校時代の思い出なので、適当に流してください。
PS.
この日記を多くの方に読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです。正直10ブックマークがせいぜいかなと思っていました。こんなに読まれるのであれば、推敲すべきでした。僕の恥ずかしい記録として、残しておきます。はてぶのコメントもほとんど拝見しています。ポジティブ、ネガティブ両方の意見をいただき、どちらももっともな意見でした。
この日記の趣旨は、はてな匿名ダイヤリーの名の通りパブリックな日記です。その時の自分の気持ちを文字にすることが目的です。ちょっとばかり人に読んでもらいたい気持ちもあります。約10年間、同期同士でも触れるのを避けていた話題で、言語化する機会がなかったので日記という形で残しました。高校の吹奏楽について詳しい人は特定できる内容になっています。最初は高校名を書こうとは思いましたが、なんとなく直接書くのはやめました。
「洗脳」と言う言葉を使いましたが、結局のところ本人の受け取り方により異なります。一方から見た場合はそう見えても、他の人から見たら(この場合は顧問を信じている部員)「洗脳」とは受け取らない場合ももちろんあります。ここでは僕が忘れてしまわないよう、当時に思った気持ちを言葉にしてみました。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
「欲しいスペック(もしくは機種)」と「実際問題としてこのぐらいで間に合うスペック(機種)」って違うことがある。私はよくカフェでパソコン広げて仕事(?)している人が羨ましくて、家電量販店行っては薄型のノートパソコンを見ていたけど、実際には仕事の資料を持ち出してカフェで仕事することなんかできないし、薄型のモバイルノートパソコンって同じスペックのデスクトップパソコンより高いことが多いので、結局8インチのタブレットと外付けキーボードを買った。
一眼レフで写真を撮るので、店ではハイスペックのノートパソコンを勧められることが多かったんだけど、実際問題は気に入った写真を1~2枚Wi-Fiでカメラからタブレットに飛ばしてSNSにアップする程度。長文といえばせいぜいここの匿名ダイアリーで雑文を書くぐらい。外付けキーボードも使ったり使わなかったりで、ただ単にタブレットは大画面で文字や写真が見やすくて便利という結論。10万を超えるようなハイスペックパソコンは要らなかった。
まぁiPadを買う前にじっくり考えてみて。お金に余裕があれば、「スペック的には必要ないけどカッコいいから買った」もありだしね。
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
ーーーー
父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
ーーーー
いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
ーーーー
当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
ーーーー
なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。
元増田です。みなさんからポジティブな反応をもらえて嬉しかった。
雑文を書きなぐってしまったので、言いたいことを書き忘れていたけど、僕には大きな悩みがある。
それはいろんな人から言われる「お前はもっとできるだろ」という言葉だ。
大学時代にお世話になった指導教員からも言われたし、大学の友人たちも正直そう思っているだろう。
恵まれた環境にありながら、責任を果たしていないのではないかとも思う。
そこは少しよくわからない。
僕が人生を甘い、甘くさせたいと思えば思うほど、この呪いが僕を悩ませる。
つまりは僕の立場は中途半端で、組織人にもなりきれず、一方で起業家や飛び抜けて目立った生き方(東大卒でプロゲーマーとか、研究者の落合さんのような生き方)にもなりきれず、中途半端で安寧している。
それはそれでどうなんだろうかと思わないこともない。でも、どちらの生き方も自分の心を壊しそうだ。
みなさんからのコメントを見て、親の背中の影響は大きかったんだなぁと思った。
自分は父親の働いている姿は格好いいと思っていたが、高校時代にそれを本人に伝えると、こんな職業は賤しい職業だからお前は継がなくていいと言われた。
それは個人的に結構ショックだったのでよく覚えている(うちは士業ではなく脱サラだ)
運輸をやろうとしないと書かれていたが、本当に必要であればコンビニの店員でも運輸関係でもやると思う。
でも、自分のできることをできるだけ高く売ろうとすると、別に腕力があるわけではないので優先順位は低いかな。
大学時代はわざわざ地方都市に行って、塾の夏期講習のバイトをしていた。
東京や首都圏では東大生はゴロゴロいるが、地方都市では希少価値なので、かなり良いお給料をいただいていた。
元SMAP3人のAbemaTVでの番組やテレビ番組の改変など最近テレビに関するニュースや論考をたくさん目にする。
テレビは終わったとか、昔のほうが面白かったとか。こいう話題の時に、僕は糸井重里のコラムを思い出す。
https://www.1101.com/readers/2013-10-13.html
なにか新しいものを作ろうとすると最初は苦労するし、みんな一生懸命になる。
ただ、ある程度成長して安定すると、いろいろなことが慣れてきて停滞してしまう。それがいまのテレビの状態な気がする。
そんなときに、新たな場所にうつってまた新しいものを作ろうとするのは自然で健全なことだと思う。
実際、AbemaTVを作ってるのはテレビ番組の制作会社が多いし、あくまでもテレビが進化しただけだと思う。決して終わってない。
じゃぁ、テレビは今後どうなるのか。
モヤモヤさまぁ~ずがゴールデンに進出する時に伊東Pがインタビューでこう語った。
「ただ、ゴールデンタイムに自分たちの大切にしているものを持って行かないで、深夜を治外法権みたいにして好きなことやるっていうのはね、そろそろどうなんだろうと。だからって、なにも『モヤさま』を持って行かなくてもって気持ちはあるんだけど(笑)、『モヤさま』をゴールデンで放送することは意味のあることなんだよって話しました。「ゴールデンタイムで遊んでやろう」って感じで。」
http://www.ohtabooks.com/quickjapan/special/001_03.html
そして、ユーチューバーの東海オンエアがUUUMへの所属を発表した。
暴言女性議員とその友人と思しき人の怪文書(Facebookだが)を読んで,承認欲求って本当に大変だなぁと思いました.当方も暴言議員と同じく東大出身,現在は某大学でラボをもっています.このような承認欲求に囚われている人をどう解放するか,私の日々の悩みでもあるのでちょっと雑文でも.
進学校出身の東大卒にありがちなんですが,その中でも承認欲求と他者の評価を得ることに貪欲な層が一定数います.本当に誤解されたくないのですが,東大卒がみんなそうじゃないし,本当に学問が好きな人もいれば,ただのオタクもいるし,凡人っぽい人もいる.そういう意味では多様性はあります.
で,この貪欲層って本当に扱いづらく,「自分が頭が良いことを人に示すために行動をする」という行為を取ります.試験の成績が良いのも,その講義が面白かったからでも(知的好奇心),成績が優だと就職の時に有利に働くから(経済的インセンティブ)でもなく,ただ自分は周囲の人間よりもすごいということを示したい(承認欲求)がために勉強をするのです.本末転倒です.
試験くらいでは,それほど害はないのですが,ラボに入ってきて研究をすることになるともっと大変です.様々な学問分野でいろんな常識があるでしょうが,ラボの仲間は良き同僚であり,良きライバルでもあります.お互いに切磋琢磨して成長することは望ましいのですが,研究は勉強と違って,わかりやすい1番がありません.Aという研究もBという研究もそれぞれ方向性が違うのですから.にもかかわらず,同期を威嚇するような進捗報告,自分がどれだけ頑張っているかを示す進捗報告など,とにかく自分を認めて欲しいアピールがすごいのです.
しかし,研究とは残酷なもので,必ずしも学部時代の成績に沿って,研究成果が出るものではありません.いろいろな要因もあり,運もありますが,得てして楽しそうに研究をしている人のところに成果が出ると思います.私も東大出身ではありますが,遊び呆けていたわけではなく,それなりに真面目に授業に出ていましたが,全く成績は良くなく,優なんて数える程しかなかったものです.しかし,本当に面白いな,この人みたいになりたいなと思う研究者に出会い,野垂れ死んでもいいやと思って研究をやり始めました.最初はまったく成果は出なかったですが,5年ほどかけてやっと成果が出始め,現在はCNSにも通るようになりました.そういう意味で私は遅咲きのタイプでした.
よく冗談で試験前に勉強してないアピールの優等生というのが出てきますが,そういう人は研究に最も向いていないタイプの人です.研究の世界では,知識や知見は通貨であり,これらを交換し合うことで,人類の研究の世界は成り立っています.ギブ&テイクとは言ったもので,最初にギブした人の元には様々なギフトが降ってきます.一方で,得をしようとテイクばかりする人間からは人は離れていくのです.これが人徳に繋がるのかもしれません.
大体において,優等生は高いプライドが邪魔をして,人に相談ができなかったり,しかし自分は優秀だと認めてもらいたくて間違った努力に走ることがあります.その度に私は中島敦の山月記の話をするのですが,頭が良い彼ら/彼女らには,ただの国語の試験問題で読んだ文章としてしか理解されずに,本意は捉えられず,自分のことを認めない研究が嫌いになり(正確に言えば,自分が褒められないフィールドよりは,自分の優位性があるフィールドに移動したいというインセンティブが働き),研究と一切の関係がない外コンや官僚,商社に去っていきます.就職して大学を去る人たちにも研究の面白さを伝えた上で卒業してもらいたいのですが,なかなか難しいようです.卒業生のFacebookをみたときに,研究や大学をひどく罵っている様子を見てしまい,自分の教育者としてダメな部分を痛感します.ただ,浪人もして東大の中で劣等生であった自分が,傷ひとつない経歴の彼らの気持ちや行動原理がわかるかというと,なかなか難しいのも事実です.
外野からの観測からですが,彼/彼女らは自分のことを好きではないのだろうな,だからダメな自分を信じてあげられないんだろうなと思います.かっこ悪い自分を見たくない,失敗したくない.それは誰もがそうです.しかし,「お前が信じるお前を信じろ」ができなければ,人生辛いと思うのです.他人にバカにされようともいいじゃないですか.自分は自分のことをすごいと思っていれば.俺はいつか成果を出してやるんだと思ってがんばれば.なぜ自分を信じてあげないのか,安易に他者の評価を,より正確にいうと,自分よりも圧倒的に頭の悪い他者の評価を得ようとするのですか.そんな人たちに褒められるよりも,あなたの方が賢いのだから,あなたがあなた自身を認め,褒めてあげないと.
あの暴言は全く許されるべきものではないですが,暴言議員のあの咆哮も,山月記だと思えば,臆病な自尊心と尊大な羞恥心に依るものだったのでしょう.悲しいことです.
結構言われる。
正直、自分は相手を下に見たことは一度も無い。だけど周りで見ている人や会話している相手(人づてに聞く)からは、上から目線だったと指摘される。
就職してから数年経ち、幾度となく上から目線を指摘されている。自分では理由がわからなかったので、指摘されるたびにどこが・どこで上からの目線を感じたのか自分を修正するために聞いた。ここ最近のメモを見返してみると、「一方的に話された」、「突然割り込んできた」と書いてあった。後者については、自席で世間話をしていたから、声をかけて仕事の話をしたつもりだったのだけど、相手からはそう思われていなかったということらしい。
前者の「一方的に話された」について最近考えていたところ、これが原因かなと思い当たったので皆に聞きたい。
普段は仕事関係の会話をするときは、「これこれこうだからAをしてくれませんか」とか「あれがああなるのでBではないですか?」というように相手の返答として YES/NO を期待する聞き方をしている。実はこれが相手へのプレッシャーとなっているのではないだろうか。個人的には相手の回答として YES/NO を要求することで、相手へ回答を考えさせる負担を減らしているつもり(気分的には真偽値判定の容易さと充足可能なモデルを探すことの難しさのつもり)だったのだけど、実は YES を強要していたのではないだろうか。NO って答えるのは難しく感じさせているのでは無いだろうか。
だから二択のつもりで実は一択を要求していたのではないだろうか。いやもう答えを要求する時点で相手のことを考えていないということなのだろうか。(一択の)回答を要求することが上から一方的に話されたと感じさせてしまったのでは無いだろうか。
もちろん自分の話し方がヘタクソだっていうことも関係しているんだろうけど、こういう聞き方がまずいのでは無いかと思ったので書いてみた。
2017/05/26 追記
皆さん、ほとんど丸投げのような雑文に真面目な回答をありがとうございます。
上から目線な言葉について考えていましたが、むしろ上から目線に感じさせてしまうような行動が原因では無いのかと複数指摘がありましたので、行動も含め、トライしてみることにします。