生きる気力がない.
いや,生きたいとは思うけれど,それは今とはかけ離れた状態になっていて,そこではじめてそう思うものであって,いま生きていたいとは思えない.今この瞬間を生きて,次に続けていかないと理想の状態にはたどり着けないのだけれど.
思えば救いを求め続けてきた.いつか自分を絶望から救ってくれる環境が,存在が,出来事が,自分の身に突如として与えられるべきだと思いこんできた.いまでもそう思っている.突然論文が読めるようになってほしいし,突然交際が始まってドキドキしたいし,気づくと2年経って名誉ある職に付く社会人になっていてほしい.ここまで書くと苦悩する大学院生っぽいことがわかってしまうな,苦悩というほど苦悩していないのだろうけれど.
けど,けど,けど.
理想がたしかにきっとあるはずなのに,それがあまりにも高すぎて言語化できていない上に,現実とは直感的にかけ離れたものであるとわかってしまうからギャップに苦しむ.理想がなければ現実を持っているべきなのだが,何故か持つことができていない.なにもないと思い込み,ただギャップだけが残る.打ちひしがれもするだろうなと思う.
今この文は何も考えず,推敲さえもせず,テキトーに文字を打ち込んだ思考の濁流である.前後30文字程度見て,それが誤字脱字していないかどうか見ているだけだ.全体の話の流れなど気にしていられない.思考を追い込まれている?ある一瞬ごとに浮かんだ言葉を掴んで連想している.
世間は新型コロナウイルスの脅威に恐れ慄き誰しもが引き篭もっている.そしてそれは私も同じだ.人と話すことがこんなにも大切だとは思いもしなかった.特に先週,ずっと丁寧に親身に接してきた恩師から唐突に言葉遣いを注意されたことも一つ要因として挙げられるだろう.オンラインで面と向かって話す機会さえも奪われて,残すはSlackなどのテキストコミュニケーション.そこで心理的安全性が侵されているのだから引きこもるのも当然だ.というようにまた思い込みやら決めつけで動いている,よくない.
分人主義を読もうか,といってもう2週間が経つ.個人ではなく,個々人の集合としての個,分人.イメージとしてはこんな感じだろうか.常に一人の自分だから孤獨に感じるし責任は重くのしかかるし,意識を保つのにもコストがかかる.これを自分の中で役割ごとに人格を構築し,メール担当,勉強担当,研究担当,バイト担当,色々作り出せばいいのだろうか.言われなくても自らペルソナを作り出して運用しているものもいる気がする.
雑文を書いた.このくらいどうでもいいことを書いて出力することが必要なのだ.これまでは個人に紐付いていてもいいと思っていたが,それは第三者視点から見ると滑稽で奇妙なものとして映るらしい.文字が人を表すのか.そりゃあそうか.
もっと粗雑に,短く,混沌としてやっていくべきと思う.何も考えずに書いた割にはなんか考えてるのではないか?まぁどうせこのことは綺麗サッパリ忘れて明日を迎えるのだけれど.
うんち
大学院生ならまだ救いがある。 異性関係はどうにかなる。 人間は色んな場面でペルソナを演じる。 悪魔のペルソナを作らなければ失敗はしない。 少しだけやれることはあるはずだ、や...
理想があるだけ偉いやん 理想が高すぎると自分だけじゃなくて他人を傷つけちゃうことがあるからそれだけは気をつけてな