はてなキーワード: しんざとは
ユーザー層が入れ替わったのでしょうね
昔のはてなーと現在の対立煽りしているはてなーは別の人種なのでしょう
[B! 教育] どうやって子どもに「文化資本」をプリインストールしていけばよいだろう? | Books&Apps
文化資本とは、語彙力や言葉遣い、学力や教養や美的センスといった、個人的リソースのことを指す。
文化資本は直接的にはお金にならないかもしれないが、地位や人間関係へのアクセスを左右し、巡り巡って経済資本をも左右するという点において、やはり資本である。
この手の話に熱心に参加していたのは子供を持つ親や教育関係者ですね
トピ主さんやしんざきさん、まつもとさん辺りも文化資本関連で何か書かれていそうな気がしますが探すのが面倒になったのでここでやめます
なぜ文化資本という単語が《東京すごいポルノ》に使われるようになったのかよくわかりませんが
本来の意味では住んでいる場所よりも親の方が重要ですし、問題視しているのは貧困の再生産です
しんざきさんのエントリ(https://blog.tinect.jp/?p=81116)を読んで思ったんだが、
「夫婦というのは、「人生」というプロジェクトを共同運営しているプロジェクトチームだ」
とするなら、専業主婦(夫)というのは同一プロジェクト内における家事というタスクを専属で担当するメンバーだよね。
家事を外注する家事代行サービスについては認知、そして評価されているのに
https://blog.tinect.jp/?p=81116
要は家庭運営は「プロジェクト」であるのだから適切なプロジェクト運営を行う必要がある、という趣旨で内容については概ね同意ではあるのだが、これを実践しようとするには大きな問題がある。
普通の人は「プロジェクトマネージメント」なんてできないのだ。
私はいろいろな会社の小さめのプロジェクトに参加して開発を請け負うエンジニアなのだが、まともなプロジェクト責任者に当たるのは20%もない。
ここでいう「まともな」というのは、
という、プロジェクトマネージメントを行うにあたっての最低限のスキルがある人である。
もちろん優秀な人が集まる大企業であれば多くの人が簡単にこなせるだろうが、私が参加するような中小企業にいるような人たちには難しいのだ。
つまり、「夫婦の人生というプロジェクト」において、プロジェクトマネージメント的な方法を用いて適切な運営を行おうとしても、なかなかに難しい話なのである。
そして更に大きな問題が1つある。
誰かが明確なプロジェクトの責任者であるなら、モチベの管理はその人の責任ですけれど、家庭運営というプロジェクトで「主従」があるべきではない
これはその通りなのだが、人生というプロジェクトにおいて最も大変と言える子育ての初期はそうもいかない。
相対的に妻が家庭運営にかけられる時間が多く、それにより知識の差もできてしまい、結果として妻側がマネージャー、夫側が指示を受ける側、という立場にならざるを得ないのだ。
そして妻側にプロジェクトマネージメントの経験がない場合に、プロジェクトが崩壊へと向かってしまう。
初産の年齢でなんらかのプロジェクトのマネージメント経験がある女性がどれだけいるかを考えれば、多くの家庭が機能不全に陥ってしまうのは想像に難くないだろう。
まずは、妻の方がマネージャーとならざるを得ない状況が大きな問題なのであるから、夫も妻と同等かそれ以上の時間を家庭運営に割けるように、育休を妻と同期間かそれ以上の期間取得すれば良いのだ。
これはとても簡単な話だ。
次に、それができたとしても若い夫婦にはそもそもプロジェクト運営は困難だ。
それを解決するにはエンジニアリングの世界からヒントを持ってこよう。
ソフトウェアエンジニアの世界には「ペアプログラミング」というものがある。
ソフトウェア開発をペアになって行うのだ。一人がコードを書き、一人がナビゲーターとしてサポートする。
一見すると一人しかコードを書いていないため作業が遅くなるように思われるが、二人がそれぞれコードを書くよりも開発が早く進む場合が多い。
これはペアで作業を行うことで、ミスを発見しやすくなる、知識を共有する時間が不要となる、チームワークが向上する、といったメリットがあるからだ。
家庭運営でも同じことをすれば良い。
まずは全ての作業を一緒にやるのだ。
分担するのは全体感の把握と個別作業の理解が十分にできてからで良い。
ネットの書き込みを見ると「夫はこの程度のこともちゃんとできない」という愚痴をよく見る。
「こんなこともわからないのか」と責めるようなマネージメントのアンチパターンではすぐに無能な夫が出来上がってしまうので、そうではなくて「一緒にやろう」と声をかけて、何度か作業を見てもらって、その後実際にやってもらって、それで何回かすれば期待する作業をやってもらえるようになるだろう。
逆に、「何か手伝うとすぐに怒る妻」には「ちゃんとやりたいからまずやり方を見せて」「今度は俺がやるから見てて」というコミュニケーションをすれば良い。
日本の多くの家庭は話し合いの場を持つということすら苦手だと思うので、この「一緒にやってみてそれから分担を考える」というプロセスは導入しやすい。
これから子供が生まれる家庭で、夫婦共にプロジェクトマネージメントのプロフェッショナルでない場合は、「育休を取る」「家事はペアプロ」この2つだけはぜひ覚えておいてほしい。
「スプラトゥーン3」が「不慣れな人に敗北のストレスを感じさせない」ことを徹底していてすごいなーと思った話
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2209/17/news080.html
筆者のしんざき、こいつの何がイラっとするかって、配慮しなくていい所で人を甘やかすところだ。
格ゲーに文句を言う記事が話題になった時も、しんざきは不満を垂れる奴に同情的なスタンスを取っていた。
「敗北のストレスをうまく扱えず早い段階でやめてしまう人」を課題と考え、システムで解決を図ろうとしてるが、
これはゲームユーザーの意識の問題であって、システムの問題じゃない。
格ゲーのアンチテーゼとして生まれたスマブラでさえ、ガチ勢による研究が進んでeスポーツと化した。
対人戦ゲームはどうあがいても最適化される。敗北のストレスを感じたくないなら上達するしかない。
"対戦ゲームにおける「敗北時のストレス」問題"なんてのものは存在しない。
優劣の差を付けるのが対戦ゲームの本質なんだから、ストレスは感じて当たり前。
運動競技でいうなら、サッカーは走り回るのに体力がいるから敷居が高い、みたいな寝言だ。
格闘ゲーマーが格ゲー批判に対して「いいからトレモしろよ」と軽くあしらうのは、それ以外にやりようがないことを理解してるからだ。
しんざきさんはズルい。
毎回ツッコミどころをしっかり潰した防御力つよつよのテキストを書く。
「これはうちだけの事例です。」
「これを一般化するつもりはないです。」
「現時点ではそういうスタンスです。」
そうやってしっかり予防線を張り、条件を整えた上でクリティカルヒットな一撃をお見舞いしてくる。
だから脳みそ少ないブコメ勢は自分で発言する事を諦め、あたかも天からの啓示でも得たかのようにそのお言葉を反芻する。
間違いなく頭がよく、仕事ができ、子育てもうまく、奥様とも円満で、ゲームを楽しみ、ケーナを嗜む。
そんな最強キャラであるしんざきさんに毎回成す術もなくオーバーキルされるのである。
同じ氷河期世代なのにこうも違うのか。
過去のblogから(おそらく)親ガチャではなく実力の賜物である事もよく知っている。
30代の頃は自分にもしんざきさんに近づける何かがある気がしていた。
だからそこから学び、得られた「何か」を自分の人生の糧にしようと真っすぐ向き合えた。
それが40代になり、自分が持たざる者である事を1日1日痛感するにつれて彼のテキストを読むのが辛くなって来た。
眩しすぎて辛い。
しんざきさんの事は大好きだけど大嫌いだ。
ポルノ小説投稿サイトの高評価ランキング上位独占で書籍化間近な「エロ小説増田」こと「伍式」が、ゲームと子育て論を得意とするライター「しんざき」であることは両者のtwiterを確認し、伍式の書いたポルノ小説を読めば明白だ。
しんざきのツイートや署名記事を伍式が引用RTし、同一人物であることしか考えられないコメントを付けている。
しんざきが絶賛したゲームの登場キャラをモデルにしたとおぼしきキャラがポルノ小説内に登場する。
しんざきが評価したゲームそのものと思われるゲームをポルノ小説の中の登場人物がプレイしていたりする。
しんざきがブログで取り上げたアナログゲームが小説内に登場する。
しんざきが以前ブログに「ゲーム動画を観るよりも自分はゲームをプレイしたい」と書いていたのにポルノ小説のヒロインがゲーム実況系Vtuberの設定なのは若干もにょるけど、時間が経過して考えも変化したのか。
その件を駄目だと言いたいのではない。ライター業の新たなキャリアとしてポルノ小説というのもありなのだろう。事実として伍式の書くポルノ小説はズリネタとして質が高く更新が楽しみだし、投稿サイト内においてのランキング攻略法(内容が明確なタイトル、連続更新によるスタートダッシュ、他ユーザー作品への感想レビュー大量投下による囲い作り)は完璧としか言いようがない。ランカー入りを目指す書き手にとってはお手本だろう。
だからこそなのだが「伍式=しんざき」の匂わせって何故だろうと思ってしまう。
伍式は伍式のままポルノ書きでええやん、しんざきはしんざきのままゲームと子育てライターでええやん、と。
マナーコンサルタントの言う「お気持ち全面配慮」というスタンスがひどいと思った件: 不倒城を読みました。
私はたまたま、西出ひろ子さんの下で仕事をしたことがあります。仕事人としては人に要求するレベルが高く、私はその水準に達しなかったのかなぁ、という思いもあって、もう会うことはかないません(し、そもそも会う気もありせん)が、
西出さんの提唱する(少なくとも、かつては提唱していた)マナーを知っており、一方的にせめられているのは、あまりに気の毒だなと思うので、擁護にはならないけれど、西出さんの考え方をお伝えしておきます。
西出さんの考え方。
それは、
「マナーとは、『○○のときは××をしなさい』という"型"ではなく、互いが、互いのことを思いやりながら、気持ちよくコミュニケーションを取りたいと思う"気持ち"を元に行動すること」
というものです。
また、
「マナーとは、『私は完璧なマナーを身に付けている。すごいでしょ!』『あなたはマナーがなっていないわね。恥ずかしくないの?』という一方通行のものではなく、『互いが相手の立場に立って、相手が楽しく、心地よく過ごせるように思いやる』という相互作用のもの」
でもあります。
例えば、「フォークとナイフは外側から使う」というマナーの"型"がありますが、西出さんの考え方は、
「確かにそういうマナーになっているし、覚えておいて損はないけれど、おいしく、楽しく食べられるなら、どれから使ってもいいよね」
「外側から使わなかったのには、何か理由があるかもしれない。それなのに、外側から使わないことを非難してテーブルの雰囲気をぶちこわしたり、人格を否定したりする方が、むしろマナー違反」
というものです。
あいさつも同じ。西出さんは、「あいさつは笑顔で」というマナーの"型"について、こう言うと思います。
「何であいさつは笑顔かというと、笑顔であいさつされたら誰だってうれしくなって、コミュニケーションを取りたくなるから」
「もし相手があいさつのときに笑顔でなかったなら、笑顔でないことを怒るのではなく、笑顔になれない相手のことを思いやって、心配してあげてほしい」
というものです。
私が仕事をしていたときは、「相手の立場に立ち、思いやってする行動の全てが本当のマナー。『本当のマナー』で周囲と接していれば、あなたも周りも幸せになれる」として、「マナーの型が全く載っていないマナー本」なんていうものも作っていました(お蔵入りになったかもしれない)。
つまり、西出さんとは何なのかというと、「マナー講師」じゃない。「コミュニケーション講師」なんです。
(実際、「マナーコミュニケーション」という単語を、商標登録しているはずです)
□
で、本題です。
「コミュニケーション講師」に「マナー」を尋ねると、何が問題になるのか。
西出さんの提唱する「マナー」とは、前述の通り、相手の立場に立ち、相手を思いやること。
これは考え方としてとても正しいのですが、正しすぎて、「じゃあ、こういうケースでは具体的にどうしたらいいの?」と問われたとき、答えが無限に出てしまうのです。
なぜなら、人の考え方は人それぞれだから。
人対人のコミュニケーションの組み合わせも、その"正解"も、無限になってしまうのです。
マナーというのは、ある種の決まりごとと思われている方が多いかと思いますが、マナーは決まりごととは言い切れません。
その場にいる方々が心地よかったり、スムーズにその場を進めたりするために、お互いが思いやりの気持ちを言葉や行動であらわしていくことなんです。
マナーの"型"に沿って言うだけなら簡単です。同じく記事中にて、
昔、こういったことをマナーとして言っている人がいたのかもしれません。
私は、九州で生まれ育って年齢は50歳を過ぎていますが、初耳でした。
高齢だから、ということではなく、周囲からそう言われて育ったとか、その人自身の考え方が影響しているのではないでしょうか。
そもそも、自分が知っている慣習以外をマナー違反としてしまう傾向がありますので、今回もその傾向の一つかもしれませんし、他に不快になる要素や事情があったかもしれない、とも考えられますね。
といっているのですから、西出さんは、「マナー講師」として「『薬を人前で飲むな』などというマナーの"型"はありません」と言うだけでよかった。
ところが、これまで述べてきた通り、西出さんは「コミュニケーション講師」(私感)なので、
ただ、世の中には様々な考え方をなさる方もいるので、これを不快に思う人もいるということをわかった上で、自身がどのように飲むのか、そこにマナーが問われるのかもしれません。
決めつけることなく、今回のケースでいえば、薬を飲む側も、それを不快に思う側も、互いにさりげなく配慮し、受けとめ合える社会になればよいですね。
と話してしまう。
これが、しんざきさんには「お気持ち全面配慮」というスタンスに見えたのでしょうね。
ただ余談ですが、引用文を文面通りに読めば、「お気持ち全面配慮」ではなく、「薬を飲んでいるところを不快に思った側も、たとえそう思ったにせよ、相手の立場に立って、注意は控えるべき」と言っていることが分かると思います。
その意味で、タイトルを「お気持ち全面配慮」とするのは、(まさにしんざきさんがエントリを上げたときの心情を思うと、分からなくもないけれど)雑なんじゃないかなぁ、とも感じます。
余談ついでになりますが、少し前に話題になった、徳利の注ぎ方の件、西出さんならおおむね、こんな感じで言うと思います。
「そのようなマナーは初耳です。基本的には注ぎ口から注いでいいと思いますが、もしも、相手が注ぎ口を上にして注いでいたならば、あなたもそれに合わせて、逆向きに注ぐことも考えてはどうでしょうか。また、注がれる側も、仮に相手が注ぎ口を上にしていたからといって、笑わないでください。相手も、相手なりにあなたのことを思いやって、大事にしたいから、そうしてるのですから」
「あなたがそれでも『注ぎ口を上にするのがマナーなのに、彼は下に向けて注いできた。実に失礼だ』などと思うならば、こう考えてはどうでしょうか?『彼は注ぎ口を下にすることで、注ぐときにおちょこからお酒がこぼれ、手や袖が汚れないように配慮してくれているのだ』と。相手のことを思いやり、おいしく食事をして、楽しくコミュニケーションを取る。これが本当のマナーです」
…ごめんなさい、ちょっと盛りました。けれど、大筋はこんなものかな、と。
□
「その場にいる方々が心地よかったり、スムーズにその場を進めたりするために、お互いが思いやりの気持ちを言葉や行動であらわしていくことなんです。「TPPPO(時間、場所、立場、相手、場所)」によって答えは変わってきて、これがマナーだと考えています。
という立場なので、先に書いた通り、「こういうときはどうする?」と尋ねると、理論上は無限に答えが出る=マナーが増えてしまうんです(これも今思えばちょっと盛っていますね。無限じゃないです)。
だから、マナー(の型)の取材として西出さんに聞きにいった記者は西出さんを理解していなかったし、西出さんも、こんな取材を受けてはいけなかった。
というかね、西出さんにはいいかげん、このことに気付いてほしい。記者と西出さんとで、話しているベースが違うから、おかしなコメントばっかりになってしまうんです。昔っからなんですよ。昔っから!だいたい何ですか!発端のツイートなんて、嘘つきか、そうでなければアレがアレな人の、アレなアレじゃないですか!こんなもののコメントなんて断りなさいよ!もう!知らないっ!
雑文になるけど、思いつく限り書く。
これが一番きつい。
「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」ではあるけども、流石に程度がある。
なんでそう感じたのか。
1で「すっごーい!」とサーバルが言っていたのは自分が記憶する限りでは、セルリアンを打ち破っただとか、カバンがフレンズの間を人間的マネジメントで取り持った時だと思う。サーバルが「はえ~さすが人間さんすげーわ。」ってなった時にいってたように感じる。
2のサーバルはなんというか、自分が考えつかなかった事全部に「すっごーい!」を言ってる気がする。遊具を直すだとか、扉が開くだとか。1で言う所の「パークの地図を見つけた」部分にも、2のサーバルはすっごーいと言ってそう。
もうそれが「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」という記号化に思えて仕方がない。
ちょっと気持ち悪い言い方をすると、1のサーバルは聖母だったのが、2のサーバルはキャバ嬢だという感覚が鼻につく。
絵は2の方が可愛いと思います。ぶっちゃけ1のサーバルはチープすぎた。
化粧を覚えて、世渡り上手になった幼馴染サーバルを陰キャの俺は目をそらすことしか出来なかった。
レッサーパンダですね。
いや、レッサーパンダが見栄っ張りで後先考えない子っていう風にするのは良いと思う。
でも、なぜそういうキャラにしたかっていう説明ぐらいはほしい。そういうのを旧しんざきおにいさんのコーナーや現ナショジオのコーナー(以降、CM前解説)でやるべきなんじゃないのか。てか、その話のそのコーナーで関わりが深かった方を出すべきで、「パンダとパンダ」だからCM前解説はパンダではなく、レッサーパンダが強烈に主人公陣に関わってきたんだからレッサーパンダをやれよ!と言いたくなった。
なんでレッサーパンダが自分を地味だと思っているのか、見栄を張るのか、後先考えないのか。そういう性格の補完を現実の動物からできるのがCM前解説の役割なんじゃないかと、思うわけ。
レッサーパンダ自体のモデルはかわいいとおもいます。特に首のもこもこがかわいい。
あー、描いてくれたらなー、描いてくれたら、コミックマーケットみたいなところで買うんだけどなー、あー、誰か描かないかな。
セルリアンが居たので困った、フレンズの特性発揮!問題解決!みたいなのが見ていて気持ちがよかったのに。
カルガモが引きつけて、なんで無事だったのかみたいな描写もほしかった。
カバと比べてしまうと、「カバは顎の力がすごい」と「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」は絵だけでわかりやすいのはカバだから仕方がないだけに、カルガモの特性にまで話を割いて上げてよかったんじゃないか。
CM前解説で「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」って言ってれば、カルガモの行動を見た視聴者は「あ、これナショジオで見たやつだ!」ってなったのにもったいないなと思う。まぁ、1話だから仕方がないけど。
なんかこれ、さっきの項目で書くべきだな。
いる。(強い肯定)
としか言えない。自分はツンデレが好みだからいるとしか言えない。
これならいっそ、サーバルじゃなくてカラカルとキュルルにふたり旅をさせて「けものフレンズ1はサーバルとカバン、けものフレンズ2はカラカルとキュルル」っていう風にしたほうがカラカルがもっと輝けた気がする。
いる。(強い肯定)
なんというか、アライさんとフェネックは「カバンは一体なにものなのでパークではどういう風にカバンが見られているのか」を補完してくれる存在だったように思うけど、なんというかアライさんとフェネックが人気出たから後追いをさせてる感が強い。
最後までは見る。
最後までは見るが、最後まで見てけものフレンズ1と比べず評価しろと言われたら、それは無理。
なぜなら全く新しいけものフレンズを提供してくれればそれも出来たのに、1に沿わして作らている以上、そんなに比較してほしいのか、となってしまう。
もっと簡潔に「ワクワク感がない」といってしまえばそれまでなんだけど、自分もなんでそう思っているのかを一度吐き出したかった。
id:tomita_yuuta id:junglejungle id:white_yellow id:sbedit1234 id:uncorrelated id:sunechamacell id:Fubar id:tomoP 高須賀 山本一郎 しんざき
基本的に性別の主体で態度を変えたり執拗不当に女性に絡む人達です。
男が行ってる馬鹿な行為には個別で片付け、女はラベルで叩いたり或いはそれらの行為に毎回スターをつけるなどの実績が全員ある方達です。
女性は彼らに星をつけたりお気に入りに登録する等好意的なアクション自体が、女性全体への攻撃になりうるという事ご留意ください。
id:tomita_yuuta id:junglejungle id:white_yellow id:sbedit1234 id:uncorrelated id:sunechamacell id:Fubar id:tomoP 高須賀 山本一郎 しんざき
基本的に性別の主体で態度を変えたり執拗不当に女性に絡む人達です。
男が行ってる馬鹿な行為には個別で片付け、女はラベルで叩いたり或いはそれらの行為に毎回スターをつけるなどの実績が全員ある方達です。
女性は彼らに星をつけたりお気に入りに登録する等好意的なアクション自体が、女性全体への攻撃になりうるという事ご留意ください。
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なんで反応ないの?
本当にお前らおっさん連中に興味ないのな。フェミや浮気の話やらはすぐホットエントリするのに
id:tomita_yuuta id:junglejungle id:white_yellow id:sbedit1234 id:uncorrelated id:sunechamacell 高須賀 山本一郎 しんざき
以外に教えろよ。もう出ないといけないし時間ないんだよ