はてなキーワード: 私自とは
はじめに。
人によっては不快に感じる話なので(特に、不妊治療中や子どもを諦めざるを得なかった方など)、読み進めるのは自己責任でお願いします。しかし、私自身にとっても深刻な悩みで、どこかに吐き出したいので書いています。
学生時代、生理痛が非常に重かった。社会人になり自由になるお金が増え、保険適用でピルを飲むようになって生活しやすくはなった。しかし、生理期間中の身体のダルさや眠気は相変わらずあるし、二日目にイブクイックを飲むことはまだ辞められてはいない(学生時代もピルの存在は知っていたが保険適用だと知らなかったし、知っていたとしても親は気合いで乗り越えなさい!タイプだったので通院は無理だったと思う、医療費通知でバレる)。
自分は元々、この世に生まれてきたかった訳でなく、生まれてしまったから死ぬのも怖いし仕方なく生きているタイプの人間だ。また、人それぞれ考え方はあるのは前提で、私は「子どもを産むのは完全に親のエゴ」だと考えるタイプである。
そんな自分は大学生の頃、絶対に子どもはいらないと考えていた。しかし、自身の結婚や環境の変化、身近な人の子どもと触れ合う機会等を経て、最近は少しだけ子どもって可愛いなー、良いなーと思う自分がいる。また、生きてて良かったな、楽しいなというこれまでの経験の積み重ねも、気持ちの変化に影響していると思う。初めは自分でもこの変化に戸惑ったが、時とともに人の気持ちは変化するもんだと思えるようになった。まあでも、これまで生き辛さを抱えながら生きてきたし、今もそういった部分は消えていないので、そんな自分も子ども産み育てたいと思う瞬間もあることに対して矛盾を感じてもいる。
しかし、一つの命をこの世に生み出す責任の重さを考えるとどうしても「産みたい!」「産むぞ!」という気持ちになれない。また、メンタルが強くないので、妊娠、出産、子育てで大いに病む自信しかないし、問題を抱え込みやすく周りに上手に頼れる性格でもない(プラス、両実家は遠方)。器用な人は両実家が遠かろうが何だろうがやってのけるんだろうし、そうじゃない人もどうにかやるしか!の精神で乗り越えるのだろうけども。
ただ、遠方に住んでいる姉の子育ての話を少し聞いただけで、「わ、私には無理だ…」と感じることが多すぎる。ワンオペの多い姉は「私がやらなきゃ誰もやる人がいないからやるしかない」と淡々と話すが…。勿論、話を聞いたり、みてねに上げられる写真を見たり、実際に会ったりすると甥っ子は非常に可愛くて癒されるし、子どもって良いなと思う瞬間はある。でもそれ以上に、人ひとりを育てる大変さ、責任の重さを考えてしまう。
それに加えて、円安だし、税金は右肩上がりだし、不正をした政治家が裁かれないような日本に生まれることは果たして幸せなのだろうかとか考えてしまう(どの国に生まれてもそれぞれ、様々な問題があるでしょうが)。親が考え得る、子どもの幸せを全て叶えてあげようとするのは傲慢だし、無理だとは理解していても、一度立ち止まってしまう。
また、我が家は家計が毎月カツカツという訳ではないけど、めちゃくちゃ余裕がある訳でもない。もし仮に、非常に経済的余裕があったとしたらこんなに悩まずに産むのかなと考えたこともあったが、その時でも私は悩みそうだと思ったので金銭的理由よりもメンタル的な理由の方が大きそうである(メンタルが関係する問題で、金銭で解決できることも一部ありそうではある)。
親しい友人は、私の子ども絶対いらない期(大学生時)の気持ちも、今のあやふやな気持ちも知っていて「世の中、みんなそんなに考えてから子ども産んでないよ」「ただ可愛いから産んでる子もいるよ」「〇〇(私の名前)は考えすぎだよ」と言う。でも私は、元々生まれてきたかった訳ではなく生まれてしまったから生きてるタイプの人間だし、そういうことを人より深く考えてしまう。
夫には付き合っている時から、今後変化するかもしれないが現時点で子どもを産みたいとは考えていないと何度か伝えており、それを了承の上で結婚した(因みに、夫自身は子どもが欲しいかどうかは「分からない」らしい…。子どもが身近にいないとそういうもんなんでしょうか)。この先、やっぱり子ども欲しい!って言われたら、まあその時はその時だよね(知らんけど)という精神で今はいます。一応、こちら側の意思表示、説明責任(?)は果たしている。こちらの気持ちの変化の可能性もあったので(実際に変化してる)、婚前契約までは結んでません。
で、タイトルに戻りますが。いっそのこと子宮を除去できたらなと思うようになってしまいました。なんかもう、疲れてしまって。自分の中で、己のキャパ的に今世では子どもを産み育てるのは無理だわと分かりつつ、微妙に揺れ動いてしまう感情に振り回されることや、産むなら早い方が体力的に良いとか自分で勝手にタイムリミットを感じて、決断を急き立てられるような気持ちになること、両実家からの表立っては伝えてこないけれど、ふとした瞬間に緩やかに感じる孫への期待だとかに。それならばもう、子宮が無くなってしまえばそういったことに悩まされることもないよねと。子宮がなくなればめんどくさい生理も来なくなるし(夏のナプキンのムレは本当に不快)。
もし万が一、子宮が無くなったとしたら、「あ、私はもう子どもは産めないんだ」と喪失感に駆られるかもしれないなとは考える。めちゃくちゃ自分勝手だけど、人間ってそんなもんでしょう、とも思う。
可能性を排除して、考えなくて良くなりたい。色んな自分で自分を苦しめているしがらみから解放されたい。考えることに疲れてしまった。
おわり。
特にそれが子供という身体も思想もおぼつかない相手を対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。
けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。
私は今年35歳になる男で同性愛者だ。
今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分は同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。
それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまったからだ。
かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。
しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。
異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的の美人局もあるだろうがそれはまた別の話)
ではペドフィリアはどうだろう。
もちろん、自分の欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。
万が一相手に同意が取れたところで、未成年の同意が大人の同意と同じ効力はないし、真に受ける人間は社会性を失った猿だと思う。
ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。
正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。
しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間は危険だから排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。
百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。
ただ「そういった思想を持っている人間はすべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。
何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代と場所は確かにあった。
ゲイとペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイは個性でペドフィリアは性癖だからという理論は正直意味がない。
どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。
自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか。
だったら異性愛者の恋バナや片思いだけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。
書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供とセックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。
ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。
誰だって世間一般、もしくは自分の想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。
ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空のペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。
若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメに昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。
もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。
なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。
少し話がそれる。
今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。
その気持ちはとてもよくわかる。
それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類好きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。
ぬぐるみから男根が生えたという女性の記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。
自分が性対象の範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。
私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。
と同時に「なぜ彼女の片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。
結局は恐怖心なのだと思う。
ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。
ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般で常識であっても、人間、自分が想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ。
では逆に内心の自由が保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。
そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。
では同士で語り合ったりするのはどうだろう。
これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。
私にとってインターネットは雑踏の中にある架空の秘密基地であった。
「恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」
たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。
「好きな人が結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。
といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。
逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。
VIPからきますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。
インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。
かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。
面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。
勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。
ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。
しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合は果たして内心の自由になり得るのだろうか。
もちろん明らかな犯罪予告や一種の誹謗中傷にあたるようなものはダメだろう。
しかしあくまで架空の妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。
「嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえ、ネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?
だったら「あのイケメンアイドルにキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?
そもそも架空の妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか?
そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこからが基準になるのか?
それが個人単位の気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか?
もっと正直に言えば、私は他のマイノリティやペドフィリアなぞどうでもいい。
そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。
かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。
私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。
私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人権団体がただ己の自尊心を気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧と優遇を叫ぶからだ。
「理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。
ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。
内心の自由はどこまで許されるのだろうか。
■籍を入れる頃合い。
芸能人のカップルが、事実婚をするということがニュースでTVで読まれていた。
その延長で「事実婚と入籍した場合とでどんな差が生まれるか」というのを紹介していたけれど、それを眺めていた恋人がふいに「オレたちも頃合いになったら結婚しようね」と言ってきた。
頃合いと言っても、我々はもう30代半ばだが。既にまごう事なき晩婚の域である。
だもんで「頃合いっていつ?」と訪ねたら、「オレがもうちょっと出世したら」と返ってきた。
そうか。彼が、どことなく出世を意識しているような会話が多いのは、そういう想いも含まれているのか。
私たちは部屋のどの窓からも市役所が見えるような場所に住んでいるので、「その気になれば5分で入籍できるね」と返事をした。
なんてことない会話だったし、私自身そこまで「絶対に絶対に結婚したい!」というタイプではないのだけれど(絶対に「結婚」がしたかったらもうとっくの昔に相手を縄でしばってでも市役所に乗り込んでいただろう)、やっぱりこういうことをふいに言われると嬉しい。
ちょうど最近、YouTubeの広告で「あのさ、キミとキッチンを選びたい」とプロポーズ?するCMを見て「これいいな!」ときめいていたところだ。
「自分ならどんな風に言われたいだろうか」そんな風に妄想もしていたから、「ぐふふ」となった。
普段どれだけ「どっちでもいいや」と思っていたとしても、好きな人にそんな風に考えてもらえると表情はゆるんでしまうものなのだな。
私たちは毎日とても仲良く過ごしているので、本当は今すぐ、もうはずみで出してしまってもいいのかもしれない。
ちょうど、間もなく私たちは付き合って4年目を迎える。
芸能人のカップルが、事実婚をするということがニュースでTVで読まれていた。
その延長で「事実婚と入籍した場合とでどんな差が生まれるか」というのを紹介していたけれど、それを眺めていた恋人がふいに「オレたちも頃合いになったら結婚しようね」と言ってきた。
頃合いと言っても、我々はもう30代半ばだが。既にまごう事なき晩婚の域である。
だもんで「頃合いっていつ?」と訪ねたら、「オレがもうちょっと出世したら」と返ってきた。
そうか。彼が、どことなく出世を意識しているような会話が多いのは、そういう想いも含まれているのか。
私たちは部屋のどの窓からも市役所が見えるような場所に住んでいるので、「その気になれば5分で入籍できるね」と返事をした。
なんてことない会話だったし、私自身そこまで「絶対に絶対に結婚したい!」というタイプではないのだけれど(絶対に「結婚」がしたかったらもうとっくの昔に相手を縄でしばってでも市役所に乗り込んでいただろう)、やっぱりこういうことをふいに言われると嬉しい。
ちょうど最近、YouTubeの広告で「あのさ、キミとキッチンを選びたい」とプロポーズ?するCMを見て「これいいな!」ときめいていたところだ。
「自分ならどんな風に言われたいだろうか」そんな風に妄想もしていたから、「ぐふふ」となった。
普段どれだけ「どっちでもいいや」と思っていたとしても、好きな人にそんな風に考えてもらえると表情はゆるんでしまうものなのだな。
私たちは毎日とても仲良く過ごしているので、本当は今すぐ、もうはずみで出してしまってもいいのかもしれない。
ちょうど、間もなく私たちは付き合って4年目を迎える。
今回の件でちょっとショックだったのは、災害対応自販機の多くは実は災害時には役に立たないということだった。
災害対応自販機 | 自動販売機の種類 | 自販機設置マスター
主に バッテリー式、ワイヤー式、ハンドル充電式 の3種類があり、前2つは鍵を持った管理者による操作が必要。
災害時には管理者も被災しているわけで、自分と家族の安全が最優先ですよ。職場に戻って自販機の鍵を開けろなんてちょっと非現実的だと思う。
3つめのハンドル充電式は誰でも操作できる。ただ、ぱっと見それとわからないのでリンク先の写真を見ておいた方が良いと思う。
災害支援型 自動販売機|コカ・コーラ社の自動販売機を設置|お取引希望のお客さまへ|コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社
通信ネットワーク技術による遠隔操作によって、自販機の電光掲示板に災害情報を流したり、本体に残っている飲料を無償で提供するとのこと。
調べていてすごいと思ったのはダイドー。
地方自治体と災害支援協定を結んでいて物流拠点および災害救援自販機の在庫商品を無償で提供するらしい。
cider_kondo …そもそもワイヤー式が登場したのは東日本大震災で充電式がダメだった事例が多かったからだとメーカーが書いてる https://www.bankin-rise.com/service/manual/ のになぜスルーしてんの?
へえ、知らなかった。ありがとう。
この記事を書いた動機ですが、私自身が物件を持っていて自販機が2台入っているからです。
自販機って全く儲からないんですよ。なので自販機を入れている理由は2つ、店子の利便性と災害時に役に立つからです。
それなのにこれは災害時には役に立ちそうにないなとショックを受け調べていた次第です。
鍵による操作も初耳で(ひょっとしたら先代が知っていたのかもしれない)今度帰ったときに確認しようと思っています。
そうそう!これ!
私もコレだと思っていました
Arturo_Ui 「災害時には管理者も被災しているわけで」< 今回は正月で高校に誰もおらず、管理者も参集できなかった点は考慮すべき。普段の時期であれば誰かしら管理者はいるはずなので、そこまで心配することも無いような。
ただ私個人の選択としてはハンドル充電式の方がよいです。マンションオーナーはそのマンションに住んでいるわけではないので。
この記事は誰かを非難する意図ではなく、これから選ぶならどれが良いだろうかという話です。
それと一部のコメントが誤解されてそうですが、
増田を書くとき、大抵「なぜこの文章がこの世に存在する運びになったか」という言い訳から書き始める。
今回もやはり例に漏れない。アノニマスでのダイアリーでご丁寧に言い訳。難儀な性格だと我ながら思う。
うつとは付き合い始めてもう五年近くになるが、未だに自分のうつについては何も分からないままでいる。
私の場合は、気候に加えて何種類かの不安や悲しみが同時期に積み重なり、トリガーとなるパターンが多い。
不安や悲しみは自らの努力で解消可能なものから、不可能なものまでさまざまだ。
今回もそうだし、五年前もそうだった。
うつについては、それ以外理解できていることはない。ないのだが、最近うつに関して感じたことを書き留めておこうと思い、増田を書くことにした。
未来の自分の道標になるかもしれないし、ならないかもしれない。これは、私のための文章だ。
盛りに盛って自己肯定感は低下の一途を辿り、何を言っても、何を考えても面白みに欠ける。独創性もない。何か行動を起こそうにも、冷えて硬くなった脳が軽やかな動きを阻害する。
そうして、「自分はつまらない人間である」という意識から自己肯定感が更に低下する。典型的なうつによる負のスパイラルに陥っている。
おまけに寒い。毎日毎日、体の芯から凍りつくような寒さに文字通り震えている。都心で大雪など降るなアホたれ。
うつ症状が軽い時期は、アイデアがするすると湧き出てくるものだ。
例えるなら柔軟性のある、水をたっぷり含んだスポンジに近い。脳に少しの力を加えてやれば、まとまりのある言葉が簡単にアウトプットされる。情報もサッと染み込み、インプットも楽勝だ。
出てきた言葉やアイデアには、自信が持てる。整然とした美しさや、鮮やかさに自信が持てる。
力が要らず、アウトプットに不満もない。健康的な思考の活動だ。
対して、うつ症状が重い時期の脳は、「凝り固まっている」という表現が適切に思える。
アイデアや言葉は頭の中に堆積しているが、脳がガチガチに硬い。硬い脳を叩こうが押そうが、うんともすんとも言わない。
目から入ってくる絵や文字の情報もろくに整理できず、ドロドロとしていて頭の芯まで染み込まない。
うんと力を込めて、ようやく絞り出された雀の涙ほどのアウトプットは、濁っていて美しくない。
強い力を要し、アウトプットに全く満足できない。これ程不健康で悲しいことはない。
だが、私はこうして文字を書けている。
そして重要なのは、今書いている文章に別段美しさも、鮮やかさも感じないのだが、なぜか心が安らいでいる。
この現象に気がついたのは、ここ数日のことだ。
冒頭からつらつらと書き続けて分かったが、やはり私は難儀な性格だ。
匿名で書く日記ですら書く言い訳が必要だと思っているし、「面白みに欠ける」ことが嫌いだ。たぶん発言に「独創性」も欲しいのだろう。
なぜこのような性格なのか。おそらくそれは私の言葉やアイデアが、基本的に「自分とセットで社会から評価されるもの」という前提にあるからだろう。
仕事でも、趣味で文章を書くときでも、限られた友人同士でしかやり取りしないSNSでも、「自分と、自分の発言がどう見られているか」で常に頭がいっぱいだ。そういうシーンでは自分と、自分が発信する表現は地続きのものなのだ。
別に私が面白くなくても、独創性がなくても、美しくなくても、実は誰も怒ったり責めたりはしないのだが……そのような自分の醜態を、おそらく私自身が一番許していないのだろう。
だからこそ、この苦しみはなかなか解けにくいのだ。
だが、気がついた。
「自分とセットで社会から評価されるもの」ではない文章は、脳からアウトプットするのがあまり苦ではない。例えば、この増田のような文章だ。
匿名で宙に放り投げる文章は、社会で活動している自分からはぷっつりと切り離された存在だ。しがらみや他人の目に囚われない文章をアウトプットする行為は自由で、とても快適だ。
私の場合は、おそらくこの思考の活動がリハビリになるのではないか、と感じている。
この活動を起点として、自分が「面白みに欠ける」ことや、自分のアウトプットに「独創性」がないことを許す。
自分の発言やアイデアは、本来もっと自由で快適だったことを、体と頭に思い出させる。そうすれば、次第に脳は元の柔軟なスポンジに戻るだろう。
希望的観測を含むうつ真っ盛りの時期の所感だ。少し楽観的すぎたか。
しかし、言葉が自由で快適なことを思い出すリハビリなのだから、能天気なくらいでちょうどいいはずだ。楽観的に表現できる、ということが重要にも思える。
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。
まぁこうやって書くと最初から被害者と加害者になる関係だからとか手を出したら犯罪だからとか言うんだろうけど、そんなものは結果論で、同性愛者が増えると少子化になって人類が滅ぶからくらいの話じゃないのか?
私自身も小児姓愛者は気持ち悪いと思うし、それを通り越して、女児や男児に性的な暴力を振るう大人(男女どちらも)を死ぬほど軽蔑するけど、小児姓愛者は存在するし、それは異性を好きになる気持ちや同性を好きになる気持ちと同じなら、認めなければいけないし、認めてから子どもを守る方法を考えなければならないと思う。
一般人から芸能人まで含めて性被害報道など腐るほどあびてきて、そのたびに自分の性被害が思い起こされては湧き上がってくる怒りや不快感を寄せては返す波の様になだめてきたけれど、今回はそう上手くいかない。
松本人志ほどのビッグネームだから何度も何処でも報道され続け、松本の顔写真を見るたびにもう10年以上前にもなる過去の性被害が、いくら記憶からかき消そうとも何度でも鮮明に蘇ってくる。その度に、みぞおちのあたりが重く仕事や生活に集中できない。松本の性加害が報道され始めた昨年末からずっと。
(アマプラを開くとドキュメンタルの広告で松本人志のアップが出てきてそれもつらい。)
10年前、年上友人男性Xに合コンを組んでもらったのが事のはじまり。
Xとはたまに食事しながら趣味の話を楽しむ関係。付き合いが長く既婚者ということもあり信頼できるお兄さん的存在だった。
合コン自体はうまくいき、そのうちの1人(Xにあたる後輩)と交際することになったから報告とお礼を兼ねて食事に行った。
「それはよかった!あいつは良い奴だからよろしくね!」と喜んでくれ「お祝いだから!」という事でアルコールも入り時間が経ち、私はいつの間にか泥酔状態になっていた。自分の脚で立てず支えて貰いながら歩いたのは覚えている。
気がつくと、Xが所有する倉庫の固い床に転がされ下着を剥がされている最中だった。無茶苦茶びっくりしたし肉親や親戚にそうされているかのように生理的に不快だった。必死に抵抗するも力が敵わない。胸に顔を埋めるXはマリオのドッスンのように重く動かすこともできず、そのうちぐったり疲れて組み敷かれなすがままになった。
事後、どうやってその現場を出たのか覚えていない。
携帯がなかった。どうやら食事した店に忘れてきたらしく、幸いそう遠く離れていないその店へ歩いて取りに戻った。
鏡を見ていなかったので分からないが酷い格好だったのだろう、男性店員さんが一瞬息をのんで携帯を手渡してくれた。泥酔状態で店を出た私たちの姿も見ていたはず。何が起きたのか察知されたように感じて物凄く恥ずかしかった。逃げるようにタクシーに乗り込み帰宅した。ひどく疲れていたので、ベッドに倒れこんでそのまま眠った。
翌朝背中が痛むので鏡をみたら、長時間押しつけられていたせいか背骨にそって赤黒く床ずれのようになっていた。昨夜のこと、考えないように思い出さないようにしていると、Xからメールが届いた。昨夜のことを詫びるとともに昔からずっと私に好意を抱いていたこと、後輩にとられるのが悔しかったので出来心でやってしまった、できれば酔ってない時にもう1回やりたいという内容だった。
松本人志の性被害者Aさんのように私もXにお礼、いわゆる迎合メールを送った。
「びっくりしたけど気にしないでくださいヘラヘラ、彼氏できたんで2回戦はまたいつかヘラヘラ」的な軽い文面だったと思う。
けどその迎合メールを送ったという事実が後々私を苦しめることになった。
これから彼氏になる男性の先輩にあたる、共通の知人も多いXの気を損ねたくなかったから重い話にしたくなかったし、妻子がいる相手から何か奪うつもりも脅迫する気もない、誘惑だってしてない、慰謝料なんて取られたらたまったもんじゃない、私は無害ですよと表明したかった。今思うと、あんな性被害を受けておいて、それでも相手に気を使うなんてどうかしている。
〝性暴力の被害者は、被害に遭ったことを認めたくなかったり、社会的地位や立場の差がある加害者との関係悪化を恐れたりして、加害者に順応や迎合するような行動を取ることがある。〟
松本人志の性被害者Aさんにぶつけられる「なんやこのメール、性的合意があったんだろ!」これは私が10年以上、私自身にも浴びせ続けてきた言葉だった。
性被害を受け入れるような迎合メールを送った自分は、頭がおかしいんじゃないか...とずっと苦しんでいたけれど、よくある行動なのだと知りようやく自分を許せた。
Xとはそれ以来連絡をとらず会っていない。
「えっ...知りたくなかった。Xと気まずくなるじゃん勘弁してよ。」と拒絶されたのをきっかけに共通の友人たちとも切れた。
後悔だけしている。食事に行くんじゃなかったとか、証拠をとっておいて闘えばよかったとか。もっと自分を守れたらよかった。
やめときゃいいのにXのSNSを探してのぞきに行ってみた。今回の松本人志に何か言及しているのか?性加害報道を眺め自分の行いを少しでも思い返すことはあるのだろうか?
新再刊『映画秘宝』における2021年DM問題の件についての不祥事謝罪ならびに今後の活動につきまして改めてのご報告 – オフィス秘宝 公式ブログ
https://l.pg1x.com/WuKFjFzFCB29eqjF6
あまりにも目が滑るので、要約してもらった上で、添削もしてもらったぞ。
これは謝罪文と読んで良いものでしょうか? それとも単に後悔を述べた感想文のようなものでしょうか?
ChatGPT
この文章は、一部謝罪の表現が含まれていますが、全体的には後悔や説明の要素が強く、純粋な謝罪文とは言い難いです。文章の中で謝罪が述べられている一方で、
事態に対する説明や経緯の報告が主であり、読者への直接的な謝罪や被害者への配慮が不足していると感じられます。
ChatGPT
皆様へ、
合同会社オフィス秘宝代表の田野辺尚人でございます。私どもの発行する雑誌「映画秘宝」において、過去の不祥事に起因する問題が発生し、
多くの皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
2021年1月に発覚した前代表社員による悪質ダイレクトメッセージに関して、被害者の方々に対し十分なサポートと誠実な対応を行えなかったこと、
そしてその後の経緯や対応においても不十分な点が多く見受けられました。そのことに関しまして、心よりお詫び申し上げます。
このような事態が発生した背景として、私自身の健康上の問題や適切な判断が難しかったといった状況が挙げられますが、
それが原因であることを言い訳にすることはいたしかねます。私たちの責任であり、被害者の方々や読者の皆様にご心配とご不安をおかけしたことに対して、
深くお詫び申し上げます。
適切な対応ができなかったこと、十分な説明がなされなかったことにより、皆様に不信感を抱かせてしまったことを痛感しております。
今後はこのような問題が再発しないよう、十分な対策を講じてまいります。
被害者の方々に対して改めて深くお詫び申し上げ、今後も真摯な態度で問題に取り組んでまいります。何かご不明点やご質問がありましたら、
お気軽にお知らせください。
ありがとうございます。この添削された文章に、付録的に経緯も掲載したい場合はどのような文章になりますか?
ChatGPT
付録的に経緯を掲載する場合、謝罪文に続けて詳細な経緯を説明する文章を追加することが考えられます。以下はその例です:
【付録:経緯の詳細】
この度は、前述の謝罪文にて皆様に深くお詫び申し上げました不祥事に関し、その経緯についてより詳しくご説明させていただきます。
不祥事の発覚は2021年1月であり、当初は事態の深刻さを正確に把握できず、適切な対応ができませんでした。
岩田氏の関与が発覚した後、彼の行動が不適切であることを確認し、弊社として速やかに対処するべきでしたが、
その点での不備がありました。
被害者の方々に関しては、岩田氏のDMにより直接ご迷惑をおかけしたこと、そしてその後の岩田氏の行動によりさらなる不安や心配を引き起こしたことを理解しております。
これに対する適切なサポートや説明が不足していたことを認め、深くお詫び申し上げます。
また、岩田氏の退社についても、判断が迅速であるかどうか、そしてそれが適切であったかどうかについて、検証の余地がありました。
私自身が周囲の提案に過度に依存してしまったこと、それが結果的に不十分な対応につながったことを認識しております。
今回の不祥事により、私たちは適切なガバナンスと対応策を構築するための努力を更に強化してまいります。
もう既に使い古された有名な表現(クリシェ)を適切なタイミングで挟みながら会話したい。
だって、私が新しい言葉を考え出さなくても十分なくらい、面白い言葉や表現は多数開発されているのだ。
それらをいくつか吸収し、それらを適切に会話に放てば、たぶん「なんか面白い」ことは言えるはずなのだ。
素人である私が新しい言葉を考えて笑わそうとしても、それは車輪の再生産になるはずで、
一昔前の流行語やCM動画など、しょっちゅう見返して、「あっ、新しいな」と思ったら、会話で使ったりしてる。
また、一方でクリシェで話すのには、自分の考えを隠すという役割もある。
他人がよく使っている表現だけを使えば、私の偏用する用語や言い回しから、私の指向性を隠すことができる。
例えば、流行してることしか喋らない人に「流行好きだね〜」以上のことを感じたりする?
そういうこと。クリシェという大きな社会ノイズの中に、自分というものを隠していたいのだ。
自分を隠していれば、何を言われたって、本当の意味で傷つくことは無いのだから。
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、
帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、
3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
色々悩んでふと実名の垢で全部書いてやることも頭をよぎったけど、他責の青葉が死ぬほど叩かれてて、自分も青葉が他責でクソだと思ったし実名でやると他責で晒す行為だから同じになりたくないと思った。
もともと他責したかったわけじゃないし、自分が悪い部分を痛いほど自覚している。
だからここに書いて最初で最後にする。はきだしくらい許して欲しい。
ただハラスメントだと思ったのがすでに他責だったらもうだめなのかもしれない。
自分のなかではそう言う事案に対して自分で行動すること抱え込まないのが大事だから、とおもったから然るべき窓口に行ったつもりだった。
そこで、私が病院送りにならないかぎり外の人間は介入できないと言われた。
あなたが好きで構って欲しいからあばれちゃうんじゃないですかとも言われた。
そんなの対応するのが仕事じゃないから対応してほしくて相談したのに。
なんでどんな大怪我をするかわからないし死ぬかもしれないと思ったし自分たちで改善できないと思ったから言ったのに、死んだら対応する、みたいな話になるんだろう。
なんでハラスメントで訴えられたことがある人が改善してくれると思ってその人に投げて、その人に大変だねなんて声をかけるんだろう。
結局表面上改善したていで我慢して、それに打ち勝つように頑張るという選択を選んだ。
一度聞いてくれただけでありがたいですと返すしかなかった。
ありがたいと思うしかなかった。
実際病院送りの怪我をさせられなかったから、その人の言うとおり、構って欲しいだけで職場で暴れてたのかもね。
外の介入が必要ない事案だったのかもね。
でも殺されるんじゃないかと私はずっと怖かったし、ずっとぶっ殺すとかぶつぶついわれたよ。
でも大怪我しないと対応しないんだから、そんなこと相談したって仕方がないでしょ。
どうせ目を見ていってないから録音してないから私に対して言ったとは言わないよ。
正直怪我させなければ委員会には上がらないって本人に言ったんじゃないかとおもってしまったくらいだけどそれは私の思考がわるいんだろう。
その結果がこれ。
ハラスメントみたいな環境をつくった私が悪いし、私は自分でそういう環境を作ってハラスメント呼ばわりしてるごみなんだよ。
実際私以外のこれまでいた人間は仕事ができるんだし、環境が悪いっていうのは私自身が悪くしてるふうにみえるというかそれが事実。
今までの人との違いは私が女だから、私だけが悪いし、女が悪いってことなんだよ。
遠回しにそんな話をされる日々。
でもそれは私が深く考えすぎでなだけで私の性格がわるいだけ。
それより些末な問題は相談できるわけがないし、相談したとて同じように部署で改善しろと言われるんがおちでしょ。
私はいっぱい相談に乗って、クッションになってたのに私の時はこうなんだなって思うけど、それは自己満足で偽善でしかない、それは他人に言われずともわかっている。
客観視したら私は問題じゃないことを問題にしているような人間に見えることも理解できるし、客観視じゃなくて事実そうなんだろう。
なにがぼくたちは味方だよ。だ。
暴力未遂で対応してもらえなくて、日中からのエロ話、暴言、証明できないいやがらせ、環境を相談できるわけないし、相談してかいぜんしたわけないでしょ。
隣の人は休憩スペースだからうるさくても穏便にしろっていったし、私のデスクはそこなんでしょ?
こっちの人が暴れまくったことがあって私は結局抑えらえなかったんだからどんなに嫌なことされても隣には言えないよ。
同じ土俵にたって私がやり返した方がよかったの?
録音録画してSNSに晒せばよかった?
がちの本務じゃないことだってキャリアのため、最終的に自分のため本務のためだからそれが業務外なんて思わなかった。
でも問題になったらそれは本務じゃないんだから減らしたって配慮したってよかったはず。
それで本務を禁止にするかもってなんなの。
本務のためにこのしごとについたのに。
普通は組合は1個人のトラブルでも組合を通して交渉できるし、特に契約書に書いてない業務でのトラブルなら組合に間に入ってもらうやったことだってできたはず。
その権利や可能性をうばってる自覚がないの、物価上昇の交渉でボーナス数万プラスで支給とかそんなポーズを求めてないんだよ。
普通の会社だったらやるマネジメントの研修だって新しく導入されるっていってたのに私しかやりたいって言わなかったから、結局うちはやらなかった。
私はやって欲しかった。
なんでハラスメントで私に相談が来たことがある当事者がやらないって言ったからやらないことになるんだよ。
こういうトラブルがあったんだからマネジメントやハラスメントの研修はやった方がよかったに決まってるんだよ。
でもそれも私があのときもっと強く言っておけば違ったんだと思う。
さっさと辞めればよかったのかもしれないけど、やめるのって結局いじめられた方が転校するのと私にとっては同じでそれはやりたくなかった。
なんでやりたかった仕事を本務じゃないひとのせいでやめなきゃいけないの。
でもそういうふうに意地になったのはよくなかったんだとおもう。
時間だけが経って急に涙がでるし、やりたかったことを考えるのが楽しくなくなって、頭がぼんやりするだけでなにもできなくなった。
憧れっておもってた気持ちとかけた人生にたいする意地だけが残って、ほんとうに好きだった気持ちはなくなってしまったような気がする。
前はSNSでも仕事のことしか検索してなかったし、仕事の話しかしてなかった。
さっさと辞めれば後戻りできたのかもしれないね。
憧れの仕事につけたのに、本当にやりたいことを諦めて違うことをしている私はなんなんだろう。
本当にやりたいことをやるために我慢してたけど、我慢することだけに力と時間を尽くしてしまった。
1年半たちそのことに気づいた。
本務外も含めてこの仕事だからトラブったからそれを外して欲しいっていう思考になってるのもやっぱり私の能力不足だと思う。
能無しだよ。
くやしい。
夢を叶えられなかった。
環境は全部あったのに、私は自分でチャンスを関係ないことで棒に振った。
私は間違いなく恵まれていた。
こちらでやるから気にしなくていいという言葉がほんとうにくやしい。
ほんとうはやりたい。
断った後で、もっと後悔した、これ以外にもう私のなかで選択肢がなかった。
やっぱりやりたいって。なんで断ったんだろうって思った。
私はそれに関わる立場にないと思ってことわったけど、自分が関わらないでそれが進むのもみたくない、自分は汚い人間だ。
私が一番上手にできるとおもったし、そういうふうに今でも思ってる部分がある。
でも能力不足だったんだろう。
ごめんなさい。
もっと小さくても自分が一番やりたい方を落ち着いてかけなかったんだろう。
本当はあっちをやりたかった。
くやしい。
結局やりたいことをやらない、やれてない、自分がきらいな人間に自分はなっていた。
やりたいことあるけど、無駄にした時間が戻ってこないのもわかってる。
くやしいけど、
でもそれはちゃんと優先順位が考えられえてない私がだめなだけ。
こんなことだって書いてないで、この時間に本務をやればいい、と言われるし、本当にそうだとおもう。
結局私みたいなのがいる上司が私のせいで大変な目にあってかわいそうで、女なんかいらないって話をして、おわりでしょう。
なんで上司がかわいそうで大変だね、お祓いした方がいいね、って私にいってくるの。
そのうちの一つは私のせいなのに。
そうだよ、環境を自分で上手に改善できもしない、適応もできない、ただ私が全部悪くて環境のせいにして仕事ができないだけ。
もう少し違うところに、たくさん相談してたら違うのかな。
でももともと頼るのが苦手だったし、結局それも頼るのが苦手な私が悪いんだなって思う。
一年半前は仕事も考えるだけでもっともっと楽しくて幸せだったな。
このあと改善の最後のチャンスがあるけど、多分かなしいことしかないしもう断っちゃったことも時間も戻ってこない。
だって業務外だから話す機会なんて作らないって断ったくせにまだ業務外の状態のはずなのに呼び出す、本務禁止にするって言って終わりなんだと思う。
それって私の存在なんのいみがあるの。
最初に書いておくけど、別に綺麗なオチもなければ、スカッとする話でもない。
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彼女はとてもハキハキしていて、そしてなんというか…空気が読めないというか…。まあ今で言うワタサバ系女子みたいな子で、「他の人が言えないことをズバッと言える私、スゴイ」を体現しているような人だった。
例えば、一緒に食事に行った際に、「私、肌汚いやつ受け入れられないんだよね、生理的に無理」という発言の後に、「あんたも地獄のように肌汚いけど、特別」みたいなことを言われたことがある。
本人は全く悪気がなくて、むしろ褒め言葉として発言しているようなフシがあった。私自身は、驚きつつもある程度は「おもしれー女」と楽しめるようなタイプの人間(恐らく子供の時にいじめられまくったお陰で、他人の悪意に対し比較的鈍感なのだと思う)だったので、お互い就職して疎遠になるまでは、よく遊びに行っていた。
彼氏も紹介してあげた(びっくりするぐらいすぐ別れたけど)。
そんな感じで、彼女の激しめなキャラクターはかなり人を選ぶというか、当然のことながら彼女のことが苦手な人や、数々のズバッと発言に傷ついたような同級生も結構いた。というか、そういう人の方が多かった。私ですら、「それってどうなの?」と思うような発言も多々あった。
さらにびっくりすることに、彼女は自分のことを「すごく大人しくて、性格が良い人」だと自認していた。
いじめっ子タイプではないにしろ、周りからは真逆のキャラクターに思われていたので、ここら辺もワタサバ系だ。
正直に言うと、彼女と付き合いの中で、私のような鈍感者でも結構精神をすり減らすことがあった。自分に影響が及ばない範囲で、遠くから観察していると楽しいタイプ。それが彼女だ。
なので、疎遠になってからは、彼女との付き合いはSNSのチェックにとどめていた。
彼女は、SNS上でも「自身の性格の良さ」「大人しさ」をアピールしてて、それらの特性のせいで発生した失敗談を、おもしろおかしい文体で発信してた。
もちろん見る人が見れば、それらの失敗談は「大人しいせい」や「性格が良いせい」で発生したわけではないのが明らかで、彼女のSNSにはそういった「裏を読む」楽しさもあった。
知らない人からすれば、彼女の文章は単純に面白いし、同情を誘うので、たまにプチバズりするくらいにはフォロワーもいた。
最近はSNSのタイムラインが崩壊していることもあり、特段気にもしていなかったのだが、久しぶりにSNSに現れた彼女の発信を見て驚いた。
今も闘病をしているそうだ。
性格がいいわけでも、大人しいわけでもないし、なんなら彼女の発言でのちょっと傷ついた人もいる。
彼女の現状を聞いて「因果応報」という言葉が胸に去来した知人もいるだろう。正直にいうと、私もチラッとそういったことを考えてしまった。
肌が地獄のように汚い私は、神様も仏様も信じてないが、彼女の一刻も早い回復を祈っている。
また一緒に遊ぼうよ。微妙な気分にさせてよ。
自分のスペックの低さを自覚しながらも女性に怒りや憎悪の感情を抱き、それをどうにか抑えていました。
Tinderなんてそもそもマッチしないものだと思っていました。しかし、イケメンの友人は写真2枚、名前はひらがなでイニシャル一文字、プロフは身長の数値のみ。それだけで100以上もマッチしており強い怒りを抱きました。
自分が抱いている憎悪や怒りが筋違いなものであると理解し、それを抑えようとしている段階の元増田さんに手を差し伸べ有効な策を講じてくれる医師やカウンセラーがどれほどいるか疑問です。
女性問題とそれに起因するコンプレックスが苦しみや憎悪の原因であるならば、目を逸らさずに立ち向かうしかないと思います。
当時の私は東京都内に住み、大手企業の子会社に勤務する男でした。身長は166cm、天然パーマ、剛毛、体重76kgでした。
このままでは女性に興味を持たれ、人柄をチェックされるステージに立てないため、自分を変える必要があります。
外食とオリジンの食生活を宅食に切り替えて筋トレを行いました。私の場合はメンタというサービスでオンラインコーチを探し、公営体育館の設備を使って安く済ませました。
剛毛に関してはムダ毛とはいえ完全に除去することに抵抗があり肛門、背中、もみあげ、顎、首を美容脱毛しました。生えてはきますが処理が楽になり負担も減って肌が綺麗になります。
天然パーマは縮毛矯正しましたが、初めての際は髪質の関係か無理やりアイロンで引き伸ばしたように不自然になってしまいました。髪質を理解し自然なストレートにしてくれる場所を見つけるまでにはお金と時間をかなり費やしました。
髪型に関して「短髪が良い!」と口で言う女性は多いですが、圧倒的に万人受けし似合いやすくケアしやすいのはミディアム〜ロングの中間です。セットしなければ長すぎる位の長さにして、仕事の際は前髪を上げるセットにして対応してみてください。
髪型が決まっており、体型に問題がなければ服装は意外とどうでも良いという印象です。無地でベージュ、黒、白、グレーの色の綺麗な服を組み合わせた無難な服装にしましょう。格好良くなることよりダサくないようにすることが重要です。
最も効果があったのは歯列矯正です。完全な歯列矯正は時間とお金がかかり過ぎるため、セラミック矯正と部分矯正を組み合わせて行いました。女性と並んだ際に見られるのは正面ではなく横顔なので顔の印象を綺麗にできる矯正は良い選択でした。
私は仕事を聞かれた際、社名から大企業と勘違いされ、子会社の子会社であることを説明してがっかりされることを繰り返していました。また上述の自分磨きをするために出費を抑えたいですし、ハイスペックな男性に慣れた女性の多い東京での生活は厳しいと悟りました。
かと言って実家のど田舎に帰るわけも行きません。そこで私は出身県の地方都市に住むことを決めました。東京ほど激しい競争もなく、生活に不便はなく、いざという時に両親と気軽に会える場所です。
狙いをつけた地域の市役所を受けることにして上述の事と仕事と並行して公務員試験の勉強を始めました。
いくら見た目を変えた所で女性とのコミュニケーションを積まねば意味がありません。たまに「まずは年配のおばちゃんや店員さんと挨拶や会話を」というアドバイスがありますが、経験上全く意味がありません。兎跳びと同様に、人当たりだけ良い無害なぬいぐるみ男になる可能性もあり、意味がないどころか有害な気もします。
人柄を知ることができないネットでは「彼女がいない=コミュ障」とされますが、日常やビジネスにおいては快活で明るいコミュニケーションが取れても「異性としての女性」とのコミュニケーション能力がない男性はたくさんいます。
私が訓練として使っていたのがガールズバー、斉藤さん、スカイプです。
斉藤さんとスカイプは本物の女性と繋がるまで時間がかかります。さらに向こうは「盛り上げてもらって当たり前」の感覚で来ます。最初から不貞腐れた態度で少しでもつまらないと判断されると秒速で切られます。メンタルとコミュニケーションの双方を鍛えられます。
会話を録音し、後で聞き返すと自分の話し方の気持ち悪い点や欠点を客観的に知ることができます。また会話が詰まった部分で想定問答集を作り頭に入れました。
私は3ヶ月目くらいで向こうからLINEやインスタの交換を求められ継続的にやり取りできるようになりました。
また安いガールズバーで最も愛想が悪く、ズバズバと言ってくる口の悪い女の子に通い続け、たまに外で会ったり食事に行きました。それまで抱えていた女性への幻想を壊すことができ、幻滅を経験しておくことができたため良い経験でした。
1人は斉藤さんで知り合ったフリーターの女性、もう1人は高校の時に友達が全くいなかった同級生です。前者はとても太った汚い金髪で、後者は細身で髪が長いので後ろ姿は綺麗ですが顔の造形は悪い暗い子でした。
2人とも実家暮らしで、ちょうど良い頃合いで関係を解消しても傷を受け止めてくれるであろう両親がいたことが良い点でした。
後者は素人童貞を卒業した相手でアプローチやセックスの訓練のために付き合っていました。
前者は自身のレベルのチェックのために付き合っていました。よく「デブでブサイクな女性とデートするのは恥ずかしい」と言う方がいますが、実際にはブサイク同士のお似合いのカップルに注目する人なんていません。素通りです。
しかし、双方の釣り合いが取れていないと振り返られたり見られたりします。
私自身、デートし始めの頃は全く注目されませんでしたが、私の外見のレベルが上がるにつれて振り返られたり、ジロジロ見られたり、「レンタル彼氏?」みたいなことを言われたこともありました。
これらを粘り強く行った結果、マッチングアプリでマッチを増やし、会った時の印象も良くなり、新しい職場で女性からお誘いを受ける機会を増やすことができました。
オレオレFCが6日、オレノスミカで新体制発表会見を開いた。多良初徳会長、中津真吾強化部長、就任2年目の野河田彰信監督と新加入選手14人、新任スタッフが参加した。多良会長は「現状維持は退化。昨年の素晴らしい成績を過信せず、今シーズンは更なる高みを目指さないといけない。常に危機意識を持って、戦って貰いたい」と更なる高みをイレブンに求めた。
今シーズンのスローガンは「蒼紺飛龍翔躍心(そうこんひりゅうしょうやくしん)」。多良会長は2024年の干支である「辰年」を混じらせ「昨年からの更なる飛躍を目指し、飛龍の如く羽ばたいて、躍進、躍動する心を持って戦い抜く決意をスローガンに込めました」と説明し「その思いで、今シーズンも我々フロント、野河田監督をはじめとしたコーチングスタッフ、新たに加わった、このクラブに残った選手達、支援して頂いているスポンサーの皆様、ロイブルファミリアの方々が一丸となって戦います」と意気込みを口にした。
新戦力について中津強化部長は「チームを刺激させる意味で、様々なリクエストのもとで厳選しました」と説明。DF一条やMFジュシエらが移籍、退団した一方で、GKピーター・リチャード、FWラモン・ワーグナーらを獲得。U18で主将を努めたMF後藤、DF田曽野がトップチームに昇格し、大型MF宮崎やDF赤堀、ドリブラーのMF村野らが加入。更に海外からDF松岡、本田が復帰するなど、現有戦力の刺激を与える面々がチームに加わった。
野河田監督は「今シーズンも全員が戦力やから。誰もレギュラーは約束してへんし、誰にもチャンスはあるし、メンバーによっては面白いチームになる可能性もある」と昨年チーム最多15ゴールのFW森永や11ゴール12アシストのMF鈴木潤主将らもレギュラーを約束せず、更なるレベルアップを目指し、競争を促す。
スタッフも新たに加わった。GKコーチには昨年までU18監督を努めた“ミスター・ロイブル”こと大島伸二氏、同GKコーチの矢部慎之助氏が就任。分析担当も今井敏明氏、木浦大輔氏が、フィジカルコーチには新たに宜野座伸氏が就任した。大島コーチは「身の引き締まる思い。中原、望月、松尾らを更にレベルアップさせ、私自身も彼らと成長していきたい」と所信表明した。
昨年5位に躍進し、天皇杯では川崎に敗れたが、準優勝の成績を収めた。真価が問われる2024年。野河田監督は「まだまだ、このチームは完成品ちゃうんで。新しい選手もそろえてもらったし、刺激になって貰わな困るんで、そういう意味でも今シーズンは勝負の1年になると思います。ただ、タイトルだけを獲るやなしに、チームがもっと魅力的で強いチームにせなアカンと思う。今シーズンも成長出来るように頑張る所存です」と話した。
新チームは8日から始動し、21日から恒例の鹿児島キャンプでチームを強化する。クラブの新たな歴史を刻む新シーズンが幕を開けた。
> 今現在は皆伝を目指すモチベーションが低いので、そりゃ取れないだろうと思いますし、本気で皆伝取りたいと頑張っている人に比べて努力ができていません。
🟡 ならやるべきなのでは…
> ただ、自身の成功体験を元にして、「自分でも取れるのだから他の人でも取れる」と捉える場合が多いと思うので、「出来ない人の気持ちが分からない」場合が多いです。
🟥 思う思うばっかで根拠がない。
「"きちんと皆伝を取るための練習をし"、"上手い方にアドバイス等をもらい実践し"、"十分な努力をすれば"、誰でも取ることが出来る」
という意見もありました。これに関しては、おそらくそうだろうな、と思います。
🟡 大体こういう書き方してる時って「はいはいそうですね」って流してそう。
> 私は、アドバイス等は頂けていたのですが、主にスランプに陥った時のメンタルに向き合えず、努力を継続できなかったのが1番の原因かな、と思っています。
🟢 自己分析ができてるのはめちゃくちゃ偉いと思う。ならメンタルに向き合うための方法を論理立てて考えて実践してみて、そこまでのストーリーを周りの上手い人に相談するのは手なのでは?みた感じ上手い人の知り合いがいないわけではなさそうなので尚更お勧めします。
> てことで、大学は音大出身なんですけど、私目線で言ってしまうと「音大に入るだけなら誰でもできる」(ただし場所を問わず、成績優秀者にはなれない、経済的な面も度外視する)と最近まで普通に思っていました。音大出身の方は実際そう思っている割合は多いのではないでしょうか??
でも実際客観的に考えて、流石にそんなはずはないですよね。
いわゆる「生存者バイアス」ってやつです。
🟡 いや、実際に条件さえ整えば誰にでもできるんじゃないかな…?音大の質を問わなければ(ここは後で説明している)
> 入試では、プロがコンサートでも演奏するようなレベルのものを弾かなくてはいけないので、例えると皆伝くらいは取れていないといけない、と言うことになります。ただ、皆伝の中でもプロ選手まで上り詰めるのはごく一部であるのと同じく、音大に入っても世界中でリサイタルするようなプロになる人は、一握りなんですよ。通過点でしかないことは、共通点だな、と思います。
🟡 これは専門家に聞かないと判断できないけど、なんか引っかかる…
> さっきの言い方だと語弊があったのでこちらを丁寧に言うと
「"幼少期から継続して音楽に触れ"、"良い先生に習い"、"1日数時間の練習を毎日重ね"たら音大に入る能力を身につけられる」
と言ったらどうでしょう。さっきのビートマニアの話に似てきましたね。
🟥 これは詭弁。期間と上手い人の絶対数や距離感、そして十分量の程度が桁違いじゃない?同じようなことを書きたかったんだろうけど書いてて違和感を覚えて欲しかったポイント。
> 皆伝を取っていて音楽をやっていなかったりすると、当然音大に入るより皆伝取る方が簡単と思うでしょう。しかし私は逆に思ってしまうという事です。音大に入るより皆伝取る方が難しい。でも環境が違う以上それは仕方ないし、当然ですよね。
🟡 逆に読んでて音大入るのって難しいなあと思いました…。
> しかし、だからといって才能の有る無しが存在しない訳ではないと思っています。
また、「努力する事ができるか」というのも一種の能力だと思っています。一つのことに長い間努力する事って、簡単ではないですよね。なので頑張れば誰でもいけるよ〜というのも違うな、と思います。
🟡 音大に入るのって努力してないんですかね。趣味嗜好を含めて考え直して欲しい
> ビートマニアも音楽もそうなのですが、成長するためには努力と才能の両方が大事で、
=成長できる100点
🟥 PDCAってあるように計画性と努力の方向性とか、もっと様々な要因があると思います。あとは努力をするためのモチベーションの維持とか。そんな簡単な計算式でモデリングできるものではないと思う。
> まあ、私はビートマニアのセンスとか以前に努力する事さえできなかった、ということになります
努力する事に苦労しない人から見たら私を見てイライラしてしまうかもしれません笑、でも、頑張ることって、誰にでもできる事ではありませんよ。実際、音楽も努力はあまり出来ませんでした。
🟡 それ前提条件崩れてないですか?上で
> さっきの言い方だと語弊があったのでこちらを丁寧に言うと
「"幼少期から継続して音楽に触れ"、"良い先生に習い"、"1日数時間の練習を毎日重ね"たら音大に入る能力を身につけられる」
と言ったらどうでしょう。さっきのビートマニアの話に似てきましたね。
って言ってるなら少なくとも音大に入るために努力してきたわけなのでは?
まずはビートマニア。
まず才能値ですが、絶対的に成長スピードは周りより遅いですが、一応皆伝は冥に到達するくらいの所まで行ったので仮に3くらいだとしましょう。
努力値ですが、ここ半年程度皆伝にむけての練習を諦めてしまった、周りより☆12の未難埋めなどをサボってしまった...しかし週に何度かinfinitasをプレーしたり、一時未難80を切るくらいまでPフリー粘着等してた時期もありますし、SINOBUZくらいからプレー回数1000は行ってた気がするので、まあ4くらいとします。
となると、12点と言うことになりました。
🟢 才能値もっと上げていいと思います。段位合格者の分布から見ても中伝に受かっている時点で上位層なので6とかにしといた方がいいと思います。
🟥 努力の方向性と根拠がめちゃくちゃなので再考察したほうがいいです。
> 次に音楽についてです…(中略)…自慢したい訳ではなく、人には向き不向きがどうしてもあるよね、という話です。
🟡結論出たのでは?
> 私は音楽より適性がなかったビートマニアに対して、先ほども申しましたが、努力するより先に嫌気が刺してしまい、モチベーションを保つ事ができなかった _________これが万年中伝の理由だと思っています。
🟡 上も含めて、適性がないのに無理に上昇志向に走って間違えた(自分にフィットしていない)方向性の練習を重ねてしまい、周りの練習方法があっていて上達している人たちを見て嫌気を刺してしまったと言い換えてください。
> ビートマニアに似た某ゲームもたまーーにやったりはしていますが、私は結局弐寺の曲が好きなので、あまり真剣には出来ませんでした...infinitasは結構やってます!
🟡 なんか敵をつくりそうな発言と上達のためにやろうとは思わなかったのかが気になる
> 努力出来る人だったらPDCAサイクルを回して改善するんだと思いますが、私はそれが出来ずに萎えてしまいました。いや、このレベルでできなくなって平然で出来る人は、すごいでしょうよ....
🟥 ❌努力できる人 ⭕️頭を使って上達しようと思ってる人
> しかしここで2度目の大きなスランプが訪れ、今度は数ヶ月粘りましたが一向に戻る事がなかったんです....infでは伸びてるけど、ACでは別人のように出来ないことも多く、余計悩んでしまいました。
🟡 かわいそう…でもそこで止まるんじゃなくて誰かに聞くべきだったと思う
> 確かに、例えば未難に向き合う時間は足りてなかったのかもしれません。ただ☆12をやっていない訳では決してなく、前作は☆12を全曲触っていますし、今作も3/4くらいは既に触っています。そこまでやってこの仕打ちなの、、、、、、??という思いになってしまいました。
> ☆12をやっていない訳では決してなく、前作は☆12を全曲触っていますし
🟥 ダメだったのならじゃあそれが自分には合っていなかったんだなと気づくべき。たとえば⭐️11のエクハ埋めをしてみるとか、別ベクトルのアプローチをより考える必要が合ったんだと思って然るべき。
> 私は通ってきた道なのでそんなのは当然だと思いますが、客観的に決して簡単なことではないですよね???
🟡 太字の考え方が一番やばい考え方だと気づいて欲しい。
> 以上のことから、私自身がただ皆伝を取れていないという理由ではなくとも、「皆伝は誰でも取れる」および「音大は誰でも入れる」と思うのは軽視であり、正確には
「適性or努力が人並みあれば、騒がれているほど難しくはない」くらいに留まると思っています。
センスや才能という言葉よりも、適性という言葉が1番しっくりきました。
🟡 言っていることは間違ってはいないけれども今まで努力について論じていたのに適性に飛躍した理由がわからない。そもそも適性と努力は全く違うもの。
自分はこう思った〜が多すぎて読んでて苦しかった。じゃあそれを書いているあなたの性格や個性は?一般論っぽく文章を書きたいならそのバイアスを抜きに書くべきなのでは?
結局音大に入るのは努力したのかしてないのかがわからないので、それを根拠にしている意見もグラグラしてる。
書かれていないけど他者に頼っている箇所が一切ないのに自分の中で完結しているのが本当に悲劇のヒロインって感じで非常にしんどい。
https://anond.hatelabo.jp/20240104033740
これの続き
弟も私も共通しているのは「父は思い通りにいかないとキレる」、「父は自分の怒りをコントロールできない」と感じていることだ。
これまでも家族旅行で乗りたかった電車を乗り過ごしただけで激怒したり、仕事でイライラしたことがあると、それを火種に怒りを感じたり思い通りにいかないことがあるとブチギレてきたからだ。
一方で、弟は私と違って、「とにかく父と距離をとっている」といっていた。
これには確かにと思い、それまでその事実に気づけていなかったことに対して驚いた。
確かに、私の誕生日は父母私の3人でご飯に行くが、弟はついて来ない。
他にも出かける時に弟はほとんどついて来ない。ついて来たのは遠方の祖母に日帰りで会いに行く時だけだった。
私はよくも悪くも幼い頃から父と接することが多かった。だからこそ、肩入れされて、虐待に遭いやすくなっていたのではないかと考えた。
確かに、そう考えると、なおさら「金を出してるのは誰だと思っているんだ」と言われることも納得する。
一緒にご飯に行けば行くほど子供への愛着が強くなって、余計父自身が思い描くような人生を送ってほしいと感じ、私がそれに叶わない選択や結果を生むと、言葉や暴力を使って怒ってくるのだ、と気づいた。
この文章を書いている時も、いろいろと頭が整理されている。
私がこれまで父のことを相談したのは4人だけで、学校の先生2人と友達2人だ。
ほとんどの同級生や友達、先生たちはこのことを知らないと思う。
もしかしたら先生たちは共有しているかもしれないけど、様子を見るにそんなことはなさそう。
小さい頃から、虐待が学校にバレたら学校を辞めなきゃいけなくなる、という一種の強迫観念に迫られて、とにかく人に言わないように、隠し通すようにして来た。
一方で、小さい頃から興味のあることがあった私は、その学校を辞めて公立の学校に転校して、もっと伸び伸びと、本当にやりたいことに取り組みたい、とも考えていた。
しかし、この2つの思考は、決して交わることがなかったと最近になって気づいた。
正直、父の虐待を学校や児相に連絡して、学校も転校すれば、父から離れ、私自身も早くからやりたいことに取り組めたのではと最近にになって気づいた。
学校から配られた虐待ホットラインに電話してみたけど、結局身元がバレるのが怖くて、「どうしたの?」と聞いてくれたおばさまの声だけ聞いて、何も答えずに切ってしまったことを思い出した。
イタズラ電話だと思われただろう。あの時、勇気を出して相談してみたら少しでも今が変わっていたかもしれない。。。
でもそんな「ああだったらな」と思う人生が必ずしもうまくいっていたとも限らない。
だから、私は、「過去は変えられなくとも、未来は自分で選べる」をモットーにしている。
よくSNSで回ってくる黒と緑のマインドマップみたいな図がある。
過去に、「LIFE PATHS CLOSED TO YOU=閉ざされた人生の選択肢」が無数にあるが、それと同じように、「LIFE PATHS OPEN TO YOU=開かれている人生の選択肢」が未来に無数にある、ことを表している図だ。
この図を見た時、私はいろんなことを父のせいだけにして来たかもしれないけれど、これからの人生は自分で切り開いて、自分で決めていこう、と思った。
このブログを買いたのは、小さい頃から虐待はよくないことだと思っていた一方で解決方法がわからなかったが、大学生になってから、受けてきた虐待の影響が根深いと感じることが多く、記録しておくことで、少しでも自分の心を整理したいと思ったからだ。
匿名とはいえ、ネットにこんな赤裸々な内容を残したことは不安も残る。
ネットではなくノートなどの紙媒体に書いておけばいいじゃないかと思うかもしれない。私もそう思った。
でも、毎年虐待を受けていると認定される子供の数は増えている。これは虐待の存在自体が広まったからとも言われている。つまり、広まる前から虐待を受けている子どもは今と同じように大勢いたのだ。
私自身のこれまでの経験は決して、誰も経験してはいけない戦争のようなものだと思うし、この世から無くなってほしいと思う。
いろいろな無惨な事件が起きたことで虐待の存在が広まっているのだろうが、私のように生き延びている人の声を通して、少しでも虐待の実態を伝えて、同じような経験をする子供たちが1人でも減ってほしいと思い、今回このような形で残すことにした。
また、同じように虐待を受けて育って来た人が、少しでも同じような経験をしたかもしれない私のブログを通して、なにか生きる希望とか、共感とか、心の安定とか、そういったものを得られたらいいなと思ている。
最後に改めて。
歴代彼氏はwebライターのトルーやケンブリッジ飛鳥に似ている人がいたが、岡崎体育は初だ。
顔つきやビジュアルが岡崎体育に似ているな〜とふんわり思ってたが、数日前に再会してそのふんわりが確信に変わった。岡崎体育はヤバTと仲良しなので、そのあたりの音楽を好んで聞いている層としては褒め言葉だが、世間一般的には痩せてはいないタイプのビジュアルなので。(私に悪意を持つ人がいたら格好のネタになるだろうな)
そして人から聞かれたら「岡崎体育みたいな人だ」と芸能人に例えることができるビジュアルなのは楽。以前の彼氏に嫌悪の気持ちを抱いていた時期はトルーが登場する写真を見るたびに嫌な気持ちになるほどだった。でもトルーに似ているなんて伝わるのはDPZ読者だけだろう。トルーへの風評被害がひどいのはごめん。今はそうでもないよ。
今後の人生を考えると正直、食生活を改善させて体を動かす習慣をつけてもらいたいな…と真剣に考える。昔インターネットで「岡崎体育の過去はシュッとしていたので、当時からのファンは彼のビジュアル含めて好きなんだ」みたいな文章を見かけたことを思い出して、へ〜〜〜……。となったり、学生時代の岡崎体育の写真を検索したりして、ふ〜〜〜〜ん……となっている。
なんか知らんけど好かれる。
私自身は人から落ち込むことなさそうと言われるくらい脳天気なやつなので、おそらくメンヘラに疲れた男たちから次はこのくらい適当に付き合える人間がいいと思われてるんだろうと推理している。知らんけど。
メンヘラに好かれる男たちはだいたい面倒見が良く連絡がマメである。どうやら気を使ったり無理をしているわけでもなく元来人の世話を焼くのが好きだったりするらしい。行き過ぎるメンヘラに疲れてしまっただけで。
そして脳天気な上に面倒くさがりの私は何もしなくてもあれこれ世話を焼いてくれる相手に特に申し訳ないとも思わずやったラッキー♪とそのまま甘えてしまう。
最悪のWin-Winの成立。
しかもやつらは何もしないでただニコニコ世話を焼かれているだけの私の存在を全肯定する。どこまでも自己肯定感の強い悲しいモンスターがすくすく育ってしまう。
実家の問題や居住地の都合などで納得の上の円満破局をしてきたのでこの関係性自体が破綻したことがないのも最悪である。3人連続このような有り様だったので私はもうダメ人間として元気に生きていく才能があるらしい。
3人目となる現在の相手とはわりと具体的な結婚の話も出ているところなので、行けるところまでこのまま突き進んでいこうと思う。
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、
帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、
3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。