はてなキーワード: 植物人間とは
要は男社会で競争しながら生き残るのが無理そうだーと思った男性が10代半ばまでに去勢して女性になる道ね
成長期前〜成長期の途中に女性になった場合は戸籍もその他も女性として扱われるように手配してもらえる。スポーツはまあ微妙なところかな、女性枠には入れないかも
だから男性は思春期までに男として生きるか、(子どもは産めないけど弱くて可愛い)女として生きるかを選べるってこと
そうすれば可哀想な上に誰にも助けてもらえない弱者男性っていうのがちょっと減って、人生に絶望する無敵の人も減って、最近よく話題になる「男らしさ」の呪縛から解放される人が増えるんでない?
ちなみに知的障害とか植物人間とか、介助者が付きっきりで面倒見ることが確定してる人については保護者が去勢するかしないか判断してOKってことで
こうすれば男性の良さは活かしつつ、男性が社会に与える悪影響も、男性であるが故に受け止めざるを得ない理不尽も少なくなっていく気がするんだよなぁ
私が安楽死急進派になったのは、あるテレビ番組がきっかけだった。
そこには、親の介護のために会社を辞めざるを得ず、チューブだらけの言葉も発することができない寝たきりの親の横で「これでは結婚もできません」と苦笑いで語る30代男性の姿が映し出されていた。
私にとってその番組は非常に衝撃的なものであり、これを機に、介護のために健常者の人生が奪われてはいけないと考えるようになった。
そうして、様々な安楽死の議論を見ていくうちに次のような要件を考えるようになった。
IF 受刑者である場合: IF 要支援1 以上である場合: # 近年、刑務所では受刑者の高齢化が問題となっており刑務官が介護をしなければいけない件数が増え続けている # 裁判における長期の懲役刑や、無期懲役刑の増加が原因であり、そのしわ寄せが受刑者の介護問題に繋がっている GOTO 安楽死 IF 生活保護受給者である場合: IF 要介護1 以上である場合: # 身寄りのない要介護者は老人ホームに入れなければ生活できず、公営住宅は腐乱死体が増加している # また、そういった人が老人ホームに優先されることで、老々介護や子供が会社を辞めて介護する問題が発生してしまっている GOTO 安楽死 IF 要介護認定: IF 事前の本人同意がある場合: # 尊厳死のケースがこれに当たる GOTO 安楽死 ELSE: # 事前の本人同意が無い場合は要介護であっても安楽死はできない # 資産家の親族が遺産を増やすために安楽死させることを防ぐため PASS IF 健常者である場合: IF 本人同意 AND 3親等以内の親族7割の同意: # 健常者の場合、本人がいくら死にたいと言っても親族が同意しなければ安楽死は不可 # しかし親族も同意すれば安楽死ができるものとする。事故や病気などで苦しみが続くケースがこれに当たる GOTO 安楽死 # IF 3親等以内の親族10割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース # GOTO 安楽死 IF 本人の意識が無く回復見込みも無い場合: IF 3親等以内の親族7割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース GOTO 安楽死
この要件は端的に言えば「他人の人生を犠牲にしない限り元気に生きろ」かな。
安楽死の話において「弱者・高齢者は死ねというのか」という指摘がよくあるが、この要件では、むしろ元気な高齢者は自由に生きて欲しいと考えています。
なぜなら、労働者にとって老後はある種の希望でもあるし、定年後すぐに死ねと言われれば働く意欲を奪うことに繋がると考えているからです。
そのため、元気なうちは自分ひとりの勝手で死ぬことはできないルールになっています。死にたくなったら親族に相談しなければなりません。
あくまで介護や世話で誰かの人生の大半を費やすことがあってはいけないという思想で条件を作っています。
条件をこのように変えた方が良い、このような問題があるなどの指摘があれば歓迎します。
IkaMaru そこまで金に固執するのに、なぜ「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」まで行かないの? 自分が入っちゃうから?
こういった拡張論は一部にありますが、私はやりすぎだと思います。
「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」など、ただの恐怖政治です。
レールを外れることくらい誰しもありえることだと思いますので、そこを範囲に入れるのは反対です。
基準が拡大していくことについての指摘・懸念なら私も同意します。過去の歴史や政府への信頼度の低さから同意せざるを得ません。
ただ、だからこそ、別増田が書いていた法律論や曖昧な文章ではなく、プログラムのような条件文にしています。
こういった話は曖昧な感情論などにしておいた方が同意が得られやすいのは理解していますが、過剰な拡大を防ぐためにも基準は明確にしておくべきだと考えます。
genhou このコードだと要介護認定を受けてないと、3親等以内の親族全員が同意したら(本人の意思に関係なく)殺されてしまうじゃないか。 バグ
確かにご指摘の通りです。10割(全員同意)としていましたが、親族が少ない場合は本人が嫌がっていても殺されてしまう問題がありますね。
植物人間状態を想定しているのですから、本人の意識が無い場合に限るべきです。書き直しました。
fugunokamatari 「GOTO 安楽死」がツボる。そもそも介護離職なんてする奴は親の殺処分に同意なんてしないだろうから、増田の問題意識と解決策が全く噛み合ってないだろ。
必ずしも同意する必要はありません。上記条件文では各家庭の自主判断です。
ROYGB 自分が育てられないから子供を殺すのが異常な程度には、親の介護が出来ないから殺そうとするのは異常。極論でいくなら親などほっておいて結婚でも何でもすればいい。
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。
生まれたときから全身不随、全盲全聾、犬でも「待て/お手」程度の指示は区別して理解できるのにその程度の言語理解も不可能な重度知的障害者で短期記憶能力にも致命的な障害があるという人は、就学年齢になったらどうされるんだろうか?
教育を受けさせる義務が例外規定があることを私は知らないのだが、例外がないとしても一体こんな人間に何を教えればいいというのだろうか?押し付けられる養護学校も困るのではないか。何を教えても暖簾に腕押し状態だ。
でもまあ自分が発達障害の病院付属のデイケア体験してみたとき、なんか気に食わなかったからそのカウンセラーの指示に対して理解してないふりをもともとのデイケアの規定の1時間ずっとしてたら、なんてことなく今日はこれで終わりみたいな感じで切り上げられた。
それと同じようにこういうのに対して養護学校も、理解しないことをわかっていようが形として教えることはして、終了時間になったらそそくさ職員室に逃げていく感じなのかな。
しかしそうだとしたらそんな形で守ればいいみたいな遵法精神ってかえって問題だよねと。
就学前に植物人間、同世代が高校生になるタイミングで奇跡的に回復という場合、国にはこいつに義務教育を施す用意はないらしい。
法律で就学年齢過ぎてるからそれで終わりって、デイケアのカウンセラーが時間経ったら自分の仕事は終わりだといわんばかりに行っちゃうのと同じ。
しかしなぜか全く関係ない通りすがりの弱者男性の俺が致命傷を負ってしまうのであった——…
ノ
それ、俺。
かっこいいキーボードを自作したいと思って電子回路を勉強してるんだけど、電子回路自体が好きな感じは全然ない。勉強しても作りたいものが浮かんでこないんだ。だから結局、与えられた練習課題だけ作ってる。ごく少数の手持ちのアイデアはすべて他人に見せびらかす、という基準の上にあると思う。
ノ
それも、俺。
小さい頃ねだって物理の大学生用の教科書を買ってもらったんだけど、一度も開けずに捨てた。テストで頑張ったり、爺ちゃんに「計算機のルート記号って何?」って聞いたのも知的好奇心からじゃあない。だって押して試してみようとなんてしなかったんだから。すべては大人たちに知性をアピールするためだったと今では解る。だけど、他人にアピールする以外の自分の欲望って何かあるか、と考えると、全然まったく何も思いつかない。村上春樹を好きと称して全著作を読んでいるが、村上春樹が無名ならおそらく読まないという小さくて確かな自信がある。
ノ
友達なんていらないと嘯いているのに、寂しくて仕方がないよ。いつも X と ? に張り付いてしまう。
へ
いや………………… 俺には、分からない。
自分で自分をどう思うか、って、そもそも思い浮かばない。メタ認知がムズイっていうか…。
ごく稀に凄い久しぶりに他人と会って話して帰宅した後に、クヨクヨと自分内反省会することはあるけど………、コミュニケーションの機械が何もないときに自分と会話したりはしない。そんなんするくらいなら Youtube でゲーム配信をみて誰かが笑ってるのを眺めたほうが時間のコスパがいい。
自分自身ってボディースーツのように常に一体で、相手としてなんて捉えられないよ。
呪術廻戦を観るのだって、スレの人々の意見に自分ならどう対応するかをシミュレートするために読んでる・観てるのであって、オレ自身が楽しんでるかの確信はない。いや…
もし世界が今日破滅して、俺一人になったなら、呪術廻戦はもう読まないだろう。
というか… 何もしない植物人間になってしまうと思う。もはや対応すべき「敵」が存在せず、世界は「クリア」されたのだから。
昔、「嫌な思い出はだんだんと消えていって、良い思い出だけが残るものなんですよ」という事をはづきちゃんのばあやが言ってたけど、アレって、ばあやの優しいウソだったんだな、って痛感する。嬉しかったこと、楽しかったこと、好きだった人………… 霞がかかって何も思い出せないけど、トラウマはすべて鮮明に覚えている。初恋の片思いの相手の名前は曖昧なのに、体育教師から蛇のようなクソ人事まで敵の名前は全員記憶してる。
「俺はまだまだこんなもんじゃない!」「もっと上を目指せる!」
だから頑張ろう!と向上心に転化できるタイプのプライドなら大いに持てば良いと思います。
へ
俺には。
結果的に自分の中だけで完結してしまっているプライドは結構あるってかほぼ全てだけど、どれもがおそらく「誰かに見せる」のを最初から前提にしてて終わってる。
・読めるところ
https://comic-action.com/episode/4856001361287348513
俺の解釈なんだけど、
・主人公は母との別れがきっかけに人生が転落した(と思っている)
・ある日、ヒーロー戦隊の主人公が女になったことを知って、「男の役割が侵された」と思い込む
・仕事に打ち込むも、残業しすぎで怒られて「そうやって仕事を奪った」と思い込む
・(介護のおばさんと職場の女を犯した描写の後、夢から覚めてるからあれは現実の話じゃなさそう)
・歩きスマホ女にぶつかって憂さを晴らしていたが、ある日ぶつかろうとした女に立派な男性が車で迎えにきて幸せそうに笑っている(自分がやろうとしていたことの対比で主人公が惨めに見える)
・電車で夢うつつになっていたところ、思わず女に覆い被さったら通り魔の刃から守ったようになった
・植物人間になっている主人公に、最後に母らしき人が現れて主人公が涙する
→主人公は「アンチマン」というヒーローになれた(男女関係なく、人間としてのゲスさ関係なく人はヒーローになれるのだ)みたいな話と受け取った
他人が心血注いで積み上げた成果を盗んでいいと思えるんだろう
少しでも努力した経験があるなら努力の横取りなんて絶対できない
ワナビーにさえなれなかった努力エアプによる絵描きの個性の強盗
オリジナルのガイドラインにのっとった上で商売を許してもらえてるのが現代
なぜか誤解されがちだけどコストは全くタダじゃない
プラモ買ってきて組み立てる感覚で同人誌一冊作れると思ってる人
大間違い
在庫抱えるリスクを負った上でゼロから話を考えてコマを割りネームを描いて作画する
同人の歴史で途中で力尽きて頓挫した本を集めれば湾を埋め立てて土地を作れるレベル
部外者が簡単に作れると思い込むのもやはり努力エアプだからだろうか
同人作家の努力の付加価値を認めてくれてるからこそ応分の対価を支払ってくれるのであって
虎の威を借る狐をしてる努力転売ヤーさんとは比べる事自体が失礼
ここまで言われても努力を才能だと思い込んでる動く植物人間には響かないんだろうな
性格の悪さ→謎の確信に満ちた絶対的人格破綻は貧乏人には身につかない
能力の高さ→親ガチャ成功で無数のレールに乗れる相手に貧乏人は勝てない
能力の低さ→貧乏に生まれついても淘汰されない弱さには下限があるが金持ちの家だと生まれつき植物人間でも生き延びれる
経験の貧弱さ→全てから引き離され完全に飼われて過ごすのにも親の財力や権力が必要
時間の豊富さ→効率の良い教育により幼少期の段階から有利で社会人になったら親の金でニートも可能
時間の切実さ→親に決められたスケジュールにより拘束された人生を送るパターンは貧乏人には縁遠い
存在の近さ→経験と時間の豊富さにより「同じ体験をしている」を多くの相手に発動可能
うん……駄目だわ……
「金持ちが貧乏人のふりをしてた!騙された!俺は貧乏だと思って応援してたのに!」みたいな話題が続いてる気がするのでふと思考実験をしてみたがもう無理だな。
ブラックバスの放流された池で既存の魚類が天下を取ることはねえわ。
全部食われちまったよ