はてなキーワード: 入園とは
これを書いた増田です。
これを書いてから半年以上経ったが、状況は良くなるどころかむしろ悪化。
気を利かせて何かやると、そうじゃない!洗濯の順番が違う!こっちを先にやって欲しかったのに!などクレームの嵐。
じゃあ具体的に指示してと言うと、相変わらずいちいち指示するの面倒くさいから無理、
私と同じことができるようになれ、と言外で要求してくる。
俺は君じゃないことをわかってほしい。
俺は君じゃないことがわかってるから、君のやることが俺の考えと違っても、君がやった/君にやらせた以上は文句言ってないつもりだ。
4月からめでたく保育園入園が決まったが、そこでも揉め事勃発。
子曰く、
保育園選びに積極性が感じられない!私だけが保活してて、真面目に考えてるの馬鹿馬鹿しくなる!
と。
相談されたら自分の意見は伝えたし、〇〇保育園は一緒に見学行ったじゃん、と返すと、
〇〇じゃなくて△△保育園だから、名前間違ってるのが自覚ない証拠よ!
って言われました。
些細な言い間違いでここまで怒られますか、と怒るどころか疲れてしまった。
緊急事態宣言でまた在宅勤務体制になって、こんなストレスフルな閉鎖環境に居続けたら気が狂いそうだ。
どうせ嫁は今頃鍵かけてTwitterの育児垢で、延々と俺の愚痴を書き、フォロワー様に慰めてもらっているのだろう。
子供は可愛いし大事だから子供に苦労がかかるようなことはしたくない。
ただ、嫁が今までの言動を悔いて改めてくれたらよいだけなんだが、
どうやったら嫁が俺の話を聞く耳を持って理解してくれるのだろうか。
嫁に負荷を掛けて、嫁だけに復讐をするよい方法はもう少し考えよう。
はあ…つらたん。
https://anond.hatelabo.jp/20210213230410
こちら、2児の父であり育児に全ステ振っている感じの父です。老増田心ながら、いろいろ伝えたい。
あなたと同じようなことがたくさんあった。ぱっと思い出すことを書いておく。今はこのようなことはない。過去の話だ。
保育園の送り迎えをしたくらいで褒められる。
雨の日、電動の子どものせ自転車に子ども2人を乗せて帰るときに、保育園の先生に「パパすごいわね」と声をかけられた。たしかに、これはかなりきつい。冬場は特にきつい。でもね、その発言がなされたとき、俺の隣にも雨の中で自転車に2人の子どもを乗せている別のママがいたわけ。そのママも同じだけすごくない?遅くまで残業している男女がいたときに、「ママすごいね」と言うのと同じ構図。褒めているようで侮っている。ちなみにその時は言いましたとも。「こちらのママ様も同様にすごいですよ」と。そしたら「あ」という顔をしていた。年配の保育士さんだったが、大悟したはず。
保育園の年配の先生の二人称複数形が「ママたち」「お母さんたち」
保育園の保護者会の役員をやったとき、自分一人だけが男性で、それでも「(ほぼ)ママたち」というくくりで呼ばれることがたびたびあった。「俺、ここにいるよ!」と毎回心の中で叫んでいた。
子どもを迎えに行ったら、「今日、トイレで汚してしまったんです。ママに伝えてください」と言われたこともある。
ん?俺が今、しかと聞いたぞ?
つまり、父親が育児における二級市民に序せられているという事実に、いろいろなところでチクチクされる。
しかし!以下の点から、そんな杞憂の8割くらいはなくなると思う。これを伝えたい。
第一に、そこまで育児ワークを多くこなしていれば、日常的に見ている人からの侮りやズレた褒めは減ってくる。
第二に、自分自身が慣れて気にならなくなってくる。
第三に、相手の言動がある程度予測できるようになってくるので、「事前に予測が立つ」 <- これポイント
ちょうど先日、近所にある学習塾が何周年記念とかで営業の人が家にピンポンきた。ノートをくれるというので、ひょいひょいとドアを開けた(ちなみに増田はコロナ前からずっと在宅勤務)。軽く前口上を聞いた後、営業さんは「お母様がいる時間にもう一度来る」と言う。そう来ると思っていた。マンション営業で夫がターゲットになるが予測できるのと同じで、学習塾・習い事系では母親がターゲット=意思決定者という前提になる。
「我が家の場合、これ系の窓口は私なんです。どうぞ私に話してください」などと伝えて、話してもらい、丁重にお断りしたらすんなり帰っていった。
一瞬、相手が「え?」という顔をするが、別に気にならない。そんな場面はたくさん見てきた。
保育園の入園説明会、保護者会、学校行事などなど、母親が来ることが想定されていて、父親がオマケ扱いされることが事前にわかっていれば、どのように切り返してそこに居座り、メインキャラクターであることを認識させるかを考えておくのがよい。
こんな感じで、切れることなく、男女平等だとかそういう高尚な話をすることもなく、ただ偶然、「うちの場合はこう」ということを伝えれば、角も立たずに丸く収まること請け合い。
父母のどっちか1人が担当になりそうな場面では、父が担当者になるよう事前に取り決めておくのもよいと思う。元増田の入園説明の場面を考えると、「あー、では妻が娘の相手をしますので、私がお話を聞きますね」などと言えば良い。その場で妻に向かって、「それでもいい?」と優しく付け加えるところを見せたりすれば、園長先生は誰か保育士を1人よこして娘の相手をし、父母の2人に話をしてくれるんではないかと思う。そして、園長先生には「俺はオマケじゃねー」というメッセージをしっかりと伝えることができる。希望的観測だが、その後は一級市民として扱ってくれるかもしれない。
瞬時のレスポンスを早くしようとするあまり、鼻息が荒くなってはいけない。大事なのは想定問答を用意しておくことだ。それにはある程度の失敗体験も必要。今回はそんな失敗体験の1つだ。
ちょっと前にネットで話題になったやつだ。マンション購入の意思決定が旦那にある前提で営業が旦那にばかり話すので妻がキレるやつ。
その逆バージョンだ。
夜になっても全然ムカついて寝れそうにないので書く。
入園の説明会をするから来てくれと言われ、土曜だし仕事も休みなので夫婦と娘の3人で行った。
別に珍しい話でもねーだろ。親子でお世話になるし2人の娘だ。そりゃ夫婦で話聞くだろうが。
保育園着いて開口一発目が
「じゃあ奥様にご説明しますんで、旦那様はあちらでお子様と一緒に遊んでてください」
だよ。
娘が積み木に飽きたぐらいで「なんかおかしくね?」ってなって。俺ここに遊びに来たんだっけ?入園の説明聞きに来たんでは?って。
そしたら
・登園は出勤時刻が遅い方に合わせる(俺8時出社、妻9時出社なので、俺が家出るタイミングで預けるのはNG)
・土曜保育は実施してるけど俺らは使えない(妻は土曜勤務だが俺は休みなので一人で見なさいってこと)
俺は聞く価値ないと思われてる?
そのくせ土曜は父親ワンオペで当然面倒見ろって?いやワンオペぐらいできるけどさ。舐めんな。でもそういうことじゃねーのよ。
そりゃ手続き関連は妻にやってもらったよ。書類の名義は妻だよ。俺平日仕事でいねえし、育休中で平日役所に行きやすい妻に頼むよ。そんなおかしいことじゃねーだろ。
だから名義人の妻に説明すりゃOKってか?旦那は物見遊山で来てるだけだからほっとけばOKってか?
あーまじでムカつく。
こちとらイクメン()みたいな生半可な気持ちでやってんじゃねーんだよ。
家のことも子供のことも、お互いが不得意なことを補いながら一緒にやってきた。相手が辛いときは支え合ってやってきたよ。
妻にはめちゃくちゃ感謝してるよ。妻が俺に感謝してくれてることもわかってるよ。偉そうでもなんでもねえ。一緒に真面目にやってたらそんなもんだろうが。
職場と激揉めしながら1ヶ月育休も勝ち取ったよ。でも別に立派なことじゃねーだろ。
俺らの世代で普通にしてかなきゃいけねーことだろうが。激揉めしてる時点で時代遅れなんだよ。
そんくらいの気持ちでやってんだよ。
でも一番ムカつくのはよ、俺自身だよ。
相手の開口一番で舐められたってわかったはずなのに、すぐにキレ返せなかったのよ。
そんで帰って妻と話して励ましてもらって、それでも足りなくてこんなところにグチグチ書いてるのよ。
あのときキレ返してたらこんなに重たい気持ちになってないのよ。
てかキレる必要さえなかったのよ。
「僕も一緒に話聞きたいんですけど横座ってていいですか?」
これだけ言えばよかったのよ。喧嘩腰になる必要もない。波風も立たずに誰も不幸にならなかったのよ。
それがなんでできねーのよ。
あーまじでムカつく。日本死ね。
私には1歳終わりごろからの記憶がある。もちろんハッキリしたものでは無い。1歳半で引っ越したはずの部屋の間取りや、そこでのできごとをいくつか覚えているだけだけど。
父は突然の社会人&家長になり、土日も関係なく働いてほとんど家にいなかった。母は平日昼間はなんとなく家事をこなし、午後はほとんどずっと誰かと電話していた。何を話していたのかはよく分からなかったが、私は電話する母の背中を見ながらいつも「おやつまだかな?」とか考えてた。
幼稚園の入園準備を始める頃になっても、母は相変わらず午後の時間のほとんどを誰かとの電話に費やしていた。その頃には私も、母の電話の内容も何となく分かるようになっていた。「夫が育児を手伝わない」「子どもがいるから遊びに出かけられない」「まだ学校に行きたかった」
母の会話にいつも出てくる「学校」。黄色い帽子とつやつやしたランドセルを背に、アパートの前の通りを賑やかに歩いていく小学生は確かに楽しそうで、母が憧れるのも分かる。
私は母を喜ばせたくて、週に何度もダダをこねては小学生の隣の図書館に連れて行ってもらった。自転車の後ろの椅子で母ながら、学校に行けることをさぞ喜んでいるだろう、と、自分のワガママを誇らしく感じながら。
でも結果は母の電話に「毎日毎日図書館に連れて行けってうるさい」という愚痴が加わっただけだった。
この頃の父についての記憶はほとんどない。たまに3人揃って夕飯を食べるとき、母がウキウキしたりイライラしたり、空気がちょっと変わるのを感じていたくらい。今より「育児は母親の仕事」な時代だったし、私の世界のほとんどは母が占めていた。
私のことは相変わらず「学校に通えなくなった原因」なのに、弟には甘い声をかけ、一挙手一投足を柔らかい目で追うようになった。誰かとの長電話もほとんどしなくなった。
そしてこの頃から私は、母に愛されたいと期待するのをやめた。
今では私も家庭を持った。両親とは程よい距離感で接するし、はたから見たらむしろ仲は良い方かも知れない。
言葉は分からなくても、子どもは空気を覚えてる。自分が我が子の目にどう映るのか、彼もしくは彼女にどんな背中を見せることになるのかが怖くて、子どもはまだ作れない。
よくコップに水が半分入ってるのを見て「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うか、って話あるよね。
圧倒的前者。
何なら7割入ってても「いやもうあと少しで半分じゃん…」ってネガティブになる。
始まっちゃうと「あぁ、後〇日しかこの楽しみはないんだ…」って思いが強くなる。
2泊3日の旅行で2日目の夜にそうなるとかじゃないよ。
1日目の移動の段階で思ってたりするよ。
今育休中で、今年保育園に入れたら仕事復帰するけど、休みの残り時間を数えては絶望する。
入園は4月だけど、慣らし保育があるのとそれに伴う保険料のこと考えて5月復帰。
まだ3ヶ月はあるけどもう憂鬱。
ちょっと高いもの買ったり不意な外食が入ると「お金大丈夫かな…」ってなる。
コロナ前から自費の飲み会なんて平均して2~3ヶ月に1回あるかどうかみたいな感じ。
もうそういう性格で何十年生きてきてるから、今更直せないと思うし、本気で直そうと思ってる訳でもない。
というか直そう!っていう前向きな気持ちが既にない。
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
現在アラフォー。幼少期から大人になるまで次男だというだけでいろいろとひどい目に遭わされてきたので以下に記す。
なお、両親と兄はこれでも兄弟は公平に扱っている、贔屓などしていないの一点張り。
・何も買ってもらったことがない。服はお下がり。制服も学用品も文房具も全部お下がり。バットやグローブ、テレビゲームも全部兄のお下がり。おやつは兄が食べきれなくて残したものだけ。朝と夕の食事も家族の残り物。受験勉強の参考書もお下がり。ジャンプも兄の読み終わったものしか読ませてもらえない。お小遣いはなし。
・お祝いされたことがない。生まれた時から幼稚園に入った時も、七五三も、小学校の入学も、中学校の入学も誕生日も何もお祝いされたことがない。入園入学の時に写真を1枚撮ってもらっただけ。誕生日は「あーはいはいおめでとうー」の一言のみ。生まれてから成人までに撮ってもらった写真は5枚だけ。兄の写真はアルバム3冊分。
・俺にまったく関心がない。幼稚園の送迎なし。幼稚園の送迎バスも金がかかるからという理由で俺だけなし。徒歩で幼稚園に通園。どんなに怖い目に遭っても、ケガをしても無関心。兄の成績が良くなかったときには塾やら進研ゼミやらなんでもやらせてもらえるのに、俺の成績が悪くなっても「なんでそんなにバカなの。恥さらし。」と罵倒されて終わり。頭に来たので高校と大学は私立に進学したら今の今までずっとごく潰し呼ばわり。浪人は認めない。兄は浪人でも予備校でもなんでも可。
・大人になっても不遇。兄が結婚した時は結婚式の費用、結婚資金に何百万円も支出したのに、俺が結婚した時は、こんな親でも一応報告しないとと思って報告したら「おめでとう」だけ。もちろんお祝いなんてしてもらってない。祖父母のお葬式のときはずっと受付や雑用係。
俺があまりにも不憫でかわいそうとお小遣いをくれたり服を買ってくれるのは東京に住んでいる叔母(母の妹)だけ。しかし、叔母が俺に何かしてくれると「迷惑をかけるな」と母に怒られるわ、「甘やかすな・甘やかしてない」で叔母と母が喧嘩になるわで最悪。
はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり
(はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)
・子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。
子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児の育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。
・妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。
物件選定、下見、ローンや物件の契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。
・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。
物件選定
・ネットの物件情報サイトで市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ。
中古の場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまでリストアップした。
リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。
・エクセルで物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点の物件を買った。
高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家からの距離」「校区小学校からの距離」「最も近い保育園からの距離」「バス停からの距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」
俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。
(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田は添付ファイル付けられないんだね。)
以下、各項目ごとに説明する。
「駐車場台数」
地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤。子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家で車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断。
両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。
→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たときは住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。
「延床面積(部屋数)」
リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。
→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。
「価格」
世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。
(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票で判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。
俺は残業あっても無くても500万。県庁は時間外手当ほとんど付かない)
→ 建物の登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。
「構造」
当時住んでた借家が築10年のプレカット工法の木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリングが劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造の隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。
両実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。
よって鉄筋コンクリート(RC)造、鉄筋コンクリートブロック(RCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。
→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。
「築年数」
新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格の新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。
住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。
→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。
とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。
夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母のサポートが絶対に必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。
妻実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。
→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日の散歩コース)の物件となった。
中学生になれば自転車やバスが使えるから距離があってもいい。小学生(特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。
→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。
越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能。市民税納めてないし仕方ないね。
認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞もからんで勤務時間に支障する。
→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園が安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園に入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。
子供が高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。
→1.5kmほど先に本数の多い路線のバス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。
「敷地面積」
庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうから。ガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。
→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい。
「土地条件」
当時は東日本大震災から数年のちで津波の記憶が新しく、標高は確保したい。
谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土は絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらないか心配(両実家も借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)
→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件を候補にしてからは県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院のサイトで米軍撮影の1945年前後の航空写真を見たり、県の地図サービスで災害指定区域を確認したりして、
昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域に指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。
眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングのカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。
→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンクの住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。
→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校やバス停までの距離で足きりすると必然的に市街化調整区域は除外され、市街化区域の第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。
車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。
→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクグラインダーが使える。ぐへへ
「他」
周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路は交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護付住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブルが理由ではない。下見や内覧のときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。
→現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。
保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。
なにより妻の両親の毎日の散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から「問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。
県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科や整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係に不安はない。
買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列のスーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアやホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。
(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかないか)
購入
妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。
均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。
住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。
変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)
土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBやソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。
地場の都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)
世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査はトントンで進んで融資決定の連絡があった。
年収(源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。
利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。
住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告が必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整で職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。
・値引き
基本的に都市部の中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。
不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。
4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。
近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。
・不動産屋
仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。
・司法書士
登記関係は銀行指定の司法書士に一任した。土地は登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。
反省点
結果論だが、保育園までの距離は考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。
子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供が独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。
確かに私立に比べれば施設が荒れていたりするのだが……そんなに悪いものでもない
公立のため予算がおりないのだろう、基本的にどこも古い設備を長年使っている
公立の場合は職員の創意工夫によって差が出てしまう傾向がある……
これも予算が無いせいだが、一度スペースが空いてしまうと動物が補充されることがないことがある
私立の場合だと3000円近くかかることもあり、年間パスポートを購入しようとするとさらに差は大きくなる
公営の動物園によっては無料開園日なんてものがあるところもある
そこでここに行けば間違いないという公立動物園を二か所述べよう
いろんな動物園・水族館でペンギンの散歩・ショーをやっているが旭山動物園のそれが個人的には一番好ましく思える
何故好ましく思うか、それは「芸をさせようとしていない」点だ
例えば長崎ペンギン水族館(ちなみにこれは私立だ)のペンギンショーはキングペンギンに一定の範囲内で散歩をさせるというものだが、ペンギンは基本的に芸を覚えない為気分任せに歩き回るのを見守るというスタイルになってしまっている
一方、旭山動物園では人垣で道を作り、飼育員が先導することでただ散歩をするというスタイルだ(ペンギンは先導者がいればその後をついていく)
無駄がなく合理的なスタイルと言える、あるがままの歩く姿を見るだけでかわいいのだからそれでいいのだ
(ちなみに長崎ペンギン水族館のフンボルトペンギンの展示は素晴らしいものがある。なんと実際に海に放し飼い展示を行っているのだ!一見の価値あり)
サーバルがいることで一部で有名か?けものフレンズ関連でこの動物園を知った人もいるのではないだろうか
オーソドックスな昔ながらの動物園ではあるがなんといってもその敷地面積の広さ
コアラが見やすい位置にいるかどうかは運しだいだ、見やすい場所にいることをお祈りしよう
(完全に余談だが名古屋港水族館のエンペラーペンギンは展示エリアの照明が南極仕様の極夜再現によりとても暗いことがある。写真撮影目的で行く際は注意)
公営私営にかかわらず地元の動物園や水族館、植物園に行ってみてほしい
ペンギンはどこにでもいるフンボルトペンギンしかおらず、柵が太く動物が遠くて見にくく、鳥インフルエンザ対策で鳥コーナーにネットが貼られて見にくかったりしても……行ってみると案外楽しいものだ
ただの書き散らし。
新生児:圧倒的なピュアさ、まだこの世に定着していないような天上の可愛さ。ただし母親のプレッシャー「生かす」がやばい。頻回授乳やばい。傷が痛い。眠れない。
2か月〜3か月:クーイングが始まる、まどろむ声は耳の奥を抜けて脳天を突き刺す。床上げ、夕暮れなきが始まる。
4か月〜5か月:育児にも少し慣れる、目があうと可愛すぎて脳が溶ける。笑うと脳内世界が震撼する。つかの間の休憩が取れる人もいる。夜寝る子もいるし、寝ない子もいる。
6か月〜8か月:ねがえる。目で第一育児者を追う。人見知りする、泣きながら愛着のある育児者を追う必死な姿は、万難を排しその存在に駆け寄りたい衝動。が、第一育児者の負担パない。何より離乳食。手間。レトルトに頼るとうるさい外野(時に内野)がいる、滅。しかも食わん、食事にかかる手間の激増。
9か月〜12か月:ハイハイする、後追いが始まりし時のいたいけな動きは、生命00億年の歴史の中の貴重な1ページとして刻まれる。至高の存在、ただし自由に動き回り始めると最初の感動をよそに予想外の災害を引き起こし続ける。ティッシュは白い山になる。引き出しはすべて引き抜かれる。
去年の秋、子供産んだ。
第二子。
産んで入園して、あっというまだった。
0歳の可愛さってなんだ、
どんどん大きくなるし、怒涛のかわいいアプデ。めくるめくかわいいの連続。手を変え品を変えかわいいがリリースされる。
こんなに可愛くても、でも何より眠りたい時も逃げたい時もあるけど。
ただ思い出すだけでも、0歳の可愛さ、めまぐるしさ、
私には1歳終わりごろからの記憶がある。もちろんハッキリしたものでは無い。1歳半で引っ越したはずの部屋の間取りやそこでのできごとなどをいくつか覚えているだけ。
両親は若くしてデキ婚したので、父は慣れないサラリーマン生活で土日も関係なく働き、ほぼ家にいなかった。母は平日昼間はなんとか家事をこなし、午後は夕飯の支度の時間までほとんどずっと誰かと電話していた。何を話していたのかは言葉が分からなかったので分からなかったが、電話する母の背中を見ながらいつも「おやつまだかな?」と考えていた。
2歳を過ぎて幼稚園の入園準備を始める頃には、母が何を話しているのかほとんど理解するようになっていた。母は相変わらず友人との電話で呪詛や愚痴を話していたの。「夫が仕事ばかりで育児を手伝わない」「子どもがいるから遊びに出かけられない」「まだ学校で勉強したかった」「自分の時間が取れない」
母は学校が好きなんだと勘違いし、近所の小学校の隣にあった図書館に行きたいとねだって機嫌をとろうとした。しかし母の電話に「毎日毎日図書館に連れて行けってうるさい」という愚痴が加わっただけだった。母に好かれたくて図書館をねだったので、とても悲しくてその夜はなかなか寝つけず。また母を怒らせ「夜も寝ないからたいへんだ」と愚痴らせる結果になった。
父も卒業式を経ずに学校を出て、突然社会人になったのでそれなりに大変だったんだろうと思うが、父についての記憶はほとんどない。たまに3人揃って夕飯を食べるとき、母がウキウキしたりイライラしたり、空気がちょっと変わるのを感じていたくらい。今より「育児は母親の仕事」が当たり前だったので、私の世界のほとんどは母が占めていた。
幼稚園の終わりごろに弟が生まれると、母は弟のママになった。私のことは相変わらず「学校に通えなくなった原因」と捉えているようで、結婚生活で生まれた弟には甘い声をかけ、私には「大きくなって去年の服が入らない」「体重が増えたから自転車に乗せて行くのがしんどい」など、八つ当たりに近い愚痴を私本人に言うようになった。この頃から私は母に愛されたいと期待するのをやめた。
反対に父は、キャッチボールができる年齢になった私に興味を持ちはじめたようだったが、私は親に何かを期待するのを諦めていたので、どこか少し距離を起きながら接していた。
今では私も成人を超え家庭を持っている。親とは程よい距離感で接する普通の大人になった。言葉は分からなくても、子どもは空気を覚えてる。
東洋経済の記事で、コミックエッセイ「夫を捨てたい」が紹介されていた。
https://toyokeizai.net/articles/-/383894
読んだけど、これは夫だけが悪いのか?
入園1年目なんてしょっちゅう体調崩して呼び出しあるのに。夫まで迎えに行くの?
帰りはどうするのか?夫は残業しないの?
通勤手当ももらえないだろうし、送っていく意味、微塵もなくない?
朝バタバタするのが分かり切っていて当日に持ち物の準備をするって何事?
足りないものがあったらどうするつもりなんだ。段取り下手過ぎて仕事できなそう。
寝てる夫を起こしてお願いするとか、やり方あるだろ…。
罪悪感で毎日苦しむくらいなら、延長料金払ってでも時短を辞めればいいのに。
延長料金ほど稼げないなら、心の平穏とお金、どっちを取るか考えればいいし、
ママって時短だから時短~くらいにしか考えてないんじゃないの?
事前にネットスーパーで注文したり休日に買い貯めしたり出来ないの?
効率悪いなって思わないのかな。
「夕飯どうする?」
なんでこれでキレる?しかも自分の想いを伝えてる様子もないし。
「夕飯どうする?」→帰りに○○買ってきてー
で良いじゃん。「アンタの心配なんかしてねー」みたいな気持ちになる時点で終わってる。
夫は「明日会議があってごめんね」「今日中の仕事があって無理」とか伝えてるのに、
「私だって○○だから無理だよ」って言えない時点で、この人の”気持ちの問題”でしかなくて”無理”じゃないんだろうな。
新システムで分からないことがあるのに「んん?」で周りから声かけてもらうまで質問もせず、
設備の入れ替えにも気づかない。
通常業務に打ち合わせに…とか言ってるけど、正直期待されてないでしょ…。
「なんで私働いているんだろ」「夫が経済的に支えて欲しいって言ったのに」
お金が十分にあって、子供以外に繋がれる人が居たら特に働きたくないってことでしょ。
こんな気持ちで働いてるから職場のお荷物にしかなれないんじゃん。
昇進した後輩に対して悔しく思うだけで努力もしないし、なんだこいつとしか。
やらない/できない配偶者だからやってるだけで、「ママ」だからやってるわけじゃないのに
そこに自分も気づいてない。
夫に言えよ。何だこの女?イライラする。
飲み会だって「みんなが誘ってくれたから」「1年ぶりだし行きたい」って言えよ。なんで断る?意味不明。
この調子だと予防接種や健診、保育園の行事も全部(ママだからって私が…なんで夫は…)と思いながら行くんだろうな。
この人、普通に生きてるだけで精一杯じゃん。
夫を捨ててどうするつもりなんだろ。経済的に困窮するだけでは?
と思いつつAmazonのレビュー見たら、愚痴しか書いてないのに2人目…どころかその後4児の母らしい。マジか。
夫捨ててないのかよ!!!
同じような本何冊も出しているらしいけど、自分の悪口ばかり書かれてる本を何冊も出され
「夫を捨てたい」とまで言われる夫はどんな気分なんだろう。
おそらく、それは、私の夫の親夫婦ですが、あなたの立場に当たる方は、脳出血を何度か起こしまして、後遺症で今は寝たきり生活です。夫の父が介護しております。
あなたがそうなるとは、限らないですけどね。メンタルの健康には、気をつけてください。
この増田を読みまして、子育て中の人間として、少し懸念材料があるなーと感じたので、一言言いたくなりました。
それは、この増田の奥さんの欠けた能力が、将来の子育てにおいて、必要不可欠な能力であるという点です。
生まれたばかりの赤ちゃんは泣くだけしかできないですし、赤ちゃんの泣き声で、赤ちゃんの求めるものを適切に察して対処していく能力が必要だからです。
それなのに、大人同士で、まともに会話できる旦那さん相手に、弁当箱の容器について、洗える容器にして旦那さん自身が洗うなどの妥協策を取るわけでもなく、「気にしなきゃいいじゃない」で済ませてしまう彼女の感性は、これから子育てしたいという希望を持つ方なのだと考えると、とても心配です。
いくら、保育園に昼間の子育てを任せる予定であるとしても、朝と夜は、親が子育てしなきゃいけませんし、そもそも、保育園に子育てを任せることが可能なのは、早くて生後六ヶ月前後です。
そして、なにより、保育園であっても、子供からみれば、集団生活の場です。
周りの子供の親が、どのようなものを子供に与えて暮らすか、嫌でも子供は知ってしまいます。
そして、子供は、社会の中で生きていくために、周りの人と価値観を合わせていく練習が必要なんです。それをご自身のお子様にも、「気にしなきゃいいじゃない」をし続けてしまうと、児童心理の発達に支障をきたす恐れがあり、最悪、あなたの奥さんが将来的にお子様から毒親扱いされたり、お子様が不登校をおこしたり、いじめを受けたり、精神の病を起こしたり、といったリスクがあります。
だから、そこは、周りの親の価値観や子供の価値観に寄り添って合わせていくために、周りのママ友とのやり取りや、保育園からの連絡や、子供の拙い表現から読み取っていく感性が親には必要です。
また、妊娠出産のリスクが奥さんに与える健康リスクは、実はやってみなきゃわかりません。個人差も大きいし、同じ人でも、毎回違います。初産はなんともなかった方でも、二回目3回目で産後うつになる方もいらっしゃるからです。
地域の状況によっては、妊娠中や出産直後から保育園探しをやらなきゃいけないのですが、出産直後にママが動くことが難しくなることがあります。
だから、そこらへん旦那さんが動けるのは助かるでしょうけども、実際のところ、産院も保健師も市役所も子供支援課も保育園も、何もかも、お母さんが主に子供のために動くことが前提の仕組みだったりもします。それをなんの力もない個人がいきなり変えるのは難しく、実際にやろうとすると、仕組みに巻き込まれてしまうことと思われます。
それに、私の夫から聞いた話なので恐縮ですが、実際にパパ友達をつくることは困難らしくて、ママ友のなかに旦那さんが入り込むことはもちろん、子育て広場の場や、健診などでパパ単身乗り込むことも勇気がいるそうです。
実際、私が参加してきた場も、ほとんどが母親ばかりで、母親と親、母親と父親が一緒にいるケースはチラホラあっても、父親単身で子供の健診するケースは多くはない印象です。
ただ、これも地域差はあるかもしれませんが。
そういうところで、あなたの奥さんのような特性を持った方が、パパ中心に子育てするとしても、ママ中心に子育てしていこうとしても、ママ友付き合いをしていこうと思うと、かなりキツいことも予想されます。
あと、どちらかが仕事をやめることも考える場合ならとにかく、どちらも仕事しながら子育てしていこうと考えるならば、奥さんだけでなく、あなた側がお仕事やめることもできるのであれば、実は保育園側の査定の点数が減ってしまうので、保育園に入ることが難しくなるんです。なので、たとえ産後の体力キツくても、ママ本人が動く方が保育園入園そのものは有利です。
また、あなたの奥さんは、今現在、お仕事そのものは順調のようであり、忙しくしているようですし、仕事内容や人間関係については、悩んでなさそうですよね?
だったら、正直な話、夫婦の人生計画として、現時点では、これから子育てするプランは諦めて、このまま子なし夫婦生活を二人で送り続ける方が、トータルの奥さん側の人生満足度としては高くなるように、私は思うんですよね。
このまま、奥さんが職場をクビになる的なアクシデントがなければの話でしかないですけども。
ただ、そのことって、ご本人が子供産める年齢のうちに、ひとつひとつ納得しながら(というのがないとダメな性格の奥さんでしょうから)ご検討しつつ、ご決断していかなきゃいけない事柄だろうなとも思うんです。
そういう意味でも、夫婦の奥さんからしたらムダな会話は、今現在の増田夫婦にとって、必要不可欠なんじゃないでしょうか?
と、私は思いました。
マスク着用拒否により飛行機から下ろされた人が居た一件以降、マスクを着用できない人への視線がさらに厳しくなったような気がする。
最近そう思うことが増えた。
マスクをしてない=わがままな人というレッテルを貼られているようで、とても周りの目線が怖い。
自分はパニック障害によりマスクができない。感覚過敏症もあり、締め付けがあるものも極力避けるように主治医から言われている。
口を塞がれる状態になると発作になったりするのだが、スーパーでマスクができない旨を伝えると、ハンカチを当ててくださいと言われた。
ハンカチが当てられる状態なら、マスクだってできるのではないか……。
少し前、海外のディズニーでマスク着用できずに入園拒否になった件も見ていたけれど、娯楽施設であればまだ行かないという選択肢がある。
行かないという選択肢が取れない場所でマスク着用できない人はお断りと言われる。
マスクを無理に着けようとして体調が悪くなって昔から通っている病院に行く。
すると受付の人にマスクを着けてくださいと言われる。
着用できないのですが。
そう返答したのだが、着用してくださいと再び言われる。
困って固まってしまった自分に、忘れた人のために用意されたマスクを1枚差し出され、口元に当ててくれた。
口元が塞がれたことによりすぐに過呼吸になり発作が起こって待合室から奥のベッドに運ばれた。
あちらは親切でしてくれたのだと思う。
口元にマスクを当ててくれたのはそのスタッフさんの親切心だと思う。
マスクをしてない人がいると他の人も不安に思うだろうというのもあると思う。
けれど、そういった事情のある人が受診する病院で、マスクをしてないのは単に忘れたからなのか事情があるのか聞いてくれても良かったのではないかと。
マスクが着用できずに困っていてその病院を受診するのに、マスクを着けてくださいと言われるのはとても理不尽な気持ちになる。
どうやって生きたらいいのだろうか。
病気によりマスクを着けられないのはわがままではないので申し訳ないし許してほしいと思う。
けれど、マスクを出来ない人である自分はずっと申し訳ないという気持ちを持って生きなければいけないのか。
もし自分に他の身体に障害があって、例えば車椅子で生活していたとしたら、バスの乗り降りの度に時間がかかってすみませんと思わなければいけないのか。
ベビーカーで電車に乗ったらスペースをたくさん取ってすみませんと思わないといけないのか。
どちらも最低限必要なことをしているだけで悪いことをしているわけではないのに。
すみませんと思わない人は図々しい。すみませんと思わないと許さないという、日本人の謙虚じゃない人は許さないというような圧力を感じている。
それってなにか違うのではと思う。
いろいろ事情はあれど、自分が悪いわけではないのに、ずっと申し訳ないと思わないといけないのかと。
弱者と言われる側の人が普通に生きているだけで負い目を感じて生きなければいけない社会は悲しいと思う。
図々しく生活するのが正しいとは思っていない。
もちろんこちらの努力として、マスク着用できないことを理解してもらうために名札を下げて生活している。
けれど1日に何回もマスク着用できないのかと聞かれて、何回もすみませんマスクできなくてすみません、と唱えて生きているととても辛い。
何度も何度も、1日のうちにその会話だけでどれだけの時間がかかっているのだろうと思う。
申し訳ないな、と思わなくても普通に生活できるように社会が寛容になってくれたら、と思う。
そういう世界にならなければ自分はもう最低限の買い物にも行けない。
仕事は在宅で出来ているものの、買い物に行けないので自炊が出来なく、食事は全て宅配に変えた。けれど金銭的に負担が多いので1日の食事回数を減らした。
宅配の種類はまだ選択肢が少なく、自炊ではないので栄養バランスも偏っていると思う。
日用品も通販で買えるものもあれば買えないものもある。そして送料もかかる。
事前に買ってストックしているものもあるけれど、日常では突然買い物しなければならない場面もある。
マスク着用できないことによって《お断り》され、外に出られないことは金銭的な負担がとても大きい。
(そんなこと書いてる店はないと思うが)
【マスク着用できない人はお断り!】と書くのは差別ではないかと思う。
店側は
事情によりマスクを出来ない方はできる範囲でご協力ください。】
などにしてくれたらありがたい。
マスクをしてなくても咳やくしゃみをするときには人の方を向かない、ハンカチでガードするなど最低限のことは守っていくので。
そしてマスクしてない人=わがままな人というレッテルはやめてもらえたらありがたい。
どうか、マスク着用してない人を見ても、事情があるのだと察していただけたら嬉しい。
すみませんと1日に何度も唱えて辛い思いをすることなく、事情を受けれてくれて、フラットに生きられるバリアフリーな社会になるといいなと思う。
既に子どもが二人いる。来年やっと下の子が幼稚園に入園するので、上の子の出産以来やっと、やっと家事に専念出来るようになると思っていたのに。
初産で心身を壊して、それでも気が狂いそうになりながら子どもたちを生かしてきて、来年の春から身体を治していこうと思ってきたのに。
夫は「もしできたとしてもなんとかなる」と言う。収入面は心配するなと言う。違うそうじゃない。確かに子どもは可愛いし夫は優しいが、3人目が出来ることで産み育てる機械たる身分にまた4年拘束される。もう無理だ。
陣痛の痛みも夜の授乳で起こされる日々も繰り返したくない、というかできない。
夫に内緒でアフターピル(緊急避妊薬)を処方してもらった。診療費・薬代合わせて1万円、独身時代の貯金の残りから飛んだ。
仕方がない。心身に余裕のない母親に育てられるかわいそうな子どもが一人減るなら安い金額だと思う。
問診票の記入とテキストによるオンライン診療のみでよいのはありがたかった。医者にかかるだけでも下の子を義実家に預けるために手を回さなくてはならないので。
これから発送されるはずだ。女性ホルモンの変動で副作用が強いらしいが、服用に気づかれないように一日二日頑張らないといけない。
出産のため里帰り中、ふと地元の保育園の申込の流れを見てたらネットで各申請書がダウンロード可になってて感動した。
気になって調べてみたら他の自治体もたいていダウンロード可になっている。
そりゃ今どき当たり前だよなとも思う。
コロナで人との接触を出来るだけ避ける時代なのに、住んでる市では保育園の各申込書は各保育園で受け取らなければならない。
↓
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せめて申請書の受取だけでもネットで済ませれたら大した手間ではないが、
そこから仕事の合間を縫って行かなくてはならないから結構な負担だ。
大変だろうけどネットでDLできないなら保育園が開いてる間は可、とか市役所が何かしらフォローするとかあればいいのにそれもない。
10時-16時って中抜け出来る仕事ならいいけど、そうじゃないなら無理でしょ。
育休中なら妻が出来る!って前提なんだろうけど私のような里帰り中の妊婦もいたりするわけで。
夫にお願いしてるが仕事が繁忙期前でなかなかタイミングがないようだ。
うちは「絶対に4月!」ってわけではない(そもそも9月出産になってしまったので申込めないかな)のでもう諦めてるが、そうじゃない場合は詰んでるよなー。
(追記)
全然突っ込んでもらえないからネタバラシするけどイマジナリー息子とイマジナリー私のお話です
(追記終わり)
写真を整理していたら色々思い出したので、今更ながら日記に残したいと思う。
何を隠そう、私は動物園が大好きだ。
小さい頃は、休みのたびに両親にせがんで動物園や水族館に連れて行ってもらったものだ。特にアメリカバクやオタリアなど大きくて柔らかそうでヌメッとしていそうな動物たちの不思議な造形と質感が大好きだった。
本当は息子ももっと早く動物園に連れていきたいと思っていたのだが、このご時世おいそれと遊びに行けるわけでもなく、調整に調整を重ねてついに実現できた、満を持しての動物園デビューだ。
私の英才教育のおかげですっかり動物に興味を持って育った息子はもちろん、久々に動物に触れられると思うと私も楽しみで仕方がなかった。カメラに双眼鏡、スケッチブック、前日夜から念入りに準備をした。当日は動物園の近くのコッペパン屋さんに寄ってお昼ごはんを調達し、開園時間と同時に動物園に飛び込んだ。
ちなみに入園は時間予約制となっているので、これから行こうと思っている人は気をつけよう。
予習バッチリな息子はまずオカピを見たいとリクエストしてきた。良いチョイスだ。
知らない人もいるかもしれないので解説するが、オカピは茶色いわがままボディにしましまの手足とお尻がキュートなキリンの仲間だ。
いわゆる珍獣として話題になり、私も子供時代にたいそうおもしろく観察したものだが、今も変わらず珍獣のようだ。オカピの魅力を一発で見抜くとはさすが我が息子。
どちらかと言うと人間に興味がなさそうなイメージのあるオカピだったが、この日は草を喰みながらじっと息子を見下し…見つめてきた。ああ、ちょこんとした角がかわいい。息子も一生懸命見つめ返して、スケッチを取る手が完全に止まっていた。
ちなみに私はオカピの近くにいるハシビロコウがお目当てのひとつだった。ハシビロコウは鋭い眼光と巨大くちばしが特徴的な大きな鳥だ。一時期「動かない鳥」として話題になったこともあったが、少なくとも動物園で見ているぶんには結構動く。大きく形の良い羽がふわりと膨らみ、瞬きするたびに淡く澄んだ灰色の瞳がキラリと輝いて、実はとてもきれいな鳥だと思う。私が見たときはオスとメスが一羽ずつ、一つの大きなケージに入っていた。繁殖にチャレンジしているのだろう。ちょっとオスが奥手なのかな?メスの気が強いのかな?人間目線ではあまり上手くいっていないように見えた。頑張れオス。
この調子で一つ一つの動物を語っていくと永遠に終わらないので一気に端折るが、結果として息子は大変満喫したようだった。
おみやげコーナーで新しい図鑑を買ってあげたら、今日に至るまで毎日飽きずに読みふけっている。ちなみになぜかイルカのぬいぐるみも欲しがったが、動物園にイルカはいなかったので許可しなかった。見ていない動物を実際に見た動物より優先させるのは私の教育方針に反する。ニシキヘビなら買ってあげるよと言ったら、少し迷ってから「いらない」と言われた。それから更に色々迷って、結局ホッキョクグマのリアルな模型を買ってあげた。
そういえばコッペパンも美味しかった。私はやはりベーシックなポテサラが好きだ。息子はいちごホイップが気に入ったらしい。
動物園から帰った日の夜、息子がしみじみと「ぼく、あんなにたくさんの動物に会えたなんていまだに信じられないよ。動物園って天国だね」と言った。
妙にませた口ぶりにちょっと笑いながら、私は「そうだね、でも昔は『狭い檻に動物を閉じ込めるなんて動物がかわいそうだ!』って動物園のことを嫌う人もいたんだよ」と教えてみた。
息子はかなり驚いたようだった。そりゃそうだ。いわゆる「野生動物」が自然界から消えて久しいのだから。
野生動物は絶滅した。動物園でその名残をかろうじて確認できる今の世界しかしらない息子には、自然が溢れ、野生動物が溢れていた時代など信じられないだろう。息子より先に生まれた私でも実際に見たことはなく、最初は理解できなかったのだから。
一部の愛護団体から動物虐待だのなんだのと批判されていた動物園が、動物たちの最後の砦となり、今では動物を愛するものは皆動物園にすがっている。皮肉なようにも見えるが、まあ動物園はもともと博物館の一種であり、動物や自然の保護や研究、教育普及を目的とする施設である。当然の結果とも言えるだろう。
ともあれ、息子の動物園デビューは大成功だった。また近いうちに、息子と一緒に動物園に行こうと思う。コビトカバと息子のツーショット写真撮り損なっていたし。