マスク着用拒否により飛行機から下ろされた人が居た一件以降、マスクを着用できない人への視線がさらに厳しくなったような気がする。
最近そう思うことが増えた。
マスクをしてない=わがままな人というレッテルを貼られているようで、とても周りの目線が怖い。
自分はパニック障害によりマスクができない。感覚過敏症もあり、締め付けがあるものも極力避けるように主治医から言われている。
口を塞がれる状態になると発作になったりするのだが、スーパーでマスクができない旨を伝えると、ハンカチを当ててくださいと言われた。
ハンカチが当てられる状態なら、マスクだってできるのではないか……。
少し前、海外のディズニーでマスク着用できずに入園拒否になった件も見ていたけれど、娯楽施設であればまだ行かないという選択肢がある。
行かないという選択肢が取れない場所でマスク着用できない人はお断りと言われる。
マスクを無理に着けようとして体調が悪くなって昔から通っている病院に行く。
すると受付の人にマスクを着けてくださいと言われる。
着用できないのですが。
そう返答したのだが、着用してくださいと再び言われる。
困って固まってしまった自分に、忘れた人のために用意されたマスクを1枚差し出され、口元に当ててくれた。
口元が塞がれたことによりすぐに過呼吸になり発作が起こって待合室から奥のベッドに運ばれた。
あちらは親切でしてくれたのだと思う。
口元にマスクを当ててくれたのはそのスタッフさんの親切心だと思う。
マスクをしてない人がいると他の人も不安に思うだろうというのもあると思う。
けれど、そういった事情のある人が受診する病院で、マスクをしてないのは単に忘れたからなのか事情があるのか聞いてくれても良かったのではないかと。
マスクが着用できずに困っていてその病院を受診するのに、マスクを着けてくださいと言われるのはとても理不尽な気持ちになる。
どうやって生きたらいいのだろうか。
病気によりマスクを着けられないのはわがままではないので申し訳ないし許してほしいと思う。
けれど、マスクを出来ない人である自分はずっと申し訳ないという気持ちを持って生きなければいけないのか。
もし自分に他の身体に障害があって、例えば車椅子で生活していたとしたら、バスの乗り降りの度に時間がかかってすみませんと思わなければいけないのか。
ベビーカーで電車に乗ったらスペースをたくさん取ってすみませんと思わないといけないのか。
どちらも最低限必要なことをしているだけで悪いことをしているわけではないのに。
すみませんと思わない人は図々しい。すみませんと思わないと許さないという、日本人の謙虚じゃない人は許さないというような圧力を感じている。
それってなにか違うのではと思う。
いろいろ事情はあれど、自分が悪いわけではないのに、ずっと申し訳ないと思わないといけないのかと。
弱者と言われる側の人が普通に生きているだけで負い目を感じて生きなければいけない社会は悲しいと思う。
図々しく生活するのが正しいとは思っていない。
もちろんこちらの努力として、マスク着用できないことを理解してもらうために名札を下げて生活している。
けれど1日に何回もマスク着用できないのかと聞かれて、何回もすみませんマスクできなくてすみません、と唱えて生きているととても辛い。
何度も何度も、1日のうちにその会話だけでどれだけの時間がかかっているのだろうと思う。
申し訳ないな、と思わなくても普通に生活できるように社会が寛容になってくれたら、と思う。
そういう世界にならなければ自分はもう最低限の買い物にも行けない。
仕事は在宅で出来ているものの、買い物に行けないので自炊が出来なく、食事は全て宅配に変えた。けれど金銭的に負担が多いので1日の食事回数を減らした。
宅配の種類はまだ選択肢が少なく、自炊ではないので栄養バランスも偏っていると思う。
日用品も通販で買えるものもあれば買えないものもある。そして送料もかかる。
事前に買ってストックしているものもあるけれど、日常では突然買い物しなければならない場面もある。
マスク着用できないことによって《お断り》され、外に出られないことは金銭的な負担がとても大きい。
(そんなこと書いてる店はないと思うが)
【マスク着用できない人はお断り!】と書くのは差別ではないかと思う。
店側は
事情によりマスクを出来ない方はできる範囲でご協力ください。】
などにしてくれたらありがたい。
マスクをしてなくても咳やくしゃみをするときには人の方を向かない、ハンカチでガードするなど最低限のことは守っていくので。
そしてマスクしてない人=わがままな人というレッテルはやめてもらえたらありがたい。
どうか、マスク着用してない人を見ても、事情があるのだと察していただけたら嬉しい。
すみませんと1日に何度も唱えて辛い思いをすることなく、事情を受けれてくれて、フラットに生きられるバリアフリーな社会になるといいなと思う。