2021-02-05

子どもができてしまった親の元に生まれ

私には1歳終わりごろから記憶がある。もちろんハッキリしたものでは無い。1歳半で引っ越したはずの部屋の間取りや、そこでのできごとをいくつか覚えているだけだけど。

両親は学生デキ婚学校中退

父は突然の社会人家長になり、土日も関係なく働いてほとんど家にいなかった。母は平日昼間はなんとなく家事をこなし、午後はほとんどずっと誰かと電話していた。何を話していたのかはよく分からなかったが、私は電話する母の背中を見ながらいつも「おやつまだかな?」とか考えてた。

幼稚園入園準備を始める頃になっても、母は相変わらず午後の時間ほとんどを誰かとの電話に費やしていた。その頃には私も、母の電話の内容も何となく分かるようになっていた。「夫が育児を手伝わない」「子どもいるから遊びに出かけられない」「まだ学校に行きたかった」

母の会話にいつも出てくる「学校」。黄色帽子とつやつやしたランドセルを背に、アパートの前の通りを賑やかに歩いていく小学生は確かに楽しそうで、母が憧れるのも分かる。

私は母を喜ばせたくて、週に何度もダダをこねては小学生の隣の図書館に連れて行ってもらった。自転車の後ろの椅子で母ながら、学校に行けることをさぞ喜んでいるだろう、と、自分ワガママを誇らしく感じながら。

でも結果は母の電話に「毎日毎日図書館に連れて行けってうるさい」という愚痴が加わっただけだった。

この頃の父についての記憶ほとんどない。たまに3人揃って夕飯を食べるとき、母がウキウキしたりイライラしたり、空気ちょっと変わるのを感じていたくらい。今より「育児母親仕事」な時代だったし、私の世界ほとんどは母が占めていた。

幼稚園の終わりごろに弟が生まれると、母は弟のママになった。

私のことは相変わらず「学校に通えなくなった原因」なのに、弟には甘い声をかけ、一挙手一投足を柔らかい目で追うようになった。誰かとの長電話ほとんどしなくなった。

そしてこの頃から私は、母に愛されたいと期待するのをやめた。

今では私も家庭を持った。両親とは程よい距離感で接するし、はたから見たらむしろ仲は良い方かも知れない。

言葉は分からなくても、子ども空気を覚えてる。自分が我が子の目にどう映るのか、彼もしくは彼女にどんな背中を見せることになるのかが怖くて、子どもはまだ作れない。

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