私には1歳終わりごろからの記憶がある。もちろんハッキリしたものでは無い。1歳半で引っ越したはずの部屋の間取りやそこでのできごとなどをいくつか覚えているだけ。
両親は若くしてデキ婚したので、父は慣れないサラリーマン生活で土日も関係なく働き、ほぼ家にいなかった。母は平日昼間はなんとか家事をこなし、午後は夕飯の支度の時間までほとんどずっと誰かと電話していた。何を話していたのかは言葉が分からなかったので分からなかったが、電話する母の背中を見ながらいつも「おやつまだかな?」と考えていた。
2歳を過ぎて幼稚園の入園準備を始める頃には、母が何を話しているのかほとんど理解するようになっていた。母は相変わらず友人との電話で呪詛や愚痴を話していたの。「夫が仕事ばかりで育児を手伝わない」「子どもがいるから遊びに出かけられない」「まだ学校で勉強したかった」「自分の時間が取れない」
母は学校が好きなんだと勘違いし、近所の小学校の隣にあった図書館に行きたいとねだって機嫌をとろうとした。しかし母の電話に「毎日毎日図書館に連れて行けってうるさい」という愚痴が加わっただけだった。母に好かれたくて図書館をねだったので、とても悲しくてその夜はなかなか寝つけず。また母を怒らせ「夜も寝ないからたいへんだ」と愚痴らせる結果になった。
父も卒業式を経ずに学校を出て、突然社会人になったのでそれなりに大変だったんだろうと思うが、父についての記憶はほとんどない。たまに3人揃って夕飯を食べるとき、母がウキウキしたりイライラしたり、空気がちょっと変わるのを感じていたくらい。今より「育児は母親の仕事」が当たり前だったので、私の世界のほとんどは母が占めていた。
幼稚園の終わりごろに弟が生まれると、母は弟のママになった。私のことは相変わらず「学校に通えなくなった原因」と捉えているようで、結婚生活で生まれた弟には甘い声をかけ、私には「大きくなって去年の服が入らない」「体重が増えたから自転車に乗せて行くのがしんどい」など、八つ当たりに近い愚痴を私本人に言うようになった。この頃から私は母に愛されたいと期待するのをやめた。
反対に父は、キャッチボールができる年齢になった私に興味を持ちはじめたようだったが、私は親に何かを期待するのを諦めていたので、どこか少し距離を起きながら接していた。
今では私も成人を超え家庭を持っている。親とは程よい距離感で接する普通の大人になった。言葉は分からなくても、子どもは空気を覚えてる。