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2018-12-01

外資で働く(GAFA編)

NTTの次は外資か?

https://anond.hatelabo.jp/20181201024136

ということで、GAFAのどれかでの勤務経験を書いてみる。

開発系ではなく総合職としての経験です。

入社

多くは中途入社だが、最近新卒も入ってきている。割合10対1ぐらい?

以下では特に言及がない場合、中途入社のケースについて書く。

中途採用しょっちゅう行っており、業務の内容や雰囲気などは部署上司によって大きく異なる。しかコロコロ変わるので1年前と大きく違うってことはザラ。もし内部にコネクションがあるなら必ず確認することをおすすめする。

無理ならガチャ。ただし一度入ってしまえば、評価が人並み以上なら社内異動は入社よりもはるかに楽だし、情報収集もしやすいので、一度入ってから希望部署に異動するルートおすすめ。もちろん最初部署でそれなりに評価される必要があるけどね。

英語

みんな気になる英語職種部署によって大きく変わる。

外人部隊部署だと公用語英語だし、日本人しかいない職場いくらでもある。その場合でも最低英語ツール簡単メールが読める(みんなWeb辞書使ってた)のは必須。これくらいはできないと仕事にならない。自分でもとりあえずコミュニケーションできる程度に書けると尚可。これはエージェントかに聞くと教えてくれると思う。ここでミスマッチが起こると採用しても意味がないから。

日本人しかいない系の部署英語の聞く・話すでコミュニケーションが取れるレベルだとかなり重宝される。仕事アサインも変わってくるので、評価・昇進などにかなり有利。

電話会議海外とのやり取りがあるポジションだと、相手性格などにもよるけど面と向かって話すより難易度は高い。早くYoutubeみたいにリアルタイム字幕生成して欲しいと思ってた。

英語学習は英語クラスとかオンライントレーニングとかもあるし、何より仕事外国人社員が一杯いるから実地で使える場面がいくらでも作れるのが良い。積極的に使っていけばガンガン鍛えられる。入社当初は初級クラス英語クラスに入れられてた人が電話会議単独で回すレベルになってたりした。

給料

中途で日系企業だと平~主任クラス入社した場合職種にもよるが大体以下の感じ。

基本給500-800万円 +株200-400万円

株は年2回の現物支給なので、ストックオプションみたいに値段が多少下がっても価値があるのは良い。確定申告必要になるのはめんどくさい。最初の1-2年は株に相当する金額を一時金として貰い、2-3年目から株での支給が始まる。営業系は部署によってはコミッションもあるけど詳細は知らない。

給与職種と職位によってテーブルが決まっている。テーブル金額のものも毎年多少変動はするようだが、大きな変化はあまりないはず。年1回の昇給は基本雀の涙。大きく昇給するのは採用時の給料が安すぎて調整が入ったときか、昇進候補として高評価をされているとき。大半の社員は1-3%程度の昇給率が多い。これ以下の時は逆に低評価可能性あり。

ちょっと前までGAFA株価がイケイケだったので、株を200-400万円分として年始に株数が決まっても、もらう頃には勝手に増えてるというのが当たり前だった。今は調整局面ぽいので今いる人はどう思ってるんだろうな。

同じ職位でもマネージャーになる、異動により職種が変わると昇給チャンス。事務系より管理系、そして開発系が給料はよい。

もちろん最大の昇給チャンスは昇進。課長クラス以上は以下の感じ(上の方は想像&人による差が激しいはず)。課長とか言ってるけど必ずしも管理職ではなくピン芸人もいる。上に行けば行くほどほとんど管理職だけど。

課長クラス

基本給800-1200万円 +株300-500万円

部長クラス

基本給1200-1800万円 +株500-1000万円

本部クラス

総額2000-4000万円ぐらい?

役員クラス

雲の上過ぎて不明。億とか?知らんけど。

計算してもらえばわかるが、基本給1000万円でも1.5%の昇給だとたったの15万円だけ。同じポジションに居続けると基本的給料殆ど変わらず、待遇を大きく変えるには異動か昇進がほぼ必須

残業とか

部署ポジションによる差が大きい。不夜城チックなところもあれば、18時前には誰もいない職場もある。正直ガチャ

自宅勤務やフレックス有給子育てなどによる変則勤務(8時に出社して16時に一旦帰って家から時間仕事するとか)はかなり寛容。

解雇

外資方針として使えない人材は切るという目標があることが多いが、その上には日本法律があり、ガンガン切るのは訴訟リスクがあるため無理。まともな部署上司ならそれなりに救いの手を差し伸べてくれるはず。それでも無理ならそもそもミスマッチだったか、本当に能力不足かどっちかだ。

元の投稿のようにセクハラなどの瑕疵があった際には容赦ないのはホント一般社員はいいことだけどね。

人間関係

同様に職場などによってかなり変わる。ガチ日本企業的な宴会芸とか用意しちゃうノリのところも無くはない。基本的にはドライな傾向はあるし、上記部署ドライ関係を貫いてもそこまで孤立しないと思う。

なお、GAFAクラスだと同僚に滅茶苦茶優秀な人がいたりして圧倒されるがすごく勉強になった。そういう人とコネクションができるのもメリットだね。

会社方針

日本企業と比べて本気で会社理念とかスローガン的なものを上から下までしっかり活用している。GAFAぐらいだと具体的な理念とかはいくらでも見つかるので、本気で共感できるならきっと合うと思う。

日本企業だと大半はシニカルな態度か無視だと思うけど、外資だとそこは本気でやれる人じゃないと出世できない。ここは好きなポイント

まとめ

語学力なんてなんとかなる。

先の保証がないのは日本企業だっていつ倒産するかわからいから一緒。

それなら自分がやりたい仕事がそこにあるならチャレンジすべき。

僕はもう日本大企業には戻れないな。外資か、スタートアップ企業文化が合うところじゃないと無理だと思う。それくらい日本特に古い、大きい企業とは格段に違った。

2018-11-30

anond:20181130225555

そういうシニカル冷笑系がカッコイイって風潮なのでは。

屈折しているだけで

夢はあるんじゃないかな。

2018-11-25

anond:20181125081132

時間バス地下鉄3本以下クラス以下の郊外田舎では車がないと生活が成り立たない。

時間4本はバス地下鉄が当たり前に来る行動範囲だけで暮らしてるやつだけが成り立つ。

あと、堀江とか西村とか、あんなの逆張りシニカル野郎だろ。アイツラの名前を出してる時点でお里が知れるってもんだ。

2018-11-23

最近現代人は画一的」という風潮が薄れてきている

一昔前はそんな風潮がゴロゴロ転がって現代アートとかコラムニストとかがそんな状況を皮肉ってたのに

なんか最近LGBTとか人種とか社会多様性が、客観的に見ても増しているのが明白で、

多様性積極的な人は「今の社会多様化しているが優しくない!早期改善しろ!」と言うし

多様性消極的な人は「今の社会多様化しているが間違いだ!明確な規制を求む!」と言う

いづれにしてもどちらの勢力も「今の社会多様化している」という共通認識を持っていることが面白い

あれだけ蔓延っていた「現代人は画一的でつまらない」というシニカルな風潮は、いまやどこ吹く風ってか

2018-10-20

anond:20181020191127

簡単啓蒙レスでもすれば、誰かのバカへの堕落を止められるかもしれないのに。

シニカル増田してても、虚無だぞ。

2018-08-28

ちびまる子ちゃん」の連載開始時、私は『りぼん』を既に読み始めて

いただろうか?

さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。

当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎女児ぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。

その『りぼん』で、明らかに異質だった作品が二つあった。

言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症である

私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。

逆に「ちびまる子ちゃん」は癒し作品だった。恋愛もの息切れした女児オアシスのように、まる子はただただ普通に家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカル空気を携えて、毎月私の所へやってきた。

そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃん引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。

お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。

乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん作品は、基本的には未来指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。

そういう理想の学園生活キラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。

女の子はいつか好きなひとが現れる」

「今よりももっとかわいくなれる」

その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。

作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。

その点で、「ちびまる子ちゃん」はラクだった。

前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代モデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。

まる子も成長し、恋愛や友人関係自分コンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ

私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。

勿論リアルタイムで読んでいた小学時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。

クラスのどのカースト女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品代表格だった。

その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配コラボ掲載巻は実家にあると思う。

成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。

そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。

私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。

しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。

どうか、ご冥福をお祈りいたします。

ただ、訃報に触れて思い出してしまった「ちびまる子ちゃん おこづかい作戦!」。

てめーはお年玉をつぎこんでしまった元小学女児として許さねえよ……という気持ちは、今も捨てられないようだ。

2018-08-18

頭の黒い鼠についてっていう便所の落書き

※以下の文章を書いた人間は、2018年の夏のある日、何者かに連行されて戻ってきませんでした。多分どこかの留置所で鼠に囲まれ暮らしているんだとおもいます

オリンピックを2年後に控えた平成最後の夏を送りながら、なぜオリンピックに向けて気持ちが盛り上がらないかをつらつらと考える。

こういった大きなイベントに無邪気に期待を寄せられなくなってしまった原因のひとつは、純粋イベントの本旨を楽しめなくなったためだ。オリンピックはその事前準備で、政治的な思惑に翻弄されまくりすぎた。復興五輪だと言い出したのは誰だったか、今となっては定かではない。復興に手を貸してくれた世界復興状態を知ってもらう、興味を持ってもらうということ自体は素晴らしい。しかし、例えば小池百合子氏の、長沼ボート場を巡る一連の経緯を見ると、うんざりしてしまうのだ。

頭の黒い鼠とは何かを調べると、こんなのが出てくる。インターネットは便利だ。

曰く、食物などをかすめ取る身近な人をネズミにたとえた語、物がなくなった時に、身近にいる人間が盗んだのだろうということを暗にいう言葉だという。

都民は失った。オリンピックの時に輸送を担う大動脈となりうるはずだった環状二号線輸送能力とか、元から安全性には問題がなかった豊洲ブランド安全イメージとか、年間200億円に上る市場移転延期経費とかを。そして何より、もっと健全な都政というサービスを受けられるはずだった2年間を。怪我の功名的に交政審の優先して整備されるべき6路線が整備されることになったのは皮肉だ(こんなのいままでだったら都が基金を積み立てるなんてあり得なかったが、彼の方が手柄を焦ったがために成立したように見える。早速8号線に江東区が食いついているし)。

そろそろ都民は気がついていいと思う。ていうか気がついているか

オリンピック施設見直しや、豊洲市場移転の一連で「支持率」とか「イニシアティブ」とか「期待感」とかっていう名前の”利権”をむさぼっていたのは誰なのか。そしてむさぼり尽くした挙げ句に後に残った膨大な敗戦処理をひっそりやり過ごそうとしているのは誰なのか。見せ方だけで国政に打って出ようとし、あまつさえ自民党の寝首すらかこうとし、さすがにそれはけっちんを食らって以来イメージカラーと称する緑を封印し、ギトギトしたイメージ払拭することに必死で、2020年に再選を狙っているのは誰か。

これの1:48から顔面演技がとても好きで、シニカルな笑いをウィスキーの肴にしている。

こういう顔面芸でコトを進めるのではない、重厚で落ち着いた人が知事にならないだろうか。都道府県政策遂行こそ、地に足の着いた住民本位のものであって欲しい。そういうのを見て国政が襟を正すくらいの、粛々とした都政運営であって欲しい。

そういうファンダメンタルな部分がしっかりしていて初めて、都民オリンピックに無邪気に期待できたりするのではないだろうか。

小池氏の政策の特徴のひとつイメージ戦略が幅をきかせることであるイメージ戦略も、確かに重要だろう。しか小池氏のはイメージ「だけ」戦略ではないか首をかしげものが多い。ボランティアユニフォームダサいからもっと格好良くします、とか、&Tokyo意味からないのでTokyoTokyoOldmeetsNewにします、とかは、舛添前知事カラーを消し去るためとしか意義が見いだせない。実際、ダサいといわれるボランティアユニフォームは新デザインと併用で継続使用しているし、TokyoTokyoについては意味不明度合いでいうと&Tokyoとどっこいである。首都大学東京については石原慎太郎のネーミングセンスが悪いのはわかるが、それを変えろと言い始める時点で同じ土俵に乗った愚策になるという感覚がない。というか前の知事がやったことの色消しに躍起になるところが、そういうレベル勝負していることが透けて見えて、心胆を寒からしめるのである。前政権政策否定トランプ大統領十八番だが、あちらは内容に賛否があるとはいえ公約実施である。翻ってこちらは実施意味がよくわからない。東京さくらトラム都電荒川線で良かろう。そんなものに一体、いくら予算を割くつもりか。

小池氏が展開するイメージ戦略個人的に最悪だと思っているのは、氏自らを指して女子呼ばわりすることである首都トップに君臨する首長が自らを指して女子呼ばわりとは、悪い夢である。一回ジェーン・スーに3時間くらいぶっ続けて説教されるといいと思う。そしてそれを氏のお好きなニコニコ動画で流してみればいいのではないか自民党代表される旧弊いじめられ、ガラス天井に阻まれるかわいそうな、しかしそれに負けない女子小池百合子66歳。サリーちゃんメーテルコスプレもしちゃう(これについては、体制側がカウンターカルチャーにすり寄るナンセンスを指摘したいが、本旨からそれるのでやめる)。

強権発動して見せしめに部下や先達の粛正をするあたり、独裁者のよくあるスタイルである。どうせ強権を発動するのであれば、今時の民主主義的なやり方では速成が無理な都市改造を広域にするのが良かろう。狭域でデベロッパーどや顔して整備する拠点開発に蹂躙される東京ではなく、広域で東京都ならではで推進できる内容を実施してみるのはいかがか。独裁者トップに立ってきれいになるのは街並みと軍服くらいしかないのだから。でも小池氏は多分、しない。そこまで腰の据わった政策論を持っていないのだからだって鼠だし。コスプレが好きな氏のこと、ミッキーマウスになれば見栄えも受け入れられやすいかも。あ、女子からミニーマウスか。

2018-07-20

アイコンとか印象が強いブックマーカー2018

http://b.hatena.ne.jp/entry/kido-ari.hatenablog.com/entry/2018/07/19/222200

このエントリ増田ブックマーカーが中心だけど、よくスター上位で見かけるアイコンとか印象が強いブックマーカー集めました。

なお主観なので異論は認める

b:id:vlxst1224

言わずと知れた属性で死んじゃう人。個人的アンデッド1224さんと呼んでる。

b:id:AQM

ブコメ上位率高い感ある人。やさしい。アイコンアラレちゃん帽子についてるやつなのかな。

b:id:pptppc2

顔が怖い。なんなんだ。ブコメ数そんなに多く無いのに顔が怖いので印象に残っちゃうおもしろブコメが多いのに顔が怖い。

b:id:kido_ari

アリさんカワイイカワイイよ。最近めっちゃ見かけるようになったのでヒアリかも知れない

b:id:whkr

よく見るし結構古くからいる感が。アイコンfeita氏に作ってもらったそうで、遺志を継いでいるのかも知れない(死んでない。トラディショナルブコメが多い印象

b:id:c_shiika

よく見る。アイコンが謎、歯みたい。ほにゃっとしたブコメが多い印象

b:id:iGCN

目が光るにゃんこ、と認識してたら目は光ってなかった。シニカルブコメが多い気がする。

b:id:sds-page

ブクマ無茶苦茶多いしよく見る。アイコン電子誘導の何かで、そういうなにかなんでしょう

b:id:cj3029412

よく見るし結構からいる感じ。アイコンシロクマ

b:id:koenjilala

ニュースとか時事ネタで見かける三日月お姉さん。面白いブコメも多い。

b:id:shields-pikes

モフモフ社長全然モフモフしてない。自己主張激しい人なんだろうなと言う感じ(←悪口じゃないよ)。

b:id:bocbqcmn

女性の顔出し珍しくね?本人の顔なのか知らんけど。ブコメは柔軟で元気な感じ。

b:id:xevra

みんな大好き(大嫌い)ゼブラ先生。本当に瞑想してんのか?

b:id:kowyoshi

古参カカシさん。カカシだけにバランスに飛んだブコメ感。

b:id:sabacurry

増田発掘委員会(なんだと思う)のサバカリさん。アイコン歴代カワイイブコメは短い文が多い。

b:id:yoiIT

サングラスの人。ブコメで見かけると「あっサングラス!」とギョッとしてしまう。ブコメバランスよく普通なんだけど

b:id:weep

個人的に泣き餅さんって読んでる。餅がないてるみたいに見えるよね?ブコメトラディショナルな感じ

b:id:bottomzlife

攻撃的なせいか本人のブコメブコメは不評な意見が多い。花が咲いてる木のアイコンだと思ってたら子供のケツであった

b:id:jt_noSke

言わずと知れたダジャレ先生だが最近少なくね?ブクマ数は無茶苦茶多いので多分岡三マンだと思う

b:id:blueboy

からいる感。アイコンカワイイくて〜〜だよ、って口調柔らかいけど時々辛口

b:id:metroq

大仏さん。めとろだけにレトロ感あるアイコンブコメ短文が多い気が。〜〜ではという提案の口調が多いのでは

b:id:zeromoon0

ましゃん。かわいいカワイイけど古参ぽくて怖い

b:id:REV

個人的に犬だと思ってたら猫がひっくり返っていたアイコンだった。超絶古参で生き残っているということからどういう人物かは自ずと分かるであろう

b:id:ninosan

アイコンかわいい感があるけど噛みつき屋さん。口が無いけど。口悪いけど流れにカウンター入れようとしてる感あるので意外にバランス見てるのかもしれんが見てないのかも

b:id:QJV97FCr

ビオレの人。ブコメ上位にいる事が結構ある。ブログでは何故か婚活一生懸命していて面白い

b:id:mazmot

b:id:azumi_s

時事ネタでよく見かける。可愛いアイコンだけどきっとおっさんなんだよなーと思ってる

b:id:kibarashi9

セルフブコメスターの人。毒舌キャラで行きたい感があるのだろうけど今ひとつキレが鈍い。精進して欲しい

以上、みんなこれからも頑張れよ



b:id:msdbkm

ブコメでみんなへの幸せを考えてくれた人。優しい人なんだと思う。指摘に従って修正しました。

2018-06-07

戻って参りました!

はてなの、技術を愛しシニカルな笑いを求める雰囲気が好きだった

ただ、政治経済わかってます的なこと言ってても浅すぎることが嫌いで、どんどん鼻につくようになった。

保育園死ぬかのころ、はてなを離れることにした。

あの文自体はよかったのだが、勢いを増した浅はかな輩が大きな声をだすようになったから。

しばらくはボケて活動をした

キッズの多さにはまゆをしかめる。でも、政治経済わかってますよ顔する人はいない。わかりやすバカコメントをするだけだ。それ以外は、全部楽しい

長くなったので、このへんでやめて、画像検索して手を動かして寝ます

2018-05-13

俺はそういうアイドル推したかったわけじゃない

2016年末にリリースされた「二人セゾン」は、アイドル素人の俺の絶妙な隙間に入り込んできた。

ストリングスの効いた美メロ4つ打ち制服姿のアイドルたちのコンテンポラリーダンスフォーメーション湾岸都市の無機質さに対比する彼女たちの笑顔

それまで持ってきたアイドルへのステレオタイプが崩れていった。

俺の彼女らへの感動がピークに達したのは不協和音カップリングエキセントリック」のMVを観た時だった。

普通/エキセントリック の対比に苦悩する主人公を謳う内容の楽曲

「僕は普通と思ってる みんなこそ変わり者だ」のタイミング彼女らのダンスは紛れもなく「エキセントリック集合体」を表現し、結局主人公や周りの人間らは見方によって普通にもエキセントリックにもなれてしまうという非常にシニカルな内容になっていた。

ここまでシリアスな内容を表現できる1020代女の子がいることにただただ脱帽する限りだった。

そしてバラエティに出演すれば素朴な笑顔ややりとりを繰り返のがまた彼女らの魅力だった。

しか2017年末の紅白出演から、俺の中で何かが変わっていった。

共演する内村光良が真顔で心配するほど平手友梨奈限界を過ぎたパフォーマンス、終演直後の一部メンバーが倒れたことは切実な他のメンバーの切実な表情を切り取った写真とともに速報された。

限界ギリギリで頑張っている少女性、俗な言い方をするならスポ根的な、そういう少女たちのアティチュード。

これは確かにアイドルにおいてとても話題になるし、アイドルを推す側にとっても「あの子たちが頑張っているから推せる」というモチベーションに一番つながる。

ただ紅白でのそれは正直限界というか、度を過ぎていた。

自身が多少ならずともパフォーマンスする側に立っていた人間からそそう思うのかもしれないが、演者舞台上で倒れるなどあってはならない。

そして運営からはいくらかのお知らせがあり、一部のメンバーからブログインタビューで「もう大丈夫です」といった内容の告知があり、この件は収束した。

収束した、ようにさせているようにしか見えなかったが。

2月に初めて全握に参加した。

昼ごろのミニライブ終了後、屋外に3時間待機してレーンのメンバーふたりに対して計6-7秒程度の握手

わかったのは想像以上に画面で見る本人らより実物はとてもかわいかったし、きれいだった。

ただそれ以上のことは特に感じられず、メンバーらを見世物のように感じてしまい、もう全握には行けないような気がした。

あの場に行って感じたが、いろんなものが過密化していて、それでいて握手して直接会っているにも関わらず結局メンバーとなにかコミュニケーションがとれているというわけでもない。

夥しい数の観客がいるのに、この中の一体何人が本当にメンバーコミュニケーションがとれたのかと思うと、ひどく虚しい環境のように感じられた。

そしてまた俺自身のそういう過熱しすぎた環境に加担してしまっているとかと思うと、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

その帰路で、たまたま日向かいの会場で行われていたももクロの有安卒業ライブ待機列との熱量を、どこか羨ましく思う自分がいた。

今年は平手友梨奈不在のライブが続いた。

そしてほか数人のメンバー欠席のままワンマンライブフェスへの出演。

その度に聞こえてくる「不在のメンバーがいても素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられている!」という賛美の声。

そうだけどさ、そうじゃないんだよ。

全員選抜でずっとシングルリリースしてきて、21人でずっとやってきたんじゃん。

それでてメンバー足りなくてもすごいって、休んでる方も出てる方もどんな気持ちなんだよ。

それでも色んな意味での「運営」は滞りなく続いていくの、本当になんなんだよ。

俺はそういうアイドル推したいんじゃないんだよ。

21人がちゃん健康活動を頑張っている姿が好きだったんだよ。

それこそ二人セゾンのあの笑顔が見たいんだよ。

アイドル推すのってこんなに大変なことだって知らなかったよ。

2018-04-06

anond:20180406171735

セール」と「バーゲン」の違いは何?

https://kiwi-english.net/23730

関西じゃバーゲンセールって普通に言ってます

私の同年代には通じます

いま「セール期間だよ」みたいには言うけど。

増田さんは10代?いつもそんなシニカルな喋り方なのですか?

2018-02-28

はてなーの6分類 & リリカルなのはへ至る道

聞いてほしい。

はてなー達の思考言動は、次の2項3軸、計6つに分けられると思うのだ。

 偽 ⇔ 真

 悪 ⇔ 善

 醜 ⇔ 美

これらを順に説明したい。増田であれ、ブクマカであれ、おおむねどの項目にも思い当たる人間がいることだろう。

あなた自身はどれに属するだろうか? 多数派はどれだろうか?

【偽】ソフィスティカルなのは

はじめに「真」なるものの対極を考えよう。すなわち「偽」である

あなた他人を「偽」に導く傾向があるならば、あなたはソフィスティカルなのはの一派に属する。

あなたは圧倒的な説得力拡散力を持って、嘘の情報流通させることができる。

嘘の内容は、人や社会の行く末を左右する重大なものかもしれないし、身の回り出来事レベルに留まるかもしれない。

注意しなければならないが、本来ここに分類されるのは、意図して人を騙す者のみであるしか「真」なるもの志向していても技術が不足すれば容易に「偽」に転じてしまう。

あなたがどの立場であろうと、何をもって真偽の判断を下すのかは慎重に考えるべきだ。

【真】ロジカルなのは

「真」を求める人々は、論理という道具を発達させた。

あなたがこの立場にいるならば、真理を主張するためには相応の技術、忍耐、慎重さ、そして誠実さが必要であることをあなたは知っている。

荒唐無稽意見を見ても傾聴せよ。正しいのは相手の方かもしれない。

不快放言を投げかけられたら自省せよ。あなたに見えていない真実相手が見ているかもしれない。

あなたの考えが論理的であればあるほど、第三者から攻撃には弱くなるだろう。それが論理本質である

真理に至れるのは、自身のその弱さに、そして弱いままで居続けることに耐えられる者だけなのだ

【悪】エビなのは

悪意を原動力とするあなたは、エビなのはである

それは利得のためかもしれないし、偽善者自己欺瞞を白日の下にさらすため、あえて露悪的に振舞っているのかもしれない。

あるいは、純粋復讐心に突き動かされているのかもしれない。はたして、苦しみに満ちたこの世の中で悪意を抱かずにいることは可能だろうか?

どちらかといえば、あなたの拠り所はあなた自身の中にある悪意であり、それをぶつける相手を具体的にイメージしているわけではないことが多い。

ただ、あなたが好むと好まざるにかかわらず、あなたの悪意は周囲に伝染し、永遠に新たな悪意を生み出し続けるだろう。

しか場合によっては逆説的に、同じ苦しみを持つ人を慰める結果となるかもしれない。

【善】エシカルなのは

善なるもの志向するあなたエシカルなのはである

この立場は、他のどの立場よりも考えるべきことが多い。

あなたのあらゆる行動が、そしてあなたが取らなかったあらゆる行動が、常に無数の可能性を生み出し続け、あなたはそのすべてに責任を持とうとするからだ。

善悪判断は何よりも難しい。あなたは悪を滅ぼすことこそが善だという考えに与するかもしれない。

あるいは、悪の敵は別の悪だと考えて、ひたすら悪から距離を置こうとするのかもしれない。

場合によっては、あなたはあえて深く考えず、ただ素朴に善くあろうとするだけかもしれないし、それが多くの人を元気づけ、本当に世の中を善くするかもしれない。

【醜】シニカルなのは

人をあざ笑ったり馬鹿にしたりすることを是とするあなたは、シニカルなのはの一派だ。

エビなのはと異なるのは、相手の醜さと愚かさを強調し、相手否定不快にさせることを最も重視するという点である

あなた攻撃は的確に相手精神発言力を削り、場合によっては再起不能にし、ひいては社会をも動かすかもしれない。

あなたがこのような行動に出るのは、あなたの信じる正義のためかもしれないし、他の理由かもしれない。

あなた言動は多くの人間気持ちを代弁することとなり、非難と同時に多くの支持をも集めるだろう。

また皮肉罵倒技術を高めた者同士の口論は、一種の高度な格闘技様相を呈し、見る者に活気を与えることになるかもしれない。

【美】リリカルなのは

あなたがここに属するならば、あなたのすることは一つである

感傷を、情緒を、時にはユーモアを、快く美しい言葉を紡いで歌い上げることだ。

真偽や善悪がいったい何になるだろうか。よしんばそれらが重要だとしても、それはあなた仕事ではないのだ。

美しければそれでいい。

その美しさは力となり、様々な効果を生むかもしれないが、それはまた別の話である

補遺

以上の分類は、複合・派生・細分化によって新たな分類を生み出しうる。エコノミカルなのはテクニカルなのはフィジカルなのは、などが代表例だろう。

他にも、ケミカルなのはトロピカルなのはマダガスカルなのは、なんてのもいるかもしれないが、このへんの人達の行動原理不明である


さて、いうまでもないことだが、もっと知名度が高いのは「リリカルなのはである検索すれば分かるだろう。

しか実態知名度に追いついているとは到底言い難い。過去に栄華を誇ったかもしれないが、それは過去であり、今ではないのだ。

今こそ、リリカルなのはの再興が待ち望まれているのではないだろうか。それなくして、未来は暗い。

今こそ、リリカルなのはである

お分かりいただけただろうか。


(追記)

「それぞれに理由がある。」というブコメがうれしかった。大喜利要素で茶化しちゃったけど、ほんとはこれを言いたかった。(「偽」の項の理由ちょっと足りなかったのは失敗。)あとリリカルなのはが好きなのは本当です。

2017-12-28

思い出が全て性欲に飲み込まれていく

ケース1 キノの旅

子供の頃→旅の景色想像したりシニカル世界観を楽しむ

現在キノさんがエロい目に会いそうな展開に逐一興奮し、興奮が高まった時は必死エロ画像を探してシコる

ケース2 グルグル

子供の頃→不思議世界への憧れから自分オリジナルグルグル妄想する

現在→ククリやジュジュの幼女みたいな体型に興奮してエロ画像を探してシコる

ケース3 CCさくら

子供の頃→自分がクロウカードの力を手に入れて夜の校舎でバトルする空想に浸る

現在→サクラタソのエロ画像キボンヌ

オタクって脳みそ精子でも詰まってるんじゃねーのか?

2017-12-24

[]

今回は少年ジャンプ+

バージンスーサイド

とあるドラマーが再起を決意する大きなキッカケを描いた作品

プロットも、登場人物たちの展開する理屈セリフもろもろが、実にありきたり。

前向きにみるなら、奇をてらわないプロットからこそ、より作家本人の地力が色濃く出ているともいえる。

コマ割、構図、セリフ文字の配置、1ページにおける情報量バランス感覚、どれも高い水準だと感じた。

模範生的な出来だと思う。

大山田帝国憲法

展開や世界観自体バカげているものの、メインテーマプロットと一貫しているので話は分かりやすい。

家族という、いわば小さな社会組織の中で法(ルール)というものシニカルに描きつつも、それ自体の大切さと意義を描いている。

画風は古臭いというか、そもそも上手くないけれども、テーマとそのプロットの見せ方はハマっている。

コマ割はやや杜撰なところもあるけれども、構図は悪くないと思う。


アップデート家族/第2回うすた京介漫画賞 準大賞

アップデートテーマに、概念を超越してギャグをどんどん展開していく。

そのギャグもどれも小粒ながら、ちゃんとネタとしてしっかりしている。

面白さは、個人的に大賞の作品と大差ないと思ったけれども、こちらは大喜利の延長線上みたいな、ストーリー希薄性が明暗を分けたかなあって印象。

ストーリーがほぼない分、本作のギャグがハマらなかったら評価すべきところがほぼないのと同義からね。


母さん…すまない……/第2回うすた京介漫画賞 大賞

ああ、これは大賞とるよなって思った。

ギャグ自体は尻叩きがメインで、それが一貫している。

でもストーリー自体が表面的には真面目だから、感動が笑いを生むっていう循環が良くできてる。

明らかにふざけたことを真面目にやっている世界観なのに、時おりマトモなことを言う登場人物たちは、それだけでギャグとして機能している。

2017-12-16

https://anond.hatelabo.jp/20171216083245

当時はまだ大学生だったけど、楽しかったよー。

テレビはまだ面白かった。特に夜のフジテレビカノッサの屈辱とか。当然番組サイトに対して、歴史的検証の違いに突っ込むつまらない真面目なブコメもあったけど、企画に乗ってぼけて盛り上がるブコメもあったし、togetterや、まだ人気があった2chスレもよくはてブトップにあがってた。

印象的だったのは、フーコーの振り子ボディコンギャルと一緒に一晩中流し続けてた番組。内容のシュールさもさておき、ブコメ地球平面説ユーザが湧いてきて、炎上会場が増田に移って、最終的にはコリオリの力説明するため、地球は平面だが自転しているというナイスな着地を見せた。いま考えると、着地点まで計算した上での高度な釣りだった気もする。

同じ夜でも、外に出れば、まだクラブとはあまり言わなかった、いまでいうディスコ六本木ベイエリアではたっぷり楽しめて、黒服チェックを通るためみんな必死バイトしてコムサコムデギャルソンやビギとかデザイナーズをマルイで買い漁ってた。古着屋も市民権を得始めてたけど、当時メルカリやゾゾがあれば助かっただろうなー。とはいバイトの時給も高かったし、扶養はみ出ないように店長退職金扱いで貯めてもらったり、家庭教師とかやれば月に20〜30万は固かった。はてブに出てくる話題はどっちかというと真面目なこういう方面の話かな。

なので、いざ就職ちゃうと毎月の手取りが逆にがくんと落ちちゃうのがありがちだったけど、当時の新卒就職状況はおそらくいま語ってもなかなか理解しづらいと思う。

月に二回ぐらい、玄関にでかくて重いダンボール勝手にドスンと届く。中身は、いろんな企業から会社案内がうず高く積まれもの、そして会社見学申込みハガキの束が何個か。千社規模の、紙の情報の塊だ。持つのしんどいほど重い。だいたいはろくに見ないでまるごと捨てるのだが、捨てるのも一苦労だ。ひたすら届いた箱とか、おもしろパンフツイートしてた奴もいて、その手のネタのまとめも乱立してた。

そんなノリだから、単にタダメシを食いに、あるいは先輩から金一封とともに頼み込まれて、会社見学会に行って席で寝ていれば、高級ホテルのディナーに、記念品詰め合わせに、ごちそうさま放題だった。もらったものは途中で開けてみて、ほとんどは駅のゴミ箱に捨てちゃってたけどね。

そういうインスタやまとめに、たまに企業の人事がキレて、さらにまとめられて炎上して、ブコメも山ほど付いてたけど、シニカルものは少なくて、炎上にのっかっての盛り上がりがほとんどだったと思う。やっぱり世の中が豊かなほど、人の気持ちも豊かでおおらかだからね。

2017-10-23

アウトレイジ最終章を観た

1作目、2作目にあったドンパチや暴力シーンはかなり抑えめで、政治群像劇みたいな仕上がりになっていた。

これで2時間弱もたせるのだから、やっぱり監督北野武はたいしたものだなと思った。激しいシーンが少なめなので、前2作と比較しても客層は広がりそうだ。

ただ、ビートたけし西田敏行塩見三省役者としての劣化が激しく、見ていて辛かった。

バラエティニュース番組でも、たけしのろれつが怪しくて何言っているかからないことが多いが、映画でも同じであった。

西田敏行は、演技の技でごまかしてはいたが、病気の影響を隠しきれず。

塩見三省は、脳出血の影響で身体麻痺が残っているのか、だいぶ辛そうだった(けれど、耳に手をあてて「はぁ?」と聞くシーンは良かった)。

最終章見てからビヨンドを見たら、演技のハリが違いすぎて同一人物とは思えない。

映画は良かったけれど、役者ビートたけし老いを痛烈に感じてしまい、そのことがとても悲しくなった。

ドンパチヤクザ映画主人公としてのたけしに期待するのはもうやめよう。

クリント・イーストウッドみたいなポジションで、シニカル映画を撮って欲しい。

2017-10-06

anond:20171006165535

 あー、それもあったか。w

って言うかこうやって甘やかすからバカが治らないんじゃないの?

 匿名自分の間違いも認めず、相手バカ呼ばわりして謝りもせずに「お金のやり取りだけが商売じゃないんだよなぁー」とか得意気にリアルで吹聴して回るの。ww

俺が言いたかったのは授業料取って勉強教えてる先生商売人なんですか? って部分。読み直すと答えとして概に書いてるんだけどね。

 それから宗教お布施寄付なんかもあるよね。お医者さんも治療費受け取ったら商売になるのかな? とかさ。公務員全般給料は貰ってるし。

シニカルに言えば宗教医療学業もある種の商売って言えなくもないし、そういう連中もいるよね。

 だけど「先生って商売治療したり人の道を説いたり授業してるんですよね?」って言ったら普通は認めないと思うんだよなぁ。

……で、インターネットは確かに回線代が掛かってるけどそもそも商売として発展してないよね? って書いてるのにコイツは何回ヒトをバカ呼ばわりするのか、と。w


 もうな、オマエ一生そのままバカでいろよって感じでコメント終了ですよええ。


あ。あとこれは推測だけど、商売としてネット意見自由扇動したくて、オマケに常日頃から仕事で人を馬鹿にしながら操るようなのが癖になってるとこーいう書き方しても疑問にも思わなきゃ罪悪感も持たないんじゃないかなぁー、なんて…、ね。

 まぁ推測に基づいてだけど、だとするとある意味カワイソーなんだよねぇ。お金のやり取り抜きでweb対話を楽しむって事が理解できないんだから、サ。

誰か分かんないけど、フォローありがとね。

 んじゃねー。

2017-09-24

anond:20170924002029

面白くないと思うならむしろチャンスじゃね。

今はここが面白くないからこうすれば面白くなるって考えて、新しいものを作れるだろ。

否定ばっかりしてシニカル批判しかしない奴が一番ダサいで。

あと、ライブ配信しながら物品販売するのはたしかメルカリかなんかがすでに開発してたような。

2017-09-15

[]ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避よろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまたかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

無垢子供ダイアナ

PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナ人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性からといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語テーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化歴史言語には含まれいるからで、そこに理解無くしては言語意味理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語キーなわけだから理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識教育倫理人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈フェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉スティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的人物内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会奉仕しようとした時、そのモデル軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台マスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブ関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪ものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。

しか人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナ戦闘能力スティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線部隊凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的義務があったわけではない。戦争悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブ大尉からおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブ人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-08-24

スルースキル可視化して欲しい

炎上案件には必ずといっていいほど姿を見せないブクマカがいる

下世話な炎上などにはなんの興味も示さないの凄いカッコイ

ここぞとばかりにスターを求めてシニカルコメントをしてしまう俺は本当カッコ悪いな

それでも世間的に評価されてんのは世相を斜めにぶった切る俺のコメントなんだから困ったもんだ

本当はここにいないあの人達の方が数百倍賢いっていうのにな

スルースキル可視化できないの凄いもどかしい

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170818225406

歪んだ自責正義怪異化した○○▽も、間違いを正す正義たろうとしたのに

間違いとして消されかけたところを主人公に愛すべき自分自身であると認められ

○○☓☓の「嘘」という「間違い」によって存在を許され救われるというラスト

西尾維新一流のシニカル面白かったと、一はてなーとして思いました

増田は、自分自身を愛せていますか?

2017-08-12

100分de名著は良い。NHKEテレのやつ。

8月大岡昇平野火終戦記念日のある月らしいチョイスで、解説島田雅彦

戦場病気にかかり部隊に見捨てられた主人公が、フィリピンジャングルの中で生と死のどちら側に自分が属しているかあいまいになるシーンを岩井秀人朗読する。

司会の伊集院光はこのシーンにシニカルな笑いを受信。岩井秀人伊集院光ドロップアウト経験者。そういえばこの番組解説はもちろん、朗読の人選もいつもかなり良い。

しかしあれだな、美しい顔を作ってお金をもうけた高須クリニックは、自らは現代における生死の最前線に居てもおかしくない医者なのに「美しい死」などという幻想を信じている愚か者で、

生も死も美しくなどなくただ現実悲惨で臭くて場合によってはシニカルに笑うようなものでもあるということを淡々解説する島田雅彦ナチュラルボーンイケメンだというのが、なんとも皮肉面白いものだと感じる8月

そういえば先月7月は、ジェーン・オースティン高慢と偏見。これも朗読者選択よかった。ミムラが、プライド高くて底意地の悪い主人公らしくて良かった。

2017-08-10

2ch系ニュアンスメンタリティの変化

自分は昔,2chを見ていた.ほとんど書き込んだことはない.初めて見たのは高校生ときだろうか.1997年くらい? 家に自分お金ネットをひいたんだっけかな.確か当時は月に接続時間10時間とかそういう契約だったと思う.ページを読み込んではちまちま切断して接続時間節約していた.

イラストサイトを見たり,怪しい海外の○○なサイトを見たり,んでもって結局何を一番見ていたのかというと2chだった.特にどの板というわけでなく,ニュース系や趣味を見ていたかな.ここでの刺激はすごかった.第一印象として,みんなすごく頭がいいんだなと思った.上っ面じゃない文章がそこには溢れていて,普段自分の周りで起きないような会話だらけだった.例えば何か海外紛争があったりする.そしたら当時に自分だったら「平和が一番」レベル感想しか持たなかった.だけど2chでは「勝手に血を流しあえ」とか「俺には関係ない」という正直な自分本位感想だったり,国際情勢を鑑みての発言だったり,なんというか上っ面じゃないものにあふれていた.逆に自分の考えは相当上っ面なんだと思った.人は思ったよりも「我」が強い生き物なんだなと気づいた.

何が言いたいのかっていうと当時のネットの登場は,高校生自分にとっては,上っ面メンタリティ破壊したものだった,ということだ.標準的教育を通して推奨される応答ではない,自分にとって関係あるかどうかそれに根ざしたもの,そしてそれをお互いが譲れないということ,そういうものネットにあふれていた.「氏ね」「あぼーん」「逝ってよし」「DQN」などで表現された嘲笑ネットにあふれていた時代だった.

最初期の直接的嘲笑時代から少し時間が流れ,VIP的な時代が来る.時代的に2002年2008年くらいか? VIP書き込みしたことがない人でも以下の顔文字webネトゲに氾濫したことは覚えているだろう.名称内藤ホライゾンとかブーンとか言うらしい.うざばか系顔文字(^ω^)の時代だ.これまでの直接的な嘲笑から少し生活感のあるひねりや皮肉が加えられたような表現,「○○なんだお」「○○なんですお」.

この顔文字や「~だお」表現の直接的な意図としては,「氏ね」などと同じく嘲笑であるものの,幼さから来るフレンドリー感や必死さをばかにするようなシニカルニュアンス冗談ぽさが増えたように感じる.「氏ね」は使ったことはないがネトゲで(^ω^)や「だお」は使ったことが自分にはある.使ったことがあるどころかネトゲでは多用し多用されていたと思う.「氏ね」はweb上のバトルでしか存在しなかったが,(^ω^)はWeb上の会話として用いられ,やがてwebから出てきたような表現かなと.

結局のところ,これら表現は望まれたのだと思う.ああ! 他人シニカルバカにしたい! けど「氏ね」だと直接的すぎて使うのが忍びないし,知ってる人には使えない...→(^ω^)コレでいいじゃん! → 爆発的に利用されVIPというまるで人格めいたもの認識される →やがて一般的にも広がりアングラ感が薄れてる → 少しダサさを帯び始める.確かに今使ったら年寄り扱いされそうな表現ではあるな.

フレンドリーさは急速に拡大していく,現在の到達点はなんJ語かなと.関西弁ベースに「○○ンゴ」「サンガツ」「ええんやで」などなど,なんか土着的というか生活感がぐっと出てきたというか,「氏ね」ほど直接的でなく(^ω^)ほど間接的でなく,もっと自然で素朴な飾らない我の出し方というか,時代を経てバランスした表現だと感じる.ベース標準語ではなく関西弁というもの興味深い.繰り返すが流行っているということは便利だと思う人がたくさんいるということだ.なんJ語がこの形なのは,そんなニュアンス無意識下に望まれたからだ.ただしなんJニュアンス現実世界よりもフレンドリーになってしまい,なんJ語を使うには現実世界は冷たすぎる,というバランス.実際職場学校で使う所を想像すると,何?突然馴れ馴れしいんだけど?ってなる気がする.

やがて次のニュアンスがそろそろ望まれていて,何かの誤用かなんかで急速に広まるだろう.もしかしたら次は表現の変化ではないのかもしれない.2ch的なスペースはwebでは小規模なものになっており,まとめサイトでその規模が維持されているような状態だ.そういう意味ではまとめサイトは新表現を育成したり周知する苗床みたいなものだろう.しか最近では広告ばかりで末期感があるしなあ.次は一体何が来るのか? ニュアンスの到来というのはツールの到来と違い,もう一つの世界という気もするが,次はどうなるかわからない.発散して宇宙の塵として消え,現実世界ベースFacebook世界のみになるのか(個人的にはコレはつまらない),Youtuberの個にぶら下がる形のカリスマ傘下型になるのか(個人的にはコレもつまらない),それともニュアンスの苗床たるまとめサイト以上のものが登場するのか.

ネットスラング,形をもたずニュアンスの共有し,まるで人格めいたものがそこにいるような気がするスペース.ツールではない人の拠り所.いくつもなく,現実世界と常にバランスして変わり続ける.そんな曖昧ものが愛しくてやまない今日このごろ.

2017-08-02

シニカルアニメが見たい

シニカルというか、冷静というか客観的というか。

パトレイバーとかナデシコみたいなシリアスにも感情的ドラマにもなりきらないバランス感覚を持った作品が見たい。

昔のポケモンなんかもそういうところがある。

最近作品視聴者安心させようと主人公はどれだけ善人か、敵はどれだけ悪人

起きている出来事はどれだけ残酷か、どれだけ幸福かというのを必要以上にハッキリ説明する作品が多くて正直くどい。

まあけものフレンズはそこら辺及第点だったけど。

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