はてなキーワード: コリオリの力とは
世界の捉え方がフンワリしたまま絵を描く人が増えているように思う。
裸婦デッサンをやって止まった人間は描けるようになっても、走っている人間の絵を描かせると途端に線が漫画的に歪んでしまうタイプの人達。
たとえば走る車を描く時に、タイヤの接地と摩擦がどうなっているのかを考慮できず、エンジンで生まれたエネルギーがどうやって最終的に車を走らせているのか、今どの部分にどんな慣性が働いているのかを理解しきれないまま、テレビゲーム的なパラメーターの配置で描いてしまう人が増えているんじゃないだろうか。
ゲームの物理演算はあくまで「こうやってエネルギーが流れているようにすると現実っぽく見える」でしかなく、それは現実とは若干の違いがある。
現実を見てデッサンを繰り返した人と、知識を積み上げて現実を知った気になっている人とでは描くものが違う。
たとえばコリオリの力を過大評価して北半球と南半球で水が排水溝に吸い込まれる回転方向が変わると勘違いしてしまうようなことが、現実と向き合い続けずに頭でっかちになった人間には起こりうる。
そういった積み重ねが少しずつ絵のリアリティを増減させていく。
現実の再現として絵を描き、そこから発展させてさも本物らしく空想を広げたものだ。
漫画を真似て漫画を描き、アニメを真似てアニメを作ってばかりいる今の創作者はそれが出来なくなってきている。
そしてそのことに気づく機会さえも失われつつあるのだ。
悲しいね。
作者が弾丸を発射してて、弾丸が意見や情報などの現時点を示す点だとして、作者が意図した方向へ飛ばしたつもりが状況によって変化して弾道が変わり着弾点が変わるよね
・書いてあることを読め
作者が的を狙ったんだからそこに着くように自分の発した情報が世界に影響すべきだ っていうのは無理があるよね
書いたからって書いたことだけでどうしたいまでが整うわけもなく書いてない事を言われたり想像されたり読んでもないのに批評されたりするのはあたりまえ
「そんなにまっすぐ飛ばしたかったら真空でコリオリの力もかからないところ(同人など)でやれ」
・書いてない事も読み取れ
言われずともみなそうしているだろうし、それなのにあえて言う事の意味としては「書いてる方向性に従うように加筆しろ」じゃないのかな
書いてない事を読み取ってる、は「都合がわるい加筆」で元の情報の望んだ方向こそがその話題についてあるべき必要性だとして
試し打ちするたびに的から反れているのを「ちゃうなーなんかちゃうなー」といって何度も試し打ちしてる感じがする
書いてない事を読み取った結果が個人ごとの感想のはずなので、的外れな結果が帰ってきたとしたら問題は反らせた環境の何かにあるわけではなく
その責任を逃れるために「反れて人にあたってしまったのは、狙ったわけではないので無罪だし弾道をまげたあいつが勝手に射手の意向を汲み取らず個人の意思で勝手な方向に曲げたせいだ」
といっているように聞こえる
結局、本意なるものに必ず直線で繋げる必要が、意見や感想にはあるわけではないはずだと思う
なのに自分がしたい話のためになんどでも分岐点にもどり、やり直せとか言い直したり自分の思う方向にちかい喩えに例えなおしたり解説をつけそえたりしてるのではないか
他人が考えた事は他人がそうだと考えたことのはずなので全く的外れでも、話題の起因になった本題から絡めた人間関係としては何も外れていないはず
人の感想に否定をする時点で、そこまでしなくてはならないほど自分の頼りにしているものやプライドがそこにあってなんとか曲げようとしている風に思える
どうしろ、って人にいう事じゃないと思うんだよね二つとも
テレビはまだ面白かった。特に夜のフジテレビはカノッサの屈辱とか。当然番組のサイトに対して、歴史的検証の違いに突っ込むつまらない真面目なブコメもあったけど、企画に乗ってぼけて盛り上がるブコメもあったし、togetterや、まだ人気があった2chのスレもよくはてブトップにあがってた。
印象的だったのは、フーコーの振り子をボディコンギャルと一緒に一晩中流し続けてた番組。内容のシュールさもさておき、ブコメに地球平面説ユーザが湧いてきて、炎上会場が増田に移って、最終的にはコリオリの力を説明するため、地球は平面だが自転しているというナイスな着地を見せた。いま考えると、着地点まで計算した上での高度な釣りだった気もする。
同じ夜でも、外に出れば、まだクラブとはあまり言わなかった、いまでいうディスコが六本木やベイエリアではたっぷり楽しめて、黒服チェックを通るためみんな必死でバイトしてコムサやコムデギャルソンやビギとかデザイナーズをマルイで買い漁ってた。古着屋も市民権を得始めてたけど、当時メルカリやゾゾがあれば助かっただろうなー。とはいえバイトの時給も高かったし、扶養はみ出ないように店長に退職金扱いで貯めてもらったり、家庭教師とかやれば月に20〜30万は固かった。はてブに出てくる話題はどっちかというと真面目なこういう方面の話かな。
なので、いざ就職しちゃうと毎月の手取りが逆にがくんと落ちちゃうのがありがちだったけど、当時の新卒就職状況はおそらくいま語ってもなかなか理解しづらいと思う。
月に二回ぐらい、玄関にでかくて重いダンボールが勝手にドスンと届く。中身は、いろんな企業からの会社案内がうず高く積まれたもの、そして会社見学申込みハガキの束が何個か。千社規模の、紙の情報の塊だ。持つのがしんどいほど重い。だいたいはろくに見ないでまるごと捨てるのだが、捨てるのも一苦労だ。ひたすら届いた箱とか、おもしろいパンフをツイートしてた奴もいて、その手のネタのまとめも乱立してた。
そんなノリだから、単にタダメシを食いに、あるいは先輩から金一封とともに頼み込まれて、会社見学会に行って席で寝ていれば、高級ホテルのディナーに、記念品詰め合わせに、ごちそうさま放題だった。もらったものは途中で開けてみて、ほとんどは駅のゴミ箱に捨てちゃってたけどね。
そういうインスタやまとめに、たまに企業の人事がキレて、さらにまとめられて炎上して、ブコメも山ほど付いてたけど、シニカルなものは少なくて、炎上にのっかっての盛り上がりがほとんどだったと思う。やっぱり世の中が豊かなほど、人の気持ちも豊かでおおらかだからね。