「異質性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 異質性とは

2019-09-20

anond:20190920005957

そもそもオタクはなぜ「オタク」なのか?「趣味に傾倒している」のであれば趣味仲間の名前くらい当然覚える。それができないからお互いにオタクと呼び合う。そこに異質性があった。

2019-01-30

anond:20190129204803

雑な駄文を読んでくれたようでありがとう

>エアプまるだし。

エアプ初めて聞いた。今調べた。まさに自分のこと。MMORPGほとんど経験なくて、ドラクエXだっけ?をちょっとやってやめたくらい。

>「神話が語り継がれているのは普遍的な魅力があるから」というのと、「読者が英雄になりたい」論がまったく噛み合ってないぞ。

ここは確かに雑です。

主語が少し大きいかもしれないけれど、物語を読むときって何らかの形で、登場人物自分自身を投影するということが起こるように思っています異世界転生ものしろ神話・昔ばなしの英雄譚にしろ、何らかの形で感情移入投影が起こる。

神話世界には自分投影するというと誇大的になるかもしれないけれど、個人的読書体験として、自分王子でも何でもないけれども、ホメロスでもマハーラーヤナでも主人公に対するいくばくかの投影があったために物語を楽しむことができたのかなと思っています勝手想像だけど、ムラの長老がたき火を囲んで部族の子供たちに建国神話を聞かせるなんてイベントが、その時代には娯楽の一つであって、私がラノベを読むのと同じようなわくわく感を、その時代の子供たちも持っていたかもしれない、などと考えます

物語を楽しむためには投影がなされる、その意味では神話ラノベも同じようであって、主人公への投影を容易にする点では、普通の人が転生して大きな力を得るという形式は、優れた構造といえるかなと思います

>「異世界転生には神話類型が見られるから魅力的である」で済むところに、ゲーム云々を持ち出す必要があるか?

>「異世界ものが下敷きにしているMMORPG」?SAOからの流れでMMORPGの要素が一部に取り込まれているだけで、ジャンル全体に言えるような傾向ではまったくないが?

ジャンルもすべて把握しているわけではないので、この界隈の知識不足は否めないですね。

語りたいこととしては、異世界転生ものへの批判対象の一つである、「スキルレベルステータス」といったモチーフのことです。これらはMMOでないRPG起源があると思いますが、異世界転生ものが量産される背景として、MMORPG主人公になれないユーザーフラストレーションが、少なくとも初期にはあったと思っていますSAOMMORPRGの要素が取り込まれているというよりは、MMORPGを題材そのものとして取り扱っているように思います

なぜゲームを持ち出す必要があるのかというと、まさしくご指摘の通り、エアプな私が、ゲーム的な異世界転生ものをそれなりに楽しんで読んでいる傾向があるからです。MMORPGへのフラストレーションが著者の動機にある(あった)と考えているのに、フラストレーションを持つほどにMMORPG親しみを持たない”エアプ”の自分が、そこそこ異世界物を読むのはなぜなのか?それは、異世界物がライトな消費物としての、物語であったとしても、何らかの普遍的構造を持っているのではないか?という疑問がエントリーの原点になっているからです。

>つか異世界ハーレムで挙げるべきは異類婚姻譚よりマレビ信仰だろ。異類婚姻譚を挙げるならモンスター転生などを挙げるべきだろ。

レビ信仰も、場合によっては異類婚姻譚の亜型ととらえることはできるかもしれません。

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf

モンスターのような外形上明らかな異質性を持つ”異類”でなかったとしても、異世界ものでは異世界を訪れており、そこで生活している人を転生以前の世界と変わらぬように描いていたとしても、構造上は、転生者にとって異類であると思います

>まあ結局は後知恵の辻褄合わせとしか思わんがな。

おっしゃる通り。異類婚姻譚をもちだしたのは、神話類型に寄せるためのこじつけ感は否めませんが、ハーレム展開とまでいかなくても美しい異性と結ばれたいという構造はやはり神話・昔ばなしと同根と思えてしまます

>次はロクに研究対象も読まずに文学論モドキを騙る馬鹿がなぜ出てくるのか分析してくれよ。

jungianでもないのに、神話類型を持ち出して、文学もどきを語っても、ちゃんと読んで批評してくれるからです。ありがとう

2019-01-19

anond:20190119010234

この件で勝つ必要は無い。見苦しくのたうち回るしかないところにまで追い込んでいつまでも(ここ重要)責め続ければ、少なくとも同じことは起きなくなる。韓国人同士ではそうやって相手コントロールしてるから韓国異質性尊重すればこそ追い込み続けるべき。

2018-11-19

anond:20181119102724

ラジオとか聞く限り、クロちゃん別に普通のキレッキレな人ってだけで異質性あんま感じないけどな。ホリエモンとかの類。

サイコパスとかでも無く、単になんでも疑ってかかる人なだけだろ。

2018-08-28

ちびまる子ちゃん」の連載開始時、私は『りぼん』を既に読み始めて

いただろうか?

さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。

当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎女児ぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。

その『りぼん』で、明らかに異質だった作品が二つあった。

言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症である

私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。

逆に「ちびまる子ちゃん」は癒し作品だった。恋愛もの息切れした女児オアシスのように、まる子はただただ普通に家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカル空気を携えて、毎月私の所へやってきた。

そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃん引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。

お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。

乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん作品は、基本的には未来指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。

そういう理想の学園生活キラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。

女の子はいつか好きなひとが現れる」

「今よりももっとかわいくなれる」

その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。

作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。

その点で、「ちびまる子ちゃん」はラクだった。

前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代モデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。

まる子も成長し、恋愛や友人関係自分コンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ

私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。

勿論リアルタイムで読んでいた小学時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。

クラスのどのカースト女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品代表格だった。

その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配コラボ掲載巻は実家にあると思う。

成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。

そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。

私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。

しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。

どうか、ご冥福をお祈りいたします。

ただ、訃報に触れて思い出してしまった「ちびまる子ちゃん おこづかい作戦!」。

てめーはお年玉をつぎこんでしまった元小学女児として許さねえよ……という気持ちは、今も捨てられないようだ。

2018-07-04

ポリコレアジア系俳優は救われない なぜなら「悪役」を演じられないか

将来のハリウッドで救われるのは

今んところ黒人俳優LGBT女優のみ

それはなぜか? 80年代等の無法の頃に

「悪役」という役割アジア人が与えられてこなかったからだ

 

黒人ゲイフェミニスティックな女はその異質性から

分かりやす「悪」象徴として

従来のハリウッド映画では憎悪交じりに描かれてきた

 

悪役は人種民族、性にマイナスイメージを与える役割であっても、モブではない

ゆえに悪役として、常に職を与えらることにより

細々と俳優コミュニティを形作り、演技の技法を蓄積、継承することが出来た

うまくいけばマジカニグロサイドキックとしての役割も得られた

 

また、悪役なら主役のような美形である必要も無い

人種独特の顔立ち=白人基準美的感覚から相なれなくとも

コワモテ中堅俳優として、一定の層を築くことが出来た

そして、昨今の価値観の変化によって

彼らは晴れて悪役から主役へとポジションを移ることが出来る

 

しかアジア人は違う

彼らは他のマイノリティのような強烈な差別に晒されていた訳でもなく

ある程度の商売自由があった(それが黄禍論もつながるが)

 

高給な職にもつく者もいた

その微妙立ち位置から、彼らはあくま社会の一員か

こざかしい小物悪役程度としての存在しか認識されず

無法地帯であったハリウッドにおいても、WW2ものを除いて

目立った悪として描かれるのは稀だった

 

悪役という物語に不可分な存在否定

もしくは他のマイノリティに取って代わられ

不安定モブという役割しか与えられない結果、

ハリウッドにおいて俳優女優としての層が築けず

渡辺謙カンフー俳優のような、国産ではない輸入物に頼らざるを得なくなった

人材の安定供給がままならないのだ

 

しかも昨今のポリコレ的潮流において

アジア人を際立った悪役として描くのはためらわれてしまうだろう

それは今よりも更に、彼らの俳優としての役割を失わせる結果となる

2018-03-08

淫夢をはじめとする差別的な笑いはカジュアルタブーが生み出している。

おかしい」という言葉が示すように笑いというのは異質さから来ている。「ふつう」とのずれが笑いを生み出す。しかし、異質すぎるものは笑えない。理解想像を超えてしまうからだ。そこに抱くのは恐怖という感情になる。一般的な人がスナッフビデオネクロフィリアおかしみを見いだせないのはそのあたりにある。

翻って淫夢の話である淫夢流行る、笑いになるというのは、ゲイ行為が「ふつう」ではないという認識がもたらすものにほかならない。しかしまた同時に、ゲイ行為が恐怖の対象になるほど異質なものではないことも示している。淫夢の笑いは、日本人同性愛に対する差別を克服していく進歩過程でうまれものだ。

差別異質性から生まれる。女性専用車両差別だと言う話が噴き上がるのも、結局は男女の異質性に基づくものだ。そもそも痴漢という行為異質性に基づいている。また多くの人がこの話題言及したくなるのも、異質性からくるおかしみが人を惹きつけているのだとも考えられる。

まり雄はみんなホモセックスをするべきだ。みんな女の子になってしまえば、あらゆる問題解決する。

2017-01-27

んなこたぁ、ない。

貿易メリットを教えるときには今だって比較優位説明が不可欠。

産業という大括りではなく産業内での企業異質性を取り入れる最近貿易理論だって特に比較優位を覆すわけでもなし。

http://anond.hatelabo.jp/20170126203417

2015-12-04

のうりんポスター批判者は、ただ他者との共感が欠如しているのだと気付いた

この件で批判擁護側の意見の違いを見ていると、その人格のようなものまで浮き彫りにされているのに気付いた

擁護側の主な意見は「これをアウトやセーフと思う人間はどっちも居る。そんな曖昧基準ゾーニング強制されるのはおかしい」というもの

要するにアウト・セーフ、色々思う人間はいるけど、そんな曖昧感覚のためだけに他人表現の場を限定させるなよ、という中立的もの

対して批判側の意見というのが「これは誰が見てもアウト。セーフだと思ってる人間感覚が狂ってる。一生相容れない。反社会的サルだ」というもの

まり自分達の感覚絶対、それを共有しない人間は狂ってると決め付け、他のセーフだと思ってる人間気持ちを何一つ理解しようとしない、尊重など絶対にしないというのだ

価値観多様性を認めないわけだ

ファシズム兆候さえ感じる

更に彼らは擁護側の人間を「オタク文化に塗れて感覚が狂ってる」とレッテルを貼っといて、自分達が「オタク嫌いのフェミニスト」だとレッテルを貼られた時にだけは「フェミニスト以外でもアウトだと思ってる人間は沢山居る」といって「フェミニストのせいにするな」と声を荒げるのも目立った

ならセーフだと思っているオタク以外の人間もたくさん居るのだからオタク文化異質性」のせいにすることもおかしい筈なのだが、ここでもやはり自分達がレッテルを貼られた痛みだけには敏感なのに、自分達がレッテルを貼る加害性に対してはどこまでも鈍感なのだとわかる

 
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