はてなキーワード: 電脳とは
これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブの若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。
情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり、他人の多種多様な生き様や頭の中をヴァーチャルに追体験できるようになっていくほど、そうなる。
あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。
現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。
情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間の知識欲ははかりしれない。
ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報を客観的に見るようになる。
言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分の思想や行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。
感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識に距離を置くようになる。
自分の世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分は空っぽでいい。そうなっていく。
はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。
「自分の主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。
自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。
たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己の空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢で上から目線な発言をするようになる。覚えがあるだろう。
自己を主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。
それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタな視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。
他人、企業、社会、そういった観察対象の生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。
できることなら人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。
それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。
そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。
あまりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。
もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、
そして「実体験」の価値が相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。
だから何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報を摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。
「労働者」になりたくない。
「親」になりたくない。
「男(女)」になりたくない。
「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。
ひとつひとつを見れば、中二病か高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。
けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、
それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。
その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。
その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。
中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。
そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。
吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。
そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。
それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20170715102110
↑1「連邦議会・党試案」
党員数が多い順に掲載・1~10ランク付け。10は1万人以上。
①同胞団
連邦レベルでは、保守共和党のリベラル派や緑の協同体と連携している。
地方にまず合法的な事実上の解放区を作る方針も持つ。郡部では半ば成功している。
都市では労組の組織化、企業組合の設立と地方では共同体の建設も行う。
へき地など、経済的に貧しい地域では保守層にも浸透を図っている。8)
③公民ファーストの党
(→行政、議会改革と福祉国家の建設など穏健な政策を並べているが
連邦レベルでは、保守共和党や民主中道同盟に所属する一部の連邦議員を非公式に支援している。7)
(→特定の地方州に基盤を持つ小政党、農民や漁民など「生産者」のための政党。
地方議会や公益農業、漁業法人、福祉法人、土地改良区などの議員、役員にメンバーを送り込む。
農本主義の政党。緑風共生党や緑風社稷党とは共栄関係にある。6)
⑥新○○連合
直接行動をしつつも「合法部門」が一部の州や郡部の議会に議席を持つ。6)
⑦自由改革連絡会(リバタリアン党・急進減税改革党・表現の自由党)
(→3党はそれぞれ自由改新党から急進主義を理由に分離したグループ。
平和裏に分離したため、除名されたわけではない。
今でも非公式のつながりはあるため、改新党の「別働隊」という見方もある。
都市部に支持者が多い。連邦議員はいないものの、若干の地方議員がいる。
⑧生存のための共闘
行政や半公的組織が設立した「差別に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。
街頭や職場の労組での直接行動を得意とする。都市部に支持者が多い。
国境線の廃止と政府の解体を呼びかけており、世界革命を志向する。
労組の組織率はかなり高く、ストライキなどの中核を担う場面も多い。5)
10.女性の権利党
行政や半公的組織が設立した「性差に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。社民党の一部政治家を支持している。5)
時に直接行動(街頭活動や対象企業への直接抗議)をモットーとする。
12.スポーツ新党
(→スポーツの普及のために結成。健康志向。地方議員が若干いる。
13.連邦進歩同盟
国政から遥か昔に議席を失っている。
余り独自の動きを取らず、事実上の中道系の地方議員の交流会となっている。
国政では民主中道同盟に協力。
(→連邦建国功労者、宗教の権威に「王位」や「爵位」を授与するべく活動する団体。
ただし、当の当事者の多くは君主制には興味がないため、活動は一部にとどまる。3)
世界中を「連邦」の枠組みに取り込み、「世界新秩序」の確立を目指す。
現状の社会をスターリズムと規定しており、それに反対している。
自らを「前衛政治集団」と規定しており、街頭活動を盛んに行う。3)
16.自由労教会(連邦シェアスぺース連絡会議・隠者当事者連合
・労働時間短縮会議・最低所得保障を求める市民の会・教育制度を考える会)
(→自由主義者、福祉国家を求める者、宗教リベラルのグループ。
自由な働き方、学び方を求める。最低所得保障や多文化共生も求めている。
17.セックス新党
(性風俗業界に勤める人たちの団体。性風俗業界の正しい認知の拡大や雇用環境向上を掲げる。雑民の党とは友党関係にある。3)
①理性会議
そのたび毎に活動している。2)
②愛酒・愛煙家同盟
(→いわゆる「民酒主義」を掲げる。
夜の社交場こそが民主主義の原点という信念も持つ。2)
(→右派、直接行動主義。
右派各党から金銭的援助を受けて
④自然大麻党
都市中心の街頭活動から山間部、離島でコミューンを作る方向にシフトし始めた。
郡部の議会に隠れた支持者を送り込んでいる。2)
⑤快楽至上党(正式名:ポゴ無政府主義者と耽美主義者のための政党)
(→反議会制民主主義、反資本主義、脱労働、耽美主義を掲げる。
支持層はサブカル層やアーティスト、ニヒリストが多い。都市部が拠点。2)
⑥憂国無境輪
⑦禁欲党
(→禁欲主義を掲げる。
アルコールやタバコの販売停止は勿論、ポルノ雑誌や性風俗の禁止を求めている。
宗教右派系の影響を受けている。1)
(→自身の意識をインターネットに移植して、実質的な不老不死を可能とする
ことを求めている党。1)
主張としては…
「開星」して「銀河連邦」へ加入すべきと訴える。
オカルト雑誌の発行や示威行為、選挙活動でマス・メディアへの露出を図る。1)
10.反文明党
(→現状の世界は文明発展を急ぎすぎ、このまま行くと世界破滅が起きると信じる集団。
文明を退化させ、人口を減らして、人は自然に還るべきと主張する。1)
。
自動車 | 人や車を検出しそれらの動きを予測したりする。自動運転の前に自動安全技術が開発途上 |
金融 | なんちゃって人工知能。ニュースとか集合知から動向予測しようとしてるけど、色んな指標とか専門家の英知の方が確実じゃねって思う |
ゲーム | 正直これからゲームAIが一番熱くなっていくんじゃないか?戦略+直観のゲーム、ウイイレとかLOLのAI電脳戦とかできたら面白そう。 |
CG,アニメーション | たぶん使おうと思えば使えるけど、費用対効果が小さすぎて盛り上がらなそう |
ロボット | 会話したり経路推定したり人検出したりする。感情を付けるとか研究されてるっぽい |
ECサイト | ディープラーニング使ってるか知らんけど、使う必要もなさそう。レコメンドシステムも人工知能と言い張れば人工知能だ |
セキュリティ | 人検出、行動予測、音声認識、NGワード、卑猥画像検出、たぶんめちゃくちゃ熱い |
医療 | 医療画像から病気の診断したり行動ログから異常検知したりする、(エキスパートシステム)、命に係わる分野だけにあくまで補助的な使い方になるだろう |
受付 | ペッパー使おうとしてるけど、無理に使う必要なくね |
家電 | スマート家電、人工知能というよりIoT?対話やジェスチャーで操作とか開発途上 |
・ズルに感情移入させようとすることがそもそも失敗。漫画は押し付けられた感情移入キャラがない中で読者が勝手に感情移入するのがいいんであって原題の魅力と真逆のことしてる。
・ざっくりいうとBLAME!に関しては弐瓶劣化してる。20年前の原題書き上げた弐瓶よりも明らかに劣ってる。今の弐瓶はシドニアの騎士を描く上では正解だがBLAME!にはもはや適してない。牙を抜かれたおっさんがBLAME!を改変したところで正解するわけがない。
・散々会議したくせにカオスの元凶のケイ素生物出てこないってどういうことだよ。設定すらない。明らかに予算不足で敵キャラ減らすことになったのは目に見えてる。なら電器漁師のパート減らしていいからほんの少しでもいいから出しとけよ。ケイ素生物に対してとことん非常なのがキリイなのにそれを見せないとかありえない。
・タエがサナカンに乗っ取られたエピソードとかせっかくキャラにおしゃべりさせてたくせに妙に引っ張って違和感すごかった。そこはちゃっちゃと説明するかサラッと流して無常観だせよ。ここらへん余計なドラマチックにしてコケて大けがするのが今の弐瓶。
・既に似たようなこと書いたけどこの作品は弐瓶が昔の俺アイタタだわーw的な改修されてるせいで尖った魅力がおっさんの脂肪分でマイルドに丸くなってる。そういう黒歴史っすわwみたいな態度が逆につまらなくする悪例として反面教師にしたい。
・キャラがブレてなかったようなキリイも終盤エレベーターシーンで、黙って勝手にエレベーターのボタンを操作するでもなく、声優にお仕事させるために意味不明なコミュニケーションをねじ込まれる。余計なラブドラマ要素への決着がここにきて噛みごたえ最悪のホルモンみたいに残ってしまった。これで会議したのかよ。
・キリイの魅力として簡単な善悪では測れない行為、苦しんでるやつを放置せず殺したり、かといってお人よしのように見返りがないのに助けたり、強く求められると断れないところみたいなそんな冷酷な面もあるけど人間を助けたいという行動に一貫性があるし弱者に味方をする点が浮き彫りになっていくところでしょ。でも舞台を電器漁師の村だけにしたらその辺りの話積み重ねられない。駄目過ぎ。
・人気キャラが悉く出ない。あれもこれもあれもこれも。説明いらないからポッと出でいいからねじ込めよ。そのための映画だろうが。そのための構成だろうが。何のための会議だよ、酒飲んでるだけだろいい加減にしろ。
・戦闘シーンに限っては、原題ではあった重力子射出線放射器の遠距離で透視した状態で打ち合うという、全てを貫通する銃だからこそできる撃ち合いがCG代節約なのかなんなのかとにかくもったいぶる。あと効かないから撃たないなんて発想はキリイにはないし、銃使うとキリイ自身が充電が必要なのも酷すぎる設定。そんな欠陥銃でどうやって生き残ってこれたんだ1人で。
・階層ごとに生活圏が分断されているというのがこの世界の絶望的な設定なのにそれを感じるエピソードが少なすぎ。「下 6000階層」の言葉の意味も初見じゃ訳わからんだろ。超構造体の説明じゃなくて監視塔の説明だと色々矛盾が出てくるけど村が孤立している理由を超構造体のせいじゃなく監視塔のせいにするからおかしくなる。これも原題設定とのズレで出てきた破綻部分。キリイだけが階層を渡り歩くことができるってことをちゃんと村に行くまでに見せておくべきだった。説明するようにしたといってるけど口だけで描写が下手過ぎて映画素人か。
・統治局がイカになってた。
・分かりやすい省エネ作画の電脳描くくらいならもっとましな表現考えてくれマジで。なんどもくるーくるーゆっくり回るシボがカットインされて変な笑い出そうになった。
・そして基底現実の肉体は死んだけど電脳ではまだ動けるっていう描写も原題では現実世界で一刻の猶予も無い中での設定だからいいんであってシボの行動と戦闘中のキリイとまるで関係ない話を勧めててアホかと思った。
・ラストシーンでシボがキリイと残らなかったのも意味不明。シボが自分の安全のために下に逃げるなんて行動取るか?またキリイに工場へ連れて行かせるためにもエレベーターには乗らないだろ。
・他でも言われてるけど超構造体の「重力子放射線射出装置でしか壊せない」っていうルールのある世界だから成り立つことを説明するべきでしょ、それ説明するだけでなんでジリ貧に陥ってるのか建設者が厄介なのかを分かってくるのに。
・ズルかわいい。
・キリイかっこいい。
以上。
要するに映像化して良かったところは良かった。
BLAME!を黒歴史だと認識して余計な事してるのがまさに今、新しい黒歴史作ってんのを弐瓶は理解できてんのかね?
というかBLAME!こそファンである製作陣に丸投げさせてノータッチで作らせるべき作品だったろ。
中学生の頃は辞書の隠語で興奮してたけどそれは別に恥ずかしいことじゃないし、
男がみんなそこで共感性を持つからこそBLAME!は海外でもヒットしたんだろうが。
それを描いた本人が既に理解できなくなってるんだから月日の流れってのは恐ろしいな。
というか普通に予算足りなかったのならグチグチ言い訳せずに素直にそう言え。
逆に不信感出るわ。
PS:
観に行って良かったか悪かったかで言えばキリイが観れただけで良かったけど
PS2:
>このお話「強い旅人が通りすがりの村の問題を解決して去っていく(そして旅人は村の伝説として語り継がれる)」って話じゃなかったんですか
弐瓶はこういうことをしたいのならそもそもBLAME!という原題を用いて映画にする意味がない。
BLAME!がBLAME!のまま映像化されるのをファンたちは期待してたのに初見も楽しめるようにではなくて初見を軸に据えてどうすんだよアホ弐瓶。
PS3:
>世界観に初めて触れる人にとっては、あれでも展開が早すぎるって人も居るみたいだよ
じゃあ世界観説明させるためにキャラにおしゃべりさせましたってのすら失敗してるってことじゃねーか。
まあ、初見にストライク取れたかどうかは売上で分かる事だからここでどうこう言っても仕方ないが。
PS4:
>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。
大の大人が集まって脂汗垂らしながら構成やらシステムやら今後の方針練るところだろ。
PS5:
あかんよ。
PS6:
>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。
みてきました。ネタバレ。
海外ではホワイトウォッシュの問題が叫ばれる一方で、日本では「ハリウッド版だからスカヨハになるのは別にいいんじゃないの、面白ければ」という空気を感じた。
でも本編をみた人はわかると思うけど、物語としては単に他の作品でアジア人だったキャラクターを白人が演じているというだけの問題ではないんだと思う。スカヨハの演じるミラは義体が白人タイプになっているだけで、中身の草薙素子はアジア人であるということが判明するのだから。
ざっくりまとめると、テロリスト(あるいはそれ未満の単なる貧困層)であったアジア人の草薙素子が、ハンカ社の社長(テロリストアレルギーの人)に恋人や仲間ともども捕えられ、電脳化技術によって記憶を消去され白人の見た目の超人ボディのサイボーグに作り変えられ、テロリスト狩りの兵器として利用する計画に巻き込まれるという話だ。仲間たちはみな手術に失敗し、その犠牲のもとで草薙素子はミラとして生まれ変わることに成功、公安9課に所属して記憶のないままテロリストを追うことになる。
映画自体はミラが自分の出自を明かしていくという構成になっていて、最終的には真実にたどり着いたミラ=草薙素子は(間接的にだが)ハンカの社長を殺す(ここら辺は父殺しの話っぽい。ダーリン博士は明らかに母としての位置をあたえられている。それはともかく)素子という本当の名前を取り戻し、ほんものの母(桃井かおり)との関係を再建したミラは、元恋人である失敗サイボーグと生きる道を選ばずに、「記憶ではなく何をするかによって自分は決まるのだ」と結論づけてスカヨハボディのまま草薙素子として公安9課で生き続ける選択をする。
ホワイトウォッシュの問題と関連するのは、ハンカ社長の白人至上主義っぽいキャラクター像と、ミラの出自、そして最後の草薙素子の選択の部分ではないかと思う。ここらへんが差別的であると早々に結論づけるのは慎重にならざるを得ない部分で、例えば自身が草薙素子であると思い出したミラが最終的にアジア人としてのアイデンティティに目覚めた結果、ボディをスカーレット・ヨハンソンタイプからルーシー・リュータイプに変えましたみたいなラストで終わったらそれこそ大炎上していたのではなかろうか。
個人的にはハリウッド・ヒーローとして見たときのミラはとても魅力的なキャラクターで、続編があったらいいなと思うが、詰めの甘さが目立って平凡な作品になっているのをみると、続編製作は難しいかなという気もする。攻殻機動隊という一連の作品群の中のひとつとしてみると劣ってしまうというのは惜しい。
キャラクター設定のよさや、ビジュアルの素晴らしさ、映画としての表現の甘さなどを総合的にみると、紀里谷和明のCASSHERNと似た印象を受ける映画だった。
いじめはなくならない。
なんでかは知らない。
ならば発想を転換する。
多種多様ないじめられっこが多種多様ないじめを受けるアニメやコンテンツ。
が、いじめの矛先がそちらに向くかもしれない。
学校で生身の同級生に対して吐かれる暴言が、そちらに幾分シフトするかもしれない。
絵の描ける人は、それらのキャラをいじめる絵を描いて発散すればよい。
文章の書ける人は、それらのキャラをひどいめに合わせる物語を紡げばよい。
どちらもできない人達は架空のチャットルームでも設けて叩ききればよい。
公式からは数々のいじめをうけて咽び泣くキャラたちのコンテンツ(動画やイラスト)が提供される。
リアルな反応が無いと面白くないと飽きてしまう生粋のいじめっ子もいるだろうけれど、
いぢめる対象がいなくなって2ちゃんなんかで様々なことを叩いている奴らにはウケルかもしれない。
ひとのふりみてわがふりなおせ
意外と、いじめはみっともないと気付くこともあるかもしれない。
ブラック企業の社長っぽい精神論でなんでも乗り切れると考えている馬鹿な上司。
要は喧嘩や戦争できないからそっち系のゲームでウサを晴らしているのと一緒だ。
ただ、この偏屈な世の中ではそれは受け入れられないだろうな。
※このアイデアはナオトインティミライティ(インフィニティ? 良く知らない)さんの一連のクソコラ騒動を見ていて思いつきました。
2.5次元の演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ系特撮番組で古参と新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。
元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。
自分が観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。
渦中にいる演出家は、故つかこうへいの系譜にある人なんだそうだ。
「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。
お客が望むパフォーマンスが第一で、役者の人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。
そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。
それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。
その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。
演出家が自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。
客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人の言い訳と何も変わらない。
ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。
演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。
それは既存のファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。
「既存のファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。
顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。
だから客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。
ただその考え方は諸刃の剣だ。
原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台そのものが世界観の破壊にほかならない。
ドラマ化映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。
それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。
また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判にはいっそう注意が必要だと自分は思う。
なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。
現在の言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。
かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。
つかこうへい以前だが、日本の演劇界に現実と虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。
例えば街角で喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。
それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。
街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。
エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇の代表作の題名だ。
一般人の生活の狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。
突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。
だからその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶる決まりになることが多い)
ただその混乱そのものに価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。
そして電脳世界において、今回の炎上がパフォーマンスでない保証はない。
演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動が自演であると言い切ることも出来なくなる。
演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。
本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手な演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。
演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。
おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないかと想像する。
そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。
もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか。
逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。
そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。
と書いておきつつも、自分はファンでないので自由に書かせてもらう。
俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。
それは自分の自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険な思想だ。
つかの舞台で自分が面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。
逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。
つかこうへい自身が演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。
円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品は俳優の個性と密着している。そのため文字通り「その俳優にしか演じられない役」なのだ。
しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。
たぶんこの過程で俳優の自尊心という殻も破られるんだろうと、自分は勝手に想像している。
元々のキャラクターに近づこうと真摯に努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。
それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。
おそらくこの辺のバランスをもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。
一つの舞台の中で俳優はモブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。
演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優の個性が担保されて、俳優と観客にそれが共有される。
24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間が必要なのだ。
さて話題がそれたが、本題に戻そう。
演出家がああも自信たっぷりに「自分は役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。
自分も制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。
たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。
騒動がその状況をふまえた上で演出家が自覚的に燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。
じゃぁいったいどうすればいいのか?
それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。
本来であれば、製作者たちが客の望むものを提供するのが道理だ。
だけど真のファンであれば、その力関係があべこべになることに不思議がることもないだろう。
どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たちで上演権を手に入れるほかない。
同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。
それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。
それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。
しかしその不満を演出家を炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。
などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章が演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。
炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。
初めてネットしたのいつだっけなと、月がきれいを見てふと思った。
あぁ中学生の時だ。もう20年も前になる。
当時オアシスが好きだった僕は、Be here now以降全く情報が入って来ないことにもどかしさを感じ、姉が親に買ってもらったパソコンを借りてoasisのホームページに直接アクセスすることにした。
IEを開いて、カリカリカタカタ音を立てながらゆっくり読み込まれ表示されるページを見た時に、私は発狂する程興奮した。
セカイを手に入れたと。※
※中二病だったんです!
その後私は目を盗んで色々なページを見ていたのですが、その当時好きだった漫画の二次創作サイトを、姉の履歴から発見してしまったのです。
※近所の人に心配されました!
思い返してみれば、小学校の低学年の時にカップリングに目覚めていた私なので、そういったサイトを見て興奮しないわけなかったのです。
そして、その時感じた興奮は、偉大なる先人に会えた喜びだけではなく、誰も来ないような場所で目を盗んで分かる人だけで楽しむ、というある種の特別感だったのです。子供の頃秘密基地で見たエロ本とか、親の目を盗んで吸った煙草とか、お酒とか、何か大人になった気がしました。
しかし、それから直ぐにインターネットが出来ない状況になり、気が付けば20歳になっていました。
その時は携帯から二次創作の小説を投稿出来る魔法のiらんどやフォレストが全盛期だったので、そこでこっそり楽しむことに喜びを感じていました。
だがしかし、今度は仕事や私生活が忙しくなり、数年間そういった活動から離れることになります。しかもその時パソコンを持っていなかったので、あのこっそりアングラ感をしばらく味わうことはありませんでした。
そんなこんなで2006年。私は自分のお金で無駄に性能の良いパソコンを買い(ネットしかしないのに!)、電脳の世界を自由に飛び回りました。
翌年iphoneが発売されると、益々ネット上での活動?は活発になりました。ツイッターもその頃始め、やはりその当時はこっそりアングラ感があって随分と楽しかったです。
でも今は違います。インターネットは昔以上に全世界を繋げ、情報の発信源となっています。最早テレビ等必要ではなく、スマホかタブレットさえあれば様々なコンテンツやサービスを楽しむことが出来ます。
※例えが色々ブレているけど気にしない!
「それにしても、ネットは広大だわ」
とはいえ実生活では奥さんに怒られ、中間管理職として奔走する日々なのです。
これから先、色々な世代から色々なカルチャーが生まれるんだろうな。
酔っぱらいの戯言
試写会見た
俺はアニメ映画を一度しか見てないけど、それでも「あっこれアニメのほうでもあったわ」ってのが何度もあった
アニメ映画でのあのシーンとかこのシーンとか
終わったあと「すっげえおもしろかった」って言ってる人もいた
やっぱり今見るとテーマ、ストーリー、ビジュアル、設定の全部が見慣れたものに感じてしまって、
どうしても退屈しちゃうところはあったなあ
でも総じてうまくハリウッド映画化してるとは思った
某エボリューションみたいなことにはなってないから、面白いかどうかは別として、それなりに安心して見れると思う
※さらに念のため、反転してね(はてなキーワードのやつは出ちゃうけど勘弁)
素子の母親役がまさかの桃井かおりで、出てきた瞬間それまで静かに見てた人が一瞬ざわっとしておもしろかったwww
セリフは全部英語でしゃべってたし、セリフ量も見せ場も地味に多かった
アニメ映画でそんなのあったっけと思ったけど、母親役っていうポジションがすごくハマってた
タチコマって名前ではなくて多脚戦車って名前でしか出てこなかった
なんかビジュアルがFF8のseed試験で山から下りるときにおっかけてくるクモ型のロボットと似てて、かわいさがまったくなかった
ゴーストインザシェルにロマンス、というかラブ要素を入れてきたのは、微妙だった
もともとあったっけ?
なんかアニメ映画のほうは廃工場でもとことゴーストの人形がならんであおむけになってたビジュアルは覚えてるんだが
ゴーストが実は素子の恋人で、素子で成功するまでに何度も繰り返された脳擬体化の実験の犠牲者だった
ほんとは生きてたのに廃棄された復讐をしてた
たけしの荒巻の髪型が、最初にビジュアル公開されたときのアニメに寄せすぎてたものよりもだいぶおとなしくなってた
たけしのセリフ(全部日本語)は割りとわかりやすくしゃべるようにしてるなってのは感じたけど、やっぱり聞き取りづらいところはあった
たけしちょい役でちょろっと出てしゃべるくらいかな?と思ったけど、結構ちょくちょく出てきてしゃべって、ドンパチまでやってたからめっちゃ驚いたwww
あとたけしのセリフと英語字幕が、え?って思うところが結構あったなー
中途半端にたまーに聞き取れたりすると違和感が気になってしまった
バトーさんの義眼ネタ、アニメのほうでもこの映画の中であったんだっけ?
もう覚えてないや・・・
しかし電脳ハイテクの世界で、普通のB級ハリウッド映画よろしくドンパチしまくってると、なんかすげー違和感があった・・・
もともとそういうもんだったっけ
バトーさんが目にレンズつけたあと、素子に「おまえとおなじになったな」みたいなこと言ってたけど、
スタッフロールのあとなんかあるかと思ったらなかった
コミケでカメコに囲まれているコスプレイヤーの"画像"を見るととても安心する、精神が安らぐ
それがどんなに美人であっても、その"画像"からその人物の承認欲求が読み取れる
普段相手にもしないであろう下層たるカメコに、その人数や熱気にあてられコスプレしてしまっている美人、という搾取が感じられる
ローアングルからの下卑た眼差しを受けている愚かなコスプレイヤーという構図は本当に肴になる
それは"画像"で画面の向こう側の出来事で、それは俺に笑われるだけの"画像"でしかない
さっきツイッターのリツイートで某アイドルコンテンツのコスプレを見かけた
ものすごく上手な絵師が描いた美少女の絵がリツイートで流れてくるように
ポートレートとでも呼ぶのだろうか、被写体の他に余計なものが写っていないもの
コスプレ元のキャラ同様なんだか品のよさが伝わってくる、鼻も高いしものすごく美人だ
その人のアカウントに飛んで数分間、他にも公開しているコスプレを見漁った
背景や構図なんかも素敵でため息が出る
プロフから察するに良くわからないが本職は別にありコスプレがメインじゃないらしい
そんな風に漁っていくうちに熱が引いていきだんだん冷めていった
キャラへのリスペクトも感じ取れるし、流行りものにだけ乗っかっているとかそういう感じもない
コスプレへの態度がしっかりしているほど、公開されているものの美しさに目を奪われるほど、負の感情が溢れていく
この人はコスプレに執着しているわけでもない、本職もある
生まれ持った顔の美しさで上からこちらをぶん殴ってくるコスプレ
上等な暮らしをしている人が片手間に楽しんでいるであろうコスプレ
この人が公開しているのは作品であって、俺が肴にするようなコスプレ"画像"ではない
あくまで俺はその作品を見せていただいている四畳半で暮らす下流のオタクで、俺がこのコスプレイヤーを搾取することなど到底出来ない
その事実を認識するばするほど情けないやらなんやら腹が立ってくる
ツイッターはリアルから切り離された場所である!電脳世界万歳!自分の身分も忘れられる!そう思いたかった
フェイスブックのようなリアル自慢、充実アピール大会が行われない場所でないと思っていた
そのはずが、こんな完璧人間が住む世界と地続きになっていただなんて
それも男性向けオタクコンテンツのコスプレでそれを見るだなんて
不意打ち、だまし討ち
最悪だ
復讐として腹いせとして、搾取の構造を守りたい俺は欲望のはけ口にしてやろうかとも思ったがそれも出来ない
「生」は生物という意味もあれば、生き方という意味もある。「金」はゴールドという金属も指し示せば貨幣一般も指し示す。漢字は連想性を高め、発想力や想像力を強化する。
「停留所」ならたった3文字で「乗り物の乗降車する場所」を表現可能。表音文字なら「ていりゅうじょ」で7文字もかかる。
【可視性の大幅な向上】
漢字なしでずっとひらがなやローマ字が続く文章を読むことは苦痛である。漢字、ひらがな、カタカナの融合は可視性を大幅に高める。
【未知の概念に対する強さ】
表音文字のみで「ていりゅうじょ」と書いた場合、その単語の知識がないと音や語感、表音記号だけではさっぱり分からない。まるで暗号のようにしか見えない問題がある。
しかし、「停留所」なら「停まる」「留まる」「所」という漢字1文字1文字が持つ意味から類推が容易である。
これは新しい単語を理解する、記憶する際に大きなアドバンテージになる。
日常ではそんなに新しい概念と出会うことがないが、学問をする場合は常に新しい概念や知らない概念だらけである。
これが意味のない音の連なりばかり(外国語直輸入のまま)であれば理解や記憶が苦痛になる。
「パーソナルコンピュータ」や「ソーシャリズム」、「ニューロン」が分かりにくく覚えにくいのに対し、「電脳」や「社会主義」や「神経細胞」が理解も記憶もしやすいのは当然である。これは漢字という過去の財産から知識データベースを引っ張り援用できているということである。
これだけではまだ常識が邪魔をするので、「ハニベニ」という単語で考えてみよう。前後の文から想像するにしてもチンプンカンプンな単語だ(いま私が適当に考えたので当然だが)。
でもこれが「埴紅」ならある程度想像もつくのではないだろうか。埴輪に塗られた紅色とか、類推しやすくそう大きく間違っていない場合が多いはずだ。
(そもそも漢字には部首があるのでそれだけで大まかな属性の判断が容易だ。「さんずい」なら液体などに関連した漢字だと即わかる)。
さらに停留所のような具体的物質の場合はまだマシだが、表音記号だけだと抽象的言葉の場合の説明がこれがまた非常に困難だ。
「ソーシャリズム」を説明するために「生産手段の共有化や社会福祉制度でもって平等な社会を実現しようと言う思想、体制」と漢字のように簡単に解説しにくいからである。
表音記号だけだと「タイセイ」とはなんぞや? 「フクシ」とは? 知らない言葉だ、とまた解説が必要になってしまう(知らない難しい単語が現れると類推もできないのでまたそこでつまづく)。
漢字だと「社会主義」と言うだけでも社会に関する約束事の考え方なんだなとある程度、理解できる。
しかし表音記号の場合、子供でも知っているような簡単でなるべく具体的、物質的で同音異義語の少ない言葉でないと、複数回の解説が必要になってしまうのだ。
具体例として言うと、「みんなでたべものや、せいひんをうみだし、みんなのもちものにするかんがえかた、みんなでこまったひとを、たすけあうやりかた」といった、幼稚な表現が必要になってきてしまう。そしてもちろん、これでは社会主義を上手く表現できたとは言い難い。
nekoraがいなくなって、彼のブコメを忘れてしまう人もいるんじゃないでしょうか?
ですが、nekoraはかの名言メーカー野原ひろしのように数多くの名言を残しています。
改めてそれを振り返りましょう、みなさんも思い出したらブコメやトラバしてください。
「見つめてるだけじゃ、ノンノン、届かない」
「散文的に時には詩的に」
「そこに人がいなくちゃ街は空虚な箱さ」
「うまく言えない、うまくできないこと、夢中で睨みつけた鏡の向こう」
「開けた窓から空に尋ねた、俺たちこの夏どうなんだい、ねえ」
「君は隣に座った、当たり前のようにね、偶然であったから送ってあげるだけさ、仲の良い友達だと自分に言い聞かせてる、カーブきるたびに揺れてる君の長い髪」
「止めないで君の呼吸、時は戻せないけど、運命はこの手の中、動き出すから」
「昔の恋人のくれた目覚まし時計を何度言われてもずっと使ったの気にいらない」
「頭の中お花畑だとか少女漫画だとか、なんだってどうだっていい」
「河原の道を自転車で走る君を追いかけた、思い出のレコードと大袈裟なエピソードを、疲れた肩にぶら下げて、しかめつら眩しそうに」
「今じゃクラブも顔パスなの、ミニスカートがお気に入り、友情の輪って大事だから当然でしょ携帯電話、とても人には言えないバイト、頑張って手に入れたの」
「一人じゃない、僕ら繋がってるから」
「大きくなったならなんになる、たくさんあって迷っちゃうけど、やっぱり白いフリルのドレスをきた、可愛いお嫁さんでしょ」
「状況は悪いが、ただ逃げ出すんじゃ根性ないな」
「仲良し通し見せ合いっこ、少女雑誌の診断、それは恋の病です」
「口ずさむメロディーが思い出させてくれる」
「ほら君の今までが、僕の中にあるから、一人だけど一人じゃない、もう寂しくなんてないから」
「もしもこの世界が消えても、きっと君は、戦いが正義だと信じ走り続ける」
「君の瞳の中、生まれたばかりの、夢へのかけらを、強さに、変えてゆけ、時代に飛び込む勇気のダイバー」
「元気でねー、頑張ってねー、手紙書くねー、たまにあえるかよねー、なんでかな寂しいのに寂しいよ、と言えなかった」
「いつも探してる、みんな歩いてる、けれどまだどうにも見つからないことばかり、だけど探してく、だけど歩いてく、誰もがみなそれぞれ自分生きている」
「シフォンケーキにカスタード、スコーンにクロテッドクリーム」
「そっとファインダー覗いたら、想像よりずっと遠くに君がいる気がした」
「街の人混み肩ぶつかって一人ぼっち、果てない草原風がぴゅぴゅんと一人ぼっち、どっちだろう泣きたくなる場所は、二つ○をつけて、ちょっぴり大人さ」
「夜の加速度に背中押されて、糸が切れるように、ただ君を君を強く抱いてた」
「本当の私のこと、どれくらい知っている? これくらい、もーっとくらい、そんなのなんじゃたりないくらい」
「だから叶えたい願いには順番をつけて並べておこう」
「突然ふたり恋に落ちた」
「僕らはムチャもするけど、泣きたいときには泣いちゃってオーライ」
「この辛さをさあ、分け合いましょう、さあ!」
「私たち正義のために戦います、たとえそれが命をかける戦いであっても、私たちは一歩も引きません、それが帝国華撃団なのです」
「恋はよくばりだね」
「私じゃない私、真実は見たくない」
「たとえなにが、おきたって、決して負けない」
「目指せスーパーアイドル! 電脳風な見た目も人気があるみたい、もしかしたらオリコン一位も遠くないかもね」
「それでも人は愛のため何度滅びても生きる、この空の向こうに君がいるなら、この羽で飛び跳ねて、今あと少し君に届きそうな、指先を伸ばしているのに」
「忘れない優しい微笑み、悲しさ隠した瞳を、願うこと辛くても、立ち向かう勇気君にもらった、だから行くね」
「大好きなあなたの仕草を指折り数えて、立ち止まり星空見上げて、幸せに感謝しよう」
「いまね、マジカルハピネス、ドキドキしてます、君が大好きです」
「君の香りをずっと今でも覚えている、母の暖かな優しさに似てる」
「希望だけでは終わらせたくない、この弱さを超えていこう。けっして消えないトモシビを燃やし続けたい」