「生」は生物という意味もあれば、生き方という意味もある。「金」はゴールドという金属も指し示せば貨幣一般も指し示す。漢字は連想性を高め、発想力や想像力を強化する。
「停留所」ならたった3文字で「乗り物の乗降車する場所」を表現可能。表音文字なら「ていりゅうじょ」で7文字もかかる。
【可視性の大幅な向上】
漢字なしでずっとひらがなやローマ字が続く文章を読むことは苦痛である。漢字、ひらがな、カタカナの融合は可視性を大幅に高める。
【未知の概念に対する強さ】
表音文字のみで「ていりゅうじょ」と書いた場合、その単語の知識がないと音や語感、表音記号だけではさっぱり分からない。まるで暗号のようにしか見えない問題がある。
しかし、「停留所」なら「停まる」「留まる」「所」という漢字1文字1文字が持つ意味から類推が容易である。
これは新しい単語を理解する、記憶する際に大きなアドバンテージになる。
日常ではそんなに新しい概念と出会うことがないが、学問をする場合は常に新しい概念や知らない概念だらけである。
これが意味のない音の連なりばかり(外国語直輸入のまま)であれば理解や記憶が苦痛になる。
「パーソナルコンピュータ」や「ソーシャリズム」、「ニューロン」が分かりにくく覚えにくいのに対し、「電脳」や「社会主義」や「神経細胞」が理解も記憶もしやすいのは当然である。これは漢字という過去の財産から知識データベースを引っ張り援用できているということである。
これだけではまだ常識が邪魔をするので、「ハニベニ」という単語で考えてみよう。前後の文から想像するにしてもチンプンカンプンな単語だ(いま私が適当に考えたので当然だが)。
でもこれが「埴紅」ならある程度想像もつくのではないだろうか。埴輪に塗られた紅色とか、類推しやすくそう大きく間違っていない場合が多いはずだ。
(そもそも漢字には部首があるのでそれだけで大まかな属性の判断が容易だ。「さんずい」なら液体などに関連した漢字だと即わかる)。
さらに停留所のような具体的物質の場合はまだマシだが、表音記号だけだと抽象的言葉の場合の説明がこれがまた非常に困難だ。
「ソーシャリズム」を説明するために「生産手段の共有化や社会福祉制度でもって平等な社会を実現しようと言う思想、体制」と漢字のように簡単に解説しにくいからである。
表音記号だけだと「タイセイ」とはなんぞや? 「フクシ」とは? 知らない言葉だ、とまた解説が必要になってしまう(知らない難しい単語が現れると類推もできないのでまたそこでつまづく)。
漢字だと「社会主義」と言うだけでも社会に関する約束事の考え方なんだなとある程度、理解できる。
しかし表音記号の場合、子供でも知っているような簡単でなるべく具体的、物質的で同音異義語の少ない言葉でないと、複数回の解説が必要になってしまうのだ。
具体例として言うと、「みんなでたべものや、せいひんをうみだし、みんなのもちものにするかんがえかた、みんなでこまったひとを、たすけあうやりかた」といった、幼稚な表現が必要になってきてしまう。そしてもちろん、これでは社会主義を上手く表現できたとは言い難い。
【同音異義語の排除】 橋、端、箸、簡単に区別可能。 アクセント記号を付ける言語なら区別出来る。 どのくらいの言語が記号を付けるのかよく知らないけど、付けるのは自由。 ...