元々性的な話題が得意でないとか性欲がないとかそういうのしょうがないとは思うんだけど、男としてはどうしようもなく辛い
月に良くて2回しか会えないのにそれでもセックスが嫌だと言われるのは辛い
結局セックスできたことがない
愛情があれば体なんてなくていいとかどう考えても幻想だし心と体が充実してこその愛情だと思う
男の愛情には性欲もセットだと思う
セックスが嫌だというから恋人が風呂に入ってる間に自分で自慰して処理する虚しさとか本当に計り知れない
恋人のことは本当に好きだけど、それだけに本当に辛い
SNSもはても自分の気に入らない奴のぶっ叩き合戦ばかり。意見が違うだけなのになんでそんなに人を叩けるのか。そんなんばっかでストレス溜まる。世界が終わって俺だけになりますように。そんな七夕の夜。
野望を持って何か新しい可能性のあるものを生み出せた時点でそれはよいチャレンジだったといってよい。
99%爆死することは分かりきっているんだけど、100人に1人は新しい価値を生み出せる。
生き物は、化学反応によって感情が生じている。死ということは1個体の化学反応が停止しただけ。感情の起伏は脳の状態が表面化しただけ。
ヒトと動物は、コミュニケーションによるパターン数が違うだけで何も変わらない。
人間がコントロールできている思っている自意識は、実は脳がそう思わせているだけでずっと自動操縦なの。自分で選択できていることはなにひとつない。
前までは地方都市の繁華街に近いところにここ十年くらい住んでたのだが、諸事情で京都に住むことになった。
水田が割と残っててカエルが多い。辛い。声だけなら我慢できるけど、姿を見たら動けなくなる。怖い。
水田が近所にあるせいか知らないけど今日は家の前の手すりにいた。
耐えられない。怖すぎる。 カエルが寄ってこない薬剤とか無いんだろうか。
自分は根暗で、人間が嫌いで、自分にとって嫌なことがあるとすぐにスマホでネガティブワードで検索をし始め、精神病の名札がほしいというただそれだけの思いで精神病を調べまくってたらいつのまにかバーナム効果に陥っちゃってたり、ルサンチマンとかアレキシサイミアとかいう自分の中でかっこいいと思っているカタカナの文字列をわざわざ使いつつ、大学の心理学とか哲学だかの講義の論述問題で自分のどっよ~んとした心情を吐露して先生をドン引きさせて人様に迷惑をかけない主義の自分が先生に迷惑をかけたりしている超アイデンティティークライシス状態のつい最近虐待以外で自分の意志で飲酒しても未成年者飲酒禁止法に引っかからない程度の年齢になった大学生だけど、
本当の幸せになりたい
と思った。
自分の中での本当の幸せの定義は、「恒常的に幸せであると"感情レベル"で感じることができている状態」のことである。
感情レベルで感じるというのは、感情的に感じることができるということであり、逆に、いままで見てきた人の中に「~だから幸せだ」という、"考えた"結果として自分は幸せであると言っている人がいて、これを"思考レベル"の幸せというのならば、自分の中では 思考レベル < 感情レベル という幸せ度の違いがある。
そして3時間程度考えた結果、本当の幸せになるには性格を変えなければいけないという結論に至った(性格は簡単に変えることができないと考慮した上での結論である)。
なぜそのような結論に至ったのかというと、自分の中では感情とは脊髄反射に似たような反応であると思っていて、脊髄反射に似たような反応は性格によって起こっていると思っているので、脊髄反射的に幸せを感じるには、性格という不可侵領域をなんとか書き換えるしかないと思ったからだ。
自分の中では性格という地盤の上に考えが成り立っているので、思考レベルの幸せで妥協しようとしても、自分の場合は情緒不安定で考えが性格に支配されているので、考えがコロコロ変わり恒常的に思考レベルの幸せを感じることができない。
そこで、考えがコロコロ変わってしまうのなら、その考えを性格に強制的にインストールしてしまえばいいんじゃない?と思ったが、それはもはや"思考レベルのインストール"でしかない。
やはり本当の幸せになるためには、大嫌いな第三者に自分へ自分が感情レベルで脊髄反射的に感じる言動を与えてもらって性格を書き換えてもらうしかないのだろうか。
農家の嫁が農業家事育児介護等々で忙しく旦那もノータッチなのでなり手が居ない、だから嫁不足解決のために役場が嫁同士で手助けしあえるアプリを制作しました
このニュースだけでもかなりぞっとするが、これについて語ってる農家らしき人達も半世紀くらい価値観がズレていて
つーか私も農家からの縁談は結構来てたけどうちの娘には勤まりませんって片っ端から断ってくれてたんよね
こええ
レイプや痴漢を実際にする人は日本人男性全体の数%かもしれないけど
「性犯罪は被害者の自衛不足」「自意識過剰のブスの勘違い」「性犯罪に遭うより冤罪のほうが社会的リスクは高いから性犯罪くらい我慢して受け容れろ」といった言葉で
セカンドレイプするミソジニストは日本人男性全体の7割くらいに達する印象。
残りの3割は「性犯罪する奴がいるから冤罪も生まれて男性全体が犯罪者予備軍にされる、だから性犯罪する奴はクソ」という、ひたすら自分が迷惑を被りたくないという考えの人で、
本当に被害者女性の心情を慮り、性犯罪を「痛ましい事件」と捉える人は
実際にレイプや痴漢をする人の割合とそう変わらないんじゃないか。
日本で「何が罪か」を規定する権利が日本人男性にしか無い現状では、
レイプ=充実した日々を送るために性欲を発散する機会、
くらいの扱いがちょうどいいんじゃ無いか。