はてなキーワード: 入院とは
正直ヤマベンは度重なる入院で切れ味落ちたな
有識者いらっしゃったら教えてください。
・主婦
・生命保険の加入無し
本当にざっくりで申し訳ないけどこの状況で入院費用などの金銭的な支援って受けられるものはあるんでしょうか?
調べているけど頭が回らなくてどうしたらいいか分かりません。
これも使えるかも、という制度ももしあれば教えていただけると非常に助かります。
(追記)
数日経ってから確認しました。コメントより情報ありがとうございます。
自分はオードリーANN古参で、就職とほぼ同時にオードリーのラジオが始まった。
自分が新社会人として戸惑う姿と、急に脚光を浴びての葛藤を好き勝手話すオードリーをおこがましいけど重ねては笑っていった。国際フォーラムでのイベント、チケットとっていたのに過労で胃潰瘍になって入院していけなくて、泣きながら病室からラジオ聞いたなあ。
オードリーはそれからずっと売れっ子どころではない活躍ぶりで、若林さんは男性アナのような見事な司会業を始めたり、春日さんは世界を飛び交いながらいろんなチャレンジをしていたのは知っているが、自分はあまりテレビを見ずラジオの二人をリアルと思っていたので、なんとなくちょっと遠いところにいるんだろうなーぐらいの認識だった。
だけど、「だが、情熱がある」、これにはたまげた。ドラマは素晴らしい作りのようで、各方面から絶賛の声は聞く。ドラマに関してあれこれ言うつもりはない。(だって見てないし)だけどあんなに各方面に気を使い続ける芸人のオードリーが、まだ現役の自分を伝記化するようなドラマをオッケーするということが、すごくすごく大人の判断すぎて、まだ自分の中で整理がつかないのだ。きっと「たりないふたり」の長年の功績をそのままではもったいないとのことで、色々二人の自著を参考にしながら丁寧に作るという企画があって、その熱意で承認したのだろうけど。(実は自分は何キャン山ちゃんがすこし苦手でたりないふたりを全く見てない。それもあるかも)ラジオの二人なら「死ぬ前に自分のドラマなんて恥ずかしくてできねえよ」と言うとばかり思っていたからさ。(アンガールズの山根さんが愛ある大イジリしてくれたので少し救われたが)
なんか、毎年忘年会でバカ話してた地元の友達が、実はみんな結婚もして子供もいて家も車もあるけど、「まあ、増田いるからさ(笑)そういう話はやめとこうぜ(笑)」って気を遣っていてもらったような、そんな感覚。
そもそも才能もあって努力もできる超非凡な芸人に、ど凡人の自分を重ね合わせることが、もともとおかしかったし、そこまでストーリーをのせるのがキモいってのも重々わかるんだけどさー。二人のフリートークが少しずつ大人を隠し切れなくなるのも、それと比べての自分のガキ臭さもうっすら気が付いていたけどさー。なんだかやるせなくなっちゃうんだよね。
たまたま先週「14年もラジオ聞いてるやついねーよ!」と言ってたからちょっと寂しくなっちゃてね。実はここにいましたよ。くたくたに働いたあと暗い部屋でオードリーANN聞いて笑ってたあの日々は自分にとって人生の基盤だし、宝物だな。
なんか寝れないから吐き出し。
本当は良くないの知ってたんだけど、元野良猫なのもあり好き勝手外に出れるようにしてた(避妊済み)
私のことを子供と思ってるのか、夜に学校から帰ってくると必ず家の前で待ってた。
何時だろうが必ず迎えにきた。
近づくと玄関まで誘導してくれるんだけど、止まったり隠れたりすると「ちゃんとついてこい」と言わんばかりに戻ってきて、私が動き出すまでじっとこちらを見てた。
名前を呼ぶと絶対返事をするし、離れていても様子を見にきてくれた。会話のできる猫だった。
尻尾が短くて不器用で、なぜか人のコップで水を飲むのが大好き。でも飲むの下手くそなのでまわりびしょびしょにした。ご飯食べるの遅くて、弟分の猫にとられてた。喧嘩弱いのに私が外にいると偉そうに野良猫の前を歩いた。なんなら自分から煽りに行くイキリ野郎だった。年をとってもなお紐で遊ぶのが好きだった。腹がいつも禿げてて、病院に行ったけど治らず原因不明だった。お腹が弱い子だったのかもしれない。
去年の今頃、すでに私は家を出ていたが、家の大掃除をするとのことで久しぶりに家に帰った。といっても隣の県でよく帰ってるので1ヶ月ぶりという感じ。
実家に着くと猫が風呂場の水を飲ませろとずっと大きな鳴くようになったと家族に言われた。本当にすごい大きな声だった。
もともと流水が好きで、お風呂場の蛇口の味を覚えたか…と思った。大きな声なのは祖父母が耳が遠くなっていて、普通にないても気づかれないからだろうと思った。それで、なき癖について調べたら要求に応えるとさらに悪化すると書いてあったので、大声で泣き出したらお風呂場に入れて水あげてたけどやめようと家族と話をした。いつもの飲み水あるし。その日は大型家具を一掃して家に帰った。
その次の日にご飯を食べなくなったらしく、その翌日に実家から電話が来た。様子を見てたが全然ご飯を食べないしずっと寝てて反応が薄いと。明日の朝病院に行くと。すでに16歳なので、無理に病院には行かないと言われた。天命に任せると言われた。
色々思うところはあったが確かに最近はよろよろで老衰と言われても不思議はなかった。明日の朝1番に連れて行ってくれると言われたので判断は任せた。そのまま明け方に亡くなった。「一瞬おかしくなっちゃって、その後動かなくなった」と言っていた。死ぬ前の痙攣のことだと思った。それでも朝病院に連れて行ってくれて、老衰だと診断された。
その日、私は朝から入院してる家族の病院で先生の話を聞かないといけなくて。始発で行くべきかなとおもったけど、朝病院連れて行ってくれるなら昼過ぎでも大丈夫かなと思ってて。病院の最寄りに着いた時に電話がきて、病院に着いた時はまだ暖かかったけどダメだったと言われた。
あの時、お風呂場の水を飲みたいと言ってたのは、ワガママじゃなくて本当に喉が乾いてたんだと思った。好きなだけ飲ませてあげればよかった。しかも大掃除で大きな環境の変化もあったから寿命を早めてしまったんだと思った。
次の日に火葬にすることになり、一晩一緒に過ごした。最後だからとお供え用のいい刺身を買ったらおばあちゃんがほぼ食べたのを見てマジで殴ろうかと思った。全部猫のやつに決まってんだろ。でも、おばあちゃんはその頃には愛猫を失った可哀想な私モードで、会話にならんかったので諦めた。ていうか、家に着いて猫を抱いて泣いてる私の横で「病院で火葬手配をしてくれた。この病院はいい病院で、私はこんな世話をした。私もピンピンコロリで死にたい、死に際を教えられた」という話を15回くらいはしてたし、最終的に火葬の手配なんて1ミリもされてないしで発狂しそうだった。猫の刺身も「いい刺身が食える」程度にしか思ってなさそうだった。家を出て猫の世話を一任してた身としてはあまり文句をつけないつもりだが、刺身の件だけは一生許さないと思ってる。
火葬用の段ボールに大好きな麻紐と手紙とご飯を入れて送り出した。入院中の家族が退院したときに何もないのは辛いかと思い、共同墓地に入れずに骨を返してもらった。ちなみに、入院中の家族を不安にさせないために猫の死は言うなと言ってたが速攻でおばあちゃんがバラした。速攻で私に言い訳電話してきたのでボケてんのかボケてないのかわからなかった。正直言っちゃうだろうと思ってたが1週間も持たなくて草だった。
今週で猫の一周忌を迎えるので、これを機に骨壷の片付けをしようと思う。ペット用共同墓地は行きづらいので、骨を少しだけもらって、亡くなったペットの骨を入れる用のペンダントとかに入れたいと思う。
娘のはいているオムツが汚れたので、「おしっこで汚れたオムツ代えるね!このあとオムツはく?布パンツはく?(微妙なトイトレ中)」と話しかけたら
下半身すっぽんぽんの娘が座っている私(母親)のレギンスの上に座ってニコニコ笑いながら股間をすりつけつつ放尿
娘は母親をからかおうと、いじわるしようとして、こういうことをしているのだが
もう私ドン引き
今月出産予定の妊婦の私は体が疲れすぎていて、怒りもわいてこない
ただただ、ドン引き
「こんなことしたら汚いよ。お母さん、服がおしっこで汚れたらすごく困るよ」と諭すように言ったけど娘の心に響いてないのは明らか
ニコニコしている
そのあと、娘は私に抱きついて「ママ、大好き。ママはやさしい。ママはわたしに○○も◎◎もしてくれる。ママ、大好き」と言った。
うん、ありがとう。ママ、未だに娘への叱りかたよくわかってないし、甘やかしまくりだし、娘からしたらとても優しい母親だよね
最近、疲れすぎて怒りも沸かないし
そんなママももうすぐ出産のために病院に入院しちゃうから、しばらく会えなくなるよ
なにが言いたいのかわからなくなったけど、とにかく娘の叱り方がわからないし(怒りと叱りは違うから大声で怒鳴るのは教育じゃないよなと思ってる。じゃあ、どうすればいいの?って思う)、疲れすぎて怒りもわいてこないし、「母親」ってなんなんだろって思う
育児ってなんだろな?って思いながらもうすぐ二児の母になる
30代。子供ができた。
当然、仕事や勉強に費やせる時間は以前より減らざるを得ない。若手と比べて体力も仕事に費やせる時間も圧倒的に足りないわけだ。
一方、仕事では当然若手より大きな成果と大きな責任を期待される年齢だ。これから出世して行くか、そうでないかの分かれ道にもなる年齢だ。
そこで成果が出せないとどうなるか。上からは詰められ下からは蔑まれ。窓際まっしぐら。
毎日保育園に行きたくないと泣く子供を置いて仕事に行くが、子供に誇れるような成果や仕事をしているわけではない。はっきり言って会社ではお荷物社員だ。
親から電話が来る。母が倒れて入院したらしい。今後は介護も必要になるかもしれない。そうしたら仕事はどうなる。もう失敗を挽回できる機会はやってこない。
それでも金のために仕事を辞めることはできない。
自分が納得できるような仕事に出会えれば良いのだろうが、30年も生きてきてそれができていないのだから、劇的に何か変わるわけではないんだろう。
20代の時死に物狂いで働いていれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
父親はお金は稼いできて不自由なかったけど、酒を飲んでよくキレてた。
仕事から帰ってきてビールが冷えてないくてキレて怒鳴ったりしていた。
リビングに母親と僕と弟がいても、父親が帰ってくる車の音を聞くと蜘蛛の子を散らすように自分の部屋にもどったりしていた。
あまりにも理不尽さに、母親がキレて包丁持ち出したこともあったな。
家を出て一人暮らしをするようになった。実家に戻ったときに「猫をかってるんだ」と伝えると、父親が「捨てちまえ」という。
僕が「はぁ?なにいってんの?」とキレると、「冗談だよ」というのも、本当に面白くない冗談だったな。
その時はお前も捨てられちまえと思っていた。
そんな父親が脳腫瘍で入院している。もう起き上がることもできないので長くはないだろう。
多少悲しい気持ちになるかなとはとは思ったけど、そんなこともなかった。
かといって、ざまあみろとも思わず、ただ単に「ふーん、そうなんだ。」ぐらいの気持ちである。
手を握って安心することができるぐらいのことはする。(言葉を喋れないので安心してるかわからんが)
肉親だからではない、全然知らない人が病院にいて同じ状況だったら同じように対応するだろう。
父親の顔を見ると、あのビールが冷えてなくて怒鳴る男はどこにも見当たらない。
ただ、寝ているだけの病人だ。それを見ると、なんだか心が冷たくなる。
手を握ってみる。この手は父親の手だ。かつては自分たちを怖がらせていた手だ。
病室を出るとき、父親の顔をもう一度見た。あの男がどういう結末を迎えるのか、それを見届けることで心の整理がつく気がする。
また来週病院へ行く。
某芸能グループの外部調査の会見を見てて思った。「警察への通報義務」。ん?警察に通報しても、何もしてもらえなかったって人、自分の周囲に何人かいるんだが。
ちなみに、「なにもしてくれないなら、弁護士に相談します」というと、少しは動いてくれるらしい。
自分が聞いた話とされた話↓
「道を歩いていたら知らない人たちに集団レイプされて、ケガして入院した。でも警察に何もしてもらえなかった」←人の心無いのか横浜の警察
「男にあとをつけられてるなら、後ろに気をつけて。今から行っても間に合わないと思うんで」←殺す気か神奈川県警
「交通事故で一時意識不明になった。でも忙しいから捜査しないと言われた」←人手が足りないなら音楽隊減らせ
「お店で自分の財布が盗られたところを目撃。犯人に逃げられ通報。エレベータの監視カメラ見てくれと警察に言ったら、盗まれた瞬間が写ってないとだめだと、何もしてくれなかった」←その理屈で言ったら、空き巣は捜査しないのか警視庁
自分の気持ちをどこかに吐き出して整理したいので、とりあえず文にすることにした。
私は彼女の文章が何よりも好きだった。それこそイラストよりも。彼女の考え方に誰よりも憧れていた。元々自殺願望のあるような人で、ツイッターで何回その発言もしていた。私が知っている数年の間にも幾度か自殺を実行して、いきなりツイートが途絶えたりしていた。そして2週間後くらいにいきなり、精神病院に今まで入院しててスマホ使えなかったんだよねと言ってまた死ねなかったと愚痴をこぼす。
私自身は別に自殺願望がある訳でもましてや希死念慮がある訳でもなく、ただ推し絵師の生き方が好きだった。確かにいつも死にたいと言っていたけれど、この世界を地獄だと形容していたけれど、彼女はいつも優しかった。それでも手を取って何とかギリギリのところで生きていこうとする、そんな考え方が好きだった。
彼女は現実に耐えられなくなって亡くなった。自殺配信もしてたみたいだ。夜中だから見れなくてそれだけが今でも心残りで、最後くらい話を聞きたかった。どうして最後に自殺配信なんてしようとしたんだろう。何度も自殺未遂をしていたが今まで配信することは無かった。
前に他の自殺配信の切り抜きを偶然見てしまった時に、配信しても周囲が何か変わるわけでもなく無意味だと言っていたのに。何度も自殺未遂を繰り返しながら、それでもその動画を見て私はその亡くなった方に生きて欲しかったし、私はみんなに生きて欲しいと言っていたのに。私だってあなたに生きて欲しかった。大好きだって伝えたつもりだったのに。
自殺には賛否両論、色んな考えがあることは知っている。私は本人の自由だと思っているし、それ故に推し絵師の自殺を止めたかった自分の気持ちはただのエゴだと思っている。
私自身も死にたい時期があったから他人のそれを止めることができるなんて思えない。死にたいときは誰のことも信じられなくて、褒められれば下に見られていると感じ、責められればこの評価が正しいと思ってるときに、1番自分のことが信じられないときに、どうして他人の言葉が信頼できるんだろう。
しかも推し絵師との関係性なんてせいぜい推しとファンで会ったことも無くて、推し絵師からSNS上で認知を貰ってたところで、現実では他人だ。分かっている。
分かっているはずなのに、こうやって文字を打っている。生きて欲しかった。もっとあなたのイラストが見たかったし言葉を聞かせて欲しかった。絵だけじゃなくて気に入ったツイートまでスクショで保存してるレベルで好きだった。
推し絵師の自殺の原因はリアルの人間関係だったらしい。亡くなったあと、私は死を悼むツイートをした。彼女は垢をリアルの知り合いにも教えていたみたいだ。私が垢名を出してツイートしていたからか、推し絵師の知り合いの方から返信をもらった。
彼女の死の原因になっていた(と本人が言っていた)うちの1人で、同じく死を悲しむ旨が書いてあった。その方の普段のツイートも見てみると推し絵師を悼むものばかりだった。
私はSNSを通してしか知ることが出来ないし部外者だから何も知りえないのだけど。推し絵師がいつも愚痴を言っているから私も何となく変わった方かと(失礼)思っていたのに、拍子抜けしてしまった。
多分私は、推し絵師が亡くなったことが信じられなくて推し絵師の言う原因を恨むことでその気持ちを落ち着かせたかったんだと思う。それなのに、彼女が亡くなったことで悲しんでいるのは同じだった。リアルの人間関係にない私が共感するのは失礼にあたるかもしれないが、ほんの少し、仲間意識を持ってしまった。
ツイッターの方は最近色んなことが変わってきていて、長い間使われていないアカウントは消えることになった。推し絵師のアカウントはまだ消えてないけれど、それも時間の問題だ。それどころかツイッター自体があと何年持つかも怪しい。
だから、彼女の死はいつか消えてしまう。このブログだって誰かに読まれるかも分からないしいつか消える。それでも、推し絵師ことを好きだった人間がここにいると残したくて書いている。それと私から見て推し絵師は現実を嫌いインターネットに生きる人だったから、ネット上ならあなたにまだ伝わる気がしたんだ。
自殺を考える人に辞めろとか生きてたらいいことがあるなんて、無責任なことは言えない。説得できる気もしない。だからこそ、これは私のエゴでしかないが、私はあなたに生きて欲しいと、生きて欲しかったと、ただずっと思っている。
ここ数日で見かけた小さな「子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。
結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人にオススメは絶対できない。
私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。
中高の職業体験では幼稚園を選択したし、電車で赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わず笑いかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ。
(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任が自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士や幼稚園教諭には頭が上がりません。)
「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会からの刷り込みによるものか、はたまた生物的本能なのか、そんなことはわからない。
中学校の保健の授業で女性の妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。
身体の妊娠機能という一点にのみフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。
中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒で地元の企業に就職した。
職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブなイメージを持っていた。
私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。
ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。
子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会や卒園式などイベントも目白押しだった。
皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。
10年かけて先輩社員が子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。
私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人の犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。
Twitter上では"他社員への負担は会社側の問題であり、ママ社員の問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。
常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。
短時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)
自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。
私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。
26歳のときに結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)
子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。
ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。
パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである。
時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。
結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。
病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。
そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開で出産。息子はNICUに入ることとなる。
人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児は想像を絶した。
(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)
よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣なコメントを見かけるが
文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。
我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった
つわりが始まったころから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実である。シンプルな寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。
マミーブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態で復職など私には無理だった。
睡眠、食事、お風呂、トイレなど生物として基本的な欲求が満たされないので、高次のところに欲求がいかなくなる
もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供と自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。
身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。
そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど
でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ。
子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。
ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉でしか説明がつかない。
それくらい育児は過酷であるし、女性が妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。
そして何より、産むことそのものの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。
耐えかねる人は絶対にいる
一応断っておくが、本稿は岡田索雲によるwebアクション掲載『アンチマン』( https://comic-action.com/episode/4856001361287348513 )のネタバレ論評である。ネタバレが嫌な人は先のリンクから漫画を読んでからお進みください。
父親を介護しながら食品会社に勤務する溝口。彼は、日常で蓄積した鬱憤を“ある方法”で発散していた……。『ようきなやつら』の岡田索雲が描く、アンチの哀歌。
公式のこの紹介文のなかの“ある方法”がダブルクオーテーションで括ってあるのは、それが妄想である事の示唆となっている。その妄想と現実の境界線をどこに引くか、実はそれは本作においてあまり重要ではない。溝口のポジションが少し変わるだけだからだ。
だが、一応妄想と現実の区別を付けておこう。妄想の範囲を広く取りすぎると発散してしまうので、できる限り狭くとる方向でいく。
1回目ヘルパー、2回目同僚田山への描写が妄想である事に異論はそうないはずだ。実際に手を出すまでのマッサージ依頼や、ジャスティスブレードマグカップの部分を妄想に含めるか否かは本稿ではあまり問題にならない。個人的な感想としては、田山がジャスティスブレード好きと言うのは都合が良すぎるように思えるので、妄想だと思う。
こちらははてブ内では結構割れているようだが、どちらともとれるよう曖昧な描写に留めているようにみえる。それでも、スマホ破壊率100%やウキウキでぶつかり3連発があまり現実的描写には思えない事と、本稿の前提である「溝口に同情的に」という前提のもと、妄想であるという前提で進めていく。その方が溝口の悪質性が弱まるからだ。
この場合も、1回目の妄想対象を見つけて横目で追いかけるコマまでは妄想ではないとする。漫画では描かれていないが、対象を決めて尾行を実際に行いながらぶつかり妄想をしたとしておく。3回目で、ぶつかりターゲットのストーキング中に田山を見つけ、尾行対象を変更しているからだ。
こちらもそこそこ割れているように見えるが、正直どちらでも良い。レスバトルに完全勝利していない事から、紹介文での「鬱憤解消」には当たらない。なので、現実であってもおかしくはない。しかし、特にここが溝口の感情読み解きにかかわる事はないので、好きな方を採用してほしい。2回とも父親のうなり声で中断される所が、目覚ましで中断される強姦妄想と似ているな、とは思う。
同僚、結果的に通り魔から庇った女性、母親の3組が溝口の見舞に来るが、こちらもレスバトルと同様、溝口の感情読み解きにはかかわらないので、好きな方を採用してほしい。
まず、溝口の心に一番重くのしかかっているのが、幼少期に自分を連れずに去って行った母親である事に異論はそうないだろう。
それを埋める代償行動として、溝口は女性嫌悪、ミソジニーに嵌ってしまう。これが如実に表れるのが、2回目のレスバトルでの「女は戦えないから逃げる」(女性ヘルパーも入るかもしれない)、そして直後父親に言い放った「あんたがあの女殴って愛想つかされなかったら」というセリフのなかの「あの女」だ。「母さん」や「母親」じゃなくて「あの女」と呼んだ所にミソジニーの染みつき方が垣間見える。
母親への執着は、父親の葬式後、戸口の方を眺めるコマでも強調される。来るはずのない(恐らく連絡もしていない、そもそも知らないかも)母親を期待する視線だ。
2回目の会議後、「繊細さは女性ならではのものじゃない」という発言にお礼を言われて溝口は浮かれる。ただ、これは田山をフォローしようという意図はなく、直後に描写されるように、自分が父親の介護をしていたり、ジェンダーロールの押し付けをつらいと思っているから出てきた言葉だ。だからお礼を言われても第一声が「へ?」となる。
溝口の目に目にハイライトが2つ入るのは全編で2回あるがその内の1回が本件である。なお、お礼を言われた直後は何のことかわかっていない様子で、その後も本当に分かったのかは不明瞭だが、「溝口に同情的に」ルールで、分かったという事にしておく。
その後スキップのような軽い足取りでぶつかり3連妄想に繋がる。上機嫌なのに何故、鬱憤発散行為であるぶつかりをするのか?という疑問が沸くが、自分はこれは妄想の習慣化と考える。電車事件の前段階だ。
溝口の目にハイライトが2つ入る2か所の2つ目が、ネットで情報を仕入れて実際にスマホで女性ジャスティスブレードを観た瞬間だ。ミソジニーを忘れた、女性主人公への純粋な好意の表れ。しかし、ネットの声ですぐにミソジニーが戻ってくる。
溝口は他人が居るスペースでは基本的にマスクをしている。自宅でもヘルパーを迎える時はマスクONだ。これは、社会的な望ましさに合わせようとする意図の表れで、やったらまずい事・言ったらまずい事を出さない様に自制している事の表れでもある。
社内会議1回目での、女性モデルの胸の強調をマスクON状態で「気にしすぎ」と言ったのも、溝口が考える社会的望ましさのラインを越えていないという事だ。
また、喫煙所ではマスクをあごに寄せて口を出し、眼鏡の同僚にあまり望ましくない「狙ってんの?あの女」などというセリフをはいてしまう。
溝口の考える社会的望ましさのラインは恐らく一般社会が考えるそれよりも低い。
まず、女性ヘルパーをジロジロと眺めて嫌がられ、男性に交代されてしまう。男性ヘルパーへ「急に変わるものなんですか?」と質問しているが、自分の行為によるものだという自覚があるか否かは特に描写されない。同情的ルールに基づいて、本稿では質問の時点で気づいた(それが出来るだけの知恵がある)ものとする。
また、この件の前には、電車内で女性を盗み見するコマがある。「見る」事が加害行為になりうる事は分かっていなかったのだ。
スマホ歩き女性へのストーキングも、毎回ターゲットを変えているから発覚・問題化しないだけで、少なくとも一般社会では褒められた行為ではない。これに溝口が気づいているかは明確ではないが、先ほどの盗み見と同様に、気づかれなければ問題ないと思っていたのだろう。
父親の死後、栄養ドリンクの空き瓶の山が、ハードワーク・オーバーワークの忙しさで気を紛らわせようとする溝口の心情がうかがえる。
父親は、母親を失う原因であり、憎む対象であってもおかしくないのだが、基本的には社会的望ましさに従ってか、無言で介護をする。
2回目のレスバトルで劣勢だった怒りに任せて本音をぶつけはするが、その後もすぐに介護を続ける。
微妙な関係性ではあれど、自分の言葉が父親を自殺に追いやった事は溝口にとってつらい事実だったんだろう。
結果、残業のしすぎで上司に「最近厳しくなってる」と残業を禁止される。そこで1回目の会議で「女性の体の強調」を問題視した田山と眼鏡に目をやり、ハイライトの無い目のコマの後、「そうやって男の仕事も奪っていくんだよなぁ…」「お前たちは…」というセリフ。これは父親死亡前までなら出さなかったセリフだ。上司も大丈夫か?と違和感を示している。
溝口はここではマスクをしている。先ほど示したとおり、本稿ではマスクを溝口の社会的望ましさへあわせる態度の象徴として考えるのだが、ここでのセリフはそれに合致しない。ここに歯車の狂いが見える。自分で自分を制御しきれなくなってきている描写なのだ。
その後、ぶつかり妄想の対象を公園でみつけた溝口は、その対象を尾行中にスマホを見ながらすれ違う田山に気づく。尾行対象を田山に変更するが、これはぶつかり妄想対象としてはないように思える。その後、田山が眼鏡と会い、2人で車に乗り込んで走り去るのを目撃する。
溝口にとってこれは不倫の現場で、喫煙所での眼鏡の「狙ってませんよ、結婚してますし」というセリフが嘘だったという認識になっているのだろう。
電車の中で、溝口はだらしなく寝込んでしまう。この際、マスクが片耳にかかっているだけの状態になり、それを両脇の女性が嫌がっているコマが挟まれる。
これは溝口本人がマスクを外そうとして外したものではないと考える。片耳は残っているので、寝ぼけて意図せず「外れて」しまったと考えることが出来る。
これは直後の事件と関係する。目の前でコケて四つん這いになった女性の尻を見て、襲い掛かってしまった事だ。マスクと同じく、これはきっと溝口は意図せずやってしまったのだ。いつもしている妄想だと思い込んで乗り掛かってしまったのだ。それを補強するためのストレスが父親の死、過労による疲労、同僚の密会だ。
意図せず女性に襲い掛かってしまった瞬間に通り魔に後頭部を刺されてしまう。
最初に確認したとおり、見舞客が妄想か否かは本稿では問題にならない。同僚達や庇った女性たちは、ただ淡々と見舞に来る様子だけが描かれ、溝口の感情が動く様子はみられないからだ。どうでもいいのだ。
だが、死の間際(飛び立つトンボ、落ちる最後の一葉、飛行機雲の3重の示唆がある)に母親が見舞に来て、手を添えられた時に溝口の目からは涙がこぼれる。結局溝口が欲していたのは母親だけだったという事だ。余りに単純すぎる解釈だと思うかもしれないが、であればこそ溝口の哀れさが際立つ。
ここからはIFの話だ。母親を失った悲しさで得たものは偽の名誉であり、それは溝口にとって何の意味も無かったことは言及した。
孤独は闇の感情を加速させる。孤独な以上、「ケア」される機会もない。ネットのレスバトルはネットで完結してしまい、その先に居る個、溝口を慮ることは無い。
割れたスマホとのレスバトルで、溝口は一端の真実を話してもいる。「(ぶつかり)被害者は女だけじゃない」「役割を押し付けられて辛いのは女だけじゃない」。ただ、それは加害の理由にはならないのだ。内心の自由はある?ただの妄想?私見では本作ではそれが現実に結びつく危険性が示唆されている。
一方で、割れたスマホから流れてくる溝口に敵対する意見にも論点ずらしやただの悪口になってるのも多い。
大前提として、レスバトルで人は考えを変えないのだ。カルトや悪徳商法に嵌った人は、ただ事実を突きつけられても意固地になって更に悪化する事がある。そこから抜け出させるためには、親身になって付き合ってあげる人が必要になってくる。近年の反ワクチン問題やカルト問題でもそういう記事をたくさん見た。
作品中には溝口が心を許せる相手は一人も出てこない。友達の影すらない。同僚とすら付き合いは希薄だ。助けが必要な人ほど助けて!と言いづらい構造もある。
朝日新聞の記事に、『「死刑囚の元同僚」ツイッターで実名発信 孤独な人の相談に乗る理由 (https://www.asahi.com/articles/ASR655CM1R65UTIL015.html)』というものがあった。
「最後にアクセルを踏むか迷った時に、頭に浮かぶ人になりたい」そうだ。溝口はアクセルを踏んだのではなく、うっかり道を踏み外したわけだが、彼に必要だったのはこういう人の存在だったんだろう。時には赤の他人の方が悩みを打ち明けやすい場合もある。チャンネルは多い方がよい。ただ、こんな重い事自分に出来る気は全くしない。
孤独による不幸を減らすために出来る事を考えてみよう。
表題の通りです。
すぐには辞められないけど、次は更新しないと決めている。
私自身世間一般のケアマネジャーからしたら若手になると思う。それでも30代。……30代が若手扱いの業界って何なんだろう。
やめようかなとぼんやり思い始めている。
時間とお金ばかり取られる更新研修(これが地味に辛い、お金もマン単位)
増える利用者様
罵倒されることもある
他の事業者からも家族からも利用者様からも入院先の病院からも何でも屋扱い
休みがなく動いていると思われている。
ケアマネにも人権があるよ、皆が思っているより給与低いし忙しいし時間がないよ、と伝えたい。
深刻なケアマネ不足、ケアマネの高齢化がリアルになっています。
どうすんのこれ?って気持ちです。
一人あたりの受け持ち件数を増やせばいいとか思ってるの?
国がケアマネに求めていることと現実がすごくちぐはぐに感じてしまう。
いずれケアマネ有料化になったら、また色々と大変なことになるんだろうな。
もう何も考えたくなくなる。
『アンチマン』というミソジニストを描いた漫画が話題だけども、あの漫画の妙は、内心のミソジニーと客観的評価が乖離している部分にある。
優良企業の正社員で個室に入院できる勝ち組溝口は、内心のミソジニーによって女性の繊細さを否定したことが結果として性役割分担の押し付けを否定するフェミニズムに適った行動となり、そればかりか寝呆けてレイプしようとしたことが結果として命懸けで暴漢から女性を守る行動となった。
彼は同僚田山に感謝されたが田山は似非フェミおちんぽ騎士団の同僚と不倫し、暴漢から護られた女はせいぜいお見舞いで心からの感謝を述べたきり、彼は孤独な入院生活を送る。
彼は、行動に見合う程度の賞賛しか得られず、全人格的な肯定は得られなかった。
ところで、最近、『ケアの倫理と共感』という感情主義的徳倫理学からケアの倫理を説いた本を批判する書評がホットエントリー入りしていた。批判内容は要するに、「「思いやり」のあるなしや共感の有無に基づいて行為の正/不正を論じること」は「誤り」である、という点に尽きる。
就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。
扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラで更迭されるタイプの上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。
そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。
とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署に転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。
そこでも管理職に就いたり、年単位のプロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。
けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。
なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。
命に別状のないものがほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。
そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。
退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。
専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社が自分たちを必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。
次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。
だから、会社や組織の心配はほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。
それから、通院や体調の関係で仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。
月1ほどで血圧や採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。
さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそものスケジュールにバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然、担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量の天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。
ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性のほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。
子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社が業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。
客観的に見て、自分は環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。
子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せな人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。
両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分に子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。
同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分が当事者になって初めて分かったことだった。
この記事は、かつての不理解な自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分の人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。
自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間が産休を取る場合もあるということを、かつての自分は無自覚に想像の外へ置いていたと思う。
だからこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。
人は自分から遠い立場の人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分が当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。
世間的に、産休や育休からの復帰をとりまく環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者がいるかもしれない。
彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せだから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。
そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。
私は帰れるうちに独り暮らし先に帰った。
研修期間に1週間以上の欠勤確定。
親が私にひたすら謝罪している。
というのも、私は実は20代後半。
技術適正が高そうだから採用されただけの年増新卒が、身体を壊し、自慢だった頭にもやがかかった感覚に陥り、マナー違反を繰り返す。
どうしたらよかったんだろう。
母親はくも膜下出血の後遺症で言葉をうまく使えないから、体調不良を伝えられなかったのは正直「だろうな」って感じだし……
私は発達障害(診断済)とか双極性障害(診断なし)とかの感じちゃうだからコロナの症状がきちんと重い。高齢の親より重い。
空気読めなくてもIQ高いことだけ取り柄だったのに。頭のもやもやと倦怠感早くどこかいってほしい。
大学を卒業して社会人になった日から全部が止まっている気がする。
自分がもう何年も何年も働いていて、その間に転職や入院をした強烈な記憶があってなお、大学を出た年から人生が全く動いてない気がする。
成長が止まっているのが原因だろう。
仕事のことは身についているが、日本社会の外に出れば何の役にもたたないだろう。
科学や語学の知識、論文の書き方、飲み会のセッティング、社会に出てから使った知識、使ってはいないがいつか使う能力、そのどれもが学生時代に既に身につけていたものみたいに思える。
会社の中でしか使えない身内ルールの経験値、取引がある会社の商品に偏った業界知識、そういったものを身につける裏で基礎的な学力は日に日に落ちていくのが分かる。
中学校の数学さえいきなりテストを受けたらボロボロだろう。公式がちゃんと頭に入っている気もしないし、問題文と結びつけるセンスが喪われている。
歴史も地理も地学も、日常で出番のないものはまるで分からない。
47都道府県の全ての県庁所在地を並べるのはもう出来ない。単純に思い出す力が下がっているから、一生忘れないはずのことさえ咄嗟に思い出せないのだ。半日すれば思い出せるかも知れないが、その場で諳んじれないのは中学生であれば恥ずべきことだろう。だが、大人の中にはそういう人間が大勢いるんだ。
そういった劣化や成長の無さから目を逸らしたいのか、体感年齢はずっと止まっている。
身体や記憶がボロボロになっていくので歳を取っているのは実感するが、その時間経過に付随するはずの人生に対しての手応えがない。
夢に向かって進んでいたはずという認識が自分につかれていた嘘だったことにある日気づき、そこから慌ててとりあえずで仕事を見つけ、それから世界は止まったままだ。
鏡に映る中年を見るたび、自分の年齢を書き込むたび、強い違和感とともに現実を思い出す。
あったはずの人生が失われている。「失われた○年」が自分の中で起きている。確かに積み上げた年齢を証明するものがない。預貯金はそれなりに増えているし、肩は上がらなくなってきた。ただそれだけだ。人生の次のステージにたどり着くことが出来ないままずっと昔通った道をグルグル回っている。
仕事は学生時代のバイトの延長をどこまでもしているような感覚しかない。責任を求められているのはバイトリーダー的な責任からの延長のようなものとしか思えない。自分が所属してる組織の正式な構成員であるという実感がなく。やっているビジネスがどういう経緯で人を雇えるレベルで成立しているのか実はよく分からない。
子供の頃に想像した漠然としたサラリーマン像の中で今も生きている。夢から醒めれば自分はまだ中学生なんじゃないかとさえ何度も何度も思ってしまう。
それほどここ何年もの人生に対しての実感がない。本当に自分は生きてきたのだろうか。偽の記憶を植え付けられているのではないか、実は就活に失敗した男の妄想でまだ大学を出て一ヶ月ほどなのではないか。そういった妄想に一理も二理もあると考えてしまうほどに自分の体感年齢が狂っている。狂っていくのだ。
病院職員をしています。この仕事をして約5年が経ちました。ベテランとは程遠いものの、新人とは言いにくくなってきました。
中くらいの規模の病院です。様々な患者を見てきました。そこで得た経験知があって、それは、多様性叫ばれる令和になっても尚、良好な関係性の血縁が最強ということです。
社会の一員として、社会システムの利益を享受しまともな生活がしたいのなら、絶対に結婚したほうがいいし、せめて親や兄弟は近くにいるほうがいいです。
ちょっと前に流行った、『置かれた場所で咲きなさい』というのはとても真理ですね。あれは、植物のように、生まれついた場所で交配しなさいという意味だったようです。違うか。
まず病院は、入院してきた人が単身独居の時点で、「うわぁ…」となります。そんな人珍しくないでしょって思いますよね。いえ、そこそこ珍しいです。感覚だと10%ないくらい。
そういう人の援助のため働く人(ソーシャルワーカーとか)がいる、と考える人もいると思うけど、その場面で必要な援助って、家族以外誰もできません。例えば急に入院したけど現金を持ってないとか、着替えがないとか。実際に困るのってそういうところです。当たり前ですが、基本的に病院には最低限の衣食住しかないです。鍵を預かって家に入って荷物を取りに行ける人は、病院職員には一人もいません。そりゃそうだ、と思う人は常識人です。お願いすれば、病院の人がやってくれるって思ってる人は結構多いです。
確かに療養生活で起きた日常的な困りごとはソーシャルワーカーさんの領分ではありますが、彼らが初動でできるのはせいぜい関係機関への働きかけくらいです。主に役所系。このへんはイメージされている通り、めっちゃ動きが遅いです。
入院している時点で、すぐには自分の身の回りのことは自由にできないです。病棟によっては携帯電話の使用も制限されます。緊急であれば連絡手段がない状態で来てしまうこともありますが、携帯を持って来てくれる人はいません。公衆電話はあるから完全に通信が制限されてる状態ではないですが、公衆電話を使うにはお金がいります。そのお金は誰が?
親も兄弟も疎遠なので恋人に連絡してほしい、と職員に頼んでくる人がいます。
そんな重要な相手がいるなら籍を入れておいてほしかったです。だって家族じゃないとこちらは簡単には連絡できないもん。疎遠でも、血縁者への連絡が優先されます。
家族じゃない人に患者の個人情報を電話で話すのは、本人が想像している以上にハードルが高いです。私がいいって言ってるんだからいいでしょって訳にはいかないです。こっちは安い給料で、よく知らない患者と自分の身を守りながら慎重に動いているので。
家族じゃなきゃダメなんて今の時代に合わない、病院は遅れてるって思っていた頃もありました。でも今は、動きの遅い行政機関の気持ちの方が理解できます。だってこの国の人間の第一責任者は家族です。家族以外の他人の介入は慎重にならないといけないです。そこで生じたトラブルの責任を負える程の給料は誰ももらってないので。
一人で生きるって思っている方。
何か困ったことがあれば、然るべき職業の人が助けてくれるって思ってる方。
確かに生き方は自由だし、社会システムは整っているのでどこかに繋がれば見殺しにはされないです。なんとかなります。
でも助けてくれる人は、最低限、仕事で助けるだけというのは理解しておいてほしいです。
枠組みの中でしか動けないし、組織の端くれが何か決断できることはありません。判断には時間がかかります。書面のやり取りも必要です。どこか画一的なのは仕方ないです。
思ったように動いてもらえなくて怒る人に、口先では謝ることもありますが、腹の底ではそれがお前の生き方の結果だよ、って思ってます。無責任な生き方だと思ってます。仕事だから投げ出したりはしないけど、トラブルを避けるためにより慎重になり、もっと動きは遅くなっていきます。
なので主題。