はてなキーワード: 入院とは
という話を、5月の26日くらいに投稿したんだけど、その後日談。
パートナーの弟(以下単に「弟」表記)は、幸い一命を取り止めた。それはいいのだが、なんと最近、入院先の病院を追い出され、ヤブ医者との悪評の高い某病院に転院したところだ。
数日前の夕飯時、パートナーが言った。
「そういえば今日、母さんと一緒に弟のお見舞いに行ってきたんだけど、」
「へぇ。それにしては帰り早かったけど、仕事は早退してきたのかい?」
弟が救急搬送からそのまま入院した大病院は、隣の隣の隣の市にある。往復だけでも二時間くらいかかるのだ。
「いや、普通に仕事終わって帰ってきて、母さんを実家から拾って行って帰ってきたよ」
どんなマジックを使ったらそんなことが出来るのだろうか。いぶかしがる僕に、パートナーはまた言った。
「ファ!?」
●●病院は、僕らの棲むアパートから徒歩数分の所にある。一応は総合病院で、スタッフが沢山いるにも関わらず、常に外来患者の姿は疎らだ。ヤブ医者だという悪評がひろまっているからだ。一般の外来患者相手というより、偶々救急搬送されてきた怪我人や急病人、そして併設されている老人ホームの入居者を診ることで回っているような病院。ちなみにそこの老人ホームは通称「終の棲家」と呼ばれ、介護士達が入居者を虐待しているのが公然の秘密となっている。
いったい、大病院に入院していた弟が、どうしてあんな病院に転院してきたのか。見舞いに通うのには遠く離れた市よりも近所の方がいいとはいえ、●●病院とはずいぶんな選択だ。
「あいつ、病棟の看護師さん達に悪質なセクハラやっちゃったとかで、追い出されちゃったんだよね」
脳に損傷を受けた患者にはよくあることだが、弟は手術後に精神が錯乱してしまったというか、人が変わったというか……。病前は大人しい性格で、女性に対しては自ら絡んでいかない方だったのだが、脳の損傷した場所が悪かったのか、人間らしい理性を喪ってしまい、言動に抑制がきかなくなってしまった。
入院していたのは脳外科の病棟だから、そこに働いている看護師達はもちろん、そういったことは脳を傷めた患者にはよくあることだと理解しているはずで、実際研修などでちゃんと教育されてきた人達なのだという。
ところが、弟を担当した看護師達が相次いで弟の看護を続けるのを拒否し、配置替えして欲しいと訴えてきた。
すると、そこの看護師長がかなり気の強い人で、部下を守るために強気で病院側と闘った。そして遂に看護師達の要求が通り、弟はベッドにベルトで拘束され、県内の病院で、家族が通える範囲内にあって、脳外科病棟があってリハビリも出来る病院が探された。
そして、全部の条件に当てはまる病院といったら偶然にも●●病院しかないということだったのだ。
転院の理由が理由だし、●●病院でも弟は冷遇されるのではないか……最悪、看護師達からセクハラの報復にかこつけて虐待されるのではないかと、他人事ながら心配になってしまう。
パートナーはショックを受けて沈んでしまっているが、彼らのお母さんはどうなのだろう。実をいうと、お母さんは他人の事より自分の面倒くささを優先するような人だから、我が子が病院でどんな目に遭わされても、替えのパジャマを届ける手間が省ける方を選びそう。
それにしても、いくらなんでも●●病院というのは。某医大病院とか、もっと良いところではよくなかったのだろうか。
パートナーは、あの弟が看護師全員に拒否られるほどのセクハラをしてしまったことにもショックを受けてしまっている。
「普段大人しい人の方が、普段抑圧されている本性が解き放たれると凄いっていうじゃん」
「いや、脳が変われば性格も変わってしまうものだから。今の状態が弟くんの本性な訳じゃないから安心してよ。回復してくれば言動も元に戻ってくるらしいしさ」
「そうかなー。でも、看護師全員、担当から外してくれなきゃ辞めるとか言い出すほどのことをしちゃったんだぞ。いったい、どんだけだよそんな」
「いまどきは人手不足だから病院も看護師さんを大事にするし。不快なことをされたら堂々と拒否していい、被害を訴えていいって世の中でもあるよ。誰も我慢しなくてよくばなったから我慢しなくなっただけだから、それが弟くんの言ったりやったりしたことの重さとは必ずしもイコールではないと思う」
「うーん」
この件について、僕が何か言ったところでパートナーにはなんの慰めにもならなさそうだ。
まあ、僕は弟の介護に関わる訳じゃないから、口出しする権利もないだろうし。
僕は、パートナーの家族、弟にもお母さんにも誰にも認めて貰えていない存在なので、出来ることなんて何もない。
前妻は正気じゃないところもあったし保護入院手前まで行ったけど、入院されると離婚のハードルがグンと上がるからサインしなかったわ笑
死なれたらそれはそれで仕方ないと思ってたし
今後の治療方針の話をするために、姉の私が病院の先生と話すことになった。
そしたら早々に「弟さんって女の子ですね」って言われた。
確かに弟は女の子みたい。顔がとかじゃなく、女の子が好きなものが好き。多様化の社会といえど、30手前の男がディズニープリンセスのスマホケースを堂々と使い、スマホや音楽プレイヤーなどのデジタル機器はピンクで統一。趣味はぬいぐるみ集め。正直変わり者である認識はあったし、母も「あの子が女の子になりたいって言ったとしても止めないわ」と姉に相談するくらいには女の子らしい男である。
じゃあ、心も女なのか?といえばそうではなく。性自認は男(だと思う)。女子トイレに入りたいなんて言わないし、スカートやメイクをしたいわけじゃない。学校は年相応の男の格好。女の子扱いしろと言われたこともないし、自ら進んで銭湯(もちろん男風呂)に行く。
でも、女の子らしい精神の男だ。何なら「女である姉より女らしい」と言うと喜ぶ。
本人の自覚がないだけで心が女ってことがあるのか?と一瞬混乱したが、先生が「性同一性障害とかではないですが、話し方や考え方などが女子です。検査した結果言語に関する数値が高くて、女性に多いバランスになってる」「女性に強い憧れみたいなのがあって、無意識にそちらに寄ってるんだと思うんですが心当たりありますか?」と聞いてきた。
心当たりはあった。父方祖父が学歴厨で、特に男には厳しかった。いい学校に行って、人脈作らせたくてしょうがない人。一方で女に興味がなく、私は絵画教室に通っていて「小学生から油絵やってる孫(娘)」というラベルで十分らしく、教育面は放置されていた。
端的にいえば、わかりやすい虐待はされてないけど毒親家系という感じ。
男は男でお小遣いが多かったり、学校休んで旅行連れて行ってもらえたり、何かと意見が通りやすかったりと私からすると羨ましい点もあるが、弟は「女の子に生まれたらこんなに苦労(いい学校行けと勉強を強制されたり)しなかったのに」という意識が強いというのは感じてた。
最たるものは、大学受験時に「俺は行きたい学校行けなかった。姉は金のかかる絵の学校行ったのに、俺は長男だろ。ここにしろって指示されて普通の理系大学さえダメだった」といまだに怒っている。
ちなみに、地方の有名私立大学(高額、弟の当時の学力じゃ無理)なところに下宿して通いたいので受験したい、お金出してというのを拒否され、同じようなこの大学じゃだめか?と言われただけである。
話ずれたが、何が言いたいかというと弟は「女だったら俺はもっと幸せになれた」という思い込みの強い「女のような態度の男」だったって話。
先生曰く、最近はこういう人が多いと。これまで何百人と性同一性障害だと主張して受診してくる人はいたが、本当に性同一性障害だった人は3人しか見たことがないと言っていた。
体を作り替えたら後悔しても遅いので、性同一性障害の疑いのある人は何度も何度も診察をするし、患者のために厳しいことも言う。すると、ほぼ全員が途中で諦めるらしい。
それでもやっぱり体の性に違和感があってこのままは無理なんです!!って訴えた3人にだけ診断書をだしたと。
多様性が叫ばれすぎて自分の性がぶれている人が多い。本物はどんなことがあっても自分の認識している性に戻りたいと強く思ってる人。他人に言われてぶれるようなやつは思い込み。多様性と叫ぶのもほどほどにしてほしい。と先生が言っていた。
って、女子トイレ利用の裁判の話を見て思い出したって話。弟は鬱の治療の中でADHDの診断は降りた。大学の話とか話通じてないからまあそうだろうなとは思った。
半年ぐらいで退院して毒親と離れるために地方の親戚を頼りに引っ越した。一年は連絡してないけど、今もディズニープリンセススマホケース使ってんのかな。
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ママ友相手に布教活動をはじめ、日傘の新たな使い方を模索し始める
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自転車に乗る時も日傘は便利と提案するも当然のことながら駄目出しされる
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「日傘は悪くない」と頑なになる
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自転車で子どもとぶつかり入院が必要な怪我をさせる(よりによって息子のクラスメイト)
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今後の活躍に期待したい
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
勤め先が非正規にも腹部超音波検査受けさせてくれる神様みたいな会社で、そこで左腎嚢胞症の疑いと診断されて、総合病院で精密検査受けたら普通に腎癌ステージ2。
今度入院して切るのだが、移転とかたぶんないから大丈夫だと思うとの事。
80代の親がまだ元気だから俺もずっと健康だと勝手に思っていたけどそうでもないんだな。
しかし、何というかこういうのって親には言えないな。
高額医療費補助という制度のおかげで一定以上のお金はかからないらしくて助かった。
勤め先に相談したらめっちゃ心配してくれてありがたかったが、契約切られなければいいなぁという切実な思いもあり複雑だ。
42歳。
色々あんな。
https://twitter.com/fraisst/status/1678017355014881280
あららワクチンだね。
免疫抑制するワクチンだからね。扁桃周囲膿瘍もワクチン接種後になる人多い。
立花さん「コロナは風邪だ」とか言ってワクチン打ってなかったのにね。
アホだね。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw11215690
ホリエモンなんて「mRNAワクチンの機序、全く理解してないじゃん」って、結構前に叩かれてた問題人物だからね。
https://twitter.com/ManpukuYuichi/status/1627897054247927809
でも、ちょっと驚き。
まだ2回目なんだね。年齢もあるだろうけど2回目で、ここまで体が悪くなる。
前は1日1ターンの元引きこもり
元々創作はしてたけど、大学行って帰って創作2時間勉強2時間やって終わりとか、大学さぼって創作5時間やって終わりとかそんな感じで大学卒業後もそんな感じで1日1ターンだった
買い物に行ったらその日は当然家での作業だけ
自営として創作初めてほぼ毎日8ー15時間決まった時間に起きて創作するようになってはや5年
昔は二日前からスーパーの広告見て決まったものを月に2回買いに行く、コンビニにも3日ぐらい悩んで行くレベルだったのに
今じゃ30秒後に着替えて出かけたり、買うもの決まってないけどなんとなく買い物に行けたりもする
そしてなんとその帰りに飯食って家帰ってからも別の場所にいったりとターン数が明らかに増えた
病床にもあるし院内トイレにもある そのうえで携帯をもっていてコールする必要があるところで電話ができる余裕があるときに連絡をする意味とは
盲腸の状態で激痛のはずなのにそれを超えて腹膜炎になった後からの緊急手術はわりとやばい
そのあとも再燃することがあってかなりやばい
わからんからその携帯番号をしっかりもっておくかカルテのあるかかりつけに行くようになにかもっとくべき
つまり
ピンチはチャンス
超名門中学の物理研究部の資料を読んでいたら大学生も太刀打ちできないレベルのことやってた
https://togetter.com/li/2140099
灘中学の生徒さんということだから、将来は東京大や京都大などの難しい大学の医学部を目指すんだと思う。
お医者さんになったら、数学や物理学に興味がある患者さんとコミュニケーションをとってくれる、立派なお医者さんになってほしい。
【追記】
コメントであの会長の物言いには記者が無礼な態度をとったのでは、というものがあった。記者の態度については当然自分も知らないが、研修会で某会長の講演を聞いたことがある限りでは、普段からああいった話し方をする人だと思う。それなりの精神科医が内心思ってる、でも表には出しにくいことを、時に攻撃的に露悪的に主張する、というのは一定の需要がある。
それと一つ抑えておいて欲しいのは、あの会長は「精神科病院協会」の会長であるということ。つまり精神科医の大多数を代表する精神神経学会とは無関係。精神科医でも某会長を嫌ってる人は山ほどいる。それでも重症患者の現場を知る精神科医であれば、あの会長の言うことの全てを否定することはできないだろう。
【追記終わり】
精神科医です
あの会長みたいに開き直るのもどうかと思うが、
あの新聞みたいに運良く退院できた人を連れてきてみんな退院できるはず!と思わせるのも不誠実
とりあえず身体拘束を減らしたいのであれば、認知症で入院した人が病棟で歩いて転んで亡くなった場合に
まずはそれからだ
一方で身体拘束しなければ24時間見守らないと何するか分からない
こんな状況で無理して身体拘束外すインセンティブがあるわけないでしょう
まあ認知症への身体拘束は医療側に責任を負わせるような判決が続くかぎり
増えることはあっても減ることはない
認知症は以上
では統合失調症はどうか
身体拘束していないと自傷、あるいは他害するおそれのある統合失調症患者は一定数いる
それは間違いない
が、今の身体拘束は必要最小限かというと、それよりはかなり多くなっている
なぜか
統合失調症の急性期に3時間話を聞いてクールダウンさせてなんとか薬を飲ませる(あるいは徒労に終わる)のと、
身体拘束して有無を言わさず薬を飲ませる(or 注射で投与する)のと、
他の入院患者が不穏になって、むしろそちらが身体拘束が必要になるかもしれない
精神科病棟は伝統的に看護師配置人数が一般的な身体病棟よりも少ない
それだけで十分だろと思われているのだ
そして残念ながら多くの人員を配置すれば予後が大きく変わるわけでもない
下手したらとっとと身体拘束して薬を投与したほうが退院までは早くなるかもしれない
集学的な治療が、残念ながら現実的なアウトカムにそこまで影響しない
こればっかりは病院の体制によるので外から簡単に批判できることではない
ただし0にはならない
あとは重めの知的障害や自閉症スペクトラム、会話での疎通が困難なケース
環境調整で身体拘束が減らせたり、うまくいけばなくせることもある
そもそもこういった人は本来病院にいるべきではないと自分は思う
とりとめもなく書いてしまったが
時代は変わる
なんか元増田消えちゃったね
■
統合失調症は進行性の病気であり根治治療の方法もない。投薬によって悪化にブレーキをかけることはできる。しかし当人が正しく病識を持ちにくいという困難さがある。
しっかり服薬してないと廃人状態までノーブレーキで真っ逆さまである。統合失調症患者が「電波が来た」とか言って暴れたりしていられる時期は長くない。じきにそういうことを含めて何もできない人格荒廃の状態になる。そのまま放って置かれれば生命維持自体が困難になってくる。
多くは自分で動き回って問題を起こしたりしている段階では周囲も手の出しようがなく、寝たきりの廃人一歩手前になったところで入院となり、その状態を永く維持するだけになる。
さて、翻ってネット上のいわゆるキチガイの特徴はしつこさ、安定感である。
良くも悪くもならず特定のサイトに年単位で同じような内容の意味不明投稿を続けたり、特定の対象(人物)に執着して粘着し続けたり。
同人関係の話、もう時効ってことでいいよね、フェイク込みだけど10年前のこと。
当時は若かったということで、後で消すかも。
とあるマイナージャンルでプチオンリーが開催されると告知された。
まあ、マイナーと付いている通り飢えに飢えてたジャンル者は大喜び、更には記念アンソロも発行されるという事で界隈で有名な人達も執筆って事で盛り上がる盛り上がる。
……まあこの時点でそれなりに同人経験ある人なら「ん?」となると思う、半年後のプチオンリー合わせのアンソロって規模にもよるけどかなりスケジュールがカツカツ、すぐに取りかからないといけないレベル。
まあでも、主催の他にも協賛が付いていたしプチオンリーのサイト、Twitterやアンソロ告知がされていたし、アンソロの執筆に関しての詳細が送られてくるのを待っていた。
そこから二ヶ月、主催から個人的なお誘いを受ける(本当に個人的な事、遊びに行きましょうというお誘い)
はい、まだアンソロ執筆に関しての詳細が送られて無かったんですよね、残り四ヶ月。
当時、同人初心者だった私はそんなもんか~と思ってました、うん、馬鹿だね。
んでそのお誘いを受けて、その中でアンソロやプチオンリーに関しての詳細を主催から熱弁されて「話は水面下で進んでいるんだな~」と暢気に思っておりました、今思うと本当に馬鹿だね。
そのお誘いから二週間後、なんと主催が自身のTwitterで入院すると告知、純粋に心配だった私は主催に連絡、
主催は「大丈夫です!大した事無いので心配しないでください!」と返って来たので「無理しないでくださいね」と送りました。
その次の日、協賛の方から私に連絡、「少し前から主催と連絡が取れない、入院の事も聞いていない、プチオンリーやアンソロは主催しか分からず、今回の件で辞退者も出ていて中止になるかもしれない」
私、晴天の霹靂、寝耳に水、Why? 昨日まで普通に連絡取れてましたが?
それをありのまま伝えたら協賛の方から「Skypeで話せないか」と打診され、それを受けることに。
その日の夜、Skypeで話すことにこの時点で協賛の方とは一切面識無し、向こうも私の事を主催側の人間だと思ってたんじゃないかな。
そこには協賛の方と協賛のご友人が数名。私、完全にアウェー。
んでそこから出るわ出るわ
・今月になってもアンソロの詳細が一切決まらないから協賛が主催に連絡したけど一切反応がなかった。
・実はオフセット本のノウハウがあるかすら怪しく、告知サイトの管理は協賛に丸投げしてた
・徐々に不信感が募ってきたその矢先の主催からのいきなりの入院宣言
という事実が判明。
もうね、リアルでファーーーーーwwww ですよ。
んで恐らく、話から聞くに連絡を無視しはじめたの私と遊んだ頃なんですよ、その時から主催は協賛や執筆者を平然と無視してプチオンリーとアンソロの事を私に話していた訳ですね。
まあでも、一応主催の言い分もきこうかね、と主催に連絡、「入院するならプチとアンソロの今後の事を説明した方がいいですよ」と送るも、
昨日まで連絡出来てたのが嘘みたいなスルー、いくら待っても返信なし。
……まあ、さすがの私でもここで「やってんな」と察しますよね、ここから以後は主催と連絡取れなくなりました。
そこからアンソロは発行中止、協賛の方は協賛を降りる事になり(主催と一切連絡とれないから当たり前ですね)
またプチオンリーは某社の規約だと主催以外は個人情報の云々により何も出来ない状態に。
空 中 分 解 。
んでマイナージャンルとはいえ、これだけ大事をやらかしたんだから、ジャンル外の一部の人もこの騒動を知ることになり、今で言う炎上。
今なら間違いなくトレンド入りするレベルだったけどそこまで大騒ぎにならなかったのは時代とジャンルがマイナー故か。
ただプチオンリーやアンソロは空中分解しても、既にサークル申し込みしていた人が複数居て(自分もその一人)
仕方なくイベント準備、当日を迎える事になります。なおここまで主催は一切音沙汰無し。
ただ、プチオンリー本部が3SPも取られてた事は気になりましたが(主催が何するつもりだったのか後述)
そして当時の某社のプチオンリーって主催に向けて開催記念のミニフラワーみたいのを置いていたんですよね。
これどうする? となって私が貰っていくことに。
「主催が入院中と思われる時期に別ジャンルのイベントに参加していた」というメッセージと共に主催のTwitter裏アカが元協賛の元にリークされたんですよね。
鍵も掛けてなかったので第三者からもまる見え、そのTLに入院していたと言われる時期に別イベントに参加している主催のツイートが載っていたわけですよ
真相は今となっては分かりませんが、ほぼ九割方入院は嘘だった、ということですね。
元協賛は主催のその裏アカに凸るもブロックされ、主催は完全に何事も無かったかのようにツイートする日々。プチオンリーやアンソロについては無視でした。
そして元協賛から私もその裏アカを教えてもらいTLを眺める事に、プチオンリーやアンソロに関して何か言わせたいけど、
ただむやみに突っ込んでもブロックされて終了だろうから何かないかと考えあぐねている所、主催はツイートしました。
そうだ、直接乗り込もう。
はい、最初に話した通り、主催とはリアルで会える距離だったのでイベント会場は余裕で私も行ける場所だったんですね。(元協賛は遠方住み)
んで、更に主催はどうやら私が何も知らないと思っているっぽかったんで平然と次の予定をツイートしてた訳ですね。
よし、行こう。
……とは言ってもここまで読んでくださった方なら分かるかと思いますが、一人で会いに行くのは主催が何しでかすか分からないのでさすがに危険と判断し、急遽私のリアル友人を召集。
友人達はジャンルは別だったものの、プチオンリーの事情を知っており、ノリノリで来てくれました(今でも本当に感謝しかない)
無事に見つかったものの、スペースにいない。
実は主催はレイヤーもやっており、撮影の為に席を外していたっぽいんですね。
ここで裏アカ確認、リアルタイムでコスキャラを画像付きでツイートしていたため特定。
「よし、行くよ」
「○○さん(主催)」
主催、私を見て固まる
「分かりますよね?」
主催、黙る
「ばっくれたプチオンリーとアンソロの件、協賛の人とアンソロ執筆者に謝ってください!」(クソデカ大声)
それを見た私の友人、引け、と腕を引っ張って合図する。(私が予想外にクソデカ大声を出した為、揉める前に、という判断だったらしい)
「分かりました、今日の所は帰ります。ただこれを受け取ってくださいね」
と、私、プチオンリー開催記念のミニフラワーを主催に押しつける(嫌味の為に持ってきた)
そして、忘れず主催の裏アカに捨てアカで凸、「ちゃんと謝るんですよ?」と追い打ち。
はい、その日の晩にようやくプチオンリーとアンソロの謝罪文?が出ました。プチオンリーやアンソロ関連のTwitter(主催が管理してた)もようやく削除。
ただ、元協賛の方に再びリーク、どうやら私に凸られた後、私のクソデカボイスからレイヤー仲間から問い詰められたようでやらかした事を素直に白状したらしく、
(ちなみに元協賛の方は私が凸った事は知っています)
と、こんな感じでプチオンリーをばっくれた主催に凸した話は終わるんですが、実は話はここで終わりません。
実はこの主催、当時の名前で今も同人界隈にいます(先程出た別ジャンルにて今も活動中)
私が数日前、Twitterのトレンドに載ってたTLを見ていた所、見覚えある顔が……はい、レイヤーでもあるのでアイコンがコス写真なんですね、一発で分かりました。
ツイート内容は「(トレンドに載っていた件で)自分もそれで色々苦労した」と言っていて
「いや、当時あんたに振り回された人達はもっと苦労したがな」と突っ込み入れたくてしょうがなかったので、こうしてここに書くことにしました。
ジャンルは今年リメイク(リマスター)が発売予定のRPGです。
今もサークル参加をしているので界隈の人にとんでもねぇのいるから気を付けて、と言いたいです。
ちなみに無駄に取った3SPを何に使うつもりだったのかって件なのですが、
『ペーパーラリーの景品で私(主催)が○○(ジャンルの人気キャラ)のコスしてツーショットで写真とるとか考えてるの~』とこれ以外にもプチオンリーやアンソロについて何をしたいか色々香ばしい事を言ってました。
さすがにこれは当時の私も「それはwwwwないwwwww」という気持ちになったのは言うまでもなく。
シリアスなシーンのはずなのに、この主人公の格好は滅茶苦茶シュールやな…。
オチ、というか「ミクロではなくマクロに働きかける」という最終的な過去改変の方法はなかなか捻りが利いてるな……まあまあ面白かったやで。
1作目は観たけど、前作から4年も経ってるとほぼ忘れてるな…。
この『花楓』って子が今作のメインヒロイン? 主人公の妹なんか……前作に出てたっけ?
あー、不登校してて学力が足りてなくて、それでもお兄ちゃんと同じ高校に行きたいと。滅茶苦茶勉強してる……健気な子やな…。
……あ、この不穏な電話は、まさか……あああ、そんな……あんなに頑張ったのに……でも、自分も不登校の経験があるから解るわ……え、2年間記憶を失ってた…? そうやったんか…。
……また電話が…。……え? …いやいやいや、そんなことってある…????? 花楓、それでもお前は…お前ってやつは…。
……こ、このエンドロール曲は……こんなん泣くわ……久保ユリカ凄すぎひん???
映画で、自分の人生史上かつてないぐらい感情をグチャグチャにされてしまって、映画のストーリーに至るまでの花楓が気になりすぎたのでTVシリーズを履修するやで……。
……え、この子は花楓……じゃなくて『かえで』? あー、日記帳の表紙の名前がひらがなだったのはそういう…。ものすごくリアルな「今どきの女子中学生」だった花楓とは打って変わって、かえでは天真爛漫でお兄ちゃん大好きっ子で、「ザ・ラノベの妹」って感じの子やな…。
あー、いじめが原因で不登校になって、思春期症候群が発症して……しかし他のヒロインの「存在が認識されなくなる」「同じ日を繰り返す」「二人の自分が同時に存在する」「二人の姿が入れ替わる」という超常的な症状とは違って、花楓/かえでのは(体に突然現れるアザは別にすれば)「別の人格が現れて、それまでの記憶もなくなる」という、現実でも解離性同一性障害として起きそうな症状やな…(性格や言動が幼くなってる気もしたけど、知能や一般常識は年相応みたいだし、「幼児退行」とは違うんかな…?)。
……お、かえでのエピソードはTVシリーズの最後なんやな。おお、あんなにお家大好きっ子だったかえでが、外に出たい、動物園に行きたい、学校に行きたいと…。咲太が次々と新しい女を家に連れ込んだ(←言い方)のが良い方に影響したんやな…。しかし、咲太もかえでが言うことを絶対に頭ごなしに否定したりせずにちゃんと聞いてくれる、いいお兄ちゃんやな…。
……あああ、家の外に出るだけでそんなに……でも、自分も不登校の経験があるから解るわ…(2回目)。
…本人の決意と咲太の支えで外には出られるようにはなったけど、やっぱり学校はハードル高いか……でも、自分も不登校の(略)。
……え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは……洗ってないなすのの臭いwww 良かったな、かえで……からの、え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは…(2回目)。
明日はきっと……って待て待て、この展開はどう考えてもフラグ……あああああ、やっぱり……。かえで……かえで……。
そりゃ咲太も、それまでの40日間(10/16~11/26)必死に頑張ってたのをそばで見てた、そしてそれまでの2年間一緒に過ごして、自分が誰なのかも解らず不安に押しつぶされそうな状況なのに「妹になってくれた」『かえで』のことを思うと喪失感が大きくて、単純に「『花楓』が帰ってきた!」という気持ちにはなれないよな…(父ちゃんはわりとそういう感じだったが……まあ2年間妻の看病のために咲太・かえでとは別居してたし、それはしょうがないのか…)。
……いや、それはわかるけど、病室の『花楓』と父親を置き去りにして雨空の下を走り回るのはちょっと…。『花楓』はわりとあっけらかんとはしてたけど、気がついたら2年経ってるっていうし、自宅も引っ越してて、両親とは別居してて…という状況に戸惑わないわけはないんだからそばに居てやれよ……(という感想を自分が持ったのは、映画2作目→TVシリーズという順番で観たからなんだろうな。普通にTVシリーズから観てたら、『かえで』のことはよく知ってるけど、それまで劇中でほとんど描写がなかった『花楓』の方に感情移入することはなかなか無いだろうから…)。
…からの、翔子さん。咲太をよしよししてあげるのはいいとして、かえでの日記帳を勝手に読み上げるのはどうなんだろう…と思わなくもない。
いやしかし、この日記は泣くわ……。目が覚めたら記憶がなく、自分が誰なのかも解らず、父親も状況を受け止めきれず、母親に至っては心を病んで入院してしまった。そんな状況で唯一、咲太だけは自分のことを認めてくれて、一緒に暮らしてくれた。さっき『かえで』が「妹になってくれた」って書いたけど、それ以上に『かえで』にとっては咲太が「お兄ちゃんになってくれた」ことが救いだったんやろうな…。
そして、『かえで』の最後の日のことまで日記に書かれてる…。動物園と夜の学校に行って、翌朝目覚めた『花楓』が筋肉痛を感じるほど肉体的な疲労があったはずなのに、帰宅してから寝るまでの間に日記を書き上げたということは、『かえで』は、これが自分に残された最後の時間だということを解ってて、咲太に自分の想いを伝えなければいけないと思って、力を振り絞って……うう……。
翌朝、とりあえず立ち直って再び見舞いに訪れた病室で「退院したら動物園に行くぞ」と『花楓』に言ってしまう咲太さん…。なんか「元カノの面影を今カノに見てる」みたいな…。まあ、ちゃんとしたお別れもできないまま行ってしまったから、気持ちはわからなくもないが…。
…からの、麻衣さん。撮影の合間を縫ってわざわざ金沢から駆けつけるという理想の彼女ムーブ。…からの、翔子さんの書き置きが見つかって修羅場…。で、怒ってトンボ返りした麻衣さんを追いかけて金沢まで行ってしまう咲太さん……いや、そんなことしとる場合か!!? 言い訳と謝罪は後日にして! お前は!! 今は!!! 『花楓』の!!!! そばに居てやれ!!!!!(自分が麻衣さんというキャラクターに対してそれほど魅力を感じないので、このへんの咲太の行動に対してあまり共感できなかった…)
花楓、登場シーン数は少ないけどちゃんと出てたんやな…(当たり前)。
注目すべきなのは、美容院で髪を切るシーン。咲太、お前、もうちょっと感慨とかないんか…? 髪型が変わって、またひとつ『かえで』の面影が薄くなってしまうシーンやぞ…。(まあ「TVシリーズの続き」ではなく「1本の映画」として考えると、本筋とは関係ないそういう描写を入れるとブレるからしょうがないのかもしれんが…)
しかし、髪を切ったあとの「ど、どう…? 調子に乗ってるように見えない…?」というセリフ、いじめに遭ってた花楓の過去を考えると結構重いセリフではあるよな…。
1回目に観に行ってもらってたやつ。……あああ、これこれ! このエピソードが読みたかった!! 咲太と花楓(と麻衣と豊浜)が動物園に行くやつ!!!
行ったのは映画2作目のあと、3月ということだけど……まあ、そう簡単に『かえで』のことを忘れられるわけはないよな、咲太…。一方で、いつまでも『かえで』の面影を『花楓』の中に見てしまうのは、『花楓』に対してどうなんだ…?と思わなくもないし……う~ん……。
最近はずっと、かえでと花楓のことを時折考えて、そのたびに泣きそうになってしまう…。これは『かえで』ときれいな形でお別れができなくて、咲太も未だに未練があって、でも『花楓』を受け入れていないわけではなくて……という複雑な心情が続いていて、(少なくともアニメで描かれた範囲では)解決していないからだと思う。咲太、お前、『花楓』を動物園に誘ったのは、もしかしたらそれをきっかけに『かえで』が帰ってくるかも…という期待が、ほんの僅かでもあったんじゃないのか……?
かえでと花楓、2人が(何らかの形で)直接会うことができれば、一番いいわだかまりの解消になると思うんだけど……まだアニメ化されてない原作小説にそういう展開があったりしないのかな……と気になって、Kindleで全巻ポチってしまった(まだ読んでないけど)。今まで電子書籍ってほとんど買ったことなかったんですよ…。
それだけじゃなくて、コミカライズ版、BD全巻、OP、ED、サントラのCD、前売り券の特典についてたグッズ、劇場販売グッズ、予約受付中の花楓のフィギュア……この数日間で一体何万円を使ったただろうか? でも後悔なんてしてない、するわけがない。
特定のアニメ作品にハマったことは何回もあったけど、あるキャラクターを実在の人物のように感じたのは初めて。
今はそう……藤沢に行きたい。かえでが生きた、花楓が生きてる街の空気を感じてみたい。それと上野動物園に行って、洗ってないなすのの臭いを嗅ぎたい。
今まで「聖地巡礼」って「ふーん、世の中には物好きな人がいるんやな」くらいの冷めた感じで見てたけど、こういう気持ちやったんやな…。
……薄給だし、休みもあんまり取れないけど……。…新幹線で片道○時間、切符代が×万円…。日帰りだと流石にしんどいので1泊…いや、2泊…。となると宿泊費も…。
それを捻出するためには、今の支出を見直して…。買うだけ買って積むだけだった漫画や書籍、Steam、利用頻度の少ないサブスク、
それほど興味がなくてもわりと頻繁に行ってた映画……いや、でも青ブタと出会えたのはそのおかげだし…うーん……。
それと、かえでと花楓があんなに頑張ったんだから、自分ももう少し頑張って、今のただれた生活をなんとかしなきゃな…と思っている(部屋めっちゃ汚いんです…)。
(おしまい)