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はてなキーワード: アウトカムとは

2018-09-11

男女差別について知りたいこと

男女の給与の差が男女差別であると言われている。

男性女性表現型は生物学的に異なるため、職業によってアウトカムにも差が出る。

職業Aは生物学差異のため、男性は120、女性は100の成果を産出するということが統計学的にわかっているとする。

この場合男性報酬女性の1.2倍だと差別にあたると言われるのだろうか。つまり女性報酬は(統計学的経験から)1.2倍に補正するべきなのだろうか。

現代社会では男性給与が多いことが問題となっているので男性の実成果が多い例を挙げたが、もちろん女性の方が有利な職業もあるだろうから、その場合には補正して男性に実際の成果以上の報酬を支払うのは当然とする。

男性社会評価によって非合理な報酬の差があった場合には言うまでもなく差別であると思うが、上記のような例はどう考えられているだろうか。

テニストロフィーの大きさが男女で異なるのは差別だ、という話を見て思った。トロフィーの大きさを同じにすべきというのは上記補正を行うべき、ということ?

2018-06-27

anond:20180627193620

無理筋だと思う気持ちは分からないでもないが、相互でどのような「関係性」を取り結ぶか、ということだからなぁ。

相手が「お前とこれ以上話すことは無い」と考えることだって、当然あるわけで、その相手気持ち尊重できないなら増田相手コミュニケーションを取る気が無い、とも言える、相手から見たらね。

検索してみたところ、http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090700communication.html コミュニケーション定義、というのが研究されているらしいので、ちょっと読んでみたら面白いかもしれない。

コミュニケーションがうまくなりたたない時、それをコミュニケーション不全あるいは和製英語ふう に「ディスコミュニケーション I (= one, ワン)」と呼んでおこう。コミュニケーション不全とは、想定されたコミュニケーションアウトカムが不十分・不完全・不能のいずれかである。ただし、語の 厳密な意味でのディスコミュニケーションには、それ以外にコミュニケーションアウトカムに関する価値評価ゼロ(零)――言うならば不全ではなくて完全 にない状態[=にも関わらず双方あるいはどちらか一方はコミュニケーション価値評価に関する判断継続している状態]――のようなコミュニケーション様態を含むことがわかる。これをディスコミュニケーション II (= two, ツー)と呼んでおこう[→ディスコミュニケーション定義理論]。 これは、コミュニケーションを広範な現象とみるシャノンとウィーバー知的遺産を、ただしく引き継いだ論理的帰結である

引用部分のリンクhttp://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/080616miomio.htmlディスコミュニケーション定義)なども読んでみてもらえると、私の言いたいことが少しわかってくれるのではと思う。

2018-04-26

データサイエンティストが働いて嫌だったなと思う人たち

コンサルにてアナリストをやった後、データサイエンティストを名乗りながら仕事をしています。そんな中で嫌だったなと思った人たちとプロジェクト

1.医療統計の周りの人

最近アウトカムでの評価の流れにはなってきたが、まだまだモデル評価をする事は少ない。

でも何故か相変わらずロジステックとCox回帰をやれればおっけーであり、モデルの精度が当たらなくてもオッズ比と説明変数

有意差だけでていれば上手く行く分野。 本当に心が痛む上、まだまだ「医者でなければ人であらず」が通ってしまい、モデル説明よりもお医者様のお言葉が1stにきてしまう。また分析プロジェクト

設計らしい設計があまり出来ないのもつらいところ(モデルの精度が出ていないのにそのオッズ比・有意差に何の意味があるんだと思う)。後日本の製薬企業から「何とか工夫で有意差がでないのか!!」

という謎おしかりを受ける・・・いやそんなん無理ですやんと切実に思う。やる気でこの世界数字は変わりません。

後は何だかんだ製薬企業日本の古いしきたりが多いので面倒。

2.Google Analyticsアナリスト関連

割と良いBIみたいなんが良くも悪くもあるためアナリストの人たちがやった気になっているやつ。Web関係アナリストは、アナリストを名乗って欲しくない人の方が多いイメージ(勿論しっかりWebアナリストやっている方々は知っている)。広告内容を分類し、CV予測、そしてマルチチャネル予算からCV最適化案件をしていたらWebアナリストから「私の作るLPは最適です。なので予算4000万です」という謎の最適の主張を受けたのはいい思い出(何故かデザイナー様がWebアナリストもやっていた)。広告内容のuser2vecでのレコメンド実装チャレンジして評価して、協調フィルタリングよりも精度はよさげだな喜んでいたら、どっかのよくわからないレコメンドツールというのが汎用性もあるし、既存ツールに1万ぐらい払えば追加できるとそして何故か「最適化」されているという言葉役員が騙されて決済がおりていたのを聞いたとき殺意が沸いた。どうせ既存マーケティングオートメーションレコメンドエンジンなんて協調フィルタリング・ロジぐらいだろうと思っている。本気で分析やっている人がそうそ最適化なんて言葉を使わないと思うんだ・・・まぁここの反省Web業界といってもみんなコーディングがりがりではなくてGUIでいいならそれでが割と多いという事を学んだ (注意)。

3.データベース関連

どっかの人のにもあったが、「あっ、データ分析分かるんだよね?」という事でVB6Accessの改修をやらされそうになったときは全力で拒否った。

後は何故かPHP+MySQLあん(ry

VB6見た後でPythonコードを見ると心が癒された。

4.やる気を説いて来る人達

やる気で数字が変わったら誰も苦労なんてしないんだよ・・・。半教師有り等で精度向上見込めるといってもいくらなんでもこのデータでは

運用目標には到達しないとしか思えないんだ。

5.ホワイトボックステスト要求されたとき

モデルホワイトボックステストってどうやってやるんだ?精度を検証データでやっていれば良いじゃないかと思っていた。ただそこの金融系でITプロジェクトは、基本的に「ホワイトボックステスト」やらが必須らしく・・・おいおい・・。とりあえずカテゴリー目的変数がそれぞれの値を取ることを客先で見せてかつレポートで「こうこうこうゆうときカテゴリー変数が変わりますよ」という彼らがいう境界線確認を全てやることになった。カバレッジ100%も言われたが、流石に無さ過ぎるので諦めてもらった。

6.KGIとKPIしっかり切り分けてBI作成していたら集計屋かといって来られる時

どこかの人にもあったが、私はビジネスが動けばよいと思っているので難しい分析をしなくても上手く行く時は、集計で上手く切り分けて、要因分析をやる(裏で決定木とかで境界値とかは見ていたりする)。ただ何故かそれで集計ばかりしかしていないと怒られる。別に研究者ではないし、難しい分析をしてクライアントへの説明時間を取られたり、展開が難しくなるぐらいならば皆と合意した上で、KPIとKGIを切り分けてダッシュボード作成をしっかり出来る方が実はビジネス上上手く行くだ。むしろ自分への戒めでいつも難しい分析が本当に必要なのかと思ってるぐらいである。

注意 因みに私の別部署インフラ基盤周りのWordpress関係炎上していた。そこそこの大規模でWordpress使うって大変らしいのに・・・

勿論これの逆、評価した上で、分析ビジネスにしっかりと生かしていける人は大好きです。

2018-04-08

初期研修を終えてのもやもや

医学部卒業して初期研修(いろんな専門科を数ヶ月単位でぐるぐる回る)を終えた。

不勉強学生だったし、研修先は無名病院だったか一般化できる話じゃないけど、もやもやしたこと

1.医者能力に差がありす

簡単のため、一般外来診療に話を絞ってみる。直感だけで、何も考えずに診断をくだしている医者は本当に多い。田舎開業医が出してるわけわからない薬とか本当にたくさんある。でも慢性期疾患とか適当に薬を出してもすぐに結果が変わるわけじゃないから、漫然と経験を積んでも自分診療内容を洗練させていくのは難しい。外来診療ちゃんフィードバックをもらいながら教えてもらえることはあまりないし、適当にやっても結果が大きく変わるようには見えないし、診療内容よりも態度や人柄で患者コメディカル評価は決まってくる。だから、高い信念を持ち続けていないと、診療技術を向上していくモチベーションがなくなっていってしまう。

外科医なら下手くそだとメスを置かざるを得ないような圧力がある程度働くかもしれないけど、内科医はそういう圧が働きにくいから、ヤブ医者自分がヤブであるということに気づくことも排除されることもされないままになっているのかなと思う。

2.医学部での教育もっと教えることあったのでは?

重箱の隅をつつくような基礎医学試験問題で、留年させていくことに一体何の意味があったんだろう?精神修行

そもそも論だけど、実臨床で重要なのは病態生理より疫学データじゃないのかなと思ってしまう。

病態生理から色々考えて独自かつ複雑な治療をやっている医者もいるけど、本当にアウトカム改善しているのかなと思ってしまう。

まだエビデンスが無いような専門性の高い領域では考える必要あると思うけど、大抵の患者はそんな複雑な病態じゃないんじゃないかな。

UpToDate通りにやっていけばそれで十分なのではないかなと、むしろ専門家以外がUpToDateから逸脱したことをやるのは悪い方に傾くことの方が多いんじゃないかなと思う。

であれば、基本的な症候へのアプローチを反復させて学習させて、徐々にpit fallを教えていくみたな教育プログラムをやったほうがいいと思う。あったらいいと思う。

不確実性が高い領域なので、結果で評価するのではなくて、決まった診断治療アルゴリズムに沿っているか評価されるべきだと思う。それって楽しくは無いけどね。機械にやらしとけって気持ちになる。

3.ジェネラリスト厳しいです

基本的アプローチ定型化していく中で、人間に残されている領域直感と広範な背景知識かなと思ってしまう。

専門領域を絞らないとどっちも得るのは厳しい。

マルチプロブレムに対処するには専門家じゃ厳しいというのには同意するけど、プロブレムリストたくさんある人はもはや寿命なのではと思ってしまう。冷酷ですかね?

エビデンス大好きで論文オタクみたいな先生はすごいなあと思うけど、論文って嘘ばっかりなわけで。自分が会った基礎系の研究者は、論文を出した研究者ラボが信頼できるかどうか、データ自分経験から逸脱しているものではないかどうかなど、メタ情報を駆使して読んでた。本当に批判的に読むには近い領域論文を書いている必要があるのでは無いかと思う。RCTがいくら出ようと結局信頼できるのはエキスパートオピニオンなのではないかな。

4.電子カルテダメすぎ

ひどい。Windows98みたいなUIしている。電子カルテがまともになったら無駄時間エラーをどれだけ減らせるかを考えると恐ろしい。

5.医療って人を幸せにできてるのかな?

生活習慣病ほとんど寿命超高齢者への医療見てると、今の医療ってマクロに見て人を幸せにしているのかなって思ってしまう。野菜食べて運動して自分がやりたいことやって満足な時間の使い方をする、ってことにお金を使ったほうがみんな健康幸せに生きられるんじゃないかな?そもそも皆さんそんな長生きしたいですか?ぼーっとテレビ見たりゲームやってる時間って生きてる時間ですか?その時間を充実させられたら、その分寿命が縮んでも構わんくないですか?とかね。いってそんな充実した人生を送れていないですが。

嫌な部分ばっかり見てしまっているのかもしれないけど、医療希望がまだ見いだせてない。見つけていきたいな。

2018-02-12

anond:20180212142353

自分ブコメだけ見てるけど、元記事を読まず他人感想をなぞってるだけ、結局何も得ていない。

アウトカムゼロから効率も何もあったもんじゃない。

まぁ最初の選別として使ってるだけという感じなんだけど。

2017-07-14

自動車免許も持たないこれだけの理由7

https://anond.hatelabo.jp/20170713211145

自家用自動車マイカー社会的に極めて有害で、乗り手も不健康事故で早死にするから

自動車の車内でさえ年間約1300人も死亡しており、交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手。年間約1500人もの歩行者交通死におけるほぼ全ての元凶自動車であり、クルマ離れは社会全体の事故を減らす特効薬から

自動車依存が招く肥満合併症について 2型糖尿病・高血圧高脂血症高尿酸血症痛風動脈硬化症(心血管障害/脳血管障害)・脂肪肝肥満により2~5倍合併やすくなります

http://beautyhealthy.web.fc2.com/himannogappeisyou.html

自動車依存が招く心疾患、脳卒中、壊疽(手足等が腐り、機能不全に陥る)、失明など 糖尿病で恐いのは合併症です‐糖尿病教室京都大学 糖尿病・内分泌・栄養内科

http://metab-kyoto-u.jp/to_patient/online/a007.html

自動車社会的損失につながる面が強く、自転車活用社会公共に貢献できる(事故減、医療費減、環境の向上等)

http://cyclist.sanspo.com/266093

実は日本も脱クルマ自動車依存解消)と、自転車活用拡大推進を政策で進めている。

日本政府も進める環境政策、脱クルマへ。自転車活用「推進法」成立 社会的交通手段としての自転車役割拡大

自転車活用:国の責務…脱クルマへ「推進法」成立 - 毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20161216/k00/00m/040/103000c

自転車通勤者は徒歩通勤者より(当然ながら非活動移動手段である自動車依存者や電車依存者よりも)全死因死亡リスクが低い/BMJ医師医療従事者向け医学情報医療ニュースならケアネット

https://www.carenet.com/news/journal/carenet/43895

自転車通勤は、全死因死亡、がん発生・死亡、CVD発生・死亡とも有意に低下

 最大限補正モデルにおいて非アクティブ群と比較して、自転車通勤群は、

全死因死亡(ハザード比[HR]:0.59、95%信頼区間[CI]:0.42~0.83、p=0.002)、がん発生(0.55、0.44~0.69、p<0.001)、およびがん死亡(0.60、0.40~0.90、p=0.01)のリスク有意に低かった。

同様に自転車通勤を含む混在群も、全死因死亡(0.76、0.58~1.00、p<0.05)、がん発生(0.64、0.45~0.91、p=0.01)、およびがん死亡(0.68、0.57~0.81、p<0.001)のリスク有意に低かった。

 CVD発生のリスクについてみると、自転車通勤群(0.54、0.33~0.88、p=0.01)、徒歩通勤群(0.73、0.54~0.99、p=0.04)ともに有意な低下が認められた。

CVD死についても、自転車通勤群(0.48、0.25~0.92、p=0.03)、徒歩通勤群(0.64、0.45~0.91、p=0.01)ともに有意な低下が認められた。

 一方で、徒歩通勤群は、全死因死亡(1.03、0.84~1.26、p=0.78)、がん関連アウトカム(がん発生:0.93、0.81~1.07、p=0.30、がん死亡:1.10、0.86~1.41、p=0.45)について、

統計学的有意な関連はみられなかった。徒歩通勤を含む混在群も、測定アウトカムのいずれについても顕著な関連はみられなかった。

 これらの結果を踏まえて著者は、「アクティブ通勤を促進・支援するイニシアティブによって、死亡リスクを減らし、重大慢性疾患の負荷を減らせるだろう」とまとめている。

ケアネット

原著論文こち

Celis-Morales CA, et al. BMJ. 2017;357:j1456.

http://pmc.carenet.com/?pmid=28424154&keiro=journal

乗り物別事故率、死亡率。自転車利用者もっと事故率も死亡率も低く、優良なスコアを持つ。自転車利用者もっと健康寿命が長く、実際の寿命も長い。自動車依存者は自転車利用者より健康寿命が短く、長期間苦痛と多額の医療費を伴う癌や合併症にかかりやすく、実際に短命。

https://pbs.twimg.com/media/DDMN0OOVwAAo1hJ.jpg

2017-06-17

自転車によく乗る人は、自動車依存者よりも歩行者よりも健康寿命が長く、長生きだという研究結果。

自転車通勤 ガン・心疾患リスクが大幅減少=イギリス研究

http://www.epochtimes.jp/2017/05/27201.html

あなたはどんな方法通勤していますか? 自転車通勤すれば、ガンと心疾患リスクを抑えられるという報告があります

 スコットランドグラスゴー大学(University of Glasgow)の研究チームは、イギリスバイオバンクUK Biobank)に保存されている26万人分を超える膨大なデータ分析しました。

彼らの通勤方法を調べ、その後5年間にわたり、ガンや心疾患の有無、また死亡したケースなどの追跡調査を行いました。

 それによると、自転車通勤者は、電車や車に比べてガンに罹るリスクは45%少なく、心疾患の場合は46%、また早期死亡リスクは41%少ないことが分かりました。

 心臓血管医学研究所ジェーソンギル(Jason Gill)博士は、「通勤の一部だけでも自転車を利用すれば、大幅に疾患リスクを抑えられる。

通勤の全行程を自転車にすれば、心疾患やガンになるリスク、また死亡するリスクを40%以上減らすことができる」と話しています

 一方、徒歩で通勤する場合は、ある程度の心疾患の予防に役立ちますが、ガンや他の死亡原因を減らす効果はないと科学者は話しています

徒歩通勤者は週平均6マイル(約10 キロ)歩くのに対し、自転車を利用する者は週平均30マイル(48キロ)走ることから、徒歩は距離が短いために効果が薄いと指摘しています

 同研究は先月、ブリティッシュメディカルジャーナルBMJ)に掲載されました。

翻訳編集豊山

自転車通勤者は徒歩通勤者よりも自動車通勤者よりも電車通勤者よりも全死因死亡リスクが低い/BMJ医師医療従事者向け医学情報医療ニュースならケアネット

https://www.carenet.com/news/journal/carenet/43895

自転車通勤は心血管疾患(CVD)・がん・全死因死亡のリスク低下と、徒歩通勤はCVDのリスク低下とそれぞれ関連していることが、

英国グラスゴー大学Carlos A Celis-Morales氏らによる、前向きコホート研究の結果、明らかにされた。

徒歩通勤自転車通勤は、日常身体活動を高めることができる方法として推奨されている。

先行研究メタ解析(被験者17万3,146例)において、有害な心血管転帰リスク低下と関連することが報告されていたが、同報告の結果は、

代謝性エンドポイント(高血圧糖尿病脳卒中、冠動脈心疾患、CVDなどの発生)の範囲が不均一で徒歩通勤自転車通勤かの区別がなされておらず、限定的ものであった。

BMJ2017年4月19日掲載の報告。

26万3,450例を前向きに追跡

 研究グループ検討は、2007年4月2010年12月英国内22地点から英国バイオバンク参加者26万3,450例(うち女性52%、平均年齢52.6歳)を対象に行われた。

仕事場までの通勤手段(非アクティブ自転車、徒歩、混在)を曝露変数として用い、主要アウトカム(致死的・非致死的CVDおよびがん、CVD死、がん死亡、全死因死亡)の発生について評価した。

 結果、追跡期間中央値5.0年(四分位範囲:4.3~5.5)の死亡発生は2,430例で、うちCVD関連死496例、がん関連死1,126例であった。また、がん発生は3,748例、CVD発生は1,110例であった。

自転車通勤は、全死因死亡、がん発生・死亡、CVD発生・死亡とも有意に低下

 最大限補正モデルにおいて非アクティブ群と比較して、自転車通勤群は、

全死因死亡(ハザード比[HR]:0.59、95%信頼区間[CI]:0.42~0.83、p=0.002)、がん発生(0.55、0.44~0.69、p<0.001)、およびがん死亡(0.60、0.40~0.90、p=0.01)のリスク有意に低かった。

同様に自転車通勤を含む混在群も、全死因死亡(0.76、0.58~1.00、p<0.05)、がん発生(0.64、0.45~0.91、p=0.01)、およびがん死亡(0.68、0.57~0.81、p<0.001)のリスク有意に低かった。

 CVD発生のリスクについてみると、自転車通勤群(0.54、0.33~0.88、p=0.01)、徒歩通勤群(0.73、0.54~0.99、p=0.04)ともに有意な低下が認められた。

CVD死についても、自転車通勤群(0.48、0.25~0.92、p=0.03)、徒歩通勤群(0.64、0.45~0.91、p=0.01)ともに有意な低下が認められた。

 一方で、徒歩通勤群は、全死因死亡(1.03、0.84~1.26、p=0.78)、がん関連アウトカム(がん発生:0.93、0.81~1.07、p=0.30、がん死亡:1.10、0.86~1.41、p=0.45)について、

統計学的有意な関連はみられなかった。徒歩通勤を含む混在群も、測定アウトカムのいずれについても顕著な関連はみられなかった。

 これらの結果を踏まえて著者は、「アクティブ通勤を促進・支援するイニシアティブによって、死亡リスクを減らし、重大慢性疾患の負荷を減らせるだろう」とまとめている。

ケアネット

原著論文こち

Celis-Morales CA, et al. BMJ. 2017;357:j1456.

http://pmc.carenet.com/?pmid=28424154&keiro=journal

自転車通勤は(徒歩通勤自動車通勤電車通勤よりも)死亡リスクを低下させる:日経メディカル

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/bmj/201705/551297.html

英国の大規模コホートで車や電車通勤よりも有意に減少

人々の運動量世界的に減少傾向にある。英Glasgow大学Carlos A Celis-Morales氏らは、

中高年の英国人通勤方法と心血管疾患、癌、総死亡の関係を明らかにするために住民ベースの前向きコホート研究を行った。

得られた結果は、自転車通勤健康利益を示し、徒歩通勤も心血管疾患の発症と死亡リスクを軽減していたと報告した。

データBMJ電子版に2017年4月19日掲載された。

ログインして全文を読む>

2017-05-22

医学自転車通勤者は、自動車、徒歩の者より健康長寿

http://anond.hatelabo.jp/20170522214454

自転車通勤者は徒歩通勤者より全死因死亡リスクが低い/BMJ医師医療従事者向け医学情報医療ニュースならケアネット

https://www.carenet.com/news/journal/carenet/43895

自転車通勤は心血管疾患(CVD)・がん・全死因死亡のリスク低下と、徒歩通勤はCVDのリスク低下とそれぞれ関連していることが、

英国グラスゴー大学Carlos A Celis-Morales氏らによる、前向きコホート研究の結果、明らかにされた。

徒歩通勤自転車通勤は、日常身体活動を高めることができる方法として推奨されている。

先行研究メタ解析(被験者17万3,146例)において、有害な心血管転帰リスク低下と関連することが報告されていたが、同報告の結果は、

代謝性エンドポイント(高血圧糖尿病脳卒中、冠動脈心疾患、CVDなどの発生)の範囲が不均一で徒歩通勤自転車通勤かの区別がなされておらず、限定的ものであった。

BMJ2017年4月19日掲載の報告。

26万3,450例を前向きに追跡

 研究グループ検討は、2007年4月2010年12月英国内22地点から英国バイオバンク参加者26万3,450例(うち女性52%、平均年齢52.6歳)を対象に行われた。

仕事場までの通勤手段(非アクティブ自転車、徒歩、混在)を曝露変数として用い、主要アウトカム(致死的・非致死的CVDおよびがん、CVD死、がん死亡、全死因死亡)の発生について評価した。

 結果、追跡期間中央値5.0年(四分位範囲:4.3~5.5)の死亡発生は2,430例で、うちCVD関連死496例、がん関連死1,126例であった。また、がん発生は3,748例、CVD発生は1,110例であった。

自転車通勤は、全死因死亡、がん発生・死亡、CVD発生・死亡とも有意に低下

 最大限補正モデルにおいて非アクティブ群と比較して、自転車通勤群は、

全死因死亡(ハザード比[HR]:0.59、95%信頼区間[CI]:0.42~0.83、p=0.002)、がん発生(0.55、0.44~0.69、p<0.001)、およびがん死亡(0.60、0.40~0.90、p=0.01)のリスク有意に低かった。

同様に自転車通勤を含む混在群も、全死因死亡(0.76、0.58~1.00、p<0.05)、がん発生(0.64、0.45~0.91、p=0.01)、およびがん死亡(0.68、0.57~0.81、p<0.001)のリスク有意に低かった。

 CVD発生のリスクについてみると、自転車通勤群(0.54、0.33~0.88、p=0.01)、徒歩通勤群(0.73、0.54~0.99、p=0.04)ともに有意な低下が認められた。

CVD死についても、自転車通勤群(0.48、0.25~0.92、p=0.03)、徒歩通勤群(0.64、0.45~0.91、p=0.01)ともに有意な低下が認められた。

 一方で、徒歩通勤群は、全死因死亡(1.03、0.84~1.26、p=0.78)、がん関連アウトカム(がん発生:0.93、0.81~1.07、p=0.30、がん死亡:1.10、0.86~1.41、p=0.45)について、

統計学的有意な関連はみられなかった。徒歩通勤を含む混在群も、測定アウトカムのいずれについても顕著な関連はみられなかった。

 これらの結果を踏まえて著者は、「アクティブ通勤を促進・支援するイニシアティブによって、死亡リスクを減らし、重大慢性疾患の負荷を減らせるだろう」とまとめている。

ケアネット

原著論文はこちら

Celis-Morales CA, et al. BMJ. 2017;357:j1456.

http://pmc.carenet.com/?pmid=28424154&keiro=journal

2012-03-10

[] 当たり前のことをそれが当たり前でない人に語る時のテンプレ

「結論ではなく前提を確定させるレトリック」とでも言うべきか。

これを結論だと考えているなら教育者として詰んでるけれど、内田先生はおそらくスタート地点だと考えているはず。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.php

の文章について「教育エンタ」「教師→クリエイター」 「効率→売上」に機械的に置換してみた。

微妙意味が通らなくなるけど、大体同じ論調で似たようなこと言える話がいっぱいあるな、と思いました。

大事なのは効率じゃない」とか「感じ方は人それぞれ」「唯一の正解などない」という

当たり前だけど、当たり前になってないたぐいの主張を論理的に説明したい人のテンプレとして非常に便利な文章だと思うのでみんなも読みましょう。

エンターテインメントと売上は本質的になじまない。というのは、売上というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、エンターテインメントがそのアウトカムを計測するとき時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないかである。もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)エンターテインメントアウトカムを考量することもできないことではない。けれども、そこではじき出された数値は、エンターテインメントを受ける本人にとってもエンターテインメント機関にとっても、実は何の意味も持っていない。


しかエンターテインメント機関の質評価に際して、「単位時間内にどれほどのエンターテインメント成果を上げたか」を見るということはやろうと思えば可能である。例えば、「今年の大学入試東大に何人合格たか」とか「TOEICの全校平均スコアが何点」ということは数値的に示すことができる。だが、それをあるエンターテインメント機関エンターテインメントの質の指標だと見なすことはできない。したい人は勝手にされればよいが、それには何の意味もない。

私たち経験的に言えるのは、「難関校合格するだけの学力をもつ生徒がたくさんいる高校」は難関校合格者が多いということ、「英語ができる生徒のたくさんいる高校のTOEIC平均スコアは高い」ということであって、それは単なる同語反復に過ぎず、当該エンターテインメント機関の行っているエンターテインメントの卓越性については何も語らない。


もし、本気でエンターテインメント機関としての優秀性を難関校合格者で測定したいと思うなら(誰が思うか知らないが)、高校入学時点で複数の高校に同数の生徒をランダムに配分して、「よーいドン」でエンターテインメントして、3年後の東大合格者数やTOEICスコアを比べればいい。新薬治験と一緒であるランダムグループ分けして、こちらにはA高校のエンターテインメントをほどこし、こちらにはB高校のエンターテインメントをほどこし、3年後の同じ試験を課して学力を測定すればとりあえずエンターテインメントプログラムの限定的な効果についてはデータが手に入るだろう。でも、そんなことをしている学校日本のどこにもない。やろうという人もいない。エンターテインメント機関の質の指標をそのような数値で示すことが実は無意味なのだということをみんなほんとうは知っているかである


というのは「このエンターテインメント方法でやってみたら、うまくゆきませんでした」ということをエンターテインメントする側は絶対に言うことができないかである学校エンターテインメントの相手は生身の人間である。「出来の悪いエンターテインメントプログラムを与えたせいで、学力が劣化しました」といって放り出すわけにはゆかない。エンターテインメントにおいて「実験」は許されない。だからエンターテインメント機関の卓越性は科学的には考量不能なのである松下村塾にしても、適塾にしても、懐徳堂にしても、劇的な成功を収めた学校歴史上たくさんあるが、それが成功した理由を科学的に証明することは誰にもできない。それを証明するためには、松下村塾と同じ資質の塾生たちを集めて、吉田松陰ではない人が教えた場合アウトカム比較するしかないが、それが不可能だからである


卓越したエンターテインメント機関が卓越しているのは「卓越した資質を持った若者たちが、そこに惹きつけられて集まってきた」からである。私たちにはそれしか言えない。別に吉田松陰有為青年たちに向かって、「うちで学ぶとこんなに知力が上がり、いずれ歴史的転換点で大きな働きをして栄爵を得るでありましょう」というようなパブリシティをしたわけではないし、「他と比べて、こっちの方が学習努力費用効果がよさそうだ」と算盤を弾いて、高杉晋作伊藤博文山縣有朋が門下に参じたわけではない。そこで何が行われているのかわからないし、そこで講じられていることにどんな有用性があるのかよくわからないけれど、「なんだか知らないけれど、そこに行って学びたい」という若者たちが蝟集してくる学舎がエンターテインメント機関として結果的に高いアチーブメントを示す。私たちが知っているのはそれだけである


エンターテインメント機関の質はそこで学んだ若者たちがそれからあとなしとげた仕事の質によって見るほかない。そのときはじめて「これほど優秀な若者たちが一堂に集まった学舎はきっとすぐれたエンターテインメントプログラムを行っていたに違いない」という推論が成立するのである。あるエンターテインメント機関の質は、そこで学んだ人々のその後の生き方を見ることで事後的に測定するしかない。だが、「棺を覆いて定まる」という言葉が教えるように、ある人が「どのような評価を得たか」が確定するまでには長い時間がかかる。松下村塾の卓越性が歴史的に証明された頃には関係者は全員死亡しているので、科研費をつけることもできないし、塾長紫綬褒章を送ることもできない。そうものである。私たちがある学校の卓越性や瑕疵についてのエビデンスを得るのは、いつだって「もう遅すぎる」ようになってからなのである


からエンターテインメントアウトカム単位時間を区切って計ること(つまり「売上」を論じること)には何の意味もない。エンターテインメントを受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じエンターテインメントを受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けたエンターテインメントのおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

私が30年のクリエイター生活の経験から言えることは、エンターテインメントにおいて、クリエイターからの「働きかけ」と学ぶものが示す「成果」(もっと散文的に「入力」と「出力」と言ってもいい)の相関は「よくわからない」ということである。ある学生にとって「学びのトリガー」となったような働きかけが別の学生には何の感動も与えないということがある。こうすれば必ず学びが起動し、学生たちの知的ブレークスルーが始まる、というような「一般的な」エンターテインメント技術というもの存在しない。残念ながら。



人間は実に多様なきっかけによって心を開き、心を閉じ、学び始め、学ぶ気力を失い、成長を開始し、退行する。私たちクリエイターが言えるのは、「経験的に比較効果的な方法存在する」ということだけである。その方法さえクリエイターごとにみな違う。だからクリエイターたちが集合的に「正しい教え方」について合意形成するということは決して起こらない。

だが、まさにすべての子どもを斉一的に知性的感性的に成長させる方法存在しないという当の事実人間本質的な開放性を担保していると私は思う。それは言い換えると、あらゆる人間のあらゆる言葉、あらゆるふるまいが、子どもたちにとっては「学びのトリガー」となる可能性があるということである



やがて知的ブレークスルーを担うようになる破格にイノヴェーティヴな子ども(千人に一人くらいの確率でいる)にとって、目の前に立つクリエイターほとんどは(残念ながら)知的にはあまりインスパイアリングではない。けれども、「クリエイターが十分に知的に啓発的ではなかったためについに才能が開花しなかった天才」というようなものを私たちは想像することができない(その程度のことで萎れてしまものを私たちは「才能」とは呼ばない)。クリエイターは、しばしばその狭隘さや愚鈍によってさえ子どもの学びを起動させることができる。「なぜクリエイターたちはこれほど愚鈍なのか?」という問いはある種の子どもたちを「学校」や「エンターテインメント」についてのメタ認知に導く(彼らはいずれ「誰であれ教壇の向こうに立っていてさえいればエンターテインメント的に機能する。人は教える立場にある限り、教えることができる」という人類学的知見にたどりつくだろう)。


これほどに学びの機会が多様であるのは、自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているからである。同じクリエイターに同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのときクリエイター言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的な連続」として再編集する。必ずそうする。過去の出来事の意味現在自分の状態に基づいて、そのつど改訂されるのである。だから過去の出来事が意味の改訂を拒絶するというのは人間が成長を止めたということと同義である(それゆえ、意味の改訂を拒絶する出来事の記憶のことをフロイトは「トラウマ」と呼んで治療の対象としたのである)。


自分が何を学んだかを決定するのは私自身である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由を形成している。学びというのはそのようなしかたでダイナミックに構造化されている。学びが力動的で、時間的な現象である限り、私たちが生きる一瞬ごとに、私たちがかつて受けたエンターテインメント意味は改訂され続けているのである。私たちがかつて受けたエンターテインメント意味が振り返るごとに改訂され、そのつど深みと厚みを増し、そのつどそれまで気づかれなかった相をあらわにするということ以上にエンターテインメント的な事況というものがあるだろうか。


「売上」というのはもう変化することのない価値人間尺度からすれば「死物」としての価値)を抽象的に切り出された単位時間で除して得られるものである。そのようなものを数値的に考量したり、比較したりすることに学びにおいてどれほどの意味があるのか、もうこれ以上の言葉を継ぐ必要はないだろう。

この記事で語られている理屈は、滅茶苦茶汎用性高いと思います

政治のように決定が大事場所で、いつまでたってもこういうことをずっと述べ続ける人は

バールのようなもので投げられても文句は言えないと思いますが、

議論のスタート地点でこういう「アタリマエのこと」を考えてもいない人はもっと危険です。

アタリマエのことを、それが当たり前でない人に納得させるように語るのは非常に難しい。

この文章から学べることは多いと思います


お暇な人、良ければ細かい部分修正したり換骨奪胎して

「お前の感想けが正解じゃないんだよ2ちゃんの豚め」とか

「売り上げ厨死すべし」的な話を作ってください。

2010-07-08

国が借金を本気で返そうとしたらの話

妄想してみる。

国債返済税を導入。

800兆を1億3000万人で割ったら一人頭で600万。

5年で返済するとして、利息は計算しなければ一年で120万、一ヶ月10万を赤ん坊からジジババまで全ての国民から徴収すればおk

ベーシックインカムの逆、ベーシックアウトカム

とにかく、払えないといわれようが、払ってもらう。

他の税金と同じように延滞すると14.6%な(笑)

当然払えない人も出てくるよ。

借金してもらう。

サラリーマン借金返済のために金を貸してくれるところなんて、いわゆるサラ金しかないわけだけど、たぶん銀行だって貸してくれると思うんだわ。

だって、税金でものすごい勢いで国債が返済されてくわけじゃん。

国債を保有してる民間金融機関お金がジャブジャブ入ってくる。

若い世代は自分の親に泣きついたりもしたりするだろうね。

日本金融資産のほとんどを持ってるといわれる眠ったままの老齢世帯の貯蓄が国に徴収されて、国債を保有してる銀行にまるまる移る。

とにかく、銀行お金が余ってしょうがないから、企業融資だって、個人にだっていくらでも貸すわな。

一般国民借金苦で倹約モード

内需企業は本格的にダメって感じ。

銀行もそれをわかってて、輸出企業にばっかり融資するだろうね。

財政健全化したら円は高くなる?ならんよね。そんなことをしたら経済ボロボロになってるもん。

そんなこんなで、また Made in Japan世界を席巻したりして。

以上、妄想終わり。

2007-11-30

詰め込み教育ってアリでしょ?

確かに、考える力を鍛えることは必要。

でも大前提として、その考える力を下支えするだけの知識が必要であることを忘れている気がする。

記憶力って大事だと思うんだ。

システマチックに言うと、

 (1)まずインプット入力)があって

 (2)次にプロセス(処理)があって

 (3)そしてアウトプット(出力)があって

 (4)アウトプットからアウトカム(成果)が導かれる

ということになるわけで、そのインプットをすっ飛ばしてプロセスを追い求めても意味ないじゃん、と考えるわけ。

あまつさえ、短絡的にアウトカムだけを求めるのはおかしな話だよね。

しかし、基礎的な情報の蓄積がない子供プロセスを求めても、それは無理という話。

本を読ませて、計算させて、漢字を書き取らせて、音読させて。

最初は学ぶことを強いて、強制して、詰め込んで。(=勉強

いろんな情報を収集して、そしてそこから何を導き出すか。

それこそが「学問」じゃないのかな、と思うのです。

学問のためには必ず勉強情報収集)という仮定を経ないと成立しないんじゃないか、と。

詰め込みといわれようがなんだろうが、その基礎的な内容、インプットの質と量が逆に様々なプロセスを呼び起こす場合もあるわけ。

そこを、プロセスありきのインプットで語ってしまうからおかしなことになる。

確かに、考える力は大事。

でも、そういう机上の空論を繰り返すエライ人たちは忘れてると思うの。

沢山の知識、前提、バックグラウンド歴史、、、そういった背景が彼らにあって、それが今に息づいているということを。

九九や歴史漢字自然現象や、そういった雑多な知識から学んだ様々なことがあっての今の思考体系だということを。

『y=(??b±√b^2-4ac)/2a』

という因数分解の公式が直接役に立つことはほとんどないけど、そこに至る過程で思考方法を学び、それが肥やしとなって生きてくる。

「生かせるようになったときに生きてくるような情報を与えておく」

それが幼少教育なんじゃないかな。

だから、強制し過ぎない範囲で詰め込んであげるのは、必要なんじゃないか、って思う。

まだ上手く考えがまとまってないけど。

今の僕はそう思っている。

・・・そう思いません?

 
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