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2021-03-22

風の

どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

2021-03-20

波とうまく付き合うことに関する雑記

さて、今年度の7月適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。

この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います文脈崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。

【読んでくれると嬉しいなーという人】

自分の心の状態と向き合っている方

自分と関わりのあるお友達

1、診断の効用と注意点

自己理解・波と付き合うための方法を身につける

診断が下ったことで、自身状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。

(これについてはあとで詳しく書きますね)

②「自責をしないためのラベル

一度自身精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います

そうなったときに、一点不安だったことが、自分アイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり病気だ」というラベル自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットデメリットもあることだと思います

例えば、症状がひどかった当時は、診断書かばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分価値がない」という精神シャカリキから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。

また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います

③別の病気への移行

適応障害ストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています

この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまり病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます

2、波とうまく付き合うためのあれこれ

感情を記録する

「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリデザインかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。

もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリデザインあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。

依存先について

どっかの大学熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります

ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンターこころ相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織リソースガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談ハードルを元気なときに下げておくことも大事です。

個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンライン手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。

あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています

③過敏さとの向き合い方

今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます

【音】

音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレキッチン換気扇冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています

最近耳栓が役に立ったのは、水族館イルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近電車ですね、地下鉄JR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。

【光】

これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだからしんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。

睡眠

ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいていますキャパティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています自分はまだ眠剤使用していないですが、場合によっては。

【教えて】

スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。

【その他】

鬱の状態とき衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だからホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います

3、最後

新年度が始まり社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。

こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法環境をゆるゆる作っていきたいものです。

2021-02-27

ナンパ師の講座を思いがけず受けた雑記

繁華街カフェで席を探していると、二十代と三十代くらいの男性二人組の隣の席が空いていたのでそこに腰を下ろした。

こういうところではよくマルチ勧誘に遭遇することができる。二人をひと目見た時点で、二十代の男性(Aとする)が何かを三十代の男性(Bとする)に教えていることがわかった。

これは絶対きな臭い話だぞ。野生の勘が働いて、いつもなら音楽を聞いているところだが、二人の話に耳を傾けてみた。だんだんと内容が聞こえてくる。最初恋愛マインドみたいな話なのかな、と思った。なぜならAは雰囲気イケメンで、Bは格好こそどうにかしようとしている感はあるが、だからこそ、その「どうにかしようとしている感」が出てしまっていて惜しい雰囲気だったからだ。ただ、この言葉が出てきた時点で違う、とわかった。

「個室搬送」つまり部屋なりホテルなり満喫なりなんなりに女性を連れ込む、ということだ。すげーな。荷物かよ。あまり耳馴染みのない単語に惹かれて実況ツイートし始めてしまった。

曰く、個室搬送するためには迷いを挟ませないためにもルートを必ず決めるべきとのこと。行く店、入るホテル、そこに向かう道。一瞬どこにしようか、と考えただけで、女性が我にかえり、成功率が下がる、とのこと。

その後は物理的な距離気持ち距離の詰め方の話をしていた。以下に簡単に要点とその例を順不同で箇条書する。

嫌悪感を抱かれないためにボディタッチのためのボディタッチをしない。

身長の低い子には「ちっちゃいんだね、顎載せられそう」などと言って実際に載せ、自然に近づく。

・主導権を握る。女性意見は聞かず、大枠の主張を通して、細かい二択のみ女性に選ばせて自分意志が通っている風に見せかける。

ホテルに行く、というところは女性が仮に「居酒屋に行きたい」と言っても譲らず、その道中のコンビニで「どっちの飲み物がいい?」と言って選ばせ、自分選択した、という意識を持たせる。

・強引に主張を通すのではなく、妹扱い、お姫様扱いをして上下関係を作る。上記のような主張を通りやすくする。

→足元に注意するように、など気遣う(振りをして下に扱う)

・和みの会話、恋愛の会話、性の会話で距離を詰める

和み︰狭い共通点から同族意識理解者のような立場を作る

恋愛︰失敗談で近づく。女性元彼を責めたら、それを受けつつ少しだけ元彼を上げる。そうすると女性が更に元彼悪口を言うので、そこで女性肯定する。一旦女性には元彼自分でこき下ろしてもらうと効果的。

性の会話︰どぎつい経験を話す。相手からもそう言った引き出せると、ガードを弱められる。

上記の三段話法は身構えさせないためになるべく区切りなくつなげる。

話題は3-4つ投げれば1個は共通項にできる。薄く知ってるだけで言葉尻で会話を合わせることは可能

・決めつけることで相手に「自分理解者かもしれない」と思わせることが大事。そのために、見た目などから女性系統理解して、その層に人気があること、フックにできそうなことの知識を持つ。

真剣相手の話を聞く必要はない。表面上の共感で十分。

聞けば聞くほど、どこかで聞いたスピリチュアル洗脳入り口か??という気持ちになった。バーナム効果の話もしていたし、総じて割とありふれた話であった。

要は「運命は作れる!」ということだ。以前中途半端な知り合いに言われた「お前は強がっているだけ。俺はわかってるよ」がどこからまれてきたのかを見た気がする。やめてくれ。

インスタントに寝られる女性を探しているから、インスタント理解(っぽい何か)で十分なのだろう。あの相手小馬鹿にした話法で女性が釣れるとしたら、多分男性側も女性を見下すようになるだろう。それらが行き着く先はミソジニーではないだろうか。なにも進んで地獄に行かなくても、と思う。なにより、そもそもそんなことができなさそうなくらいにBが真面目そうな顔をして話を聞いていたのがなんだか痛かった。この心理学入門にいくら払ったんだろう。

このあと二人は街に消えた。今度は実地で教えるらしい。お兄さん、その道は茨じゃないですかね、多分。そんなことを言えるほど優しくもないので黙っておく。

2021-02-18

必読書コピペマジレスしてみる・追補編

79. 中井英夫虚無への供物

忘れていたので追記ミステリをろくに読まずにアンチミステリを読んで気取るのもどうかと思ったが、メタフィクション的なものにひかれる性分なもので手に取ってしまった。

これはミステリを楽しむ読者に対する批評いやがらせ)であり、こじらせ文学青年崩れの自分は、こうした読者に喧嘩を売る態度を好んでいる。だから、旧劇場版エヴァンゲリオン新劇場版のQも同じ理由偏愛している。かなり楽しんだ。

余談だが、「トップをねらえ2!」もまた、自分のやっていることに対してかなり自覚的批評的だと感じている。まっすぐな努力根性物語にも見えるくせに、根性論に否定的な者が終盤になって気合で新たな力に目覚め、努力根性ばかり口にしていたキャラクターが実は才能の塊であった、という皮肉が好きだ。

で、実際に高校生までに100冊も読む必要ってある?

小説というのは何歳になって読んでもいいものであって、ペースも人それぞれだから、何歳までの必読書という声は基本的無視していいと自分は考えている。自分学生の頃に古典ばかり読んでいたのは単純に背伸びがしたかっただけで、振り返ってみればそれ以上の意味はない。また、「ラノベエロシーンが出てきてもどうせパンチラかせいぜい裸を見るくらい。だったら本番行為やそれ以上の何でもありの純文学を読みたい」と考えたからでもある。もしかしたら、自分男子校出身者だったから、女子のいる高校生活を読むことがうらやましくて耐えられなかったからかもしれないが。

さて、好きに読めばいいと書いたものの、若いうちに読んでおいたほうがいいと考える理由もそれなりにある。一つは体力的な問題だ。年齢を重ねると物理的に目が酷使できなくなってくるし、重苦しい物語を読む体力もなくなってくる。自分も身につまされる話よりも、読んでいて気持ちがいい話ばかり読むようになってきてしまったし、芥川賞さえ読んでいない作品が多い。もう一つの理由は、だんだんフィクションに飽きてくることだ。飽きるというか、何となく手が伸びなくなってくる。その代わりにエッセイ的なもの、身辺雑記的なものに魅力を感じるようになった。「永日小品」とか「武蔵野」とか、古典の日記文学だとか。

それも飽きたら、ノンフィクションを手に取ることにしている。最近読んで面白かったのはリチャード・C・フランシス家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」だ。好きなものを好きな時に好きなように読む。読書ってはそういう私的もので、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。

ぶっちゃけ古典って読む必要ある?

正直なところ、同時代作品を読んだほうが財産になる気がする。古典は、好きな作家が薦めていたのだとか、尊敬する人が影響を受けた作品だとか、国語の授業で出てきて面白そうなのや、読書家の友人の一押し作品、くらいを読めば十分だろう。現在の僕らの問題意識に直接答えるのは現代作品だ。現代作品に飽きたら古典に手を出すのはありかもしれないが。

もちろん、古典はいものばかり残っているからはずれを引きにくい、というメリットもある。自分が読んでいた理由の一つがそれだ。加えて、古典が答えをくれることもある。古典場合、素朴な問いに正面から取り組んでいることが多く、僕らみたいな一般人が考える哲学的な疑問はとっくに古典で扱っているので、さまざまな疑問を僕らの代わりに考えてくれており思考節約になるし、多くの場合安易ハッピーエンドとも無縁だ。好きになったから読んだ、それだけのことだ。

それに、古典知識があると、同時代芸術をより楽しめたり、当時の日本世界空気空想する楽しみが増えたりする。古典翻案作品も深く楽しめる。だが、古いのばかり読んでいては現代から目を背けてしまうことになるだろう。

もちろん、現代から逃避するために古典を読むのもありではあるけれども、自分にとって古典を読むことは、現実に直面するための準備・バッファでもあった。言い換えるならば、最初は逃避のつもりだったけれども、古典を読むことで蓄積された感受性が、面倒くさい現実対処する能力を多少は授けてくれた、ということだ。

また、もしもまっとうな作家を目指しているのなら、最先端作品のみならず、そのジャンル古典的な作品を最低限読む必要は出てくる。ミステリなら基本的トリックSFなら実在架空を問わず科学的な理論を知らないと書けない。けれども、読書エンジョイ勢としては気にする必要はない。必読書リスト必要になってくるのは作家になりたい人間くらいだろう。

ちなみに、度を越して読破量を自慢してくる人間は気にしなくていい。そういうのは根本的に、ポケモン名前をどれだけ言えるようになったかを見せびらかしているようなものだ、と自分は考えている。何かを全部暗記したリコレクションしたりするのは楽しいものだけれども、興味がない人に自慢してもしょうがないし、敷居を高くするだけのことだ。それよりは、気に入った作品を何度も読み返すほうがよほど豊かな読書ライフを送れる。通読でなくても本棚から二三冊手に取って、ぱらぱらとお気に入りのページを読み返すことでどれほど心が休まることか。

自分にとって文学とは、わけのわからない世界に対する防壁だった。近頃は昔ほど心に壁を築いてはいいかもしれないが、物語が今まで自分を守ってくれた記憶に、今でも支えられている。

続きは?

気が向いたら日本文学編、あるいは池澤夏樹世界文学全集編を(オリジナルで)やるかもしれない。しかし、面倒くさいので相当先になりそうだ。

以上。

元増田https://anond.hatelabo.jp/20210215101500

2021-02-07

カモシカロングトレイル ‎@ultratrailbbが 只の社会性のない幼稚な人間であることについて

カモシカロングトレイル

https://ultratrail.hatenablog.com/entry/2021/02/07/063000

まずブログサブタイトル言い訳がましい。

トレイルランニング登山マラソン雑記。頭のちょっと変な人用。》

まり、《ご高齢者様、どうぞ減ってくれ。》とわざわざフォントサイズを変えてまで訴えたい主張についても「あの、わかってますよけ、いきすぎた言動があってもただし書きを書いてますよね?非難する人は文字が読めないんですかね?」という他責にする自分のための言い訳を用意してる。

当たり前だがそんな都合は関係がない、端的に「社会生活を営む上での常識に欠けている」のだ。ブックマーカーたちは全文を読まないという癖があるので、「言ってることにはいいこともある」などアホなコメントを残してる人もいるが大概にしたほうがいい。

スキー場のイキリ、怖えよ

https://ultratrail.hatenablog.com/entry/2021/02/04/060000

このエントリースキー場マナーについて社会への警鐘をならしている。

スキー場みたいに、イキり勢が増えたら・・と思うと恐ろしくてならない。》

レースなんて開催してくれないよ、そんなスポーツに。》

《だからマナーよくしましょう、愛想よくしましょう、安全装備もしっかりもって、ちゃんとしたスポーツだと思われるようにしたいものです。ニンニン。》

心に響くエントリーだ。自分言動は他の価値観に当てはめたらどうなんだ?という思考が欠落している。トレイルランナーが《ご高齢者様、どうぞ減ってくれ。》という思われてしまうということは思いつくことができない、もしけは「変な人ようですから」という言い訳回避できると考えてる節がある。

老婆心ながら家事育児アカウントの方に「お子さまに読み聞かせたいエントリーですね」とリプライしようと思ったのだが、鍵アカウン都(@MW0FNM4q7JHn2cq)

さすがに家族に影響があるぐらいは理解しているのだろうか。

2021-01-27

”段差インザ暗闇”

”段差インザ暗闇”との一致はありません。

段差インザ暗闇 の検索結果 (引用符なし):

暗闇でつまずいた 段差インザダーク : 工員雑記帳 - livedoor Blog

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暗闇でつまずいた 段差インザダーク. 2014/06/15 12:05; 0. 前の記事 · 次の記事 · ホーム. 毎日しかったので疲れが出て土日ほとんど寝てすごしている。 洗濯と洗い物だけでも済まさねば. 拍手する. 0. コメントを書く. コメント(0件) ...

2021-01-24

大手アニメ制作会社退職した話

つい最近、これまで数年勤めてきたアニメ制作会社退職した。

その時の所感を思い出話も兼ね、ここにエントリーを残そうと思う。

拙い文章しままりの無い雑記で恐縮だが、もし興味があれば最後まで付き合っていただけると幸いだ。

そこまで興味ねえよ、って方は『デルタの羊』(著:塩田武士)を読むか、

アニメーション制作進行くろみちゃん』(制作ゆめ太カンパニー)を観れば良いと思う。

大分アニメ業界マイルド表現しているが、ある程度リアルな現状が分かるだろう。

自己紹介

自分20代半ばに中途入社でこの業界に飛び込んだ。

大学卒業後、国家資格必要仕事でそれなりに安定した生活を続けていた。

そのうち、毎日仕事に退屈さを覚え、自分の好きなことに関われる仕事をしたいと考えるようになった。

そう決心してから実行に移すまではそう遅くなかった。

3年ほど経験して、先輩後輩問わず頼られる機会が増えたが、

一度だけの人生自分の想いには素直になりたいと思って転職をした。

中途採用面接は驚くほどアッサリとうまくいき、無事志望していた制作会社入社することができた。

しかアニメ業界では珍しい「正社員」としてだ。

入社してから制作進行、演出助手経験してきた。

他にも経験したポジションはあるのだが、書きすぎると特定されかねないのでここで留めておく。

そうして入社したアニメ制作会社に、新卒時代仕事よりも長い年数身を置くことになる。

入社したアニメ制作会社について

一般企業からすれば規模は小さいように見えるが、業界からすれば大手制作会社といえる。

今の職場で、制作に携わったアニメオタクじゃない先輩に話したら「あー、あのアニメ作ってたの?」って

言われるほどには結構作品自体認知度は高いし、結構覇権認定された作品制作していた。

会社についても、そこそこアニメオタクから話題に上がるほどだ。

毎年新卒制作進行が複数人入社するし、抜けた数だけ中途採用ですぐに補填できるほど、

アニメ業界を目指す人間にとっては好意的に見られている。

制作進行の仕事

ひとことで言えば「縁の下の奴隷」と称すのが正しい。

制作進行という仕事について、「立派な名前は付けられているが、テレビ番組ADと変わらない」という認識かもしれない。

概ね合っている。

付け加えるとすれば、漫画編集者仕事の一端も担っていると言って良い。

漫画編集者は、大体一人の編集者が一人の作家を面倒見るものだと思う。

アニメ制作進行は一話につき約10~30人の原画担当、そして数人程度の作画監督

それにとどまら演出監督の進捗も管理しなければならない。

監督の追っかけまでするのはスタジオによってまちまちだろうが、概ね他社も似たような状況だ。

クリエイターからすれば、アニメ自体に何の付加価値も与えていない使い捨ての道具程度にしか見られていないが、

実際のところ制作進行が居なければどんな作品が作られるだろうか。

高畑勲監督作品かぐや姫の物語』のように、制作期間と制作費をドブに捨てた「儲からない作品」のできあがりだ。

制作進行、制作デスクラインプロデューサー、こういった旗振り役が存在するからこそオンエアのスケジュールに沿ってアニメ作品は作られる。

全く軽んじられている仕事に見えて、実はアニメ制作仕事においては重要役割だ。

給料は中堅拘束アニメーターや演出の拘束費よりも、自分新卒時代の月給よりも少ないのに。

また、大手アニメ会社といえど、社内の作画スタッフだけで作品を作れるかと言ったらそういうわけでもない。

フリーや他社のアニメーターに声をかけて「うちの仕事しませんか?」と営業するのも制作進行の仕事だ。

これについては、大変なおもいをしてアニメーターに罵倒されつつも満身創痍で人集めしていたかと思うと

実はそこまで酷い目に遭ったことは少なかった。(全く無いわけではない)

結構ウチの社名と参加タイトル出しておくと集めやすかったというのが他社スタジオに籍を置いていた先輩の感想だ。

他にも、「外回り」といって作画担当の上がりをアニメーター宅やスタジオまで回収しに行く仕事ほとんど無かった。

代行業者が走り回ってくれるからだ。

会社ブランドによるアニメーターの集めやすさ、物理にしんどい外回り不要であること、これらは大手ならではの強みだろう。

アニメーターの低賃金について

この辺りは純粋実力主義世界といえる。

アニメ業界にいる人間は大体低賃金で働かされるという問題が取り沙汰されるのは、業界の外の人間にとっても聞かない話題では無いと思う。

年齢が50代後半を迎えたベテランにも関わらず、相変わらずボロアパート暮らしている人間は少なくないし、

税金を未納しているほど経済状況に困窮しているアニメーターも知っている中で若干名存在する。

だが、前述した通りアニメーターの仕事実力主義だ。

キレイな上がりを出して作品に多大な貢献している人は月に50~100万、中堅でも安定している上がりを出せれば20~30万と、

作品に対して一定以上のクオリティを保っていれば普通に生活できているのが実情だ。

そんな実情なのに生活に困っているアニメーターは、新人である以外に思い当たる大きな要因としては以下の三つだと考えられる。

病気のためしばらく仕事ができていない(激務だし生活サイクルが安定しないので、結構体を壊しやすい)。

②上がりは平均程度なのに性格に難があるから、次の仕事に繋がりにくい(この手の人は作品納期ヤバいと起用される傾向にはある)。

そもそも上がりのレベル落書きから仕事を干されている(なおかつスケジュールも守れないパターンも割とあるのでかなりタチが悪い)。

性格に難があったり、上がりを出すまでが遅くても使われ続けるアニメーターって、結局押さえるべきクオリティを押さえられている。

にも関わらず「アニメーターは低賃金だ! 彼らの生活を安定させろ!」と騒ぐのは業界をよく分かっていないモグリ発言だ。

新人アニメーターの生活を安定させろという話もあるが、これについても新人なら新人なりにキャリアの無いうちにフリーにならず、

どこかのスタジオに籍を置けば実はある程度解決できる話に過ぎない。

じゃあ稼いでいるアニメーターって具体的にどんなアニメーターだろう、と聞かれたら真っ先に以下の三点が挙げられる。

納期厳守

②安定したクオリティの上がり

演出指示以上の要求に応えられる神様

①さえ守っておけば仕事は来るし、②だけが強みな人も生活できるレベルで稼げる、③については納期を平気で破ろうが高い拘束費を貰って仕事ができる。

③をできる人が居なくても①と②を心がけられる人が居さえすれば生活なんてできるし、一ヶ月程度の休暇を取ったとしても生活している人だって居る。

制作人間からすれば、あまりクオリティ追求しすぎず納期を守ってくれさえすれば文句は無い。

その理由は次項で話そう。

アニメ作画について

アニメが出来上がるまで、その工程について作画だけに触れる。

第一原画(下描き)

レイアウト作業

原画担当演出指示に従って構図とキャラ等の位置関係等を下描きする工程

最近では3Dモデルを使ったレイアウト制作会社が用意して、その上に作画担当が描くパターンもある。

レイアウト演出チェック

出来上がったレイアウト演出担当が指示通りに描いてくれているか

もしくは気が変わったからこういう風に直してくれという指示を挟む。

まりに酷い上がりだったらこの時点でリテイク指示して作画差し戻し、もしくは制作進行にブチ切れる。

レイアウト監督チェック

②で通ったレイアウト監督が見る。

演出の指示がしっかり作品雰囲気世界観に沿っているか確認する工程

監督演出兼任している、監督業務負担が重すぎる、演出の力量が高い、などの時には

この工程が省かれる場合がある。

レイアウト作監修正

作画監督(作監)が②③の工程で出た修正に加え、絵柄の統一を図る。

基本的に①で出てくる上がりは作監以上のクラス人間が描かない限り、全く絵柄が作品に合っていないパターンが圧倒的に多い。

というか原画担当キャラクターデザインの通り描かせたら時間がかかってしょうがないので、

作監キャラ修正を任せるのがスタンダードになっている。

レイアウト総作監修正

総作画監督(総作監)がキャラを大写しにしていたり、動き方が大事カット修正する。

これに関しては、必要最低限なカットだけを修正させることで、総作監業務負担を減らすことになっている。

原画(清書)、第二原画

原画作業(第二原画)

④もしくは⑤の工程が終わった戻しのカットを、基本的には①の作業者が清書する。

演出監督作監などのメインスタッフが起用NG出したり、作業者のスケジュールが合わないなどの場合は、

別の作業者を制作進行が第二原画担当を探してお願いすることになる。

エンドクレジットに出てくる第二原画はそういった「レイアウト作業者の尻拭いをしている人」という認識でいると良い。

演出原画チェック

上がった原画がしっかりレイアウト修正を反映しているか演出がチェックする。

問題なければ、動画検査に回して動画会社や社内動画に描いてもらう。

これでも直っていなかったら作監にまた修正をお願いすることになる。

かい工程は少し省いたが、一覧で見てみてもご推察いただけると思う。

上がりが上手ければ上手いほど、③~⑦の工程で省ける箇所が増えるのだ。

その省ける工程のおかげでアニメ制作スムーズに動き、それができる作画担当アニメ業界において重宝され、

貢献度に応じて対価が支払われるようになる。

作画担当のそうした活躍は拘束費の引き上げ、作監以上への格上げ、更には演出監督デビューにも繋がる。

中にはずっと絵を描いていたいということで、生活が少しくらい苦しくても作画のままでいるアニメーターもいたりはする。

作画以外の魅せ方(ごまかし方)

ここが前項で述べた「クオリティを重視し過ぎなくても良い」と言った理由だ。

昔のアニメに比べて、今の時代アニメからこその進化がある。

それは「撮影処理」と「特殊効果処理」だ。

出来上がった作画に光の陰影だとか、無機物ののっぺり感を抑える処理。

これを撮影班や美術担当が加工することで立体的でリアリティ臨場感を与えてくれる。

鬼滅の刃』を制作したufotableが、自分が思うにこの技術力は随一だと思っている。

あそこは動画については、海外動画会社に撒いているので動画枚数にこだわりがあるというわけではない。

その分、撮影や特効によってリアリティのあるごまかしで、キレイな上がりになっているように見せている。

少し話題は変わるがtwitterのTLを巡回していたときに「あの作画やべえええええええ」って3Dモデルが動いているだけのカット

絶賛していて、アニメ観ている人ってその程度の認識しかないよなあって少し落胆してしまった。

会社を辞めた理由

きっかけは、給料の少なさだった。

演出助手になっても、制作デスク担当しても、上がる給料は少ない。

それでも嫁と二人暮らしで、嫁の方もフルタイムで働いていたのでこれまでは問題無かった。

だが嫁が病気で倒れ、働くことができなくなってしまった。

先立つものがなくなる不安仕事にも集中できなくなり、再度新卒時代に携わっていた国家資格必要仕事に戻ることにした。

アニメ業界は、左うちわで稼げるようになるまでの時間が途轍もなくかかる。

特に制作側で入った人間は一層そこに至るまでに苦労を強いられる。

アニメ会社に入って嫌だったこ

これを詳細に語ると当時を思い出して気が滅入るので、箇条書きで記載する。

制作演出作画どれをとっても大体精神的に幼い。

・上がりの納期を守ってくれる作画が知り合ったアニメーター数百人中両手で数える程度しかいない。

パワハラセクハラの横行。

・不摂生生活で体を壊す日が増えた。

・今でも当時の罵詈雑言の日々が夢に出てきて真夜中に起きる。

これからアニメ業界を目指す人へ

まずは新卒で入る会社ではない。

年代新卒社員と中途で入った自分とで、自分の方が給料が高い、なんてこともあって

大手制作会社でも決まった給与テーブル存在しないパターンがある。

あと、規模さえ考慮しなければアニメ制作会社面接は驚くほど簡単に通りやすい。

簡単コミュニケーションや、自分がこれまで経験したことありのまま受け答えして、

最後質疑応答アニメ業界に興味ありげ質問さえしておけば大体通る。

落ちたらよっぽどのコミュ障か、社会不適合者レベルだとも言えるのではないだろうか。

そんな割と適当業界でもあるので、ある程度新卒で働いてから考え直しても良いと思う。

10転職してから入った人も居るような業界だし、思った以上に門戸は広い。

それでもアニメ制作会社に入りたいのであれば「アニメが好きなこと」と「アニメを作るのが好きなこと」は違う、

これは肝に銘じておいたほうが良い。

中途半端気持ちで入ると、アニメが嫌いになるので。

入りたての頃、自分制作に関わったアニメのオンエアが観れなかったほど、アニメが嫌いになりかけたことがある。

ネットの評判も最初は見れなかった。

そこを経て色んな感覚麻痺し始めてから、真のアニメ業界人の一歩だろう。

道のりは前途多難だが、アニメで成し遂げたいことがあるならば健闘を祈る。

2021-01-19

眠れないので雑記

案ずるより産むが易しとはよく言ったもので、ぐだぐだ悩むよりもとりあえず行動すれば自ずと解決に近づいていくものである。悩んでいても何も変わらない。

そんなことは分かりきっているけれど、でもできないのが人間である

できないから悩むのだ。

願わくば悩みの少ない人生を送りたい。

でも悩むというのは人間らしいとも言えるのではないか

動物はきっとこんなに悩まないだろう。もしかしたら本当は人間想像以上に色んなことを考えてるのかもしれないけど。しらんが。

ならば、今の私はとても人間らしいのだなと、謎の肯定してみた。

どんな形であれ自分肯定できるのは気分が良かった。

これなら眠れそうだなと思った。

2021-01-14

テレワーカーのリアル

環境

都内IT企業開発職

独身一人暮らし

・1Kアパート

テレワーク開始後1カ月くらいでデスクモニター環境を揃えた

slackGoogle Meetでコミュニケーション。ほぼメールは使わない

コアタイムフレックスで開始は遅いので9~10時起き

・早い日は15時上がり、遅い日は9時上がり

生活

アニメとか動画を見ながらが仕事するのがデフォルト、正直ほとんど作業しない日もざらにあるが、業務の締め切りも緩いので現状注意されたことは全くない。一応休み時間は決まっているものの、自分タイミング食事をとっている。緊急事態宣言が出る前はテレワークしてる友人と週2くらいで飲みに行っていたが、コロナの数が増えてきて控えるようになった。人と話す機会が激減している。眠い時に寝て、遅い時間に起きてダラダラ仕事しているが、見込み残業がついているせいで給料は変わらない。安い給料でダラダラ自由に過ごすのに慣れてしまったせいで、今のつまらない職場から抜け出せそうにない。

雑記

会社ではまじめにやってても、家ではさぼる人が少なくとも5割くらいはい

・適切な締め切りを設ける

残業とか管理できないので禁止にするか、年棒にするか

チャットがないとほぼ無理

理想としてたテレワークだがいざやってみると、会社行ってた時のほうが良かったんじゃねーかと思っている。2日出社、3日テレワークとかがベストなのかな。

ただ、家族がいる人はまた別の意見かもしれない。フルタイムでは働けないと思ってた人がテレワークだったらフルタイムでも多少融通利かせて子供の世話しながら働けるんじゃないかな(手のかかる子供は無理かも)。

2020-10-21

ジャンプマンガについて雑記

ジャンプマンガってめちゃくちゃ売れてるじゃないですか

最近だと鬼滅の刃とかですね

ジャンプ作品自分もよく買ってますしよく読みますが、一番好きかと言われるとそれは違います

ジャンプ作品って、どこで感動してほしいか丸わかりじゃないですか

コマ割りとか見開きとかセリフ回しとか次回への引きとか……「今から感動シーン来ますよ〜……ここ!ここですよ〜ここで感動してください!ほら〜すごく感動したでしょ?」と言われてるようで……正直冷めます

そしてそれが多い!一つの作品で言いたいことありすぎやろ……何が言いたいのかだんだんからなくなります

鬼滅の刃特にその傾向が顕著で、だいたい鬼倒した後、鬼に同情するような回想が来たり、鬼殺隊が死んだらその過去の回想来たり……そのパターン何度目やねん?って感じで自分にはあまり刺さりませんでした

どの作品にも見せ場は当然あるものですが、ジャンプはその見せ場を利用して感動の押し売りをしているのがちょっと……というお話です

作者が本当に伝えたいことを作品として表現し、それを読んで素直に感動したいのですが、どうも最近の感動シーンは薄っぺらいというか、感動させるために描いてる感がすごくて意地でも感動してやんねーぞってなります

もう一周くらい回れば素直に感動を受け取れる人間になれるのでしょうか

同じように感じている人がいてくれたら嬉しいです

雑文駄文で読みにくい中、読んでくださりありがとうございました

2020-10-18

anond:20201018144009

家で取ってる朝日新聞から自分記憶だけだ信ぴょう性なくてすまん

朝刊の一面の左のほうか、真ん中の有識者と読者の声乗ってるページの編集雑記だった記憶がある

2020-10-15

身内から肯定自己評価について

最近よく身内から肯定的評価されるので思うところを書く.多分オチ結論はない.雑記

ここで身内というのは親族というより内輪の仲間と言えるような相手だが,

大学研究室教授とかも含むので公的関係でも身内と思ってる(これは自分ボスと仲良いからだが).

自分の専門は機械学習で,友人とかラボゼミとかの間ではかなり詳しい方に分類されると思う.

実際いろいろ教えたりコメントしたりで良好にコミュニケーションして関係を築いているし,

理論雑誌論文を4本出してる.

前述したような師匠や友人から評価を雑に丸めると,僕は機械学習できる人といったところだ.

一方,会社での仕事データ分析で,これは普通に回している感じ.

特に会社で高評価されている印象は全くない,むしろ嫌われているきらいもある.

こうなると,人間は信じたいものを信じてしまうので身内から肯定を高い信頼度情報として受け取り,

会社では(不当に?)評価が低くて不満を感じる,という心情になってくる.

ただ,身内以外でも,機械学習系の解説資料ネットでなかなかにバズったり,学会しか会わないような人からも上々に評価されている.

ある程度客観視された場合でも,自分を優秀層として認知する人がかなりいるということになる.

そうなるといよいよ会社から評価には不満がたまってくる.

うちの会社学術活動にもかなり前向きで,会社HPには社員の発表実績リストとしてずらーっと学会発表や論文掲載結果などがリスティングされている.

決して学会活動がメインだから評価が低くなるという風土ではないはず.

この状態がしばらく続いており,日に日にイライラが募っていく.自己評価に見合った待遇を受けれていないと.

現在年収絶対値として大きな不満はないが,同じ業界かつ近い職種自分より優秀でない人が自分の1.5倍も年収があると思うと本当に腹が立ってくる.

LinkedIN個人ポートフォリオサイトからの経由でリクルータから簡単声かけはよく貰うものの,そんなにマッチングした案件が来ている気もしない.

いったいどうすればいいのか.まずそもそも自己評価が過剰に高いとは考えにくいのだが,会社市場から評価が正確とも思えない.

仮に自己評価の方が過剰に高いとして,外様から評価自己評価や身内から評価との乖離について,人はどうやって折り合いをつけるのだろうか.

2020-09-10

PS5戦略予想

三行予想

雑記

2020-08-25

円城塔がめちゃくちゃ嫌いだ。評価されてほしくない

後藤さんのこと」を読んでめちゃくちゃ面白いと思ったのがおよそ10年前。大学生の頃だった。

この短編集は今でもかなりの名作だと思っているし、ハードカバーを買って大事に持っている。(小説絶対文庫版で買うという決意を持っているこの俺が、だ)

どの短編もこれまでに読んだことのない新鮮な後味で、何度でも読み返した。

この人の小説もっと読みたいと思った。

そこで読書メーターレビューサイトを見ると、「数学物理を使って書かれた純文学」みたいな書評が目についた(ちゃんとした表現は覚えていない)。

そうかな。と思った。

作者・円城塔理系出身者らしい。

なるほど。確かに、「さかしま」「考速」「ガベージコレクション」あたりには、理系的なモチーフがふんだんに埋め込まれていたし、その中には確かに数学物理単語もあった。

どちらかというと情報系分野の香りの方が強く感じたけど。まあ情報数学の一部だしな。

でもなんか、「数学物理を使って書かれた純文学」みたいな批評にはなんとなく頷けない感覚があった。

言い忘れてたけど、自分は一応ちゃんとした大学数学出身であるので、数学物理単語を言われたらそれが何のことかはわかるし、学問においてどういう立ち位置だったりどう使われるか、はおよそ知ってる(あんまり高度なのは無理だけど)。

からこれらの話はすごく面白く感じた。理系用語が雑に使われてたから引っ掛かったとか、そういうことじゃない。むしろ日本語としてこれ以上ない適切な位置にそれらの単語は置かれていたのではと思う。

次に「バナナ剥きには最適の日々」を買った。これも素直に面白いと思った。

equal」には妙な居心地の悪さを感じたけど、「捧ぐ緑」は今考えても円城塔最高傑作なのではと思えるくらいだ。

なので最初違和感がはっきりと形になったのは、その次に買って読んだ、「Self-Reference ENGINE」ということになる。

全ての可能文字列。全ての本はその中に含まれている。

しかしとても残念なことながら、あなたの望む本がその中に見つかると言う保証は全くのところ存在しない。これがあなたの望んだ本です、という活字の並びは存在しうる。今こうして存在しているように。そして勿論、それはあなたの望んだ本ではない。

皆はこの小説をどのように楽しむのだろう。

言っていることは理解できるし、示唆的ではある。人に何かを「考えさせる」文章でもある。しかしそれは「考えさせる」だけで、後に何も残さな文章しかなかった。

ストーリーもあってないような状態。各章の繋がりもバラバラだし、場面は突然切り替わるし、急に新キャラが出てきて急に退場するし、何もかも説明が不十分で、衒学的な、鼻につく文章けが延々と続く。

端的に言って、「最初から最後まで何も言っていない」。文字無駄に消費しているだけの、中途半端文字列らしき何かだと思った。

そして「エピローグ」を買った。

これでもう俺の円城塔嫌いが確立されたと言っていい。

何故って彼はエージェントで、エージェントとは人間よりも器用にチューリングテストクリアすることのできるスマート・クリーチャにしてオーバーチューリング・クリーチャだからだ。

人間理解できるのはせいぜい、N文字を利用して作成可能な全ての文章であるにすぎない。Nはある程度の大きさのところに留まり、そこには有限個の文章しかない。

「敵艦影、三。天頂方向より接近。ダミー放出。並列存在を開始。複雑性迷彩が起動しました。オーバーチューリングテスト実行。成功成功。失敗。失敗。失敗。当該宙域には、法則69805f9944ed4298311d0cdaa75da2629d6f3bb3756455d504243fla6c565f75が適用されていません。」

はあ。これでやっとわかった。

彼は詩を書いているんであって、小説なんか最初から書く気が無いのだ。

円城塔の紡ぐ文字列の並びは確かになんとなく美しいと思う。なんか感性に訴えかけてくる。なんか良いこと言われているような気にさせられる。

しかしその実、中身が全くない。その点に限って言えば詩としても程度が低いように思う。詩にも訴えたい内容とかあるからね。

そしてそれに「ていよく」使われているのが、SFだったり、数学物理言葉だったりする。

数学SFが、詩を美しく紡ぐための新しい言語の代わりにさせられている。これがなんとなく違和感を覚えた原因だったのだ。

まりこれを「詩集」ですと言われて手に取ったら、「おお、面白い詩だね」といえるんだけど、「小説です」と言われたから、「小説か??」となってしまう。

苛々するのは、読書メーター書評サイトレビューたちだ。

軒並み、「なんだかわからないけどすごい」「深淵」「自分には理解できない新境地と感じる」「文系殺し」といった単語が並ぶ。

お前らホンマに頭で物考えて言ってるんか??????

端的に口をそろえて「理解できませんでした」と言ってるだけだろうが。理解できないものを、適当に高評価するんじゃないよ。ボーッと生きてるにもほどがあるでしょ。

詩の材料にされている数学物理言葉がわからないものから、その意味不明さに脳が酩酊させられてるだけだよ、それ。酒飲みみたいにその酩酊を楽しみたいなら、いいんだけどさ。

自分文系から知識がないから、それらの語彙が入ってこないだけで、ちゃんと語彙力があったらそこに何か深い意味が込められているんじゃないかと思った?

なかったよ、なんにも!!

さらに頭にくるのはそのやり口で芥川賞なんか取っちまったところだよ!

選考委員も、軒並み騙されてんじゃないか。誰か一人でも意味わかってたんか?「道化師の蝶」のモチーフとなっているという、自己言及プログラムを一人でも書いてみたんか??

俺は、この世に理系人間文系人間とやらがいるとはあんまり思ってないけど、もし芥川賞選考委員がそういったSF数学物理に疎い人で構成されているんなら、円城塔作品はまさしくそ脆弱性を突いたクラッキングだよ。

以下が「道化師の蝶」受賞時に高評価をつけていた選考委員コメントだ。高評価だぞ?低評価じゃない。よく読んでほしい。

『二回読んで、二回とも眠くなるなら、睡眠薬の代わりにもなる。』

完全に酔っぱらってるじゃねえか。

あと、円城塔は、いい加減に繋がっているようで繋がっていない短編の寄せ集めを長編と言い張るのをやめて、最初から最後まで一貫して繋がった長編を書くべきだ。詩集から無理か。

2020-08-14

ツイステ入れてみた感想雑記

まりにも人気なのでどんなもんかと思ってプレイしてみたものの波に乗れない気配しかなかったので逆に率直な感想を書いてみる

まだめちゃめちゃ序盤しか触ってません

夢小説か?って感じの展開に込み上げてくる謎の笑い

トリップ特有のそうはならんやろ……感 もうちょっとどうにかならなかったんですかね

・めちゃめちゃ動く立ち絵への衝撃

違和感なくぬるぬる動く謎の技術 ああいゲームって立ち絵2枚くらいに表情差分程度がデフォじゃないんですか??????

・めちゃめちゃ喋る

フルボイスゲーに触れたのも久しぶりなんや……

・オート設定時のセリフセリフの間の無さが違和感しかなくて気持ち悪い

しかし手動で送るとまあまあめんどい

自分の選んだ選択肢と直後のキャラクターセリフの噛み合わなさも気持ち悪い

何が何でも特定選択肢に則った展開にさせたいならそもそも選択肢は要らないのでは

それとも正否があって私が全部間違ってたんですかね 好感度とかあるやつ?

チュートリアルが長い

長い割に内容的にはそんなに教わることは無いような

逆に授業とかに関してはもっとちゃんと何すればいいのか教えてくれ状態 

スマホがクソ熱くなる

手に持ってるとこの時期は地獄 あと単純にスマホ大丈夫なんか?ってなる

・容量めっちゃ食う

ユ ー ザ ー デ ー タ 2 G B 超

勘弁してくれ


・グリムがどう頑張っても好きになれない

致命的では?

2020-08-03

[][]8月3日

https://4komagram.com/users/5792

・「優しさ」を投稿

雑記

ニコニコ動画コメント投稿で、その投稿者の年齢が表示されるようになると面白そうだから一回試してみてほしいなとちょっと思う。

2020-07-27

雑記

はてブって昔からあるイメージあるけど、利用者側になるのは初めてだ。用途としてはチラシの裏みたいなことでいいのかな?

某SNSでしがらみを作ってしまい、好きなことを言えないまま「好きなこと言えよ」みたいな歪な状態で、言うに言えないことを言うためにここに来た。

文字数の制約なんかも狭くはなさそうだし、何度も投稿しなければ言い切れないようなことを、1度に言い切って溜飲を下げるにはうってつけのツールだとは感じた。

しかし実際こうやって書き始めてみると、実は言いたいことってそんなになくて、「誰かが見てくれてるかもしれない」という希望が欲しかったのかな、とも思う。

こうやって思ったことを書くだけで一種思考整理というか、感情整理というか、手段はあるのに今までそういったことを自分があまりやってこなかったことに気付かされる。

世間が物騒で不穏な雰囲気を醸しているので、それこそストレス発散の選択肢が以前よりも持てなくなってきた。そんな中で以前と同じように働け、と言われても能率は落ち、根が詰まる。

そんなことを言い訳に使いたくはないが、今月から仕事を休んでいる自分がいる。

原因は上司との不和によるストレス性の精神疾患が主たるもの一年ほど前に同上司パワハラを受けた為、それがきっかけになっている。仕事を続けようと思えば続けられたのだろうが、精神が傷だらけな上に身体まで悲鳴を上げ始めており、その状態コロナストレス堝に飛び込む道理もないだろうと妻に諭され、休職に踏み切った。

思えば半年前くらいから綻びは出ていたのだろう。しか居酒屋で同僚や友人たちと酒を酌み交わしながら愚痴やら酒やらをこぼし合うことで取り繕っていた。

張り詰めた糸の緩めどころが無くなり、切れてしまったのが今月、という話だ。

書き始めも書き始めだが、続きはまたその内。

2020-07-16

[][]7月16日

https://4komagram.com/users/5792

・「おごり」を投稿

雑記 「げぇー!」はキン肉マン派と横山三国志派で分かれるのでは?とつい思う。

追記

・「鳥の鳴き声」を投稿

追記

・「かたまり」を投稿

2020-07-13

[][]7月13日

https://4komagram.com/users/5792

・「転職」を投稿

雑記

道端の猫に触ろうとして逃げられた。今にしてグリーンマイル気持ちを知る。

「人生」投稿

雑記 

録画しておいた100分de名著ピノキオ回を視聴。

「ぼくは生まれつき働くのに向いていないんだ」というピノキオ台詞アムロの「僕には帰れる場所があるんだ」に匹敵する、言葉の響きに美しさを感じる。

2020-07-09

[][]7月9日

https://4komagram.com/users/5792

・「ケーキ三等分」を投稿

朝食に辛いものを食べる。すると思いのほか目が覚め意識は冴えた。

今にしてようやく朝カレー真意を知る。

追記

・「重力オフ」を投稿

昼食に初めて低アミロース米なる米を食べた。

かに普通ご飯よりモチモチしていた気がする。

パンは硬くて歯応えあるほうが好きだけど、米のほうはモチモチしていたほうが好きかも

追記雑記

幼少時、浦安鉄筋家族が好きでよく読んでいたのだけど、巻末には作者による各話の感想が書いてあって、その感想のどれもがおおよそ否定的であったのがとても印象的。

当時は「面白いのに、どうして駄目だなんて言うのかなぁ」と思っていたけれど、大人になって、そしてこうしてふと四コマを書いてみるとその気持ちちょっとわかった気がする。こうした発言自体が随分とおごがましい事とは理解しつつも、そうした心境についてちょっと綴る。

「これ面白いのでは!?」といって浮かんだアイデアを表面化するというのは深夜テンションのごとくの自己完結的な躁常態と、冷静になり作品俯瞰する常態になって訪れる鬱的な見方。その両極端と成るふり幅の大きさ如何によって、そのまた作者の情緒も揺さぶられるではないかと思う。コーヒーかぶっと飲んで、カフェイン切れて妙に落ち着かない浮遊感にも似た喪失さと焦燥さは、自己便宜的な否定意見を持ってようやく落ち着くことができるのかもしれない。

追記

・「奇妙な論理2」を投稿

「やまない雨はない」という言葉ニュースを見ていると今は二重にも三重もの意味を持っているように感じる…。

2020-07-05

anond:20200702130241

一時のはてなブログブームは手軽にアフィリエイトができるという触れ込みが大きく作用していた。

からはてなブログクリエイターライター)に支持された時期があったどうかについて疑問がある。ぱっと見は簡素であるものの、変なところがごてごてでもっさりしていて取り回しの悪いあのサービスを気軽に使ってみようと思う人はそんないないのでは?

ブログ情報発信という発想自体Web2.0時代ぽく古臭い。本気でライティングをやりたいのならオウンドメディア寄稿するし、そこまでのモチベーションがない大多数はnoteTwitterにささっと投稿して終わる。

アメーバはてブロのような個々のユーザに重点を置き、プラットフォームとしてコンテンツ流動性が低い旧態依然ブログサービスにもはや魅力なんてない。

notemediumユーザの垣根を横断してコンテンツを閲覧できる。また画一的デザインフラットな視座を閲覧者に与えることを助けている。つまり逆に言えばnoteユーザであれば不特定多数の目に晒されそれだけ注目される機会があるということだ。

そしてnoteはそのプレーンデザインゆえに利用者雑記位置づけで適当に書き散らしてもいいようなハードルの低さがある。メイン活動の片手間に議事録ネタ帳としてつかっている人も多いだろう。

はてブロnoteに比べプラットフォームとしての力は弱い。ブログスペースをユーザに貸し出すだけで、ユーザコンテンツの注目を集めるためにはTwitterはてブ等外部でのバズが必要だ。閲覧者もそのページを読むときにそれがはてなブログかどうかなんて別段気にしていない。アメーバだろうがライブドアだろうがどうでもいいというのが今現在一般的感覚だろう。

そのくせ自分の城とするにははてブロ不自由だ。はてブロユーザだけを意識した利点のない上部バーと目障りな広告。なぜかprevがないページャ。だらしなく下に伸びるアーカイブモジュールに、妙なシンプルさが却って見づらい注目記事/最新記事モジュールデフォルトだとどうでもいい情報をでかく記載してくるアバウトページ…pro会員になってこういうところをちまちま直すなら、tumblrを使ったりWordPressを導入した方が手っ取り早くてデザインもすっきりしたものができる。

気軽に書くにはハードで本気でメディアを作るには不自由で取り回しが悪いサービスというのがはてブロであり、そんなサービスを盛んに活用するクリエイターはもはや殆どいないのではないか

話は変わるがクリエイターと呼べる水準にいない奴が幅きかせて嫌われたのが互助会騒動だった。

カレールーと残り物で作ったカレーで1200円とる店が乱立し、しかも呼び込みがしつこくてうざかったみたいな。悪いことしてないかもしれないけどそりゃ嫌われるわな。

2020-06-18

同人サイト日記ブログ

細々とブログを書いているんだけど、なにせ同人個人サイトブログなのでおそらくほとんど誰にも読まれていない。

レンタルブログじゃないかサービス独自リンクなどから流入もなく、トップページからしか人が来ないタイプブログだ。

作品発表をSNSからサイト中心に移動して2年ほど経って、時々誰かに読んでもらいたいと思うことがある。

この時代雑記のような文章を読まれたいならTwitterで呟くかnoteやFANBOXあたりで書くべきか……

2020-06-02

はてブユーザー層が変わった原因はブロガーが抜けたこ

最近はてブって負のオーラがすごい」

https://anond.hatelabo.jp/20200601222620

同じこと思ってる。

最近はてブ一般感覚とは大きくズレた左寄りのコメで埋め尽くされる現象が起こっている。中には、本気なのかネタなのかわからない陰謀論トップコメを占めていることもある。

長くはてブを使ってる人なら感じてると思うけど、本当にサービスとしての雰囲気が変わった。明らかにユーザーが高年齢化しているし、もともと比率としては少なかった女性ユーザーさらに減った。そもそも右翼にしても左翼にしても、偏りすぎたイデオロギーネット上で発露する人間の多くはおっさんであって、今のはてブユーザーの平均年齢は40代前半と予想する。

おれは、はてブ10年ぐらい使ってるけど、さすがにここ1年ぐらいの状況はひどくて、はてブに変わるサービスを本気で探し始めている。

で、なんでここまで、はてブ左翼おっさんばかりの溜まり場になったのか?と考えたら、ブロガーアフィリエイターがいなくなったからだとわかった。

おれはアフィリエイトで月30万ぐらい稼いでいて、アフィリエイター同士のコミュニティにも属しているから詳しいんだけど、4,5年前ぐらいに、初心者ブロガーの中ではてなブログブームがあったんだよ。

アフィリエイトは、GoogleAdsenseで稼ぐにせよ、ASPで稼ぐにせよ、SEO上位表示させるのがマネタイズ王道だ。で、当時は今よりもはてなブログSEOに強かったこともあって、毒にも薬にもならないことを書く雑記ブロガーが、はてなで、たけのこのように生まれていた。

正直「ブログで好きなこと書いて稼ぐぞ☆」とか抜かしてぺらぺらの内容を書くアホばっかりだったので、あいつらも相当うざいんだけど、年齢層は若くて、意識高い系主婦が中心だったので、今中心になってるようなおっさんユーザーと混じり合ったときバランスが取れていたんだろう。

でもここ1,2年で、はてなブログに限らず個人アフィリエイターブロガーSEO上位表示させて稼ぐのが一気に難しくなって、プレイヤーの数が減る流れがある。具体的な原因は3つ。

1.企業や団体もWebメディアに力を入れたことで個人太刀打ちできなくなった

2.Google検索アルゴリズムサイト権威性や信頼性評価する諸項目(EATという)の重要度を高めた。

→この2つは本質的には同じで、個人が作る中身スカスカサイトブラック手法上位表示させるサイト駆逐するために、公式サイト企業サイト、あるいはネット上で幅広く言及されたり引用されるサイト優遇するようになった。

これで、個人ブロガーアフィリエイターSEO上位表示することが一気に難しくなり、初心者ブロガー離脱

ただ、ユーザーからすればこれは良アップデートで、Googleの「ユーザーのためのコンテンツを作ることが第一」という考えとも合致している。

3.SafariにITPが実装されてアフィリエイトリンクのCockie保持期間が最短1日になった

→わかりやすくいうと、前まではユーザーアフィリエイトリンククリックしてから30〜90日以内に購入や問い合わせのアクションを起こせばアフィリエイターの成果となっていた。でも、それが今はiPhoneSafariっていう、全体の過半数を占めるユーザー群が、最短で1日しかその潜伏期間がなくなった。

これで収益が激減したブロガーアフィリエイター多数。

そんな感じで、アフィリエイト業界全体でみてもプレイヤーの数が減ってるんだけど、特にはてなブログマネタイズ狙ってたやつらは、そもそも文章を書くことにも金を稼ぐことにも本気ではなく、なんとなく楽に稼げたらいいなと思って互助会に頼ってたような連中なので簡単に離れていった。

はてな運営も、はてなブログアクティブユーザー数が激減している原因がそこにあることはわかっているので、2019年9月公式に、はてなブログ営利利用を認めるリリースを出したけど、もう遅い。以前のはてなブログブームはおそらく二度とこない。

そのキラキラ層と呼べるようなやつらがここ数年でゴッソリ抜けたあとの状態が、今のはてなというサービスだ。

残ったのは「Twitter意見を出したら叩かれるのが怖くて、誰からも名指しされなくて済むはてブ陰謀論を流すおっさん」。

マジで終わってるだろこのサービス

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ブコメ見て追記

かつてのはてなブロガーはてブ使ってなかったっていう意見がいくつかあるけど意味不明。仮にクソ互助会が主目的だとしても、それ以外の、自分普通に興味ある話題には一切ブクマしないって考える方が不自然

そもそもブコメつけずに「あとで読む目的ブクマするやつだっているんだから結果的ブロガー連中が純粋に好む話題も、政治話題とかと並んで人気エントリーに表示されるだろう。

よしんば、はてブ使用率が他ユーザーよりも低いと仮定しても、当時のはてなブロガーの分母自体が多いんだから一定ブクマカとして活動してたやつはいるだろ。

実際、当時と今とでは明らかに人気エントリーに並ぶ話題が違うよ。ブコメでもあったけど、アニメテクノロジーは明らかに激減してる。いかにも、当時のブロガーが好みそうなジャンルだと思うけど。

【もうひとつ追記

何度もすまん。

マネタイズ目的はてなブログユーザーはほんの一部」「日記的に趣味ブログ書いてる人も沢山いる」みたいなブコメは間違ってると思う。

それをいう人はピュアすぎるよ。あなたが「この人はマネタイズなんて意識してない」って思ってるブロガーの8割はマネタイズしてるよ。世の中にどれだけ広告宣伝が横行してるかに気づいていない。

純粋ライティングが好きで始めた人や、承認欲求を満たすために始めた人は確かにいるよ。でも、その中でマネタイズ一切なし、AdSenseAmazonアフィや楽天アフィも貼らないっていうポリシーをずっと貫く人は、本当にごく一部。金がほしいっていう気持ちって簡単に人の信念を変えるんだよ。別にそれは悪いことじゃなくて、そういうもの

たぶん、ブコメした人は、WebサイトAdSense広告バナーが貼られてる光景に慣れすぎて、それが「ブログ主がマネタイズのために自発的タグを埋め込んだ結果表示されてる」っていうことを意識しないのだろうな(はてなブログ無料アカウント場合は、はてな運営自動で貼る広告もあるけどね)。

あと、読解力のないブクマカが、なぜかおれを互助会ブロガーだと受け取ってるけど、どんな読み方したらそうなるの?

しろ自力ユーザーのためになるコンテンツを考え抜いて、その結果Googleからも今でも評価されて真面目に稼いでる者として、アンチ立場とってる文章なのに。

当時のほとんどの初心者はてなブロガーが作るコンテンツゴミだけど、「政治に興味ないフツーの若者比較的近い感覚をもったブクマカ」として、はてブ政治トピック一色になるのを抑止する効果はあったってことを言いたいんだって

はてブ人気エントリーは枠が限られてて、相対評価順位が決まるんだからキラキラ層に押し上げられたトピックと、はてサが押し上げたトピックが混じり合っていたってこと。

互助会ブログなんてクソだから、無い方がいいに決まってるだろ。

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